第三部パラダイス #17

 それは、かなりの大きさの器で、デニーがそれを持っていると、なんだかデフォルメされた漫画みたいに見えるくらいだった。口縁の直径が六十ハーフディギト、深さが三十ハーフディギトもあるだろうか。お椀というかお鉢というか、めちゃめちゃでかいどんぶりである。

 明らかに大事に扱われているようには見えない。ぼっこぼこにへこんでいるし、それに、よく見ると、一度も洗ったことがないのかよと思ってしまいそうなくらい汚れがこびりついている。そこら辺に落ちている皿と同じだ……それに、その材質も、そういった皿と同じような金属で出来ている。たぶんヴェケボサンが使っていたものを拾って勝手に使っているのだろう。

 デニーは、左の手にそのどんぶりを持っていて。右の手、ぴーんっという感じで鍋の上に差し出した。手のひらと手の甲とが横を向いている。人差指と中指と、軽く伸ばして。薬指と小指とは手のひらの内側に曲げて、親指は人差指の上に軽く添えている。まるで鍋の中身を指差しているみたいな形。

 それから、人差指と中指と、二本の指先、ぴんと弾くようにして上に向けた。と……鍋の中に入っていた物、なんだか分からない、どろどろと濁った液体が。その指の動きに従うみたいにして、どうっと吹き上がった。水柱というかなんというか、まるで生きている蛇が飛び出てきたみたいな感じで。

 デニーは、更に、二本の指先、くるくると回転させる。なんというか、ちょっと巫山戯ざけているみたいに。その水柱、直径にして五ダブルキュビトくらいの水柱も、その指の動きに合わせて、空中でくるくるとダンスする。

 デニーは、そのまま、一度も種を見破られたことがない手品師のような手つきによって、艶やかに、華やかに、右手を揺らめかせて。二本の指先は、ひらりと、どんぶりの内側を指差した。当然ながら、水柱、その指先が指差す方に向かって突進していって。あたかもどんぶりの中に吸い込まれるみたいにして……ちょうどいい量だけ注がれる。要するに、デニーが何をしたかといえば、鍋の中の液体をどんぶりに入れたというだけのことだ。それだけのことでよくもまあこれだけ勿体振れるものだと、真昼はなんだか感心してしまった。

 注がれた残りの水柱は、注ぎ終わったデニーが、右手をぱっと開くと。そのまま形が崩れてしまって、どばーんと音を立てながら鍋の中に落ちていった。デニーはというと、ちょっとどんぶりの中に目を向けて「んんー、ばーっちり!」と嬉しそうに口ずさんでから。てんっと体の向きを真昼の方に戻して、それから、また、真昼に向かって走ってくる。

 うわー、可愛いー! なんか、ちっちゃい子がおうちのお手伝いでお料理運んでるみたい! 両手でおっきいどんぶりもって! ただ、まあ、デニーはちっちゃい子ではなく、なんなら第一次神人間大戦にさえ参加しているくらいの年齢なのだが。

 そうして運んできたどんぶり、びびーんという感じで真昼に差し出して。「はい、どーぞ!」と言って、格別にぱややかな笑顔でぱややーっと笑ったデニーであった。

 一方の真昼はといえば……いかにも怪訝そうな表情をして、というか、怪訝を通り越して不信感さえも感じさせるような表情をして、恐る恐るどんぶりの中を覗き込んだ。そして、その内側に入っている物を見ると。眉をひそめて、口元を歪めて、嫌悪感を隠そうともせずに「これ、なに」と問い掛けた。

 「なにって、ガルシェルだよー」「ガルシェルって言われても分からない」「んーとねーえ、共通語だと火のスープっていう意味だね」という会話。火のスープ? ただ、こうして見る限りでは、その液体には火の要素はどこにもなかった。燃え上がったり、液体内部に炎が沈んでいたりしているわけではない。

 そりゃあ、確かに、火を使って煮込んではいるが。そんなことをいえば、コーンポタージュだってミネストローネだって火のスープである。無論、その液体はコーンポタージュでもミネストローネでもないのであって……なんか、こう、どろどろしていて、ぐちゃぐちゃしていた。液体というよりも生々しい漿液といった感じだ。そして、信じられないほどどす黒い色をしたその漿液の中に、なんだか分からないが生理的嫌悪感を感じさせる物がこれでもかというほどぶち込まれている。いや、これ、ほんと、何? ふるふるしてたりぐにゃぐにゃしてたりすること、それにこの匂いから、生物の肉体の断片だろうということは分かるのだが。マジでそれしか分からない。

 いや、肉体だとしてどこの部分よ。えーと、これは……ぷちぷちしたものが一面についている。こっちのやつは全面に切れ目を入れられているかのようにぎざぎざしているし、なんか平ったいぺらぺらなやつとか、細長いチューブみたいなやつとかそういうのが一口大を遥かに超えた大きさでぶつ切りされて入っている。もう、こぶしくらいの大きさである。

 そんな中で、真昼には、二つほどその正体が分かる物も入っていた。まず一つ目が骨だ。肉を引き剥がすことなく、くっついたままでぶつ切りにした骨。ただ、その直径は真昼の手首ほどもあった。よほど大きな生き物の骨だったに違いない。そして、もう一つ。これは、ぱっと見ただけではよく分からなかったが。ただ、なんとなくどこかで見たことがあるような気がする……と、その瞬間に。ぱんっと、弾けるようにして思い出した。うっすら濁ったような灰色、全体的に深く刻み込まれている皺。ああ、これ、脳味噌だ。

 様々な種類の内臓。骨。脳味噌。生物の、あらゆる部位が、荒々しいほどの粗雑さでぶつ切りにされ、その液体にぶち込まれている。そして、その液体そのものが……血液だった。いや、血液だけで出来ているわけではないが。この液体は、つまり水と血液とを混ぜた物なのだ。しかも、その血液の比率がかなり高い。

 一体これはなんだ? 火のスープとは、一体なんの料理なのだ? そんな真昼の疑問に答えるようにして、デニーは言葉を続ける。「ヒクイジシのね、毛皮だけ剥いで、それ以外のぜーんぶをぐっつぐつーって煮込んだものだよお。骨とか血管とか内臓とか、それにのーみそとか。それだけじゃなくって、爪まで入ってるの! さぴえんすはあ、あんまり噛み噛みパワーが強くないし、歯もがんじょーじゃないから、爪とかって食べられないけど。でも、ヴェケボサンはそーゆーの気にしないで食べちゃうんだね」。

 ヒクイジシ? そうか、ヒクイジシか。ヒクイジシを使っているから火のスープなのか。そう思いながらよくよく見てみると、確かにヒクイジシらしい部分がないわけではなかった。例えば、あれだ、あれは、どうも顎の一部らしい。肉と骨とが一体になっていて、牙が二本ほどくっついている。これほど、鋭く長く太く、ナイフのような牙、ヒクイジシのものといわれれば納得出来る。

 ちなみに、ガルシェルは……あまり味覚的なこだわりがなく、これといったガストロノミクーを感じさせることがないヴェケボサンの、数少ない種族料理のうちの一つである。まあ、料理といえるほどの料理であるというわけではないが、とはいえ、この料理のヴァリエーション、例えば岩塩を入れたりしたものが、人間の遊動民の間で食べられていたりもする。

 どういう料理かといえば、めちゃくちゃ簡単で、ヒクイジシを丸々一頭屠殺した後で、皮を剥ぎ、全身をぶつ切りにし、そのまま鍋の中にぶっこんだだけの料理である。本当にそれだけで、例えば食べやすいように内臓の下拵えをしたりだとか、骨と肉とを分けたりだとか、そういうことは一切しない。殺す、切る、煮る、それだけである。

 料理らしい手順がたった三つだけあって、まずは屠殺した後で血液だけを分けておくということ。これは後で水の中に入れて煮汁として使う。もう一つが、ヒクイジシの神力嚢の中からセミフォルテアを引っ張り出しておくということである。このセミフォルテアを、煮込む時の火に使う。

 セミフォルテアの炎は凄まじい炎なので、素材を、一気に、いい感じに仕上げることが出来る……と、こう書くと、それはおかしいと思われるかもしれない。どんな煮込み料理でも水で煮込むものだ。水は沸点以上の温度になることはなく、それゆえに、どれだけ強い温度で熱しようとも、煮込み料理は沸点以上の温度で煮込むことは出来ないはずなのだ。逆に、だからこそ、煮込み料理は消し炭になったりすることがない、少なくとも煮汁がある限りは。

 と、このような問題をガルシェルは簡単に解決する。つまり、予め鍋に魔法をかけておいて、水の沸点を上げておくのだ。これは防御魔法の応用なのだが、セミフォルテアの炎でも水が蒸発しないようにする。すると通常沸点である温度を超えて煮込み料理を行なうことが出来る。この魔法が三つ目の手順だ。

 ちょうど、人間至上主義的な文脈でいうと、圧力鍋みたいなものだ。あれは圧力をかけることで沸点をずらすが。こちらは魔法によってそれをするのだ。そして、ヒクイジシの肉体は、そもそも炎に対する耐性が強いので。セミフォルテアの炎で熱したとしても、極子構造が変化してしまうようなことはない。

 味付けはしない、血の味だけだ。先ほども書いたように、ヴェケボサンは、舌の上の快楽にあまり興味がないが。ただし、血の味だけは、それが甘美な戦闘の一時を思い出させるので非常に好ましく思っている。だからそれで十分なのだ。

 アイレム教では血液を口にすることは禁じられているが、ヴェケボサンは、以前も書いたように、アイレム教を宗教として信じているわけではない。神学として利用しているだけだ。なので、このような料理でも問題ない。ちなみに、アイレム教の一派、エドマンド・カーターの影響が大きい一派では、そもそもネコ科の動物を食べることが禁忌とされている場合もある。

 この料理は……ヴェケボサンにとって、祝い事の時だけ振る舞われる特別な料理だ。ヴェケボサンといえども、ヒクイジシのような生き物を家畜化しているわけではなく、まあやろうと思えば出来るのだろうが、とにかく飼育・繁殖をしているだけだ。なので、そんなにがつがつと食っちまうわけにはいかないのである。

 ここにガルシェムがあるのは……たぶん、あそこで死んでいる人間達と関係があるだろう。十人ほどの死体、貴金属類は剥ぎ取られているし、ずたずたのぼろぼろになっているので分からなかったが。子細に眺めてみれば、かなり贅を極めたものだったのであろう服装をしている。ということは、隊商の規模も、それなりに大きいものだったに違いない。それを仕留められたということで、ここで大宴会が催されていたのだ。そして、祝い事料理としてのガルシェムが振舞われたということである。

 と。

 まあ。

 そんな料理だったので。

 あり、まして、ですね。

 ただ……料理の正体が分かったとしても。なんか、こう、視覚及び嗅覚に由来する生理的嫌悪感がいささかなりとも和らぐというわけではない。そりゃあ、まあ、これがヒクイジシの肉(肉だけじゃないけど)ということが分かったというのは大きな収穫だ。なんだかよく分からない不気味な肉(肉だけじゃないけど)ではなくなったのだから。とはいえ、今の真昼の状態であれば、毒入り料理を食べたところでなんの悪影響もないのであるし、それに、そもそも真昼にとって害のあるものをデニーが食べさせようとするわけがないのだ。ということは、正体が分かろうが分かるまいが、これが有害なものではないということは確定している。

 真昼の拒否反応は、そういうところに由来するものではなく。純粋に、このヤバさなのだ。もう、ヤバい、ヤバいとしかいいようがない。

 生々しい生物の肉体が、なんの加工も施されず、そのまま煮込まれた物体の凄まじさよ。確かに、真昼は自分の脳味噌を食べはしたが。それはきちんと加工されていた、見た目的にもちゃんと不快感がないようなサイズに切り分けられていたし、匂い的にもマサラのいい香りが付いていた。これは、そうではない。もう、なんというか、死体なのだ。明らかに生物の原型を残した肉塊。鼻から吸い込んで喉の奥に食らいついてくるような、咳込みそうなほどの血液の匂い。

 正直な話……真昼は、もう、どんぶりがなんか汚れているなとか、そういったことは気にならなくなってしまっていた。どんぶりの汚れなんて、どんぶりの中に入っている物に比べれば、ごくごく些細な問題である。

 そりゃあ、真昼は、アーガミパータに来て以来、死体に慣れ親しんではいた。そこら辺にばらばら死体が落ちていても、街なかにあるちょっとした段差ほどにも気にしなかっただろう。段差であれば躓いて転んでしまうこともあるだろうが、死体には別に躓いたりしない。ただ、それを自分が食うとなれば別なのだ。

 真昼は。

 それを受け取るのを、躊躇していたが。

 この空腹、飢餓には耐えられなかった。

 非常に不本意そうな顔。

 舌打ちでもしそうな顔をしたままで。

 嫌々ながら。

 それ、を。

 受け取る。

 その瞬間に、じゅううううっという音がした。それから、何かが焦げる時に発するざりざりとした匂いが鼻先に漂う。あれ? 何か焼けてる? と思った真昼であったが。何が焼けているのかということはすぐに分かった。自分の手が焼けているのだ。

 手のひらが、まるで熱した鉄板の上に押し付けたかのように、じりじりと焼けてしまっているのである。もちろん、痛みはなかったが。とはいえ、なんとなくの感覚で分かった。

 左手だけでどんぶりを持って、右手を離して。それを目の前に持ってくる。案の定、真昼の手のひらはかなり悲惨なことになっていた。皮膚が破れ、ずたずたに焼け焦げている。

 何が起こったのかということは、大して考えもしないうちに理解出来た。つまり、このどんぶりが熱過ぎるのだ。そりゃあ、まあ、よく考えれば当たり前のことで、このどんぶりの中に入っている液体は、数秒前までセミフォルテアの炎によって熱せられていたのである。観念のレベルで、クソやべーくらいクソ熱くなっているに決まっている。

 実は、真昼が持っているどんぶりには魔法がかけられていて。どんぶりの中に入っている物から発せられる熱を、ある程度は遮断するようになっている。また、遮断しているうちに、ある程度は冷却するという機能もある。とはいっても、そのある程度というのは、どんぶりが溶けない程度、ヴェケボサンが火傷しない程度、なのであって。人間とかは全然余裕で火傷する。

 にこにこと笑っているデニー……もちろん、悪気があったわけではない。注意もせずに、このような「人間にとっては」危険な物を真昼に持たせたのは。ただただ、それが、「真昼にとっては」危険ではないからである。

 今の真昼は、人間ではない。人間のように脆弱な生き物ではない。その肉が傷付いたところで痛みを感じるわけではないし、観念が毀損したところで崩れ落ちることもない。そして、その気になれば、デニーに刻まれた魔学式の効果によって極限まで高められた治癒能力、すぐさま治すことが出来る。今の真昼にとって、このような火傷は……入れ墨ほどの害しかない。しかも、ただのタトゥーではなく、シールタイプのタトゥーだ。

 だから。

 真昼は。

 気にしなかった。

 ああ、そうか。

 これ熱いんだ。

 そう思っただけで。

 現時点における、実際の問題。

 つまり、どんぶりの中身の方。

 視線を戻す。

 く、食いたくね~! 心の底から食いたくない。食いたくなくて食いたくなくて魂が震えるようだ。まあ今の真昼には魂がないのだが、とにもかくにもこれを口にしたくない。

 不味そうなものを食うか食わないかというくだらない問題、しかもどうせ最後には食うんだから、そんな長尺使うなよと思うかもしれないが。これは、真昼にとって、非常に重要な問題だ。

 少なくとも、テレヴィジョンの中で次々と殺されていく少数民族や、新聞の紙面で惨めに野垂れ死んでいく貧困層、そういった人々の痛みや苦しみやよりも、真昼にとっては、遥かに切実な問題である。なぜというに、それは真昼自身の苦痛だからだ。所詮は他人事でしかないあれやこれやに比べ、それは実際に、真昼に襲い掛かってくる。完全な現実としてその中を生きていかなければいけない苦痛。

 ある意味で、今まさに真昼が相対しているこの問題は。今まで真昼の目の前で死んでいった全ての生き物の、それら全ての死よりも重要な問題なのだ。そして、真昼のモノローグがその重要性に比例して増えていくのは当然のことだ。

 とはいえ。

 いつまでも。

 ぐずぐずしてたら。

 熱々のお料理、も。

 冷めてしまいます。

 真昼は、とうとう決心したようだった。どんぶりから離していた手、目の前に持ってきていた右手。そのまま、ゆるりゆるりと下ろしていって。どんぶりの真上に持ってきたところで、一気に速度を上げた。ガルシェルの中に、一気にその手を突っ込んだ。

 じゃざああああっという感じ、右手の全体が焼け焦げる音がする。そこそこ冷めてはいたとはいえ、それでも、まだ人間の肉体が耐えられる温度ではなかったようだ。まあ、それはどうでもいいとして。真昼は、右手で一掴み、ガルシェルを掴むと。そのままそれをどんぶりの外へと引き上げる。

 こういうのは躊躇ってちゃ駄目だ。人間の行為は、常に慣性によって実行に移される。何かを決意しようとして、その前で立ち止まってしまった時、人間は決してそれを決意出来ない。その行為を行う時に重要なのは、決して立ち止まらないこと、そのまま駆け抜けること。

 ということで、真昼は、その一掴みを勢いよく口の中に放り込んだ。と、その瞬間に……あたかも、口の中を散弾銃で撃ち抜かれたかのようにして。凄まじいくらいの血液の味が襲い掛かってきた、口の全体に叩きつけられた。

 これは、これは、この感じ、間違いなく記憶にある! あれだ、あれだよ、真昼が死んだ瞬間。サテライトによって喉を切り裂かれた、その直後。その時に口の中に広がっていた、あの味だった。あの時は、切り裂かれた喉の血管から流れ落ちた血液が、真昼の鼻だとか口だとか、勢いよく流れ込んだが。うわー、これ、その時の味とほとんどおんなじじゃん。

 もちろん、ヒクイジシの血液なので、多少は違うところもあるが。ただ、ここでいいたいのはそういうことではなく、マジで血液の味しかしないということだ。むせてしまいそうなほどのヴィヴィッド、これ、本当に食いもんかよと思ってしまう。

 口の中に入れた肉片。どんぶりの中にあった物の中でも一番上のところにあったやつ、特に何も考えずに適当に掴んだのだが……なんか、こう、視覚的に、非常によろしくないところがあった。いや、形的には大丈夫だ。ぷるぷるとした、ぶにぶにとした、皮のようなもの。煮込まれたことで引き締まっている。何かの内臓だろうが、内臓料理ではよくある感じの質感である。

 問題なのは、その色だ。なんと緑色をしているのである。しかも、風に靡く草原のような爽やかな緑色ではなく、錆だとか黴だとかそういう感じの、いかにも毒々しい感じの緑色。少しばかり黄色がかっていてなんとも不気味だ。

 他の肉塊と違って、その肉塊はまあまあ食べやすい大きさだった。たぶん、その薄さもあるのだろう。先ほども書いたように、これは、何かの皮のように薄い。大きいは大きいのだが、辛うじて一口で口の中に入れることが出来た。

 ただ、もちろん、そのまま飲み込むことは出来ない。というわけで、飲み込めるようにするために、奥の歯、第一大臼歯から第三大臼歯にかけての辺りで噛み潰した。と、またもや口の中に味が広がった、血の味とは全く違う味。今度のこれは、本能的に拒否反応を引き起こす味だった。うわっ……となってしまうタイプの、とてもとても嫌な味。

 最も分かりやすい表現を使うならば、安物のレバーの苦味だ。あまり高価ではない、ちゃんと加工されてないレバー。ただし、レバーのような生易しい苦さではなかった。その苦味を、現役の状態にまで濃縮したような、凄まじい苦味。舌から感覚が突き刺さり、脳天で炸裂するような苦味である。

 もう、どこどこのご令嬢でございだとか、テーブルマナーには気を付けてございだとか、そのような教育によって身に着けた感覚、つまり、食べ物を無駄にしてはいけないという感覚に気を使ってるような状況ではなかった。真昼は、それを噛んだ瞬間に、それを吐き出していた。

 「ぐぬんぁ……」という声。今まで一度も自分の口から発せられたことがないような、不思議な声で呻くと。それから、その、なんだか分からない肉片、地面に向かって物凄い勢いで吐き出した。「がぅ、がぅ、ぐぇぱっ、ぐぇぱっ」という感じ、ガチョウの鳴き声とアヒルの鳴き声とを足して二で割ってそこに蛙の鳴き声をぶっ込んだような声を上げながら、口の中にあるもの、唾液の一滴も残らないように吐きまくる。

 それから、どんぶりの中の液体を右手で掬い取って。まるで、口の中にすりつけるようにして飲み込む。一度、二度、三度、何度も何度もその行為を繰り返す。口の中の、この不快な苦みが消えるまで。確かに、その液体は血液の味しかしないのだし。その味についてなんだか嫌だなと思っていた真昼であったが……少なくともこの苦味に比べれば全然マシであった。

 そんな真昼を見て。

 デニーは。

 けらけらと。

 笑いながら。

 こう言う。

「あー、真昼ちゃん、もったいなーい!」

「てめっ……これ……巫山戯んなよ!」

 ようやく口の中が落ち着いてきた真昼は。そう叫びながら、べっとりと血に塗れた右手で、先ほど吐き出した肉片を指差した。「あんだよこれ、人間の食いもんじゃねぇよ!」「あははっ、そりゃーそーだよ。だって、これ、ヴェケボサンのお料理だもん」「ちげーよ、馬鹿! そういうことじゃなくてだなぁ!」「ええー? じゃあ、どーゆーこと?」「なんなんだよ、このクソ苦いやつ!」。真昼は、ぎゃーぎゃーわーわーと騒ぎながら。その激怒の遣りどころもなく、右足で何度も何度も地面を蹴りつける。

 一方のデニーは、「んー?」とかなんとか、可愛らしく首を傾げながら、真昼が指差した方を見る。「それはー、胆嚢だねー」「胆嚢だぁ!?」「そーそー、ヒクイジシの胆嚢だよー」。デニーの言った通り、それは胆嚢であった。肝臓で作り出した胆汁を溜めておくための器官である。

 胆汁とは、基本的に脂肪を消化するのに役立つ体液なのだが。その内部には、血液中の老廃物、赤血球が破壊された物が含まれている。これが、胆汁の独特な色合いと、独特な匂いと、その原因となる物質だ。

 また、この物質は、最終的には排泄物に混じって、その色と味との元ともなる。例えば、尿の色がうっすらと黄色いのはこの物質のせいであるし、それに、便があれほどまでに苦いのもこの物質のせいである。

 このような排泄物は、例えば人間は排泄物を家畜に食べさせることによって飼育したりするが、その事実からも分かるように、大抵の場合は害がない。とはいえ、その便を排泄した生き物が感染症にかかっていたりする場合は、その感染症の原因となる細菌が満ち溢れている場合があるし。体内に寄生している寄生虫などが含まれている場合もある。そういうことで、なるべくならば食べない方が無難なのだ。

 ということで、それを食べることがないように、便を食べなくてもある程度は栄養を摂取出来るようになった人間という種類の生き物は。便を口に含んだら即座にそれを吐き出すように、便の味を本能的に嫌うように進化した。胆汁の味を嫌うようになったというわけである。真昼が感じた苦味に対する拒否反応は、要するに、これに由来している。

 また、真昼は、この苦味についてレバーの味に似ていると感じたが。それは肝臓が胆汁を作る器官だからである。それだけでなく、胆嚢は肝臓のすぐ近くにあるのだが。下手な解体者の場合、肝臓を取り出す時に誤って胆嚢を破ってしまうことがある。すると肝臓が胆汁まみれになってその苦味が付いてしまうのだ。

 なんにせよ人間は胆汁の味に対して本能的な拒否感を感じるのであって。それゆえに、胆嚢という臓器は限られた地域の特殊な民族料理でしか使われることがない。

 一方で、ヴェケボサンであるが……さっきも書いたことだが、味覚に対してさほどこだわりがない。というか、ヴェケボサンは肉食動物から進化した生き物だ。肉食動物、特に獅子などのネコ科の動物は。獲物を仕留めた時に、まずは消化器官を除く内臓から食べていく。時々などは内臓だけを食べて他の部分は捨て置くこともあるほど内臓を好む。

 その中でも特に好んで食べるのが肝臓だ。恐らく栄養豊富な器官だからだろうが、それはそれとして、大抵の生き物の肉体においては、肝臓のすぐ近くに胆嚢が配置されている。ウマ属だとか、シカ科だとか、胆嚢がない生き物もいないことはないが……とにかく、高度な把持性を持たない肉食動物は、精密な動物解体技術によって胆汁を排出させないように胆嚢を取り除くといったような芸当が出来るわけがなく。肝臓も胆嚢も関係なく、がつがついっちまっていたわけだ。

 そんな肉食動物が、いちいち胆汁に対する拒否反応などを獲得するわけがないのである。そして、それは、ヴェケボサンのように進化して、高度な把持性を持ち、胆嚢だけを除去出来るようになっても変わることがなかったということだ。

 なので、ガルシェルを作る時も、胆嚢を除去することはない。そのままぶち込んでしまう。ガルシェルを作る時に、唯一取り除かれるのは、消化器官の中に残っている消化途中の物及び排泄途中の物だけである。

 まあ。

 そういう細かいこと。

 真昼ちゃんは。

 一切知らなかった。

 わけでありますが。

 とにかく、これが、普通は人間が食べない器官であるということはなんとなく分かった。そして、同じように分かったことは、このように人間が普通では食べないような部位が、このガルシェルの中には山ほどぶっ込まれているということである。ちなみに、人間が食べない器官なんて胆嚢くらいじゃない?と思われる方もいらっしゃるだろうし、胆嚢を食べる地域の方々に至っては人間が食べない器官なんてなくない?と思ってしまうかもしれないが。気を付けて欲しいのは、ガルシェルが、マホウ族の生き物であるところのヒクイジシの料理だということだ。例えば、人間は、神力嚢なんて絶対に食べない。だって、その内側に神力を溜めておいても組織が傷付かない部位なのだ、そんな物、まず料理出来ないし、料理出来たとして消化出来ない。

 それはそれとして、真昼は。相変わらず、ずだんずだんと地団駄を踏みながら「こんなもん食えるか!」と絶叫した。喉が張り裂けんばかりにそう叫んだ割には、手に持っていたどんぶりをデニーに向かって投げつけたりだとか、そういったことはしなかったが。それはそれとして、そう叫ばれた方のデニーは、にぱにぱとあざといまでに可愛らしい笑顔を浮かべたままで。背後で軽く腕を組むような形、腰の辺りから上半身を横に傾げて、「えー? どーしてー?」と問い掛けた。

 「どーしてもクソもねーんだよ馬鹿! こんなもん、苦くて食えねーっつってんだよ!」「だいじょーぶだいじょーぶ、真昼ちゃんなら食べられるよー」「だーかーらー! 可能じゃなくて拒否の食えねーなの! 食える食えねーで食えねーんじゃなくて食いたくねーから食えねーの! 話聞かねーやつだな!」。

 デニーは、横に傾げていた上半身をもとの位置に戻すと。今度は、くーっと、真昼に向かって身を乗り出すようにして前のめりになった。それから、その顔に悪戯っぽい笑みを浮かべる。「デニーちゃんもー、可能じゃなくて、拒否の意味で、食べられるよーって言ってるんだけど」「は? お前、何言ってんだよ?」。

「切っちゃえばいーんだよ。」

「切る?」

「生理的嫌悪感。」

「それ、どういう意味だよ。」

「真昼ちゃんがー、胆嚢を食べらんないのはー。」

「ああ。」

「胆嚢の味が、生理的にだめだめーだからでしょお?」

「そうだよ。」

「じゃあ、その拒否反応をね。切っちゃえばいいの。」

 暫くの間、どういう意味なのか分からなかったが。やがて、なんとなく、言わんとしていることが分かってくる。「つまり、あたしの脳の機能の一部をオフにするってことか」「そーそー、そーゆーこと!」。

 真昼はそんなことが出来るのかということは問わなかった。デニーが出来ると言っているということは、それが出来るということだからだ。問題は、どうすれば出来るのかということだ。だから、それを問う。

「どーやんだよ、その、切るっていうの。」

「かーんたんだよお。」

「教えろよ。」

「いらないものをいらないって思えばいいの。」

「具体的に。」

「今、食べた時に、不味いって思ったよね。」

「ああ。」

「その不味いってゆーのを思い出して。」

「ああ。」

「それから、いらないって思うの。」

「それだけでいいのか。」

「うんうん、それだけでいいの。」

 どうしてそんなことが出来るのかということも聞くつもりはなかった。どうせ、この体に描かれている魔学式の効果だろう。それか、真昼の魄を固定している魔法の効果かもしれない。とにかく、理由は問題ではない。いつだって理由は問題ではないのだ。どうすればそれが出来るのかということに比べれば。

 だから。

 真昼は。

 とにかく。

 それをやってみることにした。

 とりあえず、目をつむる。そうする必要はないのだろうが、なんとなく、雰囲気というか、気分が出る。それから、先ほどの感覚を思い出す。舌の上に乗った苦さ、というか、その苦さを感じた時に、全身を震わせた嫌悪と拒否との感覚。

 それから、その感覚を、オフにする。これは……それが出来ない生き物に対して伝えるのは難しいのだが。例えば、痛みで考えると分かりやすいかもしれない。

 蚊に刺されたところを掻いて掻いて掻き壊してしまった時に、確かに人間は痛みを感じるが、ただ、その痛みについて、切迫した感覚というか、今にもそこから逃避したいというか、そのような拒否反応は起こらないだろう。一方で、虫刺されでもなんでもないところを刃物で切って、掻き壊しと同じような傷を付けると、そのような拒否反応が起こる。

 真昼がオフにしようとしたのは、その拒否反応の部分である。正確にいえば、掻き壊しの場合であっても、少ないながら拒否反応はある。刃物で切った時よりはマシだというだけだ。ただ、真昼は、完全に拒否反応を切ってしまおうとしている。

 分かりやすくするために疑物質化した表現を使えば。真昼は、まず、その時に感じたことの全体を舌の上に再現する。そして、その中から、拒否反応の部分だけを精密な外科手術のようにして切断するわけだ。完全にオフにしてしまうのである。

 思ったよりも……簡単に出来た、ような気がする。ただ、まだ、それがオフになったかどうかを確認していないから、はっきりとしたことはいえないが。真昼は目を開く。目を開いた先には、ににーっと笑っているデニーがいる。

 ふっと、目を逸らす。

 そして。

 先ほど吐き出した。

 胆嚢に。

 視線を。

 向ける。

 すぐそばに落ちていた。真昼は、左手でどんぶりを持ったまま、その場に屈み込んで。右手でその胆嚢を取り上げた。全面的に真昼の唾液でべっとりと濡れていて。そのせいで、そこら辺の砂が、べったべたに付いている。真昼は、暫くの間、しげしげとそれを眺め回していたが。やがて、ぽんっと口の中に放り込んだ。さっきと同じように奥の歯で噛み潰す。

 いや、いやいや! 真昼ちゃん! それ、苦味だとかそういうの以前の問題じゃないですか!? 口から吐き出してゴミまみれになったものを口の中に入れるなよ! 野良犬のたぐいじゃないんだから! 三秒ルールなので大丈夫ですーみたいなあれかもしれないけど、実際、優に三分は経ってるからね!?

 まあ、それはそれとして……瞬間、また、口の中に苦みが広がった。ぐじゅり、と内臓が含んでいた液体が真昼の舌の上に吐き出されて、じゃらじゃらとそこを汚す。ただ……それでも、真昼には、その味に対する嫌悪感はなかった。苦味は苦味、先ほどとは全く変わっていないのだが。ただ、真昼の苦味に対する印象が全然違ったものになっていた。まるで、青い色、赤い色、そういう色を見ているかのように、非常に客観的にその味を観察出来たのだ。

 じゃりじゃりと砂まみれになった胆嚢を咀嚼しながら考える。なるほどなるほど。確かに、あたしは、胆汁に対する拒否反応をオフにすることが出来たようだ。そして、そのような状態で食べてみると。この胆嚢というやつも、まあまあ悪くはない味だ。

 ちょっと、砂が邪魔だが。それを考慮の外に置けば、この苦味に食べ物としての個性を感じる。純粋な刺激として考えた時、このような苦味はある意味で一方向に突き抜けている。つまり、退屈ではないという意味で、非常に興味深いところがあるのだ。

 噛んで。

 噛んで。

 噛んで。

 ゆっくりと。

 潮の満ち引きに耳を澄ませるように。

 その味を、観照してから。

 真昼は。

 砂ごと。

 胆嚢を。

 飲み込む。

 さてと……しゃがみ込んでいた真昼は、その場に立ち上がる。なんにせよ、嫌悪という感情も拒否という感情も消え去った。ということは、これで、ガルシェルを食べないという理由はなくなったわけだ。

 「どおお? 真昼ちゃん」デニーの言葉、真昼は、ちらりと横目を向ける。「何がだよ」「お味は、だいじょーぶでしたかあ?」真昼は、デニーのその問い掛けには答えずに、また、ふっと目を逸らす。それから、ガルシェルを煮ている鍋の周りに敷かれていた獣の皮。恐らくはヒクイジシの物だと思われる皮のうちの一枚に向かって歩き出した。

 その上に。

 粗暴な振る舞い。

 どすんと、座る。

 その後で。

 どんぶりを、左手で抱えるように持って。

 右手で、ガルシェルを、かっ込み始める。

 めちゃめちゃ行儀悪い姿勢だ。右足は胡坐みたいにして内側に折り曲げているが、左足は立て膝にしている。そして、その立て膝に寄り掛かるようにして前のめりになって。左腕は、ちょうど肘窩の辺りで左膝を抱えるみたいにしている。

 もう少し名家のお嬢様らしい格好で食うことは出来ないのかと思ってしまうような姿勢であるが、とはいえ、今の真昼には、名家のお嬢様らしいところなどその片鱗たりとて残ってはいなかった。ぼろぼろに傷だらけで砂にまみれたジーンズ。血に濡れてどす黒く染まった丁字シャツ。そして、腕まくりしたその左腕には、黒い藤の入れ墨がぐるぐると渦を巻いている。髪はぐしゃぐしゃ、肌はどろどろ、喉元にはざっくりとイっちまった傷。はっきりいって、そこら辺のコンビニエンスストアでたむろしている不良でさえ、今の真昼よりはだいぶん治安がいいだろう。

 ところでガルシェルであるが……血の匂い、獣臭さに対する生理的な嫌さがなくなってしまうと、なかなかの料理だった。というか、端的にいって、美味い。

 確かに人間的な味覚を満たすものではない。ただ、それを補うにあまりあるくらいの原始的な満足感があるのだ。つまり、捕食しているという感覚である。

 まず食感がいい。人間的な文脈で作られた料理という物は、はっきりいって、食感にあまり華がない。確かに、一つ一つの食べ物に一つ一つの食感があって、そういう意味では多彩かもしれないが。ただ、一つの食べ物の中にさほど多くの食感を感じることはない。せいぜいが、ちょっと軟らかく煮た野菜と、ちょっと固く焼いた肉と、その程度の組み合わせだ。

 一方のガルシェルはといえば。骨と脳味噌とが一緒になっている。脳味噌がくっついた頭蓋骨がそのままぶち込まれているわけだ。食感の落差がめちゃくちゃ激しい。まあ、これは極端な例ではあるが、例えば脂身と内臓と、筋肉と血管と、それに、爪がついた丸ごとの指。歯の上で噛むと、あたかもある種のハーモニーであるかのように層をなす感覚を覚えるのだ。

 もちろん、これは普通の人間では食べることが出来ないだろう。ヒクイジシの骨を噛み砕くなんて、いくら軟らかく煮込まれていたところで人間には不可能である。ただ、今の真昼であれば、それくらいの芸当はビフォア・ブレックファーストである。まあ、今は夕食中なわけであるが。そうであるならば……人間的な文脈における食感の差は、多少物足りなくなってくるわけであって。口の中に突き刺さりそうな骨をがりがりしながら、噛めば噛むほど溶けた脂肪が口の中を汚す臓物を飲み込む。これくらいの愕然がなければ面白くない。

 また、匂いだ。この匂い。生態系の頂点に立つ、肉を食う獣の匂い。生理的嫌悪感が消えた今となっては……生物にとって、これほど恍惚とさせる匂いがあるだろうか? 肉食動物は、特にヒクイジシのような大型の生き物は、草食動物とは全く異なった匂いがする。腐敗臭ではないのだが、それに非常に近しい匂い。生き物の死の匂いだ。汗腺、皮脂腺、そういった器官から吐き出される、生命の残滓のようなものが発する匂い。

 そのような匂いがする物を食う時、生物は、自分がより優位な立場に立っているということを理解する。肉体の根底の部分から、自分が絶対的な強者であること、それに、より重要なこととして、安全であるということを知悉するのだ。それほどの快楽がこの世の一体どこにあるというのか?

 そういう感覚は草食動物の匂いでは感じることが出来ない。草食動物では獣の濃度が全然足りない。肉食動物の、この、獣を食う獣の匂いでなければいけない。頭蓋骨の奥を刺激する匂い、濃度が濃ければ濃いほどに……生物は、ああ、肉を食っているという甘美を愛することが出来るのだ。

 味。

 味?

 しかし。

 この際。

 味は、問題ではない。

 まあ、そもそも味付けしてないしね。基本的に血の味しかしないです。後は、それぞれの内臓に染み付いたそれぞれの体液の味とか、それに肉の旨味、脂肪に特有の刺激。脳髄、髄液、そういった細かい違いはあるが。全部全部が、この凄まじい獣の匂いの前ではさしたる区別ではない。ガルシェルは、どちらかといえば味で食べる料理ではないようだ。

 とにもかくにも、そのようにして、がつがつと食らっている真昼のこと。にこにことした可愛らしい笑顔で眺めながら、デニーがこちらに向かって歩いてきた。とはいっても、そこまで真昼に近付きはしなかった。

 真昼が座っている毛皮から数ダブルキュビトの距離。直径六十ハーフディギト程度、高さ百二十ハーフディギト程度、その上に座るのにちょうどいいように、てっぺんが平べったくなっている岩石が転がっている。

 デニーは、その岩石のところまで来ると……ぱすんっという感じで地を蹴って飛んで。すとりっという感じでその上に座った。子猫がテレヴィジョンの上に飛び乗るみたいな態度、それから真昼のことを見下ろす。

 岩石に腰掛けた二本の脚をぴーんと伸ばして、ぱたりぱたりという感じ、何かを蹴ろうとでもしているかのように動かしている。右脚、左脚、右脚、左脚、と、交互に。両方の手のひらは、自分の頬からおとがいにかけてのラインにへったりとくっつけていて。その顔は少しだけ俯いていて、そのせいで、真昼のことを上から見ているにも拘わらず、まるで上目遣いで見上げるような目つきになっている。可愛らしい笑顔、まるで穢らわしいことなど何も知らないまま鼠を八つ裂きにする子猫みたいに。

 真昼は、そのデニーの方、ほんの一瞬だけ、ちらりと視線を向けて。それから、すぐに視線を逸らした。気にならないというわけではない、むしろ、なんか落ち着かない気持ちになってきた。相手は何も食べていないのに、自分だけが何か食べている。そして、その食べている様を観察されているこの感じ。

 と、デニーの方で。

 何か動きがあった。

 大して大きな動きではないが……どうも、岩石に座ったままで何かをし始めたようだった。一体何をし始めたのかと思って、また、そちらに視線を向けると。デニーが、その左手に、真昼と同じようなどんぶりを持っていた。そして、右手をそのどんぶりの中に突っ込んでいる。

 右手、どんぶりから出す。その手には、真昼が食べている物と同じ物、つまりはヒクイジシの肉塊が握られていた。それを、デニーは、自分の口の方に運んでいく。デニーの口、子猫のように、無垢で、純粋で、残酷な、口。あーっと、いじらしく、あどけなく、可憐に、開かれて……それから、その肉塊を一口だけ食いちぎった。

 あぎ。

 あぎ。

 あぎ。

 あぎ。

 ごくり。

 真昼には、なんだか、その光景が信じられないもののように見えた。たちの悪い冗談、よく出来た紛い物を見ているような感覚。だって、だって……デニーが食べ物を食べるなんて!

 真昼が記憶している限り。真昼が、デニーと、出会ってから。デニーが何かを食べたり飲んだりしたことは一度もなかったはずだった。アヴマンダラ製錬所に攻撃を仕掛ける前日に行われた祭宴でも。カリ・ユガ龍王領で開かれた最高レベルの領賓のための饗宴でも。デニーは、何も、口にしなかった。

 いや、正確にいえば、パロットシングを拷問にかけた時に、目玉だとかなんだとか、そういう体の部位を食いちぎってはいたが。あれは別に食事というわけではなく、ただ単にパロットシングに苦痛を与えるために行なわれた行為だ。デニーが栄養を取るという目的で何かを口にしたことはなかったのだ。

 だから、真昼にとって、デニーは、そのような生物学的な行動をとるような何かではないはずだった。デニーは食事もしないし排泄もしない。息を吸うこともないし息を吐くこともないし、心臓が動いているわけでもない。血液が通っていないから限りなく冷たい、そもそも生き物としての温かさがない。デニーは、あたしのような生き物に似ているというだけであって。全く、全然、異なった何かなのだ。真昼はそう思っていた。

 というか、それが事実であるはずだった。だから、デニーが、あのように、ガルシェルを食べているようなふりをしているが。もちろん、それは、なんらかの生物学的な必要性からそれを行なっているわけがないのである。

 それでは、なぜそんなふりをしているのか。もちろん、真昼が気不味く思ったからである。自分だけが食べているということに一抹の居心地の悪さを感じたからだ。そのような真昼の感覚を解消するために、さも自分も食べているというようなポーズをとっているのである。真昼は、そう確信した。

 まあ、確信したからといって。

 どうということもないのだが。

 なんにせよ、真昼はどんぶりの中の物、次から次へと口の中に突っ込んで、次から次へと噛み砕いて、次から次へと喉の奥に飲みくだして。一気に、それこそ一分も経たないうちに、食い尽くしてしまった。

 もちろん、今の真昼の飽くなきペコリティがどんぶり一杯で治まるわけもないのであって。いや、まあ、ガルシェルはとんでもなく重量感があるのだし、このどんぶりもふつうのどんぶり五杯分くらいの大きさはあるので、普通の人間であればこれを食べ切ることさえラリバル・ウーズの難業に匹敵するだろうが。だが、真昼としては、まあまあ、あと一杯くらいは食べられるかなという感じだった。なので、どんぶりを持ったままで毛皮の上に立ち上がって。それから、あの鍋のところまで歩いていった。

 人間の死体で出来た踏み台を使って、鍋の中が覗き込める位置まで到達する。鍋の中のガルシェルは……ぐつぐつどころか、ぐぼこぐぼこという感じで煮立っていた。ヒクイジシの様々な肉塊が、踊るようにして鍋の中で漂っていて。また、それだけではなく、目を焼くような光を放っているように見えた。セミフォルテアの凄まじい力、観念の熱量によって熱せられたことによって、ガルシェル自体がなんらかの魔学的エネルギーを纏ってしまっているのかもしれない。

 真昼は、ただ、そういうことには全然頓着しないで。左手で持っていたどんぶりを、かなり無造作に鍋の中に突っ込んだ。その拍子に、一緒に突っ込んでしまった指、人差指から小指にかけての四本の指が、なんだか嫌な音を立てて焼ける感じがあった。この感じだと、第一関節は燃え尽きたようだし。それに、第二関節も骨が剥き出しになっているかもしれない。

 ま、すぐに治るだろ。あまり気にしない。どんぶりを引き上げる。その中に、なみなみとガルシェルを掬う。どんぶりの中の液体、ぷかりと一個の球体が浮かび上がってくる。黄金の球体。くるりと一回転する。漆黒の瞳孔が真昼のことを見る。ああ、これ、眼球か。ラッキー、なんかついてる気がする。

 そんなことを考えながら。どんぶりの中をなんとはなしに眺めながら、腐り始めている人間の肉体、一つ一つ階段のようにおりていく。そして、その後で……しかしながら、真昼は、毛皮の方に戻っていこうとはしなかった。

 なぜ? なぜって? だって、嫌じゃん。なんかさ、こういう感じ。夜だよ、夜、そりゃあ真っ暗ってわけじゃないさ、月も出てるし星も輝いてるしね。とはいえ、昼よりは暗い夜の時間。そんな暗い暗い雰囲気の中。誰かとたった二人だけで、会話もなく、ただただひたすらにもそもそ飯を食うのって。

 しかもさ、その相手がデナム・フーツときたもんだ。あー、もう、やめてくれよ。こう、嫌なんだよ。すごく嫌。寂しいとか悲しいとかそういうの通り越して、なんだかさ、虚しくなってくるんだよ。生きるということ全般のくだらなさがそういう時間に凝縮されている気がする。っていうか端的に馬鹿みたいだ。

 デニーの方に、ちらと視線を向ける。デニーは、相変わらず岩石に座っていた。足をぶらぶらとさせながら、左手でどんぶりを抱えて。それから、右手の指先で何かを摘まんでいた。それ自体がきらきらとしているかのような光を放つ金色の球体。親指と中指とで摘まんで、まるで月の光に透かしているかのようにして見つめている。軽く、頭を、上に向けて。人差指でその球体をくるくると回転させて。

 そのうちに、それを一度手のひらに収めて。その後で、親指の先でぴんと弾いた。やはり金色に輝いている無数の球体が、要するに星々が、きらきらとしている空の方に。弾かれた球体は、海の底のひっそりとした墓場に沈んでいく、罪を犯したことがない子供のままに死んだ霊のように、わざとらしい光を放ちながら……ふわりと世界の中に浮かび上がって……それから、しっと真昼に視線を向けた。

 もちろん、それは眼球だったのだ。ガルシェルとして調理されたヒクイジシのもう一つの眼球だ。一度、真昼の方を見つめた瞳孔が。また、くるりと回転して、どこか違う方に向かう。そのまま、眼球は、真上に向かって垂直に伸びていく放物線の頂点に到達して。そのまま落下してくる。上昇していった時と同じラインを辿って墜落していって。そして、また、デニーの手のひらの中に収まった。真昼は、その一連の出来事を見て。やっぱり、こいつは、気障で厭味なことをする野郎だなと思う。しかも、全てのことを理解した上でそうするのだ。

 まあ、とにかく、真昼は毛皮の上に戻るつもりはなかった。とはいえ、自分がどこでどうすればいいという明確なヴィジョンを持っているというわけでもなかった。まあ、この世界に生きているあらゆる生き物のうちで、そのようなヴィジョンを持っている生き物というのは、恐らくたった一つの現実としてもあり得ないことであろうが。今はそのようなワールドワイドな視点で物事を見る必要もないのであって、なんにせよ、真昼は、そこら辺をうろうろしてみることにした。

 自分の人生、いつもどこかをうろうろとしてるな。しかも、当てもなく。そんなことを考えながら、まずは天幕の方に向かって歩いていく。天幕の中には……幾つかの、寝台のような物が置かれていたらしき痕跡があった。もちろん、そのような寝台はめちゃくちゃに壊されていて、今となってはなんだかよく分からない残骸のような物しか残されていないわけなのだが。

 何かの生き物の骨と骨とを器用に組み立てて、その上に獣の皮をかぶせて作った寝台だったようだ。辺り一面に、グリュプスの羽毛らしき物が散らばっているから、中にはこういった羽毛が詰め込まれていたという可能性がある。とはいえ、こういった羽毛は、そこら中に引き裂かれたままで落ちているクッションに使われていた物だったのかもしれないが。

 寝台の上に幾つも幾つもクッションを置いていたようだ。そうやって、その上に、ゆったりと座れるようにしていたのである。つまり、その寝台は、その上で眠りにつくための物であるというよりも、その上に座って寛ぐための物だったということだ。ただ、どうも、ただただ寛ぐだけというわけでもないようだ。

 百人以上のはぐれヴェケボサンがいたはずのこの要塞の中で、このような寝台は数えるほどしか置いてない。しかも、わざわざ天幕を張ったその下に置かれている。つまり、この寝台は、権力の座としての役割を果たしていたということだ。

 勘違いしている者も多いようだから念のためいっておくが、アナーキズムは平等をもたらさない。それは、むしろ、理不尽な絶対的権力を招来させる。なぜというに、基本的に、多数の生物が共同生活を営む場所では生物と生物との摩擦は避けられないからだ。いや、まあ、集合知性を有する生物とか真性社会生物とかは別としてね。摩擦が起こると、必ず、なんらかの方法でその争いを収める必要があるが。そこには、やはり、必ず、権力が発生する。つまり共同生活において権力は避けられないものなのだ。

 ということは、その権力を正当化する論理が必要になってくる。なぜその権力が正しいのか、正しい権力とはなんなのか。つまり、政府の形を模索していかなければいけない。そうしなければ、争い事に対して、正しい裁きが与えられることはない。

 集団とは友敵区別の別名だ。権力は単細胞生物にとっての細胞膜に等しい。それにも拘わらず、アナーキズムは、その思想的幼稚さのゆえに、最も難しく最も重要な権力についての問題をスキップしてしまう。自由と平等と、弱者が救済されるそのために必要なものは、ただただ正当な権力の確立それ一点であるにも拘わらず、その権力についての問題を破棄してしまう。すると、どうなるか? 恣意的な裁き。権力なき世界においては、弱者に対する絶対的な抑圧が糜爛する。

 アナーキズムを主張する者の顔をよく見てみればいい。扇動者によって扇動される哀れな愚か者の群れを除けば、アナーキズムを主張するものは、必ずや強者であるはずだ。強者が、自分の都合のいいように裁きを捻じ曲げるために主張するもの。それがアナーキズムである。

 と、いうことで。アナーキズムを地でいっているようなはぐれヴェケボサン、その盗賊団にも、この寝台が象徴するような硬直した絶対権力が存在していたということだ。

 なんにせよ。

 五つあるこれらの天幕は。

 権力者のために作られた。

 ものだったらしい。

 五つのうちの四つが、それぞれ四つに分けられた襲撃部隊のリーダーのための物で。残り一つ、他の物と比べて明らかに大きい物が、この盗賊団全体のリーダーのための物だろう。ちなみに、その大きい天幕こそ、今の真昼が覗いている天幕なのであるが。その大きさの他にも、他の天幕との違いがあった。それは、天幕の裏地にびっしりと描かれた魔学式である。ここに来るまでにも何度か見たことがある、アラゼスク模様のような魔学式。これには、装飾的な意味と、それに、なんらかの防御的効果を天幕に付加する効果があるのだと思われた。

 ただ……別に……真昼は、そういったことの全てに興味がなかったのだが。何がどうであるのかという推測の論理的整合性や、あるいはそもそも事実としてここに何があるのか。そういった何もかもが、真昼にはどうでもいいことだった。だって、ただ通りかかっただけだし。ただ、座ってもそもそ飯を食うのが嫌で、ぼんやりとそこら辺をうろついているだけなのだ。

 あらゆる人間が、日々生きているその生存という絶対的に重要な現実の中で、ふっと大した理由もなく、哲学だとか倫理だとか、そういったことについて考えるようにどうでもいいことだった。それがあってもなくてもどうでもいいのだ、実際のところ、自分達を守ってくれるのは権力であるし、自分達を養ってくれるのは自然科学及び自然魔学なのだから。通りがかりに、手持無沙汰だとか、なんとはなしの気不味さだとか、そういったものを解消する効果しかない。

 だから。

 真昼は。

 どんぶりの中の、物を。

 無心に口に運びながら。

 天幕の中。

 十秒くらい眺めて。

 それから、ふいと。

 また。

 歩き始める。

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