第13話

「あちらに見える丘に旗を掲げています故、それを見ればお分かりになるはずです」

確かに劉焉が言う通り、丘の上に何やら白い布で何かを形取った物を掲げているらしい人影が見える。

楊彪は目を凝らしてよく見るとその白い布が董卓軍の軍旗である事が分かった。

「まさか……」

「では、私はこれで失礼しますよ。今日の所は我が主が待ち望む者とお会いできただけで満足です。明日の昼までに我々の出す条件を吟味して返答して頂ければと」

そう言うと劉焉は部屋を後にした。

翌日、楊彪は東の空が薄っすらと明るくなり始めた頃に部屋の戸を開けて外に出ると丘に目を向けてみた。

確かに白い布を象った軍旗が風に揺られながらはためいていたのである。

それを見た楊彪の表情がみるみる内に変わって行く。その表情には混乱と動揺が入り混じっていた。

「冗談ではなかったのか……」

しかしそれでも現実を受け入れられないようで、その場に座り込み呆然と空を眺めていた。

翌日、楊彪は体調不良と偽って袁術に会うのを避けたと言う。

やがて日が暮れる頃になり楊彪は意を決するとその丘へと向かって歩き始めた。

歩いている途中、楊彪はある事を思い出したのである。

以前、都で反董卓連合と成った際に自分が所属していた部将から言われた言葉である

「我々は呂布軍と戦っても勝ち目がない」

と言う言葉だった。

その時の自分と言えば董卓討伐に協力する気などさらさら無く、むしろ朝廷は自分にそれを押しつけようとし、実際そうなったとしても黄巾党の攻勢に疲れ果てていた自分は断るつもりでいたのだが……。

「そういう事か」

楊彪がようやく気付いた時、丘の上に到着したのである。

そこには小さな砦があり兵達が警戒に当たっていた。

そんな彼らに取り囲まれながら砦へと入るよう促された楊彪が渋々そこに足を踏み入れると、そこには先客がいたのである。

それは楊彪より少し歳上の男で、色鮮やかな装飾の施された鎧を身に付けていた。

彼は楊彪を見ると言った。

「ようこそ来られました。我が名は公孫賛、字は伯珪と言います」

驚く楊彪に対し彼はさらに言葉を続ける。

「この砦にて貴方が来られるのを待っていたのですよ」

そんな彼の言葉に対して楊彪は何も返す事が出来ずに立ち尽くすしかない。

そんな彼に彼……公孫賛は言葉を続けたのである。

「私……いえ、我々袁紹軍はこれより天下の反董卓連合に入る事と相成りました。楊彪殿、私は貴方が我らに協力するに相応しき器量の持ち主であると見込んでこうしてここまでお誘いしたのです。貴方の答えは如何ですか?」

その言葉に楊彪は呂布の言葉を思い出していた。

「俺の元に来れば天下を取れる男になれるかも知れない」

と彼か言ってくれた事を思い出し、この乱世を鎮められる器量を持っている人物である事は疑うべくもない。

ここで協力を拒み黄巾党と相討ちになった所で一体何を得る事が出来るだろうか?いや、そもそも自分は何も得るべきでは無いのではないかと思う楊彪である。

彼は公孫賛の前に跪き拱手しながら答えた。

「この楊彪、命をかけて貴方に協力させて頂きたく思います」

呂布軍が南陽郡の太守である楊彪の元に駆けつけたその日、公孫賛によって本拠地を与えられた事を伝令から知ると呂布は喜んでいた。

「やったな!これで心置きなく戦えるぞ!」

そう豪語する呂布の姿を見て董卓が呟く。

「まさかこれ程の活躍をするとはな……なかなかやるではないか」

董卓の呟きが聞こえたのか、呂布が答える。

「私に恐れを成したという事はないと思いますが、私が有言実行の男である事がお分かりになられたのでしょう」

そう言うと嬉しそうに笑みを浮かべる呂布である。

「まったく大した男だなお前は。どうだ?金でも女でも望む物があれば与えようと思うが」

董卓が笑いながら言うと呂布は礼を述べながら答えた。

「私には妻子がおり、それに満足しております故、他に望む事はありません」

それを聞くと董卓は少し残念そうな顔をしたのだが、すぐに気を取り直すと言ったのである。

「そうか……ではそこまで言うのなら今度からお前には副将として一軍を率いさせる事にしようか」

その言葉に呂布は大いに感激する。

「ありがとうございます!この身命にかけてもお役に立ってご覧に入れましょう!」

そう答える呂布の姿に董卓は頼もしさと不安を入り混じらせた様な複雑な表情をしていたのだが、それはまるで真逆の表情を呂布に向ける者がいた為にかき消される事となった。

そんな董卓に声をかける男が現れる。

「流石ですね。まさかこうもあの男をうまく操縦して使えるようになるとは!」

董卓が振り向くと、そこには李儒が立っていたのである。

「まったくですね。一介の野盗に過ぎなかったあやつが僅か五年で州牧になり都を騒がす程の大軍を率いる太守に成るとは……正に稀代の梟雄と呼ぶに相応しい男だ!」

そう言いながら現れたのはもう一人の副将である張済だったのである。

そんな二人の登場に驚きながらも董卓は睨みつけながら言う。

「お前等、一体いつの間に俺の陣地へ入り込んだのだ?」

その言葉に李儒は首を振りながら答える。

「我々だけでここへ来た訳ではありません。太師である貴方を訊ねてきた男がおりましたのでお連れしたのです」

そんな李儒の言葉に董卓がピクリと反応した。

『公孫賛に呂布!あやつらいつの間に俺の本拠地へ足を踏み入れていたのだ?まったく食えん小役人どもだ……』と思った董卓は不快感を露わにしながらも言った。

「分かった、会おうぞ」

そう言うと董卓は李儒と張済に自分の前に連れてくるように命じる。

やがてその二人がやって来ると二人は拱手しながら挨拶を述べた。

「お初にお目にかかります袁本初殿」

その言葉に董卓が首を傾げる。

「何を言っているのだ?お前は?」

そんな董卓の言葉など聞いていないかの様に呂布は自らの紹介をした。

「私はこの度、南陽郡の太守であった楊彪殿より副将として軍を指揮する事となった呂布奉先と申します」

それを聞いた董卓は顔を歪めて言う。

「何を寝惚けた事を言っておるのか!楊彪は既に我が手中に収めたのだぞ。お前に副将としての役職を与えるなど笑止千万な!」

そんな董卓の言葉を聞くと李儒が低い声で答えた。

「なるほど……貴方は随分と南陽の太守と親しいようですね。では、これを聞いてもらえますかな?」

そう言うと李儒は懐から一枚の竹簡を取り出すと董卓に渡す。

受け取った董卓が訝しげにその竹簡に目を通すと驚きの表情を浮かべた。

「これはどうした事か?」

李儒が改めて董卓に言う。

「ここに書かれているのは私が調べ上げた南陽郡の武将の名なのですが……呂布奉先の名前はありませんねぇ」

その言葉にさらに驚きを隠せない呂布をよそに、それを見ていた張済が言う。

「それは太師殿に対する反逆の意思ありとみなすべきですな!」

それを聞くと董卓は憎しみを込めて呂布を睨みつけると、近くにいる兵に命令を下す。

「この男を捕らえろ!そして此奴と関わりがあるであろう者達全てを捕らえよ!抵抗すれば容赦をするな!!」

しかし兵が命令を実行しようとする前に張済が無言で武器を構えた事によって兵は怯み一歩たりとも動く事が出来なくなる。

そんな張済の姿を董卓は忌々しそうに見つめていると、今度は李儒が言った。

「もし、楊彪殿と関わりがある武将の名を明かせば命だけは助けてあげますよ?」

それを聞くと董卓は不敵な笑みを浮かべて言う。

「袁本初よ。何故お前は俺が裏切る事を恐れておる?」

そんな董卓の言葉に李儒が眉を動かしながら答える。

「私は今、呂布に疑われているのですよ。その事がどういう事か分からない貴方ではありますまい」

そう言われた董卓が今度は明らかに動揺した顔を見せた。

「いや、それはおかしい」

しかしすぐに動揺を繕うと董卓は笑みを浮かべて答える。

「何故、俺がその程度の事を恐れるというのだ?」

そんな董卓の言葉など無視する様に李儒が指示をすると、近くにいた兵士達が一斉に武器を手に襲いかかってきた。

「おのれ!」

そう叫びながら自らの手にしている弓で応戦しようとしたのだが、多数の兵士達を相手に矢を放つ事も出来ずに董卓は囲まれていく。

周囲が全て敵となれば逃げ場はない。

追い詰められた董卓は無数の兵達によってその場から連れ去られる事となってしまったのだ。

「お、おのれ!貴様等、何をするか!?」

そんな叫び声が徐々に小さくなる中、李儒と張済が笑みを浮かべる。

「では後は貴方に任せましょう」

そう言うと二人同時に姿を消したのであった。

取り残された呂布は目の前にいる張済を見ながら訊ねる。

「そちらの方は?」

張済はその名前に相応しく若く野心に満ちた目を董卓に向けたまま答えた。

「私は太師の命により楊彪を捕らえるように命じられた者だ」

その言葉を聞いて呂布が不思議そうな表情を浮かべると、張済は剣を抜きながら答える。

「呂布奉先!貴様はこの私に成せぬと思うか!?」

そう言われた呂布は首を横に振ると言った。

「思う思わないではない。やらねばならんのです」

そんな呂布の答えに張済はさらに怒りを露わにしながら剣を向けて言い放つ。

「では、覚悟してもらおう!」

そんな張済を見て呂布は苦笑を漏らした。

「してもらわなければならないとは可笑しな事ですね」

そう言うと、呂布も自らの武器を構えて対峙した。

その様子を見ていた楊彪が驚きの表情を浮かべて言う。

「何故、この二人が戦っておるのだ?いや、それよりも何故こんな事に?」

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