第三部パラダイス #9
一度口をゆすいだだけで、随分と辛さがマシになった。まだまだ鈍い痛みがずるずると後を引き摺るように残ってはいるが、それでも、あれだけべったりと口中に染み込んでいた辛みの成分が、だいぶん洗い流されてしまったという感触がある。
ちなみに易辛子系の辛さの元となっている物質は油溶性なので、水などで洗い流そうとしてもあまり意味がありません。かえって辛さがひどくなってしまうこともあるので、辛い食べ物が苦手な方は気を付けましょうね! 一方で、牛乳の場合は含まれている蛋白質のうちの一つであるラカインがそういった物質を引き寄せる力を持っています。なので、辛さをなんとかしようとするのには最適な飲み物です!
なんかミセス・フィストみたいな口調になってしまったな。まあいいか。とにもかくにも魚に毛、真昼は、もう一口、ヨーガズを口に含んで。さっきよりも丁寧に、口内の端から端までを洗い流すと。こくり、と、喉の奥に飲みくだした。あー、大丈夫。これでもう大丈夫だ。
ふーっと息を吐き出す、えー、結論といたしましては……まあ、美味しかったです。あれほどのリアクションをとっておいてこの感想は信じられないかもしれないが、美味しいか美味しくないかでいえば美味しかった。
ただただ緑易辛子をチャツネにしただけではない。様々なマサラが加えられていて、その中でも特に印象的だったのは黒胡椒だ。粗挽きの黒胡椒が控えめに入っていて、その断片の一つ一つが、舌の上でぽんぽんと飛び跳ねるかのような更なる刺激を演出する。また、辛さだけではない。生のヤドリネギをおろしたものが入っているのだが、それがほんのりとした甘みを加えている。
つまり、辛いだけではなく様々な奥行きがあるのだ。美味い、確かに美味い。ただ、とはいえ、真昼的には……もう一口食べますかと聞かれたら、ちょっとお断りさせて頂きたいですという感じだった。純粋に、美味いよりも痛いが勝ってしまうのだ。
ということで真昼は、チャツネが入った小鉢をそっと向こうに押しやると。次にはライタが入っている小鉢を引き寄せた。ライタは、アミーンが言うところの「辛クナイヤツ」だが……ただ、真昼は、チャツネでかなりこりごりとしてしまった。もう二度とあんな目に合うのはごめんだ。なので、今度は、大量に摂取する前に、ちょっとだけ味を確かめてみることにした。
右の薬指でほんの少しだけ掬い取る。白い液体が指先を濡らして、野菜の欠片が幾つか指の腹に乗る。淡く開いた口から、えろりと垂らした舌の上、そろりそろりと近付けていき……それから、それを舐め取った。
わあ、酸っぱい! 思ったよりも全然酸っぱかった。いや、不快感を感じるほどではなかったのだが、ヨーグルトっぽい甘みのある酸っぱさというよりも、そこにお酢を一匙加えたような酸っぱさだ。そうそう、あれだ、ドレッシングみたいだ。随分と舌触りが柔らかなホワイトドレッシング。
今までの酸味は新鮮な果汁を使ったもののようで、瑞々しい刺々しさがあったが。このライタに使われているのは、果汁をお酢に発酵させた物らしく、なめらかな丸みがあった。ただ、不思議なのは……ベース部分にはきちんとヨーグルトの味があるということだ。乳製品の味がするのである。それなのに、全く凝固しておらず、さらさらと舌の上を流れていく。一体どういう方法を使っているのかは分からないが、とにかくそんな感じだった。
中に入っている野菜は、ピクルスみたいなものかと思っていたのだが、しゃきしゃきとした新鮮な生野菜だった。ちなみに、あまりに細か過ぎて何が入っているのか真昼にはよく分からなかったが。トウゾクビョウタンとヤドリネギ、それから甘みを出すために若いマンゴーをほんの少し。これだけである。トウゾクビョウタンの赤とヤドリネギの緑と、それにマンゴーの黄色で色取りもちょうど良かった。
チャツネのように心の底から舌を切り取りたくなるような辛さもなく(これは比喩表現ではない)(今の真昼には自分の舌を噛みちぎることに躊躇するような生易しさは残っていない)、確かに酸っぱいとはいえ、全然いける味だった。これなら少しくらい多めに口に含んでも問題はない。
ということで、今度はシークケバブにつけて食べてみることにした。シークケバブを一つ、ライタの小鉢にべっちゃりと浸してから口に運ぶ。うーん、これは……まあ、別に、悪くはない。そもそも肉と酸味というのはそれなりに相性が良いもので、特に赤身には合う。そもそもあっさりとしている赤身が爽やかなお酢の酸味で洗われて、さっぱりした味わいになる。馬刺しや鯨刺しや、そういった肉を柑酢醤油で食べる時のことを思い出して貰えばご理解頂けるだろう。
ただし、それは、こちら側がさっぱりとした味を望んでいる時の話である。今の真昼が望んでいるのはぎとぎととした獣の油脂だ。動物の肉を食べているという、その実感なのである。さっぱりとした味ではなく、こってりとした味、それに触れる手が動物性脂肪でべったりと汚れてしまうような味を望んでいるのだ。
脂肪は肉体の再生にはほとんど関係ないだろうとか、蛋白質を効果的に摂取したいなら鉱物質を多く含んでいる赤身の肉の方がいいだろうとか、今はそういう話をしているわけではない。これは、真昼の、欲望の話なのだ。そもそも真昼は食べなくてもさしたる問題はない。もう死んでいるのだし、これ以上は死なないように操作されているのだから。今の真昼は、自分の肉体の維持とか、そういう小難しい話を抜きにして、ただただ欲望を満たすために食べているだけだ。そして、真昼が欲望しているのは、肉を食っているという実感なのだ。
ということで、真昼は。
ライタの小皿も押しやってしまった。
まあ不味くはないけど今はいいや。
今は、肉の味がする肉が食べたい。
ところで、その肉の味であるが……これ、なんの肉だろう。今まで真昼が食べたことがあるどの肉とも似ていなかった。豚肉に似ていなくもないが、それにしては柔らか過ぎる、それに脂肪も少ない。鶏肉に似ていなくもないが、それにしては整然とした筋繊維をほぐす噛み応えがない。羊肉に似ていなくもないが、となると独特の臭みがない。一番似ているのは若い若い仔牛の肉なのだが、とはいえ、仔牛と比べれば脂肪が多過ぎる。
それに、この甘みだ。こちら側の味覚に合わせて的確に調整されたような、眠りかけた赤子に聞かせる子守歌のような、そんな甘味。自分の舌が溶けてしまったのかと思うほど柔らかい甘味。こんな甘みを感じる肉を、真昼は知らなかった。
ここら辺でしか取れない生き物の肉かな? パヴァマーナ・ナンディにいたわけが分からん蚯蚓みたいなやつの肉だったらやだな。なんてことを思ってしまった真昼だったが。それでも、その肉を食べることをやめることは出来なかった。
なぜなら、抜群に最高だったからだ。今まで食べた肉の中でも一番のデッリーシャースだった。なんというか、油っぽ過ぎもせず、それでいてぱさぱさと乾燥していない。料理の腕ももちろんいいのだろうが、それと同じくらいに、この食材、この肉、人間の味覚に最適化されているような味だった。
皿の上に載っているもの、次々に食べていき。たまに、デニーに向かって「あーっ」と口を開けて、ナンに挟んだシャワルマ・ハモスを運んで貰う。あれだけ大量にあった肉料理は瞬く間に減っていって……遂に、大皿の上は空っぽになってしまった。
一体真昼のどこに入っているのか。一品一品が一人前くらいはあったので、真昼は五人前の肉料理を食べたことになる。しかも、その前に、サラダとスープと、それにちょっとしたスナックも食べているのだ。真昼の中に、どこか別の次元に繋がっているワームホールでも出来ているのだろうか。
しかも、これだけ食べたのだから少しくらいはお腹がいっぱいになっているのかと思いきや……全然そんなことはなかった。さすがに飢餓というような状態ではなくなったが、まだまだ全然食べられる。「あと、どのくらい、料理が出てくるの」「んーと、あとはねーえ、カブサ・ジャナとテージャサ・マサラと、その後でデザートって感じかなあ」「そう、分かった」。そう答えると、真昼は、右の手だけを使ってテーブルの上の大皿を持ち上げた。
金属製の、かなり重い皿だったが。今の真昼の膂力からすれば軽々と持ち上げられるレベルであった。これは、一体何をしているのか? アミーンが来る前に皿をどかそうとしているのだろうか? いや、違う。アミーンは建物から姿を現わしてさえいない。そうではなく、真昼は、持った皿を自分の口元へと近付けていって……そして、えろり、と皿の表を舐めた。
スープの皿を舐めていたように。
肉料理の皿も、舐めているのだ。
スープの皿にそうしていたのと全く同じように、更に残った物、ソースだのオイルだの、小さな小さな肉の欠片、そういった物を舐め取り始めたのである。
スープの皿のことを舐めるのは……まあ、分からないわけではない。普通に食べる時のその食べ方も、手のひらを使ってはいたものの舐め取るという行為に関しては変わっていないからだ。手で掬って食べるという、その延長線上にあるように思うことも出来ないわけではない。
ただ、肉料理の皿を舐めるのちょっとアレじゃない? いや、なんかさ、やっぱ違うよ。だって、肉料理って固形物を手で持って食べてたじゃん。そこから舐めるという行為にスムーズに移行しないでしょ。
育ちの良さはどうしたんだよ! 仮にも飲食店で云々官々とかいうあれはどうなったの!? 礼節だとかなんだとかほざいていたさっきまでの真昼はどうしたわけ!? どうもこうも、なんかどうでもよくなってきてしまったのである。いくら飲食店とはいえ、その店主は人の話を全く聞かないおっさんであって。更に、同席者はデナム・フーツだ。このような状況では、恥だとか外聞だとか、そういうことを気にする必要などない。あのおっさんも、デナム・フーツも、真昼が皿をべろべろと舐めていたとして、一欠片たりとも気にしないだろう。それに、さっき気にしていたのは、口から吐き出してしまったらもったいないかなとか、お店の人になんか悪いなとか、そういうことである。皿を舐める分にはそういった心配はない。むしろ食べ物を大切にしているとさえいえる。
だから、真昼は。
皿の上を。
綺麗に。
綺麗に。
舐め取る。
銀よりも少し鈍い皿の上、表面に残っていたものは舐め取られて、後は真昼の透明な唾液で濡れているだけになった。真昼は、その皿、放り捨てるようにテーブルの上に投げ出すと。皿とテーブルとががらんがらんという音を立てるのを聞きながら、手のひらを舐め始めた。今度は指先から舐め始める。親指から小指まで、一本ずつ舐めていって。手のひら、手の甲、手首と綺麗にしていく。
綺麗にも何も唾液まみれなのだが。
とにかく一通りを舐め終わると。
その手で、コップを手に取って。
ヨーガズを、一口、口に含んだ。
と……まるでタイミングを計っていたかのように建物からアミーンが姿を現わした。両手には、たった今、真昼が食べ終わった肉料理が乗っていた皿と同じくらいの大きさの皿を持っていて。しかも、その平べったい皿の上には、なんだか山盛りになって何かが乗っていた。
うわー、なんだなんだあれ、随分とでけぇな。とかなんとか思いながら、真昼はコップを置いてテーブルの上の大皿を取り上げた。どかせと言われる前にどかしておこうと思ったのである。
アミーンは、どすどすと近付いてくると、どすーんとでも音を立てそうな感じで、持っていた皿を置いた。「コレ、オイシイオイシイダヨー、イイ肉、使ッテルヨー」みたいなことを言うと。真昼の手から大皿を奪い取って、その上にナンが入っていったバスケットをひょいと乗っけて。そして、さっさと行ってしまった。
さて。
それから。
テーブルの上に。
置かれた料理を。
見た、真昼。
ああ。
そうか。
分かった。
あたしが。
なんの肉を。
食べさせられて。
いたのか。
その料理は、デニーがカブサ・ジャナと呼んでいた料理だった。どんな料理なのかといえば、これは結構複雑な料理なのだが。色々と端折っていってしまえば、マサラで煮込んだご飯にナッツだとかドライフルーツだとかを混ぜて炒めた物の上、同じくマサラで煮込んだ任意の肉の塊を乗せた物である。炒めたヤドリネギだのニンニクだのと一緒に肉の塊を焼くだとか、煮込む時にはヨーグルトと生姜とを混ぜるだとか、そういうポイントはあるのだが、別にこれはレシピ本ではないから詳述はしない。もしも気になる方がいらっしゃったら、アイレム教徒が書いた料理本かなんかで調べてみて下さい。
と、いうことで。その皿の上には、マサラと一緒に炊いたせいで真っ黄色といってもいいような色合いになったご飯、様々なナッツと赤い色をしたドライフルーツとを混ぜられたご飯、山のように盛られていて。その上にはダダでかい肉の塊がどーんと乗っかっていたのだった。
さて、その肉の大きさだが、本当に大きかった。例えるならば、人間の脚、膝から先の全体。下腿から爪先までの部分を丸々切断した物をそのまま調理した物のようだった。いや、というか……その通りだった。これは例えでもなんでもなく、実際に人間の脚のその部分だった。
もちろん下拵えはしてある。それに、とろとろのぐちゅぐちゅに肉が溶けるまで煮込んでいる。それでも、その肉の塊は、人間の脚としての原形を保っていた。膝のすぐ下のところから切断したのだろう。骨の髄が見える切り口から、その先。見間違えようのない、人間の脛、人間の脹脛。そして、何よりも、人間に特徴的なあの足指。親指から中指にかけて少し上がって、そこから小指まで、あたかも音階のごとく小さくなっていく指先の形状。そこから真っ直ぐ先の踵……それは、どう見ても人間の脚だった。まあ、ただ、大きさからいってホモ・サピエンスのものではなくホモ・マギクスのものだとは思われたが。
ああ。
そうか。
だからか。
だから。
あたし。
食べたことない味だって。
そう、思ったんだ。
真昼は、それを見た瞬間、まるで天啓のように妙な確信が閃いた。いうまでもなくその確信は正しいものだったのだが、つまり、ついさっき、真昼が食べた四種類の肉料理。その全てが、やはり、今目の前に置かれている料理と同じように人間の肉だったということだ。
なるほどなるほど、そういうことか。よく考えてみれば、実に当たり前のことだった。今までそのことに思い当たらなかったのが不思議なくらいだ。だって、ここは、デナム・フーツに連れてこられた飲食店なのである。そんな店で出された、一度も食べたことのない肉。人間の味覚に対して最高の刺激を与えるところの肉。これが人肉でないわけがないのだ。
それでも真昼が、お気楽呑気にも気が付かなかったのは。この店の店主が一応人間だったということが原因なのであろう。あんな陽気なおっさんが、まさか自分と同じ種類の生き物を調理するとは思わなかったのである。
それに、なんか、あのおっさんってアイレム教っていう宗教の信者なんでしょう? いや、よく分かんないけどたぶんそうっぽいじゃん。となれば……真昼からしてみれば、宗教って、共食いとか近親相姦とか、そういうのを禁止してるもんだというイメージだったのだ。
えーとですね、事ここに至ってはいわなくても分かると思うが。アイレム教はまーったく共食いを禁止していない。食べてはいけないとされているのは、アイレム教では聖なる生き物であるとされている鱗のある魚だけであり(宗派によっては蛸も禁止している場合があるが)、人間を食べるのは全然AKなのである。
正確にいえば、その初期には禁止した方がいいんじゃない的なテンションになった時もあったらしい。ただ、アイレム教が広がったのは、主に中央ヴェケボサニアの広大な乾燥地帯であって。しかも、そこに居住していた遊動民は、部族と部族とで常に闘争行為を繰り広げていた。
遊牧や交易や、そういった生業が上手くいかなければ食料はほとんどないようなところ。それでいて、戦争に次ぐ戦争によって人間の死体だけは山ほどあるような状況。そのような状態で人肉を食べるということを禁止するのは、不合理というのを通り越して不寛容でさえある。
ということで、アッラーもお許しになるだろうということで、人間の死体を食べてもいいということにしてしまったのだ。そう、アッラーが許さないわけがないだろう。人々が飢え、苦しんでいるというのに、そこにある食べられる物を食べるななんていうことをアッラーがおっしゃるはずがない。むしろ推奨するはずだ、がんがん食べろ、もっと食えもっと食え。そして、幸福のうちに、この世界に増えよ満ちよ。全く、本当にアッラーは慈悲深いお方である。
まあ、一番大きかったのは、ハディースの中に、どうもアルハザードが人肉を食べてるんじゃないか、そうとも読み取れるような読み取れないような、そんな記述があるという要因だろうが。なんにせよ、アイレム教徒は、アル・アジフで禁止されていないことは、大抵のことは許されていると思いがちなのである。ああ、そうそう、近親相姦も禁止とかされてないです。
まあ。
とにかく、それは。
どう見ても、人肉。
真昼は、その大皿を引き寄せた。よほどよく煮込まれているのだろう、皿が少し動くだけで、ふるふると肉が揺れるくらいだった。真昼から見てこちら側に小指があって、向こう側に親指があるので、たぶん左足だろう。ちなみに、アイレム教徒は、いざ自分が食べる物のこととなると不浄の左手だとか不浄の左足だとかそういうことは全然気にしない。
真昼は、右手、人差し指で、そのダダでかい肉を指差して「これ、人間の肉?」と問い掛けた。デニーは「うん、そーだよ」と答える。デニーは、腕を軽く組む感じでテーブルの上に寄り掛かって。何が楽しいのか、別に楽しくて笑ってるわけじゃないのか、とにかくにこにことした笑顔で真昼のことを見ている。
真昼は、デニーの答えには何も返すことなく。指差していた右手を、ぱっと開いた。そして、その手のひらを調理された人間の足に近付けていく。足は……よほどじっくりと焼かれてよほどじっくりと煮込まれたのだろう、おいしそうなブラウンにしっかりと色づいていた。もともとヨガシュ系の人間だったというのもあるだろうが(もちろんホモ・マギクスにもヨガシュ系とゼニグ系との区別はある)、それ以上に、焼き色と、調味液の色と、その二つが混ざったところのブラウンだ。それに、表面にはさらさらとしたマサラがまぶされていた。煮込んだ後で、仕上げとして、満遍なくすり込んだのだろう。
とっ、と。
指先が。
人の肉。
表面に。
触れる。
まずは一番長い中指だった。そして、少し傾けた手、薬指が撫でて。獲物の大きさを測る蛇のようなやり方で人差し指が添えられる。三本の指は、柔らかい羽団扇のようにそれに触れていて……それから、真昼は……そっと、薬指の先端で、その肉を抉った。
マサラに覆われた皮膚は滴るごとくになめらかだった。触れただけでほどけていく、腐りかけたジュレみたいに。ぐっと力を入れると、薬指は、とろとろととろけた皮下脂肪を貫いて。そして、筋繊維の奥深くまで埋もれていく。薬指、中指、人差指。真昼は、一本ずつ、皮膚の向こう側へと沈めていって。その後で、そっと、抉られた肉の断片を親指で挟んだ。
ぐっと力を入れると、ちゅるちゅると筋繊維がちぎれていく感覚が指先に伝わる。アーガミパータの料理は……ナイフやフォークやを使わないため、どれもこれも柔らかく出来ている。シークケバブのような一口サイズのものは例外であるが、指先でちぎれなければ食べられないからだ。この左足も、その例に従って、これほど柔らかく煮込まれているのだろう。
ずるずる、ずるり。肉の塊から肉の断片が、単為生殖の軟体動物が母体から剥がれ落ちるかのようにして剥ぎ取られた。剥ぎ取ったのは? 真昼だ。真昼、真昼、つまり、あたし。虚ろな夜空を箒星が撫でるかのような手先の動き、真昼は、そのようにして指先に掴んだ肉の断片を目の前にまで持ってくる。
人の肉、人の肉。ここまで美味しそうに調理されてしまえば、人間も豚も牛も変わらないだろう。いや、そもそも変わらないか。例えばミセス・フィストのような、例えばカリ・ユガのような。あるいは、もちろん、デナム・フーツのような生き物からしてみれば。きっと、いつだって、人間はこのように見えるのだろう。
何か、感慨があるのだろうかと思った。人間の死骸が調理され、このように提供されたことに対する感慨だ。でも、別に、何もなかった。牛の肉を、豚の肉を、目にしているかのように。真昼の心の中にあるものは、パーソナルコンピューターの画面に映し出された聖書の一節のような空漠である。
左側に首を傾げた。
ざらざらに切りっぱなされた髪。
朽ち果てた蜘蛛の透糸のように。
右耳を、撫でる。
真昼は。
真昼は。
それから。
呼吸するみたい、に、自然に。
肉の断片、口の中に放り込む。
初恋のように甘酸っぱい味が、ふわりと優しく広がった。まあ、真昼は初恋なんてしたことがなかったが、たぶんマサラの味わいだろう。そこまで大量にかかっているわけではないのに、まるで舌の上に直接振りかけられたようなこの美しい香りはどうだ! どことなく、南国の果物のようなあでやかさだった。撓垂れ掛かる娼婦の肉体のように爛熟していて、その中には、失われてしまった処女のための涙のような酸味がある。それから、その次にくるのは、あたかも万聖節の雷鳴のごとき刺激だ。チャツネほど辛いというわけではない、ただ、それは、確かにそこにあるところの、一つの総体的感覚であった。
さて、まずは舌先で潰してみた。いとも、いとも、容易く。皮膚は剥がれ、肉は壊れ、そして液状化した脂肪がずるりずるりと吐き出されてくる。肉体の、いや、肉体だったものの全てが、これほどまでに脆弱になるとは。歯で噛み潰すまでもなく、舌先で上顎に押し付けるだけで崩壊していく。
今度は、奥の歯で噛んでみる。噛むというか、どろどろとした腐肉の泥濘を混ぜているような感覚だ。筋繊維が、ほどけて、ほどけて、その泥濘の中にゆらゆらと揺蕩っているかのように。じっとりと舌の上に纏わりつく油脂と、肉そのもの、生命そのもの、の、旨味……全部全部、混じり合う。
それは、何よりも、欲望の充足そのもののような味がした。美味いというのではない、そんな生易しい感覚ではない。脳蓋の内側、一つ、二つ、三つ、銀の鈴。それを直接的に振盪させるようにして口の中を犯すのだ。ああ、ああ、真昼は恍惚とする。頭蓋骨の中で、心臓の鼓動のように、鈴の音が震えているのが聞こえる。
ごくり。
と。
飲み込む。
喉の奥。
胃の腑。
に。
人間の死骸が。
墜落する。
人間の肉を食うということ。ここに来る前の、アーガミパータに来る前の真昼であれば、絶対にそんなことしなかったであろうこと。自分がしないというだけではなく、そのようなことをする人間に対して悍ましさの感覚を抱いていたはずだ。もちろん、空腹で空腹で仕方がなく、人間の肉以外に食べる物がなく。仕方なく人間の肉を食べざるを得なかったという場合は別であるが……ただ、今の真昼はそのような状況にはない。
今の真昼は、別に、何か食わなければ自分が死んでしまうという状況にあるわけではない。今食べた物を食べなくても、真昼という生き物が根底から崩壊してしまうという状況にはなかったのだ。それでも、真昼は、それを食べた。嗜食に饗された人間の肉を、己の快楽のために貪ったのだ。いや、まあ、「貪った」というほどの量を食べたわけではなく、たった一掴み分を口に運んだというだけだが。それでも、それは、真昼にとって、絶対に必要というわけではなかった。
真昼は、自分がした、その行為に対して。なんらの……文字通り、なんらの感情もなかった。自分でも驚いてしまうほどに冷静で。呆気なく、容易く、ごくごく自然な行為だった。自分が人間の肉を食べたという事実が、まるで心臓に響かなかった。この空虚な感覚に比べれば、三流の恐怖映画の安っぽいロマンスシーンの方がまだまだ心を震わせるくらいだ。
嫌悪感もない、罪悪感もない。そのどちらの感情もないことに対する恐怖感もない。ただただ上質の肉料理を食べたという満足感だけが、雨上がりの山麓に棚引いている一筋の靄みたいにして消え残っているだけ。
生き返ってから。正確にいえば、死者のままで、死に損ないとして、この肉体を動かし始めてから。ずっとずっと感じていた欠損の感覚。それが、真昼の行動になんらかの具体的な事実として表現され始めている。
ここで嘔吐すれば、消化器官が生理的な拒否のために痙攣して、今まで食べた全ての人肉を吐き出していれば。まだ、真昼は、自分がどこ一つ欠けることのない砂流原真昼であると主張出来ただろう。ただ、それは、もう不可能なことだ。なぜなら、真昼の全身を怠惰な無力感のように覆っているのは、不可解なほどの興味のなさだけだったからだ。
一応は、言い訳しようとしてみて出来ないことではない。例えばこんなのはどうだろうか。今更、ここで、真昼が、この人肉を吐き出しても。まるで意味がない。なぜなら、この人肉であったはずの人間は既に人間であることをやめて肉料理になってしまっているからだ。真昼が嘔吐しても、それが人間として生き返るわけではない。消化液混じりの吐瀉物になるだけだ。そうであるならば、真昼がそれを食べて、きちんと自分の栄養にして。役立てた方が、この人間だったものが支払った犠牲を無駄にしなくて済むのではないだろうか。
まあ、個人的な意見をいわせてもらえば、自分を殺したやつに料理されて、そのお客様の栄養になるくらいだったら反吐として吐き戻される方を選びたいものであるが。それはそれとして、他にもこんな言い訳をすることも出来る。そもそも人間だけを特別視することがおかしいのだ。牛肉・豚肉・鶏肉。それに、真昼は、人間よりも高等な生き物であるところの舞龍の肉・ユニコーンの肉も食べているのである。そういった肉をさんざんっぱら食べておいて、今更、人間の肉だから食べられないというのは、あまりにも偽善的な感情論である。
また、このような言い訳はどうだろう……人間は、何か、他の生き物を傷付けなければ生きていけない。真昼はアーガミパータの経験からそれを重々に承知している。例えばここに他の動物を絶対に傷付けないと誓った完全菜食の人間がいるとしよう。ちなみに、植物は中枢神経系がなく、苦痛を感じることがないと仮定して、例外的に殺したり傷付けたりしてもいいとする。さて、その人間は、大気のバランスを大幅に変えてしまう恐れがある化石燃料を使うこともやめ、自然エネルギーのみに頼って生きる。その自然エネルギーを作り出す設備も、誰も傷付けないような方法で採掘した鉱物を、誰も傷付けない方法で製錬し、そうして出来た材料を、誰も傷付けない方法で建築する。また、呼吸さえもコントロールして、植物が光合成する際に必要とする二酸化炭素量しか出さない。それに、他の生き物の棲み処を奪わないように、自分の生存空間を限界まで限定する。ここまで努力して、出来る限り他の生き物を傷付けまいとしても……やはり、その人間は、他の生き物を虐待し、強奪し、蹂躙しなければ生きていくことは出来ない。
なぜなら、人間はこの全てを自分自身のみで出来るほどに強い生き物ではないからである。もちろん、春夏秋冬全ての季節で完全菜食として生きていけるだけ栄養がある植物を栽培する、あるいは保存食として取っておくとすれば、そのためには、数え切れないほどの農耕従事者が必要となる。あるいは、自然エネルギーを作るための工場を建築・運営するのに、一体どれだけの炭鉱労働者・建設事業者・工場労働者が必要になってくるだろうか。となれば、もしも、その人間が何者も傷付けずに生きていきたいのだとすれば、その全ての労働者達が、絶対的な満足感を持って労働に従事していなければいけないということになる。
強制的な労働をさせてはいけないのだ。そして、それだけではない。もしも、その人間が、間接的にでも生き物を傷付けたくないのだとすれば。そういった労働者にも、その人間と同じような生き方を強制しなければいけない。もちろん、そういった労働者の配偶者や子供や、そういった家族に対してもである。となれば、その人間は……ある一定の全体主義的空間を作らなくてはいけないということになる。
それは事実上不可能なことだ。人間には、偶然に左右されるところの不完全な浮動的意思がある。それを、なんの強制もなく、一つの方向に絶対的にファッシオしていくというのは不可能だ。となれば、その人間は、自然と、自分の生活環境を整備するために奴隷を必要とすることになる。労働者が持つ浮動意思をなんらかの形で去勢して、自分の主義主張の通りに都合良く動く奴隷にしなければいけなくなる。
こうして、結果的に、その人間は、奴隷に傅かれながら生きていく独裁者としてしか存在出来なくなるというわけだ。事程左様に、人間という生き物は、他の生き物を傷付けずには生きていけないものなのである。その不完全性のゆえに、その愚昧のゆえに、その脆弱のゆえに。それにも拘わらず、今、真昼が、たった一人の人間の、たった一本の脚を食べるということ、それを躊躇するというのは、どこまで醜い欺瞞であるだろうか。今まで生きてきた生の中でしてきたこと、無数の、無数の、生き物を傷付けてきたということ。そして、これからも同じことをし続けるであろうということ。それと比べて、今のこの食事は、それほどの罪悪なのであろうか。それを罪悪として特別視することのほうがよほどの醜悪ではないだろうか。
そう。
言い訳は。
幾らでも。
幾らでも。
思い付ける。
いやー……まあ、個人的には、自分に出来る範囲で少しずつ少しずつ他の生き物に優しくしていくだけでも、世界って随分生きていきやすい場所になると思うんですけどね。そんな厳密に考えて行動することを諦めるよりも、実際に一歩を踏み出すことの方が全然大切だよ! 真昼ちゃん! それはそれとして、真昼は、言い訳をこねくり回すことは出来るのだが。とはいえ、そういった全ての言い訳は、所詮は言い訳に過ぎないのである。それ以上でもそれ以下でもない。それは、真昼が、今、なんの躊躇いもなく人肉を食べていることの本当の原因ではない。
真昼の心、が、それ、を、しても。
なんの反応も、示していない理由。
それは。
ただ単に。
無関心の。
せい。
どうでもいいのだ。真昼にとって、行為は善でも悪でもなかった。とはいえ、純粋な行為として意味が解体されているというわけでもない。動物的な本能の行為ではない。意味はあるのだ、けれども、その意味なるものは、真昼個人にとっての、排他的・独占的な意味ではなかった。もっともっと無限で、もっともっと永遠な、何かの過程。
ああ、そう、つまり……目の前にあるこの人間の肉は、真昼が殺した人間の肉ではない。それに、そもそも、この脚の持ち主が死んでしまったのか生きているのか、そういう実感さえも真昼に属するものではない。真昼の前にあるこれは、真昼にとって、人間であるという感覚を逃れようがなく強制してくるものではない。ただの肉の塊。
屠殺者が屠殺をすることは、夜に雨が降ることのように自然だ。そして、生き物を殺すことに嫌悪を覚えつつも、そうして殺された生き物を食べることに罪悪感を抱かないことも、やはりそれと同じくらい自然なことなのだ。
真昼は殺していない。
真昼は何も悪くない。
それを偽善というのならば、そもそも生き物を殺すこと自体が偽善だ。大切な命を頂くというが、それほど大切な命であるならばお前が餓死すればいいだけの話なのである。それが嫌だというのならば、屠殺者に屠殺を任せている偽善と、それは一体なんの変わりがあろうか。同じだ。誰も彼も、生き物を殺しているということに変わりはない。そして、また、先ほどもそうであることを証明したように……何者も傷付けないという決意も、やはりそれと同じたぐいの偽善だ。本当に何者も傷付けたくないというのならば、それはもう生まれた時に死ぬしかない。暗い世界を見通せない透明な仔山羊が、夜には雨が降らないと叫ぶ偽善なのだ。
真昼は。
透明な仔山羊ではない。
血肉の濁った仔山羊だ。
腐り果てた神経は。
もう。
悪を。
感じない。
麻痺しているとか麻痺していないとか、そういうことではなかった。そもそも、そういった反応を示すための器官が、真昼の内側に見当たらないのだ。その生き物のその細胞に、受け入れるための受容体がなければ。その生き物はドミトルに感染することはない。ドミトルがもたらす症状に苦しむことはない。それと同じことである。真昼という一個の細胞から、共食いという行為に対する罪悪感、それを感じるための受容体がなくなってしまったのである。
今の真昼には意味がないという意味さえもない。人間が、意味がないという時。本当に無意味であるという意味でそういっているわけではない。それが意味するところは、ただ単なる絶対の喪失に過ぎないのだ。外部にあるはずの完全性を否定しているに過ぎない。相対的な感覚を比較する、自分という内的意味の逆説的絶対化。それは、本当の無意味ではない。ただの自己愛である。真実の無意味は、内的意味を究極的に空虚にした時に発生する真空にしか生まれない。そして、その場合、もちろん、排除された内的意味は外的な絶対性に転化する。それが……いわゆる、腐敗である。真昼は、今、この腐敗を生きている。
真昼は。
もう。
その行為について。
悪とは、感じない。
悪を感じる器官の。
取返しがつかない。
欠損。
まあ、要するに、細かいことはどうでもいいか的な心境だということだ。いちいち物事を複雑に考えても世界は何も変わりはしない。世界なるものは真昼の主観で変わるような位置ではないと、真昼は、もう、よくよく理解していた。そりゃあ、まあ、目の前で誰かが殺されようとしてれば止めるかもしれないですよ。気分が悪いですからね。でも、皿の上に乗ってるのは、とっくにおいしい料理になってしまった肉の塊だ。今更どうこうしようがない。だから、深いこと考えず、出された物を食べればいいのである。
と、いうことで。真昼は、皿の上の料理にまたもや手を伸ばした。さっきは肉の部分を食べたので、今度はご飯を食べてみようかな。皿の端のところ、肉に触れていないところ、美味しそうにマサラに染まったご飯を一掴み取り上げた。
小指から人差指まで、四本の指でシャベルのように掬う。親指から母指球までの部分で、落ちないようにぐっと押さえ込んで。そのまま口の方へと運んでいく。
ドライフルーツとかナッツとかをなるべく多く入れるために、結構な量になってしまっていたが。真昼は、そんなことには構わないで一気に口の中に押し込む。
基本的には、魚介類が全く入っていないパカティ・ピラヴっぽい味だった。口の中に含んだ瞬間に、突風みたいにしてどわーっと広がるスパイスの味。もしも服とかにこぼしてしまったら、洗っても洗っても絶対にとれないんじゃないかと思ってしまうほどに強烈なカリーの印象。
ただ、単純にパカティの味というわけではない。舌の上で分解してみると、それはかなり複雑な構成要素から成り立っている一種の芸術であるということに気が付く。パカティといえば辛み、刺激感を真っ先に思い付くが。それだけではない、清涼感と芳香感と、それに僅かに混ざっている苦味。それらの全てが、ゆったりとまろやかななまめかしい香りによってまとめられた、惨たらしい爆発なのだ。普通、下手な料理人がマサラを調合すると、どことなく薬っぽい嫌な味が残るものだが。このご飯には、そんな味は欠片も残らなかった。むしろ、身体を突き刺す麻酔針、それを溶かした泥濘の底の底。沈んでいくような軽い恍惚さえ感じるくらいだ。
味だけではない、食感も非常に面白かった。ナッツ類、これは、タンガリ・バーザールで真昼がデニーに買って貰ったナッツ類と同じような種類の物だったのだが、そういった種子に特有の胚、あるいは胚乳の甘さ。植物性の脂肪のざっくりとした甘みが、かしゅかしゅきしゃきしゃという歯応えとともに、米の柔らかい甘みと混じり合う。
そして、ドライフルーツだ。小さな小さな、レーズンに似た赤い木の実。たぶん枸杞の実だろうと思われる木の実がぱらぱらと散らされて入っているのだが。ドライフルーツに特有の濃縮された瑞々しさ、あるいは食物繊維の絡み合ったしゃりしゃりとした歯触り。そういった感覚が、草原に咲く一輪の白花のような爽やかさを加えている。
幾つも幾つもの、大胆と感じるほどに衝撃的な感覚が。非常に繊細なフォーミュレーションによって、このご飯に焦点している。真昼は、その驚くべき結晶物を、咀嚼し、嚥下し、それから指先についた米粒を舐め取る。
肉塊だけでこれだけ美味い。
ご飯だけでこれだけ美味い。
それならば。
この二つを。
一緒に食べたら。
真昼は、三度目、皿に向かって手を伸ばした。今度は、まずは肉の塊に手を伸ばす。人差指・中指・薬指の三本で、肉の欠片を抉り取ると。そのまま、手を下にずらしていって、親指で掬い取るようにご飯を手のひらに収める。これで、手の中には、肉と飯と、その二つともが握られることになったということだ。
ぎゅっと、お寿司でも握るようなやり方で握り込んだ全体を、一気に口の中に放り込んだ。これは、これは、つまり……ホリスティック! そう、この一掴みから真昼が感じ取ったのは、全体性・完全性だ。
個々の味についてはいいだろう、ここまででさんざん書いてきたその内容と変わらない。ただ……どろどろに溶けた肉が、べったりと、米と米との間に浸透していって。取り返しがつかないほどに脂質が塩分と混ざり合う。そこに、ナッツの、あるいはドライフルーツの糖分がさらさらと爽快感を加えてくれて……まさに、味覚の完成であった。
要するに、デニーちゃんっぽくいうのであれば、とってもおいしー!ということだ。真昼ちゃんは、既に、言語的感覚というよりも動物的な欲望によって食事を進めていたのだが。そんな真昼の頭蓋骨の中にも、色鮮やかに弄ばれた象徴的絵画のような、そんな印象を刻み込むような素晴らしい料理。
真昼は次から次へと手を伸ばして、皿の上の物を掴んでは口の中へと運んでいく。さっき口の中に入れて、まだ飲み込んでいない分が残っているにも拘わらず、次の一掴みを口の中に詰め込むといった具合である。
そんな有様だからたまに喉の奥に詰まらせそうになる。まあ、詰まっても大した影響はないのだが、それでも、左手でどんどんと胸を叩きながら、米粒まみれの右手でコップを持って、慌ててヨーガズを流し込む。
ああ、左手も使えれば! 左手も使えれば、二倍の速度で料理を運ぶことが出来るのに。まあ、一度に飲み込むことが出来る量からいって、食べる速度が二倍になるとまではいえないだろうが。それでも、真昼は、もどかしく思ってしまうほどにがつがつと食べていた。そんなこんなで、みるみるうちに、皿の上にあった料理は減少していって。五分も経たないうちに、綺麗さっぱり真昼の胃袋に納まってしまった。
いや、その……真昼ちゃん? 大丈夫? すごい量あったけど、あれ、全部食べたの? さっき食べたやつ、肉料理だけじゃなくてサラダとかスープとかそういうのも含めてだけど、あんなたくさん食べて……お腹破けちゃわないですかね?
と、不安になってきてしまいかねないほどの量を食べた真昼であったが。実際には、お腹が破れるどころか、お腹が膨らむということさえなかった。そのほとんどの部分が、凄まじい勢いで消化吸収されることによって、真昼の血肉、あるいはその血肉を作るためのエネルギーになっていたのだ。
真昼は、魔学的エネルギーによって自らを機能するためのエネルギーとすることも出来ていたが、食料から獲得したエネルギーを利用することも出来た。となると、造血時に使うエネルギーはもちろん、これほどの速さで消化吸収するためのエネルギーも必要になってくるのであって。食っても食っても使い道はなくならない、むしろ足りないというくらいなのだった。
そんなわけで。
真昼ちゃんは。
これほど食べても。
まだ、せいぜい。
腹八分目という。
程度だった。
食べ終えて、皿の上に残っていた欠片・破片についても丁寧に舐め終えた真昼は……ふと、少し、気になることがあった。それは、テーブルの上、そこら辺においておいた骨についてだ。人間の足の骨、もちろん、ついていた肉は歯の先で削ぎ落としていたし、それに関節と関節とを繋いでいた軟骨も残らず食い尽くしていたのだが。残された骨、その断面からは、たらたらと液体が滴っていた。それは、料理に使われたソースではない。骨髄の液だ。
骨髄は、血液細胞を作り出すもととなる造血幹細胞を含んでいる。ということは、血液が不足している真昼にとって、非常に有益な栄養素を含んでいるということだ。もちろん、ろくに学校に通っていなかった真昼は、そのことについては知らなかったが。とはいえ、なんとなく栄養がありそうだという印象はあった。
それに、確か……暫くの間、寄生するように住んでいた、名前も覚えていない男の家で見たテレビ番組。骨髄について、何かをいっていた気がする。確か、牛骨髄を専門で扱っているレストランの話だ。骨髄をそのまま炙ったステーキに、じっくりと煮込んだ骨髄を溶かし込んだヌードル。その時の真昼は、男の腕の中で怠惰に満たされた性欲のせいで、そのような情報に対してさしたる興味を抱かなかった。
真昼は、セックスの後には甘ったるいアイスクリームを貪るように食べたくなるタイプなのだ。そのテレビを見ていた時も、冷蔵庫から勝手に取り出したアイスクリームを食べていたのだが。どちらにせよ、あんまり、ステーキだとかヌードルだとか、そういうヘビーなものを食べたいという気持ちにはならなかったのだ。ただ、今の真昼は違う。そういう物に興味津々である。
骨髄って、そんなに。
美味しいのだろうか。
一番大きい骨、脛骨を持ち上げた。右手だけでなく左手でも触れそうになるが、ふと気が付いて、上げた左手をすぐにテーブルの上に下ろす。右手に持った脛骨、暫くの間、色々な角度から眺めていたのだが。やがて、口元まで持ってくる。
歯を立てる。そっと、右の犬歯を。ほんの少し力を入れる。今の真昼にはほんの少しの力でも、それは人間という種類の生き物が出しうる最大限の力にほぼ等しい。だから脛骨はすぐに割れた。綺麗な綺麗な割れ口をして真っ二つに割れた。
思っていたのとは、少し違った。真昼がテレビで見た骨髄は、ふるふると柔らかいゼリー状の物体だったのだが。その脛骨には、そのようなものは入ってらず、すかすかになった骨細胞の網目の中に、透明な液体が満たされているだけだった。あーと、これは……たぶん、長く煮込み過ぎたせいで、ほとんどの骨髄が溶けて流れ出してしまったのだろう。真昼はなんだかがっかりしてしまったが、とにかく、底に溜まっている液体を舐めてみることにした。
舐めるというよりも……真昼は、骨に口をつけて。ちゅるちゅると、液体を吸ってみた。口の中に入り込んでくるのは、なんとはなしにとろみがかった、ぬるまったい液体であって。なんというか、表現しがたい精妙な味がした。
まずは、圧倒的な旨味だ。しかも、塩辛さだとか甘さだとか、そういったものに邪魔されない純粋な旨味である。頬が痺れるようなその味の後にやってくるのは、ざらざらとした骨っぽい味だ。細かい骨の粒子が髄液に溶け込んでいるのだろう。全体的にいうと、期待してたほど美味しいわけではないが、クソ不味くて食えたもんじゃないというほどでもないという感じだった。とにかく旨味がヤバい。
まあ、そんな積極的に食べるほどではないのだが。一度食べ始めてしまった人骨、観念が持つ慣性力のようなものによって、真昼の中では、次第に次第に、「ただの物質」から「食べ物」として認識がスライドしていく。そうなると、真昼の性格上、もう残すことは出来ない。もったいないと感じてしまうのだ。
中に残っている溶けた骨髄をべろべろと舐めていたのだが。やがて、ふとした拍子に、人骨における比較的固い部分、海綿骨の部分に歯を立ててしまう。と……よほど長いこと煮込んでいたせいで、柔らかくなっていたのだろう。歯の先で、その部分は、ぽろぽろと崩れる。
ああ、これ、食べられるんだ。そういえば、魚の骨も食べようと思えば食べられるしな。真昼は……本質的に不器用な人間なので。まだ、月光国にいた頃、丸ごとの焼き魚とかを出されると、もう何もかも面倒になってしまって、小骨とかそういうのを取らずに食べてしまうということがあった。一度、男を見つけるための飲み会、お通しで秋刀魚が丸々一匹ただ焼いただけの状態で出てきたことがあった。まあ、そりゃあ、鱗をとったり切れ目を入れたり、そういうことはしてありましたがね。とにかく、頭も骨も内臓も取っていない状態だ。そんな状態で出てきた時、真昼は、あまりにも全てが面倒になってしまって、頭から丸ごといっちまったことがあったものだ。頭蓋骨も、脊髄も、尻尾も、全部を噛み砕いて飲み込んでしまった。
そういえば、今から考えるとあのお通しいくらだったんだ……? 秋刀魚なんて、高くたって一匹百いくらだから、そんなしなかったとは思うけど……それはそれとして、秋刀魚の骨だって食べられたのだから、人間の骨もやはり食べられないわけがないのだ。
切断面に歯を立てて、がりがりと、内側の海綿骨の部分を削り取っていく。うーん、美味いか美味くないかでいえば全然美味くないな。別に、ソースの味が染み込んでいるとか、そういうことはなくて。なんとなくざらざらとした灰を食べているような感覚。喉の奥で詰まってしまいそうな味。
そのうち海綿骨の部分を食べ終わって、皮質骨だけが残される。骨の中でも一番固い、というか、頑丈な部分だ。真昼は……もしかして、これも食べられるんじゃない? と思い始める。試しに歯を立ててみると、案外にも……ぱりぱりと、木の皮を引き裂くみたいにして、すぐに噛み切れた。
奥歯で噛んで、硬い硬い干し肉を食いちぎるみたいにして。まあ、一番外側の部分だから、ソースの匂いみたいなものはそこはかとなく感じられるが。ただ、やはり、そこまでしっかりとした味がするわけではない。はっきりいってボール紙を食べているみたいだ。それでも、食えないというわけではない。
がり。
がり。
がり。
真昼は。
口の中で。
磨り潰すみたいに。
その骨を、食べて。
結局、真昼は、脛骨の全部を食べ終えてしまった。果たして、真昼のその行為にはなんの意味があったのだろうか? 一人の人間が、一人の人間の骨髄を舐め取って。そして、その外側の、骨そのものまで食べるということには、いかなる意味があったのか。もちろん、そこには意味がない。そこに働いていたのは、ただただ慣性だけだ。そして、慣性とは法則の一つである。絶対的法則であり、変えることが出来ないもの。外的な必然性だ。そこには……真昼の、内的な揺らぎ、内的な偶然性は、一切介在してはいない。要するに、何がいいたいのかといえば。それは起こることも起こらないことも出来たことではないということだ。それは、起こるべくして起こったこと。起こること以外の何も出来なかったことなのだ。
重要なのは……サンダルバニー・セオリー。仮に、一つの時点での現実を改変してしまえば。その改変はその時点の後だけではなく、その時点の前にも影響するということ。これまで起きた全てのことは、これから起きる全てのことは、現在の絶対性と完全に等しい。現在が絶対である限り、過去も、未来も、やはり絶対なのだ。そこに、偶然は、絶対に介在しない。人間には計り知れない。世界は揺らがない。
つまり。
救済は。
自力によっては。
なし得ない。
なんにせよ、真昼は脛骨を胃袋に納め終わって。それから、他の骨も食べることにした。先ほども書いた通り、骨は、さして美味くはない。ただ、それでも、食えない部分ではない。それに、真昼は栄養のことなんて全然知らないので断言は出来ないのだが、そこそこ栄養がありそうな気もする。少なくとも人間の骨なのだから人間の骨のもととなる物質は含まれているだろう。それならば、残すのは、真昼的にはもったいない気がする。
脛骨よりも細く短い腓骨を平らげて。距骨、踵骨、舟状骨、立方骨、と、飴玉のように噛み砕いて。中足骨から先、指の骨を一本一本口の中に放り込んでいく。親指の骨、人差指の骨、中指の骨、薬指の骨。足の指でも人差指っていうのってなんだか間が抜けてるなと思いながら、最後の一つ、小指の基節骨から末節骨までの部分を、自分の手、中指と親指とで、テーブルの上から拾い上げて。そして、あーっと開いた口、えろりと出した舌の上、ぽとりと落とす。がり、がり、がり、と噛み砕く。
これで。
テーブルの上にあった。
人間、だったものは。
全部、食い終わった。
わけですが。
またまた、ジャスト・タイミング。見計らったように完璧な時機にてアミーンがやってきた。やけにでかい薬缶、舞龍の卵くらいの大きさがある薬缶を持って、デニーと真昼とが席に着いているテーブルまでやってくる。
「ドウヨー、サナガラサン。食ッタ食ッタ、シタ?」とかなんとか言いながら、真昼の目の前に置かれたコップに薬缶の中の物を注いでいく。それは、まあ、ヨーガズで。真昼は、コップのヨーガズをほとんど飲み干してしまっていたので、ありがたいといえばありがたいサービスだった。これ、飲み放題なのかな?
アミーンの言葉、どうも文脈から「お食事の内容にはご満足頂けましたでしょうか」という意味なのではないかと推測して。真昼は「はあ、大変結構でした」と答える。「ケッコウ?」「えーと、大変食った食ったしました」「ハッハッハ! ソレハ良カッタンジャナイノー!」。
正直な話をさせて貰うと……さほど、満足だというわけではなかった。お腹の具合は先ほども書いたように満腹と空腹との中間くらいの感じだったし。それに、さっきのデニーの話によれば、まだなんかくるんじゃなかったっけ? ほら、あのテージャサ・マサラとかいうやつ。
そんな真昼の疑問、頭蓋骨の中まで見通しているかのように。デニーが「あれあれー?」と疑問形の声を上げた。「これで、おしまいなの?」「ハイハイ、ソーデスヨ、ふーつサン」「テージャサ・マサラはあ? このお店で、いーっちばん大人気なお料理じゃないですか!」「アアー、ソレネー? モーシワケアリマセンモーシワケアリマセン。仕入レタ人間ノノーミソ、オ昼ノ分デ終ワッチャッタヨー。人間ノノーミソハ量ガ少ナイシ、ソレニメチャメチャ腐リヤスイネ。ソレユエニ、テージャサ・マサラ、ソンナニ作レナイヨ。ソレユエニ、スグニ無クナチャウネー。ツマリネ、ワタシ、言ッテルコトハ、今日ノ分ハオ終イッテコト。モーシワケアリマセンモーシワケアリマセン、本当、斬鬼ノ念ニ堪エナイヨー」。
え? この人、「斬鬼の念」って言った? なんでそんな難しい言葉知ってんの? と、思ってしまった真昼だったが。それはそれとして、テージャサ・マサラなる料理は、今日は売り切れということらしい。「ええー! もう残ってないのお!?」「ウンウン、残ッテナイネ」「んあー、そーなんだあ……すっごくすっごくすーっごくざんねーん」。
デニーは、アミーンの言葉を聞いて、本当の本当に落胆しているようだった。少なくとも、真昼にはそう見えた。デニーが、ここまで真実味を帯びて落胆しているところなんて……真昼は、今まで、見たことがあっただろうか。確かに、何度か、がっかりしているところは見たことがある。ただし、それらの全ては、なんとなく芝居じみていたというか、わざとらしいところがあった。そもそも、デニーのように強く賢い生き物にとって、自分の思い通りにいかないということがほとんどあり得ないことなのであるからして、それも当然といえば当然の話だ。
しかしながら、今のデニーは心の底からがっかりしていた。ほへーっと溜め息をついて、すぽけんと肩を落として。心なしか、その頭を覆い隠しているフードさえもふにゃふにゃと元気がないように見えるくらいだ。
そ、そこまで期待してたの……? 真昼は、そんなデニーの様子を見て、テージャサ・マサラなる料理に俄然興味が湧いてきた。デニーにこここまでディスアポインテッドな態度を取らせるなんて。どんな代物なのか。
ちょっとだけ。
食べてみたく。
ないわけでは。
ない。
「ねえ」「なあに、真昼ちゃん」「その、テージャサ・マサラってやつさ」「うん」「人間の脳味噌を使った料理なわけ?」「そうそう」「それで、つまり、人間の脳味噌がないから作れないって話だよね」「そのとーりだよお」「あのさ」「なあに、真昼ちゃん」「それ、人間の脳味噌があったら、今から作れんの?」。
デニーは、その問い掛けには答えないで。フードの奥の目、ちらりとアミーンに向けながら「どーお、アミーンちゃん」と言う。アミーンは、問い掛けに対して、例のアーガミパータ特有の肯定を意味するジェスチュア、首を軽く左右に揺らすジェスチュアをしながら。「作レルヨ作レルヨー、全然作レルヨー」と答える。それから、「アアー! 時間、ソコソコ掛カルカモネ」と付け加える。
真昼は、その答えに、暫くの間、考える。軽く握った右手、人差指だけを柔らかく突き出して、その第二関節を前の歯で噛みながら。椅子の背凭れにぐうーっと寄り掛かって、自分の中の考えをまとめる。
うーん、いやー、でもなー。確かに食べたいけど、そこまですることかなー。あー、でも、今食べとかないともう食べらんないかもしれないしなー。まー、まー、何事も経験っていうしね。ま、いっか。
と。
真昼は。
淡く開いた口から。
人差し指を離して。
「あのさ、デナム・フーツ。」
「なになに、真昼ちゃん。」
「これ、使えんじゃない?」
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