第10話
華雄を討ち取った呂布の武名は大いに貢献したと言っても過言ではない。
それは関羽を失った孫権にとって不謹慎な表現になるやもしれないが、やはり呂布軍無くしては蜀呉連合軍との戦いには勝利出来なかったのは明らかである。
奉先達の軍は人里離れた場所で陳宮から得た情報を頼りに山中を進んでいると、山の中腹から煙が立ち上っているのが見えた。
それを見た李蒙が叫ぶように報告する。
「申し上げます!山賊達が近隣の村々を襲い火を放っているとの事!」
それを聞いた陳宮は思わず声を上げる。
「なぜ?賊を捕えていた兵はどうなったのだ?」
すると李蒙は険しい表情で言った。
「兵は全て戦いで亡くなられました!山賊どもは一部を呉国城に送り、残りはそのまま村人達を脅して金をせびっていると言う事です」
陳宮は悲痛な面持ちで天を仰ぐと跪いてしまう。
すると李蒙が膝を折り奉先に向かって言った。
「将軍、これは陳宮殿の失態以外の何者でもないのです」
そんな李蒙の言葉に対し、奉先は静かに言う。
「俺はもはや将軍ではない、将軍は奉先殿ただ一人」
そう言うと奉先は陳宮の腕を引っ張り立たせて言った。
「とにかく村に急ごう!」
火を放ちながら暴れている賊を退治し、村人達に被害が及ばぬ様に尽力していた李粛と郭キだったが、次第に彼らの兵数も少なくなっていく一方であった為焦りを募らせていた。
陳宮から贈られた千金を見た陳珪は感動の涙を流しながら奉先に対し感謝の意を述べる。
「しかし、この様な莫大な謝礼を受けては……」
すると奉先は首を横に振りながら言った。
「呂布将軍がそうであったろうが、戦場で命を助けられた者は一生忘れぬ物なのである為」
そして陳珪や妻達に千金を分ける様に命じてから山賊退治の為に出陣して行ったのである。
そんな奉先を見送りながらも不安そうな表情を見せる妻の玉玲の肩に手を置き陳珪は言う。
「心配せずとも将軍の武名はこの様な事で揺るぐものではないし、息子達は皆勇敢で頼りになる者達ばかりです。呂布将軍にも良くして頂きましたからきっとうまくやれますよ」
「はい……奉先殿の事ですから無辜の民を傷つけたりするとは思いません」
しかしそんな玉玲ではあったが奉先の事が気掛かりで仕方なかった。
そんな時に一人の年老いた男が訪ねて来たので郭キが対応に出る。
「これは陳様、いかがなされましたか?」
若いながらその地位の高さからかなりの無理をしていたのであろう、陳珪は体の調子を悪くしていた為、最近では妻に身の回りの世話を任せる事が多かった。
すると目の前の年老いた男が言った。
「奥方様、これより先に我らの村があるのでどうかお体を休めて行かれてください」
「お心遣いありがとうございます。しかし私は奉先殿のお傍にいたいと思います、奉先殿の武勇がいかほどの物なのか自分の目で確かめとうございます故……」
そう言って頭を下げる玉玲を郭キは説得する。
「しかし奥方様、例え兵が残ろうともこの村では奉先様とお会いになる事は難しいと思いますよ?」
そんな郭キの言葉の意味を尋ねると彼は陳珪の家の方を見て答えた。
「こちらです」
促されて見てみると陳珪宅の入り口には若い娘が食事や薬などの様々な物資を荷車に積んで出入りしている。
その娘と目が合うと娘は驚いた様な表情を見せるが、すぐに頭を下げ陳珪の家に戻ってしまった。
するとその娘はすぐに老いぼれと共に現れ玉玲に言った。
「私は呂布将軍の使いの者で鄭倫(ていりん)と申します」
そんな若い娘の言葉に玉玲は驚きながらも言うとおりにしようと言う陳珪の勧めもあり、結局その若い娘に連れられ奉先の居る村の外れまでやって来たのである。
するとそこには賊を捕らえて捕縛している奉先や陳宮を始め、彼の配下の諸将達もいた。
「奥方様」
そんな奉先の第一声に対し玉玲は自分があまり美しいとは言えぬのでどう思われるかと心配していたが、その言葉からそれは杞憂であったと安心出来た。
「ご無事で何よりでした……奥方様は?」
そう尋ねると一人の老いた男性が前に出てくると敬礼をした後で言う。
「某の妻です」
奉先はその老いた男性が陳珪である事を悟り頭を下げる。
「陳珪将軍ですね?体調が優れない様ですが大丈夫ですか?」
奉先は自分の事より病人扱いされた陳珪と、この場にいる黄承彦が苦笑いをしているのを見ながら彼を気遣った。
「お気遣いありがとうございます。しかしまったくもってどこも悪くはありませんので御心配無用です」
奉先は思わず陳宮の顔を見る。
すると陳宮は苦笑いの表情を浮かべたまま玉玲に向かって言う。
「奉先殿は謙遜してああ仰っておられるのですが、この陳珪殿はかなり重い病に侵されており、医者が言うにはあと二年は持たないであろうと言われていました」
玉玲は少し不安な面持ちで奉先の顔を見上げると彼は優しく微笑みながら言った。
「陳将軍にはこれよりすぐに蜀の国に戻って頂く事になるのですが宜しいか?」
そう尋ねる奉先に陳珪も微笑み返し拱手(こうしゅ)の礼(右手で拳を作り、それを左手て握る拝礼)をすると静かに答えた。
「委細承知いたしました。それではすぐに支度をします故、先に村を出た兵の所まで行っていて頂けますか?」
陳珪の言葉に頷くと奉先は後ろを振り返りながら言った。
「郭キは兵と共に村に戻れ」
それに対して黄承彦が答える。
「殿……某も共に戦います!まだ賊が残っていないとも限りません」
「いや……黄将軍には陳将軍を無事に蜀へと送り届けて欲しいのだ」
奉先はそう答えると今度は郭キを見て言う。
「お前も将となって兵を指揮したいと言うのであれば、ここは陳将軍にお仕えし腕を磨くべきだとは思わんか?無理にとは言わぬがお前の決意を聞かせてはもらえぬか?」
その言葉に郭キは少し考えた後で拱手して奉先に向かって跪くとハッキリとした口調で答えた。
「某もこの陳珪殿にお仕えし武功を積んだく思います!」
そんな郭キの言葉に陳珪も答える。
「私よりも若い彼で宜しいのならこちらこそ宜しくお願いしたい」
陳珪はそう言うと奉先に拱手しようとしたが、手を床につく前にそのまま倒れ込んでしまう。
それを見た奉先はすぐに駆け寄ると陳珪を抱えて言った。
「御心配なさらずに、無理に生きようとしなくていいのです……」
それは自分に向かって言っているのではなく、他の者達にも言っている様な響きがあった。
奉先は陳珪を抱き抱えたまま彼の妻達に向き合うと軽く拱手してから言う。
「将軍と共に村に戻ってほしい……」
そんな奉先に陳珪の妻達は泣きながら拱手し、その姿を郭キは微笑みながら見つめていた。
呂布軍の大部分は賊討伐で疲労困憊(ひろうこんぱい)の状態だったが曹操軍と劉備軍がそれを支えてくれた為、蜀の陳珪軍は無事に五千の兵を残して無事帰路に就く事が出来たのである。
陳珪を見送った奉先は燃えている村の方に向かって馬を走らせた。
それを追う様に諸将も付いて来る。
「将軍のご威光が無ければきっと村人たちは皆殺しにされていた事でしょう」
そう言う黄承彦の言葉を聞いた郭キは少し険しい表情で答える。
「あの者の言葉が本当ならだがな」
そんな郭キの言葉に陳宮が答える。
「呂布将軍、陳珪殿の容態はおそらく間もなく天に召されるでしょうが、余命僅かな方は意外と律儀で義理堅い方だったりするものです。こちらをご覧ください」
陳宮はそう言って燃えている村の方を指差した。
「これは?」
奉先がそう尋ねると陳宮は静かに言う。
「玉玲様をお連れする際に持ってきた荷を、この村の者に頼んで置いてきたのです。でなければ我々が何の為に来たか分かりませんし、この村の者らも不安がったままです」
奉先は陳宮の言葉に頷きながらも再び村の様子を見ると村人達は火事を消火しながら懸命に手伝い、少しでも被害を食い止めるべく賢明に働いている様に見えた。
そんな姿に陳宮は微笑みを浮かべながら言う。
「確かに陳珪殿の仰る通りですな」
陳珪達に遅れる事約数刻、五千の兵を率いて賊討伐を行っていた劉備の下に早馬がやって来た。
「劉備様!至急戻られよと呂布将軍からの伝令です」
早馬の話を聞いた劉備は怒気も露わにその場に居た張飛に言う。
「我らが賊討伐に手間取ったせいで陳珪殿の村が焼き討ちを受けたというではないか、何をやっているのか……」
そんな劉備に対し張飛は特に気にする様子も無くいつもの様に答える。
「で~?賊を全部成敗したので問題無いんでないの?」
すると劉備の副官を務める趙雲が皮肉を込めて張飛に向かって言う。
「いやいや、成敗出来なかった賊が呂布将軍の村を襲ったのかも知れませんな」
それを聞いた劉備は顔を赤くして怒り出す。
「何を!奉先が失敗したとでも言うのか!」
それを見て慌てて張飛は答える。
「で、でもよ~その内報を入れた使者もここに到着したんだろ?なら後は帰るだけだぜ?」
そんないつものやり取りを見ていた副将でもある関羽は軽くため息を漏らした後に劉備に言った。
「劉備様、将軍には何か策がおありだったのでしょう。軍師殿もあえてそれを言葉にしなかったのでこうして我らに早馬まで寄越して下さっているのですからここは兵を引いて戻るべきだと思います」
その言葉に劉備はまだ不満そうな表情を浮かべていたが、関羽はその言葉を無視して副将である張飛に言う。
「趙雲、伝令の任ご苦労だったと将軍の奥方様にお伝えしろ」
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