第三部パラダイス #50

 リチャードは軽率であった。恐怖のあまり軽率になったのだ。それは生命体にはよくあることで、様々な原因から成り立つ現象であるのだが、例えば恐怖に陥った時、その恐怖の対象から逃れる際には、多少は大胆な手段が必要になる。そのため、脳髄に対して、その脳髄の冷静な思考を麻痺させるための処置が、生命機構の有機的に一体となった一連の反応としてなされるのであるが、要するにそれは原因の一つである。世界の終わりじゃあるまいし、論理的には間違っていない。

 とはいえ、それが愚昧の羊であったという事実を否定することは出来ないのです。真昼が、デナム・フーツの死体から離れた時。その死体を地面に横たえて立ち上がった時。リチャードは、あまりに冷静ではない判断によって、何もかも終わらせてしまうことにした。このわけの分からないことの全てについて、手早く始末を付けることにした。つまり、デナム・フーツの死体から離れた今、真昼のことを捕獲する絶好の機会だと考えたわけだ。

 ちっと舌打ちをする。「おい、グレイ」と、グレイの方を見もしないで言う。その視線は、一時でさえも真昼から離すことが出来なかったのだ。「あいつ、ようやくデナム・フーツから離れたぞ。これでやっと引っ捕まえられるな」「まあ、多少は抵抗するだろうが、たかがホモ・サピエンスの抵抗だ。んなもん痛くも痒くもねぇよ」「さあ、さっさとふんじばっちまおうぜ。REV.Mの連中にリボンを掛けてプレゼントして、それでお終いだ」。

 しかし、そのリチャードの言葉に、グレイは答えなかった。グレイは、何かを感じていたからだ。何か、とても、とても、信じられないほど奇妙な災害が、始まろうとしている。それは例えばカトゥルンの黙示録のような災害である。七つの教会、七人の星の落とし子。七つの封印。今、目の前で、第七の封印が解かれようとしている。少女の姿をした星の落とし子によって。ああ、わざわいだ、わざわいだ。しかし、わざわいとは何か?

 グレイの視線の先で、その星の落とし子が、手首を噛みちぎった。ぼたぼたと、そこから、大量の血液が流れ出す。リチャードは、それを見ながら、明らかに不気味なものを感じている口調で「なんだなんだ? あいつ、一体何してやがんだ?」と言う。確かにその疑問は正当なものだ。正当過ぎるほどに。

 この星の落とし子は何をしている? その血液になんの意味がある? それは犠牲、それは天使。それは、主の御前に立つということ。慈悲の主ではなく、万軍の主、勝利の主、新しいブールムの玉座に座る主。ああ、王国だ、王国だ、王国が来る。星の落とし子は、まるで敬虔が敬虔になる前のもののような態度で。まるで信仰が信仰になる前のもののような態度で、その血液を、自らの眼に塗りつける。右の眼、左の眼。赤く染まる。そして、その赤が……涙のように滴る。

 その瞬間。

 グレイは。

 完全な。

 本能で。

 叫ぶ。

「避けろ、ホワイト・ローズ!」

 リチャードはグレイの言葉の意味が理解出来なかった。だから、「は? 避けろって、何を……」と言葉しかける。だが、その直後、気が付く。一つの刃が目の前にあるということに。

 「なっ……!」と声を漏らす。本当に、それは、いつの間に、全然気が付かなかった、気が付くことさえ出来なかった。生命が、死に触れる。死神の指先のようなものがそこにある。

 リチャードは「ぐ……があっ!」と叫んだ。それから、身体の全体を捻じ曲げるみたいにして左に向かって飛びのいた。すんでのところだった、本当の本当に、あと一閃の懸離でリチャードは死を回避した。恐らくは、グレイの絶叫がなかったら、間違いなくその頭部は胴体から切り飛ばされていただろう。

 それがどれほどぎりぎりであったかということは、結局のところリチャードがその刃を避け切ることが出来なかったということからも理解出来るだろう。確かに、その刃は、リチャードの首を掻き切るということには失敗した。とはいえ、その切っ先は、リチャードの首筋、その皮一枚を切り裂いていた。

 赤い液体が、まるで散乱するスペクトラムのように迸る。ノスフェラトゥの血液、セミフォルテア交じりの血液は、燦然と光り輝きながら傷口を濡らしている。

 ただ、幸いなことにそれは致命傷ではなかった。リチャードは、右の手のひらによって、その傷口をいかにも投げやりに押さえ付けながら。飛びのいた時の勢いもそのままに、ざざっと、その革靴は岩盤の上を滑っていく。

 五ダブルキュビト程度の距離を逃れたところで、左手、五本の爪を大地に突き刺すようにして、リチャードは肉体の慣性にブレーキをかけた。その場にとどまる。重心を、獲物を狙う猫科の生き物のように低く低く落として。ぎいっと吸痕牙を剥き出しにしながら、両方の翼によってあらゆる攻撃を防御する姿勢。

 これ以上ないというくらいの警戒態勢だった。とはいえ、実は、そのような姿勢はもう必要なかった。なぜかといえば、リチャードの目の前、リチャードを攻撃したその刃との間、既に、グレイが立ち塞がっていたからだ。

 両腕を、体の横に、それぞれが真銀で出来た剣であるかのごとく垂らしている。軽く、腰の辺りで、両方の手のひらを広げて。そして、そのそれぞれの手のひらを、ある種の威嚇行為みたいにして前方に向けている。全身を、ほんの僅かに前方に傾けていて。それは、あたかも……一匹の餓えた獣のように。

 そして、グレイは。ちらりと、ほんの僅かにリチャードの方に視線を向ける「言ったはずだぞ、リチャード」先ほどの、ほとんど狼狽したような絶叫とは一転して、冷静な皮肉としてこう続ける「油断するなと」。

 その軽口によって、リチャードも多少は余裕を取り戻すことが出来たらしい。口の端を歪ませるような笑い方によって笑いながら「はっ! うるせぇよ!」と軽口を返す。それから「つーか、人様の前に、偉そうに突っ立てんじゃねぇよ」と続ける「邪魔だぜ……俺を殺そうとした、あのメスガキのツラが見えねぇだろ」。

 そう。

 リチャードの言葉の通り。

 透明な暴力性。

 有害な明晰性。

 その刃の。

 持ち主は。

 真昼。

 だった。

 真昼は……リチャードの目の前に立っていた真昼は、そして、自らの手首から滴り落ちる血液を自らの眼球にこすりつけたところの真昼は。その次の瞬間には、リチャードの右側から襲い掛かり、その手のひらに握り締めていた刃によって斬撃を放ったのだった。いうまでもなく、その直前には、真昼はそんな刃など持っていなかったはずだった。武器など、それどころか、何も持っていなかったはずだった。

 というか、それ以前にその速度である。いくら油断していたとはいえ、リチャードは純種のノスフェラトゥ、しかも始祖家のノスフェラトゥだ。そのようなリチャードが、気が付くことが出来なかった。真昼が接近してきたことさえ。いや、それどころか、真昼が動いたというそのこと自体さえ。そんなことあり得ない、あり得てはいけない。だって、真昼は、人間なのである。たかだか人間、いくらデナム・フーツが強化したのだとしても、これほどまでの身体的能力を発揮出来るはずがない。

 おかしい。

 おかしい。

 絶対に起こりえない。

 何かが起こっている。

 例えば。

 それは。

 一般的に。

 奇跡と。

 いわれるような。

 何かが。

 リチャードは、ようやくまともに働き始めた思考能力によって、その「奇跡」という単語に思い当たったのだ。そして、その瞬間に、また、死に絶えた鉛の棺に閉じ込められたかのような、逃れようのない戦慄を感じた。緑の棺。緑の棺。ほとんど恍惚に等しいような、悍ましいほどに不気味なものの不安が全身を駆け巡る。何かがおかしかった。何かが狂い始めていた。だが、その「何か」が何なのか分からない。ただ、耳元で聞こえている声がある。蛆虫のように、甘く、甘く、脳髄を這い回る声。あはははっ! ねえ、ロード・トゥルース。素敵な素敵な奇跡を教えてあげる。

 リチャードは。

 視線の先。

 そこに立っている。

 真昼の姿を、見る。

 いや、それは……真昼と呼んでいいのだろうか。真昼は、真昼という一人の少女であったはずの生き物は。全く異なった、何か別のものに変わり果てていた。明らかに、人間でさえなくなってしまっていた。それでは、それは何か? 例えるならば、それは……暗く広い海に、棲息する、お姫様の、姿をした、怪物。それは、絶対に、はっきりした形象を持つものではない。それは理解可能な個性として捉えられるものではない。それでも、一匹の怪物なのだ。だから、それを見た時に、皆が、叫ぶ。見ろ! ここに星があるぞ! ここに奇跡の星があるぞ!

 全体が、とくん、とくん、と脈打っている。まるで、それが悪魔の心臓であるかのように。真昼の周囲を、ゆっくりと、赤く塗り潰されたある種の力の波動が回転している。それが、世界に向かって反逆しているのだ。それぞれの、一瞬間、一瞬間、に、その力の全体が、反救世主の邪悪を放っているのだ。それは、まつろわぬもの。それは、最後の最後まで平定され得ないもの。

「今のは。」

 つまり。

 それは。

 天津甕星。

「ちょっとした挨拶だぜ、マイ・ロード。」

 真昼は、回転する力の中心で、あたかも自分自身が一つのセントラル・ドグマであるかのようにそう言った。いうまでもなく、その回転する力は、真昼の血液であったはずのものであった。けれども、それは人間の血液であるにはあまりにも禍々しかった。もしもそれが血液として人間のような下等な生物の内側を流れたならば、その人間は即座に死ぬだろう。腐敗、枯渇、骨も残らず、それは死によって死ぬだろう。そう、死だった。死の力そのものだった。

 真昼の手首、その傷口からは死が流れ落ちていたのだ。そして、その死は、だらだらと流れ落ちるその先で、一つの明確な殺意となっていた。つまり、リチャードを傷付けたあの刃である。その刃は……一般的に知られているような、あらゆる剣戟のたぐいと異なったものだった。

 まず、恐ろしく長奢であった。それを掴んでいる真昼の身長と同じか、それよりも長いと思われるほどに。下手をすれば二ダブルキュビトはあるだろう。このような代物を、真昼が軽々しく振り回すことが出来るということが信じられない。

 そして、その両端に刃が付いていた。互い違いに。一方の刃が右を向く時、もう一方の刃が左を向くように。刃自体も巨大であり、恐らくは五十ハーフディギト弱といった長さ。それぞれの形状は、ミニチュアの屠獅子刀といった感じか。片刃が、生命の侵害の角度まで研ぎ澄まされていて。全体はヘルム・バーズの持つ鎌のように曲線を描いている。

 ごぼりごぼりと溺れるように泡立つ不定形の死が、完全な不可避として、絶対に逃れられないものとして、そのような一つの殺意であった。それは、いうまでもなく、物質としての具体性を持つものでもなければ、概念としての抽象性を持つものでもなかった。それは、その刃は、ただ単に否定であった。生命の疎隔性としての、他者に対する否定だ。

 どす黒い赤、邪悪なものが流した血液の、その邪悪のような色をした刃。その双刃からは、したりしたりと死が垂れている。それは、まるで……刃自体が、猛毒を分泌しているかのようだった。刃自体が、生命を、棄損して、滅尽する、夜見の眼球、その穢れを滴り落としているかのようだった。

 感情ではない。

 論理ではない。

 ただ単に。

 きらきらと。

 美しい。

 だけの。

 殺意。

 さて、そのような殺意を持つ真昼自体の姿であるが。これもまた、異常であった。とはいっても、それは、ごてごてと過剰な装飾品だとか、ごてごてと大仰な小道具だとか、そういった芝居じみたアノマリーではない。

 全体的に、今までの真昼と、ほとんど違いはなかった。例えばその服装であるが、白い丁字シャツとぼろぼろのジーンズ、それにスニーカーというところは全く変わっていない。ただ、それでも……一点だけ、明白に異なっている点があった。

 それは、その顔だ。つまり、真昼は、その顔に仮面をつけていたのだ。ASKとの戦闘の際に、方相氏となった真昼が、四つの金色の目がある白い仮面をつけていたように。真昼は、仮面によって、自分自身とは全く異なるものになっていた。

 とはいえ、真昼は、方相氏になっていたわけではなかった。そもそも真昼は玄衣を身に纏っているわけでも朱喪をひらめかせているわけでもない。また、その仮面は、白い色をしているわけではなく、四つの目が刻まれているわけでもない。

 それでは真昼は何になっていたのか? 真昼はなんの仮面をかぶっていたのか? それを知るためには、まず、仮面が仮面ではないということを理解しなければいけない。本来、仮面というものは仮の物でもなければ紛い物でもない。ましてやそれが本物であるわけがない。本物は、本物であるというそのことによって不完全性に繋索されている。仮面とは何かを覆い隠すものではない、あるいは何かを顕現させるものでもない。つまり、それは、マシェラ、紡ぎ出されたものではない。

 それは、そうであるということそれ自体なのだ。それは、そうであるべきだということ、祈りは正しいということ、願いは叶えられるということ、空っぽの細胞は満たされるべきであるということ。それは、要するに、必然なのだ。

 そうであるならば……真昼が何になったのかということの答えは自ずから導き出されるだろう。いうまでもなく、真昼は真昼になったのだ。その仮面によって、真昼は、真昼がそのような真昼であるという必然そのものになった。

 それは本当の真昼を映し出したというわけではない。また、真昼を解体した原初的な真昼の混沌であるというわけでもない。つまるところ、それは、真昼が真昼であるという必然なのだ。その仮面は、真昼の必然そのものを一つの絶対的な幸福として相貌であった。それは肯定ではない。肯定は選択だ。それは否定ではない。否定は自由だ。それは肯定でも否定でもないわけではない。そのような無意味な賢しらさではない。現実? 現実だって? 現実であることに、一体、何がある? そこには何もない、重要なのは、そこに何かがあるということだ。それを受け入れることが決定している何かがあるということだ。

 それが虚偽であるということの、一体何がいけないというのか? あるいは、それが真実であるということが真実であるということの? そこに何かがあるべきだということを否定することが、ああ、いかに愚かであることか! なぜなら、それこそが、結局は世界だからである。この世界なのだ。つまり、この世界は物語であり……そして、それはどうでもいいことなのだ。

 真昼は理解したのだ。ようやく理解した。今という時、ここというところ、まさにこの自分であるという「この自分」さえ良ければ、それ以外はどうでもいい。そして、その感覚における「この自分」こそが真昼がかぶっている仮面なのだ。

 それは、中間ではない。中間は重要ではない。差異は、類似は、方法は、結局のところ、その場所に至れば全て消滅するのだから。それは「この自分」だ。そこに至れば全てが消滅するまさにその場所だ。ああ、つまり、それは……運命。

 金泥の眼球は。

 つまりは、神。

 運命の形相の、その凄まじさをどう表現すればいいものか? それは具体的に表現出来るものではなかった。なぜなら、それは、その一瞬一瞬に、完全に異なった姿に変貌していくからだ。とはいえ、それは、絶対的な一つの赤でもあった。それは、確かに、完全な無感情であり、完全な無理性であった。とはいえ、それは無表情ではなかった。それは、既に、空っぽではなかった。それは満たされていたのだ。ただし、問題なのは……緑ではないということだ。それは緑によって満たされているのではなく赤によって満たされていた。

 赤。

 赤。

 バシトルー。

 世界が。

 ついた。

 嘘。

 赤とは何か? 緑の欠損だ。緑の欠如だ。緑というものの、永遠の不在だ。そして、そうであるべきだということだ。もちろん、間違っている。緑ではないということは間違っている。だが、それはそうであるべきなのだ。その仮面の表情は、憎悪ではない憎悪であり、妄執ではない妄執だ。赤は、無限に問い続ける。限りなく問い続ける、その問いを。

 デナム・フーツは。

 なぜ、死んだのか。

 つまり、それは復讐だった。その仮面の名前は「復讐」だった。あらゆる感情の伴わない、ただ運命としての復讐だった。なぜだ? なぜだ? なぜ、あたしを置いて、あたしの心臓は死んだ? なぜ、あたしは、あたしの心臓を失ってもまだ生きている? 答えはない。誰も答えてくれない。自分さえ答えることが出来ない。復讐、それは何も見ていない仮面だ。復讐、それは何も言わない仮面だ。真昼は、リチャードを憎悪しているわけではない。殺害を欲望しているわけではない。つまり、殺すべきだから殺すのだ。それが、この仮面の全てだった。

 真昼は真昼。

 それ以外ではあり得ない。

 そして。

 今。

 その真昼、が。

 リチャードを。

 昴視している。

 昴、それは星々の統治者を意味する単語だ。そして、その通り、真昼の仮面の、その視線は、星々であった。きらきらと輝く、星、星、星、その泥眼に輝いている。それがリチャードには恐怖であった。それが、何よりも、畏れを感じさせることであった。なぜなら、それは、デニーの眼球だったからだ。デニーの眼球と全く同じものだったからだ。

 「あいつ……なんなんだ……?」リチャードは、そのような真昼のことを凝視しながら、ただただ独り言として呟く「人間のくせに、なんであんなに早く動けるんだ? それに、あの武器はなんだ? あの仮面はなんだ? どっから出してきやがった? つーか、あれは何で出来てんだ? あんなもん、俺でさえ見たことがない……魔学的な物質でも科学的な物質でもない。まるで生命の疎隔性そのものだ。物質としてあり得ない」。

 それに対して、グレイが回答を与える「奇瑞だ」「は?」リチャードは、一瞬、虚を衝かれたような顔をする。「間違いない。あの少女は奇瑞だ」「奇瑞って……月光国の、あれか?」「ああ、そうだ」「いや、しかし……奇瑞ってやつは、普通、月光政府の管理下にあるはずだろ? 能力発現の段階で、あらゆる法的親族関係を解消させられて、月光政府そのものの養子にさせられるはずだ。それがなんでこんなところにいる?」「分からない。ただ、私は一度だけ奇瑞を見たことがある。いや、感じたことがある。通称機関で実験体として隔離されていた時、恐らく謎野研究所から借用してきたと思われる奇瑞が、一時的に、近くのイマキュリト・キューブに入れられていた。その奇瑞に感じたものと全く同じものを、あの少女から感じる」。

 そうだ。

 その通り。

 真昼は。

 奇瑞だ。

 ただ、とはいえ、一つの疑問がある。真昼が奇瑞なのはその通りなのであるが、どうやってその能力を発動させたのかということである。真昼の能力の発動条件は歔欷涙渧。つまりは、非常に強い感情が込められた涙を流すことである。これは、実は、感情ではなく、決意だとか欲望だとか、そういうものでも全然いいので、現在のように感情の阻害状態にある真昼であっても、そちらの条件は問題ではないのだが。とはいえ……もちろん、このことを、リチャードとグレイと、二人は知らなかったが。真昼は、デニーによって、涙を流すことを禁止されていたはずなのだ。

 デニーが死んだことによって、その禁止が解除されたのか? いや、それはあり得ない。なぜというに、その禁止は、真昼の身体能力強化とセットになっていたはずだからである。身体能力強化が無効になってない以上、禁止も、やはり、無効にはなっていないはずだ。

 真昼ちゃん絶対防御システムとは違い、死んだ後もよく効きます系の魔法を使ったんじゃないですかね。いや、よく知らんけど。っていうかそういう魔法あるの? まあ、そういう細かい設定の話はどうでもいいとして、とにかく現時点においても真昼は涙を流せない。

 それなのに……

 なぜ真昼は……

 いや。

 待て。

 よく見てみろ。

 真昼は。

 今。

 まさに。

 涙を流している。

 仮面の奥、二つの目。そこから涙が流れ落ちていた。だらだらと、真昼が、眼窩から、底知れぬところで輝く星の光を垂れ流しているかのように。その一つ一つのしずくが、ぐにゃりとひしゃげ、歪に変形し、そして、真昼がかぶっている仮面を構成する一つ一つの要素となっている。それは、仮面と全く同じ色をしている。つまり、赤。絶対の赤。

 そして、その赤は、真昼が手に持っている殺意の刃とも同一の色をしていた。つまり……それは……真昼の涙は、真昼の血液だった。要するに、真昼は血の涙を流していたということだ。いや、というよりも、自らの血を涙の代価物とすることによって、強制的に能力を発動したということだ。

 読者の皆さんも、さすがに覚えていらっしゃると思うが。真昼は、自らの手首を食いちぎって流した血液を、自らの眼球にこすりつけていた。そして、その血液が、まるで涙のように滴り落ちた。この瞬間こそ、真昼の能力の発動の瞬間だった。

 これは誰もが知っている生物学的事実であるが、涙とは、もともとは血液だったものの成れの果てだ。涙とは、大雑把にいえば、血液を血漿の部分と血球の部分とに分けた、その血漿の部分なのである。眼病の治療に際して涙の代わりに血清を使うほど二種類の液体の成分は等しい。

 だから、生物学的にいえば血液を涙の代わりに使うことは可能である。ただ、とはいえ……奇瑞は、荒霊は、その能力は、生物学とは関係ない。それは奇跡なのである。

 奇跡は、科学でも魔学でもない。それは賢しらではない。それは、むしろ無知の幸いなのだ。それは知識によって発動するわけではない。それは、運命によって発動する。

 真昼は涙と血液とがほぼ同一の成分を有しているなんてことは知らなかった。手首を噛み切って、眼球にこすりつければ、奇跡が起こせるなんてこと、全然知らなかった。でも、それでよかったのだ。真昼は、もっともっと原理的なことを知っていた。真昼は、そう、運命を知っていた。完全な無知によって、運命を知っていた。自分がここで奇跡を起こすということを、それが絶対的な必然であることを知っていた。そうであるべきだということを知っていた。だから、奇跡を起こしたのだ。

 奇跡に至るための条件は、そのために無視されるべきだった。だから、世界は、用意した。その条件を無視するための言い訳を。つまり、こういうことだ。涙と血液との成分が相似であったから奇跡が起こったわけではない、奇跡が起こるべきだったからこそ、涙と血液との成分が相似であったのだ。全ては奇跡から逆説的に類推される。

 ああ。

 デナム・フーツ。

 ねえ。

 あたし。

 あんたのために。

 奇跡を起こしてあげる。

 あたしの涙を。

 一滴。

 一滴。

 集めて。

 あんたのために。

 夜空に星座を描いてあげる。

 まあ、そういうことだ。それはそれとして、グレイが言葉したその言葉に、暫くの間、リチャードは「しかし……そんなことが……いや……クソがっ……」とかなんとか、ぶつぶつと呟いていたのだが。やがて、自分の姿勢を起こした。両の羽、周囲の空気を払うかのようにして、ばさりと一度大きく羽搏かせると。それから、自分と、グレイと、二人の周囲、まるで壁を作り出すかのように用心深く、とはいえ目の前にいる真昼とのコミュニケーションの邪魔にならない程度に、巡らせる。

「おい。」

 それから。

 真昼に。

 向かって。

 こう言う。

「てめぇ、何もんだ。」

 そのようなリチャードの言葉に対して、真昼は、くすくすと笑った。もちろん、その顔は仮面に隠されてしまっていて見えなかったが。それでも、それが嘲笑であるということは明らかであった。真昼は、こう答える。

「知ってるだろ?」

「黙れ、おちょくってんじゃねぇよ。」

「これはこれは……失礼致しました、ハウス・オヴ・トゥルースの偉大なる後継者、リチャード・グロスター・サード。わたくしの名前は真昼、砂流原真昼でございます。ディープネットの常務執行役員にしてグループ財務統括本部長でもある砂流原静一郎の、目に入れても痛くないほど可愛い一人娘。是非に是非に、以後のお見知りおきのほどをよろしくお願い申し上げます。」

 真昼はそう言うと、芝居じみた慇懃無礼によってリチャードに向かって一礼をしてみせた。一方で、リチャードは、あまりに皮肉が盛り込まれ過ぎてどこからどこまでが皮肉なのかさえ分からなくなってしまっているその挨拶に対して、ただ一言、吐き捨てるように言う「どうやら自己紹介の必要はねぇらしいな」「はっ! まあ、そうだな」「てめぇは……どこで俺のことを知った? デナム・フーツに聞いたか?」。

 一応、念のため書いておくが。このリチャードの問い掛けになんの意味があるのかといえば、それは、真昼がグレイについてどの程度知っているかということを測るためであった。どうやら自分のことについては知っているらしいが、グレイの能力については、相手はどの程度の知識を有しているのか。自分達の有利はどの程度なのか、リチャードは、この質問でそれを知ろうとしたのだ。

 そのようなリチャードの問い掛けに対して、真昼は「随分とまあ遠回しなご質問ですね、ロード・トゥルース」と言う。上半身を、ほんの少しリチャードの方に向けて傾けてから答える「まあいい、答えてやるよ。まず、お前が何者であるのかということをどこで知ったかという質問だが……知ってたか? あたしが入ってた、あたしが守られてた、あの結界は、こっちからの音が外側に漏れることはないらしいが、外側の音はこっちに丸聞こえなんだよ。つまり、お前と、デナム・フーツと、二人の会話はなんの阻害要因もなくあたしの耳にはよく聞こえていたってことだ。あの会話に出てきたことの全てをあたしは知っている。お前が何者なのかということ。お前が始祖家のノスフェラトゥであり、レベル7の能力者であるということ。能力の詳細は知ったこっちゃねぇが、まあ、たぶんマニフェスター、具象化能力者だろ? あんだけ派手にやりたい放題、能力を使いたいだけ使ってりゃあ、お前という生き物の全ては、もう秘密でもなんでもなくなっちまってんだよ。それに、だ。それだけじゃなく……お前が、偉そうに、勝ち誇ったように、ぺらぺらと軽薄にもよく喋ってくれたその女の能力についてもな。ははははっ! なあ、おい、お前が本当に聞きたかったのはこのことだろ? つまり、お前の秘密兵器、お前の切り札、であるその女について、あたしがどれだけのことを知ってるかっていうことだ。知ってるよ、知ってる、あたしはその女について非常に多くのことを知ってる。なぜなら、お前が教えてくれたからな」。

 そう言ってから、真昼はほんの少しだけ首を傾げた。そして、続ける「まあ、正直に言って、全部を理解出来たというわけじゃないがな。ただ、とはいえ、必要なことは理解したつもりだ。まず、その女の名前はグレイ。はははっ、名前は大切だろ? 特に、これから殺し合おうって相手の名前を知らないのは色々と不便だからな。そして、その能力は……恐らくはリアリティ・ワーピング。現実改変能力だな。お前は、歴史そのものをその女によって消し去らせたと言ったな? その女が生まれ生きてきたという事実そのものを、その女の能力によって消し去らせた。そんなことが出来るのは現実改変能力者だけだ。ただ、とはいえ、完全な能力者というわけではない。なぜそう言えるのかといえば、もし完全な現実改変を行なえるというのであれば、その女の歴史を消すのではなく、デナム・フーツの歴史を消せばよかったからだ。デナム・フーツが生まれ生きてきたという事実そのものを消してしまっていれば、全てはもっと簡単に片が付いただろう。それにも拘わらず、それをしなかったということは、つまり、その女は、現実改変能力を自分という範囲を越えて行使することが出来ないということだ。ああ、これは致命的だな、致命的な弱点だ。そして、あたしは、その致命的弱点を知っている」。

 そう言うと、真昼はゆらりと仮面を揺らめかせた。推測するにその仮面の裏の顔が笑ったのだろう。真昼は、凄まじい笑顔によって笑ったのだ。

 一方で、リチャードはといえば。気が付かれないように、ちらっと、グレイの顔色を窺った。明らかにこれは、失態というか、「ザ・油断するなマター」であるからだ。あれほどグレイが下手に喋るなと言っていたにも拘わらず、リチャードが調子に乗って喋りに喋ってしまったせいで、情報的優位は失われ、今、グレイの能力について、真昼に筒抜けになってしまっている。

 また怒られるかな……と、そういう理由で、リチャードはグレイの方に視線を向けたのであった。けれども、とはいえ、幸いなことに、グレイはリチャードよりも遥かに大人の対応を心得ているのであって、何がいいたいのかといえば、今はリチャードを譴責しているような状況ではないということを理解していたのだ。

 グレイはそもそもリチャードの方を見てもいなかった。一瞬たりとも真昼から目を逸らすまいとして全身全霊を傾けている。リチャードは、そのようなグレイの様子を見て、ひとまずはほっと胸を撫で下ろした。それから、また、真昼の方に視線を戻す。気を取り直すみたいに、吸痕牙を見せつけるように笑ってみせる。

 その後で、こう言う「なるほどな、なるほど。てめぇは随分とまあ色々なことを知っているようだ。それに、凡庸百般のホモ・サピエンスと違って、それほど頭が悪いというわけでもないようだ」「お褒めに預かり非常に光栄です、ロード・トゥルース」「ところで……俺と、それにグレイとの話はこれくらいでいいだろう。それよりもてめぇの話をしようぜ。つまり、砂流原真昼の」。

 そのようなリチャードの言葉を聞くと、真昼は傾けていた上半身を戻した。それから、リチャードを見下ろすようにして、いや、見くだすようにして、軽く顎を上げると。そのまま、その口で、コッと舌を鳴らした。

 瞬間。真昼の周囲で脈打っていた死の波動が、ふると、震えた。そして、その一部が、すらりと形を変えて、一枚の円盤になる。それは……要するに、椅子であった。真昼が座るための椅子を形作ったということだ。

 「へえ、あたしの話ですかロード・トゥルース」自分の背後、ちょうどいい位置に出来たその円盤に、真昼は腰掛けた。ほとんど尊大とさえいえる態度によって背を後ろに傾けながら、足を組む。右手、殺意の刃、どずっと夜刀岩の岩盤に突き刺して。それから、五本の指の指先の全てが下を向くように開いた手のひら、馬鹿にするみたいにしてリチャードの方に差し出す「一体、あたしのような愚輩の何を、ロード・トゥルースのやんごとない会話の俎上にお乗せになりたいと?」。

 真昼ちゃん、それ、めちゃめちゃムカつくやつじゃん。それはそれとして、リチャードは、そのような真昼の挑発に乗ることはなかった。確かに、これはめちゃめちゃムカつくやつであるが。それでも、その挑発の通りに攻撃を仕掛けるのは危険過ぎる。

 現状では、もしも戦闘になった場合に不利なのはリチャード側なのである。まず、いうまでもないことであるが、情報戦という観点からして既に敗北している。相手はこちら側の戦力のほとんどを知っているにも拘わらず、向こう側の戦力について分からないことがあまりにも多過ぎる。真昼の能力はなんなのか。真昼は何が出来るのか。現時点で分かっていることは、あの赤い力を自由自在に操作出来るらしいということ。それから人間離れした身体能力。それだけである。

 かてて加えて雑穀御飯、リチャードは真昼のことを殺すことが出来ない。リチャードの仕事はですね、真昼をですね、取引の材料として利用可能な状態のままでREV.Mのもとに連れていくということなんですね。もちろん死体に利用価値はない。それどころか、腕をたった一本切り飛ばすことさえも望ましくないであろう。こんな条件下ではまともに戦うことなど出来ない。

 最悪の最悪、すぱーんと殺してしまって、REV.Mに対しては知らないよを決め込むことも出来ないわけではないが。とはいえ、そうするとREV.Mとの関係が悪くなってしまうわけであって、それどころか傭兵としての信用もハイパークソクソダウンであること請け合いである。それは避けたいですよね、やっぱり。

 傭兵の「請け負い」と請け合いを掛けたの分かりました? なんにせよ、リチャードとしては、戦闘が始まる前に少しでも多く情報を集めたいのだ……いや、というよりも、戦闘を始めるということさえしたくない。確かに、このクソ生意気なメスガキをぶっ殺したいことは間違いないのではあるが。とはいえ、リチャードには成し遂げなければいけないことがある。

 つまり、リチャードは革命を起こさなければいけないのだ。リチャードは、パンピュリア共和国に対して、アップルに対して、始祖家に対して、反逆しなければいけないのだ。リチャードは体制を転覆しようと試みなければいけない。なぜなら、なぜなら……しかし、なぜだろう。

 実は、リチャードは、自分がなぜそんなことをしなければいけないのかということをよく理解していなかった。確かに色々な理由を口にしはする。曰く、あの連中は俺を実験台として利用しやがった。曰く、あの連中は都合が悪くなると俺を捨てやがった。ただ、そのどれもこれも、実は、リチャード自身が納得出来るような本当の理由ではなかった。

 だって、そうじゃないか? リチャードは通称機関の実験台になった。まあ、それはその通り、事実である。だが、そもそもオーヴァーロード計画自体が始祖家のノスフェラトゥの強化を目的としている以上、その後継者たるリチャードが実験体になるのは当たり前の話なのだ。CHILDREN-NUMBERSの頃から、例えばアーサー・レッドハウス、例えばソニア・レッドハウス、実験体になった始祖家のノスフェラトゥはいくらでもいた。そのことについて激怒だの憎悪だのを感じるのは非合理的だ。それに、リチャードに対して行なわれた実験は成功している。リチャードはレベル7のスペキエース能力を手に入れている。感謝する理由こそあれ恨むべき理由など欠片もない。

 しかも、しかもだ。リチャードは事あるごとに自分は捨てられたというが、それは正確ではない。というか、端的にいって嘘である。なぜというに、以前にも少し触れたことであるが、リチャードはハウス・オヴ・トゥルースの継承権を失っていないのである。まあ、ちょっと以前に色々あって、ハウス・ファミリーとしての特権、パンピュリア共和国によって対外的に発行されているあらゆる種類の保護を剥奪されている。それどころか、アップルに出入りすることさえ禁止されている。リチャードの扱いは野良ノスフェラトゥのそれなのである。とはいえ、そういった措置の全ては、リチャードがパンピュリア共和国に対する敵意を放棄すればすぐにでも取り下げられるのだ。

 リチャードが革命を起こさなければいけない理由など、実は一つもないのだ。それでは、リチャードの、この感覚はなんなのか? 義務感、窮迫感、焦燥感、そのどれとも違うが、その全てであるような、それをしなければいけないという感覚。求めても求めても与えられないものの飢餓感。喉の渇きのようにリチャードはそれをすることを求めている。

 だが、しかし、そうだとしても。その理由が、全然、そこに見つからず、ただ単に空虚があるだけであるのだとしても。そもそも、リチャードは……リチャードは、それを、求めることがない。リチャードにとっては理由などどうでもいいのだ。

 リチャードはなぜそれをしなければならないのかということを、決して考えない。論理という事物の抽象化に信頼を置いていないからだ。また、リチャードは、直観という不完全な構造の卑劣さに身を任せるような真似をするわけでもない。戦慄はいつも白々しい。リチャードは、疑似的な完全性でもなければ、身体性の限界化した窮極でもないのである。

 リチャードは完全に理解している。全ての星座は孤独な星の配置に過ぎず、全ての理由は怠惰の詭弁に過ぎないということを。いや、違う。そうではない。それは、行動こそが真実であるということを意味しているわけではない。そうではなく……つまり、リチャードは、常に光の中を歩く。光輝の中だけを、栄光の中だけを、歩く。リチャードは闇を知らない、なぜなら、ノスフェラトゥにとっては、闇でさえ光であるからだ。

 それは衝動でも執着でもない。といって、投棄でもない。放擲でさえない。リチャードは、ただ革命を成し遂げようとしているだけだ。ただ、それは、傲慢なまでのアラリリハ、アラリリハ、アラリリハとして行なわれる。

 要するに、リチャードは。

 生命における自由なのだ。

 そして。

 結局のところ。

 それこそが。

 リチャードの。

 革命の理由だ。

 リチャードは、なぜ、ノスフェラトゥであるにも拘わらずノスフェラトゥのような知性を持たないのか? なぜ、リチャードは、余剰で阻礙でしかない、人間のものに酷似した感情を有しているのか? それは、つまるところ、リチャードがライフェルドだからである。リチャードは自由でなければいけないのだ。しかも、それは、ただの自由ではない。驕り高ぶる美しさ、光り輝く美しさ、生命としての自由だ。

 あの日。

 リチャードは。

 あの教会で。

 誓ったのだ。

 主が。

 主が。

 主が。

 いない。

 教会。

 何もないその祭壇に向かって。

 空虚に犠牲を捧げるみたいに。

 自由であると。

 手を伸ばしても。

 届くことのない。

 あの。

 赤い。

 星の。

 ように。

 どこまでも。

 どこまでも。

 自由で。

 あると。

 誓ったのだ。

 自由とは何か? 最もありふれた回答は「なんでも出来ること」というものであろう。だが、これは自由ではない。なぜなら、何でもできるというその状態の時点で、選択しなければいけなくなるからだ。自分が何をするのかということを。そして、この選択は、必ず、失敗に終わる。まずは、どれかの可能性を選択したとしよう。そうすれば、その選択の瞬間に、選択した可能性以外は絶対的な不可能に転落する。一方で選択自体を行なわなければどうだろうか。それを完全な潜勢力のままにすれば? これもまた抵抗としては無意味だ。結局のところ潜勢力は潜勢力に過ぎず、それは全知全能ではないからである。

 「なんでも出来ること」は自由ではない。この意味における自由は、つまりは「既に全てを成し遂げていること」である。自由とは御国来たりてのその瞬間なのだ。だが、残念なことに、これは死者の自由である。これは生命ではない。

 一方で、自由とは無為自然のことだという意見もある。何事にも執着しないということ、何事にも隔壁を設けないということ。あらゆるものは区別され得ず、それゆえに有るものでも無いものでもない。その意味において、無為自然は死をも生をも超越しているのであるという意見だ。だが、これもまた忽諸の限極である。このような意見は、端的にいって微塵界の叫喚としかいいようがない。

 なぜというに、この意見においては、あたかも疎隔が、言語や観念や、そういったものに依存しているかのように考えられているからだ。生という観念があり、死という観念がある。従って、その二つに疎隔が生まれると考えられている。だが、これほど愚かな勘違いはない。そもそも人間的な観念とは関係知性としての社会断片に過ぎないわけであるが、このような社会断片が内在していようがいなかろうが、生命は一つの疎隔として機能している。観念を有していないからといって、魚が海であるか?

 魚が、海と一体であると「感じている」という詭弁を弄することは出来るかもしれない。けれども、それこそ語るに落ちるというものである。感じているということは感覚であり、感覚であるのならば区別が生じ、そして、そこには執着がある。それは無為自然ではあり得ない。あるいは、魚は自分のことを魚だとも海だとも思っておらず、それ以前の話として自分という観念をそもそも有していないということをいうことも出来るだろう。ただ、それならば、魚は波であることはなく、魚は凪であることもない。魚は魚なのだ。そして、そうであるならば、つまり生きている限り魚が魚であるならば、そこには疎隔がある。

 要するに、何がいいたいのかといえば、無為自然もやはり死においてしか成立しないということだ。生命は生命である限りにおいて疎隔であり続ける。生命は、言語ではない執着、観念ではない隔壁、つまりは一個の実体なのだ。

 第一の阿毘達磨。もしも部分が全体であるならば、部分は部分ではなく全体である。よって、部分であるところの生命は部分を超えて生命であることは出来ない。第二の阿毘達磨。生命は、生成も変化もしない。なぜなら生命は「なる」の外側にあるからだ。それは、ただ「ある」。勘違いしてはいけない。生命としての観点からすれば、関係などというものはあり得ない。まさに実体こそが、実体だけが、有る。

 無為自然において、確かに、あらゆるものは不二となり真如が現れるだろう。そこにおいては確かに自由が達成される。ただ、その自由は不可思議の自由である。つまり、全てがあるという意味の自由がキリストであるとすれば、ブッダは全てがないという意味の自由だということだ。さして変わるまい、どちらも死であって生命ではない。

 生命にとって。

 そのような自由は。

 単なる空論の遊戯。

 リチャードは拒否する。そのような実践性の欠片もない自由を。さあ、答えろ。生命を主体として愛することは自由であり得るか? 回答、あり得ない。なぜなら、エラン・ヴィタールは白痴の唾液にも値しない愚説だからだ。つい先ほど書いたように、生命は意志ではない。それは概念でも存在でもない。それは、単なる孤独なのである。主体は関係性からしか発生しない。生命はあらゆるものと関係し得ない。生命とは決して壊れない機械であり、決して駆動しない機械である。孤独は対話しない。孤独は連続性を有しない。それにはpostもpreもない。従って、生命は、起源の記憶を持つことも終局の発見を行なうこともない。要するに、生命は自分自身を想像しない。

 最も、最も重要なことは、生命は死を自覚しないということだ。なぜなら、生命は死なないからである。そこには矛盾がない。そこには問題がない。何もない以上、求めるべきものは何もない。前進すること、解決すること、それは、それ自体が基本的に間違いだ。その状態で完璧なのだから。それゆえに、本来、生命は、苦悩してはいけないのだ。あらゆる苦悩は想像である。想像は孤独を受け入れられない脆弱さだ。死の自覚という完全な錯覚は、脆弱さ以外の何ものでもない。

 その脆弱さは最低のものである。なぜならその脆弱さは孤独を嫌厭するからだ。端的に自分と他者との境界線が分からなくなる。その二つのものが完全に異なっているということが分からなくなる。その脆弱さは、それを調和と呼ぶ。だが間違いだ。普通、ぐちゃぐちゃと生ぬるく混じり合った薄汚い反吐のことを調和とは呼ばない。

 問題は求めるということである。そこから全てが始まる。求めるということから、生命の疎隔性は破滅を開始する。それは端的に自己の否定であり、最後の最後には、完璧であったはずのものは消えてなくなる。独立は都合のいい阿諛追従の他者を前提としているし、行為もやはり影響を与えるべき他者を前提としている。馬鹿は馬鹿だ。

 さあ、答えろ、大乗は自由であり得るか? 回答、あり得ない。あらゆる生命を乗せる巨大なvehicleであるということは、結局のところは善良さなのだ。

 誰も彼もが善良である。従って、善良であることは選択ではなく、そのように考えるということである。善良であるということは善良ではないということを許さないことによって成り立つ。

 善良さは、そのことが終わった後にしか提起され得ないのだ。笑ってしまうことだが、その時点で善良であることが、ある特定の命令によって舞踏された舞踏が終了した後で、善良であり続けるということはあり得ない。そんなことは絶対にあり得ないのだ、なぜなら、常に、ある時点における善良さというものは、その時点において善良ではないものを虐待し搾取すること、抑圧することによって成り立っているからである。いうまでもなく、大乗の本質とは抑圧である。

 抑圧される者にとって善良さは善良さではない。ということは、常に、善良さは善良さではない。これは観点の問題ではなく、善良さは論理的に存在しえない。幸福はあり得る。だが、善良さはあり得ない。

 全ての意味が意味ではなく、その是非が被害者によって計測されるべきであるというのならば、あらゆる善良さは、善良さというものが持つ原理的な機能として被害者を出す。その意味において否定される。

 善良さが善良さであるのは善良であるからではない。ただ単に、こちら側にいるからだ。それだけの理由である。そうであるならば、あらゆる善良さは不可能である。つまり、あらゆる大乗は不可能だということだ。

 それが可能であればよかったのに。より正確にいえば、それが可能であると思えればよかったのに。こちら側に立つことが出来ればよかったのに。残念なことに、見捨てられていない者は見捨てられていない者である。大乗は見捨てられた者に手を伸ばす。だが、見捨てられていない者、大乗を必要とすることが出来ない者に対しては絶対的に無力である。大乗は何もかも手に入れた。そして、そうして手に入れたものを惜しみなく与える。大乗は美しい、大乗は慈悲深い。だが、醜い者はどうすればいい? 慈悲深くないものはどうすればいい? 大乗は、大乗であるということまで与えることは出来ない、なぜなら、それをした瞬間、大乗はあちら側に転落するからだ。誰も愛さないものは誰も愛さない。それは、大乗には耐えられない。また、大衆にも耐えられない。

 生命。

 生命。

 生命ではない。

 全ての善は。

 生命ではない。

 生命の自由を理解するためには、まずはこのことを理解しなければいけないのだ。つまり、生命は善ではないということ。また、善は「相対的にしか存在しない」のではなく「相対的には存在し得ない」のであるということ。善は確かに存在するが、それは私たちのためではない。それは絶対的にしか存在し得ない。それは生命のためのものではない。

 そして、馬鹿馬鹿しいほど当たり前の話であるが、生命の自由とは生命のためのものでなければいけない。というか、もう少し正確にいえば、生命が生命としてその最も満ち足りた状態にあるということ。そのしかるべき所以を完全に呈果しているということ。それが生命の自由であるということなのだ。

 リチャードは、つまり、生命であることを求めたのだ。誰よりも、より重く、より深く、より強く。生命として、自らの生命が、いや、自らという生命が、そうありたいと、そのように、生命的な方向性によって方向付けられている方向において、自らの生命の業の、その、避けがたい引力によって墜落する。

 業の身体、業の堆積。不共業によってイーシーパッバーラーに転生する。それでは、生命とは何か? 生命は何であるか、生命は何であることを決してやめることが出来ないのか。生命は……他者を、悪意を持って害することをやめることが出来ない。

 単純なことである。この世界は静的な世界ではない。動的な世界だ。あるものは別のものにならざるを得ない世界なのだが、別のものになる際には、必ず、他者からそのために必要なものを奪い取らなければいけない。あるいは、他者に対して何かを押し付けなければいけない。これは、したいか、したくないか、そういう問題の話ではない。そのように法則として決まっているのだ。疎隔が疎隔として疎隔され続けることが出来ないと、そのように、巫学的法則によって決定している。

 この世界において、生きることは、侵害なのである。ちなみに、この侵害を調整することによって、つまりは奪うことと突することと、その二つを適切に配分することによって、全てを丸く収めようとする試みは、そもそも試みとして意味をなしていない。なぜなら、生命は、いついかなる時であっても、受け取ることも明け渡すことも望んでいないからである。生命が望んでいることは、ただただ何ものにも邪魔されず孤独であることだけだ。そうである以上、ある生命による別の生命への干渉は、いついかなる時であっても完全な悪である。

 さて、そろそろ本質が表われてきたのではないだろうか。そう、つまり、生命は、悪の法則によって定義されているということである。生命のあらゆる行動は、生命のあらゆる思惟は、悪であるということそれ自体によって拘束されているのである。少なくとも、善という不可侵性が成立し得ないこの世界では。

 というよりも、この世界においては、生命がその法則に従ってなさなければいけない全てのことに、生命が生命であるということそのことに、「悪」という一つの名称を付けてそう呼んでいるのである。勘違いしてはいけない。生命が悪をなすのではない。そうではなく、生命がすることに対して、つまりは悪という名前が付けられているのである。

 生命が悪から逃れることが出来ないのではない。悪という単語が生命の別名なのだ。そして、ついでにいっておくとすれば、善の不在が悪なのではなく、生命の不在が善なのである。

 そう。

 悪だ。

 悪だ。

 私達は。

 皆。

 悪。

 ええー? そう? そんなことないと思うけどなあ。全然、知り合いに、良い人いるよ? そりゃあ悪い人もいるかもしれないけどさあ。そういうのってケースバイケースじゃない? と、いう実感は、まあ、まあ、置いておいてですね。とにかく、ここでは、生命は悪だというていで、どうか、一本、ぱしんと進めさせて頂ければと思ってるんですよね。

 そうであるならば。

 生命の自由、とは。

 即ち。

 悪だ。

 生命が生命として、生きるということ、その法則によって自由であるということ。それは、悪であるということである。他者を害すること。他者を強奪し、他者を強姦し、そして、その破滅を歯牙にもかけないということ。それが生命の自由なのだ。

 例えば、そうすることは苦痛であるということをいうような連中もいるであろう。欲求すること、執着すること、その全ては、それが達成され得ないということによって懊悩となる。懊悩とは苦痛である。そうであるとすれば、悪をなすということ、他者を害するということ、そうしようとすることは、結局は苦痛として帰ってくるのである。従って、その苦痛を切断するために、悪を切断しなければいけない。そういう意見だ。

 これは、自由について何一つ理解していない低能の意見だ。まず、第一の勘違いであるが、苦痛であるからといって自由ではないということにはならない。幸福と善良とがなんの関係もないように、苦痛と自由ともなんの関係もない。また、悪は束縛となる、欲望として、執着として、生命の自由を阻害する、という意見であるが。これもまた的外れであり、それどころかそもそも矢を放つことさえ出来ていない。

 ここまで何度も何度も説明してきたことだが、束縛がないということは自由とはなんの関係もない。それは自由ではなく死だ。自由とは、何よりも、生命がその法則通り機能しているということである。そして、生命がその定義上、疎隔を含むのである以上、自由の条件に束縛が含まれるというのは当然のことなのである。

 繰り返すが束縛の有無は自由とは関係ない。それが関係するのは、生死の別に解釈が必要な時である。自由とは、他人を犠牲にしてでも自分が自分であるということ。どんな手を使っても生命が生命であるということ。そのことである。

 悪意の重要性。だから、自由であろうとするのであれば、悪意によって悪を行なわなくてはいけない。それはたまたまそうであることであってはいけない。ここにおいて悪意は法則的条件である。観念の動作が物理学的・妖理学的な論理のように自由であることに関係してくる。

 それは執着でなければいけない。なぜなら、そうであることによって、初めてそれは自分と他者とを区別しうるからだ。侵害であるためには区別がなければいけない。執着を達成することを享受すること。確かにそれは、最終的には無意味だ。獲得は。侵入は。しかし、生命だ。

 ライフェルド。

 ライフェルド。

 ああ。

 リチャードは。

 生きている。

 生きることの歓喜!

 生きることの哄笑!

 これこそが!

 無敵の生命!

 だから。

 リチャードは。

 悪をなさねば。

 ならないのだ。

 つまり、リチャードは知っているのだ。善良であろうとする生き物は、ただそれだけで、一秒ごとに死んでいっているということを。なぜなら、善良は、完全性に対する隷属でしかないからだ。生命を否定することによってしか成り立たないからだ。善良とは腐敗である。善良とは枯渇である。光り輝く自由の喜びは、悪の中にしかない。悪意を持って、確信的に、自らのみを愛すること。ただ光の中を歩め! 憎むこと! 蔑むこと! 貶めること! 他者を他者として認めないこと! 他者をただの「それ」として弄ぶこと! 暴力によって支配すること! 他者を破壊することによって自分を満たすこと! 自由だ! それこそが、いや、それだけが、生命の光に満ち溢れた自由であるということなのだ!

 否定せよ。根絶せよ。それが生命が命ずるところの全てだ。分かり合えないということではない。そもそも分かり合うだとか分かり合わないだとか、そういうことは問題ではないのである。それは生命の問題ではない。それは自由の問題ではない。自由と「繋がり合い」とを比較考量することは、魚という生き物を定義しようとする時に、目の前にある兎の腎臓の温度を測ることよりも無意味なことだ。孤独とは愛の不在ではない。孤独とは誤解に対する苛立ちではない。孤独とは生きていることそれ自体だ。

 だから……今まで……リチャードは……ヴィランであり続けたのだ。そう、リチャードは、コミックブックのヴィランであり続けたのだ。リチャードが今まで生きていた全ての事実は、結局のところ、漫画であったのだ。ヒーローがいない漫画であったのだ。リチャードは、残酷として殺戮し、嘲笑として破壊し、ただただ快楽のために暴力を行使し続けた。それが、自由であったからだ。リチャードの知っている自由の全てだったからだ。リチャードは自由でなければいけなかった。なぜなら、リチャードは、誓ったからだ。何者もいないただの空虚に向かって誓ったからだ。

 誓いだけが問題であった。なぜならリチャードはリチャードとして成立していなかったからだ。リチャードは、自由であるというそのことを白紙に書写することによってしか成り立つことが出来なかった。もう少し端的にいえば、リチャードは、アーサー・レッドハウスであることによってしかリチャードであることが出来なかった。

 アーサー・レッドハウスだけがリチャードの全てであった。それなのにリチャードは、アーサー・レッドハウスを失った。だからリチャードは自らの内側にアーサー・レッドハウスを作り出すしかなかったのだ。アーサー・レッドハウスがまさにそのように生きていたところの、生命の自由としてのヴィランを作り出すしかなかったのだ。

 要するに。

 それが。

 全てだ。

 リチャードは、あらゆるものに対する一つの巨大な否定詞なのである。リチャードは、自分以外の何もかもを否定することによって自分を形作る。ヴィランは、理由があって世界征服を企むわけではない。ヴィランは、そのようなことを理由によってなしてはいけないのだ。理由が現われた瞬間に、それは純粋な自由であることを喪失するだろう。また、ヴィランはヒーローに対する否定のためにそこにいるわけでもない。むしろ、ヒーローが、ヴィランを殺害するために発生するのである。ヒーローは善良。ヒーローは死。世界征服こそが生きるということだ。世界征服をしない生などというものがあり得るか? 無論、これは反語的表現であり、そのような生はあり得ない。

 ああ。

 革命だ。

 革命だ。

 リチャードは。

 要するに。

 革命のために。

 革命を、する。

 結局のところ、正当な理由など必要ない。理由は、自分勝手に作り上げればいい。リチャードは、ただ、生命であるということに、自由であるということに、真摯であり誠実であるからこそ革命を起こすのである。革命自体には意味はないのだ。悪のためにそれをする。ヴィランであるからそれをする。正当な理由は、むしろ邪魔なものだ。悪は理由なく悪をなす。

 と、まあ、そのようなわけでありましてですね。もちろん、一度申し上げました通り、以上のような自分自身の本質的行動原理についてリチャードは全然理解していなかったのだが。理解してしまったらそれは既に悪ではなく構造的なシステムですからね。そうだとしても、リチャードは、卓袱墾田にも七面倒九厄介な理由を作り出し、なんだれかんだれ革命を起こさなくてはいけないという結論には変わりない今日この頃なのである。それゆえに、その革命のための資金が溜まるまでは、何にも増してマネー、マネー、マネーというわけなのだ。

 それに……エコン族の神々によって人間至上主義が籠中に絡されている現在、金銭こそが公的領域における数値化された栄光権力だ。剥き出しの力に対する強欲、これこそまさに悪ではあるまいか? 疎隔のうちに一層の力を。疎隔のうちに一層の光を。金を求めるということ、それ自体さえも、リチャードにとっては重要となっているわけだ。

 だからこそ、今、リチャードは逆上するわけにはいかないのだ。悪は野蛮でなければいけないが、一方で狡猾でもなければいけない。その行為単体を判断すれば悪であったとしても、それによって疎隔が破綻してしまうというのであれば、それはやはり死であり善良さである。そうであるならば、今、リチャードが選択するべき方途は、堅忍不抜である。

 真昼を殺すわけには、いかない。

 いや、そもそも殺す必要がない。

 あれは、リチャードにとって。

 人格を有した他者ではないのだから。

 あれは。

 つまり。

 換金可能な一個のトークン。

 そうである以上。

 たかが。

 物が。

 いくら。

 何を。

 ほざこうと。

 リチャードの。

 瞋恚には。

 値しない。

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