第8話 祓い屋(壱)

「ねぇ、朝だよ。起きてよぉ」


 温かく小さな手がペタペタと私の頬に触れる。

 目を開けると、小さな子供の姿がぼんやり見えた。


「……ユキちゃん?」


 私はゆっくりと身を起こす。6畳ほどの小さな部屋の中に朝日が差し込んでいた。

 まだ、頭が覚醒しきっておらず、ぼうっとする。とても懐かしい夢を見ていた気がするが、はて何だったか?


 私が首を捻っていると、ひょこりと男の子が横から顔を出した。

 柔らかそうな狐色の髪に紺色の瞳をした、五、六歳の可愛い子だ。


「あ、コン。おはよ……って、寝過ごした!?」


 ここで私はやっと完全に目を覚ました。外の明るさを見て、ハッとする。

 明け六つの鐘の音はとっくに過ぎていて、いつもより、ずいぶん寝坊してしまったようだった。


「すぐ、朝ごはんの支度をするよっ」


 慌てて土間に降りると、すでにかまどでご飯を炊いた匂いがした。

 驚いてコンの方を見ると、彼は自慢げに胸を張っている。


「もしかして、コンが朝ごはん用意してくれたの?」

「うん!」

「ありがとう!」


 釜の蓋を開けるとホカホカの湯気と共に、米の良い香りが広がる。だが、釜の中身を見て、私は「あっ」と小さく声を上げた。


「どうかしたの?」


 コンは不思議そうな顔で、釜をのぞき込んできた。たちまち、彼はしょんぼりと肩を落とす。


「ごはん、べちょべちょだ……」


 どうやら、水加減を間違ってしまったらしい。

 私はポンポンとコンの肩を叩く。


「大丈夫。コレはお粥にしよう」


 そう言うと、コンはホッとしたように息を吐いた。



 ここは都――大和宮ヤマトノミヤの左京にある裏長屋。

 季節は移り変わり今は初夏。

 私とコンが白神子かみびゃっこ村を出て、およそ半年が経っていた。


 都で暮らす上で、コンは人間の子供に化けていた。さすがに、狐の姿は目立つからだ。私との関係は、姉弟ということにしてある。


 コンの変化の術は大したもので、今のところあやかしだと誰かにバレたことはない。また、神白子かみびゃっこ村からの追手もなく、私たちの生活は平和そのものだった。



 お粥と漬物という、簡単な朝食をとっていると、コンが尋ねてきた。


「ねぇ、ユキってだぁれ?」

「ユキ?」

「ハル。ボクのこと、ユキってよんでたよ」

「そうだっけ……?」


 おそらく、起きる前に見ていた夢のせいだろう。

 夢の内容はほとんど覚えていないが、前世の記憶だったように思う。


 『ユキちゃん』というのは、前世で少しの間一緒に暮らしていた子供の名前だ。

 私の祖母がどこからか預かってきた子で、とても可愛らしい顔立ちの、少し引っ込み思案な子だった。


 兄弟姉妹がいなかった私は『ユキちゃん』の存在が嬉しくて、約一年余りの生活をとても楽しく過ごしたのを覚えている。


「ちょっと、寝ぼけていて。知り合いのことコンを間違ったみたい。ごめんね」

「ふぅん?」

「それで、今日の予定だけれど……少し足を運んで外京の辰巳たつみ門前町に行こうか?」


 外京は、左京からさらに東へ進んだエリアで、寺や神社が集中している。この地域にも、商店や飲食店が立ち並んでいて、いわゆる繁華街として栄えていた。

 ちなみに、繁華街に行くからといって、遊びに行くわけではない。これはれっきとした仕事だった。



 アレはこの都に来て、しばらく経った日のこと。手持ちのお金も心もとなくなり、私が真剣に仕事を探し始めた頃のことだ。

 どんな仕事に就くべきか、私が悩んでいると、コンがある提案をしてきた。


「ボクが人を化かして、お金をとってきてあげようか?」

「ダメです。それは犯罪です」


 私は手でバッテンを作り、即座にその意見を却下した。それから、コンによくよく言い含める。


「いい?悪さをするアヤカシは祓魔師に退治されちゃうんだよ。そんなの嫌でしょう?」

「いや!で……でも、ボクもハルの役に立ちたい!ボクができるのは、『へんげ』と『げんじゅつ』くらいだけれど……」

「う~ん」


 私は悩んだ。コンの心意気は嬉しいが、彼が人間に混じって働くのは難しいだろう。他人と長時間一緒に居れば、どこかでボロが出て、アヤカシとバレる可能性がある。


 『野良』のアヤカシは討伐対象になってしまう。

 人間に仕えるアヤカシを『式神』と言うが、それには公的機関への届け出と登録が必要だった。そして、その登録料金がバカ高いのである。今の私が逆立ちしたって、払えない金額だ。


 もっとも、野良のアヤカシでも悪いことをしていないのなら祓魔師に狩られる危険性は少ない。手配書が発行されていないアヤカシを討伐しても報酬が貰えず、祓魔師側にメリットがあまりないためだ。彼らも暇ではないから、自分の利益にならないことはしないだろう。


 とはいえ、コンがアヤカシとバレないことに越したことはない。

  故に私は、「他人にアヤカシとバレるのは厳禁」とコンに言い含めていた。



「コンには私が働きに出ている間、ここで待っていてもらいたいんだけれど…」

「ボク、ひとりなの?」


 上目遣いにコンが私を見てくる。その目は潤んでいて悲しそうだ。

 うっ、と私は言葉を詰まらせた。


「ボクもハルといっしょに、お仕事したい。役に立つから!とくに『げんじゅつ』は自信あるんだ。ほら、ほら!」


 そう言って、コンは小さな手を頭上にかざす。すると、うすいもやのようなものが辺りに漂い、宙にネズミが一匹現れた。その鼠がウロチョロしていると、横から猫が現れて、鼠と猫が追い掛けっこを始める。


 それを見て、私は改めて感心した。


「すごいね」

「へへっ」


 得意げに笑うコンを見て、私は「これなら十分、見世物としてお金を稼げるのではないか?」と思った。


 この異世界には、一種の路上ストリートパフォーマンス、大道芸として、不思議かつ怪しげな術を披露する『奇術師』と呼ばれる者たちがいる。彼らは自身の術で、観客を驚かせ、楽しませて、お金を稼ぐ。ちょうど、現代日本でいうところのマジシャンみたいに。

 年に一度、お祭りのときに神白子かみびゃっこ村にも奇術師はやって来たが、毎回大盛況の人気ぶりだった。

 

――コンに奇術師の真似事をさせてみてはどうかな?


 そう思い付いて、私はコンに路上で幻術を披露することを提案した。コンも二つ返事で了承する。

 それで、私たちは二人して意気込みながら繁華街に行き、コンが幻術を披露したのだが……


 これがサッパリウケなかった。


 通行人のほとんどは、コンの幻術に見向きもせず、通り過ぎていく。

 そこで私は己の過ちに気付いた。


――そうか。都会じゃ、奇術師なんて珍しくないんだ!


 今の今まで、神白子かみびゃっこ村という田舎で暮らしていたため、都会における奇術師の価値を私は知らなかった。おまけに、奇術師の他にも都は娯楽が多い。

 都の人間は奇術師なんて珍しくもなく、芸に目が肥えていて、ちょっとした幻術くらいじゃ足を止めようとすら思わないのである。


 カルチャーショックを受けた私だったが、コンの方も相当落ち込んでいた。

 コンは自分の幻術に自信を持っていたから、ショックを受けるのは仕方ない。「ボクの『げんじゅつ』なんて……」と涙目になっていた。


 実際のところ、コンの幻術の技量はかなりのものだと思う。

 他の奇術師の幻術をちらりと見てみたが、コンの方がずっとリアルで、鮮明だ。


 しかし、それを分かってもらうには、通行人に一度足を止めてもらわなければならない。興味を持ってもらわなければならなかった。


 私は頭を掻いた。

 このままでは、コンの自尊心を傷つけたままになってしまう。言い出しっぺとして、コレはマズい。


――どうやったら、道行く人の興味を引ける?都の人間でも目新しいことは……?


 私は考え、そして思い付いたのが――



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