04 ギムレット

 誕生日当日。俺は自分の部屋で昼まで寝ていた。祖母からは、お祝いのメッセージが届いていた。

 この日は一人になりたくなかった。父のことを思い出すからだ。あいつは出ていくとき、十四歳の俺にこう言った。誕生日にはカードを送るからと。


「クソ親父……」


 父の約束は何一つ果たされなかった。もう俺のことなど忘れて、新しい妻と子供と一緒に幸せにしているのだろう。

 俺はコンビニへ行った。もちろん働いていたのとは別の店だ。持てるだけ缶ビールをカゴに詰め、小さなショートケーキを買った。

 ビールとケーキの相性は最悪だったが、俺は次々と腹に入れた。酔ってしまえば余計なことなど考えなくても済むからだ。


「呉葉さん……」


 浮かぶのは、あの優しい笑顔だった。俺は毛布にくるまり、一人慰めた。きっと、とびっきりのプレゼントを用意してくれているはず。早く胸に飛び込んで甘えたかった。

 翌日、俺は呉葉さんのマンションに向かった。彼はボサボサの頭で、あくびをしながら俺を出迎えた。小さな違和感があった。


「ああ、伊織くん。まあ座りなよ」


 俺はソファに呉葉さんと並んで座った。彼は俺の顔を見ることもなく切り出した。


「伊織くんさ。もう、来ないでくれる?」

「えっ……?」

「新しい子見つけたの。だから君は用済み。もう初々しくなくなっちゃったからね。そろそろ潮時でしょ」


 何を言われているのかすぐにはわからなかった。俺が呆然と黙っていると、呉葉さんはタバコに火をつけた。ピースの香りが部屋を満たした。


「でも……だって……俺たち、付き合ってるんでしょう?」


 ようやく絞り出せたのが、そんな言葉だった。


「僕、そんなこといつ言った? 嫌いなんだよね、一人に縛られるの。伊織くんには散々良くしてあげたでしょう。手切れ金でも渡そうか?」


 プツリと糸が切れた。俺は呉葉さんの顔を拳でぶん殴った。彼が持っていたタバコが床に転がった。


「あー!」


 俺は咆哮をあげて呉葉さんに馬乗りになり、二発、三発、と続けて入れた。彼は腕で顔を守っていたが、それをはがしてさらに殴りつけた。

 また俺は捨てられた。父にも、母にも、そして呉葉さんにも。

 どうせこうなるんだったら、最初から優しくしてほしくなかった。


「もういい。最後だ。ケツ出せよ」

「伊織くん、やめて……」

「うるさい」


 呉葉さんはギャーギャーとわめきだしたが、俺は構わなかった。強引に服を引き剥がし、肌をひっかき、抵抗されればまた殴った。


「あがっ……痛いっ……痛いよ……」

「俺を捨てるならそれでいい。でも、刻み付けてやる」


 中に出しきった後、空虚になった肉体をフラフラと動かし、服を着た。呉葉さんはうずくまって泣いていた。


「ごめん……ごめんなさい、伊織くん……」

「死ぬときは泥臭く苦しんで一人で死ね。一生会うこともないだろうけど、一生許さない」


 床はさっきのタバコで焦げ付いていて、ソファには体液がびっしりと染み付いていた。俺はそれに唾を吐いた。


「さようなら、呉葉さん」


 とどめに一撃蹴っておいた。そうでもしないと、くすぶった愛情を払いきれなかった。最後に俺は、ピースとライターをくすねた。

 呉葉さんのマンションを出ると、とっぷりと日が暮れていた。空きっ腹に入れるのは良くないと思いつつも、俺はショットバーに足を向けた。


「ギムレットを」


 シェイカーの音が響いている間、俺はタバコに火をつけた。もう終わってしまったのだとわかっていても、どこかで繋がりが欲しかった。

 ギムレットは、ジンライムと比べて甘かった。それがせめてもの癒しになった。俺は一杯だけで店を出た。呉葉さんと出会った場所。もう、ここに来ることもないだろう。

 俺は一度、地元に帰ることにした。祖母が作ってくれた懐かしい手料理を食べ、呉葉さんのことを忘れようとした。その間に、クリスマスが来て、年が明けた。


「伊織、明けましておめでとう」


 一日の朝、祖母がそう言った。


「ああ、おめでとう」

「仕事、どうするの」

「そろそろ探す。また別の街に行く。一人で暮らす算段つけるよ」

「まあ、ばあちゃんが死んだら、相続は全部伊織にいくようにしてあるから」


 俺は雑煮を食べた後、縁側に行き、タバコを吸った。祖母が呆れた顔で俺を見てきた。


「あんまり吸いすぎたらダメよ」

「わかってるって」

「それ、じいちゃんと同じ銘柄じゃない」

「そうだったんだ……」


 呉葉さんとの出会いは、導きによるものだったのか。そこまで考えて、俺はまさかな、と息をついた。

 それから俺は、幾人もの男と交わった。しかし、二回目以降はなかった。あらかじめそう断っていた。あんな思いは呉葉さんだけで十分だ。

 そして、父が新しくもうけた子供が、俺が捨てられた時の十四歳になったことに思い当たり、戸籍を調べた。

 そうやって俺は、しゅんに行き着いた。

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