第3話 で、海に行こうって思ったわけ
「海淵さん、どう?」
「どうって?」
「ナギ、となりの席じゃん?初日やばかったじゃん?」
「いまもやばいけど……?」
「みんな麻痺してるからあれくらいの奇行じゃ満足できなくなったんだよ」
「奇行って娯楽なの……?」
今でも充分(中学までならいじめられていただろうと思うくらい)だが。
あれくらいの奇行、とは言うものの。
ミユキが授業中も教室の後ろで堂々イーゼルに乗せたキャンバスに絵を描いているのは、最早このクラスでの日常と化していた。
授業は聞いてるし、理解もしているし、何より一番の懸念事項である周囲の生徒の授業妨害も、こうして日常の風景になってしまったわけで。
それに、昼休みにこうして教室でごはんを食べる人もいるから、とどこかへ持って行っているくらいだ。雀の涙くらいの常識はあるのだろう。使わないだけで。
「海淵さんのご先祖様ってめっちゃ有名な画家らしいよ」
「へー、私は絵に興味ないから知らないけど」
「いや、絶対知ってるよ」
「え?なんで?」
ナギの友人は机を漁り、美術の教科書を取り出した。
そしてパラパラと捲り、ナギに突き出す。
「ほら、この人」
「マジで!?」
絵に興味のないナギですら知っている画家だった。
「そりゃあ、あんな変人でも許されるわけだよね」
「あ、でも絵を描いてる時のミユキって」
「なになに?」
「キラキラしてる」
◆
「…………」
「………………」
「……ねえ、なんか怒ってる?」
「怒ってなくてよ」
いつものように放課後、美術室で。
ナギは首を傾げていた。
なんだか今日のミユキはきらきらしていない。
それどころか、美術室に来て早々片付けを始めてしまった。
「え、帰るの?」
「……いいえ」
振り返ったミユキには、脚立でも担いでいるかのような貫禄があった。
「ただ、すぐそこの海へ行こうかと思った次第よ!!」
◆
浜辺にレジャーシートを敷き、あれこれと絵を描く準備をしている。
ナギはしばらくそれを眺めていたが、中々描き始めないミユキにしびれを切らした。
「ねえ、やっぱ怒ってる?」
「よくお聞きなさい」
「えっ、怒ってんの?」
「”出る”法則がわかったかもしれなくてよ」
ミユキはいつもの雪のように真っ白い顔を僅かに紅く染めていた。
「へえ、なに?」
ミユキは踊るようなステップであちこち忙しなくうろついている。
ぐるぐると回るたびに、美術室で聞こえたような音が流れ始めた。
ああ。
きらきら、くるくる、きらきら。
「どきどきが口からまろび出そうな時があるでしょう?」
「ないけど」
「わたしはあるのよ」
「それで?」
「それがぱちんとはじけた瞬間、わたしは絵で溺れているのよ」
ナギはなんとなく理解した。
「そんな時わたしはいつも、手や指や腕で描いているのでなく、むきだしの魂そのもので描いているような感覚すらしているわ」
キッチンマットの白いネコのように。
ミユキの目の色によく似た海のように。
まぼろしのように鳴り響く音楽のように。
「……怒ってないんだね」
「心外ね、くどくてよ」
「じゃあ、照れてるの?」
「!?」
とん、とん、くるくる。
すこしはやいワルツのようなリズム。
転がる毛糸玉のように忙しないメロディ。
「……ナギさん、あなたもなかなかただものじゃないわね」
「照れてるんだ?」
「くどくてよ!」
「私がキラキラしてるって言ったの聞こえた?」
「心、外、よ!」
ナギから、自然と笑いがこぼれた。
(ああ、ミユキはそう思ったんだ)
ナギは単純に、物理的な意味で輝いてるからそう言ったのだが、ミユキはそう取らなかったらしい。はたまた、自分自身を見ることが叶わないからか。
「そうだね、絵を描いてる時のミユキは嫌いじゃないよ」
「まあ、心外」
まあ、まだまだ放課後以外一緒にいようとは思わないのだけど。
その日、ミユキは海の絵に3度溺れ、魚群の絵に2度体当たりされていた。
どこにもない特別な海のようなきらめきが、ずっとミユキを包んでいる。
「海、好きなんだ?最初の時も海だったよね」
「わたしね、ヒトにも帰巣本能があると思うのよ」
「それが海だって?」
「誰にもわからないけれど、わたしにとって海は特別なのよ」
だからこうして、たまに無性に訪れたくなるらしい。
ああ、物理的な光がミユキから漏れ出している。
止まらないメロディが心地よく、ナギは少しだけ眠くなった。
(まあ、音楽が聞こえるのは心象的なものだろうけど)
それをミユキが知る由はないかもしれない。
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