第37話 雄国の姫のお転婆劇
「やっぱり予想通りか」
アストールはそう呟いて王家の秘宝の保管場所に、ドレス姿のまま細剣片手に歩み寄っていた。保管部屋の入口には、彼女(かれ)の予想通りの人物が立っていた。
小柄な騎士の格好を装い、もはや顔を隠すこともせずに、堂々とその場を取り仕切る一人の少女だ。
騎士達や兵士たちはその少女の言葉に従わないわけにもいかず、その場でその少女の言うことを聞いていた。
そう、その場を取り仕切る者こそ、アストールが目星を付けていた人物だ。
この国の姫であり、何よりも宝と崇められているノーラ・ヴェルムンティアである。
アストールは細剣を片手に、その場に駆け寄っていた。
その場にはそぐわない格好をした女性が、事件現場に現れたことに一同が好奇の目で彼女(かれ)を見つめていた。
アストールはそれを気に留めることもなく、甲冑に身を包んでいるノーラの元まで歩み寄っていた。その堂々とした態度と、ドレスを身に纏った神々しさが一同を黙らせる。
「あらあら、これはノーラ姫、賊退治とは精がでますね」
嫌味ったらしく言っても、美しい声と容姿がそれを充分に覆い隠す。周囲はノーラに近づいたアストールを止めることもせず、その場で成り行きを見守り始めていた。
「ほほう。お前はたしか、噂の近衛騎士代行だったな」
「ええ、いかにも、そうです」
アストールはノーラを前に、スカートの両端を持って軽くおじぎして見せる。由緒正しき貴族の娘と言うに相応しい態度だ。
しかし、その右手には、しっかりと細剣が握られていて、美しさと異質さが混同した奇妙な光景を生み出していた。
「エスティナ・アストールです。“お話”はよく、兄上から聞いていましたわ」
アストールは鋭い瞳で、ノーラを見据える。特に“お話”と強調したことに、ノーラも思い当たる節があるのか、彼女(かれ)を睨み返していた。
その顔には、一国の姫が取っていいものではない嫌悪感が滲み出ている。甲冑を着ていることによって、どうにか違和感はないものの、周囲は困惑した表情を見せていた。
あの噂のジャジャ馬騎士娘とお転婆武人姫が、目の前でいきなり火花を散らし始めたのだ。周囲が困惑しないわけがない。
だからといって、この場を収められるほどの器量を持った者もいなかった。
「ほほう。もしかして、あのことを聞いていたのか」
ノーラは不敵な笑みを浮かべて、アストールを見据える。
「え? なんのことかしら? 私はただ、“相変わらず”賊狩りに精が出ますことと、言ったまでですけど?」
白々しく答えるアストール。だが、彼女(かれ)の言葉が全てを物語っていた。
周囲にはわからないものの、ノーラは完璧に確信した。エスティナは自分が賊を引き入れた犯人だと知っている。
「ほほう。どうやら、お前の兄上は、妹に何もかも話しているようだな」
ノーラはそういうなり、腰の剣を抜いていた。その行動に、近衛騎士と兵士一同は唖然となる。王家の人間が仕える近衛騎士に剣を向ける。それがどれだけ異様なことか。
例え、不忠義者であっても、その行動だけは許されない。
近衛騎士と兵士たちの中から、一人の近衛騎士が慌ててノーラの前まで駆け寄っていた。
「お、お待ちください! ノーラ姫! ここでエスティナ殿に剣を向けることはなりません! どうか、すぐに剣を収めください!」
焦りの色を見せた近衛騎士に、ノーラは笑みを崩さないまま答える。
「それがどうした。ここは王城。王家が自分の根城で何をしようと、構わないではないか」
そう言われて、近衛騎士は何も言い返すことができない。
たとえ、王家とはいえ、最低限の礼節はわきまえなければならない。ましてや、今日近衛騎士代行の任命式を終えたばかりの者に、いきなり剣を突きつけるなど、それは王家の顔に泥を塗る行為だ。
だからと言って、近衛騎士はノーラを止められない。彼にとっては王家に逆らうことこそが、不忠義であると思い込んでいるのだ。
ただ、妄信することのみが、忠義でないことをこの近衛騎士はわかっていない。
とはいえ、ノーラもこれが王家のすべきことでないことは、分かっている。だが、どうしても引けない理由が目の前にあったのだ。
そう、目の前にいるアストールは、自分が賊を引き入れたことを知っている。
彼女(かれ)の口を黙らせるには、やはり力で相手を征して、屈服させること。そう考えているノーラを前に、近衛騎士はそれでも引き下がろうとはしない。
「そこをどかぬか!」
一喝を入れられるも、黙って近衛騎士はノーラの前からどこうとはしない。
一連のやりとりを見て、アストールは呆れ返っていた。
一国の姫がこのような態度をとっているにもかかわらず、実力を行使してでも止めようとしない。本来ならば剣を持つ腕をつかんで、無理やりにでも剣を奪い取って、ノーラを怒鳴りつけなければならない。
それこそが王家に対する忠義の証である。
王族であっても、主人の間違いを正すことは、近衛の務めの一つでもあるのだ。
(全く、こんな腑抜けばかりだから、ノーラがこんなになっちまうんだよ)
大きく溜息をついたアストールは、近衛騎士に言葉をかける。
「王家の間違いを正すのは、近衛の不忠義にあらず。あなた、その言葉を知らないの?」
近衛騎士はアストールからかけられた言葉に振り返る。そこでまた、彼は目を疑った。
そこにはドレス姿のまま、美しい女性ことアストールが細剣を抜刀していたのだ。
「な、エスティナ殿!! すぐに剣をおさめよ! 王家のしかも、姫に向けて剣を向けることなど! 一体何を考えておられる!? このことこそ、不忠義ではないか!」
彼はアストールに向かって怒鳴りつける。だが、今のアストールには、その言葉は心には響かなかった。それどころか、アストールは急に笑い出す。
「ああ、そう。主人の間違いを正せもしない人間が、そんなこと言うの。ああ。可笑しいわ。おかしすぎて、お腹がいたいわ」
アストールはそう言いつつも、目だけは笑っていなかった。それどころか、近衛騎士に向けた目は、怒りと憎しみが込められていた。
なぜ、そのような目をしているのか、訳も分からず近衛騎士は知らずの内に一歩下がっていた。威圧された時の目に、少なからず恐れを抱いたのだ。
「ふふ。どけるがいい。これは女同士の戦い。男の出る幕ではない」
ノーラはそう言って、近衛騎士を押しのける。なすがままの近衛騎士は、どうすることもできない自分に歯噛みする。そして、小声で呟いていた。
「もう、勝手にしてくれ……」
前代未聞のできごとを止められなかったことを歯噛みする。そして、ノーラに対する毒を吐く。それは近衛騎士としてあるまじき態度である。
そんな近衛騎士などよそに、アストールとノーラは向き合って剣を構える。
「本当にお懲りにならないのですね。ノーラ様」
「私に対する言葉遣いがなっておらぬな。この私が直々に教育してやる」
怒りを露にするノーラを前に、アストールは余裕の笑みを浮かべて答えていた。
「あら、何を教育なさるの?」
「王家に対する口の利き方だ」
それを皮切りに、二人は剣を構えなおしていた。
完全に戦闘態勢に入った二人を、もはや止められる者はその場にいない。
アストールは相手に右半身を向け、右手の細剣をノーラに向ける。対するノーラは左手の盾をアストールに向けて、右手の剣を後方に構える。
ノーラは盾を使った基本的な構えをして、アストールに襲いかかっていた。
右手から放たれるロングソードの一撃。横薙ぎの一閃を、アストールは一歩下がって細剣で軽く受け流す。
その光景を一同は、唾を飲み込んで見守っていた。
「ほほう。少しはできるようだな」
「それはどうも。ノーラ様も基本の型がしっかりなさっていますね」
お互いに褒め称えるが、その目は明らかに笑っていなかった。
(まじいな。今の体だと、勝てるかどうかは五分か。御転婆姫め、前より腕を上げやがったな)
(ぬぅ。あの一撃を避けたのは予想通りとはいえ、あの女、油断したらやられる)
お互いに実力を計り合う一撃で、二人の実力差がないことが分かる。
二人は焦りを感じていた。一歩間違えば、簡単に決着がつきかねない。その勝者がどちらになっていても、おかしくないのだ。
それはお互いに感じたことだ。
真剣な表情のまま、二人は拮抗したまま動けないでいた。
「エスティナよ! 次の攻撃で、私の剣を止められれば、私は負けを認めよう」
不敵な笑みを浮かべたノーラを前に、アストールは苦笑していた。
「いいでしょう。なら、私も本気で戦わせていただきます。本当のわからず屋には、オシオキが必要ですから!」
そう言って、アストールは一歩踏み出して、細剣をあえて盾に向かって突き出す。
予想していなかった先制攻撃にノーラは動揺する。
狙ってくるならば、剣か関節だと思っていた。それを盾で防げば、問題はない。だが、狙ってきた場所が盾という、奇妙な行動に少しだけ躊躇する。何よりも、こちらから攻撃を仕掛けるつもりが、出鼻をくじかれていたのだ。
だが、彼女も伊達に剣術を学んでいない。ノーラはすぐにロングソードで、アストールを薙いでいた。
距離を取らすために避けられると踏んで、ノーラは剣で容赦なく薙いでいた。しかし、またしても、アストールの行動は彼女の意表をついていた。
アストールはどこからともなく取り出した短剣を左手に握り、ノーラの横凪を片腕で防いでいた。
それに驚いたのも数瞬の間、アストールは剣鍔近くに細剣を素早く叩き込んでいた。
いくら細く軽い細剣とはいえ、スピードが出た一撃は、驚いたノーラの手から剣を奪うには十分だった。
ノーラは手からロングソードを落とし、動揺している間にアストールは彼女に剣を突きつける。そう、一瞬で勝負は決していた。
「……や、やってくれるではないか」
アストールはどうにか勝てたことに、安堵していた。この無茶な戦い方、実戦の経験が豊富な者ならば、負けていたのはアストールだった。
だが、幸いなことに、彼女はさほど実戦を経験していない。
思わぬ攻撃に、対処する方法を知らないのだ。
悔しそうにノーラは、アストールを睨んでいた。
「さ、これで力の関係はきっぱりと分かったでしょう」
アストールはそう言って剣をしまう。
「ふ、ふん! 少し油断しただけ、もっと、気を使っていればお前などには負け――――」
ノーラがそう言いかけた時、アストールは彼女の言葉を遮って叫んでいた。
「少し油断しただけ!? 何をふざけたことを言ってるの!?」
いきなり激昂しだすアストールを前に、ノーラは言葉を失っていた。
「私が賊であってみろ! ノーラ! お前は死んでいたかもしれないんだぞ!?」
怒りこそすれど、そこに憎悪はない。アストールはノーラの身を、案じて怒っていた。
それに対して、ノーラは黙り込んで、唇を噛みしめていた。
真っ直ぐ見つめていた目は、床に伏せられる。先ほどの余裕たっぷりの笑みが、彼女の顔からは消え失せていた。
それでもアストールは以前の忠告を守っていないノーラに、容赦なく怒鳴り続ける。
「いい加減にしろ! 確かにお前の立場からくるプレッシャーは計り知れない! だからってこんなことをしていいと思ってるのか?」
そこでアストールは少しだけ考える。彼女に与えられる王女としてのプレッシャー、それは本人以外に知り得るものはいない。それから逃げるために、こんなことを起こしているのだから、それは許されない。
しかし、自分はどうだろうか。あの時、自分は何かから逃げるために、女を抱き、酒を飲み、喧嘩に明け暮れていた。そう思うと、彼女に偉そうに言えるのか。
暫しの沈黙の後、アストールは説教を途中でやめることもできずに、続けていた。
「……いいわけない。憂さ晴らしのためだけに、こんな危険を犯すことなんて……。そんなことをする奴は……」
そう言って、アストールは少しだけ黙り込む。
怒りを露わにしていても、語尾の最後は弱弱しくなる。
以前も同じように、彼女(かれ)はノーラに説教したことがあった。その時と全く同じことを口にしていながら、思うのだ。
(あの時の俺は、ノーラと同じじゃねえか……)
彼女を最初に説教した時、アストールは自信満々に同じことを口にしていた。その時は、自分が弱く、そして、愚行を犯しているなどとは、微塵も思っていなかった。
そんな自分が恥ずかしく、そして、憎く、悔しい。
アストールもその場で顔をそむけながら、呟くように言う。
「どうしようもない馬鹿で、最低の愚か者だ……」
周囲からすると、姫に気を使っていたのだろうと、思われるような素振り。だが、本当は違う。
その言葉は、ノーラにではなく、自分自身に向けての言葉。
ノーラとアストールが、共に元気をなくして、その場が一気に静まり返っていた。
「エ、エスティナ殿、流石にそれは言い過ぎでは……」
ノーラを止めようとした近衛騎士が、そう言って彼女(かれ)に近づく。
だが、それよりも早く、アストールは動いていた。
「……ほっといてくれ」
呟くように言い残し、アストールは全員に背を向ける。これ以上、アストールには言葉を続けることができなかった。
あの愚かな自分が、ノーラを叱る資格などない。
であるのに、ノーラに説教をしていた。そんな自分に嫌気がさし、ここにも居られずに、アストールはその場から逃げ出すように離れていた。
残された者たちは、ただ、呆然と彼女(かれ)の背中を見送るのだった。
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