第3話 妖(参)

 領主から誠意という名のお金を受け取る確約をもらい、ヒサメは上機嫌だった。


「さっさと、大蛇を片付けるぞ」


 やる気十分なヒサメに連れられて、さっそく私たちは大蛇が根城にしているという河川敷に向かった。

 そこは集落が点在する平野部に近い場所だ。こんな所に人を喰う化け物がいたんじゃ、住民たちもおちおちと暮らしていられないだろう。



 くだんの大蛇は、岩らだけの河原にいた。目をつむり、とぐろを巻いて休んでいる。

 蛇はものすごい巨体で、黒い胴は大きな樫の木の幹のように太く、体長は優に七メートルを超えていた。これなら人間どころか、牛でさえ簡単に丸呑みしてしまえそうである。


「ハン。隠れるつもりもないってことか。人間なんぞ何の脅威でもない。エサとしか思っていないんだろう」


 あっさり見つかった大蛇を前にして、ヒサメが笑う。


 確かに、と私は恐れおののいた。アヤカシについて詳しくないが、見るからにこの大蛇は強そうである。

 雇い主であるヒサメの命令がなければ、私だってこんな所にいたくない。すぐに逃げ出したいくらいだった。



「ロウ、コン。行け」


 主人の命令を受けて、初めに動いたのはロウさんだった。彼は真っすぐ、大蛇に向かって走って行く。

 そこでようやく、大蛇の目が開いた。血のように赤い二股の舌をチロチロ出し入れしながら、ゆっくりと動き出す――と。


――シャアッ!


 大きく口を開き、大蛇がロウさんに飛び掛かった。その巨体からは想像できないスピードで、ロウさんを丸呑みにしようとする。

 しかし、ロウさんは大蛇の攻撃を予想していたのか、危なげなく回避した。彼はそのまま大蛇の後ろに回り、胴部分を掴むと、何とその巨体を大岩めがけて投げ飛ばしたのである。ものすごい怪力だった。


 轟音を立てて、大蛇は大岩にぶつかった。衝撃で岩がガラガラと崩れ、土煙が舞う。

 これは蛇の方も一たまりもないだろう……と思ったが、煙の中から蛇が首をもたげた。まだ、動けるらしい。

 そこへ一人の少年――コンが走って行く。


 私は思わず、息を呑んだ。

 コンがヒサメの下で修業しているのは知っているが、果たしてあんな小さな身体で大蛇に太刀打ちできるのか。心配のあまり、静止の言葉が出そうになる。


 そんな私の心配をよそに、コンは恐れる様子もなく大蛇に立ち向かった。


 突然、コンの姿が五人に増えた。五人は大蛇の周りをぐるぐると走り出す。

 おそらく、コンお得意の幻術だろう。自分と同じ姿の幻を創り出しているのだ。


 大蛇はそのうち一人に的をしぼり、襲い掛かった。しかし、蛇の牙が触れた瞬間、コンの姿は煙のようになって消えてしまう。

 つまり、偽物だったわけだ。


 さて。大蛇が偽物に気を取られている――その間、残り四人のコンの周りに火の玉が幾つも生まれたかと思うと、それらは一斉に蛇へ向かって飛んでいった。


――シュアアアアアッ


 炎に体を焼かれ、声にならない悲鳴を上げて、のたうち回る大蛇。その頭をロウさんが拳で殴りつける。

大蛇は地面に倒れ、土や砂が巻き上がった。


 巨大な敵に苦戦するどころか、ほとんど一方的な攻撃を仕掛けるコンとロウさん。

 その様子を私とヒサメはただ観戦していた。


 というか、私は見守ることしかできない。あんな超人バトルに巻き込まれたら、たちまち死んでしまう。

 片や、ヒサメの場合は完全なるサボリであった。式神にばかり戦わせて、自分は楽をしているのである。


 そのとき、大蛇が私たちの方を見た。

 蛇は標的を変更したようで、コンとロウさんに背を向けると、こちらへ猛然と飛び掛かって来る。

 当然、私は逃げようとするが、襟首をヒサメに捕まれて、逃走を阻止された。


「ちょっ、ちょっと!?」

「落ち着け。慌てるな」

「この状況で落ち着けるわけないでしょう!?」


 抗議する私をよそに、ヒサメは余裕面を崩さない。

 そうこうしている間に、大蛇は私たちの目の前に迫っていた。


「ヒィ!」


 私が悲鳴を上げるのと同時に、ヒサメは懐から一枚の札を取り出し、それを大蛇に向けて投げつけた。


 札は呪符といって、そこには文字や符号が細かく書き込まれている。それらが忽ち青い光を放って浮かび上がった。

 すぐに、光は青い炎となり札全体を包み込んだ。

 呪符は自ら発した炎に焼かれ、宙で燃え尽きる――その瞬間。


――ドッ!!


 何もない空間から巨大な氷柱が生じたかと思うと、それが大蛇の胴を突き刺した。

 鋭利な氷柱の先端は蛇の胴を貫通し、地面に突き刺さっている。

 大蛇は暴れ回るが、氷柱で地面に体を縫い留められて、そこから逃げることができない。


 貫通した蛇の傷口から、ドバッと紫色の血が溢れた。

 蛇の血が地面に落ちると、シュウシュウと煙が上った。その部分を見てみると、まるで酸で溶けてしまったように穴が空いている。


「毒の血だな」

「毒……って、あんなのが川に流れたら一大事になるんじゃ!?」


 事も無げにヒサメは言うが、私は慌てた。


 ここは河原で、すぐ傍に大きな川が流れている。

 おそらく、近隣の住民は生活や農業にこの川の水を使用しているはずだ。


「そうだな。だから、この蛇は殺すのではなく、封印されていたんだろう。始末するとき、体内に溜め込んでいた毒が噴出して土地を汚染する可能性があったから」

「つまり、殺せないと?これから、このアヤカシどうするんですか?」

「無論、こうする」


 言うなり、ヒサメは懐からまた何枚かの呪符を取り出した。今度の札も、びっしりと文字と符号が書きこまれている。

 それらは独りでに飛んでいき、暴れ狂う大蛇の身体にぺたりと貼りついていった。


 変化は劇的だった。


 呪符が貼りついた場所から、大蛇はみるみる凍っていく。

 程なくして、私たちの目の前に巨大な氷塊ができていた。その中で、蛇は完全に氷漬けにされた状態で囚われている。

 氷の中の蛇は、ピクリとも動かず、完全にその動きを止めていた。


「次にこうだ」


 ヒサメが右手を上げる。

 すると、着物の袖口から、おびただしい量の札が出てきた。それら大量の札は、氷漬けの蛇に向かって飛んでいく。

 札について、これまでと少し違うのは、そこには何も書かれていないことだ。札はどれも全くの白紙だった。


 いったいヒサメはどこに、これだけ大量の札を隠し持っていたのか。

 そう不思議に思うほどの無数の白い札が飛び出してきて、今や蛇はすっかり札に覆われ、白い塊と化している。


 私が呆気にとられていると、ポンとヒサメが背を押してきた。


「お前の出番だ」


 ヒサメは顎で蛇の方を指し示す。

 この時になってようやく、どうして彼が私を此処へ連れてきたのかが分かった。


 私は自分の荷物から、筆、すずり、墨と水の入った小さな水筒を取り出した。

 硯で墨をすり、筆で書く準備をする。

 そして、蛇を覆っている白紙の札の一枚に文字をしたためた。


 これは『封印のしゅ』。

 ヒサメから習ったしゅの一つだ。


 私には神力や妖力がない。ヒサメやロウさん、コンのようなアヤカシと戦う力はないのだ。

 けれども、どういうわけか、私が書いた文字には神気が宿るらしい。

 ヒサメが言うには、かなり珍しい性質とのことだった。

 実は、今日ヒサメが使った呪符の文字や符号は私が書いたものだったりする。


 『封印のしゅ』を書き終えると、ヒサメはそれを検分した。


「上々だ」


 ニィと口角を上げると、彼は口の中で何やらブツブツ唱える。


 蛇を覆う無数の札の内、私が『封印のしゅ』を書いたのは一枚だけ。あとは依然として白紙だ。

 しかし、ヒサメの呪文に応じて、それらに変化があった。

 同心円状に『封印のしゅ』と同じ文字や符合が、どんどん白紙の御札に描かれていく。まるで、コピーされていくように。


 全ての御札に『封印のしゅ』が記されると、今度は札の色と質感自体が変わっていった。

 白から鼠色へ。紙から鉱質的なものへ。

 気付いた時、蛇を覆っていた白い札の塊は、巨大な岩に変貌していた。


「封印完了だ」


 満足げにヒサメは言う。

 私は大きな岩になってしまった大蛇のアヤカシを見上げて、ほうっとなった。




 それにしても、と私は思う。

 まさか己がお祓い屋さんの召使いになり、アヤカシ退治に関わるようになるなんて夢にも思わなかった……と。


 前世はもちろん、つい一年前までと比べても、私をとりまく環境は劇的に変わっている。

 そう、一年前。

 あの時、私はまだ生まれ故郷の神白子かみびゃっこ村にいたのだ。


――あの時、私の運命が変わったんだ……。



 そうして、私は一年前を思い返した。



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