第36話 本当の自分に気づく時
アストールはウェインと踊り終えた後、すぐに会場のバルコニーに出ていた。気分が悪いというのもある。だが、一番の理由。それは彼女(かれ)が、改めて自分は女であるということを自覚してしまったことだ。
ウェインは踊り終えたあと、すぐにやってきた近衛騎士の重鎮に捕まっていたのだ。
もちろん、その長話はすぐに済むわけもなく、アストールはその隙を見てバルコニーに出て、外の空気を吸っていた。
その間に浴びる男からの視線が、アストールにはとても気色悪かった。
恍惚、欲情、憧れ、はたまた、敬愛と人それぞれではある。だが、その全てが、今のアストールにはとても気持ち悪く感じたのだ。
この居心地の悪い祝賀会の影響もあるだろう。ウェインと踊ったことへの諦めも影響しているのかもしれない。もしかすると、踊っている時に浴びせられた視線のせいかもしれない。
いや、そのすべてが原因か。何より、アストールは一人になりたかった。
彼女(かれ)の心の中では、あのエストルとの試合のことが深く傷として残っていた。
祝賀会で近衛騎士達が群がって来たときも、体が反射的に反応して身構えそうになった。一歩引くことこそなかったが、それでも、自分が彼らを少なからず怖いと思ったのは事実。
そう、あの試合で自分は恐怖というものを知ってしまった。
自分は弱いと知ってしまった。
そのことを忘れることが、とても出来そうにない。
(俺は弱い。レニに心が強いとか抜かしてたのに……。肝心の俺はどうだ)
冷える夜の中、アストールは一人自分の腕を見る。手首は以前より細く、指に至っては弱弱しくないものの、細くて美しい。
そんな体が、今のアストールには歯がゆくて仕方なかった。
(俺は結局、武器がないと何もできない奴なのかよ……)
アストールは屈辱の決闘を思い出す。
以前ならば、簡単に返り討ちにしたであろう王立騎士達、そんな下衆な男達に、自分は何ができたのか。
一人は倒したものの、それも剣を使っての技。そこからは何もできなかった。
背中を叩かれて跪き、腕が地面を突く。それも束の間、蹴り倒されて、気が付けば身包みを剥がされかけていた。
後ろで男に拘束された手は、女の力では振りほどく事もできず、なすがままだった。
何一つ武器を持っていない自分は、その肉体にあった唯一の武器であった体術と筋力さえも失っていることに改めて気づき、絶望した。
そうして、男たちが迫ってくると、次に浮かんできたのは、何もできずに男たちに蹂躙されるという恐怖だった。
妖魔を危ないとは思ったことはあっても、今の今まで怖いと思ったことはなかった。そんな自分が、たった二人のチンピラに恐怖している。それが分かった時、アストールは気付いたのだ。
「俺は……弱い。強くない。何がどんな時でも曲がらない信念だ」
そう呟くアストールは、目に涙を浮かべて胸の内をにある想いをすべて吐き出していた。
「俺は怖かったんだ。あんな奴らを怖いと思ったんだ。心が弱い……」
そう呟いた時アストールの脳裏に浮かんだのは、今までの愚かしい自分の姿だった。
女になる前の、自分は強いと思い込み、曲がらない信念を持って仕事に挑む自分を“演じ”ていた。今、冷静に見てみれば、自分がそんなことをしていたのが、よくわかる。
大剣を振るい、無敵の力を振るう。妖魔などは一斬りで倒せた。
酒場では一人で十人以上の男を相手に、勝てるほどの強い腕っ節。
歓楽街で豪快に酒を飲み、何人もの女を抱いていた。
その姿に自分は満足していた。と思っていた。だが、実際は違った。
大剣を振るうのは、ただ単に死にたくないため。妖魔を怖がらなかったのは、自分が窮地に陥らなかったから。
喧嘩の腕前で強いと思ってたのは、間違い。あれはただ単に、人より体力と筋力をつけていたからに過ぎない。
全ては自分を守るための“鎧”だったのだ。
酒を飲み、女を抱いていたのは、そんな大剣と喧嘩の腕前で守っていた内なる自分が気に入らないから、自棄を起こしていただけ。
心の隙間にできたぽっかりと空いた穴を埋めるため、ただ我武者羅に生きていた。どうすることもできない気持ちの整理のために、喧嘩をし、酒を飲み、女を抱いていた。
本当にどうしようもない男だったのだ。
そんな事にさえ気が付かず、勘違いして自分は強いと思いこんでいた。信念を持っていると思いこんでいた。 だが、あの時の自分に、誰かに「その信念は?」と問われた時、アストールは答えを出せるのか?
否、絶対に出せなかった。彼の強さの源、それは死にたくないという生の欲求。そこから生まれる、自分が傷つきたくないために、ただ単に強くありたいと願う愚かな自分。それだけだった。
それだけが彼を強力な鎧で包み込み、本当の自分を檻に閉じ込めていた。
だが、身ぐるみ剥がされ、恐怖を感じ、こうして考えることで、ようやく自分が勘違いしていることに気づかされた。そんな自分が、アストールには許せなかった。
「畜生……。俺は……。俺は……」
拳を握りしめて、石の手すりに叩きつける。
「弱いんだ……。怖いんだよ!」
手摺が音を立てて、夜露を散らす。その手さえも叩いたことで、ジンジンと痛み出す始末だ。そんな、体が憎くて仕方がない。
「自分をさらけ出すのが、嫌だ……」
従者を放任主義にしているのも、自分の作った心の線引き(ライン)に入れないため。
絶対なる不可侵の領域、それは誰しもが持っているもの。だが、彼のその領域は、広く、そして、奥にあるものは深い闇だった。
とめどなく流れ出す涙に、どうすることもできずに、夜空を見上げていた。
「ア、アストール! た、大変よ!」
そんな彼女(かれ)の後ろから突然かけられるメアリーの声に、アストールは慌てて涙を拭きとっていた。
アストールはメアリーに背を向けたまま、鼻声で答えていた。
「な、なんだよ?」
「王城に盗賊が入ったらしいの! しかも王家の秘宝を狙ってね!」
アストールはその言葉を聞いても、全く動こうとしない。
メアリーに返ってくる言葉は、単調なものであった。
「そうか……」
その一言だけを返すと、アストールは何も喋らなくなっていた。以前の彼ならば、不敵な笑みを浮かべて、すぐにでも駈け出していた。
それが今はどうだろうか。まるで魂を抜かれたように、ただ夜空に瞬く星を見上げているだけだ。
「アストール? どうかしたの?」
その異変を機微に感じ取ったメアリーは彼女(かれ)に聞いていた。
アストールは一呼吸すると、大きく息を吐き出す。そして、夜露のついた手で涙を拭い、そして、メアリーに向き直っていた。
「さ、行こうか。メアリー」
そう言った彼の顔は、どことなく哀愁を漂わせていて、目はうるんでいる。
「ア、アストール?」
「早くいかないと、賊が逃げるよ?」
呼び止めようとしたメアリーに背を向けて、アストールは早々にその場から足を踏み出していた。メアリーはそんなアストールの後を、心配そうに首を傾げながら追うのだった。
◆
エメリナは近場にあった布を引きちぎって、腕に巻きつけてギュッと縛る。それで応急処置は済ませたものの、腕の暑さと激痛は時間が経つごとに、増していく。
(油断した。あの姫様があそこまでできるなんて……)
全てがその一言に尽きる。エメリナは腕を押さえて、王城の廊下を突っ走っていた。後ろからは数名の兵士が、追いかけてきている。
「とまれ! 止まらんか! この賊風情が!」
それでも甲冑や鎖帷子をつけた彼らの速度は、エメリナにはとても追いつけるものではない。とにかく、エメリナは今を逃げしのぐことを優先していた。
彼女が逃げるたびに、後ろの追手は増えていく。そんな絶望的な状況の中、一つの曲がり角を見つけて、エメリナはそこに飛び込んでいた。
どこかに隠れる場所があれば、そこに潜んで追っ手をやりすごすつもりでいたのだ。
だが、その目論見は、いとも簡単に水泡と化していた。
曲がり角に飛び込んだ瞬間に、目の前には一人の女性が立っていたのだ。腰には弓と短剣、背中には矢筒を背負った異様な女性。一見すれば、すぐにその女性が狩人であるとわかるだろう。
だが、なぜ、この王城に狩人がいるのか。
そんな疑問を持つ間もなく、その女性はエメリナを見てすぐに彼女に言っていた。
「あなたが噂の賊ね! そこの柱の陰にいなさい!」
女性はエメリナの格好と怪我を見て、すぐにそう判断していた。まるで、最初からそうするつもりで居たかのように言っていた。
「え、あ、なんで」
戸惑うエメリナを前に、女性は彼女の怪我をしていない腕を掴んで、有無を言わせずに壺の置かれた台の影に押し込んでいた。そこはすっぽりと人が隠れられ、一番に怪しまれそうな場所である。
だが、怪我をしたエメリナは逆らうこともできず、ただ、女性を信じて隠れるしかなかった。程なくしてすぐに、エメリナを追っていた一団が駆けつけていた。
「あ、これはこれは、メアリー殿! 先ほど、怪我をした侍女が走ってきませんでしたか?」
一団の長らしき人物が、女性の名前を言葉にする。
それからして、彼女は狩人でありながら、この王城でそれなりの地位にいることがエメリナにもわかった。
それでも、完全にメアリーと呼ばれた女性を、信用するわけにもいかない。
もしかすると、このまま自分を隠したところを教えるのかもしれない。
エメリナは短剣を片手に、ぐっと腹を据えて覚悟を決める。
だが、そんなエメリナの決意とは裏腹に、メアリーはある言葉を口にしていた。
「ああ、彼女なら、あそこの角を早々に逃げていったわよ」
エメリナが隠れている所の更に向こうにある廊下の曲がり角、そこを指さしていた。追手の一団はそれを聞くなり、早々に足早に言われた方向へと走り出していた。
ガシャガシャという異様な数の鎧が擦れる音が、あっという間に遠ざかっていく。
「ふ~。行ったみたい。さあ、盗賊さん出てきてくれる?」
メアリーの言葉に、エメリナは物陰から出てきていた。
「あ、あの、なんで私を助けたの?」
「話は後、怪我してるんだし、付いてきなさい」
メアリーの有無を言わさない言葉に、エメリナは従うしかなかった。
彼女は追手や兵士の気配に機敏であり、歩いている間に兵士に会うことはなかった。時には立ち止まり、廊下の様子を見ては人目につかないルートを選んで歩き続ける。
この城のことを知り尽くしていて、なお、人の気配を感じ取ることがそできる芸当である。エメリナは、今はこのメアリーに付いていくことが、一番安全であると判断する。
だが、完全に彼女を信用したわけではない。
片手には常に短剣を忍ばせ、いつでも後ろから斬りかかれるよう準備していた。
「盗賊さん。その物騒なモノ、しまってくれない? 気が散って仕方ないのよね~」
エメリナが短剣を忍ばせていたことに、メアリーは気付いていたのだ。それに驚きつつ、メアリーを見る。彼女は苦笑しつつ続けていた。
「本当は、あなたみたいな賊を助ける義理なんてないのよ」
メアリーはそう言って、腰に手を当てて大きくため息を吐く。
「じゃ、じゃあ、なんで?」
エメリナの呆気に取られた顔を見たメアリーは、再び苦笑して答える。
「私の仕える主人の命令よ。それ以下でもそれ以上でもない。エスティナ・アストールに感謝することね」
メアリーの言葉を聞いても、意味がわからないのか、エメリナは怪訝な表情を浮かべるだけだった。そんなエメリナに、メアリーは苛立たしげに言う。
「まだ、逃げ切ったわけじゃないし、ほら行くわよ」
その言葉にエメリナは短剣をしまって、おとなしく付いていくのだった。
エメリナを引き連れながら、メアリーは考え込んでいた。
(何で、私がこんな賊を助けなくちゃいけないのよ。アストールの馬鹿)
不満を抱いたまま、メアリーはレニの待っている従者の集合宿舎に向かうのだった。
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