第33話 舞踏会と騎士と男の娘 3
「それでは、本日の祝賀会を開きたいと思う。近衛騎士初の女性騎士に、乾杯」
国王の言葉から始まったその祝賀会。メアリーとレニ、アストールは丸テーブルの一角に座っていた。国王と重鎮や貴族たちは、杯をかわして内政や外交の話に興じている。
それとは裏腹にその場にいる殆どの男女は、世間話に花を咲かせていた。
熱を帯び始めた会場の中、メアリーは突然テーブルを立ち上がっていた。
「あ、おい、どこに?」
呼び止めるアストールを前に、彼女はにっこりと笑っていた。
「いや~、なんていうか。アストールの晴れ着も見れたし、もう飽きたっていうか。だから、お酒でも飲んでこようかなって」
満面の笑みを浮かべて、早々にメアリーは彼の前から立ち去っていく。アストールもすかさずそれについて行こうとした。
しかし……。
彼女(かれ)の前に、急に男たちが現れていた。それもこれも、身分は貴族に近衛騎士と、高位な者たちばかりだ。
アストールは反射的に構えそうになる。だが、どうにか構えるのをやめて、その場は平静を装って笑顔を取り繕う。
「あ、あの、どうしたんでしょうか?」
引きつった笑みのアストールを前に、貴族の男たちは次々と自己紹介を始める。だが、アストールは心底男の名前など覚えるつもりはない。
そうして、自己紹介をおえた若い男たちは、次にアストールに質問の嵐を浴びせ始めていた。
「あの、ご趣味は一体なにをされて?」
「どうして、近衛騎士などに?」
「兄上がみつかったら、是非とも私めにお目通しを!」
などと、言ってくる始末だ。この時のアストールの心情はただならぬ怒りを抱いていた。
(ち、なんだよ。普段は俺を避けてる奴らが! 可愛い妹がいると分かったとたん、これかよ!)
そう、怒りの原因はこの群がる近衛騎士と貴族達だった。
地位と名誉は言うことなし、だが、如何せん、普段アストールにとっていた態度は、軽蔑的な態度が目立っていた。
それもそのはず、歓楽街ではオーガの如く拳を振るい、喧嘩三昧。娼館に入り浸ったり、酒場の娘をナンパしたりと、評判は地に落ちるようなものばかりだ。そんな彼が由緒正しき近衛騎士や貴族達に好かれるはずもない。
しかし、そんな男の妹でさえ、綺麗と見ればこのように擦り寄ってくる輩を、アストールは心底快く思えなかった。何よりも、このようにすぐ顔色を変えてくる輩は、彼女(かれ)は大嫌いだ。
とはいえ、ここで不機嫌な顔をすることもできず、アストールは愛想笑いを、振りまいていた。
そんな男たちの向こう側で、メアリーは苦笑して手を合わせて頭を下げていた。
(あ、あいつ、気付いてやがったのか!)
アストールは気付いていなかったが、周囲の異様な視線を機微に感じ取ったメアリーは、早々にアストールから離れるという選択をしていたのだ。
アストールは諦めと落胆から、大きく溜息をついていた。
(レニを利用して……。ここから抜け出せるといいが……)
などと厳しく思うアストールは、ドレスを着たレニに一縷の望みをかけて目を向ける。
レニの目の前には若い騎士が数名がたかり、必死に彼を得ようと口説こうとしている。それに困ったレニが、助けを求める目をアストールに向けていた。
アストールは心の中で大きく溜息をついたあと、目の前の男たちに言っていた。
「あ、あの、一応私は近衛騎士なので、そのような事を言われても困ります。それに私の従者に手を出されても困りますから」
アストールは男達の言葉を遮るように言うと、立ち上がっていた。そして、レニの元に向かって歩きだしていた。レニの前まで来ると、騎士達に構うことなく彼の手を取って男の群れから抜け出していた。
「あ、あの、すみませんでした」
「謝らなくていい。謝るくらいなら、自分でこの状況を打開して」
アストールはそう言うものの、レニを口実に男の群れから抜け出せたことに安堵していた。内心では彼に感謝しているくらいだ。
だが、男の群れから抜け出すと、次には女性の群れが集まってきていた。
集まってきた女性は貴族の娘で、男の時に床を共にした女性も中にはいた。
どの女性もドレスで綺麗に着飾っていて、男の時とは違ったある意味ではハーレム状態となっている。
(おお、女の体になっても女が集まってくるなんて)
だが、嬉しく思うのも束の間だ。今度は女性たちの質問攻めにあい始めたのだ。
「あなたが住んでいた街はどこなの?」
「なんで、騎士代行に?」
「お兄さんとはどんな関係?」
「このドレスどこで買ったの?」
「ああ、この指輪かわいいわね。今度一緒に宝石店でもいきませんこと?」
などなど、突然女性に囲まれて、次々に質問をされていく。アストールはどうにか平静を保ちつつ、ジュナルとメアリーが決めた妹設定を必死に思い出していた。
そう、思い出しつつも、メアリーに目を向ける。彼女はすでに用意された手料理を食べ、手には酒の入ったグラス片手に、至福の時を楽しんでいた。
美人なはずのメアリーが、男に囲まれないのは、アストールがいるからというのもある。だが、一番は彼女が元狩人で気配を察知することに長けていることにある。
メアリーは男たちの気配を察知して、巧みに近づかせないようにしているのだ。
時には、従者という立場を利用して、重鎮近衛騎士に話しかけたり、また、女性の群れの中に紛れ込んだりと、するりするりと、男たちからの誘いをうまく掻い潜っているのだ。
とはいえ、あの状況に陥ったら、逃げたくなるのも、今のアストールには痛いほどわかった。男に囲まれて、下らない話をすることほど、無駄な時間はない。
アストールはそう感じたのだ。
ましてや、今のアストールでは、この会場にいる限り、常に目を向けられる立場だ。逃げ場はないに等しい。
メアリーが逃げたのも、あながち間違いではないかもしれない。
諦めの溜息をついたアストールは、今度こそレニに助けを求めようと目を向ける。
……しかし。
「きゃ~、可愛らしい。どこの出身?」
「え、あ、あの、僕は」
男です。とも言えずにどもったのちに、レニは視線を床に落としていた。彼の周囲には既に数名の女性たちが群れていて、レニは顔を真っ赤に染めていた。
「ああ~初心なのね~」
「お姉さんたちが、礼儀の作法、教えてあげようか」
などとチヤホヤされて、レニは余計に縮こまっていた。
(ああ、レニに助けを求めたのが、間違いだったか)
アストールは後悔しつつ、女性たちの質問攻めにどうにか答えていた。
ここできっぱりと「忙しいので」と言って、立ち去ることもできる
だが、女性の怖さをそれなりに知っているアストールは、その後、何が起きるかわからない恐怖から、とにかくたじろぎながら、答えるしかなかった。
きいた話では、女性同士の喧嘩はとにかく陰湿で、陰気でとても気持ちのいいものではない。貴族の生娘たちの相談に乗ったことのあるアストールだからこそわかる女の内情を思い出しつつ、アストールは引きつった笑みで答え続けていた。
「失礼、エスティナ殿」
そう言って貴族の若い娘たちを割って、一人の青年がアストールの前に来ていた。
「あ、ウ、ウェイン……さま」
危うく様を付け忘れるところだったが、どうにか付け加えることができた。
アストールはそれに安堵しつつ、目の前に立つかつての試合の相手を見ていた。
「楽しいお話の最中、失礼を申し上げる。娘さんがた、申し訳ないが、少しの間、エスティナ殿と込み入った話をしなければならない。少しよろしいですか?」
ウェインの思わぬ助け舟に、アストールは少しだけ表情を明るくする。
若い娘たちは、一介の近衛騎士の言うことに従わざるをえない。彼女たちは不服そうな表情を浮かべて、アストールの前から立ち去っていく。
代わりにレニの方へと向かって、その人だかりが移っていた。それにアストールは同情しながらも、ウェインに目を向けていた。
「ありがとう。助かったよ」
ウェインにそう言うと、彼は毅然とした態度で答える。
「いえ、感謝されるようなことは何も」
「いやいや、あそこで相手するの、すごく疲れるんですの」
アストールは自分が女性であることを思い出して、すぐに口調を女性に戻す。ウェインの前にいると、ついつい先輩面をしたくなるのだが、いまや立場上はその逆である。
アストールを前にしたウェインは、いつもとなんら変わりない態度をとっている。そんな彼に、アストールはとても厚意を持てた。
「それで、込み入ったお話とは?」
アストールの言葉にウェインは、小さく溜息をついていた。
「いえ、これと言って込み入った話はなかったのですがね。その、エストル殿の事で」
「エストルがどうかした?」
アストールの問いかけに、ウェインはいつもと変わらない誠実な表情で、彼女(かれ)を見据えていた。
「実はエストル殿なのですが、退任後、領地に戻ったということになっておるのですが、実はまだ領地には帰っていないようなんです」
その言葉を聞いたアストールは、怪訝な表情を浮かべていた。
「それはまたなぜ、わかったのですか?」
「はい。実は、近衛騎士團長の後任を、エストル殿から聞いてくるように言われたのですが、如何せん、エストル殿がおられず、やむなく、領地まで従者を走らせたのです。ですが……」
ウェインはそういうと表情を険しくしていた。
「エストルは領地にも居なかった。と?」
アストールの問いかけに、ウェインは真剣な表情のまま頷いて見せていた。
「はい。一体何をしているのか……。事件でも起こさなければいいのですが」
ウェインはエストルが自棄になって、一般人に手を出しかねない。そう思ったらしく、それでもエストルの事を気にかけて心配した表情を見せていた。
そこはやはり、彼らしいと言うべきだろう。
失望したと言いつつも、実直で責任感、恩義を大切にしているのだ。
だが、そんなウェインに協力することはできない。
エストルが去ってどこに向かったのか。それは当然アストールも知らないのだ。
「残念ですけど、私(わたくし)もお力添えできそうにないです。彼の行方は誰一人として知らないのですか?」
ウェインは表情を暗くしたまま答える。
「はい。同僚や先輩がたに聞いたのですが、誰も行方を知らないと……」
「あの腰巾着共にも、聞いたのですか?」
ウェインは当然と言わんばかりに、首を縦に振っていた。
かつては敵だった者、だが、こうなった以上は探さないわけにもいかない。そんなウェインをアストールは不憫に思った。
目的はどうあれ、エストルがウェインに目をかけ、待遇をよくしていたのは事実だ。
そのことは、エスティオであったころから知っている。
エストルは自分の地位を確たるものにしようと、自分に忠実で有能な者を配下におこうとしていた。もちろん、エスティオも近衛騎士に入るまでに、何度かエストルより声をかけられていた。
とはいえ、エスティオはもとより個人で動くことを好む性格。群れて見えもしない何かを、必死で守っているエストル達が当初から気に食わなかった。
何より、自分の地盤を強化するためだけに、ウェインの様な純真な騎士を汚す行為が嫌いだった。
「あ、あの、エスティナ殿?」
考え事をしていたアストールは、いつになく険しい表情になっていた。それをウェインに名を呼ばれて、ようやく気づいて笑みを浮かべる。
「あ、なんでしょうか?」
「何か考え事でも?」
「あ、いえ、大したことは何も。ちょっと、ぼーとしてただけですよ」
笑みを浮かべたアストールに対して、ウェインは初めて変化を見せた。彼女(かれ)の顔を見て、少しだけ目をそらしたのだ。
変なところで初心になってしまう彼を、アストールはおかしく思う。
そして、一大決心して、彼に言葉を発していた。
「それよりも、そろそろ、舞踏のお時間ではなくて?」
突然の言葉にウェインは驚きの表情を見せる。それもそうだろう。アストールから舞踏の誘いがくるなど、想像もしていなかったのだ。
だが、アストールとしては、このままでいるわけにもいかなかった。
過去に二度にも渡って、彼には貸しがあるのだ。
一つ目はあの試合だ。もしも、ウェインが負けを宣言しなければ、確実に負けていた。そして、もう一つがエストルとの試合のことだ。
あとあと聞けば、ジュナル達が動いたのは、ウェインのおかげとも言えたのだ。もしも、あの時、ウェインが居なければ、今こうしてここにいられはしなかった。
それどころか、王立騎士共の慰み者になっていた可能性だってある。
そう思うと、この二つの貸しを返しきれるものではない。
だからこそ、アストールは腹を括って、ウェインに言っていたのだ。
「あ、あの、じ、自分はその、あ、あなたと、踊るために呼び出したのではないので……」
慌てるウェインを見たアストールは、思わず吹き出しそうになる。
いつもは毅然とした隙のない、真面目な騎士の青年だ。そんな質実剛健な騎士が、女性をいざ前にするとあがって言葉もまともに喋られない。
しかも、実務に関しての会話は普通通りであるのに、いざ、このような状況となると、赤面さえしてみせるのだ。
(もう少し、遊んでみてもいいか……)
などと意地悪いことを、思いつつアストールは続けていた。
「あら? 舞踏でレディとは踊れないということですか?」
我ながら気持ち悪いとも思う。それと同時に、面白いとも思う。十人十色とは言うが、エストルとの決闘にきていた男達とは、まるで人種が真反対だ。
「あ、いえ、そういうわけでは……」
たじろぐウェインは、周囲に目をやり始める。
アストールは笑みを浮かべつつ、更に彼をからかう。
「いいんですのよ。私(わたくし)には、いくらでも代わりはいますから」
そう言ってアストールは、自分たちを見つめる貴族の一団に目を向ける。
誰も彼もが、彼女(かれ)との舞踏の相手を狙っている。もちろん、アストールは貸しのあるウェイン以外とは、舞踏の相手など毛頭する気もない。
「は、その、しかし! 自分は!」
狼狽するウェインを見て、なぜだか心の底から笑いがこみ上げてくる。
(やっべー。ちょっと、楽しいじゃねえか。こうやってからかうの。男の時じゃ、味わえねえな、これ)
アストールは笑みを浮かべて、ウェインを見据える。その意地悪くも愛くるしい笑みは、ウェインの中で何かを突き動かしていた。
「あら~。そう、なら、私はあちらにいきますわ」
そう言ってウェインに背を向ける。その時だった。
「ま、待ってください! エスティナ殿!」
張り詰めた声で、ウェインは彼女(かれ)を呼び止めていた。
アストールはわざと焦らすように、ゆっくりとウェインの方へと向き直る。
「なんでしょうか?」
ウェインは彼女(かれ)の前に片手を差し出すと、言葉を選びながらぎこちなく言っていた。
「じ、自分と、近衛騎士ウェイン・ハミルトンと、一度踊りに付き合っていただけませんか?」
アストールはウェインに心の底から感謝している。あの貴族の娘たちの質問攻めから救ってくれたこと、そして、何より自分のこの身を一度ならず、二度までも救ってくれたことだ。だからこそ、ただ単に貸しを返すというのではなく、アストールは感謝の意もこめて思うのだ。
(舞踏の相手くらいはしてやらないとな)
アストールがそう思ってしまうほど、ウェインは誠実で尚且つ、感謝すべき相手である。
(いや、でも、いくらなんでも、男と踊るのはな……)
などとアストールは一時躊躇し葛藤する。それはアストールに残されていた男としての最後のプライドといっても過言ではない。
だが、このドレスを着ている時点で、プライドも何もあったものではない。
(ま、一回くらいはいいか、ここまでやっちまってるわけだし、今更だわな)
ウェインにも踊りの相手をさせるように仕向けたのだ。ここで断ってしまえば、逆に彼に恥をかかせてしまうも同義だった。
(貸しはこれでチャラだ)
そう割り切ると、アストールはウェインの手をとって言う。
「ええ。喜んで」
「るわけないけどな」とは付け加えずに、アストールはウェインと共に舞踏の場へと向かう。
音楽が鳴り、二人は踊りをしている集団の中へと紛れ込んでいく。だが、いざ、ウェインと舞ってみると、彼のステップはぎこちなく、こういうことに慣れていないのが、すぐにわかった。
(おいおい、もしかして、本当に舞踏が初めてなのか?)
などと疑問に思いながらも、アストール自身も女性の身での舞踏は初めてだ。
とはいえ、貴族の娘を口説くためにも、このようなことは抜かりなくこなせるようにしているのが、彼女(かれ)という男だ。
アストールはウェインをリードして、音楽に合わせてどうにか違和感なく舞う。
ぎこちなくもそれでいて、周囲の目は躍る二人に釘付けになっていた。
質実剛健な騎士でしかも面構えも男前のウェインと、神々しさがある女性たるアストールが一緒に舞っているのだ。それが注目を集めないわけがない。
それに周囲の男たちが嫉妬の視線を送っていた。
ウェインという誠実な騎士に、あの注目の女性を奪われたのだ。しかも、よりにもよって、騎士代行の試合では対戦相手だった男だ。
対して女性の側も、ウェインを狙っていた女性は多かったらしく、アストールにも同じように嫉妬の視線が突き刺さる。
大多数とまではいかないまでも、アストールをよく思っていない女性がいるのは確かだ。
(まあ、仕方ないよな)
半ば諦めつつアストールは嫉妬の視線にさらされながらも、舞踏を舞い続ける。
それを遠くから眺める一人の少女、否、女装をした少年が見つめていた。
「あ、あの、そろそろ、僕はこれでおいとましようかと……」
その少年ことレニは、周囲にいるお姉さま方に言う。だが、周囲にいる女性たちは、自分のおもちゃを見つけたかのごとく、レニを放さなかった。
「だ~め。お姉さんたちと一緒に、ご主人様がくるのを待ちましょうね」
舞踏を舞う二人とは対照的に、レニは貴族のお姉さん達から、解放されないのだった。
(うう、こ、こんなことになるなんて、思ってもみなかった)
レニは一人、そう思いながら、アストールの従者になったことを後悔するのだった。
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