第8話 月は、チーズケーキのはずでしょう?



「やべぇ、そろそろ海淵さんの奇行がほしくなってきた」

「それマジでなんなの?」

「自分たちでもわからないから困ってるんだよ」


ナギの友人、マリンにミナト。

ナギと同じくであるが、やはりふつう同士でもわかりあえないことは数多く存在している。ミユキの奇行(?)に対する反応もそのひとつであった。


放課後だけ美術室に入り浸るようになったナギを見て、友人たちはたびたびこうしてミユキの奇行(?)話を求めてくる。

今でこうなら明日からの夏休みはどうなることやら。


おそらく自分は、いつからかという範疇から逸脱した。

そう思ってしまったナギはいつもそっと言葉を濁すのだ。


「……そうだ、たぶん最初のはみんなに馴染もうとしてたんだよ」

「……あれで?」

「ミユキ、だいぶお嬢様だから」


使用人が何人も家にいるくらいだ。

馴染もうとして空回ることもあるだろう。

そう友人たちに言い聞かせ、今日もまた美術室へ向かうナギだった。







「ミユキはさ、変なヤツって言われてイヤじゃないの?」


いつもの放課後。

しかしもう夏休みに入ったも同然だというのに、ミユキはやっぱり美術室で絵を描いていた。同じようにここへ来るナギもナギなのだが。


暑さなど感じさせない涼しい顔で、ミユキは窓の外へ視線を遣った。


「正直、とても傷ついているわ……みんなはそんなにきっかりの範疇に入っているのかしら、誰だって少しくらいはみ出すこともあるでしょうに」

「……そうだね、正直最近は私も自分のことふつうだって思えなくなったし」

「いつからなの?ある時急に?それともじっくりコトコト?」


シチューか。


「ミユキはふつうでいようとか、ふつうみたいになろうって、思わなかった?」


ああ、ミユキ。なんてつまらなそうな目をするのだ。

真夏のこの空の下で、極寒の氷塊のような目をする必要がどこにある。


「ある時、無性にチーズケーキが食べたかったのよね」

「ち、チーズケーキ?あー、うん……」

「でもみんなはラーメンを食べに行こうって言うのね」

「うん」

「そんな時、わざわざチーズケーキを我慢してラーメンを食べるのはバカのすることだなって、かといってチーズケーキを食べに行こうってみんなを説得するのも人生を無駄にしてるなって思ったのよ、別行動するのが一番平和に終わるわ」

「それはそうだけど……」


みんな世間・ふつうというのは「チーズケーキ信者だ!容赦するな!やれ!」となる時もあるのであって。スイミーは許されないのであって。


ふつうじゃない歴はナギの方が明らかに短いので、あまりよく理解できないけど。


「……ひょっとして…………お腹空いてる?」

「…………今日、ほんとうはここへ来ることなく帰るつもりだったから」

「つまり?」

「おなかと背中がくっつきそう」

「どうせだし、このまま何か食べて帰ろう」

「そうね……」

「チーズケーキでもいいよ」


ミユキはパッと顔を輝かせ、とても急いで絵の道具を片付けた。


……が。


「あ、あの、絵に描いたものを取り出せるのって……あなた?」


ふつうでないミユキにとって、チーズケーキは月より遠いものなのかもしれない。


「……それは」

「あ、チーズケーキです……失敗作だけど」


前言撤回しよう。チーズケーキは少なくともここにある。

チーズケーキの使者がわざわざ持ってきてくだすったのだ。

ミユキは謎の小躍りをして、カトラリーを用意した。


「えっと、おじいちゃんのチーズケーキをもう一度食べたくて……描いてほしくて……もう一度食べることができれば、再現できるはずなんです……!」

「絵は食べられなくてよ」


食べられないチーズケーキより目の前のチーズケーキだ。

さて、今回は何回チーズケーキと言うことになるだろうか。

チーズケーキ、チーズケーキ、チーズケーキ……。


「取り出したものも食べられないの?」

「出たものを食べようと思ったことがないのよ」

「…………」


ナギはふと思い至り、ミユキが今まさに食べようとしていたチーズケーキの皿を取り上げた。ミユキはものすごく(とても)悲しそうにナギを見た。


「な、なぜ……?あなた、これは食べてはいけなかった?」

「いえ、食べてくれるのならぜんぶだってあげます」

「ですって」

「ミユキ、食べたら満足しちゃうでしょ」


キャンバスの立てかけられたイーゼルから少し離れた机にそれを置く。

ミユキは一連のやりとりを少し恨めしそうに見た後、しぶしぶと筆を手にした。


「食べられないチーズケーキだなんて、まったくときめけないわ」

「ど、どうすればいいですか?」

「おじいさんのチーズケーキってどんなだった?」

「えっと、おじいちゃんのチーズケーキは……見た目はふつうのみたいに丸くて、茶色と黄色で……甘いけど胃にもたれるような甘さじゃなくて……」


まるで記憶を目で見ているかのように、迷いなく筆は進んでいく。

キャンバスの中で生地をまぜるように色が混ざり、焼きあがっていった。


「絶対に抜け出たチーズケーキの絵にかじりついてやるわ」


ナギは、久しぶりにミユキから鳴る音を聞いた。


昏く、洞窟の底に響くようでいてきらめきを含んだ音色。

反響とチーズケーキの膨らむ音は少し似ているのだと思った。


やがてミユキは光をまとい、それは絵の中に力を与えた。


「出たよ!」

「それじゃあ、せーのでかじってみましょうか」

「切り分けなくていいの?」

「わたしのおなかの音を聞いてもそんなことが言えるかしら」


宙を浮遊するチーズケーキをがっしりと捕まえ、歯をカチカチと鳴らす。

チーズケーキに威嚇しているわけではなく、これは素振りだった。


「いくわよ!」

「せー、の!」


甘く、柔く、とろける味。

ふわふわ、とろとろ、じゅわじゅわ。

黄色くて茶色で黄金色で。

チーズのようでもあり、たまごのようでもあり、バニラアイスのようでもある。


そう、これは、カスタードだ!


「あの、もし再現出来たらまた持ってきていい……?」

「もちろんだわ」

「上手く、できるといいですね」

「今度はきっとうまくいくと思うわ!ふたりとも、本当にありがとう!」


ナギは少し居心地が悪く思った。


「私、何もしてないんだけどな」

「あら、心外」

「座って見てただけだし」

「ナギさんがチーズケーキを取り上げてくださらなかったら、今頃おうちでお昼寝しているはずなのだわ」


まあ、あんなにおいしいチーズケーキが食べられたのだから。

いまはなにもかも、よしとするべきなのである。


「ところで、ミユキはチーズケーキが好きなの?」

「うーん……そうね、ふつうくらい好きだわ」

「それであんな情熱を!?」

「チーズケーキは月の味だからふつうくらい好きで、ドーナツは土星の味だからもっと好きというだけよ」


ナギは思った。


(やっぱり多少無理してでも……チーズケーキは諦めてでもふつうでありたい……)



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