第9話
そう言って陳宮は懐から短剣を取り出すとそれを諸葛亮に向け、二人は対峙する形になったのだが、その時、彼らの周りは呂布軍に囲まれていたのである。
陳宮はやむなく逃げようとするが、一人の弓兵が放った矢が足に刺さり転倒すると逃げ場を失ってしまう。
そんな陳宮にゆっくり剣を振り上げながら近付き間合いに入ると諸葛亮が言う。
「その男を城に届けよ!!」
それを合図に呂布軍の兵達が動けないでいる陳宮を連れて城へと連れて戻ろうとしている所に曹操軍の兵が現れた為、呂布軍は攻撃に転じたのであった。
奉先はこの様子を見ながらまだ残っていた兵に向かって言う。
「この辺りの兵の指揮官は誰だ?!」
すると兵の中から年老いた兵が前に出ようとするが、それを止めた者がいた。
「大元帥様が自らいらっしゃる必要があるのか?」
そう言ったのは張遼であった。
彼の言葉を聞いた兵は喜んで奉先と交代すると張遼は奉先に言う。
「ここは私に任せて将軍の行かれるところへ行ってくだされ」
そう言われて奉先は頷くとその場を後にした。
曹操軍は奉先の追撃によって散々な目にあった為、かなりの兵が討たれたが残った兵達も戦意を損失し始めていたのである。
その頃、城の中では呂布軍の勝利に将兵が歓喜していた。
高順が死んだ時は嘆き悲しんでいた陳宮だったが、今や涙は止まっていたのであった。
そんな陳宮に向かって李蒙が声を荒げる。
「子幹!それでも武将か?!天子は関雲長の救出が叶わぬまま曹操殿に降伏する事になり、配下の将軍達のほぼ全ても捕えられた!」
それを聞いて陳宮は黙ったまま下を向いていた。
「それでもまだ関羽の仇を取ると申されるのか?!」
そう言うと李蒙は諸葛亮に目を向ける。
「如何いたしましょう?」
尋ねられた諸葛亮が答える前に一人の武将が現れた。
呂布である。
「貴様は?」
李蒙がそう聞くと呂布が答える。
「俺が呂布奉先だ」
「ほう……殿に会わせろと言われましたが、本人なのですね?」
李蒙が尋ねると呂布は頷き言う。
「降伏すると言うのであれば父や兄のように丁重に扱うつもりだが」
それに対して李蒙は答える。
「それはなりません!皇叔(皇族の親族)を安易に処刑させてはこの乱世は終わりませぬ!」
そう言うと兵士に命じて二人を処刑するように命じたのである。すると高順の配下で陳宮の元で働いていた周泰という武将が呂布に向かって言った。
「子幹殿の首を斬るというのであればこの私を斬って下さい!!」
呂布は彼に尋ねた。
「そなたと陳宮殿とは義兄弟だったのではないか?」
李蒙が答える。
「そうです」
「では何故その様な事を言う?」
その問いに、もはや死を覚悟している様子で静かな口調で言った。
「大元帥様が私を処分すると言うのであれば私は黙って受け入れるしかありません。しかし、例え死罪であろうとも子幹殿と私の関係を知った上で処刑されるのは大変無念に思います……そこで奉先殿にお願いしたいのですが……」
そう言うと周泰は陳宮に向かって頭を下げた。
「どうか奉先殿は子幹殿を見逃されてはもらえまいだろうか?」
陳宮は何も答えずに黙っていると呂布が二人に向かって言う。
「その方達、なかなか武に優れている様子。どうだ、我が軍につかぬか?」
周泰は喜んでその誘いを受けた。
「喜んで奉先殿にお仕えさせて頂きたい」
すると今度は陳宮が慌てて呂布に言う。
「私は将軍に降るつもりなどない!」陳宮はまだ諦めてはいなかった。
しかし、そんな彼に呂布は落ち着いた声で答えながら近付くと彼の肩を叩きながら言う。
「安心されよ……俺もまだお主には死んで貰ったりするつもりないゆえな」
そう言って笑いかける呂布を見て陳宮は観念したように俯く。
その様子を横目で見た李蒙は慌てて言った。
「将軍!今何と申されましたか?」
「ん……ただこの二人を連れて来た兵に褒美を取らせると言うたのだが、不満か?」
そんな呂布の態度に李蒙と張遼は顔を見合わせて驚いてしまう。
するとその様子を聞いていた他の武将達も次々に集まり始めていた。
曹操軍に大打撃を与え、その大将である華雄を討ち取った事で完全にこの戦を制したと感じていた呂布軍であったが、一番大きな問題はまだ解決していなかったのである。
高順戦死の報せを聞いても曹操は喜ばずにずっと口を噤んでいたが、陳宮が降伏したと聞いて初めて口を開いた。
「そうか……高順も死んだか……」
自分の死期を悟りそうな言い方に奉先が不安になる。
「殿……」
奉先と奉先の後ろに控えていた呂布が同時に口を開く。
「この度の敗戦により我が軍の存続は不可能となりました故、降伏致しま……」
そう言って拝手しようとした陳宮を奉先が止めるように発言する。
「降伏などせぬ!」
それを聞くと曹操は呂布に向かって言う。
「関羽の死に際の頼みとは言え奉先を配下にした事に関しては今でも後悔しておるぞ」
奉先を見ながらそう漏らすが、続けて曹操は言った。
「しかし、ここまで来て降伏する事はできんのぉ……」
そんな曹操の言葉に陳宮が反応してしまう。
「お屋形様!此度の敗戦の責任は全てこの私のみにありますのでどうか将軍には寛大な処置をお願いしたい」
陳宮がそう言うと奉先が彼の方を一瞬見た後、陳宮の方に向かって言う。
「子幹殿、気持ちは有難いのだが降伏等しないぞ!」
それを聞いた魏続が突然椅子から立ち上がり叫ぶ。
「降伏しないだと?散々苦労させておきながらよくそのような事が言えるな?!」
それを聞いていた曹操が口を開こうとするが、それに先回りするように呂布が言い放つ。
「俺は父の仇を討つ為に奉先殿の配下となったのだ!降伏などすればそれを果たす事が出来ないではないか」
そう言うと剣を引き抜き陳宮に突きつける。
すると諸将達も立ち上がるが、陳宮の前に奉先が立つ。
「奉先殿……何の真似だ?!」
魏続がそう言うと陳宮が尋ねる。
「将軍、奉先とはかつて義兄弟の契りを交わした仲です、どうか一先ず剣をお引き下さい」
そんな陳宮に向かって首を振ると呂布は陳宮に言った。
「俺は大層情け深き殿だと思う故、もし貴方が降伏するのであれば俺の配下であった事には一切触れずにいようと思った。しかしそれは間違いであった!」
そう言って剣を陳宮の喉元に突き付けて言った。
「例えこの戦をやり過ごせても貴方の事は決して許せない!今この場で斬らねば気がおさまらない!」
それを聞いた曹操が口を開く。
「奉先の気持ちは解るが、陳宮殿は降伏をすると言っているのだ……そこを敢えて斬る必要はないと思うが?」
しかしその言葉を聞いても陳宮は眉一つ動かさず冷静な表情をして言う。
「奉先の言う通りです」
彼の目を見る奉先と陳宮。
「曹操殿、天下の事を考えればここは降伏すべきです」
すると呂布は奉先の前に出ると彼に言い放つ。
「貴様はあれを見てまだ降伏を勧めるのか!?」
そう言って城壁の方を顎で示すとそこには炎に包まれた城が見えていたのであった。
呂布に促されて皆も視線を上げると城の様子も見て驚愕してしまったのだ。
呂布に攻め立てられた為に火災が起こったのである。
すると曹操が皆を見回して言う。
「この様子では呂布の城は当面は問題あるまい。しかしこの城にいる配下達を安心させてやらねばならぬな……奉先と陳宮殿の言う通り、やはり降伏するのは已(や)めよう」
それを聞いて今度は魏続が騒ぎだす。
「父上!このままでは兵が動揺致します!」
そう言うと彼は呂布の方を睨み言う。
「俺は降伏する等と言った覚えは無いぞ!!」
彼の言葉に奉先と呂布も剣を抜くが、それを曹操が手で制し言う。
「よかろう、ではお主らだけでこの城から出て何処へでも行くがよい」
曹操の言葉に陳宮は顔を赤くして言った。
「お屋形様!それでは本当に降伏の申し入れを無駄になさるようなものです!」
「煩い!!お前はもう喋らんで良い!!」
そんなやりとりを黙って見ていた呂布に向かって李蒙が歩み寄り言う。
「将軍、もしよろしければ我が軍の兵を二千お貸ししましょう」
その言葉を聞き陳宮が渋い顔をするが魏続が言う。
「父上、何故そのような申し出をお許しになるのですか?」
そう言うと曹操は魏続の方を見ながら言った。
「呂布軍は一兵も失う事なく殿を救ったのだ、それを思えばこそ彼の気概に応えなければならないのだ」
そう言われて魏続も納得した様子であった。
早速、曹操から奉先と呂布の配下にそれぞれ千ずつの兵を与えられると、彼等は急いで城に戻っていったのである。
「奉先……これは全て貴様のお陰だ、改めて礼を言わせてもらう」
陳宮は奉先に頭を下げながらそう言うと更に言う。
「このまま奴を逃がすつもりか?」
そんな陳宮に向かって奉先は苦笑しながら答えた。
「子幹殿には散々追い回された事だし、そのお気持ちは有り難いが正直まだ決着は着いておらぬと思う」
奉先の答えに陳宮が大きな溜息を吐くと少し涙目になって言う。
「まったく……これが旧友との最後の別れだというに……」
そんな様子を見て呂布が言う。
「子幹殿、貴方には父の仇を討ってくれた恩がある、それが終わった今となっては憎い相手ではないからな」
奉先と呂蒙の二人からそう諭された陳宮であったが、それでも彼の目からは涙が零(こぼ)
れていた。
「子幹殿、これを受け取ってくれ」
そう言うと呂布は奉先に言う。
「奉先、これを奴に渡しに行くがよい」
呂布の手元を見ると、そこには千金の包みがあった。
それを受け取ると陳宮に向かって奉先は言った。
「これは我が殿から預かっていた千金です。この功をもって父や兄の死は許して頂けるよう頼んて来ますのでお受け取りください」
陳宮は意外そうな顔をして奉先を見上げるが、それでも黙って受け取ると黙って頷く。
こうして呂布軍は城から出る事に成功し、更に曹操軍の兵からも追撃を受ける事なく無事に城から脱出する事が出来たのであった。
しかし、この後も呂布達の苦難は続く事になるのである。
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