第35話 招かれた盗賊 2
「賊は何人だ?」
「わからん。だが、少人数なのは間違いない。もしかすると、単独犯の可能性もある」
鎖帷子に身を包んだ兵士たちが、三階の廊下をせわしなく動き回っていた。
その異様な様子に、歩いている侍女たちは不安そうな目で見ていた。
「ええい! なぜ、誰も見ておらんのだ!」
その場を取り仕切っている近衛騎士の一人が、そう苛立たしげに怒鳴っていた。
(それは警備が甘いからですね)
などと思う一人の侍女がその横を通り過ぎていく。そう、その侍女こそが、彼らが探す人物である。
「我々王城付の兵士と騎士が、ここまでけなされるなど、前代未聞だぞ!」
近衛騎士はその苛立ちを、兵士に対して怒鳴りながら発散しようとする。
それもそのはず、つい最近も宮廷魔術師が黒魔術を研究していたのだ。それを近衛騎士達は、容認してしまっていたのだ。気付かなかったとはいえ、かなりの失態である。
更に加えるならばここ1年、この王城には王家の秘宝を狙った賊の侵入が相次いでいた。
まるで、警備の位置を隅々まで把握しているかのごとく、賊たちはこの王城に侵入してきている。それが今回を含めて、12件目。
近衛騎士が苛立つのも仕方がなかった。
(この階からもう一回上に行った宝物庫、そこに王家の秘宝がある)
侍女の恰好をした彼女は、平然と歩きながら階段で四階へと上がっていた。
四階に上がると、そこには広い廊下があり、最も奥の扉の傍らに一人の兵士が佇んでいる。
(全部情報通り。ちょろいちょろい)
などと盗賊の彼女は足を進めていく。この時、彼女は知らなかった。ここに侍女が立ち入るようなことは滅多にないことを……。
兵士の前まで来ると、侍女は兵士に向かって一礼する。そして、要件を告げていた。
「ノーラ様より国王の秘宝の様子を見るように頼まれました。どうか、中へ入れてください」
そう言われ、兵士は怪訝な表情を浮かべる。ただでさえ、侍女がくることが稀であるのに、なおかつ中に入れてくれというのだ。
「それはなりません。警備隊として、ここは何人たりともお通しできません」
頑な態度に出た兵士を見た侍女は、大きく溜息をついていた。
「はぁ、やっぱりそっか。なら仕方ありません」
鎖帷子を着こんだ兵士を前に、侍女は動きを変えていた。
まず最初に膝を急所の股間に当てる。すると、自然と体は前のめりになる。そこに二発めの膝蹴りをみぞおちに放っていた。
声にならない吐息のような声を上げて、その場に倒れこもうとする。それでも容赦なく今度は首筋に手刀を叩きこむ。
人間の急所をすべて把握したうえでの攻撃は、とてつもなく強力だった。
大の男を女性が倒してしまえるほどに、その洗練された動きから、彼女がただの賊でないことが分かる。その場に悶絶する間もなく、兵士は床に倒れこんでいた。
「さて、行こうか」
そう言って彼女は両開きの扉を開けていた。
王の秘宝、それがなんなのか。民衆には知らされていない。王族のみが知る権利を持ち、なんでも式典以外では絶対にお目にかかれない代物と言われている。
それゆえ、警備も厳重なはずなのだが、実際は違っていた。
保管している部屋には、兵士はおらず、中央の台の上に荘厳な金の飾りが施された赤い箱がある。
「本気で守る気があるのかな……」
女性は呆れながら、その宝物へと近づいていく。
「ま、私には関係ないけど。とにかく、依頼通り、この宝物を姫に届けないと」
そう言って女性は、箱に手をかける。その時だった。女性は突然その身を屈めて、横に転がっていた。同時に箱の置いてある台に、槍の穂先が突き刺さる。
「ほほう。やるではないか」
そう言ったのは、槍を持った小柄な騎士だった。
全身を甲冑で守り、兜の面によって顔は伺いしれない。だが、その声からして、少なくとも声変わり前の少年であるのではないかと、女性は推測する。
「ふ~ん。そのままお言葉を返そうか。私の後ろを一瞬でも取ったことは誇れるよ?」
女性はそう言うと優しい笑みを浮かべる。
「ふん。賊風情が。我が王族の秘宝を狙う者に褒められたとて、嬉しくもない」
槍を前に構えた小柄な騎士は、そのまま、摺足の油断ない動きで女性に迫っていく。
「ああ、そっか。ま、私も一介の盗賊として、これを手に入れないわけにはいかないらね」
笑みを浮かべた女性は、その場で侍女服の下から短剣を取り出していた。
右手に握った短剣を胸の前で構え、その小柄な騎士を見据える。
「先に自己紹介しておこうか。私の名前は、エメリナ。これでも一応名の通った盗賊です」
そうはいうものの、騎士は名乗りをあげることはない。それどころか、エメリナに対して怒声を浴びせていた。
「賊に名乗る名などない。覚悟しろ!」
長い槍がエメリナを捉え、一気に彼女に襲いかかる。だが、エメリナは動じることなく、すぐに行動に出ていた。
「ふふ。動きが甘い。騎士見習いってとこかしら?」
笑みを浮かべたエメリナを前に、騎士はよけられた槍を引いてすぐに突き出す。その姿を見たものが居れば、迷わずこういうだろう。
二人は演舞している。と。
直線的で鋭く素早い突きは、それでもエメリナを捉えることはできない。時折、エメリナを冷やりとさせる突きが来るものの、彼女は小柄な騎士を前に余裕の笑みを浮かべていた。
「これなら、すぐに倒せるよ」
その呟きはけして挑発ではない。彼女の本心から出た言葉だ。だが、小柄な騎士はそれでも焦ることも、怒ることもせずに、純粋に槍で襲いかかる。
それはまるで何かに憑りつかれたかのように、機械的な動きだった。
エメリナは少し足を踏み外し、バランスを崩す。それを見計らって、小柄な騎士は大きな突きを繰り出す。
だが、この行動はエメリナにとって、全てが予定調和だった。
繰り出された槍先を、体勢を立て直して身を屈めて避ける。槍先もそれに合わせて、動いてくるが、次の瞬間にはエメリナは槍に向かって突進していた。
突き刺さる寸前で槍先を右手でぽんと叩いて、押しのけていた。
それを見た小柄な騎士は、むぅっと小声で唸る。
エメリナは短剣の先を小さな騎士に向ける。あわよくば腕の腱を斬って無力化、最悪、首元に刃を突き立てて殺すという判断を下していた。
だが、小さな騎士はエメリナの予想を裏切った行動に出ていた。
槍を避けられた時点で、小さな騎士は手にもっていた槍を捨てて、素早く後ろに下がったのだ。それも全て反射的に行なっている。
その勘の良さに、エメリナは驚嘆していた。だが、そのまま容赦するつもりもない。
回避行動を取られたのは意外だったが、その程度で距離を取れるほど甘くはない。
エメリナは距離を空けさせることなく、接近して首元に短剣を突き立てて、そのまま刈り上げる。それで全て決まる。
金属音が響くと同時に、騎士の兜が宙を舞う。
大量の血が吹き出して、床を真っ赤に染め上げる。
……はずだった。
だが、そのエメリナの予想は、またしても裏切られた。振られた短剣は、切っ先で兜を吹き飛ばしていたのだが、小さな騎士は健在だったのだ。
寸手の所で騎士は体を後ろに倒し、首を引いてエメリナの一撃を凌いでいた。
「ほほう。私に一太刀与えたのは、貴様が初めてだ」
兜がなくなり、篭って聞こえていた少年の声は、更に凛と響く女性のものへと変化していた。エメリナは驚嘆しつつ、小さな騎士に目を向ける。そして、言葉を失った。
「え、あ、あの。あなたは、まさか。ノーラ姫?」
そう、彼女の前に佇む小さな騎士、その素顔は美しい顔立ちと、大人になる前のあどけなさを残した少女だった。しかも、この国の王の実の娘だ。
「ふふ。バレてしまっては仕方ない。このことを知られたからには、ここで死ねい!」
「え、ええ? ちょっと、これって姫様の依頼じゃないの?」
エメリナに王の秘宝を盗んで来るように依頼した人物。それは外でもない。目の前にいる少女、ノーラ姫であるのだ。
流石に直接依頼を出しに来たのは本人ではないが、彼女の遣いがエメリナの元に来て大金を置いていた。それが前金であり、秘宝を盗み、姫君に渡すという依頼を完遂した際には、更なる大金が払われる約束だったのだ。
だが、その依頼を出したはずの本人が、その邪魔をしている。呆気に取られているエメリナを前に、ノーラは腰のロングソードを抜いていた。
「さて、覚悟しろ。賊よ。我が王家の秘宝を狙った罪、その命では賄いきれん。さあ、死してあの世で贖罪し続けるがいい!」
ノーラの言葉にハッとなるエメリナは、すぐに短刀を構え直す。そんなエメリナの手は震えていた。
そう、目の前にいるのは、この国の王の娘で、なおかつ国の宝だ。秘宝よりも尊く、敬愛されし象徴である。そんなノーラに短剣を向けていること自体、エメリナにとっては畏怖せざるをえない。
もしここで、彼女を傷つけようものなら、全土から騎士を動員して狩り出される。ましてや、一国の姫を手にかけたとなれば、他国に亡命という選択肢も消える。
それにここから隣国に行くには、かなりの距離と金がかかるのだ。
迷いが出てきたエメリナに対して、ノーラは容赦なくその剣を振るっていた。
どこで習ったのか判らないが、その剣業は基本に忠実で隙がない。
エメリナは受けこそできるものの、ノーラの剣技は本当に卓越していた。
何より、一国の姫ということもあってか、手出しができないのだ。
「どうした。賊風情が! 名を知られているのではないのか?」
余裕たっぷりに話しかけてくるノーラに、エメリナは焦りと苛立ちを露にする。
「そ、そんなこと言われましても! 卑怯ですよ! 一国の姫だなんて、知ってしまえば手出しなんてできません!」
ノーラの振られる剣を前に、為す術なくエメリナは攻撃を受け続けていた。
「ふん! 面白くない! この賊が!」
笑みを浮かべたノーラは、エメリナを挑発する。そうでもしなければ、エメリナには隙が見当たらないのだ。ノーラからしても、エメリナは手強く好敵手でもあったのだ。
だが、エメリナもこれ以上は、ノーラに付き合っていられない。
依頼主が自分を殺そうとしている異常事態だ。もはや、この依頼を継続する意味はなくなっている。エメリナは今取りえる最善の行動を取るため、必死で考え出していた。
それが運の尽きだった。
思考を切り替えることで生じる一瞬の隙、それを見極めたノーラは上から袈裟懸けに剣を振り下ろしていた。
「し、しま!」
エメリナが気づいたとき、反射的にこそ回避に移っていた。が、それは間に合わず、剣は彼女の腕を斬り付けていた。傷こそ深くなかったものの、筋肉を切り裂かれたことにより、血が腕より吹き出していた。
それと引き換えに、エメリナはノーラの胴体に蹴りを放っていた。
運良く当たった蹴りは、ノーラを突き飛ばす。
「ち、ちぃ! 逃がすか!」
ノーラは素早く立ち上がる。しかし、エメリナは既に背を向けて、素早く走り去っていた。そこでノーラは最後の手段に出ていた。
「賊だああ! 賊が下の階に向かったぞお!」
ノーラの叫び声が聞こえ、すぐに騎士と兵士達が集まってくる。そして、血を流しながら走り去る侍女を見て、それが賊と分かり、集まった兵士たちはすぐにその後を追い始めるのだった。
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