第30話 尖れた牙は丸く削られました 4

「いい加減にしないか!」


 怒声を上げていたのは、意外にも後ろでエストルと控えていた近衛騎士だった。

 アストールに襲いかかろうとした王立騎士の一人が、立ち上がって近衛騎士に向き直る。


「おいおい。なんだよ、急に」


 不機嫌そうにする王立騎士の男を前に、近衛騎士は怒りをあらわにして言っていた。


「貴様たちも騎士の端くれだろう! この女が街から出ていく。それだけで十分だろうが!」


 そういう近衛騎士の顔は真剣そのもの。自分の中で抑えていた義憤が、女性が目の前で乱暴されそうになる所を見て、遂に爆発したのだ。


「おいおい。あんたも最初は乗り気だったじゃねえか?」

「私はこの女を街から追い出すことに賛成したまで。強姦まで許容した覚えはない!」


 毅然とした態度をとる騎士を前に、王立騎士は更に突っかかる。


「ああん? そうかい。邪魔するんなら、容赦しねえぞ?」


 王立騎士は腰の剣を抜くと、近衛騎士に対して剣先を向ける。


「貴様、私が近衛騎士と知っての無礼か!?」

「当たり前だろうが!」


 そう言うなり王立騎士は、斬りかかっていた。突然起きた仲間割れに、アストールは唖然としていた。


「やめないか! 二人とも」


 だが、それを制する声が響く。凛と張り詰める空気に、二人はエストルの顔を見ていた。


「オーヴァン。貴様もここまで加担したのだ。その時点で王立騎士と同罪だ。もはやここまで来た以上、後戻りはできない。最初にそう忠告しただろう?」


 エストルの言葉に、オーヴァンと呼ばれた近衛騎士は押し黙る。

 そして、俯いて答えていた。


「こんなことは聞いてないぞ……。女性に乱暴するなど……。そんな事が騎士として許されるのか?」


 オーヴァンの声にエストルは鋭くにらみつけて答えていた。


「さっきも言ったはずだ……。ここに居るだけで同罪と……」

「しかし……。この女をヴァイレルから、近衛騎士団から追放をするというだけで、乱暴までするとは……」

「おいおい、おっさん。あんたの妹に何があったかは知らねえが、ここはあいつの妹に恨みをぶつけるところだぜ? ここに居る時点で、お前は俺達と変わらねえんだよ」


 王立騎士に事実を突きつけられて、オーヴァンは何も言い返せなくなる。一方で王立騎士の男も、不機嫌そうに吐き捨てる。


「け、興ざめだぜ! ま、やることはやるがな」


 再び下卑な笑みを浮かべて、王立騎士の男がアストールの目の前まで来る。

 アストールは先ほどのやり取りを見て、なぜか平静さを取り戻していた。後ろで手を押さえつけている男と、目の前の男。その二人を見ても、いまや恐怖を感じない。

 興ざめしていたのは男だけではなく、アストールも一緒だったらしい。


「さて、エスティナちゃんよ。今度こそ、楽しませてくれよ」


 今度こそ終わりかそう思った時、アストール達の耳に蹄が地面を叩く音が聞こえてきていた。

 全員がこもった音が聞こえる方へと目を向ける。そこには、一人の近衛騎士とメアリー、ジュナル、レニの三人が馬に跨ってこちらに向かってきていた。


「な、お前、一人で来いといっただろうが!」


 そう言って彼女(かれ)の前の男は、苛立ちながら叫んでいた。


「へ、こんなことすっからだよ。屑が」


 アストールは笑みを浮かべて、男の顔を見る。男は忌々しげにアストールの頬を、はたいていた。


「うるせえ! このアマ!」


 ジュナル達の実力は王都では有名である。もちろんそれは、王立騎士達にも聞き及んでいて、ここにいる者たちで知らない者はいない。


「一気に形勢逆転だな」


 殴られたにも関わらず、笑みを浮かべたアストールに、男は更に苛立っていた。

 その間にもメアリー達は近づいてくる。気が付けば、彼らの目の前には一人の馬に跨った近衛騎士がいて、毅然とした態度で叫んでいた。


「そこまでだ! エスティナ殿を放してもらおうか!」


 そう言い放ったのは、アストールと一度は剣を合わせた青年、ウェインである。

 彼の真っ直ぐな瞳を受けて、男は少しだけ怯む。


「へ、へん! 近衛がなんだ! 偉そうにしやがって! 今すぐにケリをつけてやる」


 アストールの前にいた男は剣を手に、ウェインに突貫していた。

 振り下ろされる剣を、ウェインはその長い両刃剣を抜いて容易く弾く。

 即座に馬から飛び降りると、ウェインは唖然とする男に剣先を向けていた。


「今なら、この非礼は不問としよう! 報告もしない。立ち去るなら今のうちだぞ」


 ウェインの言葉に、男はそれでも剣をしまおうとしない。それどころか、彼に向かって駆け寄ろうとする始末。

 ウェインも覚悟を決めて剣を構える。だが、すぐにそれは阻止される。

 男の足元に、一本の矢が突き刺さったのだ。

 慌てて歩みを止める男は、その矢が放たれた方へと顔を向ける。

 そこには馬上で弓を構えたメアリーが、男を睨みつけていた。


「呆れた。実力差もわからないのね。貴族の次男坊か三男坊だか知らないけど、あんたの家の名前が泣くわよ?」


 矢筒から一本矢を取り出して、弓にかけて男に向ける。キリキリと弦が張られている音が聞こえ、男は忌々しげにメアリーを見つめる。


「ちくしょう! 覚えてやがれ!」


 いかにも負け犬らしい言葉を吐き捨てると、男は倒れた男を担いで駈け出していた。それに続いてアストールを拘束していた男も駈け出す。

 アストールは解放されたことから、すぐに細剣を拾いに駆け出していた。

 その場に残されたのは、オーヴァンとエストルだけだ。オーヴァンはすでに抵抗する気も起こらないらしく、その場で立ち尽くしている。

 一方エストルは肩を震わせて、アストールを睨みつけていた。

 そうして、形勢が逆転した中、彼女(かれ)は細剣を手にエストルを睨みつけていた。

 エストルは相変わらず、甲冑姿であるが、その表情は固い。


「エストル! あなたはもう、終わりだ。今度こそ、決着をつける」


 どうにか平静は保ってはいるものの、アストールの心情はとても複雑だった。

 今の今まで妖魔に追い詰められて、死さえ覚悟する戦いもあった。だが、そこでは恐怖よりも生き残りたいという思いが、彼を戦いから生きのびさせていた。

 それがあの男たちを前に、自分に向けられた欲望と自分の力のなさから、恐怖が胸の内を支配していたのだ。今は平静を保っているのがやっとだった。

 だが、それでも、アストールはエストルに細剣を向けていた。


「エスティナアアアア!!」

「身から出た錆び。それを、今から身をもって償うんだな」


 アストールは睨みつけながら、細剣を持ったままエストルに駆け寄っていた。

 自分を手篭にしようとした怒りと、恐怖を覚えたことへの憤り。それが胸の内で複雑に混ざり合い、憤怒とかして彼女(かれ)を突き動かしていた。


 彼女(かれ)の心情は半分自暴自棄に近いものがあった。

 その証拠に、彼女(かれ)の身には、下着以外は何も身に付けていない。

 エストルはそんなアストールを真っ向から迎えていた。

 アストールの突き出した細剣を、エストルは難なく剣で振り払う。その身のこなしは、流石は近衛というだけあって流麗であった。


「にしても、本当に腹立たしい」


 憎悪を隠すことなくアストールは、エストルを睨みつける。かと思えば、急に不気味な笑みを浮かべていた。


「あ、そうそう。そういえば、お兄様が言っていましたの」


 エストルも憎しみの目で、アストールを見据える。だが、それ以上に今のアストールは、エストルを憎悪している。自分を恐怖させたこと、自分を弱いと思わせたこと、女である自分を改めて自覚させたこと。それら全てが腹立たしく、そして、憎かった。

 だからこそ、アストールは容赦なく、自分とエストルの間で起きた過去の因縁を話し出していた。


「あなたって、“果てる”のが早くって、彼女から愛想をつかされたんですって?」


 エストルはアストールの言葉を聞いて、びくりと肩を震わせる。


「なんでも、万年夜の生活不満症とか、言っていらしたらしくって、それが、今回あなたが直接加わらなかった理由じゃないのかしら?」


 意地悪くそう言うアストール。なぜその様なことを知っているか。それは言わずもがな知れている。

 エストルとエスティオのある因縁それは……。


「う、うるさああい! もとはと言えば、あの女がエスティオに相談に行くのが間違っていたんだ!」


 と、叫び声を上げながら、剣を振るってくる。

 そう、結局の所、女性問題だったのだ。

 過去、エストルの付き合っていた女性は、ひょんな事からエストルに不満を持つようになっていた。それが夜の生活だったらしい。

 いつしか彼女は別れることを決意し、完全に決別してしまうためにアストールを利用したのだ。そうとは知らず、アストールは誘惑されるままに床を共にしてしまった。


 それが今やこの状況を生み出している。ある意味では、自業自得とも言えなくもない。だが、結局のところ、今は妹のエスティナの身である。

 今は全く関係のないこと。それに巻き込まれたこと自体が、アストールをその行動に引き立てていた。

 エストルは怒りにまかせた直情的な剣で、彼女(かれ)に襲いかかる。だが、それほど、単調で読みやすい太刀筋はない。

 今や身に纏うものは布切れ一枚。それゆえに、彼女(かれ)の動きを制約すものはない。

 単調な剣を軽くかわし、アストールはすれ違いざまに、エストルの足を引っ掛けて地面に叩き付ける。

 そして、起き上がるよりも前に、彼の胸の上に膝をつけて、剣先を突きつけていた。


「さあ、今度こそ、勝負ありだ」


 エストルに向けられた目は怒りと悲しみ、そして、殺意で満ちている。

 エストルは涙目になりながら、歯噛みしていた。


「くそおおおおお!」


 エストルの無念の叫び声が、山にこだまする。

 むなしく響いたエストルの声は、そこに居た者たちを呆れさせていた。


「エストル殿。私はあなたに失望しました。もう、会うこともありますまい」


 そういったのは、ウェインだった。一時期はエストルに心酔するほど尊敬していた。だが、それはエストルの表面だけだ。

 彼の真の姿を知ったウェインは、呆れと侮蔑の視線を容赦なくエストルに浴びせていた。


「哀れなものね」

「全くですな」


 同情こそしないが、ジュナルとメアリーは悲哀の目を向ける。

 それがエストルにとって、どれほど屈辱的なことか。


「これで、どっちが王都から立ち去るか。決まったわね」


 改めて憎悪の目で、アストールはエストルを見る。それにエストルはただただ、歯がみするしかなかった。


「ふ、ふふ。ははは。いいだろう。俺は王城を出よう。もはや団長の地位もいらぬ。はは、ふははは」


 エストルは観念したのか。それとも、絶望から気でも狂ったのか、突然笑い出していた、

 エストルの空笑いが山麓に響き、ただただ虚しく、その場で空虚に響くのだった。

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