第38話 逃走劇とその結末

 従者の合同宿舎。そこは近衛騎士の従者達が生活している仮住まいだ。

 もっとも、メアリーはこの宿舎に部屋こそ持っているが、生活は下町で行っている。そのせいか、部屋の中は物置のようになっており、弓や矢、剣や槍に、得体のしれない箱、はたまたクローゼットには服や宝石などなど、武器から生活必需品に至るあらゆるものが整理しておかれていた。


 同僚からは、メアリーの秘密の物置小屋とも呼ばれている。

 とはいえ、一応ベッドがあり、彼女も王城で一晩こす時は、この部屋で寝泊りしている。だが、正直に言えば、このように窮屈なところで過ごすのは、メアリー自身あまり好きでない。


 なにより、メアリーもアストール同様に、この王城の窮屈な空気が嫌いなのだ。

 それゆえ、誰も近寄ってこない上に、部屋に訪ねてくる人もいない。エメリナを隠すのにはもってこいの場所だ。

 そんな物置小屋の中で、その場に似つかわしくない綺麗なドレスに身を包んだ少女ならぬ、少年がエメリナの傷を見ていた。


「う、うわぁ……。結構、深いですね」


 顔をゆがめて、レニはエメリナの傷口を見つめていた。

 上半身の服を脱がせ、下着姿のエメリナを前にしても、レニは顔を火照らせることなく、傷口に集中していた。

 そこはやはり神官戦士というだけあるだろう。


「で、治せるの?」


 メアリーは腕を組んだまま、レニを見つめていた。


「治せます。この程度の傷なら、僕も治療したことありますから」


 レニの言葉に感心して、メアリーは二人を見つめ続けていた。

 一方、治療される方のエメリナは、微妙な表情を浮かべる。


「あなた、本当に神官戦士なの?」


 エメリナの疑問ももっともだ。第一にレニの恰好は、着替える暇がなかったため、ドレス姿のままなのだ。何より……。


「ええ! もちろんです!」


 レニは誇らしげに、なくて当然の胸を張って見せる。心なしか、エメリナの表情はますます不安そうになっていく。


「あなたみたいな、小娘に、本当に治せるのかしら」


 エメリナの言葉に、レニはがくっと肩を落とす。それもそのはず、ドレスを着たレニはどこからどう見ても一人の着飾った小娘にしかみえない。レニは床を見ながら呟く。


「やっぱり、僕って、そんなに女の子に見えるのかな……」


 気を落としたレニを前に、メアリーは容赦ない叱咤を浴びせていた。


「落ち込むのはあと。さっさと治療して」


 それに再び落ち込みそうになるのを我慢したレニは、真剣な表情で傷と向き合っていた。

 右腕の上腕から肘にかけて裂傷は、一目見てそれが軽傷でないことを物語る。

 レニは手袋を外したあと、メアリーから借りた前掛けを首から下げていた。そして、エメリナの傷ついた腕に両手をかざしていた。


「全知全能の神、アルキウスよ。我に力をやどし、この者の体の傷を治癒する力を与えたまえ。我が力はこの者の腕の傷を治癒せんとする」


 そう声を張り上げて、レニは真顔で腕を見つめながら手に力を込める。

 それと同時に、暖かな黄色い光が、エメリナの腕を包み込む。

 しばし、エメリナは疑いの視線を向けていたが、徐々に痛みが引いていくのを感じてレニが本当の神官戦士であるのだと思わされる。

 傷口は痛みのかわりに、妙な感覚で支配される。それはまるで、腕の裂傷部分だけを引っ張り合わせているような、奇妙な感覚だ。

 暫くレニはエメリナの傷を直すことに集中していたが、レニの両手から光が消え去ると同時に、彼女の腕も光を放つのをやめていた。

 そうして、そこに表れたのは、先程までのくっぱり開いていた傷口が、嘘の様に元通りに治っていた彼女の腕だった。


「す、すごい……」


 エメリナのみならず、メアリーもその傷跡のなさに、驚いていた。

 神官戦士の治癒魔法、それはあくまで、本人が持ちうる治癒能力を限界まで引き出し、ケガや病気を治す魔法である。

 術者の魔力と全能神アルキウスの加護によって、多少はその傷口の治癒を綺麗にすることはできても、それは術者の力量次第だ。

 見習い神官戦士であると、これほどの裂傷であれば、痕を残さずに治癒するのは至難の技である。ましてや、普通の神官戦士でさえ、完全に痕を消し去ることは到底できるようなことではない。


 どんなに頑張ったとしても、うっすらとその裂傷の後が残ってしまうものである。

 だが、レニは違っていた。

 レニは自らの魔力とアルキウスの加護を、最大限に使いこなせる。それゆえに、このような芸当も可能なのである。


 要は素質、力量、共に優れているのだ。

 経験こそ足りないものの、それはこれから補っていけばいい。


「これで応急処置は終わりました。最低でも一週間は腕を動かさないほうがいいですよ」


 レニは真剣な顔をしてエメリナを見つめる。

 彼女は呆気にとられたまま、レニを見つめ返して言っていた。


「あ、ありがとう。ていうか、これで応急処置なのね」


 感嘆するエメリナを前に、レニは照れくさそうに後頭部をかいていた。


「え、ええ。一応手順がありまして、最初に消毒に、傷口の再構成と、皮膚の再生とか、色々あるんですよ」


 笑みを浮かべるレニを前に、エメリナは感心していた。


「その年でその腕、将来が有望ね」

「とにかく、急な運動とかで、腕を傷めないでください。塞がったとはいえ、また運動をするとやっぱり開いてきますから、極力安静に頼みますね」


 照れ隠しをするレニを、エメリナは盗賊でありながら屈託のない笑みで見守る。そんな彼女を前に、メアリーはいまだに納得いかず、後ろから腕を組んでエメリナを睨みつけていた。

 アストールはなぜかこの盗賊を、助けるように指示していた。その意図がメアリーには全く見えてこないのだ。


 王城に忍び込み、王家の秘宝を狙った時点で極刑を免れない。

 であるのに、アストールは言ったのだ。


「納得いかないかもしれない。だけど、あの盗賊をこの王城から逃がしてやれ」


 なぜ、そう言ったのか。その真意が全く見えてこない。

 だからこそ、この盗賊を生かしておくこと自体が、メアリーには納得がいかなかった。しかも、怪我をしていれば、治してやれ。とまで言われたのだ。

 そんな疑問を抱いていたメアリーがエメリナに目を向けていると、扉がノックされる。瞬時にして部屋中に緊張した空気が流れる。


「私だ。エスティナだ。ジュナルも一緒にいる」


 その声にメアリーは安堵して、扉を開けに向かっていた。

 アストールとジュナルが部屋に入ると、メアリーはすぐに扉に鍵を掛け直す。


「ずいぶんとまあ、遅れての登場ね」


 メアリーは不機嫌そうに言うが、アストールは気にも止めない。


「ああ、すまない」


 メアリーにそう一言だけ告げると、アストールはすぐに盗賊のエメリナに目を向ける。


「お前が例の盗賊だな?」


 エメリナの着ていた侍女服は血にまみれており、明らかにそうであると物語っている。

 彼女は否定することなく、笑みを浮かべて言っていた。


「ええ。そうよ」


 その答えを聞いた瞬間に、アストールは真剣な眼差しを彼女に向けたまま言う。


「すぐにこの王城から出て行け。できるなら、王都から出ていき、二度と顔を表すな」


 アストールのその真剣な眼差しを受けたエメリナは、卑下して笑う。


「あら、あなたは、何か事情を知っているみたいね?」


「そんなことはどうでもいい。早くいけ。庇ってられるのも、時間の問題だ」


 だが、そんなエメリナに構うことなく、アストールは厳しくそう告げるだけだった。


「ここまでしてくれただけでも、助かったよ。あとは自分でどうにかする。この恩は忘れない」


 笑みを浮かべたエメリナは、そう言うとメアリーの部屋の窓から外に出ていっていた。

 それを見送るメアリーと、レニとジュナル。

 そんな中、メアリーは不満そうにアストールを見ていう。


「アストール! 本当にあれでいいの?」


 彼女の言葉に、アストールは暫く黙り込んでいた。だが、気を取り直して答えていた。


「あいつだけが罰を一身に背負って死んでいくなんて、あっちゃいけない」


 結局処罰されるのは、あのエメリナという盗賊だけだ。

 本来ならば、ノーラも何らかの咎めに合わなければならないのだが、姫という立場もあってか。その周辺の側近がそれを許さないのだろう。

 だからこそ、彼女(かれ)は、盗賊だけが処罰されるのが、おかしいと思って、今回、この行動に至った。


「確かに、王家の秘宝を狙って、侵入したのは許されることじゃねえ。だけど……」


 アストールはこの事件の真相を知っている数少ない一人である。ノーラ姫が自分の腕を試すために、盗賊を招き入れているのだ。

 だが、その真相を知っているのは、ノーラの側近とアストール、そして、招き入れられた盗賊本人だけである。

 今まで、侵入してきた盗賊は、その大半が捕まって処刑されている。

 逃げ切った盗賊も数名いる。だが、その三人ともが不審な死を遂げている。

 通り魔に身ぐるみを剥がされて、金目の物を全て奪われて殺される強盗殺人。王城から出て真冬の川に転落して溺死、その遺体が川縁から発見される事故死。足を滑らせて高所からの転落死。


 一見すれば、何の変哲もない。どこにでもある事件である。

 それを王都の一般庶民は何も気に止めることなく、王家の秘宝を狙った報いだと見ている。そう、それが普通の人の感覚だろう。

 少しは疑問を持つ者はいるかもしれない。だが、たかだか、盗賊一人や二人の事を、そこまで深く考えることもないのが実情だ。

 だが、アストールからすると、この上なく胡散臭く感じられた。

 アストールは一通り考えたあと、メアリーに目をむける。


「メアリー。これ以上、この事には深入りするな。レニとジュナルもだ。お前たちは知らないままでいい。この事もなかったと思って、忘れてくれ」


 その意味深な言葉に、従者一同は怪訝な表情を浮かべていた。

 メアリーとジュナルは、いつものアストールらしくないと思い、レニはなぜ逃がしたのか、という疑問を持ったまま、何もできないのが気に食わないらしく顔を歪めていた。


「で、でも、アストール……」

「いいから、忘れろ! このことはなかった! いいな!」


 いつになく真剣に怒ったアストールを見たメアリーは黙り込む。何かを知っているのは間違いないが、ここまで深入りを拒むのは異例のことだ。

 それだけではない。彼女(かれ)がバルコニーで一人泣いていたのを思い出し、メアリーは急にアストールのことが心配になる。

 以前から一人で背負い込むことが多いアストールだったが、ここまでひどく拒むことは過去なかった。だからこそ、心配でならない。

 もしかすれば、アストールは何か知ってはいけないことを知ったのではないか。そんな勝手な憶測さえ立ててしまう始末だ。


「さて、口裏合わせだ。その案はジュナル頼むぞ」


 アストールのその一言に、不審を持ちつつも、ジュナル達は渋々従うしかなった。そうして、四人は言い訳を、メアリーの部屋で考え出すのだった。

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