第16話 あ、雨が降ってきた。


なんだか最近ピリピリしている。

自覚なんて、前からしていた。

そう、ノワキ。彼女が来てから皆疲れ果て、近頃はピリピリとした空気が教室中を包んでいた。文化祭の準備も始めなきゃいけないのにこの空気とは、気が滅入る。

外は秋雨で寒いし、空気は乾燥し始めるし、手はカサカサで、唇は切れ始めるし。


「こんにちは皆様方、わたしもご一緒してよろしくて?」

「げほっ、み、ミユキ!?」

「うおっ、海淵さん」

「ど、どうぞ、よしなに」

「それでは失礼して……」


ある日の昼休み。

ミユキはあれだけ避けていた(ように見えた)教室に留まったかと思うと、お弁当の包みを抱えてナギの元へやって来た。またドーナツかと思いきや、ベーグルサンドだった。輪っかならなんでもいいのか……?

いそいそわくわくとお行儀よく座り、マリンとミナトに柔く微笑み、そして……。


「…………な、なに?」

「どちら様?」

「……え、え?なに?」

「あら失礼、転校してしばらく経つのに、お見かけしたことのない方が教室に存在していることが不思議でついつい……で、どちら様?」


ああ、冷たい。

窓なんて開いてないのに、ここだけ真冬みたいだ。

そう、ちょうど窓に打ち付ける秋雨のよう。

不思議そうに傾げた角度のまま、ノワキを凝視している。


(どこの王女様だ、ミユキは……)


土星にあるドーナツ王国の王女様である。もちろん嘘だ。

付き合いの深くなってきたナギですら意図を掴めないのだ。マリンとミナトから助けを求めるように見られても困ってしまう。教室中の視線もだんだんと集まってきているし、一刻も早くどうにかしてほしい。


「……ナギちゃん、かわりに紹介してよ……アタシ、ちょっと……」

「え、なんで?」


人見知りを発動したらしいノワキがぼそぼそもじもじとナギをどつく。


(その、すぐどつく癖、やめてくれないかなぁ……の腕だし)

「……だって、なんか、睨まれてるし……あの子、前も、睨んできたし……なんで誘ったわけでもないのにこっちから話しかけなきゃいけないの……」

(それ、自分にも当てはまるの気付いてないの?ネタなの?)


それが聞こえたのか、ミユキがわざとらしく手を叩いた。


「ああ、そうね、そうよね、この学校では新参者であるわたしから、挨拶しなければならなかったのね……そうよね、このクラスの方々とは、はじめにご挨拶を交わしたから知っているけれど、あなたは他所のクラスの人なのね」


ヨソの、を強調され、ノワキはわずかに身を固くした。

べったりと腕に絡みつかれているナギにもそれは伝わった。


「海淵 海雪と申します」


ちいさくペコリとお辞儀をし、ミユキはまた首を傾げてノワキを凝視した。

ナギたちにも凝視され、やがてノワキは泣きそうな声で絞り出した。


「……の、野分、風」

「へえ、そう」

「え?」

「ねえ、そろそろ文化祭でしょう?この学校ではどんなことをするのかしら?」

「いや、私もまだ1年だから知らないっての」

「ウチ知ってるよ!お姉ちゃんたち卒業生だったから」


転校当初、そしてこれまでの態度はどこへ隠したのか、ミユキはニコニコとミナトの話を聞いていた。マリンもそれにホッとしたのか、特に気も悪くせず接している。


「へぇ、ミユキちゃん宇宙とか好きなんだ?」

「ええ、だって面白いもの!土せ……」

「ど、土星好きな人って多いよね!フツウってかんじ~」


ノワキが発言すると一瞬の間が生まれる。というか、なぜ、遮る。

そう、この空気の読めなさが疲労の原因のひとつであるような気もする。

ナギも「遮り」のターゲットにされているので、最近じゃノワキがいる時はあまりしゃべらなくなっていたくらいだ。


「そうね、やっぱり輪っかがついてるとお得な感じがするもの、みんなきっとそう思うのよ、モンブランに栗がまるまる乗っていると、中に刻まれた栗が入っているより3倍くらいうれしいのと一緒だわ」


ノワキがなにか「トクベツ」でいたがっているのはわかっていた。

自分が「フツウ」と言われて傷ついたから、ミユキもそうだと決めつけて。

そしてあえて傷つけてやろうと、軽~く思いついてそう言ってみたのだろう。

ああ、それなのにミユキは「みんなと同じ」であることに、こんなにも嬉しそうに笑うのだ。


「あれだけたくさんの星があるのだから、ひとつくらい生き物が潜んでいるかもしれなくってよ」

「ミユキちゃんおもしれ~」

「意外とロマンチストなんだね、海淵さん」

「そうだね、ミユキってけっこ……」

「アタシもけっこうロマンチストだから空想とかするんだー!やめられないよね!」

「…………」

「…………」


ああ、最悪のタイミングだ。


「ねえ、あなた」

「……えっ、な、なに?」

「人のおはなしは最後まで聞きましょうね、お椅子に座っていられるのは偉いけれど、あなたはお手をお膝に置いておいた方がよろしいのではなくって?」

「……なっ、なにそれ……どういうこと……?」

(幼稚園児以下ってことだよ……)


ミユキはゆるりと手を組み、顎を乗せた。実に優雅な所作だ。


「それで?」

「…………え?アタシ?」

「何かとても大事なことが言いたいから、わざわざ、ひとのおはなしを遮ったのでしょう?わたしたちは大人しく聞いているので、どうぞ?」

「……えっ?」

「あなたはロマンチストで空想がやめられない、それで?続きは?」

「…………えっと、それだけ」

「な、ワケないものね?たったそれだけのためにああいうコトは、きちんとなさったひとなら、なさらないものね?」


ノワキの顔がじわじわと朱くなっていく。

ああ、自分が何をしていたのか、やっと気付いてくれただろうか。


「な、ナギちゃんあの人と仲良いんでしょ?なんとかしてよ……」

(またどつく……)

「ねえ、あなた」


ミユキの鋭い呼び声に、ノワキの肩が面白いくらいに跳ねた。

碧い海の温度が、どんどん、どんどん、冷えていく。

ゆらゆら、ざわざわ、海面が黒く波立って行くようで。

凍ってしまうんじゃないかと思う手前で、それはピタリと止まった。

ノワキを射止めてしまうかのように、真っ直ぐに、瞬きもせずに。


「思うに、あなたって、とことん主観だけで生きているのね」

「ど、ど……どういうこと?」

「ナギさんにも痛覚はあってよ、もちろん他の方々にも」

「えっと……?」

「それともあなたは、そんなに事ある毎にどかどかと負傷した方の腕を殴打しなければいられないほどに、ナギさんのことが憎いのかしら?」

「……あっ!?」


しぃん。


(さすがにちょっとやりすぎじゃ……?)

(まだまだまだまだ序の口でしてよ)


自分のアイコンタクトがミユキに、というよりミユキのアイコンタクトが自分に通じたことにナギはやや驚き、息を吐く。


「………………」

「あら、だんまりさんなの?」

「……………………」

「こんな時、あなたがナギさんに言わなければならない言葉というものがあったような気がしたのだけれど……気のせいだったのかしら?それとも世間の思い込み?」

「アタシはなんにも悪くないッッ!!」


耳を塞いで叫び出したノワキに、他所のクラスからも野次馬が集まり出す。

ミユキは黙らず、口の端をくっと持ち上げて、頭を抱えたノワキを見下ろした。


「それだけ大きい声でそんな主張ができるのだから、もちろん言わなくてはならないこともわかっているのよね?」

「知らない知らない知らない!!」

「…………そう」


ミユキは懐から(本当に懐から)二枚の紙を取り出し、ノワキに差し出した。

ほんのりと甘い、春の花の香りが漂って、それが少しだけ場を和ませる。


「空想がやめられないなら、それを活かしてみては?」

「………………え?」

「……その前に耳鼻咽喉科に掛かられた方がよろしいかもしれなくてよ」


ミユキはやや不快そうに眉を寄せた。

ノワキはそれにまたびくつきながらも、差し出されたまま動かない白い紙を受け取った。受け取らなければ一生この空気は終わらないと理解したのだろう。

そして、ミユキという人間の人柄も。


「……え?入部届?二枚も?」

「ええ、部員は少数ですもの、歓迎なさるでしょうね!」

「……あ、アタシが?」

「空想、お好きなのでしょう?」


ノワキは何かまた余計な考えを巡らせて、それをに取った。


「見て!あのカイエンサンが直々にアタシを美術部と文芸部に勧誘した!!才能を見抜かれちゃったんだよ!だってアタシそういうセンスあるもん!!」

「よ、よかったね……?」

「ウン!どうしよういきなり有名になって売れちゃったりして!絶対人気出るよ!」

(あらまあ大層な自信だこと……で、どつくのはやめないわけね)

「アタシって黙っててもそういう才能あるって見抜かれちゃうんだ~!!」

「それだけ大きな声が出るならナギさんに一言なにかどうぞ?」

「…………」

(言わんのかい!!)


ノワキはナギのペンを勝手に使い、いそいそと入部届にサインをしていた。

満更でもなさそうに渡されたそれを一瞥したミユキは、懐からまた2枚、取り出した。取り出して……それを今度は、マリンとミナトに差し出した。

心なしか、さっきよりが使われている気がする。


「え?」

その場にいた全員が声を上げた。ノワキやギャラリー含め。


「よかったら、いらしてみてくださる?お茶もお出しするわ」

「えー……あれ?ミユキ、これ、部室の場所が……」

「場所……?」


ノワキは怪訝そうにちらちらとミユキを見やる。

入部届を奪い返す勇気が出なかったようで、マリンとミナトのものを覗き込んでいる。が、よく読んでいなかったのか、違いがわからなかったようだ。

顔を見合わせて、それでもサインしてミユキに。

ミユキはそれを大事そうに懐にしまい込み、逆にノワキの分を突き返した。


「ありがとう、おふたりの分はわたしから船橋先生に渡しておきます……あなたはコレ、自分で第二美術室まで持って行ってね、わたし、第二美術室には出禁をくらっているから」

「出禁!?」

「え、あの、どういう……?」


ミユキはノワキを視界から外し、持参したお茶をのほほんと飲みだした。

話は終わりよ、とでも言いたげに。


「第二美術室側は文芸部の猪狩先生が兼任していらっしゃるからきっとお喜びになるわ!生憎、旧校舎の方は船橋先生がいらっしゃるから実質、別の部活動なのよね」

「え、待って、ふたりは……?」

「船橋先生はおおらかだから、最悪幽霊部員でもお喜びになるわ!あ、あなた、猪狩先生は厳しいから、おサボりだけは気をつけてね?美術部は火曜と木曜、文芸部は月、水、金曜日に活動がありますからね」

「…………だ、だましたの……?」

「何が?空想、お好きなのでしょう?やめられないのでしょう?部員の皆さんもそうだから、きっと仲良くなれるのだわ!よかったわね!」







今日は用事があるとのことで、マリンとミナトは帰って行った。

明日は遊びに(本当にそう言った)来るとのことで、ミユキは人数ぶんの席や茶器をいそいそと用意している。


「ところでミユキ」

「なぁに?」

「……よかったの?」

「なんのことかしら?」

「私達を助けるために、わざと入部させたでしょ?ミユキ、本当はここに、誰も入ってきてほしくなかったんじゃないかって思って」


ひみつ基地だったはずなのに。

海やチーズケーキ、星や猫や音楽だけが、絵から抜け出して、ミユキから抜け出して、この部屋を満たしてもいいはずだったのに。


「私が、壊しちゃった……」

「ナギさんはお忘れかしら?」

「何を?」

「ここは学校の敷地よ、わたしのおうちじゃないのだわ」


今度はちくちくとクッション(と、クッションカバー)をこさえているらしいミユキが、どこか楽しそうに笑った。


「ほんとうは少し、あこがれていたのかもしれないのよ」

「何に?」

「向こうみたいに、ひとりでやるのではない部活動とか……こうして、色違いや模様違いのものを部室に置いてみるとか」


ああ、そっか。

ミユキ、やっぱり、さみしかったんだ。


じゃあ……。


「じゃあなんで私は勧誘してくれなかったの!?」

「ふふっ」

「なんで笑うのさ!?」


ナギは少しだけ疎外感を感じてしまっていたのだ。

ミユキと一番仲良くなったのは自分だった気がしていたから。

寂しいし、不満だし、なんだかがっかりだし。


ミユキは懐ではなく手帳の間から花が箔押しされたを取り出し、丁寧に畳んだあと、金の飾りがついた封筒に入れてナギに手渡した。

やっぱり、春の香りがする。甘い甘い、紫色の。封筒の隅に小さく貼られたシールみたいな。ああ、ハンドクリームだろうか。そういえばここも幾分か乾燥している。


「だって、ナギさん用はとくべつだから、ふたりの方が疎外感を感じてしまうわ」

「……そうならそうと、最初に言ってよ……」

「もちろん、いつかはかけもちになったって構わなくってよ」

「……ミユキは本当に、空気の読める人だよね」

「うふふ」


ミユキは本当に本当に、嬉しそうに笑った。


「ところで、私達も文化祭用に何か描かないとだめ?」

「場所があるかしら……そうね、展示したいものがあったら、何か片付けておくわ」

「いいえ!私達は見る専門でも大丈夫です!!」


(やっぱりミユキは、助けてくれたんだと思う……やり方はどうあれ)


「ねえ、文化祭というお祭りが終わった後のって何を打ち上げるのかしら?やったことがないのよ、わたし……もしかして、花火?いいの?ここで?」

「ミユキ結構浮かれてるね!?」

「何発くらいならいけるかしら……」

「花火は打ち上げません!!」


ああ、よかった。

ほんの少しの落胆に似た不安を抱えながらも、ナギは少しだけ、ミユキとの目に見えるつながりに安堵していた。


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