第3話 苦痛の真剣試合

 レマニアル領についたアストール達は、早速事情を祖父のカルマン・アストールに話していた。

 領内の中心にあるアストール家の館。その一室でアストールの姿を見たカルマンは、その場で泣き崩れて嘆いていた。だが、暫くしてから、アストールら三人の提案を受け入れていた。と言うよりは受け入れざるをえなかった。


「てわけだから、俺は俺の妹を演じるから、爺さん。近衛騎士に入る手続きを頼む。この通りだ」


 変わり果てた自分の孫の姿とはいえ、その動作からは確かに元の孫の面影が見える。白髪の祖父カルマンは、大きくため息をついて答えていた。


「仕方なかろう。そのかわり誓え。絶対にゴルバルナを捕まえ、元の体に戻ると」

「神に懸けて誓う。爺さんに元の体の元気な俺を見せてやる」

「うむ。それではすぐにでも手続きの書面を揃えて来い。近衛騎士団には私から話を付けておく」


 カルマンはそう言うなり、部屋から出て行こうとする。だが、入り口の前で立ち止まってアストールの方へと振り向く。


「お前は元の体に戻るまで、今日よりエスティオの妹エスティナだ。それは肝に銘じておくのだ。わかったな」

「わかってるって、爺さん」


 その軽い口調にカルマンはアストールを睨み付ける。


「わかっておらぬ。それではまるで男ではないか!」


 そう言われて、アストールは渋々口調を改めていた。


「わかりました。おじい様。これでいいか?」


 何かを言おうとしたがカルマンは、喉まで出かかっていた言葉を飲み込んで、溜息をついて答えていた。


「まあ、いいとしよう」


 そう言ってアストールの祖父、カルマンは足取り確かに部屋から出ていくのであった。

 それと入れ替わるように、ジュナルとメアリーが部屋に入ってくる。


「どうであったか?」


 ジュナルが心配そうに聞くと、アストールは得意げに胸を張って答える。


「うまくいった。爺様は俺が騎士代行できるように、騎士団に話をつけてくれるとさ」

「そうであったか。それはよかった」


 ジュナルは胸をなでおろして一時的に状況が好転したことに安堵していた。


「アストールが女になったなんて、誰も考えないだろうし、騎士団に行っても正体はばれないかもね」


 メアリーはからかうようにアストールに言う。


「この世に二人といない美女だぜ? ばれるわけがない! それに強さも変わってないだろうから、今まで通りほかの騎士共を圧倒してやるぜ」


 アストールは自信満々に腕を組んで言うが、ジュナルは不安そうな表情をしていた。


「その事で話がある」


 深刻そうな表情を浮かべたジュナルに、アストールは怪訝な顔をして彼を見る。


「何だ? 話ってのは?」

「その力の話であるが、望みどおりにはならぬかもしれぬ」


 相も変わらず深刻そうな表情のまま、ジュナルはアストールに続ける。


「どういう事だ?」

「力は男の時より大分落ちているであろう。その体はあくまで女なのだ」


 ショッキングな事実に、アストールは言葉を失う。


「うそ……だろ?」

「ここに帰ってから拙僧の書斎で黒魔術関係の書物を調べていたのだが本当だ。断片的な記述しかなくて、元に戻す方法までは記載されてはいなかったが、この事は確かに記述されていた」


 ジュナルの言葉を聞いたアストールは暫し黙っていたが、すぐに乾いた笑みを浮かべていた。


「そ、そんなわけねえだろ! だって、俺は血の滲む努力を欠かさずしてきたんだ」


 現実逃避するために出てきた言葉を前に、ジュナルは無情にも彼女(かれ)に事実を突きつける。


「その証拠にそなたの部屋にある大剣を持ってきた。いつもの様に持ってみると良い」


 ジュナルはそう言って肉厚な両手剣を、アストールの前に差し出していた。


「いやいや。冗談はよしてくれよ。これで毎日練習してきたんだ。このくらい余裕だ」


 そう言いながらアストールは大剣を受け取る。

 受け取った瞬間にいつもよりもずっしりとした重量感が手に伝わり、アストールは心の中で焦燥していた。明らかに普段の数倍は重く感じられる。いつもならば軽々と持ち上げて、この剣を両手で構えて甲冑ごと相手を叩き割れるのだが……。

 今はどうだろうか。

 柄を持って構えようとしても、まず持ち上げるのがやっとの状態だ。


「う、うそだろ……」


 震える両手でどうにか剣を正眼に構えるが、今のアストールにはそれが限界だった。

 肩が熱を持って胸筋が悲鳴をあげだし、仕舞いには握力すら機能しなくなる。限界を迎えたアストールの両手から大剣が滑り落ちていた。

 大剣は大きな床を割るような音を部屋中に響かせる。

 それと同時にアストールは床に腕と膝を突いて、そのまま動かなくなる。


「そ、そんな……。こんなに力が落ちてるなんて、想像もしてなかった」


 絶望するアストールにジュナルは困ったように彼女(かれ)を見ていた。


「当然の結果と言うことか……」

「クソ……。これじゃあ、どうやって戦うって言うんだ」


 アストールはそう言うと、拳を握り締めていた。今の今まで騎士になるよりずっと以前から、大剣を扱うために並大抵以上の努力をしてきた。

 毎朝、貴族としての勉強の合間には筋肉を付けるために日々トレーニングし、常に自分の体格より少しだけ大きな真剣で素振りをしてきた。

 体が大きくなれば、また、自分よりも一回り大きな剣を用意し、毎日それで素振りをする。

 そうして幼い時から剣を変えては、自分で訓練していた。それから、騎士の従者となってから、最高の訓練を受けて、今の大剣を扱えるようになったのが丁度二年前だ。


 物心ついた時から怠ったことのなかった努力が、今、水泡とかしていた。

 自分の力のなさにアストールは絶望し、努力の儚さを憂い悲しむ。

 その落ち込みようを見たメアリーは声のかけようがなく、目をそむけるだけだった。


「だが、その剣術が全く使えなくなったと言うわけではあるまい」


 そう言ってジュナルが、新たな剣を差し出してくる。

 剣の柄には蔓と柏の装飾が施され、どことなく高貴さを感じさせる。刃そのものも細身であり、男であったころに持てば、棒の枝切れと同じ感覚で振ることもできただろう。


「俺の趣味じゃあ、ねえな……」

「文句を言うでない」


 アストールはそう言いつつも、ジュナルから細剣を受け取っていた。予想外にしっくりと手に馴染み、重さも軽すぎずだからといって重過ぎない。

 今の体には最もフィットする剣であることは間違いなかった。


「悔しいけど、この剣が一番いいかもしれねえ」


 細剣を鞘から抜くと銀色の刀身が現れる。アストールは細剣を構えてからニ、三度素振りすると、そのまま鞘に仕舞っていた。


「扱いやすい……。くそ……。こんな細身の剣なのに」


 二、三度素振りをしただけだが、彼女(かれ)が剣舞を舞っているかのごとく鮮やかであった。本人がそれを一番分っている分、余計に悔しさが滲み出る。


「そういうわけだ。これから暫くはその細剣に厄介になるだろう」


 何も言い返せずに、アストールはその場で肩を落とすのだった。



 アストール達は領内で数日間の休暇を取ったあと、すぐに王都ヴァイレルに戻っていた。

 休暇の間も書類の用意に加え、女性用のレギンスにブーツを購入し、オーダーメイドのプレートアーマーにヘルメットを用意せねばならず、ろくに休めもしなかった。

 とりあえずは領内一の鍛冶屋にプレートアーマーなどの甲冑類防具一式の製作を依頼し、そのまま王都に向かっていた。

 出来上がればすぐにでも王都に届ける手はずは整えている。


 そして、王都についたアストール達は、早速第一近衛騎士団の軍団長、エストル・キャビオーネの元へと向かっていた。

 エストルはブロンドの髪の毛であるが、アストールとは対照的に長く髪の毛を伸ばし、その美形の顔は美青年と呼ぶに相応しい。典型的な騎士像という外見である。

 だが、内面はアストールと同等か、それ以上の遊び人である。

 体の線が細いエストルは、騎士団長の席に座ったままアストールを見つめる。


「で、君がエスティオの妹君の……」

「エスティナ・アストールです」


 アストールはそう言って、以前から知っている知人に自己紹介していた。

 先輩であり、上司であり、そして、何より、女遊びでアストールに新たな境地を与えたのが他ならぬエストルだ。それだけに、アストールは警戒しなければならなかった。


「それにしても、お美しい……」


 早速のお世辞攻撃に、アストールは内心気分を害していた。


 アストールの顔はかなりの美形、そして、何より服を脱げばそこには引き締まったスタイルのいい攻撃的な体だ。白いレースブラウスの上からでも判るほど形の良い胸、括れた腰回りを固める赤いコルセット、ヒップが強調されたレギンスからはスラリとした適度に肉付きの良い足がスラリと伸びていた。

 それを見て欲情しない男はいないだろう。 


「お褒めに預かり光栄です。それよりも、私の騎士代行の件につきましてお話があります」


 軽く流してエストルに言うと、彼は少しだけ表情を歪めて答えていた。


「ああ、その件であったな。貴公も生き別れて生活していたとはいえ、貴族の血を引く者だ。その資格は十分にあると思うぞ」


 アストールはエストルを見据えて、少しだけ表情を柔らかくして言う。


「ありがとうございます。では、今日からでも騎士代行の務めを預かりたく思います」

「ならんな。まだ話は途中だ」


 エストルは椅子に肘をついて、足を組んでみせる。その大きな態度に、アストールは内心憤慨していた。


「せっかちなところは兄上によく似ている。貴公に騎士になる資格はある。だが、例え騎士となっても、頭だけではなく武芸に関しても、確かなものがなければならない」


 女性であるがゆえに、余計にその辺りを気にするのだろう。

 エストルは真顔のままアストールに言っていた。


「貴公は確かに貴族の血を引いている。しかし、女性である上に、今の今までは街で暮らしていたと聞く。そんな貴公が武術を熟(こな)せるのか?」


 疑わしい視線を向けられ、アストールは思わずムッとなる。

 いつもの口調で叫びそうになるのを我慢しつつ、アストールは言い返していた。


「ご心配には及びません。こう見えて私(わたくし)、兄上と会った時は必ず稽古を付けてもらってましたから。少なくとも、そこらにいる街の男よりは強いはずです」


 アストールはそう言うと腰の細剣に手を添えていた。エストルはそれを聞いて、してやったりと笑顔を浮かべる。


「ほほう。そうか。だが、その実力は未知数だ。どうだ? 私と勝負して勝てば、騎士代行を務めさせるのは?」


「え?」


 そう言われて、思わずアストールはその甘い言葉に乗りそうになる。

 今の今まで、一対一の戦いでは、どの騎士にも負けた事はない。それゆえにその言葉はとても甘い蜜のように感じられた。だが、アストールは自分が女の体である事を思い出し、すぐにその提案に乗るか迷いだす。


「そ、その、それは少し、酷ではありませんか?」


 そう言って助け舟を出したのはメアリーだった。彼女の言葉にエストルはムッと眉を吊り上げて、メアリーを見つめる。


「酷なことなどあるものか。どのような敵に対しても、対応せねばならない。それが騎士の務めであろう。ましてや近衛騎士の一人や二人に勝てないようでは、騎士代行など務まるものか」


 などと尤もらしい事を言うエストルだが、本当のところは得体の知れない女に騎士代行を務めさせたくないのが本音だ。無理難題をふっかけて、早々に退場して貰いたいのだろう。だが、ここでアストールも引き下がるわけにも行かない。

 自分の体を取り戻すために、絶対に騎士代行となり、ゴルバルナの行方を追わなければならないのだ。


「確かに、エストル卿の言う通りでございます」


 そう言ったのは意外にも、アストールの信頼する従者ジュナルだった。


「流石は聡明な魔術師殿、分っておられる」


 エストルは笑みを浮かべて、ジュナルを見つめる。それにジュナルも柔和な笑みで返していた。


「とはいえ、軍団長自らがお相手することもないと思うのですがな」

「何?」


 瞬時にしてエストルの表情が険しいものとなり、部屋に険悪な空気が流れる。


「この様な小娘相手に、態々軍団長が手を煩わすこともありますまい。それにいくら本場の騎士に稽古を付けて貰っていたとはいえ、それは限られた時間、更に付け加えるなら女性であります。ここは騎士見習いか、新人騎士程度に勝てるほどの実力があれば、十分に武の才能がある事と証明もできると思えますが……。いかがですかな?」


 ジュナルの提案は話のはぐらかし様がないほどに的を射ていた。

 騎士代行の実力を推し量るだけに軍団長自らがでしゃばるのは、いささか大袈裟すぎるのだ。普通は騎士代行になるのは書類と口頭の了承で行われる。それを高だか騎士代行の実力を推し量るためだけに、態々軍団長が出ていくのは異例であった。

 それが分らないエストルではない。

 ジュナルの言葉を聞いたエストルは、渋々にこういっていた。


「それもそうであるな。ジュナル殿の言うとおり、私が行くのも大袈裟が過ぎるというものだ」


 アストールはエストルが自分の相手をしない事を、心から安堵していた。

 武術に自信があるとはいえ、それは男の体であった時の話だ。

 今はまだ自分の実力さえわからないのである。その様な状態で騎士団長と手合わせなどしたら、どうなるか分かったものではない。


「では、その方向でよろしいですかな?」


 ジュナルの問い掛けに対して、エストルは大きく頷いて見せていた。


「そうだな。こちらで相手は手配しよう。準備ができ次第、また追って連絡しよう」


 エストルの納得いかない表情を見て、アストールは内心思う。


(ざまあ、見やがれ、優男め!)


 内心では喜んでいたアストールだが、この後待ち受ける試練のことなど知るよしもなかった。


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