第7話 生贄(肆)
夜、皆が寝静まった頃合いに、座敷牢に入って来たのは
いいや、正確に言えば継母の姿をしている者である。
「おそくなってごめんね、ハル」
「よく来てくれたね、コン」
その瞬間、辺りに煙がたちこめたかと思うと、継母の姿が忽然と消えてなくなった。
代わりに現れたのは、ふさふさの尻尾と大きな耳が可愛らしい狐である。
彼の名前は
いや、ただの狐ではないか。いかに異世界と言えども、人語を話し、人に化ける狐が普通の狐なわけがない。
コンは狐の
私とコンとの出会いは、七年ほど前に遡る。
コンは母親を亡くして以来、独りで生きていたのだが、他の
『
余談だが、私は狐という動物がもともと好きだった。それは生まれ変わる前からずっとだ。
前世で、私の祖母は山を一つ所有していた。資産価値など無いに等しい二束三文の山だったが、その山には
子供の頃は祖母に連れられて、成長してからは一人で、お狐様の社へお参りに行ったことをよく覚えている。
別段、信心深いわけではない。私にとって、お狐様は『神様』と言うよりも、妖精やサンタクロースのような『不思議な存在』だった。幼いときなど、お狐様宛に手紙なんて書いたものである。
そういうわけで、狐は私にとって馴染み深い存在であり、この異世界でも狐の
あまり家族と上手くいっていない私は、母親を失い独りぼっちのコンにシンパシーを感じたのかもしれない。
いつの間にか、私の中でコンは掛け替えのない存在になっていた。
「一本杉に赤い布って、キンキュージタイっていうイミだよね?」
「うん、二人だけの暗号。よく覚えていてくれたね」
「ヘヘ。でも、ハル。こんな所に閉じこめられて、どうしたの?」
心配そうにこちらを見上げるコンに、私は事の経緯を説明した。
途端に、コンが「ひぃ」と声を上げる。
「そんなっ!ハルがアイツのエジキになるだなんてっ!!」
アイツというのは、山神に他ならないのだろう。
余程、山神が恐ろしいのか、コンは血相を変えていた。
「ぜったい、ダメ!ハル、ダメだよ!!」
「コン。少し落ち着いて。誰かに聞こえちゃう」
「あっ」
コンは慌てて、手を自らの口に当て押し黙る。
「山神ってどういう
「らんぼう者できらわれ者だよ。悪い鬼。山のみんなはアイツのこと、こわがってる」
「そんなに危険な相手なのか……」
私は深々とため息を吐いた。
どうやら、山神はコンのように話の分かる
「コン。お願いがあるんだけれど」
「なに?ボク、ハルのためなら何でもするよ」
そうして、私はこそりこそりとコンに策を話した。
*
冬は日が暮れるのが早い。
すでに陽が傾き始めた山道を、私は登っていた。
これから山神を祀る
私は縄で両手の自由を奪われ、すぐ近くには村の男たちが控えていた。彼らは私が逃亡しないための監視役だ。
見張り役の男たちは、時折気の毒そうな視線をこちらに送って来た。私はそれをしおらしく黙って受ける。
もうじき、目的地に着くという頃合いになったとき、急に霧が出始めた。
皆、ただの霧だと最初は高を括っていたが、それがどんどん濃くなって、慌て始める。
「なんだ?
「もしかして、山神さま?」
「ひぃっ!俺らを喰わないでくれっ!!」
徐々に暗くなってくる時間帯、しかもここは山神の社の近くだ。
暗闇への根源的な不安と
やがて、霧が晴れると、一行はホッと息を吐いた。
一同、こんな任務はさっさと終わらせて、村に帰りたいと思っているのだろう。それからは皆、無駄口も叩かず、足早に山神の社へ向かっていく。
生贄の娘も黙って一行に従い、その後ろ姿を私は見送った。
村の男たちの背中が見えなくなったのを見て、私はやっと息を吐いた。
どうやら上手くいったらしい。
「コン、ありがとう」
「うまくいったね」
私がお礼を言うと、隣のコンがにんまりと笑う。
村の男たちと一緒に社へ向かった生贄の娘――アレはコンが作った私の幻影である。
霧が皆を包んだ一瞬に、私は幻と入れ替わったのだ。
コンは狐の
「あの幻、いつまで持つのかな?」
「明日の朝には消えるよ。でも、だいじょうぶ。きっと、ハルはあの鬼に食べられたって村の人たちは思うよ」
「そうだね。けれども、いつバレるとも限らないから、すぐに逃げないと…」
「にげるってどこへ?」
「村に帰れないのは確かだね」
そう、もうあの村に私の居場所はない。
これからは一人で生きていかなければならないのだ。
ならば、働き口の多そうな都会を目指すべきか、と私は思案する。
幸い、路銀は多少持っていた。
私は継母や異母姉と折り合いが悪かったため、身一つで家を放り出される危険性があった。そんな緊急事態のためのへそくりを、裏山の一本杉の根元に埋めていたのである。
「とりあえず、都……
「……ハルは本当に、
しょんぼりとコンが言った。大きな耳をペタンと伏せている。
きっと、コンは私が居なくなることを寂しく思ってくれているのだろう。私だって、彼と離れるのは寂しい。
今まで、コンからの純粋無垢な好意に、どれだけ心慰められたか分からなかった。
しかし、「一緒に来て欲しい」とは簡単に言えなかった。
ここはコンにとって母親との思い出が詰まった生まれ故郷だし、私は明日の生活もままならない身だからだ。
しばらく迷った後、私はコンに別れの言葉を告げようとした。
しかし、それよりも早くコンが口を開く。
「ボクも行く」
「えっ…」
「ボクもハルといっしょに行くよ」
きっぱり断言されて、私は戸惑う。
「でも、
「いい。ここにはもう、お母さんもいないもの」
「私といたら苦労するかも…」
「でもでも、ボクはハルといっしょがいい」
「コン…」
「それとも、付いていったらダメ?」
小首をかしげ、つぶらな瞳でこちらを見上げてくるコン。
こんな可愛らしいお願いを拒否できるわけがない。
「もちろん良いよ!」
「やったぁっ!」
コンはパッと顔を輝かせ、私に飛びついてきた。
私は慌てて、コンの身体を抱き止める。
寒さでかじかんだ手に、コンの温かな体温が伝わってきた。
私と一緒に来てくれるという優しい子。
今の私にはこの子が何よりも大事。
たとえその正体が
――この子は私のただ一人の家族だ!
私はギュッとコンを抱きしめた。
こうして、私とコンは
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