第三部パラダイス #54

 お~? 「魔王」と「舞おう」掛けちゃってる感じ~? という、うざ絡みをしたいところであるが。うんうん、普段だったらそういうことしてもいいんだけどね。今は明らかにクライマックスもクライマックスであってですね、真昼ちゃんとても会心の見得を決めたところなのであるからして、そういうことをするのは無粋もいいところであるわけですよ。ちなみに「夢跡却来華」は真昼ちゃんが自分が初めて作った魔法に付けた超かっこいい名前であるが、かっこいい単語とかっこいい単語とを合わせて超かっこよくしただけの名前であるため、特に深い意味はない。

 斯うと、ちゃんまひのことはひとまず置いておいてですね。今、ちょっと確認しておきたいのは、この戦場におけるもう一方の陣営。この場所にいる、真昼、花鬼大軍勢、以外の登場人物のことである。つまりはリチャードとグレイと、二人のことだ。

 二人は、暫くの間、あまりの出来事にどう反応していいか分からなかった。二人にとって、真昼など、たかが人間に過ぎなかった。下等知的生命体。肉体的にも精神的にも不完全な、それどころか、指先でぱちんと弾けば跡形もなく吹っ飛んでいってしまうような生き物。

 正直な話、デニーを殺してしまえば、後は「家に帰るまでが遠足です」くらいのテンションでいたのだ。確かに……ちょっと前に、リチャードとグレイと、二人の会話に出てきたように、先遣隊から、といっても主にエレファントとカレントとの二人であるが、ある程度の忠告は受けていた。どうやらある種の攻撃魔法を使えるらしいということ。その攻撃魔法は何者かによって強化されており、恐らくセミフォルテアレベルの力を矢として放つことが出来るらしいこと。そういったことは聞いていた。とはいえ、だから? それでも人間は人間であるはずだ。そして、人間に、こんなことが出来るはずがない。

 リチャードが「これは……」と言う。そこから先、出てこなくなった言葉をグレイが続ける「少し、厄介だな」それから、グレイは、気を取り直したかのようにして「ところで」と言う「もし危険がないようなら下ろしてくれないか、ホワイト・ローズ」。リチャードは、そんなグレイに対して「え? ああ、そうだな」と、少し上の空の様子で答える。

 ご覧の通り、リチャードはノスフェラトゥなので飛ぶことが出来るが。一方で、グレイはノスフェラトゥではないので飛ぶことが出来ない。いや、まあ、「機関」を使えば、そこそこ何でも出来るようになるので、飛ぶことも出来るようになるのだが、とにかく、今のこの状態、リチャードに抱っこされたままの状態では、まともに戦闘に加わることは出来ない。

 幸いなことに、地上では、オルタナティヴ・ファクトの発動の際の亀裂が塞がっていた。また、一面に非時香花が生えていることは生えているが、あれは死者の魄に寄生するものであって、生きている人間にはほとんど影響を及ぼすことはない。なので、地上に降りても問題はないのだ。

 リチャードは、真昼の方に視線を向けたままで。真昼から視線を逸らさないままで、ふわりと地上に降り立った。十ダブルキュビト、上下の距離を一瞬にして落下したというのに、その着地は、あたかも、猛禽の柔らかい羽が優しく優しく獲物の首筋をくすぐるかのようにそっと静かなものだった。

 薔薇の花を。

 リチャードの革靴が。

 優しく。

 優しく。

 踏み躙る。

 腰を抱いていたグレイの体、ぱっと離す。グレイは、特に礼を言うこともなく、一歩、二歩、だけ、離れる。「さて、リチャード」それから、こう言う「あの少女の能力について、少しは理解出来たか?」。

 「ああ、まあな」リチャードは答える「完全に理解したってわけじゃないが」。そう、リチャードは、真昼が見せるのを待っていたのだ。その能力の一端でも、リチャードの前に露呈してみせるのを待っていた。そして、今、まさに、惜しげもなくそれは晒し出されたわけである。

 「それで、その能力は……」「決定論」「決定論?」「ああ、そうだ」「私が見た限りでは、あの少女の能力は死霊学に関係しているように思えるが」「いや、あれはあいつの能力それ自体じゃねぇよ」そう言うと、リチャードは、真昼の背後に浮かんでいる不死の星を指差した「それは、あの星の能力だ」。

 「星の能力?」「そうだ」「つまり……」「つまり、あのメスガキは、自分の能力で死霊発生装置を作り出したってわけだ」リチャードの言う通りだった。真昼は結界発生装置を組み替えて死霊発生装置を作り出したのだ。魔法というものは、魔学的な法則に従って作動するものである。そのため、基本的には、魔力と精神力と、それに魔学的エネルギーがあれば、生きているものでも生きていないものでも、その析出者となることが出来る。科学的な能力を、その法則さえ知っていれば、機械によって作動させることが出来るのと一緒である。

 そもそも……いくら、真昼が奇瑞であったとしても。奇瑞の能力がその方向のものであるというのならまだしも、そうでないのであれば、一万に近付こうという数のノスフェラトゥをリビング・デッドとして使役することなど出来るはずもない。以前にも書いたように、リビングデッドは、そのリビングデッドを生き返らせた者の有する魔学的な「力」を注ぎ込むことによって成立する。真昼の、つまり人間の有する魔学的な「力」では、真昼が成し遂げたような大軍勢の発生をするには、あまりにも不足である。

 一方で、デニーちゃん謹製結界発生装置は。コーシャー・カフェが取り扱う武器、コーシャー・カフェと取引する顧客、そういった物凄く貴重なものを、このアーガミパータという土地で、あらゆる異類異形魑魅魍魎、ギャングに野獣にパーティーピープルに、正規軍の兵士から気さくなテロリストまで、より取り見取りに取り揃えたこの土地で、守り抜くためのブラインド・スポットを作り出すための装置なのだ。アーガミパータに満ち満ちている魔学的エネルギーを集積して、それを魔学的な「力」として使うことが出来る装置なのである。

 つまり、だ。不死の星はこのようなシステムで成り立っている。まず、星の表面に埋め込まれてる九つの魔石が、アーガミパータの魔学的エネルギーを星の中心部分に焦点させるための集光レンズの役割を果たしている。正確にいえば、これらの魔石の時空間座標と、それに星の内部の機械構造がある種のマジック・サーキットとして機能していて、それが生命体でいうところの魔力と精神力との機能を果たしているのだが、四次元回路について説明しているとまた面倒になってくるのでこの部分の説明は省略することにしよう。とにかく、そのようにして一点に凝縮され、そして、利用可能な「力」に変換された魔学的エネルギーを、星の周囲を回転している魔学式、結界ジェネレーターから死霊ジェネレーターに組み替えられた魔学式が、真昼ちゃんが命名したところの「夢跡却来華」として析出しているということである。

 ちなみに、このような星の構造、読者の皆さんはなんとなく覚えがありませんか? そう、その通り。ASKがダコイティとの戦闘において使用していたところの、あの「再生機」である。実はですね、真昼は「再生機」に関して自分が持っている観念を利用してこの不死の星を作り出したんですね。もちろん、詳細な構造は全然違ってるし、そういう構造を知っているわけでもない。ただ、真昼は、アーガミパータに来てから今の今まで、デニーと過ごした全ての生命の過程を、この戦いにおいてブリコラージュとして利用しているわけである。

 まあ、それはそれとして。真昼自身は「夢跡却来華」の過程に一切介在していないのだ。真昼は死霊を発生させるためのシステムを作り出しはしたのだが、その後は、その過程に、一切介在していない。ここが最も重要なポイントなのだ。

 この魔法は人間の不完全な能力に依頼しているわけではないということだ。そして魔王からの贈り物である不死の星は、ほぼ無限に魔学的な「力」を利用出来る以上、ほぼ無限にリビングデッドを作り出し続けることが出来るのである。

 これが。

 真昼が。

 この葬列を。

 作り出した。

 絡繰りだ。

 ちなみに、なぜ真昼がノスフェラトゥの死体だけを利用していて、デニーの作り出した、あの紛い物の蛆虫、成れの果ての蛆虫を利用していないのかといえば。答えは簡単で、蛆虫達はとっくに消え去ってしまっていたからである。「デナム・フーツの死」という現象の直後に。デニーの下半身、エクリシプスと同時に、エクリプシスが消えたのと全く同じようにして、溶けて、溶けて、溶けて、些喚くような光の屑となって蒸発してしまっていたのだ。

 あのような蛆虫を、また新しく作ることが出来ないかという質問であるが。それはさすがに不可能だ。あれほど大量の死者を、下等知的生命体も高等知的生命体も関係なく、一気にリビングデッドにするということは、不死の星にも出来ない。そんなことが出来るののは、デニーのような、しかも真の力を解放したデニーのような強く賢い生き物だけなのだ。そして、あのお城を作り出したデニーは真の力を解放した状態ではなかったのである。

 そのようなわけでありまして……リチャードがグレイに言った通り、真昼の能力は死霊学に関係するものではなかった。それでは、真昼の真の能力であるとリチャードが主張している(そして実際にそれはその通りなのだが)決定論とは一体何なのか。「決定論っていうのはな……俺も、実は、実際に見るのは初めてだ。っつーか、俺が聞いた話じゃあ、そういった能力は原理的にはあり得るが、それが現実になることはほとんどあり得ないっつーことだったんだよ。まあ、俺のこの能力だってそういうことをいわれてたんだから……ははっ、俺が文句を言えた筋合いじゃないんだろうがな。とにかく、信じらんねぇくらい珍しい能力だってことだ」「なあ、グレイ、お前も世界を構成している三大要素は知ってるだろ? 存在、概念、生命だ。まあ、このうちの生命は置いておいて、だ。世界の構造は、不確定的に空漂している存在が概念によって定義されることによって成り立っている。つまりだな、存在っていうやつは、存在それ自体で存在しているってわけじゃねぇわけだ」「存在は、存在だけの状態では、ただ単なる確率でしかねぇんだよ。それがそうなるかもしれないしそうならないかもしれないっつーたぐいの本質的揺動状態にあるわけだ。それが、概念によって決定されることによって、初めてそれがそうであるところのそれになるわけだ」「あのメスガキの能力はまさにその決定を操作することにある。つまり、物事が物事として成立しているところの決定を、確率に対して押し付けることが出来るっつーことなんだよ」「基本的に、世界のあらゆる現実領域は、完全に決定されているわけじゃない。かといって純粋確率として無限多義性のもとにあるというわけでもねぇんだが、とにかく、常に、世界を構成しているパラメーターは微細な振動を繰り返している状態にあるわけだ。ということは、あらゆる現実領域は、ある意味では確率的に開かれている」「あのメスガキの能力はな、要するに、その開かれている確率を、自分にとって都合がいいように、てめぇ勝手に決めつけることだ。あそこにあったはずの結界発生装置には、いうまでもなく、ああいう風に、死霊発生装置になる確率があった。そりゃあ、ちゃんちゃら笑っちまうほどに少ない確率だったが、その確率は確かにあったんだ。そして、あのメスガキは、現実がその確率を選ぶように決めつけた。つまりだ、それが、あいつの出来ることだ」。

 そこまで言うと、リチャードは言葉を切った。それから、忌々しげに、ちっと軽く舌打ちをする。そんなリチャードに対してグレイがこう言う「そうか、なるほどな」。暫く考えるような表情を見せてからこう続ける「つまり、私とあの少女とは相性が悪いということだな」。

 「まあ、そういうことになるな」いかにも不愉快そうに、吸痕牙を剥き出しにしながらそう答えるリチャード。「お前の「機関」は不完全な機関だ。そのせいで、仮設世界泡内部の現実領域に変更を加える際、どうしても外理のパラメーター操作を行なわなきゃならねぇことになる。要するに、そこで、どうしても確率が介在することを許してしまうわけだ。そこを、あのメスガキに狙われたら、随分と厄介なことになる」。

 と、ここまで喋ってから。リチャードは「ただな」と気を取り直したように続ける「とはいえ、その逆もいうことが出来るわけだ。つまり、グレイ、お前は少なくとも仮設世界泡内部に関してはパラメーター調整を行なうことが出来る。そういう意味では、俺みたいなパラメーターに触れることも出来ないような生き物よりも、あのメスガキと戦闘するに際しては有利になる。要するに、お前とあのメスガキとの戦いは、パラメーターの優先権獲得の戦いになるわけだ。そう考えると……まあ、それほど不利というわけでもないかもしれねぇな」。

 そして、そう言った後に。リチャードは、今までの表情とは全く逆転したような表情、つまりは勝ち誇ったような顔をして笑った。どうして? なぜ? このタイミングでリチャードはこのような顔をしたのだろうか。とにかく、そのように笑ってから、リチャードはこのように言葉を続けようとする「それに、あいつはまだ気が付いてないようだが……」。だが、そこまで言った時に「口を閉じろ、ホワイト・ローズ」とグレイがその言葉を押しとどめる。「あの少女が聞いている」「ああ、そうだな、すまねぇすまねぇ」、リチャードは、そう言うと、悪戯っぽく、にーっと笑った。

 どうもリチャードには何か切り札があるらしかった。ただ、戦う前から切り札を開けっ広げにしてしまう馬鹿はいないのであって、今は、その切り札について探ろうとしても無意味だろう。なんにしましても、グレイは、リチャードに向かって聞かせるようにして、ふーっと一つ溜め息をつくと。それから、こう言う「とにかく、だ。そういうことなら、これから行なわれる戦闘に関しては、お前はあの少女に近付かない方がいいかもしれないな、ホワイト・ローズ。あの少女の能力の影響範囲がどれくらいかは分からないが、デナム・フーツとの戦闘とは勝手が違ってくるだろう。どうせ、もう私の能力も曝露している。これ以上能力を出し惜しむ必要もない。近接戦闘は私だけが行ない、お前は遠距離からの狙撃に攻撃を限定した方がいいだろう」。

 そのようなグレイの提案に対して、一秒二秒ほど、何か考えるようなジェスチュアをして見せてから。リチャードはこう答える「ああ、そうだな。多分大丈夫だと思うが……もしかすると、俺の能力も、あいつの都合のいいように決めつけられるかもしれねぇからな。つまり、あいつが、俺の作り出した銃を暴発させる可能性もないわけじゃないわけだ。それなら、俺は、軽々に近付かない方がいい」。

 リチャードは。

 それから。

 グレイに。

 こう問い掛ける。

「それで、あと何分使える?」

「せいぜい四十分だ。」

「なるほど、俺達にとっちゃあ十分過ぎるほど十分だな。」

「ホワイト・ローズ、だから……」

「ははは、分かってるよ。」

「くれぐれも口を滑らせないようにしろ。」

「はいはい。」

「それで。」

「なんだよ。」

「準備はいいか。」

「いいぜ、ダーリン。」

「それなら始めるぞ。」

 グレイは、そう言うと、とんっと一歩、足を踏み出した。それは、あたかも決して汚れることがない強化ガラスで出来た信念のように決然とした足取りであって……と、その瞬間に。グレイの全身が、異様に変化し始めた。

 口から、ぐるるるるぅううううっという、獣のような、いや、明らかに肉食の獣としての声が漏れる。全身が、ぎしり、と、身体性そのものが軋んだかのような音を立てる。それからグレイはトラックスーツの内側で爆発するかのような勢いで膨れ上がる。

 グレイ。その名前が意味する意味、灰色の髪。そのような髪と、全く同じような灰色をした獣毛が、顔も、体も、それに、尾も。グレイを覆い尽くしたのである。尾? グレイには尾が生えていた。それだけではない。耳が伸び、先端が尖る。口が伸び、長く突き出る。指先が裂けるようにして、その先の爪が刃のような形になる。歯が突き出て、まるでのこぎりのようにぎざぎざと刻まれる。その、明らかに人間ではない凶悪な相貌は……狼……二足歩行の狼……ああ、そう、そうだ。これは高度な把持性を有した狼。

 これは。

 ライカーン。

 ライカーン。

 要するに。

 グレイは。

 ライカーンだった。

 ティールタ・カシュラムを雑踏する生き物についての説明をした時に、その生態については軽く触れたが。読者の皆さんは覚えていらっしゃいますかね? まあ、覚えていてもいなくても、ライカーンなんて、ナシマホウ界でもさして珍しい生き物ではないし、よほどの世間知らずでもない限りは誰でも知っていると思うが。人間と同じナシマホウ族の下等知的生命体であるところの人狼のことですね。

 まあ、ライカーンからすれば人間の方が「ローじゃないジン」だし、なんだったら狼は「ジンじゃないロー」だが。それはそれとして、これもまた知らぬ者などほとんどおりませぬぞ的事実として、パンピュリア共和国においてライカーンはノスフェラトゥの奴隷としての扱いを受けている。ストリート系のライカーン、いわゆるはぐれライカーンもいないわけではないが。それでも、基本的には、ライカーンは身体強化を施され、ノスフェラトゥの近衛兵的な扱いを受けているのだ。また……以前も書いたように、ナシマホウ界のライカーンは大部分が「月変わり」するタイプのライカーンであり、月の影響を受けなければ狼化することが出来ないが。パンピュリア共和国の近衛兵、その中でもエリート中のエリートは、身体強化に預かるところもないわけではないが、主に気合と根性とによって月がなくても「月変わり」をすることが出来る。

 ちなみに、それならば、いつでも「月変わり」出来るというのならば、なぜグレイは今の今まで「月変わり」しなかったのか。まさにデニーに斬撃を放ったあの時こそ、戦闘力を最も発揮出来る狼状態でいるべきではなかったのか。もしかして、読者の皆さんは、そう思われるかもしれないが。これは単純に攻撃力より隠蔽力を重視しただけの話である。つまり、狼状態においては、確かに戦闘能力は上がるが、その分、励起した生命力によって、そこにいるということを探知されやすくなってしまうのだ。もちろん、歴史から抹消された状態においては、そもそもそこにいないわけであって、隠蔽力もクソもないのだが。攻撃にあたっては、当然ながら、歴史の闇からぽひゅっと参上!しなければいけないのである。その瞬間に攻撃を回避される可能性を少しでも低下させるために、敢えて狼状態ではなく人間状態でいたということだ。

 ライカーンは、その種が本来的に有している性質として、指導者によって命じられることに対して従順である。非常に群属性が高い生き物なのだ。そして、それだけではなく、パンピュリア共和国に生息しているライカーンは、第一次神人間大戦中盤辺りからノスフェラトゥによる品種改良を受けており、そのような群属性を飛躍的に高められている。

 結果として、その精神は人間よりもむしろグールに近いものとなっている。分かりやすくいうとすれば、外部から入力される命令に非常に忠実に作動する機械のような生き物であるということだ。そのためノスフェラトゥにとっては、人間のように命令遂行の不確定性が高い生き物よりも、兵隊として遥かに頼りがいがある生き物となっているわけだ。

 とはいえ、確かに……ライカーンの方がノスフェラトゥよりもぜーんぜんよわよわのよわである。なんなら純種のノスフェラトゥ一鬼でライカーン千匹を相手にすることも出来るくらいだ。なので、ノスフェラトゥがライカーンを兵隊として使用するのはなんだか奇妙な感じがするかもしれないが、これは、なんというか、使い捨ての自動掃除機みたいな感覚で使用されているのである。つまり、わざわざノスフェラトゥが出張っていくほどでもない戦闘、例えば、さして大きくもない人間の反乱だとか、あるいはちょっとしたグールとの小競り合いだとか、そういった戦闘にいちいち対応するのは面倒なので、ライカーンを派遣するということだ。

 あるいは、先ほども書いたように、ノスフェラトゥの奴隷として生まれたライカーンは、そのままではそれほど役に立たないので、身体強化を施されるわけであるが。非常に先進的な実験、つまりはC-2としての実験を受けたバックスノートのような、そういう特殊なライカーンもいる。そういうライカーンは、始祖家のノスフェラトゥのための忠実なボディガードとして特別な取り扱いを受けることがある。

 グレイもそのようなボディガードのうちの一匹だったということだ。つまり、一応はグロスター家の跡継ぎであることになっているリチャードの、その専属ボディガードとして特別な「躾」を受けたライカーンだということである。

 と、そうであるならば、一点、非常に奇妙なところがある。普通、このような英才教育を受けたライカーンという生き物からは、自我というか個性というか、自分自身の意志のようなものは一切切除されている。そんなものは邪魔なだけだからだ。一般に、人間は、自分の意志があるから不測の事態に備えられるのだ、自分の意思によって考えることで予想も出来ない危機に対応出来るのだ、みたいなことをいうが。全然そんなことはなく、それは人間至上主義ゆえの驕り高ぶりである。あらゆる状況に適応するために必要なのはあらゆる状況に適応出来るような完全性を持ったプログラムだけなのであり、揺らぎがある不完全なプログラムではない。実際に、人間は失敗ばかりしているではないか。いつもいつも、後々からこうすればよかったみたいなことをのたのたとのたまっているだけなのである。人間が意志によって成功したことなど歴史上一度もない。フラジリティなど弱者の言い訳であり、絶対的強者からすれば邪魔なだけだ。

 それにも拘わらず、なぜ、グレイはこのような生き物であるのか? まるで人間のような不完全さによってリチャードと会話し、まるで人間のような不完全さによってリチャードと共闘する。いや、というか、それ以前の問題として……グレイからは、リチャードの奴隷であるという感覚が一切感じられない。それどころかグレイは、リチャードによって、デニーに、「俺の飼ってる犬だ」と紹介された時に。それに対して反論しさえしたのだ。普通であれば、このようなことはあり得ない。

 実はですね、グレイのこのような意志については、非常に複雑なバックグラウンドがあるんですね。この意志は、リチャードがアップルから追放されることになった、リチャードがアップルに対して反旗を翻すことになった、ある事件が関係している。ただ、その事件について話すとなると、自然と、パンピュリア共和国における最大の暗部のうちの一つ、ブラッド・クーシェがその解散前に起こした大事件に触れなければいけないことになる。

 そして、いうまでもなく……今、このタイミングで、そのような長ったらしいバックグラウンドについて話している暇などないのだ。今は、まさに、この物語はクライマックスのクライマックスに入らんらんとしているタイムであって。しかも、リチャードとグレイと、この二人は、この物語の主人公ではないのだ。確かに主要登場人物ではあるが、それでも、ただ単なる登場人物であるに過ぎないのである。紙幅を割いている余裕などない。

 そう。

 リチャードも。

 グレイも。

 結局のところ。

 この喜劇の。

 主人公では。

 ない。

 真聖。

 喜劇。

 の。

 主人公は。

 砂流原真昼。

 その真昼はといえば……花、花、花、の、渦のような光景の中心で。赤、赤、と、ぽっかりと開いた赤口を背にしたままで、真昼はそこにいた。暗く広い海の中心に、あたかも一つの忘却のようにして浮かんでいた。

 起源の忘却。終局の忘却。真昼は、もう、既に、実際にそうであるということに所属してはいなかった。ただ単に、そうであるべきである、その世界の中心に浮かんでいた。真昼は、ただ一人だった。なぜなら、真昼は、罪の懲罰として永遠の死を死んだからだ。そして、二度と生き返らなかったからだ。真昼は、知っていた。これが地上の王国であるということを、いや、それどころか、自らの内側の全てがまさに地上の王国であるということを。そうだ! そうだ! 真昼は王国だった。真昼は、魔王のための王国だった。真昼がそうであることを望んだのだ。

 取り返しが、つかない。

 取り返すつもりもない。

 暗く。

 広い。

 海。

 それが。

 あたし。

 だから、真昼は、笑っていた。真昼の仮面は笑っていた。「いつものように」、「可愛らしく」、あたかも真銀で出来た鈴が転がるようにして、くすくすと、笑っていた。密やかな、密やかな、絶対的なイノセントの感覚によって笑っていた。何よりも無垢で、何よりも純粋で。蛆虫が、這っている。些喚いている、些喚いている、生命を食らう、死の蛆虫が。真昼の、心臓の、ぽっかりと、開いた、空漠の、内側を、這い回っている。だから、真昼はこんな声をして笑うのだ。

 そのようにして、笑いながら。真昼は、相も変わらず、海の底から十ダブルキュビト程度のところ、ふわふわと浮かんでいるままに。ただただ、リチャードとグレイと、二人のことを見下ろしていた。くすくすと、悍ましく禍々しい、死そのもののような笑い声だけが響いている。

 それから……グレイが、ライカーンとしての本性を現わすと。野生の狼そのままの凶暴さ野蛮さによって、荒々しく真昼のことを凝視すると。真昼は、少し首を傾げてこう言う「へえ、ライカーンだったんだ」。

 それから、少し考えるような素振りを見せてから、こう続ける「まあ、いいけどね。事ここに至ったら、その女が、人間だろうが、ライカーンだろうが、どっちだって大して変わりはしないよ。少しくらい、そうだね、少しくらい、そのことについて、驚愕したり、質問したり、そういうことをしてもいいんだけどさ。でも、ふふっ、そろそろ読者が飽きちゃうから。いつまでもいつまでも話を引き延ばしていると、いい加減、読んでる方も飽き飽きしてくる。だから、さっさと……さっさと始めないとな。最終決戦を。なあ、物語の終わりにはつきものだろ? 善と悪と、最後の最後の戦い、黙示録の戦いがよ」「出し物としてはぴったりじゃねぇか。魔王の葬式の出し物に、黙示録の戦いなんて、これほどぴったりなことがあるかよ。そうは思わねぇか? はははっ、弔ってやろうぜ。お互いに、お互いの、命を賭けて。あたしとお前と、二人で、あいつを弔ってやろう。」

 それから、真昼は。

 あたかも。

 永遠の時を生きたせいで。

 歪んで。

 歪んで。

 淫らに歪んで。

 禍事のように。

 古い。

 古い。

 生き物の。

 顔をして。

 笑って。

「デナム・フーツ、デナム・フーツ!」

「見ててくれよ、あたしの奇跡!」

「お前のために、葬式を挙げてやるよ!」

「今から、世界で一番豪華な葬式を挙げてやるよ!」

 そして。

 真昼の。

 仮面は。

「さあ、ハッピートリガー。」

 こう。

 言う。

「ハッピーになっちまおうぜ。」

 ほぼ同時だった。双方の陣営がflash pointするのは。従って、その情景、情報と光景とを描写するためには、一つ一つの陣営を順番に見ていく方法によるしかないだろう。

 まず、真昼。こちらの陣営についていえば、動作の主体となったのは真昼自身というよりもその葬列。真昼が従えている、花鬼の大軍勢であった。真昼の仮面が、軽く、舌先で、上顎を、コッという音を立てて弾くと。その瞬間に、薔薇の懶惰が一つの破滅の誘惑のごとく散乱した。花の盛りの桜の花を、艶やかに蹂躙し、甘やかに凌辱し、そのまま春の怨霊の全てを散り散りに吹き飛ばしてしまう嵐のようにして。そのようにして、数千の花鬼が、一斉に、ただ一点、リチャードに向かって突撃した。

 一方で、それを迎え撃つリチャードの陣営であるが。リチャードの「グレイ、跳べ!」の一声とともに、リチャードの背後、あたかも一つの巨大な爆弾が爆発するかのような勢いで、あるいは炸裂する金剛法戒の三昧を現実世界において定義するランドスケープのようにして、無数のライフェルド・ガンが一気に具現した。その数、無数と書いたが、数千、いや、それ以上。こちらに向かって突撃してくる花鬼よりも更に多い数だった。

 デニーと戦っている時、それは、リチャードが背に広げた翼のように見えた。今、それは、既に化城宝処といった方がいいほどの、凄まじいインフレーションによって膨れ上がっていた。そう、それは確かに城壁であった。射出される宝石、弾丸によって、リチャードとグレイと、二人を守るための城壁なのだ。

 ライフェルド・ガンは、高さにして五十ダブルキュビト、幅にして百ダブルキュビト、その範囲に広がっていて。その全ての銃口が、僅かに斜め上を向いていて、上空から降り注ぐ花束を撃ち抜くために待ち受けていた。

 リチャードは……そのような城壁を作るにあたって、恐らくは、記憶にある全ての種類の銃を出現させていた。いや、それどころか、リチャード自身が想像した銃、これまで世界に一度も現われたことがなかったような、完全に物理法則に逆らった形状をした銃も出現させていた。

 DKGRだのKGSGだの、デニーとの戦闘に利用していた銃はもちろん。あるいは、種々雑多なハンドガン、種々雑多なアサルト・ライフル。プラスチック・マシンガン、スラッパー・キャノン、アンチ・タバナクル・ライフル、携帯型多連装無反動ロケットライフル、携帯型単距離テレポート式誘導弾、火炎放射器に、もちろん散雷砲。

 それから、いかにもライフェルドといった、存在論的に矛盾した構造を有する、未来的な、架空的な、銃の数々。煌びやかにきらきらと光る直線によって描かれたシンプルなボディに、なんの必要性もないだろう光の筋が、埋め込まれたライト、非常に規則的に配置されている。明らかに巨人が持つためのものとしか思えない、不必要に巨大なグリップ。無意味に主張するボルト、ボルト、ボルト。レーザー銃なのだろうか、銃口がまるで豆電球みたいだ。それに……あちらの銃には、なぜか銃口が二つある。縦に伸びた楕円形に、二つの、全く同じ銃口が並んでいるのだ。このような構造に何か意味があるのだろうか? いうまでもなく、なんの意味もない。ライフェルドとはそういうものなのだ。

 そのようにして、この世界にある、この世界にない、あらゆる種類の銃が、あたかもショーウィンドウの中に並べられているかのようにして整然と並んでいるのである。そんなに多種多様な銃を具現するよりも、例えば全部をDKGRにして一気にぶっ放してしまえば手っ取り早いように思えるのだが、これには、一応、理由がないわけではない。

 まず大前提として、リチャードは真昼を殺せないということだ。つまり、あまり威力が強すぎる重火器の重火力で一気に掃討しようとしてしまうと、真昼までKILL THEM ALLに巻き込んでしまいかねない。少なくとも真昼に致命傷を与えないような狙撃をするために、様々な状況に適応できるようなラインナップが必要だったのである。

 というか、そもそもリチャードは未だに真昼の潜在値を測り切れていないのだ。あまり攻撃方法を画一化してしまうと、いざ真昼が想定外の能力を発揮してきた時、対応し切れなくなってしまう。こちら側の認識が不完全な時は、むしろ多様性に逃避経路を確保しておいた方が賢明なのだ。

 また、もう一つ理由があって……実はこちらの方が重要な理由なのであるが、それはリチャードの能力の限界の問題である。デニーとの戦いの時にも少し触れたことだが、リチャードとて限りない光のディルヴィアンというわけではない。もしもフルパワーの攻撃をフル・ヴォリュームで放ってしまえば、そこで、もう、次の一撃を放つことはできなくなってしまう。

 実を言えば、現在出現させているこれらのライフェルド・ガンも、見た目は確かに錚々たるものであるが、デニーとの闘いで使用したものと比較すれば威力を抑えたものなのだ。それはまあ当たり前といえば当たり前の話であって、確かに真昼には底知れない不気味さがあるが、とはいえ、どう考えてもたかが人間が民のいない王よりも強いということはあり得ない。

 そういうわけで、仮にこれら全てのライフェルド・ガンを最強の銃砲にしたとしても、それは所詮は見た目の上でそうであるというだけの話であり、それほど強力な威力を持たせることが出来るわけではない。そうである以上は、そうすることには全く意味がないのだ。

 さて。

 そのような。

 あらゆる。

 あらゆる。

 銃砲が。

 絶対的な斉一性。

 万歳楽。

 万歳楽。

 ライフェルド。

 砲火を放った。

 弾丸は、次々に、雷雲の内側で煌めく万雷にも似た凄まじさによって発射される。傲岸の光、驕慢の光、世界を闇に閉ざしているその闇を引き裂いていく。真昼のオルタナティヴ・ファクト、暗く広い海、世界が始まる前に世界が生まれるであろうその空白を満たしていたところの闇の水を、主によって選ばれた者、その選ばれたということの輝かしい光によって切り裂いていく。

 それは……しかし、それを何に例えようか? 一万の、それぞれ異なった生態を有する、破滅の生き物が。ドゥームズデイが、ドゥームズデイが、ドゥームズデイが、たった一瞬において、その咆哮を、甘美、妙なる妙なる調和によって、賛歌、賛美、アラリリハを歌ったのだ。その歌声は結界の内部に反響し、更に更に巨大になっていく。その咆哮は、万の幾万倍、千の幾千倍。

 そう、天使だったのだ。それらのライフェルド・ガンは。いってみれば、黙示録の天使だったのである。そして、天使がその口から吐き出した、光り輝く真鍮の、鋭い、諸刃の、剣は。つまりはライフェルド・ガンから発射されたライフェルドの弾丸は。次々に花鬼を打ち抜く。

 パナギア・アルパルテノス。天使の役割の一つは、いうまでもなく祝福である。永遠の処女に向かって祝福の花弁を撒き散らし、そのすべらかな肢体を、限りない清浄によって清浄することだ。花鬼はあらゆる種類の弾丸によってその身を撃ち抜かれる。一度滅びた後に繋ぎ合わされた身体は、粉々になって弾け飛ぶ。

 そうして薔薇の花弁は慄く凋落の予感を内側に孕んだ花吹雪となって乱離拡散するのだ。優しい、優しい、幽霊の指先のようにしてあられもなく、それらの花弁は、永遠の処女の頬を撫でる……つまり、真昼の仮面の頬を。

 真昼の仮面は、花吹雪の向こう側で、物凄く笑っていた。神そのもののような顔で、まるで、花の雨・花の風に攫われて神になってしまった生き物のような顔で。ああ、そうだ、真昼は、いつの間にか……本当に……まばたきさえも追いつかないほどの瞬間に……リチャードに向かって突進していた。花鬼と花鬼との間を縫って、降り注ぐ花の嵐に紛れて。夜の夢、夜の夢、夜の夢に出てくる怪物は、修羅の狂いの勢いで突っ切ってきたのだ。

 ただ、それが人の気が付かぬ瞬間であったとしても、それは、鬼にとっては永遠に等しいのだ。当然ながら、リチャードには、真昼の動きなど手に取るように見えていた。

 そして、対策も既に講じていた。先ほども書いたように、リチャードが作り出したライフェルド・ガンの数は花鬼の数よりも多かった。一挺一殺であったとしても、まだ余るだけの数のライフェルド・ガンが弾丸を放ったということである。つまり、ライフェルド・ガンが仕留めようとしていたのは花鬼だけではなかったということだ。真昼のことも狙っていた。もちろん、真昼に関しては、粉々に爆破してしまっては元金も利子もなくなってしまうのであって、死なない程度に、手や足や、そういう末端を狙った、行動不能だけを目的とした狙撃ではあったが。

 手の一本、足の一本、なくなったとしても、まだ人質としては使える。とにかく、一発、二発、いや、それどころか数十発の弾丸が真昼に向かって疾駆していた。しかも……実は、そういう弾丸は、真昼の真正面から馬鹿正直に突っ込んでいくだけというわけではなかった。

 以前も書いたことであるが、ライフェルドの弾丸は、リチャードの力への意志そのものなのであって、従って、リチャードの思う通りにその方向性を変えてしまうことが出来る。それゆえに、弾丸は、真昼の、前から後ろから右から左からあらゆる方向から降り注いでいたのだ。

 確かに、真昼の持つ殺意の刃はかなり広範囲をカバーできる武器だ。真昼を中心として、数ダブルキュビトにわたる範囲を、たった一振りで斬撃出来る。ただ、とはいえ、これではあまりにも反駁の余地がない。まるで地上の万物を照らし出す始まりにして終わりの光のように、全方位から降り注ぐ弾丸。これを、真昼は、果たしていかにして回避するつもりか。

 真昼は……軽々には反応しなかった。まずは、リチャードに向かっていた身体を停止させる。それから、引き付けて、引き付けて、引き付ける。弾丸が、自分の攻撃の間合いに入ってくるまで引き付ける。

 十分に。

 近付いた。

 ことを。

 確認。

 する。

 真昼の口、が。

 軽く口ずさむ。

「砕動風鬼。」

 と、その言葉に、真昼の周囲に展開していた力の波動が反応した。するん、と真昼を中心にして、真昼を取り囲むように、ところどころに穴が開いた網目状の球体を形成する。

 それらの網目の一つ一つから、ぐじゅり、と、音を立てるかのようにして何かが生えてくる。それは、手だった、少なくとも手の役割を果たす手のように見えるものだった。

 それは、あたかも、グリュプスやユニコーンや、そういった高度な把持性を持たない生き物の体を取り巻いている、アカデのような有様だった。ただ、普通のアカデが一本か二本か、その程度の手しか作らないにも拘わらず。その力の波動は、九本の腕を、あらゆる方向に突き出していたのだが。

 そのようなアカデが全ての方向に対して態勢を整えた後で。真昼は、ぽんっと、手に持っていた殺意の刃を放り投げた。上に向かって、上に生えているアカデに向かって。そして、そのアカデが、その刃を、受け取る。

 その後は……一瞬であった。まるで薄氷のように透き通ったガラスの欠片が細やかに砕けるかのように。九本のアカデが、あらゆる方に向かって、その刃を降り抜く。手から手へと、刃は、渡されて、繋がれて、最後の最後には、また、真昼その人の手のひらに戻される。

 それだけならなんということもないことであるが……今の真昼は決定論者だ。確率という確率を自由自在に操作することが出来る。つまり、何が言いたいのかといえば、そのようにして手から手へと渡された刃の四次元的可能性を、ただ一点、今という時間に集中させることが出来るということだ。

 一本一本の手、それらの手の全てが殺意の刃を持っていた。正確にいえば、それらの殺意の刃は、四次元方向に見れば全てが一つの刃に過ぎないのであるが。ただ、それでも、それらの刃は、全く同じように今という時間に属するものを切り裂くことが出来る。真昼がそう決定したからだ。

 こうして、迎撃の準備は、整った。

 ただ、それでも、まだ問題がある。

 ライフェルドの性質に関する問題だ。ちょっと、ここで、デニーとリチャードとの戦闘を思い出してみて欲しい。リチャードが放った弾丸に対して、デニーは一体どういう対応をしていたか? 実は、一度も、その弾丸を破壊したことがないのだ。それどころか弾き返したことさえない。デニーは、弾丸に対して、常に、身を躱すか、受け流すか、あるいは障壁の干渉によってその力を失わせるか。そのような方法でしか対応していなかった。

 そのような方法でしか対応「出来なかった」のだ。なぜというに、ライフェルドの力はあまりにも強力過ぎるからである。それは、レベル7のスペキエース能力、対神兵器にも匹敵する力なのだ。さすがに、ナインホーンドのデウス・ダイモニカスであるデニーであっても、正面から受け止めるには強力過ぎる。ということで、搦め手で取り扱うしかなかったというわけだ。

 はっきりいってしまうと、ライフェルドのマズル・イデオロギーは、恐らくは銀イヴェール合金の強度に匹敵する。いや、まあ、それはいい過ぎかもしれないが、とにかく、いくら真昼が奇瑞であろうとも、奇瑞であるというだけでその弾丸を弾き返すことが出来る、それほど生易しいわけではないのだ。確かに、真昼は奇跡かもしれないが。それならば、リチャードは世界さえも見くだすような傲慢なのだ。真昼は……そういうことを知っているのか? そういうことを知っていて、しかも、それに対する用意を何かしているのか? ライフェルドへの対抗策を、真昼は、持っているのか?

 もちろんだ。

 真昼は。

 それを。

 持っている。

「本無妙花ノ花鏡。」

 真昼の仮面が些喚いた。その些喚きの瞬間に、手が、手が、手が、持っている殺意の刃が。何か奇妙な輝きを見せた。それは、例えるなら……そう、鏡だ。一枚一枚の刃のひらが、磨き抜かれた鏡面のようなものに変化した。そして、その鏡面が、何かを映し出していた。

 それは何か、などと考えている暇はなかった。真昼は弾丸を引き付け過ぎていた。その口がその言葉を口ずさんだ直後に、四方八方から降り注いでいた弾丸が、とうとう真昼の斬撃、の、間合いに到達する。間合いから真昼自身までは一瞬だ。だから、ここで仕留めなければ真昼は弾丸に撃ち抜かれてなすすべもなく無力化されるだろう。

 その刃はその弾丸を防ぐことが出来るのか? もちろんだ、もちろん出来る。いや、それどころか……手が、手が、手が、刃を振り抜く。弾丸に向かって、九枚の刃が振り抜かれる。いや、正確には九本の殺意の刃にそれぞれ二枚の刃が付いているので、十八枚の刃であるが。そのようにして、刃と弾丸とが、艶やかに煌びやかに激突する。

 と、信じられないことが起こった。本当に、そんなことが起こり得るはずがないことが起こった。殺意の刃が弾丸を撫でた瞬間に……すぱんっと景気のいい音でも立てるかのようにして、弾丸が、見事、真っ二つに切り裂かれたのである。

 斬、斬、斬、真昼に向かって飛翔していた弾丸は、次々と、粉々に、切り刻まれていく。とはいえ、普通、弾丸というものは、切り裂かれたとしても、そのバリスティックスを失うわけではない。多少は角度を変えても、そのまま、飛翔し続けるものだ。

 しかし、真昼は、殺意の刃は、それさえも許されなかった。つまり奇跡はそれだけでは終わらなかったということだ。切り刻まれた弾丸の破片は、切り刻まれた先から、まるで春の始まりとともに解けていく冬の名残の雪のように、淡く淡く消えていく。

 その様子を見ていたリチャードは「な……嘘だろ……」と呟いてから、暫くの間絶句してしまう。一体、何が起こったのか? デニーさえ避けるしかなかった弾丸を、神をも貫くはずのその弾丸を。いかに奇瑞とはいえ、たかが、人間の、真昼が、いかにして破壊しておおせたのか?

 実は、リチャードには見当がついていた。真昼がしたことが何かということの。けれども、それでも。いや、それだからこそ絶句したのだった。真昼がしたそれを、真昼がしたことが信じられなかったのだ。

 真昼がしたこととは、殺意の刃をある物質に変化させるということだった。そして、その物質の名前は……「まさか、あれは、抑止ラベナイトか?」。リチャードの呟いたその言葉は、実は、ほんの少しだけ間違っていた。そして、リチャードも、自分が間違っているということに気が付いていた。「いや、違う。抑止ラベナイトが抑止するのはフェト・アザレマカシアだ。あれが抑止しているのは、俺のスペキエース能力、要するに断片としてのベルカレンレインだ。つまり、あれは、抑止ラベナイトのアントニム、抑止ラベナイトのネガティヴ、抑止ラベナイトの能力を、そのまま反転させて、概念そのものを切り裂くことが出来るようにした刃」。

 リチャードがそう訂正した通りの物質だった。それは、いわば、アンチ・ラベナイトとでも呼ぶべき物質だった。以前も説明した通り、抑止ラベナイトは、この世界における存在の過剰、つまりは過剰な不確定性を修正するために発生する物質である。それに対してアンチ・ラベナイトは、概念の過剰、概念の原理を打ち消すための物質なのである。

 こんな物質が自然界にあるのかといわれれば、実は、ない。そもそも抑止ラベナイトとは、本質的には、ケレイズィが可能性軸におけるある一点においてその最初の結晶を作り出し、更にそれを種結晶として五次元的に連鎖拡散させたことによって発生した物質である。そして、ケレイズィがそれを作り出したというのは、もちろん、ケレイズィがフェト・アザレマカシアに対して戦争を仕掛けるに際して、フェト・アザレマカシアそのものにダメージを与えられる兵器として作り出したのである。つまり、アンチ・ラベナイト、ベルカレンレインを切り裂くその物質は、作られるべき契機がなかったわけだ。いや、正確にいえば、対スペキエース兵器として、ごくごく稀に、造成的に作られなかったわけではないのだが。そうであったとしても、真昼は、自分がそれを作り出すまで、それを見たことなど一度もなかった。

 真昼は、とはいえ、抑止ラベナイトを知っていた。そして、現時点の真昼は、様々なことに、ほとんど仮説形成的といってもいい遡及推論方法によって気が付いていた。例えば、抑止ラベナイトは存在を抑止する物質であるということ。その効果を反転させれば概念を抑止出来るということ。そして、スペキエース能力とは、要するに、ベルカレンレインの断片が生命の内側に、溶け残った小さな塊、これを専門用語では匙欠体というのだが、とにかく、過剰概念として残存してしまったものであるということ。

 ということは、だ。それらのアパゴギー、思考の誘拐から、次のような結論が導き出される。つまり、抑止ラベナイトをあたかも鏡に映し出した、その鏡の中に現われたかのような物質を作り出して、それによって殺意の刃をそれとなせば。リチャードの弾丸、スペキエース能力の弾丸を、そのまま切り裂くことが出来るということ。これこそが真昼の「本無妙花ノ花鏡」であった。ところでなんで「ノ」を片仮名にしたの?

 「あのメスガキが……たかが人間が……作り出したっつーのか? そんな物質を」リチャードが、更に呟く。そう、驚くべきところは、まさにその点であった。つまり、それを、真昼が、あの真昼がやり遂げたということだった。しかも、ただ一瞬の閃きによって。星が生まれる時のような、ただ一瞬の爆発的な天才の光によって。記憶の底の底にしかない抑止ラベナイトの構造を完全に模倣し尽くして、そして、その性質を、いとも容易く反転させてみせたのである。これは、決して簡単なことではない。それは絶対的強者の挙措であった。それは絶対的賢者の仕草であった。つまり、もう、真昼は、真昼ではなかった、真昼という名前の人間、弱く愚かな生き物であるということを、まさに「決定」によってやめていた。真昼は選択したのだ。選択した。真昼ではなくなるということを。そして、真昼は、全く違う、何か別のものになっていた。

 選択。

 選択。

 絶対に。

 取り返しがつかない。

 何かを。

 選ぶと。

 いうこと。

 それこそが。

 つまり、は。

 生きることの全てだ。

 「どうやら、少し、てめぇのことを舐め過ぎてたようだな」リチャードが、いかにも苦々しげにそう言った。ただ、その後で、口の端で軽く笑いながら続ける「とはいえ、だ。俺達の勝利は揺るがねぇよ」。

 さて、ところで、真昼の方に視点を戻してみよう。先ほどの描写で、いかにも格好良く、リチャードの弾丸を消し去ってみせた真昼ではあったが。実は、襲いくる弾丸の全てに対処し切れたというわけではなかった。

 まあ、それも当然といえば当然のことだ。それらの弾丸は、数百発の弾丸は、あらゆる空間的方向から攻撃を仕掛けていたのだし、しかもそれだけではなかったのである。それらの弾丸は、斬撃を加えられようとするその瞬間に、その斬撃を回避するように素早く弾道を変化させる弾丸であったのだ。

 リチャードによる弾丸の操作は、真昼に着弾するその瞬間まで執拗に続けられていたということだ。確かに、真昼には、デニーによって強化された動体感覚力があった。視力以外にも、あらゆる感覚によって弾丸を感じ、それを追跡する力があった。それでも、始祖家のノスフェラトゥの瞬発力、しかも、それが何百発も襲ってくるとなると、いくらなんでもそれらの全てに対応することは出来なかった。

 従って真昼は意図的に一部の弾丸を無視していた。仮に着弾したとしても、致命的というか、真昼のことを完全に無力化し切れるわけではない弾丸についてははなから相手にしていなかったのだ。結果、九割九部は捌き切れた……ただし、数発の弾丸については被弾せざるを得なかった。

 弾丸が。

 右の脹脛に二発。

 左の太腿に一発。

 右の二の腕に一発。

 左の一の腕に二発。

 左脇腹に一発。

 そうして。

 更に。

 その仮面の。

 左頬を。

 一発の。

 弾丸が。

 掠る。

 「ん……ぐうっ……!」と、真昼は、思わず呻き声を上げた。それは、激痛というよりも、むしろ脳髄を直接ぶん殴られたような凄まじい衝撃が連続して起こったような感覚だった。もちろん、痛いといえば痛いのだが、その痛みが、感覚としての痛みというよりも、生命そのものの疎隔性を侵害されているという絶対的な破滅の感覚だった。自分が、壊されているのだ。巨大なエネルギー、光の塊が、自分という安全性を壊している。一体、生命を脅かす痛みをなんと表現すればいいのであろうか。それは、爆発する恐怖であると同時に、純粋的な、無垢的な、幼児的な、痛みそれ自体だ。自分という身体の延長部分が使用不可能になる。その部分の自分が死ぬ。燃える、燃える、ああ、これが地獄だ。

 真昼は、この感覚を味わうのは、人生で、まだ、たった二度目であった。つまり、この前にこれを感じたのは、自分自身が死んだ時。まだ、真昼が、あの頃の真昼であった時のことだ。サテライトによって首筋を切断された瞬間、真昼は、これと同じものを感じた。ただ……あの時とは、一点だけ、違っている点があった。それは要するに、今は、もう、デニーがいないということだ。

 つまり、もう、真昼は、守られていない。予め助けられていない。予め救われていない。今までの真昼の痛みは、実は、本当の痛みではなかった。真昼は実存の消滅と向き合ってはいなかった。真昼は真昼が不可逆的に喪失するということに向き合ってはいなかった。痛みとは、本来、結局のところ……それは、取り返しがつかないほどに世界が変わってしまうということの象徴なのである。もう二度ともとには戻らない選択、それが痛みだ。 

 死にそうになった時に助けてくれる誰かはもういない。実際に死んでしまった時に生き返らせてくれる誰かはもういない。真昼は、今、まさに死の腕に抱かれていた。あとは、その唇にその口づけを受けるだけだ。それで、全部、お終い。

 そう、救世主はもういない。人間は主のいない生を生きている。再生も二度目の生も永遠性の生もない生を生きている。ここには、連続さえもない。こうなったものがこうなるという連続は失われた。なぜなら、これは爆発の瞬間だからだ。

 何度でも、何度でも、証言しよう。これは収容所ではない。この物語は、収容所についての物語ではなく、爆弾についての物語だ。巨大な爆弾が爆発するその瞬間に、その爆弾の下にいた者の物語だ。取り返しがつかないとは、時間性の中にあるのではない。なぜというに、時間性の中ではあらゆるものが繰り返すからだ。真昼には、そんな救いはない。今の真昼は今の真昼であり、この瞬間の真昼はこの瞬間の真昼だからだ。その真昼が死ぬということの取り返しのつかなさ、時間によって、あるいは可能性によって、決して回収され得ない真昼の死。それが、今、ここで、真昼が向き合っているものだ。

 だから、正確には、それは変化ではない。死は変化ではない。死は消えてなくなること、無になることではない。死は死だ。そして、真昼は……死と、苦痛によって会話している。しかし、とはいえ、死は常に沈黙している。

 実は、真昼は、死を恐れているわけではない。死に付随するものを恐れているわけでもない。なぜというに、真昼は、もう一度死んでいるからだ。生命は、その生命において、たった一度しか死ぬことがあり得ない。ということは、正確には、もう真昼は死ぬことがない。

 真昼は、既に死んだ。それは明白なことだ。デニーも言っていたではないか。今の真昼は、死ぬ前の真昼とは、全く異なった生き物だと。実際、ここでこうして死に相対している真昼は、真昼であったはずの真昼ではなく、自分が真昼だと思っているだけのただの別のものなのである。真昼は既に永遠に失われている。あるいは、真昼は、このような形骸的な真昼の象徴的構造がこの世界から失われるということについても、別に恐れてはいない。というか、そもそも、そのようなことに興味がない。まず第一点、そもそも真昼はあらゆる生き物と完全に同じように空っぽの細胞であって、空っぽのものが失われるということには意味がない。無意味なことには注意を払う必要もない。次に、第二点、そもそもこの真昼はこの象徴的構造が意味していたはずの真昼ではない。つまり、この真昼は別人を演じているだけだ。真昼を演じている真昼なのだ。そうであるならば、別人が生きていた丸ごとの人生が失われたところで何を惜しむ必要があるだろうか。役者が演じていた登場人物の役割を終えて舞台から降りる時、あたかも死刑台の上に上がりゆくかのごとく恐れる必要がどこにある?

 あたし達は、死について何も知らない。なぜなら、あたし達は、そもそも何も知らないからだ。あたしには尊厳がない。あたしには生命の尊厳がない。最初からそうだった。生まれた時からそうだった。だから、あたしはいつか蘇るだろう。完全なあたし自身として蘇るだろう。結局はこのようにして、死さえもあたし達のための絶対性ではなくなるのだ。死は勝利しない、死は全能ではない。なぜなら、死は、擬人化可能な主体ではないからだ。死はお前にとって都合のいい玩具ではない。演技、演技、演技、あたしは仮面をかぶって演技をしている。

 虚無を、恐れる意味がない。もともと、生命は、虚無なのだ。つまり、死には意味がない。それは世界のパラメーターの多少の変動でしかない。それはある虚無が別の虚無になるだけのことでしかない。死ぬものは死ぬ。死ぬべきものは死ぬ。それだけの話であり、そこには一切の神秘性は存在しない。死を神秘性として捉えるという者、死を畏怖とともに見上げる者、そのような者は、死に関して、分析していない者だ。痛みと苦しみと、あるいは生理的な拒否反応を、思惟思索と混濁させているだけの話である。

 それでは真昼は何を恐れているのか? 真昼は死を恐れている。その爆弾が爆発する瞬間を恐れている。アユスカビフ、アユスカビフ、その爆弾のもとにおいてあらゆる死は死に絶えた。そして真昼は死を恐れている。しかし、それでは、その爆弾とは一体なんの比喩なのですか? インタヴュアーはそう問い掛ける。真昼はこう答える。分かりません、あたしもそれを知りたいのです。

 ああ。

 でも。

 今は。

 退屈な、哲学を。

 くだらない本に。

 纏めてる。

 場合じゃ。

 ないんだよ。

 戦場だ。哲学とは、実際に死に相対していない人間がすることである。そのようなものは基本的に役に立たないのだ。今というこの瞬間には。ここというこの場所では。具体的な死に対して普遍的な死のなんと無意味なことか。

 だから、真昼は……苦痛に支配されている場合ではなかった。真昼の神経系の全てで、まるで真昼を内側から爆発させてしまおうと、色とりどりの、原色系の、花火を次々と打ち上げているような痛みに屈している暇はないのだ。

 弾丸が開けた穴。

 弾丸が焼いた穴。

 幸いなことに。

 この身体の作動。

 不具合はない。

 だから、真昼は……あまりの激痛に塞がってしまった喉を、無理矢理に開いて。「がああああああああああああああああぁっ!」と、凄まじい叫び声を上げた。次の攻撃に備える必要がある。次の攻撃に備える必要があるのだ。だから、真昼は、強靭な意志、あるいは超然とした信念によって、自らを停滞させかねない苦痛の苦痛を、全身から弾き飛ばしたのである。

 叫び声。神経系に、ある種の物質を流し込み、氾濫させ、蔓延させる。苦痛を掻き消し、その代わりに真昼を興奮状態にさせる物質だ。真昼の神経系は沸騰する。真昼の脳髄は、苦痛の苦痛ではなく、苦痛の快感によって浸食される。真昼の仮面が、ぎいっと笑った。まるで真っ二つに裂けてしまうような笑みによって笑った。暗く、暗く、真昼の仮面の口の中で、黄金が輝く。「ふふっ」真昼は笑う「ふふふっ……ははははははははははははっ!」。

 ところで。念のために。もしかして、読者の皆さんは、多少、疑問を抱いてはいらっしゃらないだろうか。それは、真昼の能力が決定論であり、自由自在に不確定性を確定出来るというのであれば。その能力を自分自身の身体に応用して傷口を塞げばいいのではないかということだ。いうまでもなく生命はその全体が不確定性に覆われているのであって、そのような不確定性を都合のいいように確定していけば、痛みを感じる間もなく負傷を治癒出来るはずではないか。

 実は、それは出来ない。なぜかといえば、真昼という生命には、もう不確定性は残されていないからだ。真昼の周囲に浮かんでいる、あの力の波動。実は、あれは、真昼の生命の疎隔性から疎外されたところの真昼の不確実性の全てなのである。

 そもそも、これほどまでに協力無比な決定力を手に入れるためには、自らの生命の個体限定範囲に不確定性が残っていてはいけないのだ。決定とは決定力の作動であるが、あらゆる力を作動させる場合と同じように、その作動には足場が必要になる。しかも、そのような決定力を支えることが出来るだけの、絶対的な足場が。ということは、決定力を行使する真昼は、それだけ絶対的な必然性でなければいけない。ということで、グレイの能力とは完全に反対に、真昼の能力は、真昼の外部にしか適用出来ない。真昼自身には適用出来ないのだ。

 ちなみに……この限界には、ある一つの抜け道がある。これは真昼の兄である深夜が使っている方法である。深夜は、真昼とは真反対の能力、つまりは決定を廃止してしまうことによってあらゆるものを不確定性の曖昧さに戻してしまう能力の持ち主だ。ただ、その能力は、真昼のように無条件では(正確には真昼の能力にも真昼が仮面をかぶっていないと発動しないという条件があるのだが)発動しない。深夜は常に二つの黒い骰子を持っていて、その骰子が回転している時にだけ、ザ・ミュージック・オブ・エーリッヒ・ツァンと呼ばれる特殊なハナレガミを呼び出すことが出来る。このハナレガミは、実は、深夜が自らの能力をそのままハナレガミ化したものであり、このようにして能力を深夜自身とは別の個体としてしまうことで、自らを足場とすることなく能力を使用することが出来るようになる。こうして自分自身にも能力を適用出来るようになるのだが……とはいえ、今の真昼は、このような能力の使用方法を学んでいない。ということで、このような巨大な弱点を抱えたままで戦闘を続けるしかないのだ。

 徒事は。

 扨置き。

 真昼は、リチャード陣営の攻撃、その第一弾をなんとか凌ぎ切ったということだ。周囲ではかなりの数の花鬼が光の炸裂弾によって内側から弾き飛ばされて死んでいったが。とはいえ、真昼自身は生き残った。

 そもそも、花鬼は、リチャードのライフェルド・ガン対策、つまりは的を多くして真昼に対する攻撃を分散させるためのものであるため、第一弾の攻撃においては、真昼の作戦がかなり上手くいった形である。

 そして、重要なことは、ここから先は化城宝処を気に掛ける必要はないということだ。少し前にも書いたようにライフェルド・ガンの数は花鬼よりも多い。それゆえに、初撃だけは、そのようにして余分に作り出されたライフェルド・ガンが真昼を狙撃することが出来た。ただその初撃さえ終われば。その初撃を回避した花鬼の軍勢が化城宝処に対して一斉に攻撃を開始する。

 そもそも花鬼は純種のノスフェラトゥのリビングデッドだ。しかも真昼の能力によってではなくデニーの能力によってリビングデッドとされたリビングデッドだ。そのような軍勢の、俊敏さ、敏捷さ、によって攻撃を加えられれば。当然のことながら一挺のライフェルド・ガンによって一鬼を相手にするということは限りなく困難だ。遠距離からの狙撃ならばともかく、近距離の戦闘ではどうしても数挺のライフェルド・ガンを使用するしかなくなる。要するに化城宝処は真昼を相手にしている余裕はなくなったということだ。真昼は間違いなく対処に成功した。

 ただ、もちろん、リチャード陣営の攻撃はこの第一弾で終わりではない。というか、むしろ、第二弾の攻撃が本番といってもいいだろう。

 悪魔のような凄まじい哄笑の表情のままに、また、リチャードがいるその方向に視線を向けた真昼。その真昼に向かって、あたかも、その悪魔を殺すために放たれた一発の銀の弾丸のように。一つの身体が突っ込んできた。いうまでもなくグレイの身体だ。灰色の獣。肉食の蛮族でありながら忠実な奴隷。境界線を突っ切る聖性の力が、真昼に向かって襲い掛かってきたのだ。

 この。

 銀の弾丸こそが。

 リチャードにとって。

 最も、力強い、弾丸。

 真昼を殺すために放たれた。

 真実の攻撃。

 ライフェルドの弾丸は、実のところ目眩ましに過ぎなかったというわけだ。時間を少し巻き戻してみよう。リチャードが「グレイ、跳べ!」と叫んだところまでだ。

 グレイは、リチャードが命令した通りに跳んだ。ただ、グレイは、跳ぶことが出来たとしても飛ぶことは出来ない。それはそうだ、グレイは鷲ではなく狼なのだから。一方で、真昼は、地上から十ダブルキュビトのところに浮かんでいる。これでは、グレイはまともな襲撃を行なうことが出来ないはずだ。

 どうするか? 例えば「機関」を利用して羽を生やしたりすることも出来ないわけではない。ただ、そういうかなり無理があるリアリティ・ワーピングを行なうためには、それなりのエネルギー消費が必要になってくる。それは、まあ、歴史から自分自身を消し去るといっためちゃくちゃなリアリティ・ワーピングよりはよっぽどマシではあるが。とはいえ、未だに、その能力の全貌、その正体、そういったものが見えていない相手と相対しているこの時には、少しでもエネルギー消費を抑えておきたいのは確かだ。

 ところで……グレイは、今、海の中にいる。そうだ、実は、グレイは大気中にいるわけではない。海の底に沈んでいるのだ。息が出来ているし、全体的に液体のような抵抗はなく気体の中を進んでいるかのように移動することが出来ているが。それでも、ここは、真昼のオルタナティヴ・ファクトの内側、つまりは暗く広い海の内側なのだ。

 さて。

 もし。

 ここが。

 海ならば。

 もちろん。

 グレイは。

 泳ぐことが。

 出来るはず。

 そう、「機関」を利用するまでもなかった。グレイは跳躍したその瞬間に真昼の精神の疎隔境界線に自分の精神の疎隔境界線を接触させた。つまり、真昼の精神と自分の精神とを、わざと和解的共鳴関係のもとに置いたということだ。

 このような関係性のもとでは、オルタナティヴ・ファクトの影響力は必要以上にグレイに対して機能する。つまり真昼にとっての海がまさに海そのものになるということである。

 グレイの身体の周囲、見る見るうちに、グレイが巻き起こしたところの水流が巻き起こっていく。深淵の水流はグレイを包み込む。グレイの口からぼこぼことあぶくが漏れ出す。

 グレイは、空を泳いでいた。軽々と、やすやすと、何もないはずの虚無の空間を泳いでいた。そして、そのまま……不死の星が自ら輝くことの出来ないはずの惑星であるとすれば。その不死の星を輝かせているところの、天空の中心にある恒星のような真昼に向かって、犀角のごとく一直線に疾駆する。

 そうして。

 その後で。

 現在に。

 至って。

 実は、真昼の周囲に展開していた砕動風鬼は既に消え去っていた。正確にいえば、四次元の方向に捻じ曲げられ、九本プラス真昼が持っている一本に分裂していたはずの殺意の刃は、真昼の一喝とともに掻き消されていて。周囲の力の波動もまた、もとの曖昧な不確定性に戻っていた。

 真昼も、やはりグレイと同じく自らの決定論が無限のエネルギーであるというわけではない。無論、その能力の使用には限界があり、出来る限り消費量を抑えておきたいのだ。ということで、第一弾の攻撃が終わったタイミングで、四次元構造に関する決定を解いてしまっていたのだ。

 そのようにして、迎撃態勢が解除されたところにグレイが突っ込んできたというわけである。ただ、実は、真昼も、別に、なんの考えもなしに決定を解いたというわけではない。ここで重要なのは。実は、真昼も、グレイの能力についてある程度警戒しているということである。確かに、その内容については分かっているが。ただ、それでも、それが一体どこまで強力なのかということまでははっきりしていない。例えば、もしも、グレイが、自分自身を瞬間的に神に変えることが出来るほどのリアリティ・ワーピング能力者であるとするならば。多少の障壁を張り巡らせたところで意味がない。

 とにかく、現時点では様子を窺うことが重要だ。というわけで、真昼は、このような状態でグレイを迎え撃つことにしたわけである。とはいえ……真昼は空手であるというわけではない。その手には、殺意の刃が握られている。

 真昼は、グレイの襲撃に気が付くと。いや、というか、そもそもその襲撃について真昼は完全な確信をもって予定していたわけであるが。なんにしても、真昼は、右の手に持っていた殺意の刃をぐるんと振り回した。遠心力を利用して回転速度を付けたのである。そのままぐるぐると回転させながら、思いっ切り、こちらに向かって突っ走ってくるグレイに向かって、それを叩きつける。ちょうど、その二枚の刃が回転式の切断システムのようにしてグレイに襲い掛かる。

 これは単純であるようで非常に効果的だ。なぜかといえば、グレイは、全身全霊をもって真昼に向かって直進していたのである。そのような状況下で、このように進行方向に対して斬撃を繰り出されてしまっては、グレイとしては、避けようがない。それどころか、斬撃の威力に、自らの速度を加えることによって、攻撃は更に強力になってしまう。

 グレイは、一体いかにしてこの危機を切り抜けるつもりなのか? グレイは、しかし、顔色一つ変えることがなかった。相も変らぬ、見る者に対して畏怖さえも与えるような無表情のままで。しかも、その上、真昼に向かって突っ走るその速度を寸とも毫とも落とす気配はなかった。正真正銘、心の底から真っ直ぐに、真昼の斬撃に立ち向かっていく。

 泳。

 泳。

 泳。

 近。

 近。

 近。

 接。

 その。

 瞬間。

 ぱんっと。

 グレイの。

 生命が。

 この世界から。

 完全に。

 消滅する。

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