第2話

「眠かったら……寝ていてもかまいませんよ」

「あなたの運転は危なっかしいので、寝ているうちに永遠の眠りについてしまうかもしれませんから」


 なんで助手席に乗るなんて言い出したのかと思えば、「危険」があればすぐに伝えるためらしい。


「大丈夫ですよ。運転には慣れているんで。親父が運転していると思ってくれてかまいませんよ」

「いいえ。あなたはきっと『しでかす』と思いますから。たとえば、ウインカーを出さずにウインクをして対向車の運転手から訴えられたり、度胸試しに倶利伽羅峠くりからとうげを攻めたりするかもしれませんし」


 なんで、倶利伽羅峠に絞られるんだよ。


「お嬢様は、源氏と平氏のどっちが好きです?」

「なんですの、急に子どもみたいな質問をして。あっ、子どもに運転はできませんわよね。警察に通報しますわね。運転免許証は段ボールで作りましたの?」


「ぼく、五教科より副教科の方が成績がよかったんですよね」

「会話が一方通行になってますわね……って、だれがうまいこと言えと?」


「セルフツッコミにツッコむのはともかく、まともに取り合っていると喧嘩になりそうなので」

「あなたがハンドルを握っているぶん、わたくしが有利ですわね。ご存じの通り、わたくし、空手有段者ですわよ?」


「えっ? お嬢様の生殺与奪せいさつよだつは、ぼくの運転にかかってるんですけど?」

「わたくしになにか致しましたら、あなたの家族を権力で握りつぶせますけれど?」


「あっ、あれって廃墟ですかね? おっと、急にガソリンが……うっ、あの廃墟に吸い寄せられそう」

「あら? わたくしは幽霊なんて怖くありませんわよ? ほんとうに、怖くなんてないんですからね?」


 ――と、漫才みたいなペースで会話が続いていく。


 親父からは、お嬢様は物静かで車内での会話が嫌いだと聞いていたのだが、ものすごく饒舌だし、毒舌なんだけれど。


『お嬢様の運転手は、きみに頼みたいと、ご主人様から直々に申しつけられた』

 と、執事長が言っていたけれど、一体、どういうつもりなのだろう。


「あっちに幽霊トンネルがあるのを知ってまして?」

「それは、存じ上げませんが」


「急に執事口調にならないでくださいまし」

「知らないけど」


「敬語は使いなさい」

「知らないですわ」


「……もういい。寝ますわ。永遠の眠りになったとしても、わたくしは天国へ、あなたはインヘルノの業火に焼かれ、喘ぎ苦しむでしょうから。舌を抜かれ、血の池で溺れ……それが嫌なら、わたくしのことを第一に考え、功徳を積み、己が罪を懺悔し、慎ましやかに生きることですわね。それでは、おやすみなさい」


 ようやく寝てくれるらしい。


「おやすみなさいませ、お嬢様。良い夢を」

「あなたに言われると、悪夢を見そうですわね……おやすみ」


 目をつむり、どんどん眠りに落ちていく様子のお嬢様。


「お疲れでしょう。行きたくもないところに、毎日通われて……」


 海沿いの一直線の道を走っていく。静かにゆらめいている海面が、夕陽を受けてきらきらと輝いている。このまま夜になれば、ひとつの星となって宇宙へ飛び立つのかもしれない。


「ごめんなさい……」

「えっ?」

「んん……ん……」


 寝言か。ほんとうに悪夢を見ているのだろうか。


「謝らなくていいんですよ。ぼくは、お嬢様のことを嫌いになりませんから」

 と、眠っているお嬢様へと呟く。


「べつに、あなたに謝っているわけではないんですのよ?」

「あっ、起きたんですの?」


「止めなさい。ちますわよ」

「申し訳ございません。寝たふりなのは、なんとなく分かってるんで」


「なっ……なにを言ってますの? だれが、面と向かって言えないから、寝たふりをして口汚く罵ったことを謝罪しているんですって? えっ? 言ってみなさい?」

「あっ、カマに引っかかりましたね」


「ななっ……ああもう! あなたなんて首! 打ち首! 市中引き回し! 欲の熊鷹股くまたかまたを裂く! 天網恢々疎てんもうかいかいそにして漏らす! 座標平面上で最も遠くに飛ぶ角度で斜方投射されればいいのに! ヘンタイ! ヘンタイ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る