第2話 妖(弐)

 ひゅん、ひゅんと景色が流れて行く。

 都を離れれば、しばらく田園風景が広がり、その後は森や山ばかりになっていく。

その中を、ヒサメたちは自動車並みの速さで駆け抜けていた。


 およそ人の足の速さではない。ヒサメ曰く、風の力を使い、高速移動を可能にしているとか。

 彼はその術を『韋駄天いだてんの術』と呼んでいた。


 ちなみに、この韋駄天の術はコンもロウさんも使える。私だけが使えない。

 こういった人知を超えた不思議な術を使うためには、神力しんりきとか妖力ようりょくとか呼ばれる特別なパワーが必要だそうだ。私にはソレがないらしい。


「そもそも人間で神力を持っているヤツの方が珍しい。特に、俺くらいの神力を持っているヤツは皆無だな」


――というのが、ヒサメの説明だ。

 さらりと自慢話を入れてくるあたり、彼の性格が伺い知れる。



 というわけで現在、韋駄天の術を使えない私は、ロウさんに抱えられて移動していた。

 ロウさんは二メートル近い身長の大柄な青年で、その見た目通り(いや、見た目以上に)力持ちだ。

 小柄な私の体重なんてヘッチャラらしく、易々と小脇に抱えて運んでいる。なんだか、米俵にでもなった気分だ。


 ロウさんが走るのに合わせて、私の視界も上下にガクンガクン揺れる。

 運んでもらっていて、こんなことを言うのは気が引けるが、控えめに言って最悪の気分だった。

 心持ち云々の話ではなく、吐き気という意味合いで気持ち悪い。


 要するに、私は酔ってしまったのだ。


――ああ…気持ち悪っ……。だから、遠出は嫌なんだ……。


 どこか遠くに出かけるとき、決まって私はこのスタイルで運ばれる。そして、毎回酔ってしまっていた。

 胃から今朝食べたものがせり上がってくる。私は何とか堪えていたが、それも限界を迎え……。


「ロウさん!と、止めて!」


 そう叫んで、ロウさんに道端へ下ろしてもらう。

 たちまち、私は草むらで盛大に吐いてしまった。




「ハル?大丈夫?」


 コンが小さな手で私の背中を撫でてくれる。


「どうぞ。口をゆすいでください」


 ロウさんは水の入った水筒を私に渡してくれる。


 結局、今朝食べたものを全て吐いてしまって、ぐったりしている私に、二人は優しかった。

 一方で……。


「また吐いたのか?いい加減慣れろ」


 思いっきり面倒くさそうな顔をするヒサメ。


 この男には、優しさというものがないのか?

 人間よりもアヤカシの方がずっと優しいとは、どういうことだ?

 コンやロウさんの爪の垢でも煎じて飲めば良いのに……。


 私は恨みがましく、ヒサメをねめつけた。


「事前に遠出することを教えていただいていたら、朝食を抜いていたんですが…」


 だが、こんなことで悪びれるヒサメではない。

 彼は平然と言う。


「仕方ないだろう。お前を連れていくことを思い付いたのが、飯を食った後だったんだから」

「……」


 もはや、この男に優しさなんて求めてはいけない。

 私はそれを肝に銘じた。



 私たちはまず、河州かしゅうの領主宅へ赴いた。

 

 領主の屋敷は広大だった。

 建物は母屋を中心に左右対称になっていて、いくつかの棟に分かれていた。棟と棟の間は長い廊下で繋がれている。

 庭も凝った造りで大きな池まであり、鯉が優雅に泳いでいた。

 建物も庭園も、どこもかしこも、ちゃんと手入れされている。


 私は頭に、四条のヒサメの屋敷がよぎる。

 広いだけで、一見空き家かと見間違うような彼の家。


 ヒサメが屋敷に他人を入れたがらないため、大工や庭師が必要な状態でも家は放ったらかしにされていた。あの屋敷を訪れた当初、あまりの荒れ具合に、私は唖然としたものだ。


 領主の屋敷は外観と同様、内部も豪勢な作りだった。あつらえている調度品――厨子棚や几帳(間仕切り)、屏風なんかにも美しい細工が施され、絵が描かれている。

 これもふすまや障子に穴が開いているヒサメ宅とは大違いだ。


――ずいぶん、家計が潤っているんだなぁ。


 屋敷内を見回しながら、私は感心する。

 そして、私たち一行は、河州かしゅう領主の前に通された。



 領主はふっくらと肥えた中年の男だった。鼻の下にナマズのような髭を生やしている。


などにお声掛けいただき 誠にありがとうございます」

「よく来てくれた、四条殿。実は、大変なことになっていてね…」


 深刻そうに領主は相談ごとを口にする。それを聞くヒサメの表情は真剣そのもの、誠実そうだ。だが、その腹の中はいったい何を考えているのやら……。

 こんな時、彼は祓魔師ふつましより俳優の方がよほど似合っているのではないか、と私は思う。


 領主曰く、この河州かしゅうを悩ませているのは大蛇のアヤカシだ。人を喰い、辺りに毒をまき散らす厄介な相手らしい。


 その大蛇のアヤカシは、大昔からこの地に封印されていたのだが、それが突然解放されてしまったと言う。

 領主が人に命じて調べさせたところ、おそらく封印の経年劣化が原因でアヤカシが復活したのだろう――そういう見立てだった。


 窮状きゅうじょうを切々と訴える領主の話を、ヒサメは心配顔で聞いていたのだが、急に声のトーンが変わった。


「しかし、おかしいですね」

「むっ?」

「実はここに来る前、朝廷に届けられた例の大蛇に関する報告書を確認したのですが、三年前に高僧によって再度封印が施されていますよね?その際、国から補助金まで貰っていた」

「あ…」


 領主はハッとしたように顔色を変えた。

 一方、ヒサメの目がギラリと光る。


「ははぁん」


 ヒサメの口角が吊り上がった。


「朝廷相手に詐欺とは大胆なことをなさる」

「わ、わしは……その…」

「今回のこと、公的機関ではなく、私個人に頼まれたのもそのせいですか」

「……」


 青ざめる領主の様子を見て、私にもおおよその状況が分かった。


 三年前、この領主は大蛇のアヤカシの再封印をすると言って、国から補助金をせしめとった。しかし、実際はソレを行わず、補助金を自身の懐にしまったのだろう。立派な横領である。


 話を聞く限り、大蛇のアヤカシがここら一帯を荒らしたのはかなり昔のようだ。

 そんなものはデタラメな昔話。アヤカシなどいない――と、領主が高を括っていたところ、経年劣化で封印が解け、本当に大蛇が復活してしまったというオチだろう。


 大蛇が復活してしまって、自分らでは対処できない。

 もし、検非違使などの公的機関に頼れば、過去に横領したことがバレる可能性がある。だから、個人的にヒサメにアヤカシ討伐の依頼をした。


 ただ、運の悪いことに、ヒサメは大蛇のアヤカシの詳細を調べ上げ、把握済みだった。

 結果、領主はヒサメに脅されるハメになる。


「こんなことが朝廷に露見すれば、ただでは済みませんね」


 きれいな笑顔で、そう口にするヒサメ。ますます顔を青くする領主。


――このヒサメに目を付けられて、領主には少し同情するけど……まぁ、自業自得かな。


 私は小さくため息を吐く。


「し、四条殿!どうか、どうか朝廷には内密に……」

「それは領主様の次第ですね」


 そう交渉するヒサメは、実に良い笑顔をしていた。



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