第10話 ナギはミユキがわからない



「海淵さん、どう?」


この学校の生徒なら、一度とならずミユキを見に来る。

なにも、奇行だけが原因じゃない。


海の近くにある森の中に建てられた田舎の学校。

誰だって、ソトからやって来た青い目のお嬢さまが気になるのだ。


それでもナギは、誰に何を訊かれても、答えようがなかった。

だって、ミユキについてほとんど何も知らないから。


おそらく、土星が好き。

おそらく、ドーナツが好き。

おそらく、紅茶が好き。

おそらく、海が好き。

おそらく、花が好き。

おそらく、星が好き。

そして聞くまでもなく、絵を描くのが好き。


ミユキ本人が何も言わない以上、察する他はない。

でもナギは思うのだ。

きっと、ミユキは教えてもいないことを他人に言いふらされるのは嫌い。

だから答えようがないのだ。


「そんなに気になるなら、自分で話しかけたら?」

「それは、ちょっと……ねぇ」


冬の空のように、青く凍った目のお嬢さま。

なんでも見透かしているように透き通った冷たい目。

氷の矢のようなで射抜かれるのは居た堪れない、ということだろう。

闇夜のように光と反発するような、癖のない黒い髪の毛も原因か。

いや、堂々奇行に走っておきながらニコリともしない表情筋のせいか。


ミユキは一緒にいてもいなくても、いつだってずっとずっと遠くを見ているようで。


「じゃ、うちらまだ委員会あるからまたね!」


遠ざかる健康的な背中を見送り、ため息をつく。


「私、もしかしてミユキに似てきたのかな……」


なんだか、この地球上の誰も、ミユキの目には映らない気がする。


彼女は地球、いや、宇宙にたったのひとりきりで漂う船のようだ。

同胞も同族もいない、たったひとりの、とても個人的な生物として。


そんなことを考えながら、ナギはサンドイッチのひとかけらを飲み込んだ。









「ごめんなさいね、絵の具だらけなばかりに昼食をよそでさせてしまって」

「いいよ、気分転換になったし」


秋のコンテストに出すらしい大きな絵を、ミユキは描いていた。

昼食は食べたのだろうか、いまもキャンバスに向かっている。

ナギに話しかけている間も、体はずっとキャンバスに向かっていた。


(まあ、集中してるみたいだしこっちも好きなように過ごそうかな……)


「わたしはね、時たま思うことがあるのよ」

「……いつもなにかしら思ってるんじゃなくて?」

「その中でも繰り返し、繰り返し、思うことがあるのよ」


それは果たして「時たま」に該当するのだろうか。

続きを促すためにあいまいな返事をする。


「腕が少なくとも3本は必要だわ、って」

「……私の腕はあげられないよ?」

「それは千も億も承知よ」


そろ~っと振り返ったミユキは、絵の具だらけでやたら青白い顔をしていた。


「ただね、ただ…………腕があといっぽんあったら、描きながらごはんが食べられるのに、っていつも思うのよ」


ナギは思わず吹き出して、すっかりハマってしまったらしいのままに笑い転げた。不服そうに頬を膨らますミユキを尻目に、それはもうけらけらと。


「どうだろうね、ミユキはあと4本腕があっても絵を描きそうだけど……」

「あら、心外……わたしだってさすがに、食べなければ死んでしまうことくらい知っているのよ」

「ほんとかなぁ」

「腕がさらにもういっぽんあったら、お茶も飲めるわね……」


ナギの目の前の絵の具だらけの青白人間は、おなかをわずかに鳴らした。

ナギはまたくすくす笑いながら、ミユキの方へ歩み寄る。


「貸すのはいいよ、お弁当どこ?」


きっと、「食べさせてくれ」という催促やおねだりではなかった。

本当に本当に、腕がほしかったのだろう。

でも、面白かったので、鳥に餌を食べさせるように、ドーナツをちぎってはミユキの口に放り込んでいった。


わからないやつ。

わからないやつだけど、わからないのが嫌ではない。

わからないやつ。

わからなくって、おもしろいやつ。


きっと、わからないままでいいのだ。

ぜんぶわかってしまえば、あとはからっぽになるだけだから。

わからないままでいられるのなら、きっとその方が、ずっと、いい。


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