第15話 文字霊(壱)

 結局、私はあの胡散臭い祓い屋四条氷雨の屋敷で働き始めた。

 本音で言えば、コンと早々に逃走したかったが、当のコンがヒサメの式神になりたい、というのだから仕方ない。

 しかも、その理由が彼の下で修業し、強くなって、母親の仇討ちをしたいからだと……。


――まさかコンの母親が殺されていたなんて……。


 初耳だった。母親を亡くし、独り生きていたコンと私は出会ったわけだが、その詳細を知らなかった。

 しかも、何の因果か。仇討ちの相手が神白子かみびゃっこの山神だ。


 私自身、その山神への生贄にされそうになった身だ。

 コン曰く、私まであの山神の餌食になるなんて許せなかったらしい。そう言えば、あの時のコンは必死で私を助けてくれたと思い出した。

 

 個人的な意見を言えば、コンには復讐なんてしないで欲しい。そんな感情に縛られず、前を向いて生きて欲しい。

 だが、部外者の私がそれを言うのははばかられた。


 コンはこの世で一番大切な存在を山神に奪われたのだ。それを奪った存在が、今ものうのうと生きているのを許せなく思うのは当然だろう

 「復讐なんて何も生まない」などと綺麗ごとを言う気にはなれない。


 コンについてあれこれ考えるが、私の望みはシンプルだ。

 コンに幸せになって欲しい――これだけだ。


 まぁ、ソレが難しいのだけれども……。



 とりあえず、私にできることとして、コンには毎日しっかりとした物を食べさせてあげよう。食事は大事である。

 また、コンの食事管理については、あの誘拐犯もとい、主であるヒサメからも命じられていた。


 ヒサメからは「コンの世話」を仰せつかったが、実際は食事係と同義である。

 意外にも、食事にかかるお金はヒサメからたっぷり貰えていた。

 これなら、栄養バランスを考えた美味しい食事をコンに食べさせることができる。私はもろ手を挙げて喜んだものだ。

 この屋敷には立派な台所もあるし、材料費の懸念もなければ、料理を作るのはそう難しいことではない。


 それで、私は自分とコンの分の食事を用意するわけだが、そうすると同僚のおコマさんやロウさんが食卓へ顔を出す。

 物欲しそうな表情をしている彼らに同じ食事を振舞うことになるので、いつの間にか私は四人分の食事を作るようになっていた。


 四人――そう、四人分だ。

 相変わらず、ヒサメだけは私の料理を決して口にしない。やはり、毒の混入を警戒しているのだろう。

 昨晩もそうだった。




 その日、良い豆鯵まめあじが安く手に入ったので、それで南蛮漬けを作った。

 揚げたての豆鯵をピリ辛甘酸っぱい汁にじゅっとつける。そこにミョウガ、キュウリ、大葉をたっぷり。じっくり揚げているから骨まで食べられる。

 揚げ物だけれども、さっぱり食べられる夏の定番だ。


 コンたちは南蛮漬けを食するのは初めてだったようで、口に合うかどうか不安だったが……


「あまずっぱくて、おいしー!」

「揚げ物なのに、さっぱりしているわ」

「……うまい」


 なかなか好評で、私はホッとした。

 ……と、そのとき。ちょうど通りかかったヒサメにおコマさんが声を掛ける。


「坊ちゃんも召し上がりませんか?とっても美味しいですよ」

「いらん」


 料理を一瞥いちべつすることもなく、ヒサメはスタスタと足早にどこかへ行ってしまった。


「あの…、ハルちゃん。気にしないでね?」

「あ、はい。大丈夫ですよ」


 申し訳なさそうにするおコマさんに、私は頷く。

 事実、私はあまり気にしていない。

 というのも、ヒサメが私を警戒するのも一理あるからだ。


 もちろん、食事に毒を入れる気なんて私にはさらさらない。

 ただ、その動機は十分あった。未だに、コンを無理やり連れさらったことを私は根に持っているのだ。



 とは言いつつ、ヒサメの毒物への警戒具合は少し度を越しているようにも思えた。

 こうやって同じ屋根の下で共に暮らしていると、自然とヒサメの食事事情も分かってくるものだが、それはちょっと異様なものだった。


 おコマさんやロウさんは料理ができないので(おそらくヒサメ自身も)、ヒサメは外に食事を求めるしかない。

 それで、彼は毎日ロウさんに命じて、都の商店で弁当や総菜等を買いに行かせるのだが、自ら店に出向くことは決してなかった。


 それは単に面倒くさいという理由もあるが、何よりも「四条氷雨」が店に出入りしていることを、極力他人に知られたくないからだ――とおコマさんとロウさんは話していた。

 食事を買い求める店もできるだけランダムにして、馴染の店を作らないようにしているらしい。


 そうやって、ヒサメの命を狙う誰かが毒を混入できる機会を極力減らし、その上で買ってきたモノをロウさんに毒見までさせているのだ。

 職場の食事会などでも、必要最低限しか料理を口にしないとか……。


 毒殺を警戒し、ここまで徹底しているヒサメは普通じゃない。病的とすら思う。

 いったい、彼の過去に何があったのだろう?


 ヒサメは貴族ではあるが、領地も持たない下級貴族らしいし、そう命を狙われる危険性もないように思えるのだが……謎であった。



 あらゆる人物を疑っていると言ってもいいヒサメ。

 そんな彼が信用しているのは、自分の召使いだけ。おコマさんとロウさんだけだ。

 当然、私はその中に含まれていない。

 もっとも、私もヒサメのことを信用していないから、彼を責めるつもりはないけれど。


 私はヒサメがコンを傷つけないか、目を光らせていた。


 ヒサメの下で、すでにコンは修業を始めている。

 ちなみに、コンは本来の狐のすがたではなく、基本的に人間の姿に化けてこの屋敷でも過ごしていた。


「これもシュギョーだって!」


 コンが言うには、ずっと人間の姿を保つのも修行の一環らしい。

 人間に化ける以外もコンは色々と頑張っているらしいが、あいにく、その修行内容を私が目にすることはできなかった。


 だから、虐待まがいな訓練を強いられていないか、私は心配だった。

 私は毎日コンの身体をそれとなく調べている。

 今のところ、殴られたり蹴られたりした様子は見当たらず、たまに小さなかすり傷があるくらいだ。だが、用心するにこしたことはないだろう。


――まったく、面倒な男に目を付けられてしまったなぁ…。


 私はひそかに溜息を吐く。


 コンのことがあるから我慢するしかないが、まさかあんな男の召使いになるとは思いもしなかった。

 私とヒサメは互いに信用していない。なんともギスギスした主従関係である。


――いったい、これからどうなることやら。


 やれやれと、私は肩をすくめるのだった。



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