第6話 傭兵と騎士代行


 試合から一日明けた日、エストルは執務室にて試合結果を従者から聞いていた。


「何!? ウェインが自ら敗北しただと!?」


 エストルは従者から報告を聞いて、驚きの表情を浮かべていた。


「は、エスティナ様が体調のすぐれない状態で出場し、膝を突いた時、ウェイン自らが敗者を名乗ったと……」


 エストルはその言葉を聞いて、拳を握り締めて怒りを露にする。


「まさか、あの馬鹿は! その様なことにならぬために、あ奴を選んだのに! 本当に大馬鹿者だ!」

「しかし、王妃が栄誉ある敗北とウェインを称えております」


 話の一部始終を聞く限りでは、負ける要素などなかった。だが、ウェインは自らを敗者と名乗ったという。無抵抗な者に剣を向けることは、確かに騎士道精神にはそむくかもしれない。


 しかし、女の騎士代行など第一軍団では前代未聞で、仕来りを破るようなことは許されない。否、エストル個人として許したくない。

 他の軍団なら早々に許したかもしれないが、代々すべて男手で軍団を運用してきた第一軍団をエストルは誇っていた。それが今、破られるのだから、怒り心頭なのも無理はない。


 アストールがメアリーを従者として受け入れることさえも、反対していたのだ。

 しかし、軍団長にはそこまでの権限はなく、渋々、メアリーが従者になることを認めざるを得なかった。それが今度は女性が騎士代行になるというのだ。


 エストルはエスティオに対する憎悪を募らせる。

 以前は仲が良好だったが、ある出来事をきっかけに二人の仲は犬猿の仲となっていた。今でも合えば、最低限の事務的会話以外はしないだろう。


「エスティオの疫病神め! 絶対に後悔させてやるからな」


 そう呟いていたエストルは手に持っていた羽ペンをグシャグシャに握りつぶす。その時だった。何者かが彼の執務室の扉をノックする。


「なんだ? 今は取り込み中だぞ!」


 エストルはそう言うが扉の外の人物は、一向に立ち去る気配はない。


「エストル様、エスティナです」


 美声が扉越しに聞こえ、エストルは余計に腹立てる。今の苛立ちの原因が、自分の元に来たのだ。不機嫌そうにエストルは叫んでいた。


「今は貴様の顔など見たくもない!」

「試合の件で話をしにきました!」


 アストールの声にエストルは何かに感づく。これは何か言い知らせがあるのではないか? と。鼻のきくエストルは、すぐに態度を変えていた。


「なに? ならば入るがいい」


 扉を開けてアストールが部屋に入ってくる。

 綺麗なうなじに、そこからは女性らしい流線を描く胸、またそこから腰までの括れはとても魅力的だ。つくづく見ていて美人な妹であると、エストルは内心思いつつ聞いていた。


「して、話とは何か?」

「はい。先日の試合、私は納得いっていません。率直に言います。再戦をさせて下さい」


 アストールの言葉にエストルは、内心ほくそえんでいた。

 まさかこんなにすぐに、この女を追い出す機会が来るとは思っていなかったのだ。

 エストルは部屋にいた従者に目配せする。すると、従者はそこから出て行き、部屋にはアストールとエストルの二人きりとなっていた。


「ふむ。確かに私も納得しておらん」


 彼の言った事を聞いたアストールは表情を明るくする。


「だが、王妃様がウェインを称えた以上、再戦をするとなると、王族の顔に泥を塗るも同義だ」


 その言葉をきいたアストールは、途端に表情を暗くする。それを見たエストルはニヤついていた。


「だが、先ほどもいったが、私も納得いっていないのだ」


 エストルは企みを含んだ笑みを浮かべると、アストールを見つめる。


「どうだ? 非公式にもう一度再戦し、勝てば騎士代行を認めるというのは?」


 どことなく怪しい提案に、アストールは怪訝な表情を浮かべていた。


「しかし、それでは。私が負けた場合の処置が、決まらないのではありませんか?」


 エストルは口元をつり上げると、アストールに答えていた。


「どちらにしろ非公式であるから気にする事はない。勝てばそのまま騎士代行につけばいいし、当然、負ければ、君から騎士代行を辞退する形にしてもらう。あの勝ち方で納得できないと言えば、自然な成り行きでもあろう?」


 エストルのいうことに何ら不思議な事はない。だが、どこか怪しく感じていた。

 しかし、あの試合では納得できなかったのは事実だ。その再戦ができるのなら、アストールはその話に乗ろうと思い、口を開けていた。


「では、その条件で行きましょう」


 アストールは自分の戦う相手の事を聞こうと続けて口を開く。その前にエストルは、彼女(かれ)の言葉を遮るようにして言っていた。


「おっと、まだ、話は終わっていない」


 エストルの笑みを見たアストールは、即座に何かあると悟る。怪訝な表情を浮かべたアストールに、エストルは得意げに言う。


「もう一つ提案がある」

「提案?」


 眉根をひそめるアストールに、エストルはさも当然という風に言っていた。


「もしも、お前が負けても、この提案さえ飲めば、騎士代行を認めてやろう」


 怪しげな雰囲気を出すエストルに、提案の見当を付けつつアストールは聞き返す。


「その提案というのは?」

「ああ、俺と一晩共にしろ」


 あまりにも予想通り過ぎる答えに、アストールはため息をついていた。


「ああ~。そんなことだと思った……。失礼ですけど、あなたと寝るくらいなら、騎士代行になりません。それに、私は負けない!」


 必死で男口調になるのを抑えつつ、アストールはそう言っていた。


「ずいぶんと威勢がいい。しかし、私が直接相手をするとなれば、そうもいくまい」


 アストールはそのいい口に、腹を立てて言い返す。


「誰であろうと、ぶっ倒すまで! 相手があんたであろうと関係あるもんか!」

「ほほう。ではいいのだな?」

「なんでもきやがれ!」


 いつの間にか男口調に戻っていた事に気付いて、アストールは内心焦っていた。

 もしも、自分の正体がばれれば、それこそ、一生の恥というものだ。


「いいでしょう。試合はあなたが正式に騎士代行に任命される前日です。その日まで精々腕を磨いておくといい」


 笑みを浮かべたエストルを前に、アストールは彼を睨みつけて部屋を出ていく。

 そこでアストールはふと気づく。

 エストル自ら試合相手をするという事に……。


「ああ! やば! 乗せられた!」


 気づいた時には後の祭り、ウェインとの再戦も叶わない。

 一晩を共にしろと言うのも、全ては挑発だったのだ。

 何より乗せられたことに、アストールは自分の不甲斐なさを感じざるをえなかった。


「あ~、もお! こうなったら、何でもやってやる!」


 半分やけくそに決意を固めたアストールは、自分の部屋へと戻るのだった。





「で。その提案を前提に非公式試合を受け入れたってわけ?」


 メアリーが腕を組んで呆れながらいうと、何も悪びれた風もなくアストールは答えていた。


「仕方ないだろう!」


 一度言ったことを覆すことを、アストールは良しとしない。


「どんな野郎が来ようと、今度こそぶっ倒す!」


 拳を手の平にぶつけて、自信に溢れた表情をするアストール。

 いつものエスティオならばとても頼もしく見えるのだろうが、生憎、今の外見は細身の美女のエスティナである。どんなに強く見せようとしても、それが逆にか弱さを強調してしまう。


「で、負けた時はどうすんの?」

「だから、負けなければいい。それだけだ」


 自分を追い込んで奮い立たせるやり方が、相も変わらず健在な事に、メアリーは溜息を吐くしかなかった。その姿がメアリーの目には儚く、そして、不安を感じさせた。


「ちょっと、勘違いしてない?」

「なにが?」


 メアリーは眉根をひそめて、アストールに向き直っていた。そして、叫ぶようにアストールに言っていた。


「今のアストールは女なのよ? なのに、勝てる勝てるって、前みたいに力のごり押しなんて通用しないんだよ?」


 メアリーの鋭い指摘に、アストールは黙り込む。そんな事は、当の本人が一番分かっている。だが、彼はそれを認めようとはしない。いや、認めたくなかった。


「アストールの身に何かあったらって思うと、心配でならないんだから!」


 そうきつくいうメアリーに、アストールは思わず立ち上がって言い返していた。


「お前に俺の何がわかるってんだ! 俺は急に女に変えられて、わけ分らない中こうやって努力して! 俺のつらさがお前にわかるのかよ!」


 きつくあたるアストールの顔は険しく、メアリーはその場で俯いてしまう。


「……じゃない」

「ああ?」


 メアリーに対して聞き返したアストール。彼女はすぐに顔をあげ、大きな声で彼に言っていた。


「分かるわけないじゃない! でも、私は、あなたが心配だから、こうやって……」


 語尾の方が弱々しくなり、最後には彼女は目に涙を浮かべていた。


「私が、私が心配たしら、迷惑なの……?」


 一時の感情に身を任せて怒鳴りつけた事を、アストールは後悔した。メアリーがまさかここまで心配していたなどと、思いもしなかったのだ。

 その場でぼろぼろと涙を零しだすメアリーに、ばつが悪そうにアストールは顔を背ける。

 だが、今更ここで引こうにも、アストールは引けなかった。

 彼女(かれ)は自分が悪いと分かりつつも、変な意地が謝るのを邪魔する。

 そして、逆にアストールはメアリーの事を逆なでする発言をしていた。


「ああ、迷惑だ! そのせいで試合に負けたらどうしてくれる?」


 思ってもいない事が、口から飛び出してくる。

 その一言を聞いた瞬間に、メアリーはぐっと悔しさをかみ締めて、アストールから顔を背けていた。そして、涙を流しながら、その場を駆け出す。


「馬鹿! わからずや! そのまま、女で居ればいいのよ!」


 そう叫んだ後、彼女は部屋から駆け出て行っていた。

 それと入れ替わるようにして、ジュナルが部屋に入ってくる。


「アストール。メアリーが泣いて出て行ったぞ?」


 ジュナルが心配そうにアストールに聞くと、彼女(かれ)は腕を組んでジュナルからも顔を背けていた。


「知るか、放っておけばいい」


 二人が喧嘩したことを察し、ジュナルは溜息を吐いていた。


「早めに謝りに行った方がいいぞ?」


 ジュナルにそう言われても、アストールは子どもの様に背を向けて答える。


「俺は、悪くない……」


 その言葉を聞いてジュナルは再び溜息を吐いていた。

 自分に後ろめたしい事があるから、そうやって顔を背けているのだろう。そう言ってやりたくなるが、ジュナルは今ここでそう言うのは、逆効果であるのがわかっていた。

 それが分っているからこそ、ジュナルはここでその話題を終わらせていた。


「そうか。それよりも、裏試合まで時間がない。最後の調整のために、もう一度アレクサンド卿の元に行き、細剣の扱いを教わってはどうか?」


 ジュナルがそう言うと、アストールは表情を和らげていた。


「それもそうだな。いいかもしれない。今の俺の構えは細剣を扱う構えじゃないしな」


 アストールはジュナルの提案を快く受け入れていた。

 アレクサンド卿はアストールが騎士見習いになるために仕えていた騎士である。アストールに騎士道を教え、正しい剣術を叩き込んだ師匠である。武術に関しての知識は豊富で、また彼の実践的な指導法は王国屈指の実力者を多く生み出してきた。

 今は一線を退き、山に籠って一人ひっそりと暮らしているという。


「もう二年も経つし、たまには顔を出さないと怒りそうだしな」


 近衛騎士に任命されてから、この方仕事が忙しく、顔を合わせる暇もなかった。

 だが、この機会にたまには顔を合わせるのもいいかと、アストールは考える。


「お主、もう自分の性別さえも忘れたのか?」


 ジュナルはそう言って呆れながら、アストールに問い詰めていた。


「あ、そうか。俺は今、俺の妹ってことになってんだったな」


 今更になってアストールは、自分が女であった事を再度認識する。

 それと同時にメアリーが言ったことを、頭の中で思い出す。


『今のアストールは女なのよ? なのに、勝てる勝てるって、前みたいに力のごり押しなんて、通用しないんだよ?』


 その言葉はアストール自身、最も自覚していることだ。

 ジュナルに手渡された大剣は、あり得ないほど重く感じられた。あの大剣を扱うのに、手の豆を何度もつぶし、手には剣ダコが多くできた。

 そこまでしてようやく自由自在に扱えていた大剣が、全く扱えなくなっている。

 その力の退化のしように、アストールは絶望感さえ覚えていた。


 だからこそ、早く男に戻らなければならない。けして、その事を忘れていたわけではない。だが、男に戻らなければならないという焦燥感と苛立ちが、彼女(かれ)を余計に意固地にしていた。

 アストールは冷静になって考える。メアリーがどれだけ心配して、そう忠告したのかを考えると、いても立っても居られなくなる。


「そんなこと、わかってるさ……」


 アストールはそう呟くと、ジュナルに顔を向けていた。


「ジュナル、ちょっと用事を思い出した。さっきの話は後でしよう」


 アストールの顔の変わりように、ジュナルは微笑を浮かべる。

 彼女(かれ)の心境の変化を機敏に感じ取って、ジュナルは微笑んでいた。


「そうですか。では、後ほど」


 そんなジュナルの微笑みを背に、アストールは細剣を片手に部屋を駆け出していた。


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