第5話 生贄(弐)
「今……何とおっしゃいました?」
数時間前のことだ。
今宵は、都からやって来た客人をもてなす席。
客人とは、有名料亭『
親睦を深めるための宴会という名目だが、実際のところは栄吉さんと異母姉の桜子との見合いの席だった。家族として、私も同席している。
見合い相手の栄吉さんは、整った顔をした優男で、都会者らしく垢ぬけていた。歳は桜子の二つ上ということだ。
おしゃべりに花を咲かせる桜子と栄吉さんたち。
その席で、私は邪魔にならないように押し黙りつつ、ひたすら雑用をこなしていた。
空いた皿を下げ、足らないお酒や料理を台所から持ってくる。
本来ならば、女主人である継母が采配するべきことかもしれないが、あの人は会話に夢中になっていて、そういう所に気付かない。
そもそも日頃、家事をしないから、こういったことには不向きだった。
私は桜子の縁談が上手くいくようにと、ひたすら裏方に徹する。
そのかいあってか、宴は盛り上がり、栄吉さんもその両親も機嫌よく
――このままトラブルなく、見合い話が進んでくれれば……。
そう思っていたところ、突然栄吉さんの母親である料亭の女将が、とんでもない発言をしたのだった。
「息子の嫁には、どうかハルさんをもらえませんか」
「は…?」
突然の女将の申し出に、場の空気が凍った。
父も
「今……何とおっしゃいました?」
「だから、栄吉の嫁には是非ハルさんを」
「ハルを…?
皆の視線が私に集まる。
――この女将、いったい何を言い出だすのだ?
私は青ざめた。
何かの間違いであってくれ、そう祈る。
「何かのお間違いでしょう。ハルは、そちらに嫁に出せるような娘では……」
「いえいえ。実は、この村の知人から伺っていたのですが、ハルさんはたいそう働き者だそうで」
ころころと笑いながら女将は言う。
「家事をしっかりこなすだけでなく、算術もお得意だとか。今、この場でも率先して動いていらっしゃる。周囲を把握して、必要なものを用意してくれる。我々はそういう嫁が欲しいのです」
「妻の言う通りです。老舗料亭などと、世間ではもてはやされていますが、我々はあくまで商売人。我が家の家業は綺麗なお嬢様では務まりません。嫁には、我々と共に店を盛り立ててもらわないと」
女将の言葉を引き継いで、栄吉さんの父親である旦那も頷いた。
――マズい流れだ。
私は冷や汗を浮かべる。
宴会がつつがなく進行できるよう黙々と働いていたのだが、まさかそれが裏目に出るとは思わなかった。
「そっ、そんなっ!さ、桜子も普段はとても働き者なんですよ!それこそ、ハル以上に家事をしてくれています!今日はたまたま……皆さんに楽しんでもらおうと、お話し相手に集中していただけで……」
「あら、そうですの?それにしては、桜子お嬢様の手のお綺麗なこと」
「えっ、手……ですか?」
女将の視線は、
つるりとしていて、傷一つない綺麗な手だ。ちなみに、
「私も若い頃は姑にしごかれましてね。ハルお嬢様のような荒れた手をしていたんですよ。冬は皮膚がひび割れて、それはそれは水仕事が辛かったわ」
普段家事をしていれば、水仕事などでどうしても手は荒れてしまう。
つまり、女将は
居たたまれない空気が流れ、場がシンと静まり返った。ソレに、
「わ、若旦那様は?栄吉様は、私の方が良いですよね?だって、私とのお喋りを楽しんでくれたでしょう?あの
「確かに、桜子さんは魅力的な方ですが…」
栄吉さんが微笑むと、ホッとしたように
だが――。
「若女将の仕事は、桜子さんが思っている以上に辛いと思いますよ?
「――っ」
見合い相手の栄吉さんからも「あなたは若女将に向いていない」と
そして、物凄い形相で私の方を睨んできた。
――これは、いよいよマズい。
おそらく、この客人らが帰ったら修羅場が訪れるだろう。
私はゴクリ、と息を呑んだ。
*
――パァァアン!!
乾いた音が室内に響いた。
思いきり平手打ちを食らって、私は顔をしかめる。
私にビンタをかました張本人、異母姉の桜子は息を弾ませながら、鬼のような顔でこちらを見ていた。
「このっ!泥棒猫っ!!」
――まさかリアルにこのセリフを聞くことになるとは……。
そう思いつつ、私は熱を持った頬に手をやる。
見ると、桜子同様に
「いったい、どうやって栄吉さんたちにすり寄ったの!?」
桜子は私を
単に、あちら側のニーズに私が合っていただけの話である……が、それを言ったことで、納得してはくれないだろう。
こういうとき、何か言い返したり、弁明したりする方が、後々面倒になることを私は学習済みだった。
「あちらさんが、ハルを望んでいるんだ。ハルを嫁に出すしかないだろう」
「おじい様!?」
あっさり言ってのける祖父に、桜子は悲鳴を上げる。
一見、祖父は私を擁護してくれているように見えるが、単にどうでもいいだけだ。
祖父母の関心は跡取りである異母弟にしかなく、家に利益をもたらすのなら、あの料亭に嫁ぐのは私でも桜子でもどちらでも良いわけである。
ワッと桜子は両手で顔を覆って泣き始めた。それを
まぁ、不可抗力と言いたいところだが……今回の件は桜子も被害者だ。玉の輿の縁談だと、あんなに乗り気だったから、ショックも大きいだろう。
私は、申し訳なく思う。
そして後日、その罪悪感を後悔するのだった。
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