私には、たった一つだけ描きたい絵がある

いずも

無銘かく語りき

 私は今でこそカクヨムで小説を書いているが、元々は漫画家になりたかった。

 産まれて初めて読んだ漫画はドラゴンボールで、鳥山明先生の絵の躍動感に感動したものだ。最初は子どもだった主人公の悟空が大人になる成長譚というのも当時小学生だった自分には刺さった。漫画というものは子どもの自分が大人を描ける、もっと言えば大人になれる魔法なのだと衝撃を受けた。悟空に自分を重ねて大人になった時の立ち振舞いを空想していた。

 そこからドラゴンクエストにハマり、ドラクエ4コマ漫画劇場というゲームを漫画で自由に表現した作品(公式の二次創作のようなものだ)に出会い、自分もゲームのキャラクターを漫画で描きたいと思った。このドラクエ4コマ漫画劇場は読者による投稿を募集していて、そこから漫画家デビューする人も多かったのだ。

 初めてGペンを手に持ち、スクリーントーンを貼って漫画原稿用紙に絵を描く。当時の自分でも客観的に見て下手くそだと思ったが、漫画を描く行為そのものが楽しかった。

 当然選考に残るはずもなく私の漫画家への夢は閉ざされることになる。ちなみにドラゴンエイジという雑誌に載っていたたった1ページの漫画によって無類の巫女好きになったのだがここでは割愛する。

 漫画の話はここで終わり。


 当時中高生の間ではカードゲームが流行っていたのだが、私は友人たちとその中でマジック・ザ・ギャザリングというアメリカ発祥のカードゲームを遊んでいた。カードゲームのイラストというのは大半が立ち絵とか公式絵の流用という印象があったので、一枚絵で映画のワンシーンを切り取ったかのような物語を感じさせるイラストがとても素晴らしく、カードを見ているだけで名画を眺めているような気分にさせてくれる。何なら今でもたまに購入するし大半のカードは手放しておらず、昨今のカードゲーム需要による高騰で新車が余裕で買える程度のカード資産があるがここでは割愛する。

 まだネットがそれほど普及しておらず、紙媒体の方が主流だったので最新情報はゲームぎゃざという雑誌から取得していた。これはマジック・ザ・ギャザリングを中心とした国内カードゲーム(遊戯王とポケカ除く)をメインに扱っており、遊んだことはないが名前だけは詳しくなった。

 やはり日本人向けに作られているだけあってCGを駆使した萌え絵が多い。それらは一枚の絵から無限のストーリーが想像できるような魅力があり、漫画とは違うやり方で物語が展開できることに感動して、創作意欲が再燃した。

 セリフもない。余計な解説もない。それでいて前後にストーリー性を感じさせる、そんな作品。私の中で描きたいものが鮮明に生み出されたのだ。

 たった一枚、それだけでいい。自分が描きたいもの、表現したいものが誕生した瞬間だった。


 ネットで調べればCGイラストの描き方は出てくるが、当時は今ほどイラストソフトや創作支援サイトは充実しておらず、さらに私自身がソフトの使い方やCGイラストはレイヤーを重ねて作るのだという概念をちゃんと理解していなかった。また、YOUTUBEのような動画投稿サイトがなかったので初心者がイチから勉強するにはかなりハードルが高い。いや、そもそもの話として。まずはアナログ絵をスキャナーで取り込むところから始まるのだが、下絵が満足に描けないのにCGイラストが作れるはずないのだ。

 当時のネット文化で絵チャットなるものがあった。チャット機能が付いたオンライン上のお絵かきソフトと言えばいいだろうか。パソコンに付属されているペイントソフト程度の性能で、マウスで線画から色塗りまで行いシンプルな絵を投稿しながら同好の士と交流する。一度挑戦しようとしたが、あまりの下手さ加減に自分でも笑ってしまった。ドット絵のような古き良き文化だが、フラッシュ動画のようにその世代でないと刺さらない文化だと思う。


 その頃私は友人に誘われて小説を書くようになった。ラノベの流行もあったし、仲間内で月姫という同人ゲームが流行っていたのでノベルゲーにも挑戦しようとした。吉里吉里というソフトで試行錯誤していたが、やはりゲームだと立ち絵が欲しいとか一枚絵が必要だとか考えてしまい完成には至らなかった。

 そして小説を書くのに適したプラットホームとして小説家になろうやカクヨムといったサービスが登場して、一般人が創作するハードルは随分下がった。何をやっても中途半端だった私が作品を完成させることが出来るくらいには簡単になった。自分でHTMLタグを勉強して個人サイトを立ち上げ、検索に引っかかるよう様々なポータルサイトに登録するような苦労も必要ない。カクヨムに登録して投稿したら勝手に読者が見に来てくれるのだから。


 イラスト作成に対するハードルも随分下がった。無料アプリで十分描けるし、それを発表する場もたくさん存在する。プロがメイキング動画を公開しているし、動画サイトでは本人が詳しく制作手順の解説を配信している時代だ。イラストの価値が下がった、というと語弊があるだろうからパラダイムシフトが起こったとでも言うべきか。発生には複数の要素があるが一つに絞るならスマホの普及が要因だろう。

 それ自体は悪いことではない。誰でも手軽に自分の理想とするイラストを作れる、もしくは作ってもらえる時代になったのだから。Skebのようにクリエイターに直接依頼して望む絵を描いてもらえるサービスも生まれた。一昔前なら相場すら存在しなかったし、クリエイターに直接連絡する手段など限られていた。

 果てはAIイラストまで登場して他人を介さずとも自分で望む絵が描けるようになってしまった。しかも専門的な技術すら不要だ。


 私には前述したとおり表現したい絵がある。そんなちっぽけな夢をいつまでも捨てられず、忘れたふりをしていてもいつの間にか頭の片隅に戻ってくる。昔の自分にとっては夢物語だったことが少しずつ現実味を帯びていくたびに記憶の屑山から拾い上げてしまうのだ。屑鉄の中に放り込んだつもりで大切にしまい込んでいたのかもしれない。

 とはいえ。私はその表現したい絵を誰かに頼もうとは考えていない。やはり自分の手で描きたいのだ。同様にAIに頼るつもりもない。AI絵は自分で描いたという実感が沸かないからだ。脳内のイメージを転写できるサービスでも出来たら一考の余地はあるやもしれぬが。今のAIイラストは自分で作ったとは到底言えない。つまらないのだ。私はその絵をのではなく


 私の創作スタイルは「自分の求める作品が無いから自分で作る」だ。文章でも絵でも、例えば音楽だって料理だってそうだ。それを生み出せる環境があるなら自分で作りたい、表現したいと考えるようになった。

 とはいえ、だ。

 描きたいシチュエーションを文字に起こせば誰かの目に留まって奇特な方がイラストにしてくれるかもしれない。何も自分がその表現の第一人者になる必要はない。むしろお手本があった方が描きやすいのも事実だ。

 しかしここに記載することは憚られる。書けない、書きたくないのだ。


 なぜならそれはいやらしい(当世のネットスラング風に言えば叡智な)絵だから。


 待って。

 話を聞いて。

 そっ閉じしないで。


 そりゃあ男子中学生の妄想なんて叡智なシチュエーションに決まってるじゃないですか。で、でも、そんな本当にここに書けないようなヤバい体位とか特殊性癖とかってわけじゃないんだからねっ。いたってシンプルでノーマルな、R18どころかR15ですらないレベルのシチュですからね。よっぽどTo LOVEるとかの方が過激な内容ですよ。某メイドさんだって「えっちなのはいけないと思います」と言いつつ許してくれますよ。特殊性癖ってのは女体盛りで納豆ご飯食べたいとかそういうことですよね。食欲と性欲は切り離すべしってね。口噛み酒だってなかなかレベル高いと思ってますです、はい。口調変わっちゃったよ!

 ちなみにぢたま某先生のKiss×sis、幸宮チノ先生のドラゴンクエスト天空物語、依澄れい先生の.hack//黄昏の腕輪伝説などの影響で男女問わず双子ネタが気に入っており初めて書いた小説も双子ネタだったりするのだが本当に全然関係ない話なので割愛する。じゃあ名前出すな。


 過去に何度か検索ワードを組み合わせて探してみたが理想の絵は見つからず。なんならAIに描かせてみたりもしたが満足のいく結果とはならなかった。本当にありきたりなシチュエーションなのだが、今の技術では表現が難しいことも何となくわかっている。でも私の技術向上よりもAIの進歩の方が早いからあと数年もしたら本当に完璧に理想の絵が召喚できるのだろうとも思っている。

 もう一度書くが、本当に文字にすると「なんだ、そんなものか」と思われるようなありきたりなシチュエーションにすぎない。しかしそれは自分にとって一生かけてでも描きたい絵なのだ。


 さて、それと同様に一生をかけてでもいつか作りたい作品がある。こちらは小説に限らず漫画アニメーション映画演劇歌絵本どんな形でも構わない。それが完成したら次の日に死んでもいいと本気で思えるような、生涯を費やす価値があると自分では考えているものだ。

 実際には作り上げたところで、より良くしようとすることに残りの生涯を使うことになるだろうから、そういう意味では一生完成しない作品とも言える。何なら死後にだってそれは続いて欲しいし、誰かが意志を継いで続けてくれるならそれほど素晴らしいことはない。言うなれば二次創作ってそういうものでしょ、と自分は考えている。それどころかブラック・ジャックに至っては50年経ってAIによる新作が発表された。創作に終わりはない。


 私が死んだら作りたいものが作れたのだと思えばいい。これが創作沼にどっぷりハマった人間の末路なのだと一笑に付してもらってもいい。ただその後に、ほんの少しでいいから混沌とした泥濘の中に残された種子に気付いて欲しい。あの作家もどきが伝えたかったことは何だろうと考える誰かが居たら、それは私の作品が誰かの心に残った証左であり、私の人生に価値があったといえよう。それすなわち私の人生の勝ちなのだ。没後評価されるよりはもちろん生前評価してもらいたいものだが。

 そのためにも、故赤塚不二夫先生の弔辞を読んだタモリさんのように、私も私の作品の一部だったと胸を張って言える生き方をしたい。その生き方は自分の見たかった理想の作品となるだろうか。そうなっていればいいな。

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