第10話 修行と言う名の…… 2

「構えが甘いぞ! もっと脇を閉めて振り下ろせ!」


 早朝から響き渡るアレクサンドの怒声に、アストールはその豊満な胸を揺らしながら素振りをしていた。男の時と変わらない構え、アレクサンドを一度は認めさせたはずの構えのまま素振りをしている。だが、肝心のアレクサンドは何かしら難癖つけてくる。


「違う! もっと力強く、そう上段から振り下ろすのだ!」


 指示通りにするたびにアストールの豊満な胸は、ぷるるんと揺れる。


「何を食べたら、あんなに大きくなるのかな……」


 メアリーはそう呟きながら、アストールの胸を凝視する。


「ふむぅ。やはり、遺伝的なものが大きいのではないかな」


 誰も聞いていないが、そう言ってジュナルはメアリーに答える。


「……でも、今のアストールは魔法でああなってんだし、関係ないんじゃない?」

「そうであるといいが、生憎、アストールの母上もまた大きかったと記憶している」

「……そう」


 元気のない返事をするメアリーに、ジュナルは微笑みながら言う。


「そう気を落とすでない。女性は胸の大きさで価値が決まるわけではない」


 ジュナルの尤もな言葉に、メアリーは少しだけ気を取り直していた。


「そうね。まあ、気にしても大きくなるわけじゃないし、仕方ないか」


 その卑屈な考えにジュナルは苦笑していた。

 だが、そんな二人をよそ目にアレクサンドのアストールに対する指示は、段々とエスカレートしていく。


「そう! もっとだ! もっと勢い良く。そう、次は片手で振り下ろし! そう。そうだ! もっと、もっと勢い良く!」


 などと、型など崩れてただ勢い良く腕をふるって、段々と胸が揺れるのを見やすいような構えへと変化していく。流石のアストールも変に思い、ちらりとアレクサンドを見る。

 剣を振る度にゆれるおっぱい。そして、それに釘付けになる師匠たるアレクサンドの視線。アストールが目を向けたことにさえ気づいていない始末である。

 アストールはそれに怒りを覚え、その手を止めていた。


「お。おう? なぜやめた?」


 怪訝な表情をするアレクサンドに、アストールはずかずかと歩み寄る。

 そして彼の前まで来ると、アストールは睨みつけながら言っていた。


「おい、おっさん。さっきから妙に胸にばかり視線がいってるようだが……どういうつもりだ?」


 怒りの表情で言うアストールに対して、アレクサンドは白々しくとぼける。


「は、はて、なんのことだ? 私はけして、お前のおっぱいを揺らして遊んでいたわけではない! これはあくまでしゅぎょ、ブギャロ!」


 そこでアストールは容赦なくその拳を、アレクサンドの顔面に叩き込んでいた。

 鼻っ面をもろにたたきつぶされたアレクサンドは、即座に顔面を押さえる。


「な、急に何をするんだ! 老いた私に暴力をふるうなど、レディのやることではない!」


 清々しいほど開き直るアレクサンドを前に、アストールは怒りを抑えつつ発言する。


「おいおっさん。真面目に教えてくれねえと、帰るぞ?」


 細剣の平たい部分で肩をぽんぽんと叩きながら、アストールは怒りと侮蔑の目でアレクサンドを見下す。


「こ、これはあくまで修行であってだな!」

「問答無用!」


 アレクサンドの股間に見舞われるアストールの容赦ない蹴り。

 見事に股間に入った金的蹴りにアレクサンドは、なんとも言えない悲痛な唸り声を上げてその場に崩れ落ちていた。


「いくら、師匠とはいえ、こうも真面目に稽古をつけてくれないとなると、容赦はしねえ」


 再びアストールが剣の柄で殴りかかろうとする。だが、すぐにアレクサンドはその手を前に出して、必死に彼女(かれ)を制止する。


「わ。わかった。悪かった。私が悪かった! たしかに真面目に稽古を付けていなかったのは事実じゃ。だがな。私の身にもなってくれ。ここにこもって早2年。女子と知り合う機会など皆無だった私の身に!」


 とんでもない言い訳に、アストールは柄を握ったまま無言で殴りかかろうとする。


「ぎゃーーーわかった! わかったわかったわかった! ちゃんと稽古はつける! だから落ち着け!」


 必死に懇願するアレクサンドを見て、アストールは大きく溜息をついていた。

 まさか、尊敬をしていた師匠がこのような変態親爺などとは、思ってもいなかったのだ。

 かつて、アストールに騎士道を叩き込んだ時は、厳格であり、また、その中に優しさと偉大さを兼ね備えていた。本当に心の底から尊敬に値する威厳のある師匠であった。

 それがいまや、若い女性のおっぱいを揺らして、それを観察している。落ちぶれた行為に走っているのだ。


「はあ、まったくもって先が思いやられるぜ……」


 アストールはそう言って細剣をしまうと、アレクサンドに対して釘を刺す。


「おい、おっさん。一度は自分で見るっつたんだから、最後まで見るんだろ?」

「あ、ああ、そのつもりだ」


 顔を背けるアレクサンドに、アストールは顔を近づける。


「いつか言ってたよな。騎士に二言はないって?」


 アレクサンドはその言葉に、ぎくりとする。


「はて、何のことかな?」

「騎士っていうのは、一度言ったことは必ずやり遂げる。そう教えたんじゃなかったか?」


 そこでアレクサンドはふと疑問に思う。

 この目の前のエスティナには、その様なことは一言も行った覚えはない。であるはずなのに、なぜか、騎士見習いに教える自分の言葉を知っているのだ。


「ん? お主、なぜ私の言っていないことを知っておるのだ?」


 怒りで我を忘れていたアストールは、ふと自分が妹のエスティナを演じるのを忘れていたことに気がついた。一気に形勢が逆転し、今度はアストールが、バツが悪そうに言い訳する。


「さ、さあ、なんでかな。あ、そうそう。お兄様がそんなことを言っていましたのよ。おほほほほ」


 急な態度の変わりように、アレクサンドは表情を怪訝なものに変えていた。


「ふ、ふむ? まあ、そうか。それならよいが。とにかく、これからはちゃんと稽古をつける。これまでの非礼は詫びよう」


 アレクサンドが完全に元の真面目な騎士に戻り、アストールはようやくひと安心する。


「そうこなくっちゃ。こちらこそ宜しく頼みます」


 アストールはそう言って再び細剣を抜くのだった。



     ◆


 王城のヴァイレルの近衛騎士団が駐屯する一角の建物。

 真っ白い建物は三階建ての館に匹敵し、王城の中でも天守閣を除けば、次に目立つ存在である。その建物のなかの一室で、エストルは資料に目を通していた。

 通していた資料はここ半年で王城に入ってきた物資のチェックリストだ。


「ふむ。これだけを用意しなくてはならんか……」


 エストルはそう言うと、チェックリストを机の上に放り投げていた。


「全く、手の掛かることだ」


『まあまあ、そう言われなくともよかろう』


 どこからともなく聞こえてくる初老を迎えようかという男の声、それに驚くこともなく、エストルは返事をしていた。


「これだけの物資を我が領地だけで用意するのは、流石に無理がある」


 そう言って彼は握り締めている宝石のように輝く、手の平に収まりきらない大きさの深紅の珠に話しかけていた。


『ふふ。いずれはあなたもそれを使うことになるのですから、どうにかすべきではありませんかな』


 初老の男はそのしゃがれた声で、エストルに意味ありげに言う。


「それもそうだが、金額も張る上に、この中には取引禁止の物まで入っているではないか。そもそもどうやってこんな物を王城に仕入れたんだ?」


 取引規制の敷かれた物品はけして、市場に出回ることはない。それゆえに、裏では高値で取引される。もしも、その取引を当局に抑えられれば、地位はもちろん、命さえ危うい。


『宮廷魔術師が研究に使うと言えば、そんな物は幾らでも手に入ります。貴方ほどの方がそれを知らない訳がないですよね。それにこのリストの中の物はお付の魔術師の研究材料として購入するといえば、貴族ならば誰でも手に入れられるものばかりですから』


 男はそう言うが、エストルは表情を歪める。


「とはいえ、違法な物には変わりない。下手に購入すると、この今の地位から降ろされる口実となりかねんぞ」

『ならば、バレないようにすればいいだけではありませんか』

「な、貴様、私に密輸をしろというのか?」


 愕然とするエストルに対して、男は言っていた。


『誰もそんなことは言ってません。ただ、バレないようにここに持ち込めばいいと言っているのですよ。あなたの優秀な魔術師を使ってね』


 男の言葉を聞いてエストルは納得したように頷いてみせる。


「ふむ。そういうことか。ならば、できないこともなさそうだ」


『でしょう。では、私もあなたの領地へと向かうとしますので、あなたは一刻も早くそれらの物資をご用意ください』


 男はそう言うと一方的に話を終わらせていた。それと同時にエストルの持っていた深紅の宝石は、ただの水晶玉へと変化する。

 何の変哲もない透明で丸い水晶体。

 この国で使われる高位な者しか扱えない通信媒体である。

 人には多かれ少なかれ、人体の中に力が秘められている。それがこの球を通して力となり、遠くにいて同じものを持っている人間と会話できるのである。


 ただ、この水晶玉を作るには、魔力が豊富に蓄えられた洞窟にある不純物が一切混じっていない一本の大きな水晶が必要となる。当然洞窟には妖魔が生息しており、純度の高い水晶を探すのも一苦労だ。そのためとても高価な値段となっている。ゆえに一般庶民には全く無縁のものである。

 エストルは無理難題をふっかけられて、頭を悩ませていた。


「たしかに出来ないこともないが……。全く、無茶ばかり言う」


 エストルはそう言うと机の上にある鈴を手に取り、揺らしていた。


「およびでしょうか?」


 開いた扉から音も無く現れた侍女。茶色い髪の毛に、鼻の当たりにそばかすのあるチャーミングなその女性を見てエストルは命令していた。


「仕事ができた。ソシエンヌ。お前に頼みたいことがある」


 そう言ってエストルは、侍女ソシエンヌを呼びつける。


「はい。なんなりと」

「これから渡す資料に書かれたものを、我が領地に運び込んではくれないか?」


 エストルはそう言ってソシエンヌに、先ほど持っていた紙とは別の紙を手渡す。

 それに目を通したソシエンヌは、そのクリクリとした目を丸くしていた。


「こ、こんなに沢山の品物を、領内に運ぶのですか?」

「ああ。別段驚くこともないだろう。実験に使用する器具なんか、大したことなどないだろう」


 エストルの発言を聞いたソシエンヌは、すぐに反論していた。


「そんなことありません。ガラス細工はとても高価なもの。実験に使用するようにガラスを加工するとなると、かなり高価になりますよ? それに大きな窯に鍋、まるで魔術師が必要とするようなものばかりではないですか!」


 一方的に喋り続けるソシエンヌに対して、エストルは苦笑していた。


「俺からの切なる願いだ。頼むよ」

「もう、どうなっても知りませんからね!」


 そう言って不服そうに従うソシエンヌは、頬をむすっと膨らませて部屋を出ていった。

 彼女が怒るのも無理はない。なぜなら、彼女はエストルの業務に際して、領地から金を受け取って、ここで彼の資金のやりくりしている張本人なのだ。

 今回のことでかなりの出費となり、今ある資金だけでは到底買えそうもない。そのため、また領地より必要な資金をかき集めなければならないのだ。

 その苦労を思うと、エストルはソシエンヌに頭が上がらない。


「すまないが、もう少し辛抱してくれ」


 エストルの独り言は、部屋の中で消えていくのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る