第13話 召使い(弐)
屋敷の大きさから想像できたことだが、台所も随分と広く立派なものだった。
大小の
「どうぞ。ご自由に使って」
おコマさんがそう言ってくれて、私はコンのために食事を作ることにした。
コンは丸一日、飲まず食わずで泣いていたらしいので、さぞお腹を空かせているだろう。手っ取り早く作らなければ。
私は調理にとりかかろうとして、ふと気付く。
台所は清潔に保たれていた。それは良いことだが、きれいすぎる。使用した形跡があまりなかった。
――ここのお屋敷では、普段料理をしないのだろうか?
だが、台所にある物を調べると、米もあれば乾物、数種類の野菜もある。調味料一式もちゃんと揃っていて、高級品の砂糖まであった。
つまり、台所の使用形跡がないのにも関わらず、食材だけはしっかり揃っているのだ。
このちぐはぐな状況に、私が首をかしげていると、おずおずとおコマさんとロウさんが声を掛けてきた。
「実は私、料理は苦手なの。火を扱うのが、どうしても怖くて……」
「某、火は起こせますが、どうも細かい作業は苦手で……」
「だから、食事はいつも出来合いの物なんかを買って済ませていたの」
私は「はぁ」と頷いた。
ひとまず、この台所が使われていない事情はよく分かった。台所の設備は立派だから、使わないのは勿体ないと思うが、他所には他所の事情がある。
「でも、料理をしないわりに、食材や調味料が揃っていますけれど……」
「それは今日の昼、急いで買って来たのよ。コンちゃんが、こちらが用意した食事を一切口に付けなかったから…。出来合いのものではなく、手作りの温かい食事が良いかと思ったの」
「コンのこと、そこまで気を使ってくださったのですね。ありがとうございました」
あのヒサメという男は信用できないが、おコマさんとロウさんは人柄が良さそうだ。
「コンちゃんは狐さんなので、お揚げののったキツネうどんを作ろうとしたの」
「はい。コンの大好物です。それも食べませんでしたか?」
「ロウちゃんと二人で頑張って作ったのだけれど……」
おコマさんは眉を八の字にして、ロウさんを見上げた。
ロウさんは静かに首を横に振る。
「アレはキツネうどんじゃなかった」
二人の表情は暗い。
いったい、どんなキツネうどんを作ったのか。気になるところである。
ともあれ、それならキツネうどんの材料があるはずだ。あれなら、作るのにそう手間はかからない。
私は作業台の
お料理開始である。
まず私は、出汁を取ることにした。竈に火を入れ、鍋に湯を沸かす。
昆布とかつお節の合わせ出汁も良いが、今は時間がない。コンの空腹もそろそろ限界だろう。現代日本なら顆粒出汁なんて便利な物があったが、もちろん異世界にそんなものはない。
私は手っ取り早く、かつお節だけで、出汁を取ることにした。
ぐつぐつ水が沸騰したら、鍋を火から下ろし、そこにかつお節をたっぷり。かつお節が鍋底に沈むまで少し待ったら、ふきんを敷いたザルでこす。
そうすると、澄んだ琥珀色のきれいな出汁が取れる。台所中に、かつお節の良い匂いが広がった。
これをうどんのつゆと、煮揚げに使おう。
火を使っていると、途端に体が汗ばんできた。
夜は昼に比べてまだ涼しいが、それでも火を使うのが辛くなってくる季節だ。
暑い中に、熱いキツネうどんなんて酔狂な気もしたが、気温なんて飛び越えて、コンにとってキツネうどんはごちそうなのである。
手拭いで汗を拭きながら、私は作業を続けた。
続いて、私は油揚げを甘めの味付けをした出汁で煮た。
キツネうどんの醍醐味は、じゅわっと甘めの出汁が染みた油揚げだと思う。油揚げに味がしみこむよう、煮汁が少なくなるまで煮詰めた。
その間に別の鍋で、乾麺のうどんを煮る。また、うどんにトッピングする青ネギを切った。
別段、特別なコトをしているわけではないが、調理中の私の手元を、おコマさんとロウさんは興味津々といった顔で覗いていた。
さらには、匂いにつられたのか。鼻をひくつかせながら、コンまで台所にやって来た。
「ハルぅ。おなか、すいたよぉ」
「もうじき、できるから板の間で待ってて」
「うん!」
土間から上がってすぐの場所には、
すぐにふわりと煙が上ると、いつの間にかコンは狐から少年に姿を変えている。おそらく、狐のままでは箸も持てないし、うどんが食べにくいことに気付いたのだろう。
やがて、キツネうどんが出来上がる。
それを見て、コンは目を輝かせた。
「熱いから気を付けてね」
「いただきますっ――あちゅっ!」
勢いよくお揚げにかぶりついて、案の定舌を火傷するコン。言わんこっちゃないと、私は苦笑いした。
それでも、余程お腹を空かせていたのか、ハフハフ言いながら物凄い勢いでコンはうどんを食べていく。その旺盛な食欲を見て、私も空腹を覚えた。考えてみれば、今日は朝から何も食べていない。
「あの、私の夕食もこれで作っていいですか?」
私は残りの食材を指して、おコマさんに聞いた。彼女は「もちろん」と微笑み、それから羨まし気にコンを眺めた。
「コンちゃん。美味しそうに食べるわねぇ」
「おコマさんの分も作りましょうか?」
試しにそう言ってみると、彼女はパッと表情を明るくした。
すると、おずおずとロウさんが「某も…」と口にする。
「ボクもおかわり!」
いつの間に食べ終わったのか。コンは空になったどんぶり茶碗を掲げて言った。
結局、私は四人分のキツネうどんを作ることになった。
それを皆で囲んで食べる。
「お揚げから甘い煮汁があふれて美味しいわ。うどんのおつゆも、優しい味付けで好き」
「……」
おコマさんが感想を言う横で、ロウさんは無言で頷いている。
気に入ってもらえて良かったと一安心した私は、そこでふと気付いた。
「そう言えば、ヒサメ様の分は作らなくても良かったのですか?」
主を放っておいて、召使いたちだけで美味しいものを食べるのはいかがなものか。そう思って聞いてみると、箸を止め、困り顔でおコマさんとロウさんは互いの顔を見合わせていた。
「えっと、ヒサメ坊ちゃんの分は――」
おコマさんが何か言おうとした時、それを別の声が遮る。
「俺の分はいらん」
声のした方を見れば、いつの間にか台所の入り口にヒサメがいた。彼は真顔のまま続ける。
「毒でも入れられたら、かなわんからな」
それだけ言ってしまうと、ヒサメはそのまま台所から出て行った。
私はポカンと口を開ける。
ずいぶんな言われように、呆気にとられていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます