第三部パラダイス #3

 そういえば、ここまで何度も何度もヴェケボサンという種族について触れてきてはいたが、それがどういう生き物なのかという具体的な形状については一切触れていなかったような気がする。ヴェケボサンは高等知的生命体の中では非常に人間に近い種族のうちの一種である。なにせ哺乳類なのだ。

 食肉目、いわゆるネコ目に属している。全体として、大型の猫と大型の犬と、それに熊とを合わせたような感じである。それが人間のように二足歩行の生き物になった姿だ。いうまでもないことであるが、高度な把持性を持つ生き物のうちの一種である。

 ただ、そういう基本的なフォーマットは共通しているのだが、それぞれの生息している地域、もしくはどのような社会的階級に所属しているかによって詳細な形状が異なってくる。前者は、無論、環境によって自然に分化した特徴であるが。後者はその社会的階級が果たすべき役割に適応するようにとアーティフィシャルに作り変えられたものだ。

 例えば、寒い地方に生息しているヴェケボサンは長毛種が多いし、暑い地方に生息しているヴェケボサンには短毛種が多い。あるいは、戦士としての階級に所属しているヴェケボサンは、がっしりとした大柄な体つき、それに相手を威嚇するような鬣を生やしている場合が多い。一方で、暗殺者としての階級に所属しているヴェケボサンは、闇夜に目立たない黒い色の毛を有し、全身はほっそりとした優美なしなやかさでまとまっている。

 ヴェケボサンはエオストラケルタ大陸の中心部分、茫漠として広がる荒野で発生した種族だという。今では中央ヴェケボサニアと呼ばれている地域である。そこに住んでいたネコ目の生き物、これが樹上生活を中心としていた生き物であったらしいのだが、中央ヴェケボサニアがだんだんと沙漠化していくにつれて、樹上棲から地上棲に適応していく。その過程で、現在のような二足歩行出来る体を手に入れたというのが通説である。

 それでは、ヴェケボサンはマホウ族ではなくナシマホウ族なのであろうか? ここが、ヴェケボサンという種族を理解する上で最も難しいところなのだが、ヴェケボサンはナシマホウ族ではなくマホウ族である。

 基本的に、ナシマホウ界で生まれたせいで、魔学的エネルギーに対する適性が相対的に低い生き物のことをナシマホウ族と呼ぶ。そして、マホウ界で生まれたために魔学的エネルギーに対する適性が相対的に高い生き物をマホウ族と呼ぶ。それでは、ナシマホウ界で生まれたヴェケボサンが、なぜマホウ族になりうるのか?

 そのことについて詳しく説明するとすると、一つの壮大な神話が始まってしまうので、ここでは省略するのだが。簡単にいうと、ヴェケボサンが発生した当時の借星では、宇宙からやってきた八柱の神々と借星にもともといた神々との戦争が行われていたのである。そして、その戦いを有利に進めるために、借星にもともといた神々が中央ヴェケボサニアを中心としてマホウ界とナシマホウ界とを接続していたのだ。そのせいでヴェケボサンは、マホウ界とほとんど同じ程度の魔学的エネルギーで満たされた環境で進化していくことになったというわけだ。しかもそれだけではなく、神々と神々との間の戦争に際して膨大な魔学的エネルギーがその地域に放出され、そういったものの影響をもろに受けてしまったという事情も関わっている。

 ということで、ヴェケボサンは正確にいえばナシマホウ界とマホウ界との接続地点で発生した種だということだ。その後、ナシマホウ界とマホウ界との双方に向かって爆発的に繁栄していった。普通であれば、このようにナシマホウ界とマホウ界とで別れて進化した場合、それぞれがそれぞれの世界に適応した種へと分化していくものだ。ホモ・サピエンスとホモ・マギクスとがその典型的な例であるが、けれどもヴェケボサンはそうはならなかった。

 なぜなら、ヴェケボサンは、進化のかなり早い段階で高等知的生命体にまで到達していたからだ。そのため、概念平面間の断層を移動する手段を早々に発見しており、ナシマホウ界とマホウ界との間で種の断絶が起こらなかったのである。

 このようにしてヴェケボサンはマホウ族として進化したわけだが。マホウ族である以上、魔学的エネルギーに最適化した身体を有しているわけだ。このような最適化はそれぞれのマホウ族によって変わってくるが、ヴェケボサンの場合はいわゆるスピリタス・アニマリスがそれに関係してくる。

 スピリタス・アニマリスは共通語においては動物生気と訳されている。ちなみに、animalisという単語は本来はパンピュリア語におけるanemosを語源としており、これは生命体の外的世界と内的世界との協力的関係性を意味する言葉である。一方でspiritusの語源はホビット語のspiroであり、これもやはりanemosと同じ意味を表わす。つまり、スピリタスもアニマリスも語源的には全く同じ意味の言葉だったのだ。ただ、それが後世の使い分けによって「動物」と「生気」と、全く違う意味合いの言葉になってしまったというわけである。

 まあ、そういう話は今の話とあんまり関係ないのだが、とにかく、ヴェケボサンは、グラディバーンと同じように、自分の外的世界から自分の内的世界へと魔学的エネルギーを取り込むことが出来る。ただし、グラディバーンの場合はそういった魔学的エネルギーを神力嚢にためてセミフォルテアとして吐き出すが、ヴェケボサンの場合は、それを自分の身体の強化に使うのだ。

 ヴェケボサンの全身には、オルガニカ・プシコロジカと呼ばれる循環器官が張り巡らされている。ヴェケボサンは、まず、自分の身体に取り込んだ魔学的エネルギーを動物生気に変換する。これは、例えば「思考能力を強化する」だとか「身体能力を強化する」だとか、そういう非常に原始的なレベルまで純粋化したところの観念のことである。そして、そのような観念を、オルガニカ・プシコロジカを通じて自分の身体に行き渡らせることで、普通の生き物には不可能な能力を発揮するということだ。

 これがヴェケボサンが高等知的生命体であるところの所以である。通常の状態のヴェケボサンは、下等知的生命体、せいぜいが中等知的生命体程度の知性しか有していない。だが、この動物生気によって思考能力を強化することで、デウス・ダイモニカスと同じほどの、いや、場合によってはデウス・デミウルゴスと同じほどの知性を使うことが出来るのだ。

 ヴェケボサンの生態については。

 このくらいに、しておきまして。

 ヴェケボサンには雌しかいないとかユニコーンとめちゃめちゃ仲が悪いとかそういうのは前にも書いたし繰り返さなくてもいいですよね? 何はともあれ、デニーが指差した先にいたのはヴェケボサンであった。恐らくは……西アーガミパータの中部は、その大部分に乾燥した低木地帯が広がっているのだが、そのあたりに生息しているヴェケボサンだろう。その中でも戦士階級に違いない、とはいっても、さほど階級が高いようには見えないが。

 人間よりは遥かにがっしりした体躯ではあるが、ヴェケボサンとしてはかなりほっそりとしている。これは、あまり横幅が大き過ぎると、低木と低木との間を移動するのに不利だからである。アーガミパータ種のほとんどがそうであるように短毛種であり、しかも、まるで天鵞絨の絨毯のように短い。毛の色自体は、枯葉で覆われた砂地と見紛うようなベージュ色。これもやはり低木地帯で有利になるように進化したものだ。身長は、ここから見てもよく分からないが、二ダブルキュビトから三ダブルキュビトまでのどこかに位置しているだろう。このくらいの階級のヴェケボサンとしては平均的な身長だ。

 特徴的なのは顔、特に耳だ。ひどく尖った耳が頭上から突き出しており、その先に、飾り物のようにして黒い毛が生えている。長さとしては十数ハーフディギトで、指先ほどの太さがある毛の束が、まるで羽のようにして、右耳では右の方向に、左耳では左の方向に、ゆらゆらと揺れている。

 目の周りにも縁取りをしたように黒い毛が生えていて。そして、目の上には、何かの儀式で描かれたかのように黒い毛が模様になっている。右目の上は右側が閉じた不等号の形。左目の上は左側が閉じた不等号の形。

 吊り上がった目、その目つきは鋭く、月並みな表現になってしまうが一種の刃物であるかのように周囲を睥睨する。逆三角形を象ったかのようにシャープな顎、そこにある口は野蛮そうな牙を隠そうともしていない。

 そして、𨪷で出来た武器を持ち𨪷で出来た防具を身に着けてた。𨪷というのは……こう書いて「かい」と読む、金属の一種である。ナシマホウ界に生きている人々にとってはあまり馴染みがない金属かもしれないが、マホウ界では鉄と同じくらいポピュラーな金属だ。赤イヴェール合金ほどの耐魔性があるわけではないが、魔学的エネルギーとの相性はそれなりに悪くない。加工が容易で、それに何よりマホウ界では鉄と同じくらい大量に産出される。そのため、日用品から兵器まで幅広く加工される。

 基本的には鉄と同じような感じだが、𨪷のほうが白い色が強い。それだけでなく、なんとなく眩しい感じがする。ただ、ディヴァイナイズド・シルバーなどと比べてしまうと随分と鈍重な輝きではあるが。

 そのような金属で作られた武器はどのようなものかというと、簡単にいえば戦鎚であった。一般的に、ヴェケボサンは遊動民的な性質を有しているので、弓矢や銃砲などの遠隔武器を得意としているのだが。このような街中ではそうもいっていられないらしい。ヴェケボサンが的を外すわけがないが、近接武器の方が障害物を薙ぎ払う上で便利であることは間違いない。とはいえ、刀剣のたぐいはあまり信頼出来ない。ああいう武器は錆びると使い物にならなくなってしまうし、それに屠獅子刀のような物は別として、ヴェケボサンの本気の斬撃に耐え切れず折れてしまわないとも限らないからだ。というわけで、ヴェケボサンが使うのは、このような戦鎚か、あるいは戦斧という辺りに落ち着くのだ。

 片側がハンマーになっていて、もう片側がピックになっている。そして、そのような金属の塊、ヘッドの部分には魔学式が刻まれていた。この魔学式はヴェケボサンに特有の魔学式であり、いわゆる「一体化」の魔学式と呼ばれているものだ。この魔学式を刻まれている物質は、その析出者と一体化するのである。とはいっても、析出者と物質とが融合してしまうというわけではない。そうではなく、析出者が、その物質に、自らの動物生気を送り込めるようになるのである。それによって、あたかも自らの身体を強化するかのように物質を強化することが出来るというわけだ。

 一方で、防具の方であるが。ごくごく普通の、遊動民風の鎧に見えるものであった。体の大部分を金属のプレートで覆っていて、主要な関節部分を金属の帷子にしているタイプの鎧だ。ただ、奇妙なところがないわけではなかった。例えば、その鎧が覆っているのは上半身だけだったし。それに何より、最も重要な頭部を守る物は何もなかった。兜のたぐいをかぶっていなかったのだ。

 これはナシマホウ界に生きる人々にとっては少し理解しにくいかもしれないが、そもそもの話として、ヴェケボサンの防具にとって一番重要なのは鎧そのものではない。𨪷は、確かに鉄と同じくらいの硬度がある金属ではあるが。そんなことをいったら成人したヴェケボサンの肉体もそれくらいの頑丈さはあるのだ。なので、𨪷で作った鎧などはさしたる防御性を持つものではない。

 重要なのは、その鎧に刻まれた魔学式によって発生させるところの結界なのである。鎧には、幾つかの種類の魔学式が刻まれていて。それぞれのタイミングに従って、最適な結界を発生させるのだ。それこそがヴェケボサンにとっての防具なのである。ちなみに、過去のある時点においては、自らの肉体に直接魔学式を刻んでいたらしいが。そうすると、別の魔学式を書こうとする際に、一度、魔学式を刻んだ皮を剥いでしまわないといけなくなる。それには手間がかかるので、取り換えが利く上にそれなりに頑丈であるところの鎧を着るようにしたということだ。

 そんな武具を装備した。

 ヴェケボサン、二人。

 ヒクイジシに乗って。

 道を。

 こちらに向かって。

 進んでくる。

 ちなみにヒクイジシというのは、面倒な説明をとっぱらって一言でいうとすればグラディバーンの獅子版だ。ヒクイジシは、ヴェケボサンとほぼ同じ時期に、ほぼ同じ場所で、恐らくは同じ祖先から進化したであろうといわれている動物であるが。ヴェケボサンが高等知的生命体に進化したのとは対照的に、より獣的に、より凶暴に、四足の動物として進化をしたのがヒクイジシだ。

 見た目は大型の猫だ。ただし、ライオンや虎や、そういった生き物よりもかなり大きい。三ダブルキュビト近くあるヴェケボサンを、馬が人間を乗せるように軽々と乗せてしまう。また、口や顎や、そういった部分も、より戦闘に適した形に進化している。目から鼻先までの距離は長くなり、額も直線的である。猫というよりも、どちらかといえば鰐のような生き物を想像させるくらいの顔立ちである。両方の前脚は、獲物を捕らえ押さえ付けやすくするために、より長くより器用に変化している。

 そして、一番の特徴は、その名が示す通り、常に口内に炎のようなものを宿しているということである。呼吸をするたびに、ごう、ごう、と口から灼熱が漏れ出す。これは、もちろんセミフォルテアの炎である。ヒクイジシはグラディバーンと同じように体内に神力嚢を有しており(といっても同じ起源のものではなく収斂進化の結果だが)、そこに溜めたセミフォルテアを吐き出すことが出来るのだ。

 本来は中央ヴェケボサニアのような砂漠地帯に住む生き物なのであるが、その好戦的性格、あるいは、野蛮そのものといった見た目に似合わぬ冷徹な知性、そういった特徴を買われて。ヴェケボサンにとっての乗用動物として、ヴェケボサンが生息する場所であれば、必ずヒクイジシも飼育されているという状況である。

 二匹のヒクイジシと。

 二人のヴェケボサンと。

 先ほども書いたように。

 「こちら」に向かって。

 進んで来ている。

 そう、間違いなくあの二人のヴェケボサンが目的としているのはデニーと真昼とであった。というか、ほぼ確実に真昼は関係ないので、デニーを目的としているということだ。

 デニーは、くるりと、あどけない足取りで振り返った。右の足を軸足にして、スーツの裾を翻しながら振り返る、あの振り返り方である。それとともに、真昼も同じ方を向く。

 二人は。

 立ち止まる。

 そして。

 二人を。

 待ち受ける。

「あれって、ヴェケボサン?」

「うんうん、そーだね。」

「ヴェケボサンの、衛兵?」

「そーゆーことだよ。」

「ねえ、あんた、さっきさ、この街はカっていう神が支配している、みたいなこと言っていたよね。でも、あれがヴェケボサンの衛兵なら……あたしの勘違いじゃなければ、衛兵って、この街の秩序を守ってる連中ってことだよね。月光国でいうと警察官みたいな連中ってこと。そうだとすれば、ヴェケボサンがそういうことやってる以上は、この街はヴェケボサンの支配下にあるってことじゃないの。ねえ、ええと、あたしの知ってる限りでってことだけど、ヴェケボサンはヴェケボサン以外の支配者を、絶対に認めないはずだけど。それとも、そのカっていう神は、ヴェケボサンを支配出来るくらいに凄い神ってわけ?」

「んー、ちょーっとだけ、みすあんだすたーんでぃんぐがあったみたいだね。カは、別にここを支配してるわけじゃないよ。少なくとも、今、真昼ちゃんが言ったような意味ではね。カは、ここで適用されるべーしっくな律法をばばーんってしただけで、直接的にがばーんってしてるわけじゃないんだよー。

「それで、その律法っていうのが、さっきも言った通り、この街は誰によっても支配されないーってやつなんだけど。ほんとーに、それだけなんだよね。支配しなければ、何をしてもいいの。誰かを殺しちゃったりしてもいいし、誰かから何かを盗んだりしてもぜーんぜんだいじょーぶなの。何をしてもカの律法で裁かれることはないわけ。

「でもでも、そーゆーことだと、やっぱりちょっと物騒だよねーって話になるよね。盗賊とかが、たくさんたくさん、街に住んじゃって。そーなったら、やっぱり商人の子達も安心して売ったり買ったり出来なくなっちゃうよね。

「だから、カシュラムは、これはどこのカシュラムもそうなんだけど、衛兵を置いてるの。そういう衛兵は、そのカシュラムから一番近い地域を支配している支配者から、うーん、きょーしゅつ? ていきょー? そんな感じで、その支配者が、街の治安を守ることになってるんだね。

「そもそもさーあ、カのことを知ってるのは「カのゲーム」に参加したことがある誰かさんだけだから。それで、「カのゲーム」に参加出来るのは、そーゆー支配者さんみたいにとってもとってもとーっても強い誰かさんだけなんだよね。

「だから、カシュラムが実際にどうゆー場所なのかーっていうことは、ほとんどだーれも知らないって感じなの。そうだとすれば、こーやって目に見える形の衛兵がいないと、みんなみんな、好き勝手してもいいって思っちゃうでしょお。

「そ、れ、で! ここから一番近い地域を支配しているのはヴェケボサンだから、ここの治安を守ってるのもヴェケボサンなんだーってわけだよ。んあー、っていっても……やってることは、衛兵を常駐させてることくらいなんだけどね。

「あくまでも治安を守ってるだけで、支配をしてるってわけじゃないんだよ。例えば、街の公共財の管理だとかは、それぞれの地区のシュレーニの子達がやってるし。えーと、シュレーニっていうのは、んー、職人組合みたいなものかな。ヴァルナとジャーティとが関係してくるから、もーちょっとだけ複雑なんだけどね。シュレーニが会議を開いて、ジュイェーシュタカっていう代表者を決定して。その代表者が管理をしてるわけだね。

「そーゆー感じで、カシュラムは、色々な集団がそれぞれのお仕事をしてて、それでおーるぐりーんってなってる感じなんだね。誰かさんがたった一人で支配してるんじゃなくて、だーれも支配していない中で、いい感じになってるの。そーゆーこと! 分かった、真昼ちゃん?」

 真昼は。

 少し、だけ。

 首を傾げて。

「前から言おうと思ってたんだけどさ。」

「んー? なぁに?」

「お前、いちいち話が長いんだよ。」

 と、まあ。

 デニーと、真昼とが。

 そんなこと。

 話している。

 うちに。

 二人のヴェケボサンは、いつの間にかデニーと真昼と、こちら側の二人の目の前までやってきていた。ヴェケボサンという生き物は……もちろん、真昼は、今まで図鑑の中に収録されている写真でしか見たことがなかったのだが。実際に、このようにして、目の前にしてみると。ああ、これほどまでに上位の生き物なのかと思ってしまった。

 この生き物を目の前にすると、人間が猿から進化したということがよく分かる。圧倒的な現実として、所詮は人間が被食者であるという事実が叩きつけられる感じなのだ。

 口から炎を滴らせるヒクイジシの上、まさに捕食者としての態度で騎乗しているヴェケボサンがこちらを見下ろしている。巨大な筋肉の塊が、それでも氷河のように鋭い。

 恐らく、だだっ広い草原の中でライオンを目にしたザヴァナ・モンキーの気持ちがまさにこれなのだろう。ただ、とはいえ……真昼は恐れていたわけではなかったのだが。

 当然だ、何を恐れる必要がある? あたしの隣にはデナム・フーツがいるのだ。デナム・フーツは、あらゆる生き物の捕食者である。デナム・フーツにとっては、ライオンなど家猫の子供も同然の生き物でしかない。頂点捕食者。緑色の目で笑う、死そのもの。そうであるのならば、ヴェケボサンごとき……しかも、今、目の前にいる、さほど階級が高くないであろうヴェケボサンごとき。一体、どうして恐れる必要があるだろうか。

 そして。

 いうまでもなく。

 二人のヴェケボサンも。

 それを。

 完全に。

 理解している。

 がふっ、がふっ、という音を立てて炎を漏らし出しながらも、二匹のヒクイジシは匂いを嗅いでいるようだった。目の前にいる生き物の、なかんずくデニーの。暫くそうしていたのだが、やがては理解したらしい、デニーがいかなる生き物なのかということを。にこにこと笑いながら、そこに立っているだけのデニー。そのデニーが何をするわけでもない間に……自然と、その体を、地面の上に這わせ始めた。

 後脚を折り、前脚を折り、そして大地の上に腹をつける。さて、それでは、その出来事に対して、二匹のヒクイジシの上に乘っていた二人のヴェケボサンはどうしたのだろうか。

 どうやらヴェケボサン達にとって、ヒクイジシがそのような行動をとるということは予想の範囲内だったようだ。というか、ヒクイジシが自ら伏せることがなかった場合、その上に乗っていたヴェケボサンがヒクイジシをそうさせていたに違いない。なぜというに、ヴェケボサン達は、全く同時に、示し合わせたかのようにして、ヒクイジシから降りたからだ。

 その魁偉なる体躯には全然似合わない、ひらひらとひらめく蝶々の羽のような瀟洒によって。ヒクイジシを跨いでいた両脚、右側に向かってひらりと舞い降りる。ちなみに右側から降りたことには深い理由はなく、ヴェケボサンが右の手に戦鎚を持っていたので、右側からの方が降りやすかったというだけの話だ。

 一歩一歩。丁寧、あるいは慇懃とさえ表現出来るであろう歩き方でこちら側に歩いてくる。そして、デニーが立っている、その目の前で立ち止まる。ちなみに、デニーの方はというと、そのようなヴェケボサンを待ち受けるかのようにして、真昼よりも一歩だけ前に進み出ていた。

 彼我の差は、その身長の差は、目を見張るものだった。片方はせいぜいが高校生の少年ぐらいの大きさしかないデニー。もう片方は二つの巨像のようにして立ち塞がっているヴェケボサン達。そうであるにも拘わらず……その構図の中で、「見下ろす」立場であるのは、間違いなくデニーであった。

 もちろん、実際は見上げていたが。これ以上ないというくらいの可愛らしさで、上目遣いに見上げているデニーであったが。それでも、ヴェケボサン達は理解していた。この現実が間違っているということを。自分達は、本来は見くだされる立場にあるのだということを。

 だから。

 その間違いを。

 正すため、に。

 ヴェケボサンは。

 デニーの足元に。

 跪いた。

 右手に持っていた戦鎚、グリップの先を、地面に向かって一気に振り下ろす。すると、大して尖っているわけでもない、そのグリップの先が地面に突き刺さる。まるで大地から戦鎚が生えているような有様になって、これで手を放しても倒れることはなくなったということだ。

 戦鎚から手を放す。そして、右膝を折って、地面の上に落とす。その右側の太腿の上に、右側の腕、肘を乗せて。それから、軽く開いた手のひらを腹の辺りに当てる。もう片方の腕、つまり左腕は、体の横に軽く触れさせるようにする。

 そのように跪いてから……ヴェケボサン達は、デニーを見上げた。いや、もちろん、三ダブルキュビト近くあるヴェケボサンが跪いても、その目線の高さは大体デニーと同じくらいにしかならないのだけれど。それでも、確かに、ヴェケボサン達はデニーを見上げていたのだ。なぜなら、ヴェケボサン達は、衛兵達は、この町の秩序を任されている者として……デニーに対して敬意を示さなければならなかったから。

 そうだ、衛兵達は。

 デニーのことを排除しに来たのではない。

 機嫌を損ねることなきよう。

 礼を尽くしに来たのである。

 ヴェケボサン達は、それから……何かの言葉を口にした。例によって例のごとく真昼には理解出来なかったこの言葉は、ビラーディ語と呼ばれる、この地帯一帯で使用されているアーガミパータの言葉の一つだった。

 ひどく仰々しく、ひどく長々しい、何かを読み上げているかのような話し方で話されたその言葉は、要するに挨拶であった。デニーのこと、「偉大なる」だとか「比類なき」だとか、そんな意味合いの敬称を一通り付けて、その名前を呼んだ後で。「ようこそおいで下さいました」だとかなんだとか、そういった意味のことを口にしただけのことだ。

 それに対してデニーは、いつもの通りのあどけない笑顔によって、にこーっとした笑みを浮かべると。舌先で飴玉を舐めるように甘ったるい口調によって「す、まーんがらむ!」と答えた。それから、ヴェケボサン達が使っていたのと同じビラーティ語によって一言二言を付け加える。

 この付け加えられた言葉は、二つの部分に分かれていた。まずは「ご丁寧にご挨拶頂きまして誠にありがとうございます」という意味合いのことを、かなり砕けた言葉遣いで言った部分。そして、もう一つの部分は、「デニーちゃんでいいよ」という意味合いのことを伝えるための部分である。

 なぜ、デニーが、この後者の部分をヴェケボサン達に対して伝えたのかといえば……もちろんアーガミパータ式の、例のクソ長ったらしい敬称は省略してもいいということを伝えるためでもあったのだが。それ以上に、ヴェケボサン達がデニーのことを「民のいない王」と呼んだからである。

 パンダーラが、数十年ぶりに姿を見せたデニーを呼んだ時に使った、その呼称と全く同じ呼称。まあ、ビラーティ語によって発せられた言葉であったため、真昼には意味が分からなかったのであるが……アーガミパータにおいては現在のデニーがデニーちゃんと名乗っていることを知らない者も多いようだ。まあ、あんまり外からの情報が入ってくる場所でもないしね。

 なんにせよ、そう言われたからといってなかなかデニーのことをデニーちゃんとは呼びにくいものである。というか、ヴェケボサンはその言葉を、就職活動で企業側から提示される「自由な服装でお越し下さい」という案内と同じ意味で受け取ったらしい。つまり「絶対スーツ着て来いよてめぇら」という意味で受け取ったということだ。まあ、アパレル業界とかだとちょっと話も違ってくるみたいだけどね……そういうわけで、ここから先も頑なに「民のいない王」という表現を使い続けたのであった。

 それはそれとして、ヴェケボサン達は。そんなデニーに対して、またもや何かを読み上げるような四角四面な口調によって何かを話し掛けた。ただ、先ほどの挨拶に関しては二人のヴェケボサンが同時に言葉を発していたのだが。今回のこれに関しては、ヴェケボサンのうちの一人、どうも上司的な立場にあるのだろうと思われる年長のヴェケボサンだけが口にした言葉であった。

 それがどんな意味の話であったのかといえば、要するに、「民のいない王」ともあろうお方がなぜこのような僻陬にまでいらっしゃったのかということを問い掛けたのであった。もちろん、この僻陬という意味合いの言葉は、ちょっとした謙譲として使われたのであって。ティールタ・カシュラムはそこまで辺鄙な片田舎というわけではない。それどころか、パヴァマーナ・ナンディにほど近い交通の要衝として、太古の昔から商業の中心地であり続けているくらいである。とはいえ……確かに「民のいない王」がやってくる場所としては場違いといえなくもない。

 しかも。

 アビサル・マジックを使って蘇らせた。

 ガルーダに乗ってやってきたのである。

 これは。

 警戒しない方が。

 おかしいだろう。

 例えデニーといえども、さすがにカに勝つことは出来ないだろう。だから、この街を支配しようと考えてやってきたということはあり得ない。そうではあっても、なんらかの騒乱・攪乱を起こさないとはいい切れないのだ。支配しなくとも破壊と殺戮との限りを尽くすことは出来る。そして、そういった行動は、デニーの最も好むところなのである。

 ヴェケボサン達は、衛兵としてそこら辺のことを探りに来たらしい。カガンでもバアトルでもないようなヴェケボサンが、しかもたった二人、デニーに対して何が出来るわけでもないだろうが。それでも、取り敢えずの捨て石として送り込まれたのだろう。

 幸いなことに……これはヴェケボサン達にとって幸いということだが、デニーは、別に事を荒立てに来たわけではなかった。以前にも書いたことであるが、デニーは本来、恐ろしいほど用心深い生き物なのである。あまりにも強くあまりにも賢いので、用心するほどの状況に陥ることがほとんどないために、そう見えないかもしれないが。自分の身に危険が及びかねない状況にわざわざ突っ込んでいくなどということは、百パーセントといっていい確率であり得ない。だからこの街で騒ぎを起こすようなことは絶対にしない。カから目を付けられるようなことをするわけがないのだ。

 読者の皆さん。

 ご存じの通り。

 ただ。

 世界樹の在り処について。

 その情報を、買いに来た。

 それだけだ。

 だから、デニーは、ごくごく素直にそのことを話した。自分がなんのためにここに来たのかということ、ここで派手なことをするつもりなど全くないということ。だから安心して欲しいと、ありのままに、あからさまに、ヴェケボサン達に伝えた。

 ヴェケボサン達は……名誉と体面とを重んじる戦士階級のこと、露骨にそのようなジェスチュアをして見せたわけではなかったが。それでも、明らかにほっと一安心したような雰囲気を醸し出していた。デニーと一戦交えなければいけないという悪夢は、どうやら回避することが出来たようだという雰囲気である。

 それから、また上司っぽい方のヴェケボサンが、ビラーティ語で何かしらの言葉を発した。今までとは違って、かなり簡潔であって。「なるほど、そのようなわけでしたか」「理解致しました」という感じの言葉だ。

 デニーほど強力な生き物が、たかがヴェケボサンの衛兵ごときに嘘をつくはずがないということは、ヴェケボサンのように知性ある生き物には分かり切ったことだった。嘘とは武器の一形式であり、ある生き物が別の生き物に対して武器を使うというのは、その生き物が別の生き物よりも薄弱である時だけだからである。なので、自分達のように薄弱な生き物に対して発せられた言葉は、それが真実であると考えて構わないはずだ。

 それから、ヴェケボサン達は立ち上がった。最後にまた、二人して、何かを読み上げているかのように御大層な挨拶をする。これは「「民のいない王」の繁栄、永遠に続く勝利をお祈りしています」みたいな感じの定型句である。胸の前、左手と右手と、固く固く指を組み合わせたままで。朗々と、まるで歌でも歌うようにしてその定型句を唱え終わると……衛兵による取り調べはそれでお終いらしかった。

 ヴェケボサン達は、別に、デニーに対してこれといった義務を課すことも懲罰を科すこともせずに、そのまま野放しにしておくことにしたらしい。まあ、そうするより他にしようもないだろうが……地面に突き刺していた戦鎚を取り上げてから、拝跪でもしているような姿勢のままで待機していたヒクイジシがいるところまでさっさと戻っていくと。ひらりと、やはり、その巨大な肉体に似合わぬ身軽さで飛び乗った。

 ヒクイジシは、ヴェケボサンからなんらかの合図をされたようにも見えないまま、まるでヴェケボサンの体の一部ででもあるかのようにして、ごくごく自然に立ち上がった。そのまま、ゆっくりゆっくりと反転して、デニーと真昼とがいる方向から、もと来た方向へとコースを変えると。

 衛兵達は。

 市場の。

 雑踏の。

 中へと。

 消えていったのであった。

 デニーは、ずしりずしりと音を立てて歩き去っていく二匹のヒクイジシ、その背の上に乗った二人のヴェケボサンに向かって「ばいばーい!」とでもいうように右の腕をぶんぶんと振り回していたのだが。やがて、そうすることにも飽きてしまったのか、真昼の方を振り返った。

 一歩だけ後ろにいる真昼に向かって「じゃ、行こっか」と声をかける。真昼は、いうまでもなく、その提案に言葉によって答えることはなかったのだけれど。それでも、デニーが、スキップでもしているかのような身軽さで歩き始めると。黙ってその後についていったのだった。

 「さっきもせつめーしたことだけどー、この街はね、今の子達みたいなパーリーダールの子達が、めんてなんす・おぶ・ろー・あんど・おーだー!っていう感じで色々頑張ってるんだよね。だから、真昼ちゃんが言ったみたいに、アビサル・ガルーダで街の上を飛んだりすると、そーゆーパーリーダールの子達に怒られちゃうの。だって、アビサル・ガルーダはアビサル・ガルーダでしょ? それに、デニーちゃんはデニーちゃんじゃないですかー。デニーちゃんがアビサル・ガルーダに乗って街の上を行ったり来たりしたら、なんだなんだってことになっちゃうよ。みーんなびっくりしちゃうよ。そーしたら、パーリーダールの子達も、やっぱりたいへーんってなっちゃうよね」ここで首を傾げる。右の頬、つんっとつっつくようにして、右の手の人差指で触れながら。暫く何かを考えるような素振りを見せてから、こう続ける。「っていうかさーあ、アビサル・ガルーダがずどどかーんってしたら、それだけで街の大部分が、ぽぽんって、なくなっちゃうじゃないですかー。パーリーダールの子達からしたら、デニーちゃんがアビサル・ガルーダに乗って街の上を飛んでたら、そーゆーことの心配もしなきゃいけなくなるでしょー? それはさーあ、やっぱり、パーリーダールの子達もやだなーってなっちゃうよね。だ、か、ら、そーゆーことはしないほーがいいっていうわけ!」。

 一方。

 そう言われた。

 真昼の、方は。

「なんの話してたの。」

「ほえ?」

「今、あのパーリーダールと。」

「あー、あー、そーゆーことか。」

「なんの話してたの。」

「んーとね、なんでこの街に来たんですかーって聞かれたから、世界樹についての情報を探しに来たんですよーって答えたの。それだけだよ。まあ、デニーちゃんはとーっても強くてとーっても賢いからね。そーゆー強くて賢い生き物がいきなり街に来たから、パーリーダールのみんなも、なんで街に来たんだろうって思ったんだろーね。」

 デニーの。

 後ろに。

 ついて。

 歩きながら。

 改めて街の光景に視線を向けていた。先ほど、デニーと真昼とが歩いているこの場所が一体どういう性質を持つ場所なのかということについては一通り触れた。だだ、とはいえ、街を構成している要素は、そういう場所的な要素だけではない。その街で生活しているところの生き物もそこに含まれている重要な要素なのである。そして、今、真昼が目を向けていたのは、まさにそういったなにかれであった。

 街には……様々な種類の生き物がいた。特に、知的生命体の多種多様さには目を見張るものがあった。高等知的生命体から下等知的生命体まで、マホウ界に生息する知的生命体の、かなりの種類がこの街にやってきて。それぞれがそれぞれの生活の一場面を演じているようだった。

 あまりにも多様性に溢れたこの場所は、ほとんどしっちゃかめっちゃかといってもいいような様子だったのだ。そのため、真昼は……今の今まで、いまいち現実味を持てなかった。まあ、カリ・ユガ龍王領にもそれなりの多様性はあった。だが、それは、ユニコーンだとかグリュプスだとか、そのくらいのことである。あくまでも、あの場所はナシマホウ界側だったのであって、そこに住む大半の知的生命体は人間であった。

 ここでは違う、全然違う。人間など、社会の中の一部分でしかなかった。というか、アイレム教の礼拝、サラートの時間である現時点においては、通りを歩いている人間は圧倒的少数であるといってもいいくらいだった。皆さんおうちで敬虔なことされてますからね。あまりにも、あまりにも、真昼が知っている現実とはかけ離れていたために。真昼の脳は、見ているものを、現実だと認識出来ないくらいだった。

 なんとなく、ぽーっとしてしまって。見ている全てのものが、映画の特殊効果で作られた非現実的なものであるかのように錯覚していたということだ。だから、今まで、真昼は、周りの生き物について、まともに考えることが出来なかった。

 しかしながら、ヴェケボサンを目の前にしたことで。そして、ヴェケボサンと会話をするデニーを見たことで。ようやくながら、真昼の脳髄も、現実が現実であるということを認識出来るようになったみたいだった。人間という下等な生き物は、自分と直接的に関係するようにならない限り、それをリアリティをもって認識することは出来ないのである。

 真昼が歩いている。

 この街に住む。

 信じられないほど雑多な。

 知的生命体という、現実。

 とはいっても、孤立捕食種がいるというわけではなかったが。孤立捕食種とは、例えばノスフェラトゥや舞龍や、あるいはバジリスクといったたぐいの生き物である。こういった生き物は、個体レベルであまりにも完全であるため、社会というものを営む必要がない。そのため、互いから互いを孤立させたままで、ただただ獲物を捕食するだけの生活を送るのである。孤立捕食種が社会的な関係性の中に組み込まれるのは、パンピュリア共和国のような超特殊な例を除けば、カリ=ユガ龍王領における舞龍がそうであったように、非常に強力な何者かによって強制された場合だけだ。

 また、ブンガ・ブンガのような真社会性を有する生き物もここにはいなかった。ブンガ・ブンガとはマホウ界に生息する膜翅目の生き物であり、手っ取り早くいうとすれば馬鹿でかい蜂なのだが。こういった生き物は、社会という一つのサークルが自分達だけで完結してしまっているのだ。社会を構成するあらゆる要素を自分達の内的な分化によって充足させてしまっているため、他の生き物をサークルに招待したり、その反対に他の生き物が作り出したサークルに参加したり、そういった必要がないのである。なので、交易目的で商業都市にやってくるということはあり得ない。

 あー、あとユニコーンもいないね。まあ、そりゃ、ヴェケボサンの支配地域がこれだけ近い場所にユニコーンがいるわけがありませんが。ただ、そういった当たり前といっちゃ当たり前のケースを除けば、ほとんどの知的生命体をここで見ることが出来た。

 なんか。

 まるで。

 檻のない。

 動物園みたいだ。

 特に、そういった知的生命体の中でも中心となっているのが、「高度な把持性を有する中等知的生命体」である。この表現を使えばまあお分かりになる方はお分かりになると思いますが、要するにメルフィスとダガッゼとのことだ。

 ナシマホウ界では特定の知的生命体が幅を利かせている。例えば、高等知的生命体であればヴェケボサンとユニコーンと。下等知的生命体であれば人間とグリュプスと。そして、中等知的生命体でその立場にあるのがメルフィスとダガッゼとである。

 メルフィスとは。

 いかなる。

 生き物か。

 メルフィスは、そもそも世界樹の周辺に生息しているミヒルル・メルフィスという種から分化した種である。ミヒルル・メルフィスが世界樹から離れて生活するようになったことで、もともと有していたはずの様々な能力を失い、高等知的生命体から中等知的生命体まで退化したのだ。

 簡単にいえば昆虫だ。ただ、身長が二ダブルキュビト程度ある、人間によく似た姿をした昆虫であるが。メルフィスが果たしてどの昆虫から進化したのか、それについてははっきりしたことは分かっていない。恐らく蛾の一種であろうとはいわれているのだが……その全身には様々な昆虫の特徴が表れているからである。ただし、一つだけはっきりいえることがある。それは、ブンガ・ブンガとは全く異なった進化の過程を通ってきたということである。

 メルフィスは真社会性の昆虫ではない。膜翅目や等翅目や、そういった種類の昆虫の特徴を有することがない。交尾の時以外は単独で行動する一般的な節足動物なのである。ただ、それでも、孤立捕食種というわけでもない。

 メルフィスは蛮族的性質を持つ典型的な生き物である。つまり、自らが共同体を形成したり、どこか一つの共同体に永続して所属したり、そういうことをしない。かといって、絶対に共同体に所属しないということでもない。幾つも幾つもの共同体を、次から次へと流浪して、その一生を過ごすのである。そのため、メルフィスの姿は、あらゆる共同体で見ることが出来る。

 メルフィスは繁殖の時でさえ一つの場所にとどまることをしないのだ。メルフィスは不変態昆虫であり、卵から生まれた時点で一定程度の知性・運動性を有する完全な個体だ。そのため育児を行う必要がないのだ。

 メルフィスの繁殖がどういうものなのかということは謎に包まれているのだが。どうも、繁殖期がくると、他の生き物が来ないような秘密の場所に行き、そこに卵を産み付けてそのまま放置してきてしまうらしい。

 共同体との一時的な関係を築くために、メルフィスは独自の言語を持つ。ただし、その言語はメルフィス以外の種族が理解することが出来ない。例外的に理解することが出来たとしても使用することはほぼ確実に出来ない。なぜというに、それは音声言語ではなくフェロモンによる言語だからだ。

 ということで、普段は他の種族が使用しているような音声言語を使用している。メルフィスの腹部には蝉と同じような発音器官が発達している。つまり、発音筋によって発音膜を震わせて、そうして発生させた音を共鳴室で増大させるというシステムである。その発音器官によって言葉を紡ぐのだ。それゆえに、メルフィスの声は哺乳類の声とは全く異なった音になる。なんとなく機械的な、どこまでもどこまでも響き渡る弦楽器のような音だ。

 ところで、そのようなメルフィスの全身の構造であるが……昆虫らしく、三つの部分に分かれている。頭部・胸部・腹部だ。胸部は、更に前胸・中胸・後胸に分かれている。そして、その全部が、二足歩行四羽飛行に最適化された構造になっている。

 まずは頭部から見ていこう。基本的にはハンミョウに似ている。ただし、触覚がついているのは複眼の下ではなく複眼の上であるが。二つの複眼が頭部の上方、真横というよりもやや内側についている。複眼の大きさはそこまで巨大というわけではなく、せいぜいが拳程度といったところだ。そして、その複眼と複眼との間、額の辺りに二本の触角がついている。多関節の鞭のような触覚は、しなやかに動くことで周囲の科学的・魔学的な環境の状態を把握する。長さとしては数十ハーフディギトといったところだ。また、口であるが、先ほど書いたように発音器官は喉とは別の部分にあるため、これはもっぱら食物を摂取するためだけに使用されている。口の左右にはぎざぎざとした鋸にも似た顎が突き出していて、その顎の双方が鋏のように動くようになっている。また、そこから更に奥の部分にも歯のように鋭い器官が並んでいる。このような特徴を見れば分かる通り、メルフィスの食性は、ミヒルル・メルフィスとは違い肉食寄りの雑食である。

 それから、胸部である。これは、人間でいうと胴体部分にあたる。具体的にいえば、肩から胸にかけてが前胸で、腹の辺りが中胸、腰の辺りが後胸。

 まず前胸であるが、ここに第一対の腕がある。この第一対の腕は力仕事に使われる腕であり、カマキリのそれに似た構造をしている。つまり、基節、転節、腿節、頸節、跗節と分かれている昆虫の脚において、腿節と頸節とで挟むようにしてものを持つということである。そして、跗節の部分が補助的に動くことで、まあまあ細かい作業も出来るようになっている。

 次に中胸であるが、ここには第二対の腕と、それに前翅が生えている。第二対の腕は、前胸と中胸との付け根の辺りに生えており、これは精密な作業を行うための腕である。跗節には三本の爪が生えており、跗節の付け根に長い爪が一本、それに先端に短い爪が二本。短い爪の方はかなり自由に動く。また、跗節の全体は、昆虫らしく付け根から先端までが五節に分かれているのだが。その五節は比較的短く、どちらかといえば、人間でいうところの指の関節のような役割を果たす。前翅については後翅とともに後述する。

 そして、後胸。ここには後脚と後翅とが生えている。後脚というのは、要するに二足歩行をする際に使用する部分であり、大体においては第二対の腕と同じような構造をしている。ただ、跗節の付け根に爪がなく、その先端にある二本の爪に関しては蹄のように堅固なものになっている。もちろん自由に動くようなことはない。また、五節に分かれた部分は、あたかも発条のように働くことで走行時の瞬発力に貢献している。

 さて、先ほど後回しにした前翅と、それに後翅についてであるが。これはまさしく蝶々の翅である。その大きさは、最大に開いた状態で、つまり開帳の長さで五ダブルキュビト程度。ただし、そんな風に開いた状態では邪魔で邪魔で仕方がない。それに、普通の蝶々のように背中で閉じた状態にしても、やはり場所をとってしまう。そのため、普段は、一枚布を巻き付ける服装であるかのようにして、それらの翅を全身に巻き付けているのだ。まあ、一枚布ではなく四枚布といった方が正しいかもしれないが。

 まず前翅であるが、これは腰から肩にかけて体の前で交差させるように巻き付ける。それから、翅端部を肩から背後に向かって流していくのだ。一方で後翅については、そのまま腰に巻き付けてしまう。尾状突起を先端としてくるりと一周させると、後翅の全体が、まるでスカートであるかのように優雅に靡く形になるのだ。こうして、メルフィスは自らの翅を服のように着こなす。

 メルフィスの翅、その基本的な形状や、あるいは全体が構造色によって彩られていることなど、基本的な部分は変わらない。だが、模様や色彩や、そういったことはメルフィスの出身地によって随分と変わってくる。

 また、自らの意思によって鱗粉の階層構造を調整することで、その模様をある程度操作することも可能だ。この操作によって、メルフィスは、翅に魔学式だとか魔法円だとか、そのような象徴的な記号を描き出すことが出来る。メルフィスの翅は、飛行に使うだけでなく魔法にも使えるのだ。

 また、更に。翅の全体には魔学的エネルギーを感じ取るための特殊な感覚器官が張り巡らされている。そのため、翅を大きく広げることで、周囲の魔学的エネルギーはどのような状態なのか、環境を感じ取るセンサーとして使用することも出来るのである。それに、鱗粉には魔学的エネルギーを吸収・放出する機能があるため、翅を広げることで、不足のエネルギーを集積したり過分のエネルギーを破棄することも出来る。

 ここまでが胸部についての話だ。残りは腹部であるが、ここに関してはそれほど書くべきことはない。腹部で最も重要な特徴は発音器官であるが、それについては既に説明してしまっているからだ。腹部は後胸の後ろについている。これは、どちらかというと、腹というよりも巨大な尾のように見える。ちょうど人間でいうところの尾骶骨の辺りからぶら下がっている。さほど大きい部分ではない。せいぜいが燕尾服の尻尾のところ、それが膨らんだといった程度の大きさだ。

 さて、これがメルフィスの大体の外見であるが……外見以外にも、メルフィスには非常に大きな特徴がある。それは再生能力である。メルフィスは、体の大部分が取り換えの利くパーツになっている。例えば頭を吹き飛ばされたとしても、再生に必要な材料とエネルギーとさえあれば、数時間で再生することが出来る。

 このような能力は、二つの身体構造によって保障されているものだ。まず一つ目が特殊な神経系だ。一般的に、昆虫の神経系は梯子型神経系と呼ばれる仕組みによって成り立っている。まず頭部には情報処理を行うための脳が入っている。その脳から、左右に一本ずつ神経索が伸びており、全身を真っ直ぐに貫いている。そして、神経索と神経索との間には、時折、神経節と呼ばれる、神経の塊が配置されていてるのだ。この神経節は、中枢神経系における運動の制御の役割を担っている。つまり、それぞれの神経節が、運動の制御に限定された小さな脳のような意味を持つのだ。

 メルフィスにおいては、この神経節が更なる進化を遂げている。メルフィスの神経節は、それぞれがそれぞれで人間の脳の全体とほとんど同じ能力を持つようになっているのである。つまり、メルフィスには、神経節と同じ数だけの脳があるということだ。メルフィスの神経節は、胴体だけではなく、腕や足や、あるいは羽の付け根にも存在しているのであるが。その一つ一つがメルフィスにとっての脳なのである。

 全ての神経節は、もちろん頭部にある脳もであるが、常に情報を共有している。そのため、それぞれの神経の塊には、全く同じ記憶が保存されている。そういうわけで、一つか二つか、そういった神経の塊が吹き飛ばされたとしても。メルフィスの記憶は、ひいては人格は、バックアップによって継続するということだ。

 これがメルフィスの再生能力を保証する一つ目の身体構造だ。とはいっても、こちらは、所詮は、体のどの部分がなくなってもメルフィスという一つの個体が統一性を失わないということを可能にする能力に過ぎない。これは、再生能力自体ではない。では、メルフィスにとって、そういった再生そのものに繋がる身体構造とは何か。それは、蛹だ。

 ちょっと前に触れたことであるが、メルフィスは不変態昆虫だ。孵化してから死に至るまでの間、身体的変化を起こすことはほとんど全くない。せいぜいが性的成熟くらいであり、それを除けば生まれた瞬間から成体と同じ身体である。ただ、一方で。実は、その身体には、完全変態の昆虫が有している構造を、更に進化させた構造が埋め込まれている。それは、いわゆる成虫原基をベースにした構造である。

 成虫原基とは幼虫の体内に予め埋め込まれている未分化の組織だ。幼虫が蛹を形成した場合、幼虫はその内部でプログラム細胞死を起こし、結果的にでろんでろんに溶けてしまうのであるが。この成虫原基だけは溶け残る。そして、この未分化の組織が分化することで成虫の身体へと再構成されるのだ。メルフィスの全身、要所要所には、この成虫原基から進化した再生原基という組織が埋め込まれている。

 例えば、メルフィスが翅を失った時。その傷口には、瘡蓋のような膜が出来る。これは一部分だけを覆う蛹のようなもので、その内部ではプログラム細胞死が起こる。傷口付近の全体がどろどろに溶かされ、更にそこに追加の材料が加わる。そして、再生原基が中心になって、また新しく翅を構成するのだ。メルフィスは、このようにして身体を再生することが出来るのである。

 まあ、メルフィスについてはまだまだ説明するべきことが多く、ここで挙げた特徴は、本当に重要な部分をざっと書きしただけであるが。切りがないので、この辺りで切り上げることにしよう。とにかく、メルフィスとは……その名前の響きにがたわぬ、非常に典麗かつ優美な生き物である。メルフィスの全ては恐ろしいほどにソフィスティケートされているといっても過言ではない。無論、個体差はあるが。メルフィスという種の全体的雰囲気というものは数式的に最適化された完全なる美であるといってもいいだろう。

 ミヒルル・メルフィスほどではないにせよ、数百年はざらに生きるという寿命。何万何千という種類の宝石を砕き、その欠片で描かれたとでもいうように美しい翅。そして、人間など比べ物にならないくらい洗練された知性……それでいて、他者を他者とも思わず、冷酷かつ残酷に取り扱う性格。メルフィスは、人間にとって、酷薄なまでに霊妙な賢者である。

 ダガッゼとは。

 いかなる。

 生き物か。

 ダガッゼは、人間のような生き物とは全く異なった生命体である。人間は、いわゆる炭素ベースの生命体である。炭素を中心として、様々な元素が結び付き合って出来た肉体だということだ。一方で、ダガッゼはというと、緑イヴェール生起金属をベースとした生命体なのである。

 緑イヴェール生起金属というのは、恐らく、ナシマホウ界に生きている方々には聞き覚えがない名前だろう。白や黒や、赤だの青だの、そこまでは聞いたことがあるかもしれないが……なぜというに、緑イヴェール生起金属というのはマホウ界でしか採掘出来ない生起金属だからである。ちなみに、実は黄イヴェール合金だの金イヴェール合金だのというのもあるのだが。これらの合金については、現時点では魔法少女となんらかの関係があるということしか分かっていない。

 いや、違くて違くて。今しているのは緑イヴェール生起金属の話だ。これは、その名の通り、単一の基本子によって構成された極子構造をしている生起金属である。そして、その単一の基本子はなんなのかといえば、イヴェーリウムだ。それなら白イヴェール生起金属と全く同じではないかと思われるかもしれないが……違うんだなこれが。何が違うのかといえば基本子内部の不定子の質量数である。要するに、緑イヴェール生起金属は白イヴェール生起金属の同位体なのだ。

 同位体の違いなんて、基本子が安定しているか不安定であるかの違いくらいしかないだろうと思われるかもしれないが。白(略)と緑(略)の違いはそんなものではない。物体の根本的性質から異なってしまっている。どういうことかといえば……緑(略)には白(略)には全くなかった性質が付加されているのだ。それは関係創造性である。

 白(略)は、確かに、遺伝単体によって極子構造の複製を作ることが出来る。だがそれだけだ。白(略)が次から次へと増えていくだけの話。それは、ただただ延々と、一枚の白紙をコピーしていくようなものである。それだけでは生き物にはならない。

 一方で、緑(略)は、「他の金属と結合・分離した構造を複製する」という特殊な性質を有しているのである。つまり、緑(略)は、他の金属元素と結合して極子を作り出した上で、その極子をまるまる増殖させることが出来るのだ。そして、その増殖の過程で、他の金属元素を更に取り込んだり、あるいは元々結合していた金属元素を排出したりすることが出来るのである。

 これは、緑(略)が他の金属元素と結合する際に、ただただ科学的に結合するのではなく、一種の魔学的結合とでもいうべき結合をすることからきているのだが。このことに関して説明していると、マジで本の一冊か二冊かは余裕で書けてしまうほど複雑な現象なのであって。もしも詳しいことが知りたいのであれば、リュケイオンの兎錬学部にでも入って一から勉強して下さいと思う今日この頃なのである。

 なんにしても、緑(略)は、自らがその骨組みとなって非常に複雑な金属極子を作ることが出来るということだ。また、それだけではない。緑(略)は、「情報」に対して非常に反応しやすいという性質を有しているのである。ここでいう「情報」というのは、もちろん、観念化した情報ということであって。摂理的に構造化されたところの魔学的エネルギーということだ。これが、緑(略)の基本子内部に充満すると、それは生命エネルギーとして作用するようになる。つまり、金属極子の中に、生命体としての情報がインプットされるということだ。

 以上のような過程を経て、複雑な極子構造というハードウェアに魔学的な論理というソフトウェアが搭載されることになる。もっと簡単な例えを使えば、機械人形に幽霊が乗り移るとでもいえばいいだろうか。とにかく、このようにして、炭素系生命体とは全く異なる系、緑イヴェール生起金属系生命体と呼ばれる系の生命体が誕生するというわけだ。どうでもいいけど緑イヴェール生起金属系生命体ってめちゃくちゃ長い名前だな。金属系生命体とかじゃ駄目だったの?

 この種類の生命体の最も大きな特徴は、身体構造の基本となる設計図が物質的なものではなく観念的なものだということである。先ほども書いたことであるが、緑(略)には関係創造性があるため、この元素が中心として作り出される高極子は、安定して自己増殖するということが出来ない。そのため、インプットされた「情報」によって、その増殖を制御される必要があるのである。

 ということで、この種類の生命体は物質形相子ではなく観念形相子によって身体の各部分を合成していくのであるが。ここで重要なのは、観念形相子というものは物質形相子とは異なり非常に可塑性が高いということである。もちろん、観念の根源部分、共同幻想に接続しているような部分についてはそうそう簡単に変えることは出来ないが。表面部分に関しては、割合にさっさかさっさか変えてしまうことが出来る。

 そのため、種の分類が、炭素系生物よりもかなりざっくりしている。ここからここまでの範囲の大きさであればこういう種に属するとする、だとか。ここからここまでの範囲の知的レベルであればこういう種に属するとする、だとか。ほとんどそんな感じの分類しかしないのだ。

 そして、そういった中で、ダガッゼ型と呼ばれる範囲に属する生き物がダガッゼなのだ。ダガッゼ型には大きさによる制限はない。高度な把持性を有する知的生命体であり、彝と呼ばれるタイプの身体的構造をしていたら、そういった生き物は全てダガッゼ型とされるのである。

 どこまでもどこまでも大きくなる可能性があるし、反対にホビットほどの小さい個体もいないわけではないが。とはいえ、大体のダガッゼはヴェケボサンとそれほど変わらない身長である。三ダブルキュビトかそこらの身長ということだ。ただし、横幅はだいぶん変わってくる。

 そもそも、ダガッゼは二足歩行の生き物ではない。いや、二足歩行のダガッゼもいないわけではないが、大体が三足歩行である。これは、ダガッゼが発生する場所が、鉱脈というか鉱山というか、とにかくそういった足場がよろしくない場所であるということに由来している。ごつごつとした岩の上だと、二本足ではバランスがとりにくいのだ。

 なので、二足歩行の生物のように前後に平べったい体をしていない。重心の位置を限りなく落としたずんぐりとした形状をしている。また、それだけではなく、全体的に曲線が多くない。これは、大体の緑イヴェール生起金属系生命体に共通している特徴なのだが、ある種の結晶体であるかのように直線的なのである。生肉のような柔らかさはない。

 このような特徴が合わさった結果として、ダガッゼの基本的な形状は、青銅器の鼎のような姿をしている。いや、青銅器よりもずっとずっと青銅器らしいといっても構わないだろう。なぜというに、青銅器にはまだ曲線部分が残っているが、ダガッゼの大部分はアーキテクトニックといっていいほどに直線的だからだ。

 さて、そのようなダガッゼが、一体どのような身体的構造をしているのかというと……これは、ちょっと一言では説明しにくいところがある。なぜかというと、ダガッゼという生き物に共通している身体的構造がほとんどないからだ。

 ダガッゼに共通しているのは、さきほど書いたところのダガッゼ型の構造を除くと、あとは三つくらいしかない。一つ目が、緑(略)を中心とした合金を骨組みとして、そこに多数の魔石を組み込んだ生き物であるということ。二つ目が、内部に、魔学的エネルギーを燃やすための大きな空洞があるということ。そして、最後の一つが関節に関することである。

 ダガッゼの関節は非接触型の関節である。例えば……胴と足との関節を例にとると。胴の終端部分と足の始点部分との間に炎のようなエネルギーの塊が挟まっている。これがあたかも磁力のようにして二つの部分をフレキシブルに結び付ける。

 一つ一つの可動部位が、このようなエネルギーによって接続されている。そもそも炭素系生命体のように比較的柔軟な生き物でさえ関節というのは難しい構造なのだ。金属で出来た生き物の関節が、接触型の構造でどうこう出来るわけがない。

 ちなみに、関節を形作っているエネルギーであるが、実は魔学的エネルギーだけで出来ているわけではない。科学的エネルギーとの混合的なエネルギーである。なので、どちらかのエネルギーを無効化されたとしても最低限の接続は保たれる。

 と、まあ、こういった部分は共通しているのだが。後のほとんどの部分は、それぞれの個体によって変わってきてしまう。なにせ、感覚器官でさえも共通する部分がほとんどないのだ。

 ダガッゼの感覚器官は魔石をセンサーとして使用するタイプのものだ。外界からのなんらかの影響力によって測定素子に負荷がかかった時に測定素子から念荷が放出される。その念荷を読み取ることによって、影響力を発生させた環境の状態を知ることが出来るのである。

 ここまでは、まあいいのだが。それぞれのダガッゼによってセンサーとして使う魔石が異なってくるのだ。まあ、当たり前といえば当たり前の話だ。魔石というものは非常に希少なものなのであって、どこもかしこもで全く同じ種類の魔石が採掘出来るというわけではない。

 なので、そのダガッゼが生まれた鉱床で採掘可能な魔石が感覚器官として使用されるというわけだ。そういった魔石は、大体の場合、数ハーフディギト程度の直径であるところの完全な球体に加工されて。そして、ダガッゼの頭部に埋め込まれる。その数は大体が偶数で、八個から十二個くらい。ただしダガッゼによっては数十の感覚器官を有する者もいる。顔の全体に数式的に整列させたような規則正しさで埋め込まれる。

 そういった感覚器官の下には口が開いている。これはかなり大きなもので、顔の全体が真っ二つに引き裂かれているように見えることさえあるくらいだ。ダガッゼの口は、いわゆる尖葉文といわれるタイプの形状をしている。つまり、口の全体にぎざぎざと尖ったのこぎりの歯が生えているということだ。その一本一本の歯の長さは十数ハーフディギトに及ぶこともあり、それを見る者は凶悪な肉食獣のような印象を受ける。

 だが、いうまでもなく、ダガッゼは肉食ではない。当然だ、ダガッゼの肉体は肉体ではなく金属で出来ている体なのであって、肉など食べてもなんの意味もない。ダガッゼは金属食である。口の中に金属を放り込んで、がりがりと噛み砕き、体内の空洞で燃えている魔学的エネルギーによって溶かし込むのだ。また、魔石を食べることもある。こういった魔石は噛み砕かれることなく取り込まれ、一種の内臓としての役割を果たすこととなる。

 ダガッゼの口の役割は、このような摂食の機能と、それに発声の機能だ。メルフィスとは異なり、ダガッゼは音声記号を使用する種族である。ダガッゼがダガッゼとして社会を築く場所は、基本的には鉱床に自然に出来た洞窟か、あるいは掘り抜いて作り出した坑道なのであって。そういった場所では、聴覚が最も信頼のおける感覚なのだ。

 ダガッゼの声は、金属を叩き合わせたりこすり合わせたりすることで出される。そのため、錆びた鍋をがんがんと打ち鳴らすような耳障りな音になる。ただし、ダガッゼが歌を歌う時だけは例外である。その時は、その声は、遠い遠いところで鳴り響く磨き抜かれた鐘のように、少しばかりノスタルジーを誘うものになる。

 ところで、ダガッゼは高度な把持性を有する生き物なのであるが。人間でいうところの手は、少しばかり複雑な構造になっている。それはしなやかに研ぎ澄まされた金属の鞭なのだ。まずは、胴体から、腕としてのワイヤーが伸びていて。そのワイヤーの先端が一つの非接触型球体関節を中心として分かれている。大体は六本だが、それくらいの本数の鋼線になっているのだ。そして、この鋼線で巻き取るようにして対象物を把持するのである。

 腕の本数は、そんなにあっても仕方がないので大抵は二本だ。だが、メルフィスやレーグートや、そういった種族が多い地方で生まれたダガッゼの場合は四本の腕を持つ場合もある。

 ダガッゼの、基本的な形状はこんな感じだ。ああ、あと一つ、重要な身体構造があることを忘れていた。それは、葉脈のように全身を通っている魔学的エネルギーの導管である。これは人間でいうところの血管のようなものであるが、ダガッゼの動作というものはほぼ完全に魔学的エネルギーに依存しているため(関節の挙動等のごくごく一部に科学的エネルギーを使っているだけだ)、この導管は血管よりも遥かに重要なものとなる。

 さて、ダガッゼは……自分自身を彫刻したり、あるいは新しく金属を溶接することによって、身体に装飾を施すことがある。その中でも最も有名なのがダガッゼの角だ。「成人」したダガッゼは(もちろんダガッゼには性的な成熟というものが存在しないのでこの成人というのは炭素系生命体における成人とは完全に意味が異なっている)その頭部に角をつけている。

 これは生理的現象として生えてきた角ではなく、自分で溶接した角である。この角に使われる金属はダガッゼによって様々であるが、必ず、貴重な金属が使われる。例えば、さほど強力ではないダガッゼであれば、赤イヴェール合金だとかデイヴァイナイズド・シルバーだとか、そういった程度のものだが。その強さが増すにつれて、真銀を使う者や、バルザイウムを使う者さえいる。

 角に使われる金属は、ほとんどの場合が魔学的伝導性が高いものだ。これは、角には、角をつけたダガッゼの魔学的エネルギーを高めるという目的があるためである。

 角の形は、そのダガッゼが所属している共同体の流行り廃りによって様々であるが、ぐにゃぐにゃと捻じ曲がった曲線の場合が多い。ダガッゼの身体では、ワイヤー状の腕を除くと、この角は珍しく曲線的な要素である。また、角の本数であるが、これはほとんどの場合において、一つの頭部につき三本だ。三本以上の角を生やすダガッゼもいないことはないが、そういうダガッゼはよほどの有力者で ある場合がほとんどだ。

 また、ダガッゼが自分自身の全身に刻み込む模様であるが。これはメルフィスにとっての翅の模様と同じものだ。つまり、魔学式としての役割を果たすものである。ただし、最初期においてはただただ実用的役割しか果たさなかったものが、現在では装飾的な役割をも果たすようになっている。

 ダガッゼが発生する鉱床ごとに、それぞれの流派みたいなものがある。火の揺らぎのような模様、渦巻きを幾つも重ねたような模様、植物の生い茂る様を描いた模様。ただ、そういった模様の全てが本来的には魔学式なのであるからして。当然ながら、写実的な絵画というよりも、極限まで抽象化した記号としての模様である。自然発生した数式を全身に刻んでいるような感じだ。

 そういえば……ここまでも何度か書いてきたことだが、ダガッゼは鉱床から発生する。緑(略)を含んだ合金が採掘出来る鉱床、その合金がある一定の観念を宿すと、自然とダガッゼとして結晶するのである。そのため、ダガッゼには雄も雌も存在しない。それに親子の違いのようなものも存在しない。

 一つの鉱床から発生した全てのダガッゼは一つの共同体としての社会生活を送ることになる。そのため、ダガッゼが発生する鉱床には、大抵の場合は、その鉱床を中心としたダガッゼの国家が成立することになる。この点で、ダガッゼはメルフィスとは異なってる。ダガッゼは、ほとんどの場合はこのような国家で生まれる。そして、国家の構成員としての自らの役割を受け入れるのだ。

 ただし、一つ問題がある。それは、鉱床というものは無限に鉱物を生み出すわけではないということだ。もちろん、緑(略)を含んだ合金は増殖することが出来るわけなのだが。とはいえ、あまりにダガッゼが多過ぎると、その増殖のキャパシティを超えて鉱物を消費してしまうことになる。

 ダガッゼの寿命は、メルフィスと同じくらい長い。その全身が魔学的な還元反応を起こしてしまい、もう動くことが出来なくなるまでは生き続けるのだ。ということは、一人のダガッゼが数百年間生き続けることになる。国家という安定した環境の中では、ダガッゼは増え続ける一方なのだ。

 そういうわけで、増え過ぎたダガッゼは。あるいは、鉱物を消費し尽くしてしまい滅亡した国家に所属していたダガッゼは。生存に必要な鉱物を求めて蛮族になるのである。

 さて、かなり大雑把に説明すると、ダガッゼとはこのような生き物だ。ああ、そうそう、あと一つ、人間からしてみると非常に不可解な特徴がある。それは、人格というものが一定ではないということだ。

 ダガッゼにも意識のようなものがないわけではないのだが(社会生活を営む生き物なのだから当然のことだ)、ただ、それが精神の中で最も重要な地位を築いているというわけではない。ダガッゼにとっては、そのダガッゼの基本的な構造であるところの観念の方が重要なのだ。だから、その観念から導き出されるところの世界に対する論理的説明のようなもの、それがダガッゼを一つに統一しているところのシステムとなる。ダガッゼにとっては自分自身が自分自身なのではない。反対に、この世界が自分自身なのである。

 なので、ダガッゼの中に、複数の人格が共存するということもあり得ることなのだ。現時点での人格が、世界にとって論理的ではないとすれば、ダガッゼは即座に新しい人格に移行する。

 また、それだけではない。先ほど、ダガッゼの頭部について、胴体の上にあると書いたが。それはあくまでも基本的なダガッゼの形態であって、頭部が複数あるということもある。ダガッゼの頭部というものは、炭素系生命体の頭部ほどに厳密なものではない。頭部の形の彫刻をして、感覚器官としての魔石を幾つか埋め込めば、もうそれが頭部である。だから、極端な話をすれば、三本の足の、それぞれの関節部分に、一つ一つ頭部が付属しているということさえあるのだ。

 そして、そういった頭部の一つ一つが人格を持つこともありうるのだ。これは人間でいうと多重人格のようなものだが、ただしそれとは少しだけ異なっている。なぜというに、それらの人格は、世界的な観点からみれば、全てが論理的整合性を保っているからである。その意味でダガッゼの多重人格は論理によって統一されているといっていいだろう。ちなみに、このように頭部が複数あるダガッゼには自分の身体についての前後の感覚さえないことがある。頭部が向いている全ての方向が前方になりうるからだ。

 ダガッゼという生き物は、炭素系生命体とは全く異なった生態を有しているため、生物としての根本から説明しなければいけない。なので、このくらいでは全然説明し切れていないわけなのだが……まあこのくらいでやめておこう。

 なんにしても、ダガッゼという生き物は。その名前の響きがそのまま示している通り、かなり粗暴でかなり乱雑な生き物だ。豪快という表現を使えないこともないが、ただし、そう呼ぶにはあまりにも感情的な部分が欠如している。

 ダガッゼを一言で表現するとすれば、大雑把な論理とでもいうことになろうか。ダガッゼは、細かいことは気にしない。ダガッゼは足元にあるものはなんでも蹴散らしてしまうし、手元にあるものは大体壊してしまう。その行動を支配する論理は単純明快だ……だが、その論理は絶対である。ダガッは自らの論理に反することは絶対にしない。それは、その論理自体がダガッゼだからだ。石頭に鉄の踵、それがダガッゼである。

 と。

 まあ。

 そんな。

 感じだ。

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