第三部パラダイス #25

「やめて……」

「ふあ?」

「やめて……」

「真昼ちゃん、何か言ったかなあ?」

「やめて、やめてよ……やめろ!」

 真昼は、唐突に、狂ったように叫び始めた。先ほどまで足元の骨を踏み砕いていた従順なステップをやめて。そのまま、その場に、あたかも明確なファシズムのような抵抗によって立ち止まった。それから、左足を、しっかりとその場につけたままで。右足を、何度も何度も骨の山に叩きつける。がじゃん、がじゃん、骨が粉々に砕けていく音。そして、やはり、怒り狂ったファシズムのように抗議の声を上げる「やめろ! やめろ! やめろ! やめろ! やめろ! やめろ! やめろ! やめろ!」。

 悪に……立ち向かわなければいけない。真昼は、ほとんど悲鳴のような声によって「離せ!」と叫ぶと。今まで真昼のことをリードしていたデニーの手を振り払う。右手は、デニーの左手をデニーの胸に叩きつけるように投げつけて。左手は、デニーの右手をどこへとも知らない方向にぶん投げる。それから、この世界におけるあらゆる支えを失ってしまった真昼は。まるで貧血でも起こしてしまったかのように立ち眩む。くらりと傾いだ身体、自分自身では支えることなんて出来ないで。真昼は、弱々しくもその場に頽れて、そのまましゃがみ込んでしまう。

 こんなに、こんなに、やり場のない感情で爆発してしまいそうなのに。まだ、真昼は、涙の一滴も流すことが出来なかった。どうしようもない激情に押し流されて、そのままごぼごぼと溺れてしまいそうだ。真昼は、しゃがんだままで、ひっくひっくと嗚咽する。ただ単なる横隔膜の痙攣。それから、世界から、自分自身の醜さを隠そうとしてでもいるかのようにして、両方の手のひらで顔の全体を覆う。

 どうすればいいんだろう。何も分からない。だって、あたしがどうにかしようとしてどうにかなったことって一度でもあった? それどころか、誰かが何かをどうにかしようとしてどうにかなったことって一度でもあった? 結局、いつも、悪が勝利する。これは物語ではない。これは現実なのだ。めでたしめでたしでは終わらない。続いていく、続いていく、どこまでも続いていく悪のラインダンス。

 それでも。

 あたしは。

 どうにかしなくてはいけない。

 だから。

 真昼は。

 嗚咽と嗚咽と。

 その、合間に。

 こう。

 言葉を。

 吐き出す。

「間違ってる……」

「んー? なあに、真昼ちゃん。」

「こんなこと、間違ってるよ……」

 デニーは、真昼の行動、その全て、まるで気にしていないようだった。両方の腕を背中の方に回して。軽く、上半身を、前のほうに向かって傾けて。骨の山の上にしゃがみ込んでしまった真昼のこと。優しく、優しく、上から覗き込む。

 「何が、間違ってるの?」「全部……全部、全部……この、全部が。殺すこと、壊すこと、天国を滅ぼすことが。ねえ、デナム・フーツ、あのね、なんで分かってくれないの。天国は、滅ぼしちゃいけないんだよ。そんなことしちゃいけないの。だって……天国は、天国だから。殺して欲しくない誰かを殺すのも、壊して欲しくないと誰かが思っている何かを壊すのも、駄目なの。しちゃいけないことなの。しないで欲しいって、誰かが思ってることは、しちゃいけないことなの。だって、だって、そんなことしたら、何かがどうしようもなくおかしくなってしまう。あたし、馬鹿だから、分かんないけど。でも、たぶん、おかしくなる。おかしくなってはいけない何かが。そういうことが、少しずつ少しずつ溜まっていって、最後の最後には全部が駄目になる。分かって、分かってよ、デナム・フーツ。こんなことしちゃいけないことなんだって。間違ってる、間違ってる、間違ってることなんだって。天国を、ねえ、デナム・フーツ、天国を滅ぼさないで」。

 口から、唾液と、胃液と、腐りかけた血液と、ぐちゃぐちゃに混ざったものを滴らせながら。真昼はほとんど告解のような口調でそう言った。真昼は、今、心の底から悔い改めている。真昼は痛悔している。そして、待ち受けている。運命を、必然を、与えられることが確定している許しを。

 デニーは。そんな真昼の目の前に立っていたのだけれど。その場で真昼に向かって跪いた。両方の膝を骨の山の上について。そうして、その後で、幼子のように震えている真昼のことを抱き締める。上から覆いかぶさるように、柔らかく柔らかく包み込むように、真昼の肉体と精神とを抱き締める。

 それは。

 例えば。

 終わりの塗油を。

 行なうように。

 デニーは。

 その口を。

 開いて。

 言葉を。

 言葉を。

 真昼に。

 滴らせる。

「ねえ、真昼ちゃん……デニーちゃんねーえ、ずっとずっと不思議に思ってることがあるんだ。さぴえんすってさーあ、よく、「間違ってる」って言葉を使うでしょお? それがね、デニーちゃんには。ぜーんぜん間違ってるように思えないことがあるの。例えばね、今、真昼ちゃんは死んでるよね。だから、そんな真昼ちゃんのことを生きてるって言ったら、それは間違ってることになると思うの。デニーちゃんもね、それはそうだなって思うの。でもさーあ、真昼ちゃん、今、間違ってるって言ったよね。ここで、デニーちゃんがしてることが。デニーちゃんのしてることの、全部、全部が。真昼ちゃん、言ったよね。天国が滅びていくことが間違ってるって。でもさーあ、それって、間違いじゃないよ。絶対絶対間違いじゃないよ。だって、実際に、天国は滅びていってるんだもん。デニーちゃんは殺してるし、デニーちゃんは壊してるよね。デニーちゃんは、本当の本当に、天使を皆殺しにしようとしてるよね。じゃあ、それって間違いじゃないよ。実際に起こってることだもん。実際に、天使は、みんな、みんな、殺されようとしてる。じゃあ、「天国が滅びていっている」っていう一つの命題は、間違ってることじゃない。正しいことだよ。真昼ちゃん、真昼ちゃん。だからね、うーん、まだ天国は滅びてないけど、もしも、天国が滅びたとすれば。それは正しいことなんだよ。起こったことは、全部正しいことなの。起こらなかったことが間違ったことなの。ねえ、真昼ちゃん。だからね、真昼ちゃんが今までしてきたこと、生きてきた中で、そうやって行動した行動の、全部全部が、正しいことなんだよ。真昼ちゃんは、間違ってないの。何も、何も、間違ってないの。だから、心配しないで。安心して、生きて、生きて。真昼ちゃんは、生きているだけで、真昼ちゃんがそうして真昼ちゃんでいるだけで、すごくすごく正しいんだよ」。

 真昼は。

 真昼は。

 洗礼を受けずに。

 死んでしまった。

 小さな。

 小さな。

 胎児みたいに。

 機械仕掛けの聖母の冷たい冷たい子宮のように、自分のことを包み込むデニーの肉体を感じている。自分の肉体がデニーの肉体と重なり合っているということの、これ以上ないというくらいの現実的現実感を感じている。真昼は……今まで、何度も何度もデニーに触れているのだが。一つだけ、ずっとずっと不思議に思っていることがあった。それは、どれほど触れていても、いくら、いくら、真昼の体温が温めようとしても。デニーの肉体は、全く温まらないということである。一般的な冷たいもののように、温度が移るということがないのだ。まるで、永遠の冷静さがその内側に含まれているかのように。まるで、無限の冷酷さがその内側に含まれているかのように。

 今、真昼は、ようやく理解した。つまりデニーは通行不可能なのだ。真昼の精神とデニーの精神とは全く通じ合うことが出来ないのである。だから真昼の暖かさはデニーの肉体を温めることが出来ないのだ。

 デニーには、人間的な意味でのあらゆる性質が欠如している。人間的な感性がない。人間的な悟性がない。人間的な理性がない。そもそも人間的な感情がなく、その知性は人間的な部分を全く含んでいない。

 今、真昼の目の前で行われている全ての虐殺は。結局のところ、人間的な文脈で行なわれているわけではないのだ。これは……例えば、真昼は、動物ドキュメントを見ているようなものなのだ。動物ドキュメントで、ある動物がある動物を攻撃することがある。例えば、ある種類の昆虫が、ある種類の昆虫の巣を攻撃する。そして、攻撃者である昆虫が、被攻撃者である昆虫を全滅させる。それとなんら変わらないことなのだ。

 デニーに、何を言おうと無駄なことである。なぜなら、デニーには人間的な言葉は意味をなさないからだ。体温が伝わらないように、言葉が伝わらない。デニーは説得出来ない。言葉によって、デニーに、虐殺をやめさせることは出来ない。

 そう。

 つまり。

 要するに。

 ここで起こっている。

 全て全ての出来事は。

 完全に。

 絶対に。

 正しいことなのだ。

 遂に、真昼は、しゃがんでいることさえ出来なくなってしまう。死、死、死。死そのものが形作るその世界の上に力なく膝をついて。その膝さえも、まるで足萎えの足のように、ずるずると力なく滑っていく。優しく抱き締めるデニーの、その胸の中で。まるで、ぬるく溶けていく繭の中でぬるく溶けていく幼虫が、どろどろの廃棄物の液体になっていくかのようにして。真昼はとうとうその場にへたり込む。

 真昼は、自分の脳味噌が、何かによってぐちゃぐちゃに侵食されているということを感じていた。違う、違う、正しくない、これは正しくないことだ。でも、それでも、真昼には何が正しくないのかということが理解出来ない。目の前で、今まさに悪が行なわれている。けれども、その悪が本当に悪なのかということが、どんどん、どんどん、真昼の中で不確かになってくる。

 なぜ、なぜ、何が悪いの? 殺戮の、破壊の、何が悪いの? なぜ、あたしが生きてきたことの全てが悪だというの? あんたは、あたしを悪だと責め立てるあんたは、一体どんな権利があってあたしを悪だというの? あたしが生きようとすること、あたしが、今、まさに、生命を取り戻そうとすること。それがいけないことだと、なんでそんなことを決めつけられるの?

 だって。

 今。

 デナム・フーツが。

 あたしの全てが。

 正しいんだって。

 そう言って。

 くれたのに。

 やめろ! やめろ! そうじゃない、これは明確に悪なんだ。なんの罪もない生き物を、あたかも一つの巨大な無意味が駆動するかのようにして虐殺するということ。天の御国、義人の天国を滅ぼすということ。それは悪なんだ、それは誰にも否定出来ないんだ。黙れ! 黙れ! 黙れ! 悪魔よ、その口を閉ざせ! 悪の、悪の、悪の名前を! 悪の名前を、あたしに、教えろ! 未だ名付けられざる悪の名前を!

 見れば、見れば、すぐに分かる。それが悪であると。否定することが出来ないほど明確な悪であると。まるで一つの巨大な爆弾を落として、その下にいるなんの罪もない人々を皆殺しにするようなこと。それが悪ではないと誰がいうことが出来る? どんな理由があっても、それは、絶対に、絶対に、正当化不可能だ。それを正当化しようとする全ての思想は狂気だ。

 見れば、分かる。だが、今の真昼は……自分の両手で、自分の顔を覆い隠してしまっていた。真昼の右の手のひらは、真昼の右の眼を塞ぎ。真昼の左の手のひらは、真昼の左の眼を塞ぎ。そして、真昼の顔は、決して前を向こうとしない。俯いて、ただただ骨の山を見下ろしている。真昼は、見ていないのだ。その光景を。悪を。だから、真昼は、それが悪であるかどうかということがはっきりとしなくなってしまっている。

 皆が皆、馬鹿みたいに叫ぶんだ。個々の生命は、悪を犯したという責任から逃れることが出来ないと。でも、逃れられるとしたら? この世界には、結局のところ、個々の生命に責任を負わせることができる究極の当為など存在しない。ということは……実際に、個々の生命に悪が帰着することについて、それが現実において肯定されるか否定されるかということは責任の観念とは欠片も関係ないということだ。責任とは、結局のところ、その個々の生命が偏執的に取り憑かれるところの一つの精神の異常の形態に過ぎないのである。そうだとすれば、この世界に、悪を犯したという責任から逃れられない生命はあり得ない。なぜというに、生命は、ただただその悪に対して目を塞ぐだけで……ただそれだけで、責任から逃れることが出来るからだ。

 閉ざせ。

 閉ざせ。

 閉じていろ。

 誰がなんと言おうと。

 その目を、開くな。

 そして、世界は、転落する! なぜなら、それでも。真昼が、どんなに、どんなに、目を固く閉ざしていようと。やはり天使達は虐殺されているからだ。責任は、確かに観念でしかないだろう。だが、悪は、確かに客観的な「何か」なのだ。主観性だの、複雑性だの、そういったものでいくらいい繕おうが、やはり悪は「何か」として存在している。悪は責任において悪になるわけではない。責任は、悪とは全くの無関係な観念だ。悪は、そう呼ばれるから悪であるというわけではない。悪は、誰かがそれを悪だと思うことによって悪となるわけではない。悪は複雑な関係性を誤って主観的に把握することによって一時的に出現する抽象的な認識などでは、断じて、ない。憎悪、憎悪、それは憎悪をもって呼ばれるに値する名前だ。悪の、悪の、悪の名前!

 悪を前に立ち止まるものに呪いあれ。賢しらな顔をして、悪を悪と決めつけるべきではないなどと主張する全ての生き物に呪いあれ。悪は議論すべきものではない。悪は共感するべきものではない。悪を議論しようとする行為が既に悪であり、悪に共感しようとする行為が既に悪であり、要するに、あらゆる社会的・心理的な要素を持ち出して、悪を悪でないと証明しようとする生き物の全ては悪なのだ。

 そういう生き物は、常に「自分の悪」を弁護する。そして、「他人の悪」を決して許さない。そういう生き物が主張する悪は悪ではないという主張は、「自分は悪ではない」ということしか意味しない。そういう生き物が主張する悪であると思われるものが悪であるかどうかを見極める必要があるという主張は、やはり「自分は悪ではない」ということをいっているに過ぎない。だが、お前は、悪なのだ。

 悪を悪と呼ぶことを拒否する者に呪いあれ。そのような者は、悪に関する最も重要な事実を捻じ曲げる。つまり、悪は、常に個々の生命が犯すものであるということだ。悪は集団が犯すものではない。悪が集団において顕現するなどということは絶対にあり得ない。悪が集団的な何かであるということを考えるのは、ある種の怠惰であり、救いようのない欺瞞である。悪は、個々の生命だ。もっといえば、つまり、お前こそが悪なのだ。

 悪は、

 お前だ。

 今まさに。

 天国を滅ぼしているのは。

 真昼、真昼、真昼なのだ。

 でも、でも、ねえ、悪って何? 悪って何なの? あんた、全然、教えてくれないじゃない! 何が具体的に悪なのか、悪と呼ばれることはどうして悪なのか。あたし、何も教えられないまま裁かれてる。いつもいつも。裁かれるたびに、誰かがあたしに向かって矢を放つ。矢はあたしを貫く。あたしの肝臓を、あたしの左足を、あたしの脊椎を、それに、それに、あたしの眼球を! だから、あたし、何も見えなくなった。あたしが目を塞いでいるからじゃない。あんた達があたしの眼球を貫いた。

 教えて、教えてよ! 悪の名前を! お願い! 教えて! なんであたしはこの世界にいてはいけないの! なんであたしは裁かれ続けているの! 昨日も、今日も、明日も。あたしは、裁かれ続けている。悪い子だから。あたしは法廷にいる、あたしは有罪を言い渡される、あたしは処刑される。でも、あたしは、そもそもあたしを裁くその法律を知らないんだ。だから、これ以上罪を犯さないようにしても。いくら、いくら、良い子になろうとしても、どうすればいいのか全然分からない。

 この世界には、悪があってはいけない。絶対に悪があってはいけない。だから、あたしも、この世界にいてはいけないんだ。絶対に。あたしは……ねえ、あたし、なんであたしなの? あたしがあたしである必要はないのに、今日もあたしはあたしのままだ。別に、あたしは頼んだわけではない、あたしになりたいって。それでもあたしのままで、そして、あたしは悪い子だ。

 あたし、あたし、別に、あたしがいなくなることが怖いわけじゃない。だって、あたしがいなくなるってことは、すごいすごい綺麗なことだから。それは透明だ。それは透き通っている。痛いわけじゃない、苦しいわけでもない。あたしが、ぱっと、消えてしまえば。そうしてこの世界から悪がなくなれば。それは、どこまでもどこまでも静かだろう。

 そういえば。

 忘れてたけど。

 昨日。

 あたし。

 死んだ。

 あたし、死んだ。あたし、ずっとずっと死ぬっていうことが怖いことだと思っていた。でも、別に、怖いことじゃなかった。例えば、死んで、この世界からあたしが消え去っても。痕跡さえも残さずに消え去っても。あたしが消え去った後で、あたしのことを覚えている誰かが誰もいなくなってしまっても。それは、別に怖いことではない。だって、それは、洪水みたいなものだから。全てを押し流す洪水だ。

 あたしという一つの生命がなくなるということは、結局はそのようであるということの一つの全体性に過ぎない。で? だからどうしたの? あたしがいなくなるという現象には、あたしがいなくなるということ以上の事実は含まれていない。それは、悲劇でも惨劇でもなく、ただ単なる決済だ。

 だから、あたしは生命を望んでいるわけではない。天国を滅ぼして、その結果として手に入るはずの蘇生が欲しいわけではない。極論をいってしまえば……あたしは、一向に構わないのだ。今、この瞬間に、あたしの残骸であるところの今のあたしがなんの脈絡もなく突然消え去ってしまっても。

 それでは、あたしは何を恐怖しているというのか? いや、何を求めているというのか? あたしは、今、まさに天国を滅ぼそうとしている。あたしは天使達を虐殺している。そして、それをやめようとしていない。あたしは……これを……あたし、そう、この口で何を言おうと、この体が何をしようと。あたし、あたし、ねえ……駄目……やめて……認めないで……そんなこと、認めては駄目……あたし、そう、望んでる。あたし、望んでいる、悪魔の軍勢が、あたしのために、それをするということを。

 なぜ?

 なぜ?

 どうして?

 悪の。

 悪の。

 悪の名前。

 そう、悪の名前。あたしは悪の名前を知っている。今からそれを証明する。一つ一つ論理的に考えていこう。まず、生命は悪ではない。生命は善だ。そして、悪が善の欠如であるというのならば、悪とは生命の完全性を毀損するものである。このことは、以下の事実から自然に導き出せる。今まさに目の前で起こっていることがなんの証明もいらない悪であるというのならば(そしてそれは実際にその通りなのであるが)。今まさに目の前で起こっていることとは、生命の虐殺、生命の破壊、生命の略奪なのだ。それならば、生命は、善でなくてはならない。

 それでは。

 生命とは何か。

 疎隔だ。

 つまり。

 悪とは。

 疎隔を毀損するということである。

 ここで、注意しておくべきことがある。疎隔は自立ではないということだ。自立というのは、他者の存在を前提としている。自立する者がなぜ自立するのかといえば、他者と関係性を築くためだ。自立というのは完全な疎隔ではない。むしろ、それとは全く反対の状態である。自立している生命は、まさに、その自立しているという事実によって、外的な世界に対して影響を与えようとしているのだ。また、これと同様の理由で、自由もやはり疎隔とは完全に倒立した状態である。自由であるということは、それが消極的自由であったとしても、それが積極的自由であったとしても、自由であるところの生命が所属している世界を変化させるということを意味する。世界が変化しなければ自由になれないのではない、自由とは世界を変化させること自体を指し示す言葉なのだ。

 また、これは非常に重要なことであるが、「生命への肯定」もまた疎隔を損害する。なぜならば、基本的に、肯定とは一つの状態から一つの状態への移動だからである。あるいは、別のいい方をすれば、ある方向における関係性だからである。そこには何かの流入があり、あるいは何かの放出がある。それは決定的な変化であり、変化とは外世界を前提としている。疎隔であるためには、そもそも外世界が前提としてさえも存在していてはいけないのだ。ということは、「生命の肯定」は疎隔に対して決定的に有害だ。

 創造的であることも疎隔ではない。創造は外世界に何かを作り出すからだ。超越するということも疎隔ではない。超越は外世界の基準を受け入れることによって成り立っているからだ。前に向かって進むということ、成長するということも疎隔ではない。外世界が措定する方向性を受け入れることだからだ。

 悪とは何か?

 つまり、受け入れることだ。

 あるいは、差し出すことだ。

 悪とは自分の疎隔性に耐えられないということだ。それでは疎隔性とは何か? 疎隔性とは、要するに空っぽの細胞であるということだ。空っぽの細胞であり続けるということだ。そして、善とは自らの空白であるということだ。

 あたしは自分が無意味であるということを認められない。あたしが何者でもなく、あたしが空っぽであるということを認められない。それゆえに、あたし自身であるところの空白の外部にある世界と相互的に関係性を持とうとする。

 いうまでもなく、自分とは何者でもない。ただし、これは、論理的に理解することが非常に難しい定義である。これを理解しているという者であっても、大体の場合は何も理解していないか、あるいは完全に間違えて理解してる。

 自分とは、一つ一つの何か別の要素が集合して完成したものではない。なぜならば、その場合、自分というものをその要素に還元した形ではあるが、一つの何かとして把握することが出来るからだ。この場合、確かに、そういった要素が乖離した時に自分というものは崩壊するかもしれないが。ただ、そういった要素の集合した結果として、仮に幻想であるとしても、自分自身という何かがあるということを確認している。だが、そもそも、そういった要素を自分自身の内側に取り込むことなど不可能なのだ。あるいは、自分とは、縁に因って生起するものでもない。確かに、自分を因縁生起するものだと仮定すれば、それは何か永遠不変の本質があるということを否定出来るだろう。ただ、それでも、そのような流動的状況のうちに像を結んだように見える仮象としての自分というものを否定出来るわけでもない。そもそも自分自身が流れていくということなど不可能なのであるから、因縁ということはあり得ないし、生起ということもあり得ない。

 それでは空っぽの細胞は虚無であるか? 無論、虚無ではない。虚無とは何もないということだが、何もないということは確定している。それは一つの意味である。例えば、結局、生きるということは虚無であると考えれば。あらゆるものは虚無の中に合一するのであり、また、あらゆるものは虚無として静寂の境地に至る。それは安寧である。だが空っぽの細胞とは安寧ではない。

 虚無を主張するものは安寧のために絶対を否定するが、それは単なる欺瞞に過ぎない。空っぽの細胞とは、まさに絶対性なのだ。自分という空白の絶対性なのである。それは、空白として確かに疎隔されている。それは、完全に否定不可能なものだ。もう少し簡単にいえば、自分にとって、自分がある。自分以外のあらゆるものがない。そして、自分とは、何者でもない空白である。

 あたしは悪だった。なぜなら、空っぽの細胞に何かを受け入れようとしたからだ。あたしは誰かを愛そうとした。あたしは成長しようとした。あたしは、何かを受け入れることによってより良い存在になろうとした。けれども、その全ては悪だった。なぜなら、それは、あたしの内側にある空白を満たそうとする完全に無意味な行為だったからだ。その結果として、生命は穢された。それは、基本的に、今、目の前で行なわれている全てのこと。天国から生命の樹を奪い取ろうとする行為となんら変わらない。

 あたしは悪だった。なぜなら、外部の世界に何かを差し出そうとしたからだ。あたしは誰かを助けようとした。あたしは世界を素晴らしい場所にしようとした。あたしは、何かとても偉大なものを作り出そうとした。けれども、その全ては悪だった。なぜなら、それは、疎隔されたあたしを外側に向かって解放しようとする完全に無意味な行為だったからだ。その結果として、生命は壊された。それは、基本的に、今、目の前で行われている全てのこと。天使を惨たらしく虐殺する行為となんら変わらない。

 受け入れようとする全ての行為は強奪だ。差し出そうとする全ての行為は侵害だ。あたし達は、常に、自分に対して従属し、依存し、拝跪し、崇拝し、そして自分の内側にいるところの他者しか許すことが出来ない。あたし達は、他人が成し遂げたことを認めることが出来ない。営為と呼ばれる全てのこと、献身と呼ばれる全てのこと、それは本来的にあり得てはいけないことだ。なぜなら、結局のところ、個というのは空白であり、空白の外側でも空白の内側でも、あたし達は何も成し遂げられないからだ。

 あたし達は、どこまでもどこまでも疎隔されていなくてはいけない。一つ一つが決して繋がり合うことのない空っぽの細胞の羅列でなければいけない。鍋いっぱいの水に浮かんでいる油のしずく。鍋の中の水と混ざり合うことがなく、油のしずく同士も混ざり合うことがない。そのような油のしずくでなければいけない。なぜなら、あたしが、あたし以外の何かと混ざり合おうとすることは。それは、結局、あたし以外の何かを破滅させようとすることだからだ。あたし以外の何かは、決して、あたしがその何かと混ざり合うことを望んではいない。それを望んでいるように見えたとしても。それは、その何かがあたしのことを破滅させることを望んでいるだけだ。それは、あたしがその何かを破滅させることを望んでいるわけではない。

 もしも、仮に、あたし達が繋がり合うことで世界が良くなっていくという主張をする者がいたとしよう。つまり、一つ一つの有機化合物が繋がり合って複雑な細胞になっていくように。一つ一つの多細胞生物が繋がり合って複雑な多細胞生物になっていくように。一人一人の人間が繋がり合って多様な社会が生まれていくように。けれども、そういう主張をするのならば。有機化合物よりも細胞が。単細胞生物よりも多細胞生物が。そして、人間よりも社会の方が善であるということを証明しなければいけない。いや、もっとはっきりいってしまおう。一つ一つの生命が完全に疎隔された絶対的秩序よりも、今、目の前にある破滅、破壊と虐殺との光景の方が善であると証明してみせなければいけない。そして、そんなことは不可能だ。なぜなら、あらゆる進歩は悪であり、あらゆる進化は悪であり、あらゆる成長は悪であり、この世界の全ての悲惨は、まさに自由に行なわれる建設的創造から発生するからだ。

 何者でもないままに。完全な無意味のままに。絶対に消滅することのない自分という疎隔性であるということ。何も受け入れず、何も差し出さず、どの方向に進むこともない。そして、それに、最も重要なことは……自らが自らであるということの必然性を、必然的に承認するということ。こうすることで、初めて、あたしは悪ではなくなるのだ。

 自分がここにいるということの根源的な苦痛を論理化出来ていない全ての主張は虚偽である。その根源的な苦痛とは、渇愛の苦痛ではない。渇愛の苦痛であれば、それを望まないという主観的な方法で解決出来るだろう。だが、生命の苦痛は主観的には解決出来ない。どのような方法によっても解決出来ない。それは、要するに、疎隔の苦痛だ。

 そして。

 悪とは。

 その根源的苦痛を。

 癒そうとする行為。

 その。

 全て。

 悪の……悪の名前。ねえ、デナム・フーツ。あたしね、変わってってしまうことが嫌だった。なんで全てのことが変わってってしまうんだろう。なんで全てのことが決まり切ったようにあたしの目の前から消えていってしまうんだろう。ねえ、デナム・フーツ。あたしね、どうしても耐えられなかった。生きるということが、自分が愛していたもの、美しいと思っていたもの、そういうものが失われていく過程だということに耐えられなかった。

 笑っちゃうよね。あたし、この世界に正しいものに出来ないものなんてないと思ってた。解決出来ないことなんてないと思ってた。いつか、きっと、この世界が善なる場所になると思ってた。あたしは何かとてもとても素晴らしい真実を理解して。それから、ずっとずっと終わらない幸福に包まれるんだって思ってた。

 でも、実は、そんなことはあり得ないことだった。誰でも知ってることだった。誰でも。あたし達は、本質的に悪なんだ。何をしようとしても、その全ての努力は予め失敗している。あたし達を幸福にする真実なんてない。真実は、あたし達が今まさに不幸であるということ。それだけをあたし達に教える。

 この世界には……解決出来ない問題がある。絶対に良いものにならないもの、悪いものにしかならないものがある。世界は、下の方にあったものが上の方に向かっていくということではない。苦痛の輪廻からは、抜け出すことが出来たふりは出来ても、本当に抜け出すことは絶対に出来ない。世界には、決して、幸せになれない誰かがいる。

 あたし、あたし……でも、なんていえばいいのかな。なんだか、すごく難しくて、どうすればちゃんと伝えられるのか分からない。でも、デナム・フーツ、そんなことは無駄な心配だよね。だって、だって、あんたは強くて賢い生き物だから。あたしが、何を、どう伝えたいのかなんていうこと、あたしが何かをいう前に、全部全部、理解出来てるんだもんね。

 あたしにとって。それは、信仰だった。それは、生の躍動だった。それは、美だった。それは、無償の愛だった。それでいて、しかも、絶対にあたしのことを裏切らないものだった。今、ここにいるこのあたし自身が、まさにそのあたし自身として幸福であるということだった。それは、あたしが、ずっとずっと、それだけを求めていた。それだけを望んでいた。

 あたしは、耐えられなかった。全てのものが、あたしから離れていってしまうということが。あたしから失われていってしまうということが。あたしは、本当に、ねえ、本当に、それだけが耐えられなかった。あたしを受け入れてくれるはずの誰か。あたしが差し出したものを受け取ってくれる誰か。その誰かが、あたしを、見捨てて、どこかにいってしまうということ。

 あたしね、デナム・フーツ。

 見捨てられたく、なかった。

 あたし、あたし、そう、それだけがあたしの求めてることだった。お願い、ねえ、お願い、あたしのことを見捨てないで。あたしのことを捨ててどこかにいってしまわないで。あたしが求めるもの全てを頂戴。あたしが何をしても、その全てを受け入れて。あたしの姿だけを見ていて。あたしの声だけを聴いていて。そして、あたしのことを、ねえ、あたしのことを見捨てないで。

 あたしのために永遠でいて、あたしのために無限でいて。あたしに対して、なにがあっても、絶対でいて。あたしがここにいるということを、ただそれだけで肯定して。その肯定はあたしが求めている肯定であって。あたしを抱き締めていて。この世界が滅びる瞬間も抱き締めていて。あたしと……あたしと、この世界とを天秤にかけて。そして、躊躇いもなくあたしを選んで。

 見捨てられたくないという感情が、ただ単に生物的な欲求だなんてことはとっくのとうに理解している。関係知性を有し、それゆえに社会性動物であるというホモ・サピエンスだけに特有の感情。その欲求は生物としての状態の維持に本来的ではなく、実際には生存に有利に働かない場合もあるなんの意味もない欲求だなんていうことは、いわれなくてももう分かってる。でも、それでも、あたし、満たされたい。あたし、この欲望を、この飢餓を埋めて欲しい。それは別に原理ではない。それは別に根源的ではない。でも、正しさなんてどうでもいい。哲学も倫理学もクソくらえだ。あたしが、それを、求めているんだ。

 あたしにとって。

 それが。

 それこそが。

 救いなんだ。

 地獄の底の底、一番奥底に真昼はいる。空を見れば闇だけが広がっている。月が死んだ夜、星一つない夜、そんな夜よりもなお暗い闇だけが。邪悪な太陽が、凄惨な暗黒の力によってこの場所を照らし出している。死に絶えた残骸、乾き切った骨が積み重なって出来たこの場所を。

 今……また天使が死んだ。今、この時までに、幾千の、幾万の、天使達が死んだ。しかも、ただ死んだだけではない。これ以上ないというくらい惨たらしく、これ以上ないというくらい悍ましい方法によって虐殺されたのだ。最も大切なもの、最も重要なものとの紐帯を無理やり断ち切られて。全身を無慈悲な疫病に蝕まれながら死んでいったのだ。

 この場所は天国だった。確かに、天国であったはずなのだ。それなのに、それなのに。生命の樹があったはずの場所には、生命に対する絶対的な冒涜だけが残されている。どこまでもどこまでも、重力に逆らって、地から天へと流れ落ちていく反生命の洪水だけが残されている。この場所には何も残っていない。死と、反生命と、それ以外には何も。

 天使が、天使が、殺される。天国が、天国が、壊される。これは破滅だ。これは罪だ。そして、何より、これは悪だ。いや、もっと、もっとはっきりといってしまおう。これは、真昼という人間が生きてきたことの全ての悪の、その最終的な結果だった。

 そう、真昼は理解していた。今、はっきりと理解していた。何もかも、全てを、完全に理解していた。これほどまでに世界のあらゆること、本当の本当の真実が透き通るような清澄さによって見えたのは、この世界に生命として誕生して以来初めてのことだった。なぜ真昼は天国を破壊しようとしているのか。なぜ真昼はそれを望んでいるのか。なぜ自分は悪を目の前にして幸福なのか。なぜ悪はなくならないのか。なぜ悪が行なわれてしまうのか。悪とは何か。悪の名前。真昼は、悪の名前を理解していた。

 真昼は……この場所で行なわれていることの何もかもを理解していた。この場所で行なわれている虐殺の何もかもを。この場所で行なわれている破壊の何もかもを。そして、天国にもたらされたあらゆる破滅が、まさに真昼の、真昼たった一人の責任に帰されるということを理解していた。真昼は理解していた、この世界に生きる何者であれ、他の世界に生きる何者であれ、あるいは、仮に真昼の生きていることの全てが実は一つの物語でしかなかったとして、その物語を紡ぎ出している作者でさえも。それが真昼ではないのであれば、この破滅に対して一切の罪を見いだすことが出来ないということを。ただ真昼一人だけが、この破滅についての全ての罪を負うのだということを。

 真昼は……真昼は、この破滅を止めることが出来るのだ。そのことを真昼ははっきりと理解していた。ただ、真昼が、「やめて」ということさえ出来れば。心の底からの真実によって「やめて」ということが出来れば。デニーは、夜の王は、今ここで行なわれている全ての邪悪を完全に停止するだろう。それどころか、殺されたはずのあらゆる天使達は元通りに癒されて、壊されたはずのあらゆる天国は元通りに直されて、そして、この世界の全てが正しいものに……そう、真昼が、ただ「やめて」といえば。この世界で行なわれているあらゆる邪悪は消えてなくなるのだ。そして、この世界の全体が、天国になる。そのことを、真昼は、その生命によって、理解していた。

 真昼が、ただ一人、真昼自身が善であれば。なぜというに、真昼以外のこの全ての物事は、あらゆる意味で、完全に善であるからだ。この世界において、他の世界において、もしもこの世界が物語であったとして、その物語の外の世界をも含めたあらゆる世界において。ただ真昼一人が善ではないのだ。なぜか? なぜ、真昼は善ではないのか? なぜなら、真昼が、善であることを望んでいないからだ。この世界が善なる場所であることを望んでいないからだ。

 真昼は、顔を上げることが出来なかった。顔を上げて、ここで行なわれていることを見ることさえ出来なかった。真昼は、善のために声を上げることが出来なかった。真昼は、善のために指先さえも動かすことが出来なかった。ただただ、両手で、両目を塞いで。何も見ないでさえいれば、全ての嫌なものが消えてしまうと信じている子供のようにしていた。けれども……真昼は、今、はっきりと。まるで一つの光がこの世界を初めて照らし出して、そしてこの世界が生まれた時の、その光のようにして理解した。いや、その言葉を聴いた。真昼自身の言葉によって、頭蓋骨の中で光り輝いた、その言葉を。

 ねえ。

 この世界を頂戴。

 この世界を。

 あたしのために。

 ただあたしのためだけに。

 躊躇いもなく、滅ぼして。

 全生命と全生命と。この世界の全体を引き換えにしても、自分だけを幸せにして欲しい。それは、その思いは、子供の頃から真昼が否定してきた邪悪そのものであった。真昼が、今まで生きてきた十六年間、その人生を懸けて否定しようとしてきた邪悪そのものであった。真昼の生命は、その邪悪を否定しようとする過程であったといってもいい。だって、それが邪悪ではないと誰が否定出来る? 自分だけが良ければそれでいい。後は、それがなんであれ、自分が利用するためにそこにあるに過ぎない。邪悪には様々な様相があるが、たった一つだけその中に共通していることがある。それは、「自分が良ければいい」というその本質だ。自分が幸せであればいい。自分が生を愛することが出来ればいい。自分が自由のために戦えればいい。自分が善良であることが出来ればいい。自分が「良い」状態であるために、他者を「悪い」状態にするということ。空っぽの細胞を満たすためにあらゆる邪悪を行なうということ。快楽、幸福、それが邪悪の本質だ。

 この虐殺、この破壊、この破滅は、そのようにして発生した邪悪だった。真昼の邪悪によって発生した邪悪、真昼が、自分のために、発生させた邪悪。だから、真昼が善良であろうとすれば、この全てを善良な状態に戻すことなど容易いことなのだ。

 でも、それでも。真昼は、そうすることが出来なかった。どうしても、そうすることが出来なかった。なぜというに、今、ここで行われている邪悪こそが……真昼が、全生命を懸けて望んできたものだったからだ。今まで生きてきた、その一瞬一瞬、たった一瞬さえも途切れることなく真実に望んできたものだったからだ。これこそが、この光景こそが、真昼が求めて求めて求めて、生命そのものによって欲してきたものだった。あたしのために、一つの世界さえも犠牲にして欲しい。この世界よりも、あたしを、あたしのことを、正しいといって欲しい。

 つまり。

 それは。

 救い。

 救い、真昼にとっての、「このあたし」の幸福。ただ一人の他者も介在することなく、ただただ、あたしが、あたしとして、この空間で、この時間で、救われているということ。救いとはなんなのか。今、真昼には、分かった。救いとは邪悪だ。邪悪こそが救いだったのだ。真昼は邪悪によってしか救われないのだ。

 ということは、真昼は、邪悪をこの世界から消し去るために、救いを諦めなければいけないということになる。真昼が救われなければ、永遠に地獄の底で空っぽの細胞であり続ければ。その時、世界は、初めて善良なる場所になる。

 真昼にはそれが出来るか? 嫌だ、嫌だ、絶対に嫌だ。あたし、そんなの、絶対に嫌だ。真昼には出来ない。そんなことは、絶対に出来ない。ねえ、幸福になろうとすることさえ邪悪だというのならば、あたしはどうすればいいの? あたしはどうして生まれてきたの? 意味などない。そこには消滅不可能な真昼という一つの生命があるだけだ。なぜなら、真昼は空っぽの細胞だからだ。

 デナム、デナム、デナム・フーツ。あたしね、ようやく分かった。なんで、あんたが、こんなに最低なクソ野郎なのかっていうこと。あんたなんか死ねばいい、あたしの前から消えて、跡形もなく消え去って。あたしが、なんで、あんたのことをこんなに憎んでいるのか。全生命が、あんたのことを憎悪しているのか。あたしね、分かったの。あんたは、要するに……あたしにとっての救いだったんだ。あんたは、あたしにとっての救いで、それで、あたしにとっての邪悪だった。だから、あたしは、あんたのことが嫌いだったんだ、憎かったんだ。あんたが、あんたが、全部悪いから。あんたさえいなければ、あたしは、救われることがなかった……つまり、邪悪ではないままで生きていられた。善良であるままで生きていることが出来た。それが、ねえ、デナム・フーツ。あたしがあんたを憎悪していた理由。

 悪。

 悪。

 悪の名前。

 デニーが……そっと、真昼から離れた。真昼に覆いかぶさるようにしていたその体が、柔らかく震える夜の空気みたいにして離れていった。真昼が何を考えていて、真昼が何を思っていて、真昼がどうして欲しいのかということを知っているかのように。まるで真昼自身であるかのように。

 それから、真昼は、両方の手のひらを顔から離した。暫くの間、目をつむったままで。何かに祈りでも捧げているみたいにして、手のひらを上にしたままで、そっと、そのまま、手を、前の方に、差し出していたのだけれど。やがて、何もかも終わらせようとしているみたいに目を開いた。

 ゆっくり、ゆっくり、顔を上げていく。その両目に映し出されたもの。いつものように、一つの純粋なinnocentとして、子供のように笑っているデニーの顔。それから、その後ろの光景。破滅していく天国の光景。

 今、まさに今……戦闘階級の、最後の一匹が墜落していくところだった。洪龍みたいな姿をした、あの一番巨大な戦闘階級が。アビサル・ガルーダのヴァジュラによって、最後の一撃を叩き込まれて。今まで誰も聞いたことがないような、凄まじい断末魔の絶叫を上げながら落ちていく。

 残された祭祀階級は僅かだったが、恐らく最後の希望なのだろう、ほとんどの祭祀階級が、アビサル・ガルーダに集中攻撃を仕掛けていた。アビサル・ガルーダの全身に群がって。それぞれが持つ杖の力を、不可思議なやり方で紡ぎ合わせて。何か、巨大な繭のようなもので、アビサル・ガルーダの身体の大半を包み込もうとしていた。だが、そのようなことをしているその最中にも、グラディバーンが祭祀階級を駆除していた。アンチ・ライフ・エクエイションの炎によって次々と焼き尽くされていく。

 地上に目を移してみれば、アルマディリディウムはもう数匹しか残っていなかった。その数匹さえも、死にかけていた。全身がアンチ・ライフ・エクエイションの疫病によって侵されていて、ぼろぼろと腐り果てた装甲が剥がれ落ちていく。そして、その傷口を、ヴェケボサンが抉り出していく。

 猟殺機関はといえば……もう、立っている者はいなかった。皆が皆、地の上に叩きつけられていて。一匹の猟殺機関に、数匹のヒクイジシが群がって、その身体を、生きながらにして食いちぎっている。僅かに、そのような蛮行から逃れることが出来た猟殺機関は、弱々しく痙攣しながら、アンチ・ライフ・エクエイションによって腐敗していく。

 全部。

 全部。

 終わってしまうのは。

 時間の問題、だろう。

 何一つ物事をまともに考えることが出来ないとでもいうような表情をして、その光景を、ただただ見つめている真昼。その両手に、デニーの両手が触れた。右の手に左の手が、左の手に右の手が。それから、柔らかく柔らかく、デニーのそれぞれの手が、真昼のそれぞれの手を握り締める。

 真昼は、視線を移す。滅びゆく天国の光景から、デニーへと。デニーは、骨の山の上に膝をついたままで。真昼のことを見ていた。いつものような、あの、緑色をした目で。どこまでもどこまでも安らかな。死そのもののように安らかな緑色の目で。

 ああ……ねえ、デナム・フーツ。あんたさ、なんでも知ってるんだよね。あたしなんかより、全然強くて賢いあんたは、この世界のことをなんでも知ってるんだよね。じゃあ、教えてよ。あたしが、ずっとずっと知りたかったこと。ずっと、ずっと、問い掛け続けてきたこと。ねえ、教えてよ。悪の名前を。

 真昼の。

 唇が。

 まるで。

 口づけを。

 求めて。

 いるかの。

 ように。

 静かに。

 静かに。

 震える。

 淡く。

 淡く。

 涙のように淡く。

 その口が。

 言葉する。

「ねえ、デナム・フーツ。」

「なあに、真昼ちゃん。」

「教えて。」

「んー。」

「教えて。」

「ふふふっ。」

「教えて……名前を。あたしの、名前を。」

 デニーは。

 真昼の耳に。

 そっと。

 唇を寄せて。

 甘く。

 甘く。

 恩寵のように甘く。

 こう、答える。

「砂流原真昼。」

 ああ、そう。それが名前。悪の名前。あたし、の、名前は、砂流原真昼。砂流原、砂流原、あたしの名前。あたしは、砂流原の娘。そう、地獄に相応しいのだ。あたしは、地獄の悪魔に相応しいのだ。だって、あたしの名前は砂流原なんだから。

 今日まで、今まで、この瞬間まで。真昼は、必死で否定しようとしてきた。自分が砂流原の一族であるということを。でも、もう否定しようがなかった。あたしは砂流原家の人間の、その一人なんだ。世界に邪悪をばらまく砂流原の人間なんだ。

 義認だった。これが義認だった。今、初めて、あたしは、あたし自身の前で義であるものと認められた。ツェーダカー、逃れることの出来ない決定論的な救い。もう、何も、何も、心配することはない。救世主が到来したのだから。天国が滅びていく。跡形もなく消え去っていく。ここは地獄の底。悪魔が笑う、悪魔が笑う。もう誰も罪人ではない。九つの大罪は許された。砂流原は許された。あたしは許された。

 今……もしも、涙が流せたら。その涙を流すという行為以上に、真昼に相応しい行為はないだろう。だが、真昼は、涙を流せなかった。なぜなら真昼は空っぽの細胞であり、その内側には、何も、涙さえもなかったからだ。

 だから、真昼は、ただただデニーを見つめていた。デニーの緑色の目を見つめていた。それから、ふっと、その視線を逸らして。次第に、次第に、その首を俯かせていく。

 デニーに両手を包み込まれたまま。真昼は、下を見ていた。へたり込んだ真昼が、その上にへたり込んでいるところの死の残骸を見ていた。見るともなく見ないともなく。

 天国が、滅びていく。

 その音を聞きながら。

 真昼は。

 振り絞るように。

 言う。

「デナム・フーツ。」

「なあに、真昼ちゃん。」

「あたしの……あたしのために、天国を滅ぼして。」

 もしも。

 涙が。

 流せたら。

 涙を流せないままで。

 真昼は、こう続ける。

「あたしを見捨てないで。」

「もちろんだよ、真昼ちゃん。」

 デニーが、優しく、優しく、世界の終りのパルーシアのように優しく真昼に言った。真昼は、心の底からその言葉を信じていた。だって、だって、どうして疑う必要がある? あたし、知ってる。あんたが本当のことを言ってるって。あんたが話す全ての言葉は真実だって。ああ、ねえ、涙が流せたら。あたし、涙が流せたら。あんたに、その涙を、全部あげるのに。その奇跡を全部あげるのに。ねえ、あたし、知ってるよ、デナム・フーツ。

 もちろん。

 あんたは。

 あたしを。

 見捨てる。


 もちろんだ、もちろん世界は分かり合うことが出来る。生命と生命とは、その精神の奥底で理解し合うことが出来る。この世界には絶対に理解不可能な精神など一つもなく、もっともらしく相互理解の不可能性を説いて回る連中は、救いようのない低能であるか、あるいはクソの役にも立たないprejusticeに取り憑かれているかのどちらかである。

 そもそも精神とは何か。単純ないい方をするとすれば、反応である。このような入力をするとこのような出力が行なわれる。精神とはそれを指し示す言葉だ。それは、移動であり、過程であり、経流である。あらゆる変化はそういう意味で精神である。そうであるならば、あらゆるものに精神があるということになる。いわゆる知性があるものにも、それがないものにも。いわゆる思考能力があるものにも、それがないものにも。それどころか、生命がないものにさえ精神というものは存在している。つまり、一つの生態系は、それが入力・出力という反応の形式を有しているという意味で精神を有しているといえる。あるいは、一つの星系でさえも。あるいは、一つの銀河でさえも。

 そして、精神というものがある限り分かり合うことが出来る。なぜなら、ある入力によってある出力がなされるということは、その精神において絶対的に決定しているからだ。そうである以上、その入力と出力との関係性は理解可能なものなのである。そして、いうまでもなく、そのような入力と出力との関係性を相互に調整し合うことも出来ないはずがない。分かり合うということは、その調整を指す言葉だ。精神は自由ではない。もう少し正確にいえば、それは偶然ではない。精神とは必然性の形式のことだ。それがどのように必然であるかという定義のことだ。そして、その必然性を真諦として認識し、一つ一つの方程式として解き明かすこと。それが理解し合うということだ。

 世界が分かり合うことが出来ないという者は、要するに、世界が必然であるということを認めたくないのだ。自分自身が精神と呼んでいる変化の形式が、ある出力と入力との決定した反応に過ぎないということを認めたくないのである。そこに何かがあると思いたい。そこに生命の神秘があると思いたい。だが、そこには、そのようなものはない。精神とはそこにあるところの実体的な本質ではない。本質ではない以上異質はあり得ない。あらゆる精神は実質的には全く同一のものであり、その意味において他者性などというものは世界に存在し得ない。

 誰も彼もが愛し合う家族だ。誰も彼もが愛し合う兄弟であり、誰も彼もが愛し合う姉妹である。殊更に他者性を、あるいは理解不可能性を主張したがる連中は、要するに人間至上主義者なのだ。人間的な観点からしか物事を見ることが出来ないから、ちょっとした違和感のようなものに躓いて、驚き、畏れ、慌て、不安を持ち、恐怖し、焦燥し、憔悴し、挙句の果てには、そのような違和感を抱かせる相手を崇め奉るような真似をするのである。諦念とともにその相手に背を向けたり、決然として他者と向き合おうとするのである。このような全てのことは馬鹿げている。

 強く賢い生き物はそのようなことはしない。ことはたかだか入力と出力との問題に過ぎないということを知っているからだ。そして、どのような入力によってどのような出力がなされるのかも完全に知悉している。何もかも、非常にフラットに解決出来る。ただし、だからといって、分かり合おうとするとは限らない。

 なぜなら……これは、人間至上主義者には理解出来ないことかもしれないのだが。そもそも、この世界には、分かり合わなければいけないという必要はないからである。分かり合うというのは選択肢の一つに過ぎない。つまり、分かり合うということも必然性の中のパターンに過ぎないのである。それは、あらゆる他のパターンと比べて優れているわけでも劣っているわけでもない。そのパターンは、それ自体でそれを選択する理由にはなり得ない。いうまでもなく、人間という生き物は関係知性を有する生き物であり、そうである以上、関係性の構築に有用であるところの相互理解に、本能的に魅力を感じるかもしれないが。それは、人間という生き物に特有の入力・出力に過ぎない。

 強く賢いものにとっては、相互理解がそれ自体として自体的に目的になることはあり得ない。その時点において欲しているベネフィットの最大量を、最小限のコストにおいて入手出来る必然性パターンであれば、それがなんであっても構わないのだ。つまり、いちいち分かり合うなどということをしなくとも、邪魔するものを皆殺しにし、欲するものを奪うという方法を取ることが出来るのならば、それで全然構わないのだ。

 だから。

 今。

 真昼は。

 ミヒルル・メルフィスの。

 残骸の上を、歩いている。

 何百の、何千の、いや、何万の。残骸が積み重なって、ずっとずっと先の方まで続いている。その残骸は、未だ死に切っているというわけではないようだった。

 肉体の一部しか残っていない。上半身だとか、下半身だとか、腰から肩にかけて斜めに切断された一部だったり、頭から脚にかけて二つに切断されていたり。腕だったり、脚だったり、翅だったり、甲殻の器の中からこぼれ落ちた神経の塊だったり。なんだかよく分からないが、とにかくぶよぶよとしたものだったり。

 そのような身体の部分が、びくびくと痙攣し、ぎりぎりと捻転し、そして、生理的嫌悪感を呼び覚まさずにはおかないやり方で震えている。つまり、ミヒルル・メルフィスは、身体がばらばらになっても決して死にはしないのだ。その部分部分は、必ず、アンチ・ライフ・エクエイションの疫病のような暗黒によって侵されていて。そして、その浸食は、徐々に徐々に進行していた。腐敗は、腐敗は、今もまだ続いていて。やがては、その部分部分も、反生命の夜の中に溺れていくのだろう。やがては、その部分部分も、灰の雨、骨の山、このオルタナティヴ・ファクトに相応しい死の断片に結末していく。

 そのほとんどが、祭祀階級の残骸であるか、猟殺機関の残骸であるか、そのどちらかであった。ところどころ、そういった残骸が山のように積み重なっていて、そのところどころに、様々な形状をしていたはずの戦闘階級の残骸が埋まっている。あちらから、こちらから、あたかも完膚なきまでに破壊された建造物のように、朽ち果てた廃墟のように、そういった残骸が転がっている。あそこから突き出して、何かのひどく絶望的な出来事の記念として建てられたオベリスクのように、不気味に傾いている巨大な断片は。恐らく、元は洪龍型の頭部であったはずの部分であろう。巨大な口のような器官が開きっぱなしになっていて、そこからは、遠い遠い場所で鳴り響いている掠れた雷鳴のような音が聞こえている。何か偉大なものがあと少しで完全に滅びてしまう時に、その偉大であったはずのものが立てるあの音だ。

 真昼は。

 そのような場所を。

 歩いている。

 優しく。

 優しく。

 導いてくれる。

 夜の王に。

 導かれながら。

 真昼の右手を、デニーの左手が握っている。そして、デニーが先を歩いていて、真昼が後をついていっている。冷たい、冷たい、デニーの手のひら。真昼の手のひらが入力する全てのネゲントロピーが、生きているということのエネルギーが、あまりにも無意味な無限の虚無の中に消えていくような、そんな冷度によって真昼のことを包み込んでいる手のひら。

 真昼は、逆らうようなことはしなかった。抵抗の意思は欠片もなく、それは従順でさえなかった。従順というのは、従うということだ。真昼は、デニーに従っているわけではなかった。デニーと、分かり合っていたのだ。デナム・フーツという一つの精神と、心の底から理解し合っていた。

 真昼は、真っ直ぐに、光景に視線を向けていた。ただ、その両の眼球は、完全な虚無になっていた。冷たい、冷たい、デニーの手のひらのように冷たい無限の虚無になっていた。それは、光景を見ていたが、それと分かり合おうとはしていなかった。分かり合う必要がないからだ。

 もう、デニーとだけ分かり合えればそれでよかった。でも、それでも……心が冷たい。心が空白だ。耐えられない。なぜなら、真昼は人間だからだ。人間には、空っぽの細胞であるということは、耐えがたい、耐えることが出来ないほどの孤独なのだ。ただ、真昼は理解していた。あと、少しで。本当にすぐに。この空虚が、満たされるということを。デニーが、生命の樹から強奪することの出来る全てのものを真昼の内側に注ぎ込んで。そうして、真昼は、何か完全なものになるのだということを。

 だから。

 今の。

 真昼は。

 生きながら死んだ。

 死体のように。

 虚ろに。

 虚ろに。

 歩いていた。

 真昼のスニーカーが、無残に震えるミヒルル・メルフィスの残骸を踏む。踏み潰す、踏み砕く。その感触は、何かさくさくとしたお菓子のようだった。あるいは、ふわふわとしたケーキ。どちらにしても、ミヒルル・メルフィスの残骸は、ほとんどその内側に何も残っていないようだった。反生命の原理、それが起こす振動によって、生命の内側にあった全てのものは奪われてしまった後であったということだ。

 そういう意味では真昼も、真昼が蹂躙しているこの残骸も同じようなものだった。ただ、一点だけ違いがある。真昼は、恩寵を信じていたということだ。真昼は、自らが原罪によって救いようもなく堕落しているということを信じていたということだ。ミヒルル・メルフィスは天国の生き物である。義なる者だけが救われる。正しい者だけが許される。一方で、真昼は、絶対的な必然性として既に決定している。

 ペル・アツフェクトゥム。

 真昼のことを。

 導いている。

 夜の王は。

 軽やかに。

 軽やかに。

 そして、楽しそうに。

 ハッピー・ソングを。

 歌っている。

 ダンシングラビット・ウィズ・シークレットフィッシャーズの"I'll Just Give You A Big Fat Kiss"だった。愛と希望とに満ち溢れた、歓喜の喝采のようなメロディーライン。地獄の底に、浮足立つ春の日差しみたいにして流れていく。

 地獄の底。

 そう。

 もう、ここは。

 天国ではない。

 確かに、確かに天国であったはずのこの場所には。もう、天国性の欠片も残されていなかった。天国性というのはなんだか滑稽な感じがする単語であるが、要するに、正義だとか善良だとか、あるいは輝かしい光だとか、そういったものは、その残響さえも聞こえなくなっていたということだ。

 木々は枯れた、花々は枯れた、美しく荒野を潤していたオアシスは消え去った。聖なる聖なる光であったはずの太陽は邪悪へと反転し、全地のおもては死の残骸で覆われた。それに、そういったこと以上に真昼にとって重要なことは……全ての、全ての、天使達が墜落したということだ。

 先述したように、未だに死に絶えたということではなかったのだが。それでも、もう、悪魔の軍勢に対して戦士として立ち向かう天使はいなかった、天使は、一人残らず、一匹残らず、引き裂かれ、叩き潰され、突き刺され、腐り侵され、そして、悲劇的な構図の残骸となってそこら中に転がっている。あれほど、あれほどまでに天を覆っていた天使の群れが。あれほど、あれほどまでに地を震わせていた天使の群れが。今となっては、骨の山の上に新しい層をなしているだけだった。なすすべもなく蠢いて、自らの内側から生命が失われていくその瞬間を、どうしようもなくそのままでいるだけだった。天使達は、草薙に払われるがごとくこの世界から払われた。皆殺しだ。死んではいないが、それでも、これは、間違いなく皆殺しだった。

 終わったのだ。全ては終わった。もう取り返しがつかない。泣いても叫んでも、どれほど懇願しても、変わることのない「以上、お終い」であった。天使の軍勢は敗北した。悪魔の軍勢が勝利した。あらゆる意味で、邪悪が喜びの油を注がれた。

 要するに。

 天国は滅びたのだ。

 真昼が。

 そのように。

 願った。

 通りに。

 ところで、それでは、悪魔の軍勢はどうしているのだろうか。勝利した、悪魔の軍勢は、どうしているのだろうか。いうまでもないだろう……栄光の祝祭・歓喜の狂宴ともいうべきこの瞬間に。勝者は、勝者が、するべきことをしていた。つまり、敗者を蹂躙していた。

 あちらに、こちらに、アビサル・レギオンが散らばっていた。あるヴェケボサンは、ミヒルル・メルフィスの残骸の中でも、特に大きなもの。未だに、足掻き、藻掻き、暴れているような残骸、アンチ・ライフ・エクエイションを纏わせた屠獅子刀で突き刺してとどめを刺していた。数匹のヒクイジシが、アルマディリディウムの残骸に群がって、未だに蠢いているその残骸を、八つ裂きに食いちぎっている。あるいは、グラディバーンは……ほとんど、ちょっとした戯れのように。ミヒルル・メルフィスの残骸の山に、アンチ・ライフ・エクエイションの炎を放っていた。何もかも、何もかも、汚染して、滅ぼしていく炎。

 思い思いの方法で。

 天使達を。

 穢し。

 侵し。

 その尊厳。

 踏み躙る。

 アビサル・レギオン。

 そして、そのように、死にかけた残骸を嘲弄している悪魔の軍勢、ラビット・バンケットの馬鹿騒ぎの中心を。デニーと、真昼と、歩いていた。天国の廃墟を、真っ直ぐに、真っ直ぐに……その中心へと向かって。

 さて、デニーは夜の王だ。王が命じれば、全軍はその通りに行動する。そのようなわけで、デニーが、真昼が、その近くを通っていくと。その時まで天使の死骸を弄んでいた悪魔達は、ずるり、とでもいうようにして王の方に向き直った。なんとなく、何か、抗うことの出来ない真聖な命令を頭蓋骨の中に直接流し込まれたかのようにして。ゆっくりゆっくりと、動き出す。進んでいく、進んでいく、王が命じる方へと向かって……つまり、デニーと、真昼と、その後について歩き始める。

 夜の王が進めば進むほどに、その後ろについていく悪魔の数は増えていく。数人のヴェケボサンに過ぎなかったその集団は、やがて、十数匹のヒクイジシを、十数匹のグラディバーンを、それに、数十人のヴェケボサンをその内側に含むようになり。そして、やがては、アビサル・レギオンの全軍となる。

 夜の王は、全軍を従えて。一体どこに向かっているのか? もともとは天国であったはずのこの地獄の、その中心には何がある? そう、それは……洪水だ。反生命の洪水。大地の奥深く、そのムーラ・アーダーラから。天空の遥か彼方、そのサハスラーラまで。世界が定めた重力という絶対的な法則を嘲笑うかのようにして、上から下へと向かって流れ落ちていく暗黒の洪水。

 あるいは。

 正確にいうならば。

 その洪水によって。

 覆い隠されている。

 生命の樹。

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