第5話 苦痛の真剣試合 3

 ヴァイレル城、そこはこのヴェルムンティア王国の全てを取り仕切る王の住まいである。


 城の造りが古いためか防備を重視した造りをしているが、外敵からの襲撃に備える必要が無いほどの大国となった今では、その強固な城壁は権力を象徴する物へと姿を変えていた。

 ここ数十年に渡って城内の内城壁は取り払われ、城の防備はある程度そぎ落とされていた。代わりに城内には居住スペースが増設され、また、中央にある王宮と主塔が合わさったドンジョンがある。


 ドンジョン前には新たに中庭が作り直されている。


 庭には内城壁を解体した際に出た城壁の石が敷き詰められており、雨が降っても泥で王宮内を汚さない配慮がなされていた。そんな城壁の庭の中央には、大勢のギャラリーが円形に集まり、人垣ができていた。


 木製の仮設客席が設けられ、そこに王妃やその娘の王族に加え、彼らを取り巻いている有力貴族やその娘達が列席している。客席に入れない下級貴族や暇を持て余した騎士達に、王城の近衛歩兵に給仕、侍女などは、二つの陣営を囲むようにして周囲に人垣を作っていた。


 それもこれも、今日、王国始まって以来、異例の女性騎士代行が誕生するかもしれない一大イベントが開催されているからだ。


 人垣の輪の両端に、それぞれの陣営が居座っている。

 一つはウェインを中心とした第一近衛騎士軍団の軍団員たち。そして、もう一方がアストールとジュナル、メアリーの三人である。


「ふむ。相手側は王族も来ているというからに、かなり緊張しておる。これは十分に勝機があるな」


 腕を組んだままジュナルが、冷静に相手陣営を注視する。

 アストールの相手であるウェインが、いくら実力者とはいえ、実戦の経験もなければ、王族の前で剣の腕前を披露した経験などあるわけがない。

 そのせいかウェインの表情は固いを通り過ぎて、青ざめているようにさえ見えた。


「でもさ、こっちもこっちで大問題なんだけど……」


 メアリーがそう言って顔色の優れないアストールを見つめる。

 その顔は苦痛にゆがみ、額には脂汗をかいていた。


「うう、いてえ。なんだ……この金的受けたような腹痛の持続は……」


 腹を押さえて動けないでいるアストールは、息を荒げていた。


「そうよね……。昨日あれだけ苛立ってたし、そうだとは思ってたけど……」


 メアリーは半ば諦めた様に、首を左右に振っていた。


「も、もしかして、アストールよ。生理痛か?」


 ジュナルのデリカシーのない質問に、アストールは痛みに耐えながら答えていた。


「ああ、そうだよ! 畜生! やっぱり女なんていやだ……」


 小声でそう弱音を吐くアストールは、それでもどうにか痛みをこらえて立ち上がる。


「アストール! 大丈夫なの?」


 メアリーの心配をよそに、アストールは苦笑しながら答えていた。


「だ、大丈夫だ。あんな、新人野郎、ちょちょいとやっつけてくる……」


 アストールは場馴れしている上に、何度も王族とは顔を合わせている。この状況程度で上がるようなことはない。とはいえ、初めて味わう女性の苦痛に、アストールが圧倒的に不利なことは間違いなかった。


「これでは、互角か、それ以下の戦いになりかねないな……」


 ジュナルは心配そうに言うが、始まってしまったものは仕方がない。

 彼女(かれ)が勝つことを祈るしかない。


 アストールは痛みを我慢しながら立会人のいる中央へと歩いていく。

 対するウェインもそれを見て、ぎこちない足取りで中央へと向かっていた。

 二人が定位置に着いたのを確認した立会人は叫ぶように宣言する。


「それではこれより、騎士代行の任命試合を開始したいと思います。使用する武器は自由、また真剣を使う為、万が一にお互いに命を落としても恨みはなしとする! 両者とも準備はよろしいか?」


 立会人がウェインに顔を向けると、彼は頷いて見せていた。今度は対するアストールへと顔を向けると、彼女(かれ)もまた頷いて見せる。


「ルールはどちらかが降参するか、武器を手放すかとする。それでは両者前へ!」


 立会人を務める男の声で、アストールとウェインは対面した。

 皮の胸当てをしたウェインは、アストールを見て少しだけ表情を固める。

 同じようにアストールも、皮の胸当てをしているが、動きやすい服装のためか、自然と女性らしい体型を前面に押し出していた。

 立会人は最後の確認をするように両者を見る。二人は右足を踏み出し、右手を前に折り曲げて出すと、顔だけは相手に向けてお辞儀する。そして、すぐに居直ると剣を抜いていた。


「それでは構え!」


 立会人の声と共にお互いに、剣を構える。

 二人の準備が整ったのを確認したのち、立会人は大きな声で叫んでいた。


「始めええ!」


 立会人の叫び声と同時に、ウェインは騎士の試合に乗っ取った形で、剣を胸の前に持っていき名乗りを始めていた。


「我が名はウェイン・ハミルトン! 生まれはルディトア領、父の名はバレド・ハミルトン子爵であり、先の西方遠征では……」


 両手でも片手でも使える長めの剣を、ウェインは胸の前に構えたまま言葉を続けようとする。だが、アストールは名乗り終えるのを待つ事なく、彼に一気に詰め寄っていた。


「問答無用!」


 その一声でアストールはウェインに正面から細剣を振り下ろす。

 思わずウェインは後ろに下がって、即座に剣を構えなおしていた。

 繰り出される次の一撃を、ウェインは長剣で受け流す。

 大きな金属音が中庭に響き渡る。

 同時に観客たちからはどよめきの声が上がっていた。

 騎士の正式な試合であるなら、お互いの名乗りが終えるのを待って試合を開始するのが慣例なのだ。


「き、君は名乗りを知らないのか!?」

「そんな事してたら、実戦じゃ死ぬだろうがあ!!」


 機敏に動くアストールは次にまた、即座に細剣を振り下ろす。

 その動きは傍から見れば、まるで踊り子が華麗に舞っているように見える。観客たちのどよめきは一瞬にして感嘆の溜息へと変わっていた。


「こ、これは試合だ! 形式上名乗りをするのは普通だろお!」


 そう言って一瞬の隙をついて、ウェインは剣を振り下ろしてくる。彼の一撃を受けきれないと判断したアストールは、即座にステップで後退していた。

 空を振るウェインの剣が、周囲の観客をどっとにぎわせる。


「ちょこまかと!」


 ウェインは睨み付けるように、アストールを見つめる。だが、すぐに彼女の異変に気付いた。それほど動いていないにも関わらず、額には汗をかいている。

 それ以外にも腰を少しだけ引き、剣を持たない手で腹を押さえようとして、すぐにやめる。そのしぐさを見て、ウェインは彼女の体調が悪いことに感づいた、


「動かないなら、こっちから行くぞ!」


 アストールはとにかく短期決戦で済ませるつもりで、再びウェインに距離を詰めていた。


「あ、おい!」


 何かを言おうとしたウェインは、繰り出される右に左にという大ぶりでも、隙のない細剣の振るいに防戦を強いられる。

 アストールは生理痛と戦いながら、ウェインを確実に追い詰めていく。

 ウェインは防戦を余儀なくされ、徐々に後ずさっていく。

 その戦いぶりに周囲は歓声を上げて、双方を応援しだしていた。

 だが、それも一時のものだった。ウェインがアストールの振りを受け流すように見せつつ、大きく細剣を弾いていた。


 アストールは予想していなかった動きに、対応できずに姿勢を崩していた。

 一瞬できた隙に、ウェインは剣を振り下ろす。

 アストールはとっさにその場で態勢を立て直して、細剣で受けようとする。だが、とても真正面から受けきれるような一撃ではない。

 体を思い切りひねり、どうにかウェインの一撃を避ける。

 だが、そこで体中に激痛が走っていた。

 腹部からくる激痛が、ヘビがのた打ち回るように全身を襲う。

 アストールは痛みで声にならない喉奥から絞りだした声を上げ、その場に膝をつく。倒れそうになるのを堪えて、持っていた細剣を地面に突き立てて体を支える。だが、それがやっとの状態だ。


「アストール。相当やばそう」


 メアリーは心配で居ても立っても居られなくなるが、どうする事も出来ずに彼女(かれ)を見守る。


「ふむ。これまでかもしれん」


 ジュナルは残念そうに首を左右に振って見せる。

 ウェインは苦痛に耐えるアストールを見て、思わず彼女(かれ)に駆け寄ろうとする。

 だが、一瞬動きを止めて、彼は葛藤した。


 今剣を向ければ、彼女(かれ)に勝つことができる。だが、この様な状態の、しかも女性に剣を突きつけるなど、騎士道精神に反するものだ。

 腹部を押さえたまま、立ち上がれないアストールを前に、ウェインは剣を構えたまま動かない。この奇妙な状況に、周囲は一気に興ざめしていた。


「おい! 何やってる! ウェイン! さっさと剣を突きつけろ! それで終わりだぞ!」


 ウェイン陣営からは野次が飛ばされ始めるが、彼自身なかなか決心がつかなかった。


「おい! 何やってるんだ!?」

「あの新人騎士は馬鹿なのか?」

「ああ、勝てるのに……」


 などと周囲からも罵声や野次などが聞こえてくる。

 それにウェインはムッとして、その場で剣を放り捨てていた。


「この勝負! 最初から私の負けだ!」


 ガラン!という石畳に転がる剣の音が、むなしく響き渡る。


「このエスティナ殿は、生半可な覚悟でこの勝負に挑んでいない! その証拠に彼女は体調不良であるにも関わらず、私との試合に挑んだのだ!」


 ウェインはそう言うと、周囲に向かって叫んでいた。


「私は男である前に騎士である! 無抵抗な相手に剣を向け、勝者を気取ることなどできない! それに決意の固さでも私は負けている……。これで剣を向けて私が勝ったとしても、その勝ちはけして誇れる勝利ではない!」


 ウェインはそう言うなり、アストールに近寄っていた。


「大丈夫か?」


 ウェインはアストールの背中に手を回し、屈んで優しく話しかける。

 だが、アストールは暫く何も喋らない。

 口はプルプルと震え、痛みからか唇を噛み締めていた。


「き、気安く触るんじゃねえ!」


 ウェインの手を荒々しくのけると、アストールはそのまま細剣を支えに一気に立ち上がる。

 普通ならば喜んでもいいはずの勝利。だが、アストール個人としては、とても喜べるものではなかった。


 女の体になったとはいえ、一度は王族に勲章を手渡されたほどの実力者だ。

 ましてや、情けをかけられての勝ちなど、彼女(かれ)自身望んでいたことではない。

 新人から情けをかけられた事は、逆にアストールの尊厳と誇りを傷つけていたのだ。

 とても乙女の使うべき言葉ではない荒々しい態度を取った事に驚きつつ、ウェインはそれでもアストールの傍に居続けた。


「し、しかし、あなたは体の調子が悪いのでは?」

「気を遣いやがって! 何が騎士道だ! 負けは負けなんだから、俺にさっさと止めを刺せばよかったんだ!」


 自分が女である事も忘れ、アストールはウェインに怒鳴っていた。

 これほど屈辱的な勝利など、アストールは望んでいなかった。こんな勝ち方をするくらいなら、いっそのこと負けてしまっていた方がどんなに良かっただろうか。

 アストールの元に駆け寄ってくるメアリーが、彼女(かれ)の肩を担いでいた。


「もう、馬鹿ね。だから、やめておきなさいって言ったのに!」

「う、うるさい! 棄権したら、どっちにしろ負けじゃないか!」


 などというやり取りをしながら、二人は場外へと歩みだす。

 二人の後姿を見たウェインは、その場で呆然と立ち尽くしていた。


「見事な騎士道精神だ。見ていてこれほど気持ちの良いものはない」


 王妃はウェインの自ずから進んで選んだ敗北を称えていた。

 元々騎士の国として栄えてきたヴェルムンティア王国で、これほど栄誉なことはない。ウェインは緊張の面持ちで、王妃の言葉を聞くのだった。


 それとは相反して、アストールはその釈然としない勝利に、不満を持ちつつ、その場を後にするのだった。

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