第二部プルガトリオ #59

 ぞくり、という感覚。サテライトは、まるで……自分が昇っていたはずの、栄光へのきざはしが。いつの間にか絞首台の階段とすり替わっていたかのような、そんな怖気みたいなものを感じた。何かが、何かが、迫っている。首筋に押し当てられた鎌のように危険なものが。

 「なっ……」という特に意味のない声を上げながら、サテライトは、ようやく上下まともな姿勢になって。それから、背後を振り返った。そちらの方で何かが動く気配がしたからだ。しかも一つではない。数え切れないほどの気配。振り返った先で起こっていたことは……一言でいえば、crisis。

 骸車を構成していた死体、エレファントの一撃によってそこら中に飛び散っていた死体。ずるり、ずるり、と、その身体を動かし始めていたのだ。面白可笑しい方向に捻じ曲がった関節、べたりと手のひらを地面の上について。ぐらぐらと揺れ動く頭が、あたかも崩れかけた天球のように擡げる。

 いや、違う。動かし「始めて」いたわけではない。死体は、とっくの昔に、蘇っていた。具体的にいえば、サテライトが得意満面声大舌頂に喋くり散らしていた時に。既に死体、死体、死体は起き上がっていた。デニーが、一言も口を挟まずに、サテライトに話させていたのは。要するに、それが完成するまでの時間を稼ぐためだったのだ。

 では。

 それとは何か?

 それは。

 それは。

 あまりにも優雅で。

 あまりにも凄惨な。

 玉座。

 たくさんの、たくさんの、死体が、ぐじゅぐじゅと、絡み付き合って纏わりつき合って。手と足とが捻じり合わさり、幾つもの顎が噛みつき合い、子供の死体の上に母親の死体が攀じ登り、半分に引きちぎられた死体と半分に引きちぎられた死体とが積み重なり。数十の、いや、数百の死体が、一つのところに集まって……巨大な、玉座を、形成していたのだ。

 十ダブルキュビトを超える高さの玉座は、基本的には、さほど異様な見た目をしているというわけではなかった。つまり、いうまでもなく、死体で出来ているということを除けばの話であるが。一番下から一番上まで徐々に狭まっていく形、一番上を切断した四角錐のような形。

 これって確か四角錐台っていうんですよね? その前面には、上へ上へと向かって伸びていく階段の形が穿たれていて。その階段は、どうやら、死体の中でも朽ち果てて骨になったもので作られているみたいだ。そして、その階段を上がって行った先。台形の頂上には、腐り果てた椅子が据えられていた。頭が半分弾けて脳がこびりついている幼児、口から内臓を吐き出している幼児、全ての関節がめちゃくちゃに曲がっている幼児。その椅子は、その全体が幼児によって形作られていて……恐らく、幼児の体は柔らかいものが多いので、比較的座りやすいからだろう。

 まあ、このように、大変シンプルな形状をしていたのだが。ただし、これはあくまでも基本となる形状の話である。その玉座には、このようなベースメントに、ちょっとした追加要素が付け加えられていた。それは……何本も何本も、そこら中に向かってぐねぐねと蠢いている触手である。玉座における四角錐台の部分、そこら中から生えている触手。

 それらの触手は、間違いなく骸車から伸びていた触手と同じ物だった。人間の死体、断片を繋ぎ合わせて作った触手。その先端には人間の上半身がくっついていて、それには首があるものも首がないものもあるのだが、とにかく、それらの上半身が、のたうち回っている。まるで声のない悲鳴を上げながら何かに助けを求めているように……手を伸ばし、空を掴もうとしている。

 そのような。

 玉座が。

 そこに。

 サテライトが、振り返った先に。

 いつの間にか姿を現わしていて。

「んだよ……こりゃ……!」

 さすがのサテライトも、これほど巨大な物が、これほど異様な物が、ここまで唐突に出現したことに、声を失ったようだ。とはいえ、いつまでもいつまでも声を失っているわけにもいかなかった。なぜなら玉座から伸びている触手、触手、触手。サテライトが振り返ったその瞬間に、一斉に攻撃を開始したからだ。

 何に対して? そこら中に浮かんでいたものに対して。つまり、数え切れないほどの触手が、サテライトの衛星達に向かって襲い掛かったということである。サテライトは「はあっ!?」と驚愕の叫び声を上げたのだが、人間が驚きを露わにする時には大抵手遅れであることが多い。

 しゅるるるるっという感じ。ずるるるるぅっの方が擬音としては近いかもしれないが、四方八方に触手が伸びていって。進行方向にあった衛星達を次々と引き裂いていく。触手の先端についている上半身はもちろんのこと、触手を形成している一つ一つの死体が、触手のあちこちから這いずり出してきて。そして、衛星を捕まえては、ずたずたに引きちぎっていくのだ。

 もちろん、衛星は、ただただ引き裂かれたくらいでは死にはしないのだが。触手は、衛星達を引き裂いていくだけではなかったのだ。ばらばらになった衛星の断片を、触手のそこら中に開いている口が喰らっていく。衛星を咀嚼して、衛星を嚥下して……触手の一部にしてしまうのである。結果として、衛星はどんどんと減っていき、触手はどんどんと長くなっていく。

 「この……クソがっ!」と叫びながら、慌ててそちらにすっ飛んでいく(文字通りの意味で)サテライト。結果として、その場にはデニーとエレファントと、あとまあ真昼ちゃんだけが残されることになる。ただし……エレファントも、どうやらいつまでもその場にとどまっているわけにはいかないようだった。

 玉座から生えている触手のうちの数本がこちらの方向に伸びてくる。それらの触手は、ゆらりとの揺らぎもなく、まさに一直線に、デニー達の上にのしかかっているガントレットに向かってきていて。エレファントは、それらの攻撃に対処するため、左手のガントレットはそのままに、体の右側で振り返った。

 最初は、右のガントレット、触手を掴んでは引きちぎり引きちぎっては掴みというのを繰り返していたのだが。襲いくる触手はどんどんと数を増し、腕一本ではどうしても対応し切れない量になってくる。それどころか……そもそもの話として、触手の全体は人間の死体で出来ているのだ。そして、そのそれぞれがリビングデッドなのである。引きちぎられて放り棄てられた触手の断片は、ずるずると這いずって、エレファントの足元までやってきて。その体に纏わりついて、エレファントの抵抗の邪魔をする。

 とうとう、エレファントの全身はリビングデッドによって埋め尽くされて。しかも、その体を、一本の触手がぐるぐる巻きにしてしまう。こうなってしまったら、もうどうしようもないのだ。エレファントは、仕方なく、デニー達を押さえ付けていた左手を持ち上げて。両方のガントレットで対処せざるを得なくなる。

 さて。

 これで。

 デニーちゃんは。

 自由に、なった。

 わけである。

「んーっ! やーっと体が動かせるよぉ。」

 サテライトならクソ能天気とでもいいそうな口調、そう言いながら。デニーは、上半身だけを起こしてぐーっと伸びをした。両手を握り締めて、ばんざーいとでもいうようにして。

 そういえば……もちろん、そうやって伸びをしている以上は、真昼ちゃんのことは手放していた。真昼ちゃんの肉体は、粗大ゴミか何かのように、デニーのすぐ横に転がっている。

 ただ、とはいっても、デニーちゃんにとっての最優先事項が真昼ちゃんであるということには変わりがないのであって。別に、デニーは、真昼のことを放っておいているというわけではなかった。その証拠に、玉座から伸びた触手の一本が、非常に恭しいやり方で、こちらの方に向かって伸びてきて。そして、その先端についていた人間の上半身が、とても、とても、繊細なやり方で、真昼の肉体を持ち上げた。

 比較的腐敗が少ない女性の死体で、欠損部分もほとんどない。まあ、とはいえ、素裸であるというところは他の死体と変わるところがないのだが。なんにせよ、まるで修道女のように敬虔な顔をして、まるで侍女のように慇懃な手つきで、真昼の肉体をお姫様抱っこして……そして、また、玉座の方へと戻っていく。

 一方で、デニーの方であるが。ほへーっという感じで溜め息をついてから、ぴょこんっと立ち上がった。その場で可愛らしくジャンプして、その勢いで立ちましたとでもいうようなテンションである。そうして、その後で、つったかたったーつったかたったーみたいな感じで歩き始める。

 今まさに楽しいハイキングの真っ最中です!とでもいうかのように、両手と両足とを元気いっぱいに動かしながら。玉座の方に向かって歩いていく。とはいえ、デニーの周囲では、楽しいハイキングでは明らかに起こり得ないことが起こっていたのだが。

 すぐ背後では、大量の死肉に纏わりつかれたエレファントが、触手にぐるぐる巻きにされたエレファントが、なんとか自由になろうと身を藻掻いている。片方の手で死体の断片を引き剥がし、原形をとどめないほどに握り潰す。片方の手で触手を引っ張り、自分の方へと引き寄せて、なんとか玉座に向かって引き寄せられないようにしている。

 一方で、頭上では、もうてんやわんやのすちゃらかぼんちきである。そこら中で食うや食われるやの戦闘が繰り広げられていて、理性も悟性も感じられない動物的衝動のぶつかり合いだ。一つの衛星が触手に食い殺されると、その触手に大量の衛星達が群がって、全体を一気に食い尽くしてしまう。そんな中で、頓狂瘋癲の大活躍をしているのがサテライトである。サテライトは、既に人間的なあらゆる性質を手放してしまっていて。「がぁああああっ」だの「ぎぃいいいいっ」だの、よく分からない絶叫を上げながら。たった一人(一匹?)で触手に突進しては、それを構成する死体を食いちぎっているのだ。

 ちなみに、こういう獣じみた人食いという姿がサテライトの本来の姿なのであって、最近のサテライトは、いかに精神のご病気に見えようとも、随分とマシになってきた方なのだ。REV.Mに入る前、パンピュリア共和国でストリート・チルドレンをしていた時のサテライトは、食えるものなら何でも食うという知性の欠片もない生命体だった。生ゴミを漁るのは当然だったし、狩りの獲物に出来そうであれば人間でも食った。アヴァタイザー系の能力者はとかくエネルギー消費量が多いので、人間一人くらいなら余裕でいけちゃうのである。それに、まともに教わったこともないのだから言葉なんて話せるわけもなく、唸り声だけで意思疎通を行っていたものだ……そもそも意思疎通をする相手もいなかったのだが。今のサテライトは、その時のサテライトに一時的に戻っているというだけの話なのだ。このようなことはまあまあよく起こることで、そういうところもサテライトが「あまりお付き合いしたくない人」である一因となっている。

 さて、それはそれとして。そんな面白系地獄絵図みたいな有様の中を、いかにもデニーらしい歩き方、滑稽なステップを踏むみたいな歩き方で歩いていく。空からは、食いちぎられた肉片が、例の雨に交じって落ちてきていて。それがデニーに当たる前に、デニーの上には触手が傘のようにさしかけられて。そして、その触手が、肉片を食ってしまう。

 そのうちに、玉座のところまで辿り着く。そのふもとの辺り、会談が始まるところ。そこに着くまでの足取りは、大して急いでいるようには見えない足取りであって。二分か三分か、それくらいはかかっただろうか。その間に……玉座のてっぺん、幼児の死体で作られた椅子の上には、もちろん、指一本傷付けないような繊細なやり方によって、真昼の肉体が置かれていた。ぐったりと死んだような真昼、椅子の背に全身を預けていて、その全身が、少しだけ左側に傾いている。虚ろな視線は玉座の下を見下ろしているが、ただ、その視線は何ものも捉えていない。眼前に広がっている壮絶な光景について、真昼の眼には何一つ見えていない。

 そんな真昼に向かって、デニーは軽く膝を折った。おしゃまな感じに一礼をする、子供が巫山戯て大人の真似をしているようなやり方だ。愉快な気持ちが抑えられなくなってしまったとでもいうように、くすくすと笑い声を上げて。それから、階段の一番下の段に、足を掛けた。

 一段一段、全然急いでいる様子なんて見せないで階段を上がっていく。時折、ぶんぶんと振り回される触手が近くを掠めていく。植物の茎に群がるアブラムシのように、触手にはクソほどの衛星達が食らいついている。デニーはいかにも呑気に口笛なんて吹いているのだったが。

 やがて。

 大したことではないが、という感じ。

 なんとなくの独り言、その口を開く。

「エレちゃんとサテちゃんと、二人が、ばばーってとーじょーした時にね。もー、すぐに殺しちゃっても良かったんだけど。でもでも、ふつーに考えれば、エレちゃんとサテちゃんと、二人だけでこうげきーってしてくるわけないんだよね。

「だってさ、二人はさ、一回失敗しちゃってるわけじゃないですかあ。そりゃー、あの時は、デニーちゃんがASKの支店にきんきゅーひなんしたから、それ以上は追いかけられなかっただけなんだけど。それでも、デニーちゃんが乗ってたのは、アーガミパータ霊道の骸車なわけで。デニーちゃんが死霊学者だっていうことも考えれば、どー考えてもなんかあるなーってなるでしょ? ほら、こーいう感じになるっていうことも、なんとなーく分かっちゃうわけじゃないですかあ。

「それだけじゃなくって、デニーちゃんは、ASKの支店と、カリ・ユガのおうちと、二つの領域にお立ち寄りしたわけだよね。となれば、そのうちのどっちか、それとも両方から、何かの兵器を手に入れててもおかしくないんだよね。これだけ危ないなーってなる条件が揃ってるのに、レベル5の子をたった二人だけ送って、これで大丈夫ーなんてこと、REV.Mが考えるはずないよね。

「ということで! どー考えても、ぜーったい、いるはずなんだよね。エレちゃんとサテちゃんと、その二人以外の誰かさんが。さて、そう考えるとですよ! 今のこの状況って、ちょーっとおかしいんだよね。おかしいことが三つくらいあるの。

「まず、エレちゃんとサテちゃんとは、どうやってデニーちゃんがここにいるって知ったの? だって、デニーちゃんはASKのテレポート装置を使って移動したんだよ。アヴィアダヴ・コンダからヌリトヤ砂漠まで、一気に、びゅーんってしたの。ふつーだったら、エレちゃんもサテちゃんも、デニーちゃんがここにいるなんてこと、分かるはずがないんだよね。そりゃー、ASKのテレポート装置をクラッキングすれば分かるかもしれないけど。でもでも、REV.Mの子達がそんなこと出来るわけがないし。

「二つ目はねーえ、この雨。たぶん、なーんかの種類の妨害エネルギーが疑似的に物質化したものだと思うんだけど。ソリッド・エネルギー?ってゆーんだっけ。とにかく! ふつーに作っちゃえるよーなエネルギーってことはあり得ないよね。だって、だって、vanity fireを消しちゃったんだよ! そりゃー、そこまで強いーってわけじゃなかったけどさ。それでも、無原罪の障壁を、ないないってしちゃえるなんて、とってもとってもたーいへんなことだよ。デニーちゃんのリビング・デッドの魔法は、混合法則学的な防衛システムを付け加えておいたから、ないないってされてないみたいだけど。なんにせよ、これは、エレちゃんとサテちゃんとの能力でなんとか出来るものじゃないってこと。

「最後、エレちゃんが使ってるエネルギー。デニーちゃんって、イヴェール再現実験にちょーっとだけ関わってたから知ってるんだけど。エレちゃんって、魔学的なエネルギー、出てこい出てこいってする能力はなかったはずだよね。そりゃー、事後的に魔力ジェネレーターを埋め込んだってゆーこともないわけじゃないと思うけど。デニーちゃんが見た限りでは、そのおててにいっぱいになってる魔学的エネルギーってさ、お外から集められたものだよね。つまり! アーガミパータのそこら中にある魔学的エネルギーを集めたものってこと! となるとですよー、それだけの魔学的エネルギーを、どうやって一点に集中させることが出来たんですかってなるよね。

「こーんな感じ! エレちゃんとサテちゃんと、二人の能力じゃー説明がつかないことが、三つも起こってるんです! と、ゆーことは! ここには、エレちゃんとサテちゃんと以外の誰かさんがいるのは、もうぜったいぜったいぜーったいなんだよね。トリプルのスペキエースが一人なのか、それともシングルが三人なのかは分からないんだけど。

「だから、暫くの間様子を見てたんだよね。どこにいるんだろう、どんな子なんだろう、ってゆー風に。でも、ぜーんぜん分かんなかったの。どこかにいるってことは分かるんだけど、それ以外のことがぜーんぜん分かんない。たぶん、この雨とおんなじソリッド・エネルギーで、自分達の姿が見つからないように隠れてるんだよね。こんぷりーとな時のデニーちゃんだったら見つけられたと思うんだけど、でも、ほら、今のデニーちゃんはこんな感じでしょー? だからさーあ、これ以上頑張っても、たぶん見つけられないと思うんだよね。

「と、いうわけで! デニーちゃんは、別の方法をとることにしたのです! 見つけられないんなら出てきて貰えばいいよねってこと! こんな風に、今みたいに、エレちゃんとサテちゃんと、二人だけじゃどーしよーもないなーっていう状況にすれば、誰かさんも隠れてるわけにはいかなくなるでしょー? だって、REV.Mのみんなの目的って、デニーちゃんを殺して真昼ちゃんをげっと!することだよね。今のままじゃ、どっちの目的も達成出来ません! このままでいいはずがないわけでーす。じゃあ、なんとかして、状況を変えなきゃいけないよね。それなら、誰かさんが出てきて、エレちゃんとサテちゃんとを助けてあげるしかないーってなるよね。どうかな、どうかな、そーなるんじゃない?

「もーっちろん、このくらいじゃ、エレちゃんもサテちゃんも死んじゃったりしないとは思うけどさーあ……でも、このままだと、デニーちゃんが真昼ちゃんを連れて逃げちゃうかもしれない! それは誰かさんだってやだよね? ほらほら、早く出てこないと、またデニーちゃんが逃げちゃうぞ!」

 そんな。

 ことを。

 話している。

 うちに。

 デニーは階段を上がり終えていた。玉座の一番上……そこは、実は、椅子があるだけの場所というわけではなかった。椅子の周りには、骨を組み立てて出来た二ダブルキュビトくらいの幅の空間があって。椅子の周囲を歩けるようになっていたのだ。

 椅子は一つしかなく、そこには真昼が座っていたので。デニーは、自然とその空間を歩くことになる。背後で手を組んで、ちょっとだけ後ろに傾くように。すてん、すてん、という感じ、今にもすってん転びそうな態度で、踵だけをついて歩いていく。

 真昼が座っている、というか、崩れたような全身で寄り掛かっている椅子の周り。ゆっくりゆっくりと歩き回っていって。やがて、そのすぐ後ろのところまでやってきた。この状態だと、玉座の前方からはデニーの姿が見えない。けれども、デニーは……ぴょこんっという感じ、その背凭れの後ろから、可愛らしく顔だけを突き出してきて。にこにこと無邪気な笑顔、内緒話でもするみたいに、真昼の耳元に向かってこしょこしょと話し掛ける。

 「ねえ」「真昼ちゃんは」「どう思う?」。もちろん、真昼はそれには答えない。だらりと傾げた首、ぼかんと開いた口。目の前で繰り広げられている壮絶な戦闘を、ただただ何も見ていない目で眺めているだけだ。

 デニーもはなから答えなんて期待していない。「あははっ!」「んもー、真昼ちゃんったら!」「無視しないでよう!」だとかなんだとか、さも愉快そうに笑いながら。視線、真昼から逸らして玉座の前方に向ける。

 見渡せる限りの荒野を見渡して。

 例えるならば。

 魚を探すラミアのよう。

 あられもなく、些喚く。

「だーれかさん。

「だーれかさん。

「だーれかさん。

「どこにいるんですかー?」

 気が付くと……玉座の前に誰かが立っていた。といっても、別に意外な人物ではない。それに、今までこの場所にいなかった誰かさんでもない。エレファントだ。どうも、襲いくる触手をちぎっては投げちぎっては投げ、ようやくここまでやってきたらしい。ただし、その全身のそこら中には、未だに老若男女腐肉乾骨、種々様々な死体が縋りついていたのではあったが。

 ちなみにサテライトは未だに触手に食らいついていた。比喩でもなんでもなく文字通りに触手に噛みついて、がじがじと食い裂いている。触手の方は、なんだかちょっと迷惑そうにさえ見えるやり方でサテライトのことをぶんぶん振り回しているが。サテライトは全然お構いもなしに、野蛮さ・賎陋さを剥き出しにして、その触手にしがみ付いている。

 いや、まあ、サテライトはどうでもいいんですよ。今、重要なのはエレファントである。エレファントは、自分の体に縋りついている死体の一つを引き剥がすと、地面の上に叩きつけた。そして、感情の一つも感じられないやり方で、左手のガントレット、それを叩き潰す。ぐちゃぐちゃの、骨と肉との塊になる死体。それでも……未だに動いている。

 ああ。

 これは。

 あまりにも。

 きりがない。

 死体を、潰しても潰しても、まだまだリビングデッドが尽き果てる気配はなかった。エレファントの後ろに、点々と続いているどす黒い痕跡。それらは、全て、エレファントが叩き潰したリビングデッドの成れの果てだ。それは、まるで玉座へと続いている一筋のレッドカーペットのようで――レッドカーペットにしては少々惨たらしい色合いをしているが――それだけのリビングデッドを破壊しても、まだ、まだ、足りないのだ。

 それどころか、玉座の前に立ったエレファントに向かって。今にも触手の群れが襲い掛かってきそうな状態だ。今は、まだ、様子を見るようにして。あるいは嘲笑するようにして、その頭上を揺れているだけであるが。それは、エレファントの頭上に一本の糸で吊り下ろされた剣のようなものだ。いつ落ちてきて、エレファントに対して致命的なダメージを与えるか分からない。

 このままでは、デニーの言う通りになってしまうだろう。つまり、サテライトもエレファントも、死にはしないかもしれないが。また、デニーと真昼とのことを逃がしてしまうということだ。この場所は、既に、中央ヴェケボサニアとの境界まであと少しという場所なのであって。もしも、ここで二人のことを逃してしまったら……恐らくは、もう後がない。

 つまり、手段を選んでいられるような。

 そんな状況では、ないと、いうことだ。

 だから。

 エレファントは。

 その口を、開く。

「レジスタンス、プレッシャー、カレント。」

 あたかも一つの計算式を。

 証明するかのような冷徹。

「プランBだ。」

 と、何かが起こった。何か、とても、奇妙なことが。最初は何が起こったのか分からなかった。念のために書いておきますが、ここでいう「分からなかった」の主語となるのは「読者の皆さん」であってデニーちゃんじゃないですよ。デニーちゃんはとーっても賢いのでなんでもかんでもぜーんぶお見通しなのだ! まあ、それはそれとして、とにかく、そのうちに、読者の皆さんも何が起こったのかということがお分かりになりましたね?

 そう、雨だ。あの錆びたような色をした光の雨。それが……先ほどまでは、天上から地上へと降り注いでいたのに。今では、地上から天上へと落ちていっていたのだ。した、した、と、音を立てるみたいにして、空に向かって浮かび上がっている。

 しかも、それだけではなかった。空に降り注ぐ雨はどんどんとその量を増していって、とうとう土砂降りのようなシチュエーションになってしまう。そのような雨、何かの意思によって紡ぎ合わされているみたいに、次第に次第に一つのラインへと収束していって。いつのまにか、天に向かって渦巻く一本の竜巻、光の柱のようなものになっている。

 そこから……その柱、最も太陽に近い地点。そこが、ばあっと拡散し始めた。まるで蕾だったものが花開くように、周囲に向かって一気に広がり始めたのだ。そのようにして、その柱から発せられ、天空に波紋を描いていく光。それは、やがて周囲を取り囲んでいる岩山の頂上にまで到達する。ぐるりとこの平野部を円形に取り囲んでいた山々、そこに屋根みたいにしてかぶさった。つまり、柱がある部分を中心として、平野部にいる全ての生き物を閉じ込めるドームのような形になったということだ。

 いや。

 「ような」ではない。

 それは、間違いなく。

 一つのドーム。

「ひははっ……くふっ……ははははははははっ!」

 そのドームが出来上がるとともに。どこからか、そんな笑い声、こいつ明らかにコミュ障だろと感じさせる笑い声が聞こえてきた。いうまでもなくこの声は新登場したキャラクターの声などではなく、頭がおかしいコミュ障のクズといえばこの人、サテライトの声だった。

 相も変わらず触手にしがみ付いて、ぶんぶんと振り回されていたのだが。どうも、例の光の大雨洪水警報によってめちゃくちゃに洗われた結果として、ちょっとだけ人間性というものを取り戻したらしい。サテライトに対して適用される人間性という言葉は「なんの理由もなく暴れ狂わない」だとか「少なくとも人間は食べない」だとかいう意味であって、普通の人間に対して適用される人間性とは少しばかり範囲が異なっているが。とにもかくにも、共通語を話せる程度には我に返ったようだった。

 サテライトは、言葉が通じるわけがない触手に対して「てめぇ、この……クソが!」「あっちこっち動き回ってんじゃねぇよ!」だとかなんだとか罵声を浴びせた後で。

 玉座の上の。

 デニーに向かって。

 こう、叫びかける。

「おいおい! てめぇ、馬鹿なことしたもんじゃねぇか! なーんも言わないで、こっそり逃げ出しときゃよかったもんをよぉ。あんな大声で、今から逃げ出すぞー、なんて言いやがって! よお、よお、てめぇらはもう逃げんねぇよ! 「あいつら」が、ここに壁を作っちまったからな。だーれもここからは逃げ出せねぇ、だーれも、「あいつら」が作った壁からは逃げ出せねぇんだよ! なあ、そうだろ!」

 と。

 サテライト。

 叫びかけた。

 先で。

「もーっちろんっすよ、サテライトの姐さん! な、レジ!」

「え!? あの……その……僕……」

「プレッシャー、レジスタンスにあまり負担をかけないで下さい。レジスタンスがいきなり話を振られることが苦手だということはあなたも知ってるでしょう?」

「わーってるよ! ったく、カルはクソ真面目だなぁ!」

 誰か……誰かの声が聞こえた。さてさて! レディース・アンド・ジェントルメン、アァァァァンド、アザー・シングス! これまで二回も思わせ振りなことをして、どちらも新キャラクターではなかったので、今回もどうせ違うんだろと思われていらっしゃるかもしれませんが。ご安心下さい、今度こそ新キャラクターの登場です。

 なぜそういい切れるのかといえば。その声は、デニーのものでも真昼のものでもエレファントのものでもサテライトのものでもなかったからだ。もちろん、骸車を形成していた死体のいずれかのものでもない。今まで影も形も見えなかった誰かしらの声。ただ、その声は一体どこから聞こえてきているのか?

 声がしたはずの方向には、誰もいなかった。いや? ちょっと待って、あれは……あぶく、の、ようなものが弾けるみたいにして。ぱんっという音を立てて、いきなり、何かが破裂した。何もなかったはずの場所で、あの錆びた光が弾け飛んだのだ。そして、そのあぶくの中から、探していたものが姿を現した。

 誰かしらがそこにいた。しかも、その誰かしらというのは一人ではなかった。一人、二人、三人の人間が立っていたのだ。人間? ただ、その三人の姿は……人間と呼ぶには、あまりにも異様な姿をしていた。三人が三人とも、その肉体に異様な改造を施されていたのだ。

 三人の姿。

 描写して。

 みせよう。

 ただ、個人個人について書く前に、まずは三人に共通する部分を書いておいた方がいいかもしれない。三人は、ある一面ではあまりにも似ていなかったのだが、その一方で、まるで同一人物であるかのように似ているところもあったからだ。

 三人が三人とも海果系の顔立ちをしていた。まあ、カレントについてはちょっとアレで、のちのち説明する理由からその顔立ちはよく分からないのだが。顔以外の部分から推測するに、やはり海果系だろう。そして、三人は、ただの海果系ではなく……恐らくは真昼と同じ月光人だ。

 背の高さは三人とも同じくらいで百七十ダブルキュビトの後半。その体格も、改造されている部分を除けば違いを見いだせないくらい似ている。月光人にしては高い背に、がっしりとしているというほどではないが筋肉がついた肢体。

 そして、そんな肢体の上に三人が三人とも同じ服を着ている。いかにもテロリストといったファッション、つまるところ、アーガミパータ北部迷彩の戦闘服に白い腰布を巻いているというあの格好だ。ただ、布やら何やらで顔を隠しているわけではなかったが……それは、きっと、もっと他に特徴的なところがあるので、顔を隠そうが隠すまいがあまり違いがないからだろう。

 年齢も、やはり三人とも同い年であるように思われた。とてもとても若そうだ、少なくともエレファントとサテライトと、この二人と比べれば子供みたいに見える。月光国の教育制度で考えて、せいぜいが大学生程度。もしかしたら高校生なのかもしれない。真昼よりも少し年上といった程度でしかない。

 このように、ほとんど同じ姿をした三人ではあったが。先ほども書いたように、全く似ていない部分もあった。それは、主に、その肉体に改造を施された部分と……それから、本人の性格が見た目に表われている部分である。それではここからは、そういった違いについて書いていこう。

 まずは。

 一人目。

 三人がしていた会話で、レジ、あるいはレジスタンスと呼ばれていた男。どことなくびくびくとしていて、いつも何かに怯えているという雰囲気。他の二人の少しだけ後ろに立っているので、なんとなく隠れているみたいに見えた。他の二人も、レジスタンスの性格はよくよく理解しているのだろう。こちらもなんとなくではあるが、レジスタンスの前に立ちはだかり、守っているかのような態度をとっている。

 海果系らしい黒髪。ナチュラルではあるが割合に重めのマッシュで、前髪が長過ぎるせいで両目とも隠れてしまっている。そして、そういった髪と髪との間から見えている視線は今にも泣き出しそうだ。どうも現在のこの状況に対して完全に怖気付いてしまっているらしい。また、先ほども書いたように、背の高さは他の二人と同じくらいのはずなのに。常に猫背をしているせいで、随分と縮こまっているように感じられた。

 と、まあ、ここまでが「肉体」の部分である。一方で、レジスタンスにとっての一番個性的な部分、「肉体」に施された「改造」の部分であるが……それは、穴だった。レジスタンスの首から下、その体中には幾つも幾つもの穴が開いていたのだ。大きさとしては、どの穴も、直径にして五ハーフディギト程度。そして、それらは、皮膚の上にただの傷口として開いていたわけではない。なんというか……穴の周囲が、金属のリングによって補強されていて。ある種の排気口というか排水口というか、そんな風に見えるように機械化されていたのである。その穴のそれぞれには、複雑な機構のシャッターのような物が付いていて、定期的に、呼吸でもしているみたいに開いたり閉じたりする。

 それから、ここからが、レジスタンスについての最も異様な部分なのだが。それらのシャッターがぱかっと開くごとに……その穴の中から、まるで廃液が吐き出されるみたいにしてあの光が吐き出されるのだ。つまり、vanity fireを消したところの光、奇妙に錆びついた色をしたあの光である。しかも、かなり大量に。どぷっという音を立てて、一度の呼吸につき五ログから十ログ辺りの体積が吐き出されているだろうか。

 そういった光は、吐き出されて何かに降り注いだ途端に蒸発してしまうので、レジスタンスが水浸し(光浸し?)になってしまうことはなかったのだが。それでも、少なくとも一秒に一回程度は、どこかの穴が開いて光を排出しているので。レジスタンスは、常にそのような光にまみれているように見えた。

 左の手の甲に開いた穴、二の腕に開いた穴、太腿に開いた穴に腰の辺りに開いた穴。左胸に、右腹に、背中のあちこちに。全ての穴の数を数えれば、その数は十七であった。ちなみに、本来であれば戦闘服で隠れてしまうであろう部分に開いている穴については。戦闘服のその部分だけが切り抜かれて、穴だけを剥き出しに出来るようになっている。

 次、に。

 二人目。

 三人がしていた会話の中ではプレッシャーと呼ばれていた男。この男は、なんといえばいいのか、全体的にこの場に相応しくない雰囲気を纏っていた。この場というのは要するに、世界最悪の地獄であるアーガミパータ、世界最悪のギャングの一つであるコーシャー・カフェと世界最悪のテロリスト集団の一つであるREV.Mとの抗争の場ということであるが。こう、どことなく、全体的に……チャラチャラしているのだ。こんなところにいるよりも蜜頭かどこかで女の子を口説いている方がずっと適切であろう。そんなことをいったら、テロリストなんかやってるよりもホストでもやってた方が全然お似合いなのであるが。

 一番許せないのが髪の毛である。まあ、髪型はいい。整髪剤の代わりにガンオイルを使ったのかブレーキオイルを使ったのかは知らないが、ロングの髪をファジーに固めていて。そのうざったい髪を切れ! テロリストならテロリストらしく短髪にしろ! と怒鳴りつけたくなるが、まだ許せる。だが、しかし、なぜ銀髪にする? お前、月光人だろ? 地毛の色は黒だろ? ぎんぎんぎらぎら真っ銀々、極力目立っちゃいけないテロリストのくせに、よくもまあそんなクソ目立つ髪色にしようと思えたものだな!

 隣にいるカレントの肩に腕を掛けて、だらしなく寄り掛かるような姿勢。その姿勢と同じように戦闘服の着こなしもだらしない。だらしないというか格好をつけているというか、戦闘服の前を全部開けていて、中のシャツが見えているのだ。ズボンの方もズボンの方で、明らかにサイズがあっておらず、なんかだぼだぼしている。へらへらとした顔にはサングラスを掛けている。首に掛けているのは髪の色と揃えたのだろうシルバーのネックレス。先に付いているのはシンプルな形のロケットで、中には写真か何かを入れられるようになっているのだが、今は閉じているので、中にどんな写真が入っているのかは分からない。

 と、ほとんど悪口みたいになってしまったが、「肉体」についてはそんな感じだ。一方で、その「改造」についてであるが……プレッシャーについては、一目見ただけでは、どのような「改造」が施されているのか分かりにくいところがある。というか、ぱっと見たところでは、何もされていないように見えるくらいだ。

 しかしながら、よくよく見てみると、おかしいことが起こっているということに気が付く。それは……時計? 虫? かちかちと音を鳴らしながら時間を数える、機械仕掛けの虫についてのこと。その虫、見た目は、タマムシだとかコガネムシだとか、そういった甲虫類に似ているのだが。ただどう見ても自然に生まれたものではなかった。全体が機械で出来ていて、それどころか、一つの懐中時計と融合してしまっているようにさえ見えるのだ。ガラスのように透き通った羽の下に時計が埋め込まれていて、それが常に時を刻んでいるのである。

 そういった虫が何匹か、プレッシャーの全身を這い回っている。プレッシャーは、時折、そういった虫を人差指と中指との先で掬い上げて。手のひらに乗せて、愛おしげに弄んだりもするのだが……まあ、そこまではいい。問題なのは、その虫が、プレッシャーの着ている服の中に潜り込んで。暫くすると、明らかに潜り込んだところとは別の場所から現れることである。

 服の中を進んでいるだけの話だろ、と思われるかもしれないが、どうもそうではないらしいのだ。例えば、腹側からシャツの下に潜り込んだ虫。その直後に、ぱっと姿を消して、そして、背側からもぞもぞと這い出してきたりするのだ。もっと、じっと、観察してみると……今! 見ました? 一匹の虫が、プレッシャーの首筋、その肉体の中に滑り込むようにして消え去ってしまった。そして、その虫は、なんとサングラスの下から這い出してきたのである。つまるところ、要するに、そういった虫は、プレッシャーの肉体、傷付けることなく、まるでそれが水面であるみたいにして入り込むことが出来るらしいのだ。

 最後に。

 三人目。

 三人の会話の中ではカルとしか呼ばれていなかったのだが、エレファントが呼んだ名前のことを考え合わせるとどうもカレントというのだろう。この男は、三人の中では一番まともそうなバイブレーションを出している男だった。プレッシャーに寄り掛かられているにも拘わらず姿勢一つ崩すことなく真っ直ぐに立っていて。それに、戦闘服の着こなしもきっちりとしている。ただ、あまりにまとも過ぎて逆におかしいのではないだろうかと思ってしまう部分もある。履いているミリタリー・ブーツには汚れ一つないし(この状況で!?)、その手にはなぜか必要あるとは思えない軍用手袋をつけていて。こう、過敏に神経質そうな感じがする。

 カレントについては……少し前にも書いたのだが、髪型だとか表情だとか、そういったことに言及することが出来ない。なぜというに、まさにそういった部分こそがカレントの「改造」に関わってくる部分だからである。つまり、カレントは、頭部を改造されていたのだ。しかも、その全体を。

 はっきりいってしまえばカレントには頭部と呼べるようなものはほとんど残っていなかった。その代わりにそこにあるものは、一つのモニター画面だ。液晶だとかプラズマだとか、そういう猪口才なものではなく、どーんと素敵な陰極線管のモニター画面である。全体が艶消しの黒で、後部から前部へと向かって少しずつ広がっていく重々しい箱。上部からはあたかも触覚か何かみたいにして二本のアンテナが突き出ている。現在はスイッチが切られているのかなんなのか、その画面には何も映し出されていなかった。

 とはいえ、さほど大きいものであるというわけではない。せいぜいが、もともとそこにあったはずのものよりも一回りか二回りか大きいといった程度。そのようなモニター画面が、カレントの顔、口よりも上の部分とすっかり置き換わってしまっているのだ。

 だからカレントの顔には目も耳も鼻もない。ただ、言葉を喋るための顎と舌とが、いかにも人間のものらしいごくごく普通の口が、モニター画面の下にあるだけである。ちなみに、カレントは……その口で呼吸を行っているというわけではないらしかった。なぜそれが分かるのかといえば、もしも呼吸を行っているのならば、何も喋っていない時も開いているはずなのに。今、この時、カレントの口はしっかりと閉められているからだ。どうも、その口は、喋る時と食べる時とにしか使われないらしい。

 さて。

 三人は。

 それぞれ。

 そのよう、な。

 異形であって。

 三人が現われたのは玉座から少し離れたところだった。少しというのは具体的には三十ダブルキュビト程度で、その方向としては、エレファントがいる正面でもなくサテライトがいる左側でもなく、椅子から見て右の前方。

 三人は、玉座の上にいる二人のことを見上げていた。デニーと真昼とのことを、それぞれ異なった感情の籠もった視線を向けていた。レジスタンスのそれは、いかにもレジスタンスらしい、溢れんばかりの恐怖の感情だ。とはいえ、その恐怖の中にも、どこか驚き交じりの憐みのようなものも感じられる。もしくはそれは……同情だろうか? 一方のプレッシャーは純粋な敵意である。真っ直ぐで透明な、ガラス片で作ったナイフのような敵意。それは、怒りだとか憎しみだとか、そういったものとは無縁で、プレッシャーなりの正義のようなものを発火点としているのだろう。さて、カレントについては……カレントには目がないのだから、視線もクソもないのだが。それでも、暗く沈んだ画面には、どこかしら冷え切った悪意のようなものを感じる。プレッシャーのものとは全然違う、凍り付いた湖の底に引き摺り込むような悪意。

 そんな、視線、視線、視線、感情の弾丸。

 いかにも平然とした表情で、受け止めて。

 ただただ、愉快そうに。

 くすくすと笑うデニー。

 睨み合いというには一方的過ぎる、そのような視線の攻防が続いていたのだが。やがて、三人のうちのプレッシャーが、ちょっと姿勢を変えた。カレントに寄り掛かるのをやめて。なんとなく巫山戯たような、そのだらしない姿勢から、すっと体を伸ばして。それからデニーの方に一歩踏み出す。いかにも挑戦的な態度だ……そして、その口を開く。

「あんたがパロットシングの姐さんを殺したのか?」

「プレッシャー。」

「黙ってろ、カル。」

 咎めるというよりも冷静に注意するといったようなカレントの声に、プレッシャーは、触れれば断たれるような声で答えた。先ほどまでのチャラチャラした雰囲気はどこにいったのか、デニーを睨み付けるその両眼、あたかもその内側で夜が燃えているようだ。デニーは、そのようなプレッシャーに対して……当たり前のことであるが真剣性・真摯性の欠片もなく。本人はそんなつもりは全然ないのだろうが、聞いているこっちからすれば馬鹿にされているとしか思えない口調で「ほえほえ?」と言ってから。とっとっとっという感じ、今までいた椅子の後ろ側から前に出てくる。

「プレッシャーちゃん、っていうのかな?」

「ああ。」

「パロットシングちゃんのことを殺したのが、デニーちゃんかってご質問?」

「そうだ、答えろ。」

「うん、そーだよ。パロットシングちゃんのことを殺したのはデニーちゃんでーすっ! ちょーっと、お目々を食べて、頭蓋骨を砕いて。一つ一つの関節をちょきちょきしたり、色んな内臓に穴を開けたり、耳から脳髄にこんにちわーしたり、そーゆーことしてたら、いつの間にか死んじゃってたんだよね。シェイプ・シフターって結構頑丈な子が多かったりするから、もーちょっと遊べるかなーって思ってたんだけど……デニーちゃん、とーっても残念!」

 そう言うと。

 デニーは。

 きゅっと、腰の辺りから。

 可愛らしく、体を傾げて。

 フードの中。

 にっこりと笑った。

 デニーが「拷問しよーっと」と思った時、その相手方がこの程度で死ぬことが出来たというのなら、それは宝くじで一等プラス前後賞大当たりと同じくらいめちゃめちゃラッキーなことなのであるが(どうしてパロットシングがこの程度の拷問で済んだのかということはのちのち明らかになるだろう)。なにぶん、レジスタンスもプレッシャーもそういったことを知らなかったので、それぞれがそれぞれの反応を示したのも仕方がないことだった。つまり、レジスタンスは、ほとんど半泣きになりながら「ひっ!」という声を上げて、カレントの背中にしがみ付いて。そして、プレッシャーは、いかにも義憤に満ちた表情、ぎりっと奥の歯を噛んだということだ。ちなみに、カレントは特になんの反応も示さないままで、今の状況を注意深く観察しているという感じだった。

 また。

 プレッシャー、が。

 口を開いて、言う。

「あんた……よくも……!」

 そこから、更に何かを言おうとした時に。また、カレントが「プレッシャー」と声を掛けた。プレッシャーは、先ほどは振り返りもせずに反応していたのだけれど。今度は振り返って「だから黙ってろって……」と言いかける。

 しかし、そう言いかけたプレッシャーの目に、カレントのモニター画面に映し出された映像が入ってきた。それは、パロットシングの映像だ。間違いない、変身を解いたところの、本来のパロットシングの姿。そして、そのパロットシングは、ただ黙ってプレッシャーのことを見つめている。

 プレッシャーは、それを見て……ふーっと、溜め息をついた。それから「わーったよ、プレッシャー理解いたしましたー」と言って、一歩後ろに下がる。もともといた場所に戻ってから、カレントにしがみ付いていたレジスタンスのこと、ぐいっと、ちょっと乱暴に感じるくらいのやり方で自分の方に引き寄せる。

 レジスタンスは、それで理解したのだろう、されるがままにプレッシャーの方に引き寄せられて。そうして自由になったカレントが、今度は玉座に向かって一歩踏み出した。特に感情を込めることもなくモニター画面を上に向かって傾けて。今はもう何も映していないその画面、デニーに向かって言う。

「初めまして、ミスター・フーツ。」

「デニーちゃんでいいよ!」

「兄が失礼しました。兄は、少し激しやすいので。」

「んーん、気にしないで!」

 カレントは。

 話しながらも。

 ゆっくりゆっくりと。

 歩みを、進めていく。

 デニーがいる方へと向かって。

 死と腐敗とによって構成された。

 玉座へと。

 向かって。

「改めて、自己紹介させて頂いた方がいいでしょうね。私達は……ええと……ブリッツクリーク三兄弟と名乗らせて頂いています。この、センスがあるとはいいにくい名前については深く突っ込まないで下さいね。このような名前にしたことを、今では、三人とも、非常に後悔しているので。命懸けの戦いの最中というのはとかく頭がしっかり働かないものですが、そういう時に色々な名前を付けるのはあまり良くないというのを身に染みて理解しましたよ。

「三兄弟という通り、私達は実際に兄弟です。というか三つ子と言った方がいいかもしれませんが。一卵性双生児として生まれてきたので……こういう場合は一卵性品生児というべきでしょうか? とにかく、私は末っ子でカレントといいます。あそこにいるのが長男のレジスタンス、先ほどご迷惑をかけたのが次男のプレッシャーです。三人でREVISION.MILLENNIUMに所属してスペキエースの人権についての活動をしています。

「ええ、そうですね。お察しの通り、私達は三人ともスペキエースです。そして、それぞれが異なった能力を有しています。私の能力から説明しましょうか? 私は「流動」を読み取ることが出来ます。今、あなたの思考の流れを読み取ったようにね。もちろん限界はありますが、あらゆるものの流れを、大体の大枠において理解出来る。アーガミパータの全体を流れている魔学的エネルギーの流れを見ることが出来るし、この場の戦闘の流れがどちらの有利に働いているのかということを見ることが出来るし、それに……可能性の流れも分かります。例えば、そう、ASKを後にしたあなたが、一体どのようなルートを通ってアーガミパータから脱出しようとするか。その大体の可能性を計算したのは私です。

「長男のレジスタンスですが、その名の通り「抵抗」を生み出すことが出来ます。レジスタンスの体中に開いている穴から今も吐き出されているあのソリッド・エネルギーのことです。あれは非常に純粋な抵抗力で、全ての存在に対して、全ての概念に対して、それがそれであることを妨害する。そのままでは何もかも妨害してしまうので、触れた者の「生命」まで妨害してしまう恐れがあり、非常に危険な力なのですが。レジスタンスは、自分が生み出した妨害の対象を指定することが出来ます。魔学的エネルギーだけを妨害することが出来ますし、あるいはvanity fireが持つ無原罪の力だけを妨害することも出来るということです。また、ソリッド・エネルギーの濃度によって、妨害出来るものの総量、どれだけ強力なものを妨害出来るのかということも変わってきます。

「最後に次男のプレッシャーについてお話ししましょう。プレッシャーは「圧力」を操作することが出来ます。これも名前のままの能力ですね。それが具体的な物質であるか、あるいは単にエネルギーに過ぎないのか。そのどちらにせよ自由自在に集散させることが出来るということです。エレファント・マシーンの肉体を構成している赤イヴェール合金にあれだけの魔学的エネルギーを集めたのは、プレッシャーの能力によるものです。ただ、プレッシャーは、少しばかり自分の能力を制御し切れていない部分もあって……まあ、この話はもう少し後ですることにしましょう。

「さて、私達の能力はそんな感じです。ちなみにそれぞれの能力は、せいぜいがレベル4か、かなり甘く判定して貰ってレベル5といった程度に過ぎません。しかしながら――あなたには言うまでもないことかもしれませんが――それぞれの能力を合わせることによって、より強い力を発揮することが出来ます。そう、レベル6の力さえもね。

「vanity fireを消すことはレジスタンスの力だけでは不可能でした。その力に対して、プレッシャーが圧力をかけて。高濃度の抵抗力とすることによって、初めてそれが可能となったのです。あるいは、私が読みとった魔学的エネルギーの流れを利用して、その巨大な流れを非常に集中した一本の流れにまで収束させて。そして、それをエレファント・マシーンの赤イヴェール合金に注ぎ込むことで、初めてあれだけの力を出すことが出来た。

「ああ、そうそう、これもそのようにして作り上げたものですよ。このドームも、やはり、三人の力を合わせて作り上げた一つの障壁です。レジスタンスの「抵抗」をプレッシャーの「圧力」によって最高レベルの濃度まで凝縮し、それを、更に、私が読み取ったあなたの魔力の「流動」に合わせてチューニングしたものです。これはちょっとやそっとで破れるものではない。公レベルのゼティウス形而上体でも破ることは出来ないでしょう。

「つまり、何が言いたいのかといえば、私達は三人で一人だということです。あるいは、もっと適切な言葉を使うのであれば……私達、一人一人が、一つの兵器の部品だということです。」

 カレントは。

 そこまで話し終えると。

 一度、言葉を、切った。

 今、カレントは、玉座のすぐ前。

 エレファントの横に立っている。

 ちなみに、カレントが話している間中、そのモニター画面には様々な映像が映し出されていた。例えば、カレントが自分の能力を説明する時には。抽象化された「流動」のモチーフと、それを眺めるデフォルメされた自分自身が映し出されていたし。最後の言葉を言った時には、デフォルメされたレジスタンス・プレッシャー・カレントの姿が映し出された後で、それが一か所に集められて。「BOOM!」という針吹き出しが画面全体を覆い尽くし、それが消えた後に、一挺のアサルトライフルのモチーフが映し出されたりもした。

 どうもカレントは、そのモニター画面をコミュニケーションの補助に使用しているらしかったのだが……まあ、それは、今はどうでもいいことである。とにかく、デニーは、そのようなカレントの言葉に対して、にーっと、あの、面白そうなおもちゃを見つけた子猫のような顔をした。

「カレントちゃんってゆーの?」

「はい。」

「カレントちゃんは、随分と素直な子なんだね。」

「隠しても仕方がありませんから。今言ったくらいのことは、あなたは、私達を見た瞬間に理解していたでしょう?」

「あははっ!」

 その通りだった。デニーちゃんはとーっても賢いのであって、一目見れば、スペキエースの偶有子の全体のコードを解析することが出来るし。そのコードから、一体どのような能力の持ち主なのかということもある程度は推測出来るのだ。

 デニーとカレントとは、暫くの間、互いの様子を探り合うようにして互いのことを見ていたのだけれど。やがて、カレントが、また口を開いた。

「私達が、なぜこの戦闘に加わったのかということをお話ししておいた方がいいかもしれませんね。もちろんREV.Mの一員として組織から出された命令に従い、作戦に加わったということも事実です。しかしながら、先ほどのプレッシャーの反応からもお分かり頂けると思うのですが……私達は、あなた方二人に対して個人的な感情も抱いています。そして、それゆえにこの作戦に志願したのです。そういった感情は主に二つの理由から成り立っています。

「まず一つ目の理由ですが、私達が、なぜこのような異様な姿になったのかということに関係しています。レジスタンスにせよ、プレッシャーにせよ、私にせよ、生まれた時からこのような姿をしていたというわけではありません。生まれた時は、このような機械的な部品が取り付けられていない、ごくごく一般的な有機的生命体の姿をしていました。レジスタンスの体にはあのような排出口は取り付けられていなかったし、プレッシャーには圧力制御のための装置は必要なかったし、私の顔は、もう少し眉目秀麗でした……まあ、絶世の美男子とまでは言いませんけれどね。けれども、私達は、その後に、ディープネットのもとで実験動物として取り扱われることになりました。

「もちろん、あなたも知っているでしょうが。ディープネットは、常に、実験動物としてのスペキエースを飼っています。そういったスペキエースを使って、自分達が作り出した「新製品」がどの程度有用なものであるかのテストをしたり、あるいは、偶有子の構造を解析して製品開発に利用したり、そういったことをしているわけですね。私達は、前者の目的で飼われていた実験動物でした。つまり、「新製品」のテスト用のスペキエースということです。

「私達の能力は、最初は、レベル2程度のものでした。レジスタンスはちょっとした絶縁体程度の抵抗力しか生み出せませんでしたし、プレッシャーは水を蒸発させるので精一杯。私はといえば、ごくごく稀に他人の思考の流れを読み取れるといった具合でした。ただ、それでは役に立たない。その程度の能力では、兵器の試し撃ちには、全く役に立たない。

「だから、ディープネットは、私達に改造を施しました。戦場で出会うような、人間の脅威となる程度の能力を持つスペキエースにするために。今までディープネットが収集したスペキエースについてのデータを使って、私達のことを、レベル4からレベル5程度……つまり中規模戦闘車両級から大規模戦闘施設級程度の能力者にまで強化したのです。

「そのせいで、私達は変わってしまいました。それまで経験したことがないような、生命体としての欠損を背負うことになったのです。レジスタンスは、自分が望まなくても、自分の肉体の中に抵抗力を生み出してしまうようになりました。それは、あまりにも大量の抵抗力であって。あのようにして常に排出し続けなければ、そのうちレジスタンス自身の生命を停止させてしまうでしょう。プレッシャーは、あまりにも強過ぎる自分の力を制御することが出来なくなりました。そのため、ああいった制御装置……あの、甲虫型の能力集中・分散システムを利用しなければ、自分の肉体を一定の形状に保つことさえ出来なくなりました。私は……私は、ちょっとばかり脳髄に損傷を負いましてね。まあ、さして面白くもない話です。私の話はいいでしょう。

「能力と引き換えに私達は異形の生き物になりました。そして、そのような異形のままで、来る日も来る日も、ディープネットの「新製品」と戦い続けたというわけです。普通であれば、私達の一生はそのようにして終わるはずでした。つまり、戦って、戦って、戦い続けて。そして、ある日、「新製品」によって修復不可能なまでに破壊されて、それでお終い。あとは産業廃棄物として廃棄されるだけ、そういった一生だったはずでした。

「しかしながら……ディープネットは一つ計算違いを犯しました。つまり、私達は、三人で一人だったということです。ディープネットは、私達一人一人の能力を、自分達が制御可能である限界点まで高めました。そう、私たち一人一人であれば、ディープネットは制御出来た。檻の中に閉じ込めておけた。でも、三人が力を合わせた時、それは制御不可能なものになった。

「私達が力を合わせれば、レベル6の能力を発揮出来るということはお話ししましたよね? そして、私達が飼われていたR&Dセンターはレベル5までのスペキエースにしか対応出来なかったんです。私達は、そのR&Dセンターを破壊し尽くしました。そして、そこに飼われていた全てのスペキエースを解放して、自分達も逃げ出しました。

「それから……暫くの間は、ディープネットに追われる日々を送っていたのですが。ある日、R&Dセンターで起こした例の事件についての話を聞き付けたREV.Mから接触を受け、それ以来、このようにして、スペキエースの人権についての活動を行っているというわけです。

「さて、つまるところ、何が言いたかったのかといえば……私達は、ディープネットに対して個人的な感情を持っているということです。ディープネットという企業を壊滅させて、そこに飼われている全てのスペキエースを解放したいという感情を持っている。そういうことです。そして、そのためには、どうしても砂流原真昼という存在が必要になってくる。」

 一つだけ。

 付け加えて。

 おいた方が。

 いいかもしれない。

 カレントが口を濁したことについてだ。カレントは、自分が負った「欠損」についてはぼかした言い方しかしていなかったが。読者の皆さんはなんとなく推測が付いてるんじゃないですかね? そうそう、そうです、その通り! カレントは、「改造」を施された際に、脳の一部に致命的な障害を負った。そして、そのせいで、共感能力というものをほとんど完全に失ってしまったのだ。カレントには良心というものが全く欠けてしまっている。その代わりに、その場所にあるのは、カレントの全判断の基準点にあるのは、「二人の兄に対する執着心」である。つまり、カレントは、二人の兄以外のあらゆるものに対する関心が欠如している。

 ちなみにカレントがなぜこのことについて言わなかったのかといえば「なんか自分のこと自分でサイコパス的な人間ですっていうの痛々しいな」と思ったからである。あれ? こういう場合ってソシオパスっていった方がいいんだっけ? まあいいや。なんにせよ、カレントはエレファントとは違って感情の全てが機能していないというわけではない、羞恥心は正常に機能しているのだ。

 さて。

 それは。

 それと。

 いたしまして。

 デニーは、カレントの話を、聞いていた。静かに、口を挟むこともなく、ただただ聞いていた。これは驚くべきことであって、なぜというにデニーはこんな話になんの興味もないに決まっているからである。実際にデニーは大して面白くもなさそうな顔をしていて。けれども、その目はカレントのことをじっと見つめていた。これは、恐らく……話を聞いているというよりも、カレントについて探っているといった方が近いだろう。カレントが一体何を考えているのか、カレントが一体何をしようとしているのか。

 それから。

 暫くして。

 デニーは。

 ようやく。

 言葉をする。

「それで、もう一つの理由は何かなあ?」

「はい?」

「この作戦に加わった、もう一つの理由っ!」

「ああ……弔いですよ。」

「お弔い?」

「ええ、パロットシングのね。パロットシングはディープネットに追われていた私達のことを助けてくれた人でした。つまり、REV.Mのスカウトとして私達のことをREV.Mに迎え入れてくれた人だったということです。ミスター・フーツ、あなたは、そのパロットシングを殺した。だから、私達は、パロットシングのために、あなたを倒さなければいけない。」

「んー、なるほどね!」

 ここで……今まで触れてこなかった、ブリッツクリーク三兄弟についての非常に微妙な部分に触れておく必要があるかもしれない。それはカレントの言葉における「倒さなければ」という言葉に関することである。カレントは、一体、なぜ、このような言葉を使ったのか? こんな曖昧な言い方をしなくても、ただ「殺さなくては」と言えばいいだけの話である。なぜそういう直接的な表現をすることをカレントは避けたのか?

 その理由にはREV.M内部における認識の操作が関わってくる。ここまでの文章で、REV.Mについて、スペキエース系テロリストの中でも特に過激な集団であり、その破壊と殺戮とを表現するのはただ超残酷の一言であるということを折に触れて書いてきたが。ただし、REV.Mに所属する全てのテロリストがREV.Mについてそのような認識を有しているのかといえば、実はそうではないのである。

 例えば、ブリッツクリーク三兄弟の過去などはいい例であるが。REV.Mがスカウトするようなスペキエースは、もともと、社会から隔絶した場所にある研究所に閉じ込められていたというような場合が多い。それか、あるいは、サテライトのようにストリート・チルドレンをしていたとか、とにかく、REV.Mが実際はどのような組織なのかという情報を手に入れることが出来なかった、そんなケースが多々あるのだ。

 そのため、REV.Mがどれだけ非道極まりないことをしているのかということを知らないままに、この組織に入ってしまって。そして、そういった情報にアクセスする間もなくアーガミパータのような場所に配置されてしまえば。後は、自分達が所属している組織について、その組織から与えられる情報以外の情報を手に入れることはほとんど不可能になってしまうのである。

 ここから先のことは言わなくてもお分かりになると思いますが……そう、ブリッツクリーク三兄弟のうち、レジスタンスとプレッシャーとは、そのような認識操作の対象になってしまっているのである。カレントとは異なり、レジスタンスとプレッシャーとには通常の良心が残っている。例のR&Dセンターの事件、ディープネットの拠点を一つ潰したという事件の時に自分達がしたこと。それを、時折、フラッシュバックのように思い出して。そのたびに、そのあまりの惨さのせいで精神に異常をきたしてしまいかねないほどなのである。

 まあ、その件に関しては、カレントが二人の思考の流れを読み取り、カウンセラーのような役割をすることでどうにかなってはいるのだが。とにかく、そんな二人が、REV.Mが実際にやっていることを知ってしまったならば、一体どうなってしまうことか。一つ言えることは、まず間違いなく、このような組織に一秒たりとも所属することを拒んでしまうだろう。

 REV.Mからすれば、三人が一組になってやっと機能するとはいえ、レベル6以上のスペキエースは大変貴重な戦力であって。それゆえに、ブリッツクリーク三兄弟のことを絶対に手放したくない。なので、真実を隠蔽し、あたかも自分達が……例えばピープル・イン・ブルーのような、スペキエースの権利のために戦う正義の組織であるかのように偽装しているのである。

 まあ、REV.MもREV.Mで自分達が正義だと思っていることをやっているのであるからして、正義の組織というのは間違っていないのだろうが。とはいえ、その正義なるものの中に「政府要人の家族に対する拷問」だの「敵側拠点に隣接するあらゆる現地住民居住区を壊滅させること」だの「恣意的行動としての化学兵器使用」だのが含まれているということは明かしていない。

 今回の作戦に関しても、その実際のところは、レジスタンスとプレッシャーとには知らされていない。二人の認識はかなり適当なものであって、まず「デナム・フーツというめちゃめちゃ悪いやつを倒してディープネットの重要人物を誘拐する」。次に「その重要人物を交渉に使ってアーガミパータにあるディープネットのR&Dセンターの場所を聞き出す」。最後に「R&Dセンターに捕まっているスペキエースを助け出してめでたしめでたし」。この程度のものでしかない。

 一体全体、「倒す」とはどういう状態を指すのか。デニーのことを殺すことなく、とはいえ行動不能にするということを指すのだろうが、その場合、どの程度までなら傷付けても構わないのだろうか。決して治ることがない障害を負わせてもいいのか、それもいけないのか。そのような詳細が、計画においては重要になってくるのだが、レジスタンスとプレッシャーとは、そういったことについてほとんど何も考えていないのである。

 なんとなく、思っていることはある。例えばレジスタンスであれば「相手のことを必要以上に傷付けることは絶対にしてはいけない」。プレッシャーであれば「殺してはいけないだろうが少しくらい痛い目に遭わせても構わない」。だが、そんなものは計画でもなんでもないのだ。

 そして、そういった二人の代わりに思考するという役割を担っている人間こそが……カレントである。今回の計画においても、エレファントと共に作戦を考えたのはカレントであった。レジスタンスとプレッシャーとには詳細を知らせることなく、あらゆる細部を理解しているのはカレントだけなのである。

 そう、カレントは全てを理解している。今回の作戦だけではなく、REV.Mという組織の実態についても。REV.Mが世界で最も危険なテロ組織であるということも。ついさっきも書いた通り、カレントの内部では、いわゆる「善良さ」というようなものが判断の基準になっていないので。REV.Mが何をどうしようと全然構わないのだ。二人の兄さえ傷付けなければ。

 そもそも、ブリッツクリーク三兄弟が、REV.Mのような組織以外のいかなる組織に所属出来るというのか? ディープネットのR&Dセンターにしてしまったことを考えれば、もう、まともな生活を送れるはずがないのである。となれば――二人の兄を守るためには――方法は一つしかない。二人にREV.Mの実態を知らせることなく、この組織に所属し続けること。

 そのようなわけで、何がいいたいのかといえば。今回の作戦においては、真昼の殺害だけではなく、デニーの殺害も含まれていないということだ。とにかく真昼を奪取するということ、やらなければいけないのはそれだけである。まあ、作戦を実行する中で、やむを得ない理由でデニーを殺害してしまうこともあるかもしれないが……それは、単なる事故だ。

 閑話。

 休題。

 まあ、この後の展開を考えると閑話ともいい切れない部分があるのだが、とにかくこの話はお終いです。デニーとカレントとの会話に物語の視点を戻しますね。カレントが、その口を閉じると。デニーは……きゅーっという感じで、前方に身を乗り出した。背中で、ぴんと伸ばした指を組んで。右足の踵をついて、爪先をちょっとだけ持ち上げて。全身をほんの少しだけ左側に傾けた姿勢で、にぱにぱという感じの笑顔で笑いながら。

 こう。

 言う。

「それでー?」

「それで、とはどういう意味ですか」

「デニーちゃんがね、そーいう風に、長い長いお話をする時にはね。何か、別のところで別のことをしてて、その間のお時間をなんとかするためにそうするんだけど。カルちゃんは、どーお? やっぱり、そうなのかなーあ?」

「まあ、そうですね。その通りです。」

「ふふふっ! その「何か」は、終わった?」

「大体のところは。」

 デニーは。

 上半身を起こして。

 両手で口を覆って。

 くすくすと。

 笑いながら。

「カルちゃん、カルちゃん、そこには何もないよ。」

「ええ、そうですね。あなたには何も見えないでしょう。」

「ほえほえ?」

「あなたのような、強く、賢い、生き物が見るには……私が見ているものは、あまりにも小さ過ぎる。」

 さて、ところで、デニーとカレントとがちょっとした談笑をしている間に、他のテロリスト諸氏は一体どうしていたのだろうか。レジスタンスとプレッシャーとについては書くまでもないだろう、カレントのずっとずっと後ろで、自分達の出番をじっと待っているだけなのだから。サテライトは……「クソがぁああああああああっ!」とかなんとか叫びながら、触手の群れに突っ込んで、そこら中を噛みちぎりまくっている。先ほどまでのように野獣の状態に戻っているというわけではないようだが、とはいえ、腐り切った死体にはあまり噛みつかない方がいいという常識的な判断をくだせるほどに人間性を獲得しているというわけではないようだ。

 そして、エレファントであるが。今にも自分に向かって、あるいはカレントに向かって襲い掛かってきそうな触手を見上げながら……ただ、じっと、待っていた。カレントがそれを終えるのを待っていた。ここでいう「それ」というのは、もちろん「ちょっとした談笑」ではない。デニーが言ったところの「何か」、この計画で最も重要な仕掛けである。そして、どうやら……デニーとカレントとの会話からすると、その仕掛けは終わったらしい。

 それなら、もう。

 待つ必要はない。

「カレント。」

「はい。」

「終わったか。」

「全部終わったわけではないですが、始めてもいいですよ。」

「分かった。」

 デニーが。

 口を挟む。

「ええー! もう始めちゃうの?」

「そうですよ。いつまでもいつまでも話ばかりしているわけにはいかないでしょう。」

「デニーちゃん、もーちょっとだけカルちゃんとお話ししてたかったなー。あっ、そうだ! ねえねえ、カルちゃん。デニーちゃんのものになるつもりはなぁい? デニーちゃん、なんか、カルちゃんのこと欲しくなっちゃった。」

「そのようなお言葉を頂けるのは光栄ですが……まあ、やめておきますよ。」

「えー、なんでなんで?」

「先ほども申し上げたでしょう。」

「ほえほえ?」

「私達は三人で一人です。」

 カレントは。

 モニター画面に。

 真っ赤な。

 真っ赤な。

 血の海のような光景を映して。

「そして、私は、兄達が傷付けられることを望まない。」

 カレントのそのような反応に対して、デニーは、またくすくすと笑った。「んー、そっか」と言ってから、大して残念そうにも聞こえない調子で「ざーんねんっ!」と付け加える。それから……人差指をぴんと伸ばして、それとは直角の方向に親指を向けて。まるで拳銃か何かのような形にした両手を、ぴっという感じ、顔の近くまで持ち上げた。両方の人差し指は上を向けられていて、親指はデニー自身の方を向いている。

 そうした両手を、軽く、ふりふりと振って。それに合わせるようにして、頭も、左右に、揺らして。暫くの間、不気味な静寂を保っていたのだけれど……やがて、にこーっと笑った。可愛らしく歪んだ口が言う。「デニーちゃんのものにならないなら、殺しちゃおーっと!」。

 人差し指。

 人差し指。

 両方とも。

 玉座の前。

 テロリスト達がいる。

 その空間に、向けて。

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