第1話 妖(壱)

 拝啓、おばあちゃん。


 この世界に生まれ変わって、早17年。

 私の名前は、詩子うたこからハルになりました。

 どうして生まれ変わってしまったのか――その理由は未だに分かりません。


 思い返せば、中々に波乱万丈の人生を歩んできました。

 七歳のとき実母を亡くしたかと思えば、継母とは折り合いが悪く、なんと命を狙われる始末…。

(前世でも現世でも、私は母親というものに縁がないのかもしれません)


 命からがら逃げ伸びたかと思えば、面倒な祓い屋に目を付けられてしまい……。

 まぁ、それでも。なんとか元気でやっています。

 今は、その祓い屋の召使いとして働いていて……




――なんて戯言を私は日記に書き連ねていく。


 こうやって文字にすることで、の記憶を忘れないようにしているのだ。

 祖母に送るていの文章で書いているが、これを実際に手紙で送ったとしても、相手には届かないだろう。



 なにせ、私は異世界に転生してしまったのだから。



 明け六つの鐘の音前に起床し、私は身支度を整えて台所に向かう。

 木枯らしの吹くこの季節、朝の台所は冷え切っていて本当に寒い。

 私が身震いしながら朝食の準備をしていると、他の召使いたちもやって来た。


 一人は、柔らかそうな狐色の髪に紺色の瞳をした、五、六歳の可愛らしい少年――名前はコン

 もう一人は、色素の薄い茶髪の優しそうな二十代の美女――名前はコマ


 コンがかまどに火をいれ、おコマさんは井戸から水を汲んできた。二人で米を炊く準備をしてくれる。

 その傍らで、私は昨晩作った大根の煮物を鍋に移す。夕食の残り物だが、琥珀色に透き通った大根はしっかり味が染みて美味しそうだ。そのまま鍋を火にかけて、煮物を温め直した。


――こんなとき、電子レンジがあったら楽なのに。


 なんて、現代日本の文明の利器を思い出しつつ、とってあった大根の葉を刻んで、油揚げと一緒にみそ汁の具にする。


 次は、卵焼きの準備だ。

 出汁たっぷりの卵液を用意したら、銅製の四角い卵焼き鍋に油を引く。

 卵は値が張るから、何とも豪華な朝ごはんである。だが、この屋敷の主人が「作れ」と言っているのだから、遠慮なく作るとしよう。

 鍋が温まったら卵液を入れていく。じゅううっ――と勢いよく卵が焼ける音がした。


 ふと、肉の焼ける良い匂いがすると思ったら、コンが七輪で干し肉をあぶっていた。さらに贅沢だなと思うけれど、うちには大の肉好きがいるから仕方ない。


 やがて朝食ができた。


 ツヤツヤふっくらの白米、卵焼き、大根の煮物、干し肉のあぶったもの、みそ汁。それに、漬物と佃煮をつける。

 ほかほかと湯気が上がる飯とおかず――この異世界では、かなり豪勢な部類に入る朝食である。


 居間にそれらを配膳していると、大柄な青年がやって来て手伝ってくれた。

 彼の名前はロウ《狼》、同じく彼も召使いである。


 そして、最後に部屋に入って来たのが、我らが主――四条氷雨しじょうひさめその人だった。


 詳しい年齢は私も知らないが、およそ二十代半ばの男だ。今朝もいつものように、白い狩衣を着ていた。

 鼻筋が通り、切れ長の目をしていて、整った顔をしている。


 都一の美男子などともてはやされ、女性たちの間ですこぶる評判の良いヒサメだが、この男は性格に難ありだ。

 異常なくらい人間不信だし、口も悪い。

 皆、顔に騙されていると思う。



 さて、これで屋敷の全員が膳の前にそろった。

 珍しいことだが、うちでは主人と召使いが一緒に食事をとる。

 皆で手を合わせ、「いただきます」の挨拶をした。



「おい、コマ。俺にソレを近づけるな」

 嫌そうな顔で、隣の膳にある佃煮を指し示すヒサメ。


「え?坊ちゃん。イナゴの佃煮は美味しいですよ?」

 不思議そうな顔をしながら、佃煮を口に運ぶおコマさん。


「あ、おみそ汁におあげさん入ってる」

 嬉しそうに目を輝かせるコン。


「……」

 干し肉をおかずに、山盛りのご飯をバクバク食べるロウさん。


 一見、家族の団欒だんらんにも見えそうな、いつも通りの四条の屋敷の食卓風景だ。しかし、主と召使いという関係性からも分かるように、この中の誰も他者と血は繋がっていない。


 それどころか五人中、三人は人間ですらなかった。


 コン、コマ、そしてロウ。

 この三人はアヤカシなのだ。



 私ことハルは、もうすぐ17歳になる女だ。

 前世では、二十一世紀の日本で高校生として暮らしていた。その当時の名前は、朝倉詩子あさくらうたこである。


 ごくごく普通の女子高校生をしていたはずの私――だが、気付けば、この異世界に赤子として生を受けていた。


 どうして。なぜ。Why?

 17年経った今でも謎である。


 私には前世における最期――どのようにして朝倉詩子は死んでしまったのか、その記憶はまるでなかったのだ。


 もっとも、『前世の記憶』自体が妄想で、私の頭がおかしいだけなのかもしれない。ただ、その前世の記憶はやたらと鮮明だった。


 山と海に囲まれた小さな町、最寄り駅には一時間に一本電車があるかどうかの田舎。

 基本的には祖母と二人暮らし。祖母は書道の先生をしていた。

 近くの山には、お狐様をまつっているやしろがあって、しばしばお参りに行っていた。


――なんてことを、事細かに記憶しているので、やはり私の頭がおかしいのではなく、『前世の記憶』があるのだと思う。たぶん。




 さて、転生先のこの世界なのだが、当初の私は過去の日本にタイムスリップしてしまったのではないか――そう考えていた。

 というのも、私をとりまく環境が昔の日本にそっくりだったからだ。


 服装や家屋、家具、細々とした日用品に至るまで――まるで時代劇のセットを見ているかのようだ。しかも、使われている言語は日本語である。

 おそらく、江戸から明治にかけてくらいの時代に遡ってしまったのだろうと、私は思ったのだが……それにしては、おかしな点があった。


 その一つが、日本史との相違だ。

 この世界には、誰もが知っている歴史上の偉人がおらず、政治体制もずいぶんと変わっていた。


 例えば、聖徳太子も源頼朝も織田信長も徳川家康も……誰もいない。

 そもそも、幕府や士農工商の身分制度も存在せず、この国の支配者はずっと帝であり、朝廷による政治が行われているのだ。


 昔の日本に似ているが明らかに違う。

 おそらく、私は「過去の日本に似て非なる世界」で異世界転生デビューを果たしたのだろう。


 そして、ココが異世界だと何よりも決定づけるのが、『アヤカシ』の存在だった。



 この異世界には、アヤカシという不思議な生き物がいる。

 ある時は、人に悪さをしたり、酷いと人を喰ったりするような異形の怪物。

 ある時は、人を助けてくれる精霊や一種の神様のようなもの。


 悪いアヤカシもいれば、良いアヤカシもいるというわけだ。


 また、人に仕えるアヤカシを『式神』、そうではないものを『野良』と言って区別する。

 コン、コマ、ロウの三人は前者の式神で、ヒサメに仕えていた。



 この屋敷の主であるヒサメの職業は祓魔師ふつましである。

 主に、人に害なすアヤカシを退治することを生業なりわいにしていて、祓い屋とも呼ばれた。


 ヒサメは、検非違使けびいし庁の妖犯罪対策部というところに所属しているらしい。

 現代日本風に言いかえれば、化け物退治専門の警察官というところか。公務員の一種である。

 ちなみに、身分的には下級貴族に当たるそうだ。


 ただし、ヒサメが検非違使に顔を出すのは週の半分ほどで、あとはフリーランスで祓魔師ふつまし業をやっていた。つまり、公務員が副業をやっているようなものだ。


 ヒサメ曰く、


「検非違使庁にいるのは上流階級の人間とのツテを作るため。個人で祓い屋をやる方が儲かるから、むしろこっちが本業」


――だそうである。


 ヒサメは祓魔師ふつましとして優秀らしく、あちこちからお呼びがかかる。

 そして、この日もそうだった。



 朝食の後片付けを済ませると、私はヒサメに呼ばれた。

 いったい何の用だろうと、不思議に思う。


 今日ヒサメたちは、都に近い河州かしゅうの領主直々に依頼を受け、そちらに行くと聞いていた。何でも、河州かしゅうで凶暴なアヤカシが暴れて困っているとか。

 ヒサメはいつものように、相棒のロウさんと見習いのコンを連れて、妖退治に出掛けるはずだった。


 私を呼び出したヒサメは、唐突にこう言った。


「おい、ハル。今日はお前も来い」

「私ですか?」


 基本的に、私は屋敷で仕事することが多く、いつもはおコマさんとお留守番している。こんな風に、妖退治に付き合わされることは少ない。

 正直なところ、私は内心「げっ…」と思う。

 妖退治自体も危険だから嫌だが、もっと嫌なのは遠出しなければならないことだった。


 しかし、雇い主様のご命令。召使いは言うことを聞くしかない。


「すぐに用意します」


 そう返事しつつ、私はこっそり溜息を吐いた。

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