限界のその先にあったもの

 とある有名なマンガに「凪」という技がある。

 その頃はまだそのマンガは存在していなかったが、当時を振り返ると、私は思う。「凪」は実在していたのだ。

 針が振り切れたあとに見えた世界、そこは恐ろしいほどに静かな世界だった。

 今も手術台では妊婦さんのお腹を閉じるための手術が続けられている、目の前には息をしていない赤ちゃん。今助けなければ、自分のせいでこの赤ちゃんは死んでしまう、そんなうるさいほどのプレッシャーが振り切れたあと、私の頭は怖いほどに落ち着いていた。まさに「凪」だった。


 恐怖、責任、プレッシャー、あらゆる感覚センサーが壊れたのだ。

 残ったのは挿管だけ。喉頭鏡で口を開け、チューブを入れる。澄んだ世界では、数分前あれほど緊張していた処置が何事もなく行われた。そしてしっかり気道に入っていることを確認し、チューブを固定する。病棟に上がってからはサーファクタントと呼ばれる肺を膨らませる薬を投与し、人工呼吸器につなぐ。終わってみるとあっという間だった。針が振り切れたあとのことはあまり覚えていない。


 恐れや緊張、重責というものは人を正しい方向へ進めてくれる。人間が生きる上で大切な感情だ。しかしこれが強すぎるあまり、人は手が震えたり、周りが見えなくなると、かえって悪い方向へ進んでしまうことがある。これらを一旦全部投げ捨てて、やるべきことに集中する。すると恐ろしいほど物事がスムーズに進むことがある、それを経験したのだった。


 あれ以来、私は「凪」という技を習得した。

 今でも時々発動する。

 先日は夜中の3時にコールがあった。ぐったりしている生後3か月の子がいるので見てほしいとのことだった。行ってみると乳児の顔色は土気色で呼吸も覚束ない。


(あの時と同じだ)


 私は思った。

 今目の前にいる子が本当に生きているかどうか、自信が持てないくらいその子から生を感じ取ることができなかった。

 これは、まずい。医師である前に、人としてまずそう感じていた。

 私の眠気は吹っ飛び、心拍数が上がり始めた。しかし目の前のお母さんを不安にさせてはいけない。私は「凪」を発動し、一つ息をついた。

「お母さん、ちょっとよくない状態です。処置をしますので、あちらでお待ちください」

 不安そうなお母さんに対し、私も不安だった。

 というのも、体内の酸素量を測るパルスオキシメーターが65%という数値を出していたからだ。特殊な疾患を持っていて低い数値になるのは見たことがある。しかしそうでない人は95%以上あるのが普通で、90%を下回ると入院して酸素を投与した方がよい。その数値が見たこともない低値を示しているのだ。しかも、ここは大きな病院ではなく集中治療室ICUもない。

 突然前触れもなくやってきたその子は間違いなく死にかけていた。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る