第2話 ナギってふつうのやつ
「いままでなかったなら、この場所が問題なのかな?この学校、心霊現象が多いとかなんとか聞いたことがあるような、ないような……元々は鎮守の森だったらしいよ」
「でも、他の方々はこういったことはなきご様子で」
「じゃあやっぱヘンなのはあんただよ」
「まあ、心外」
よよよ、とウソ泣きをするミユキを肘でどつく。
ミユキは再び「心外」と口にし、どこまでも深い海のような、どこか冷たさのある瞳で呟いた。はるか遠くを見ているような目だ。
「そういえば、ご先祖様の手記に似たような事象が」
「絶対それじゃんそれに決まってんじゃん、心外じゃねえよ心内でしかねえよ」
「心内……心療内科の略称みたいね」
「で、ご先祖様はどうしてたって?」
「さあ……なにせご先祖様は”絵の中に入り込む”といった事象でしたので……」
ナギはため息をついた。
この謎の転校生・ミユキと話していると、とても疲れる。
他愛のない話は嫌いじゃないが、これはワケが違う。
「画家をやめた瞬間から、身の回りにおかしなことが起こり始めたとかなんとか」
「へぇ、ご先祖様画家だったんだ、なんて人?」
「えっ」
「なによその反応は」
「いえ、ナギさんは絵なんか色のついた燃えるゴミ程度にしか思っていらっしゃらないのかと……つい驚きまして」
確かにナギは漫画も読まないし、絵画なんてもってのほかだった。
さすがに色のついた燃えるゴミは言い過ぎだったが、当たらずともなんとか、だ。
「間違ってはいないでしょう?」
「そうだけど……あんた超能力もあるの?」
「まさか!人の顔色を窺うヤツなのですよ、わたしは」
「自分で言うかな……」
今日は”出ても”大丈夫なように、お菓子の絵を描いている。
本人が言うには「出たり出なかったり」だそう。
「ナギさんのご趣味は?」
「ん、趣味?音楽聞いたり買い物行ったり……とか?」
「まあ、フツウ!歌ったり奏でたりするのですか?」
「はいはい、フツウらしく聞くだけですよ」
「音楽を作ったりしない?」
「あのねぇ、音楽って言ったって聞く人がいなきゃ成立しないでしょ、聞かれない音楽はただの音!絵だって見る人がいなきゃ……」
色のついた燃えるゴミ、と言いそうになり、背筋が凍る。
「……やっぱり、あんたってヘンなヤツ」
「あら心外、それではナギさんはフツウのヤツということになりますね」
「いいじゃん」
「めでたしめでたし」
「今日はなんも出ないみたいだし、帰……」
ナギが席を立とうとした瞬間、それを見越したように誰かが美術室に駆け込んでくる。手に、大切そうに何かを抱えている。フツウの勘を持つナギですらピンと来た。
「あの~、絵に描いたものを出せる子がいるって美術部の子に聞いて……」
「まあ、握手でもいたしましょうか」
「え?」
「ファンじゃないっての、どう見ても」
◆
「中略」
「それ口で言うことじゃないし……つまり、飼い猫にもう一度だけ触れたい、と」
「無理は承知でお願いします……これ、ミルクの写真」
「まあ、まあ、まあ、まあ!」
「なに急に」
ミユキはいつになく大きな声を上げ、勢いよく席を立った。
あれだけ冷たく何も映していなかった青い瞳が、いまは浅瀬かアクアマリンか、というくらいに輝きを放っている。先日の幻想の海のようだ。どこから光が射しこんでいるのかと聞きたくなるほどにきらきら、らんらん、こうこうと輝いている。
「キッチンマットのネコちゃんそっくりだわ!」
「え、キッチンマット?」
「あー……、らしいです」
ミユキはもう周りの声など耳に入っていないかのように絵を描き始めている。
(あ、どこかで音楽が鳴ってる)
遠くて、近くて、存在の所在を掴めない場所から。
楽し気で、猫の足音のように飛び跳ねるリズムで。
ミユキが絵筆を振るうのと、まったく同じように。
(ああ、ミユキから鳴ってるんだ)
ミユキの周りだけ、やけに光が射しているような気がした。
音が絵の具を塗られて形を持ったかのように、それはカラフルに光り、そしてミユキ本人から発せられている気がした。
頼み事をしに来た女子生徒もナギも、ミユキが絵を描いてる間は一言も発さなかった。それは、凪いだ海面を乱すことのように無粋に思えたから。
ミユキの発する輝きがやがてキャンバスにいくらか注ぎ込まれ、キャンバスから白い猫が飛び出してきた。
「ミルク!!」
「ミユキ、いまの出そうと思って出せた?」
「いえ、ただネコチャンへの愛が昂ってこの有様で」
さっきのあれはミユキの言う”愛”だったのだろうか。
「まあ、喜んでもらえてよかったよね?」
「それはこの上なく身に余る光栄なのだわ」
ミユキは、本当に嬉しそうに笑っていた。
冷たい瞳など、どこにもなかったかのようにあたたかい目で。
「やっぱミユキってヘンなヤツ……」
「あら、お嫌い?」
「好きではないね」
「まあ、心外」
日の暮れとほぼ同時に、ミルクは薄まり、消えていった。
「ありがとう……私、ミルクにお別れを言えなかったの」
女子生徒は何度も礼を述べ、やがて名残惜しそうに帰って行った。
先程消えていったミルクにそっくりだった。
「でも、悪いヤツだとは思ってないよ」
「くるしゅうない」
ほんとに謎だけど。
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