第10話 祓い屋(参)

 とある日の夜。

 冷や飯と野菜の煮物、みそ汁で簡単に夕食を済ませ、私とコンでのんびりとしていた頃。


 突然、入り口のしんばり棒が動いた。

 この長屋にはちゃんとした鍵なんてないので、しんばり棒をつっかえにして、引き戸を押さえていたのだが、それがふわりと浮いたのである。

 すぐさま、パンと音を立てて戸が開き、私もコンもギョッとした。


 すわ何事かと、入り口を見てみれば、そこに見覚えのない男が立っていた。

 手には行灯を持っていて、そこに家紋だろうか――六角形の複雑な紋様が描かれている。


 男は身なりが良く、白い狩衣を着ていた。

 年齢は二十代前半といったところ。鼻筋が整い、切れ長の目をしていた。


 もちろん。こんな青年、私は知らない。



「あのっ、家を間違えていませんか!?」


 そう声を掛けたが、男は後ろ手で戸を閉めると、そのまま家の中に入ってきた。明らかな不法侵入である。


「ちょっと!勝手に入ってこないでっ!誰かっ!助けてっ!!」


 私は大声で助けを呼ぶ。ここは長屋だ。隣との壁は薄く、誰かが騒げばすぐに分かる。通常なら、近隣住民が騒ぎを聞きつけて、やって来るはずだ。

 しかし、この時はどういうわけか、誰もやって来る気配がなかった。


 慌てる私をよそに、ずかずかと青年はこちらへと距離を詰めてくる。

 ただし、青年の眼は私を見ていない。彼は私の存在など完全に無視していて、その視線はコンにのみ注がれていた。


 青年がコンの前に立つ。コンは怯えた表情で、その男を見上げた。


――まさか、狙いはコン!?


 私はコンに駆け寄り、その小さな体を抱きしめた。キッと青年を睨みつけると、彼は「フン」と小馬鹿にしたように鼻先で笑う。


「そのチビを渡せ」

「嫌です!そもそも、あなたは誰ですか?人の家に無断で入ってきたりしてっ!」

「俺は祓い屋だ」

「えっ…」


 祓い屋――つまり、祓魔師だ。

 私は自分でも血の気が引いていくのが分かった。


「そいつ、上手く化けているがアヤカシだろう?」


 そう言って、青年はコンを指さす。

 間違いない、この男の目的はコンだ。しかも、アヤカシだとすでにバレている。


「待ってください!この子は何も悪いことはしていません!手配書も出ていないでしょう!?」

「だが、アヤカシ。しかも、野良だ」

「これから式神の登録をするんです!」

「しかし、今は野良。式神じゃない」


 涙ながらに訴える私に、青年は淡々と返してくる。情に訴えかけても無駄だと言わんばかりの態度だった。

 私の腕の中ではカタカタとコンが震えている。


 このままじゃ、マズいと思った私は、青年に飛びついた。


「おいっ!何をするんだ!?」


 初めて青年から動揺の声がもれる。


「コン!今のうちに逃げなさいっ!」


 私は渾身の力で青年の足にしがみつけ、彼の動きを封じた。この間にコンが逃げてくれれば――そう考えたのだが、不意に身体が動かなくなった。

 まるで、金縛りにでもかかったようで、声も出ない。


 そうこうしているうちに、青年は私の拘束を易々と抜けて、コンに近づいた。


「まったく。とんでもない女だ。おい、チビ。お前は俺と一緒に来い」

「いやだっ!」


 叫び声と共に、室内が煙で満たされた。

 やがて、その中からでてきたのは仁王立ちしている巨大な熊だった。

 その身長は天井にまで達し、丸太のような太い腕をしている。それが恐ろしい顔で、青年を見下ろし唸っていた。


 そんな大熊を前にしても、くだんの青年は余裕然としている。


「中々、良い腕をしている。だが、まだまだ修練が足らん」


 青年はにやりと笑うと、一枚の札を手にした。それは独りでにひらりと宙を舞うと飛んで行き、ぺったりとコンがふんする大熊に貼り付いた。

 その瞬間、風船から空気が抜けていくような音がして、みるみる熊が縮んでいく。とうとう、コンは本来の姿である狐に戻ってしまった。


 小さな狐のコンの首根っこを、青年はむんずと掴む。


「ほら、行くぞ」


 青年はコンを掴んだまま、宙づり状態にして歩き出した。彼の手の中でコンは暴れるが、全く意に介していないようだ。

 二人は金縛りにあって動けない私の横を通り過ぎていく。


「やだやだっ!ハル!!」


――コン!


 私は何とか身体を動かそうとするが、やはり無理だった。未だに声も出ない。かろうじて、眼球が動くくらいだ。


 コンを連れたまま、青年は戸を開け、家を出ていこうとした。

 そのとき、何かを思い出したかのように、青年がこちらを振り返った。彼は懐から小さな袋を取り出すと、私の方にそれを投げてよこした。

 ジャラッと、お金が落ちる音がする。


コレの代金だ」


 それだけ言うと、今度こそ青年は家を出て行ってしまった。




 結局、私が動けるようになったのは、それから数時間後の真夜中だった。

 土間に落ちていた小袋を見ると、やはり中身はお金である。結構な大金で、半年くらいは生活できそうな額だった。


「ふざけるなっ!」


 私は袋を土間に投げつける。ガシャンと鳴る金の音が耳障りだ。

 怒りで血が上る。頭がどうにかなってしまいそうだ。

 

「何とかして、あの男からコンを取り返さないと――」


 気付いたとき、私は拳をギリギリと震えるほど握りしめていた。



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