第二部プルガトリオ #57

 そう、ここがデニーが向かっていた場所であった。まあ最終目的地というわけではないが、とまれかくまれトマトの角煮、自殺行為号(仮)に乗って来られる限りでの目的地はここである。もう少しはっきりいってしまうのならば……目の前にある、この凄まじい傷口こそがアーガミパータ霊道なのだということだ。

 デニーは、ハンドルから手を離すと、ぴょいーんという感じで自殺行為号(仮)から飛び降りて。「ほえー! デニーちゃん、ここに来たのはとーっても久しぶりだよー!」だとかなんだとか、別に全然言わなくていいことを言いながら、てってこてってこと炎の方に向かって歩いて行った。

 炎のすぐそば、数十ダブルキュビトくらいの距離まで近付くと。まるで壁の向こう側にあるものが見たくて見たくてたまらない子供のような態度で、その場でぴょっこぴょっこと飛んだり跳ねたりして。炎と炎とに挟まれた空間を覗き込もうとしようとした。とはいっても、本気で覗き込もうとしていたわけではないだろう。デニーは、本気を出せばこの宇宙――そら――の遥か彼方まで翔けていくことだって出来る生き物なのに。それにも拘わらず、そのぴょっこぴょっこは、せいぜいが十数ハーフディギト程度のジャンプだったのだから。

 暫くの間、そんな風にしていたのだけれど。やがて、それに飽きたのかなんなのか、急にジャンピング・デニーちゃんであることをやめてしまった。それから、ちらりと太陽の方に視線を向けて。大して意味があることでもないようにして「んー、もう少しで来るかな?」と呟いたのであった。

 さて、それから……そういえば、真昼はどうしたのだろうか? 結論をいえば、どうもしていない。自殺行為号(仮)がカリ・ユガ龍王領を出発した時から何も変わっていない。つまり、後部座席に横たわったままだということだ。

 デニーは、アーガミパータ霊道の何かしらの状況を確認したらしい一連の動作が終わった後で。ようやくのこと、そんな真昼に注意を向けることにしたようだった。スーツの裾をひらめかせるようにしてその場でくるりと振り返ると。自殺行為号(仮)に向かって「たぶん、あと五分くらいで来ると思うよ!」と声を掛けた。それから、その言葉に対して、真昼がなんの反応も示さないと。「真昼ちゃん? 真昼ちゃん……真昼ちゃーん!」という感じ、いとらうたし~としか表現しようがない可愛らしさによって、また、自殺行為号(仮)の方へとカムバックし始めた。

 無論、真昼の心はそんなit lotusy(こう書くと「それって蓮っぽい」になっちゃいますね)に動かされることはなかった。というか、それ以前の話として、そもそも今の真昼には心がないのである。ということで、デニーちゃんは、そのまま自殺行為号(仮)のところまで戻ってくることと相成って。そうして、ひょんっという感じ、後部座席を覗き込んだ。

 「真昼ちゃん、着いたよー! 降りてー!」と、何度か声を掛けて。「真昼ちゃん、真昼ちゃんってば! 降りてよー、もう、これ、しまっちゃいたいんだよー!」と言ってから。それでもなんの反応も見せることなく、ただ蹲っている真昼に対して、ほへーっみたいな音を立てて溜め息をつく。

 それからデニーは「んもー、真昼ちゃんってば」「面倒がり屋さんの甘えたがり屋さんなんだから!」と言うと。軽く弄ぶような動かし方によって、自分の右手、その指先を、真昼の体に向かってひらりひらひらと揺り動かして見せた。すると……突然、真昼の体が、びくんっと大きく痙攣した。

 もちろん、それは真昼の意思による動作ではない。意思がない者が、どうして自分の意思で動き出すことが出来るだろうか? 真昼という生き物の根源的部分に、肉体や精神やという表面的部分よりも更に深層に、刻み込まれた魔学式によって。デニーが真昼のことを操作しているというだけの話だ。

 真昼の、何もかも空っぽの体は。まさに空気人形のようにして立ち上がった。首がゆらゆらと揺れていて、その上にある頭は焦点の合っていない視線を散乱させているだけだ。自分に起こった出来事について、ほんの僅かな関心さえも示している様子はなく。ただただされるがまま……リビングデッドそのものの動き方によって、自殺行為号(仮)から降りた。

 かなり危なっかしく見える動作であった。全体的にふらふらと揺れていて、後部座席の縁に足を掛けた時などは、そんな不安定な状態でそこから飛び降りるつもりなの? 大丈夫? と、思わず声を掛けてしまいたくなる有様だった。とはいえ、今の真昼はデニーちゃんの完全な支配下にあるのであって。レッド・アラートなシチュエーションなど起こりうるはずもないのである。ということで、真昼は、絶対的な安全性のままにそこから飛び降りることが出来たのだった。

 今更気が付いたんですけどね、そういえば、自殺行為号(仮)には扉みたいな物が付いてなかったんですね。それに乗降しようと思っている誰かしらがそれに乗降しようとすれば、浮遊していない状態でも一.五ダブルキュビトかそこらある隔壁を乗り越えなければいけない。人間からすれば全く不便な代物に思えるが、まあ、とはいえ、これは人間用に作られた物ではなくデニーちゃん用に作られた物なのだ。デニーちゃんにとっては、いちいち扉を開け閉めすることの方が面倒なことなのだろう。

 なんにせよ、真昼がそこから降りると。デニーちゃんは満足そうにうんうんと頷いた。それから「じゃあ、しまっちゃうからね」「何か忘れ物とかしてない? 大丈夫?」とかなんとか、いかにもおざなりに問い掛けてから。ちょこん、という感じで、その場にしゃがみ込んだ。

 その場に、というのは自殺行為号(仮)の真横のところにという意味であって。それから、そこのところの地面を、ぱっと開いた手のひらで叩いた。ぽん、ぽん、ぽん、という風に、ごくごく軽く、三回叩いたということだ。すると……くあん、とでもいうみたいにして、オルタナティブ・ファクトの口が開いた。

 今まで見てきたような、拳銃一挺を出し入れするのが精一杯というような大きさのものではない。もっとずっと大きな穴。自殺行為号(仮)の足元全体を覆い尽くしてしまうような穴。そして、その穴が開くと……そこから、まるで腐った骨と腐った骨とを接いで作ったような、乾き切った灰色をした触手が、何本も何本も吐き出された。

 触手というには硬質過ぎる質感であって、どちらかといえば関節の数を間違えてあまりにも多くの骨を繋いでしまった奇形の腕のようなものに見えた。先端には、明らかに人間ではない生き物の前肢骨が取り付けられていて。それらの前肢骨は、あたかも縋りついているかのようにして自殺行為号(仮)の全体、そこここに絡み付いた。

 そのまま、自殺行為号(仮)は、それらの触手によって穴の中に引き摺り込まれていく。ずるずると音でも立てそうな感じ、とはいえ、実際は不気味なほどの沈黙の中で。次第次第に、きらきらのピンク色に輝くビークルは姿を消していって……やがて、その全体が飲み込まれてしまった。

 それを見送って、ばいばーいとでもいう感じ、穴の底の方に向かって手を振ると。デニーは、すっくと立ち上がって「はい、お終い!」と言った。そう言うとほとんど同時に、オルタナティブ・ファクトの口は、しゅるんとでもいうみたいにして瞬く間に閉じて。後には、あの死に絶えた世界の残りのもののような灰だけが残されたのだった。

 と。

 まあ。

 これで、デニーと真昼との身二つだけ。

 大変身軽な状態に戻ったということだ。

 ところで、デニーが自殺行為号(仮)をしまったということから、一つ理解出来ることがある、それは、例のアーガミパータ霊道という物は、あのようなビークルが通るように想定されている物ではないということだ。もしそうならば、別に自殺行為号(仮)をしまうことはなかったわけで。そのまま乗っていけばいいだけの話なのだから。

 デニーは、出来損ないの操り人形みたいにして真昼のことを歩かせながら、二人で一緒にアーガミパータ霊道の近くまで進み出ていく。それから、そのすぐ近くまで辿り着くと、つんとでもいうみたいにして爪先立ちになって、手のひらで目の上に庇のようなものを形作って。アーガミパータ霊道の、こちらから見て左の方。ということは要するに方角的に考えると東の方ということだが、ずっとずっと向こうの方に視線を馳せようとしているかのようにして、暫くの間、そちらの方向を見つめていた。

 この態度と、先ほどの行動とを考え合わせると。どうも、デニーは、何かを待っているらしい。アーガミパータ霊道を通って、東の方角からやってくるはずの何かを。一体、それはなんなのだろうか? 幸いなことに、というのはそういう疑問を抱いた方々にとって幸いなことにということであるが、今のデニーちゃんは、ごめんなさい反省してますモードのデニーちゃんでもなければ、なんかちょーっと引っ掛かるんだよねモードのデニーちゃんでもない。いつもの元気いっぱいなデニーちゃんなのである。ということで、デニーは、いきなり、東の方角に視線を馳せるのをやめて。くるりっという感じ、真昼の方を振り返った。

「ここに来たのは、開通式以来のことだから。」

 いつものように。

 一秒たりとも口を塞いでいられない小鳥のようにして。

 どうせ真昼が理解出来るわけもないことを。

 ぴーちくぱーちくと話すつもりなのである。

「んーと、五十年ぶりくらいのことかなあ?」

 デニーのように長く長く生きている生き物にとって五十年など懐中粥の三分よりも一瞬のことだろうから、「とーっても久しぶり」という表現は大袈裟過ぎるような気がしないでもないが。まあ、そういう感覚はなにぶん主観的なものであるし、こちらから文句を付けるようなことでもないだろう。とにかくデニーは、可愛らしく傾げた首、ぴんと立てた人差し指にちゅっと口づけしているみたいなあのポーズをとって。それから、また話し始める。

「えへへ……真昼ちゃんはーあ、きっとなーんにも知らないだろうから、デニーちゃんが色々と教えてあげるね。これはね、アーガミパータ霊道っていって、アーガミパータのいろーんなところに繋がってる霊道なの。アーガミパータのいーっちばん南のところから、アーガミパータのいーっちばん北のところまで通ってる線路と、アーガミパータのいーっちばん東のところから、アーガミパータのいーっちばん西のところまで通ってる線路と、二つの線路があってね。アーガミパータの、大体真ん真ん中のところでばしーんって交差してるの。

「最初はね、西から東にずーっと続いてる線路しかなかったんだよ。今、目の前にあるこの線路がそれなんだけど。これが作られたのはね、元々は、アーガミパータの外側の人間至上主義勢力が、アハム・ジャナスミの子達のことをがんばれがんばれ!って応援するためだったの。

「えーっと、ヴィジャヤクッタの戦いでさーあ、アハム・ジャナスミの子達もなんとかかんとかして自分達の領域を手に入れたわけじゃないですかーあ? でも、それって、中央ヴェケボサニアの方からは東過ぎるし、愛国の方からは西過ぎるし、北から行こうとしてもスカハティ山脈を越えていかなきゃいけないしっていう、すごくすごく不便なところだったの。不便っていうのは、アーガミパータの外からいろーんなものを届けにくいっていうことなんだけど。兵器とかだけじゃなくって、食べる物とか飲む物とかも、もうぜーんぜん運びにくいところにあったんだよね。

「だから、どうにかしなくちゃ!ってなって。それで、中央ヴェケボサニアの方から、そのアハム・ジャナスミのところまで続く、こういう線路を作ることにしたの! ほんとはーあ、テレポートのルートを通してポータルを作るつもりだったんだけど。ほら、これだけの距離のルートを通そうとすると、例の非周期的時空間変動とかも計算に入れないといけないでしょ? そうすると、とーっても面倒なことになるから。こういう風な、具体的な輸送手段にしちゃった方が早いねっていうことになったの。

「最初はね、自動車が通る道だとか飛行機が通る道だとか、それか科学的なエネルギーで動く鉄道だとか、そういうのを作ろうとしてたんだけど。それだとさーあ、なんか、こっちの端からあっちの端まで何かを運ぼうとする時に、ぼぼんとぼーだいなエネルギーが必要になっちゃうじゃないですかー。そういうのって、ちょーっともったいないっていう気持ちになるよね?

「だから、アーガミパータにある資源をそのまま使って物資を輸送出来るような、そんな輸送手段を作ることにしたの。真昼ちゃん、真昼ちゃん、アーガミパータに、いーっちばんたくさんある資源ってなーんだ? うんうん、そうだよね。死体だよね。だから、死体をエネルギーにした輸送手段を作ることにしたっていうわけ! それで出来たのが、じゃじゃーん! このアーガミパータ霊道でーす!

「リュケイオンの死霊学部が中心になって設計したの。ベースになる魔学式を作ったのがゾーシャちゃんで、デニーちゃんもちょーっとだけお手伝いしたんだよ! レノアにお願いされてね。だから、開通式にもお呼ばれしたっていうこと。

「普通のところに作るんならーあ、別にそんなに複雑な魔学式にする必要はないんだけどお。アーガミパータに作るものだからね! どんな生き物に、それか生き物じゃない何かに、襲われるか分かんないし。それに、んもーめーっちゃくちゃ!って感じの自然現象が起こっても、ぜーんぜん大丈夫!っていう風にしなきゃいけないでしょ? だから、デニーちゃんみたいな強くて賢い魔学者もお手伝いしなきゃいけなかったってわけ!

「それでそれで、このvanity fireがその防御機構だーっていうわけ! アーガミパータ霊道を色んな危ないものから守るために、デニーちゃん達のグループが中心になって作ったやつ。えーと、うーんと……もしかして、真昼ちゃんって、vanity fireのこと知らないかな? HOSTが青イヴェール合金の化学式を完成させちゃってから、なんか特別な理由でもない限り、ぜーんぜん使われなくなっちゃったもんね。vanity fireっていうのは、名前のとーり、「虚無の炎」のこと。

「青イヴェール合金とかイマキュリト・フィールドとか、そういうのと基本的な効果は一緒でね。つ、ま、り、無原罪としての対世界独立性を理程式の形で構造化して、それを世界の方向に具現するっていうこと。そーすることで、この炎によって包み込まれているものが、あーんな攻撃とかこーんな攻撃とかから守られるようになるんだね。他の形象化無原罪と違うのは……例えばねーえ、ほら、イマキュリト・キューブとかは、科学的なエネルギーを無原罪化した物だよね? でも、vanity fireは、夢力とか霊力とか、種類はなんでもいいんだけど、とにかく魔学的なエネルギーを無原罪化した物なの。

「まー、まー、そーいう感じ! それで、アーガミパータ霊道はそのvantiy fireで守られてるってわけ。ちょーっと見ただけだと、横のところだけが守られてて、上からとか下からとかそういう方向からばばーんって攻撃された時にどーするのって思っちゃうかもしれないけど。でもでも、もしもそーいう方向から攻撃が来ても、あの炎がばばーって燃え上がって、そういう攻撃を無原罪で焼き尽くしちゃうの。だからね、普通の生き物は、よーっぽどのことがない限りあの線路の中に入れないーっていうこと!

「でもね、デニーちゃんは、強くて賢いデニーちゃんだから! なーんでも出来ちゃう! っていうかさ、さっきも言ったけど、このvanity fireってデニーちゃんも一緒に作ったやつじゃないですかー。だからね、だからね、デニーちゃん、知ってるの。ゾーシャちゃんが、これを作った時に、何かあったらーっていうあれこれに備えて、魔学式の中に一定の脆弱性を混ぜ混ぜしたっていうこと。バックドアってやつだね! だからね、それを使えば、ここを通ってく骸車に、しゅぴぴぴーんって乗せて貰っちゃうことが出来るんだよー!

「それで、デニーちゃんとしては西の方に行こうと思ってるから。ほら、西の方に西の方にずーっと行けば、最後の最後には中央ヴェケボサニアに出てくことが出来るでしょ? そうすれば、アーガミパータからばいばいって出来るわけで。んー、まあ、でも、そんなに簡単にはいかないと思うけどね。とにかく! そんなわけで、今、デニーちゃんと真昼ちゃんとは、西の方から来る骸車を待ってるってゆーことです!」

 と。

 そこまで。

 デニーは。

 話して。

 まあ、色々なことをお話し頂いたので、それなりの量の情報を入手することは出来たのだが。とはいえ、肝心な部分に関してはそこまで具体的に理解出来たというわけではなかった。つまり、デニーは、これから一体何をしようとしているのかということ。もっとはっきりといってしまえば、デニーは、何を待ち受けているのかということ。

 最後の最後にそのヒントとなる言葉が現れはした。「骸車」という言葉だ。けれども、それについての説明は一切なかった。まるで、そんなことは知っていて当然だとでもいうみたいに。骸車……読者の皆さんはご存じですか? アーガミパータの事情にそこそこ詳しいとでもいうのでない限りはご存じあるまい。なぜなら、骸車という物が存在しているのはアーガミパータだけ、というか、骸車が通っているのはアーガミパータ霊道だけだからである。

 なので、アーガミパータについてほとんどなんも知らんちんのはずの真昼が骸車を知っているはずもなく。デニーの態度はちょっとばかり傍若無人であると言わざるを得ないのであるが。とはいえ、デニーちゃんはとーっても可愛いのであるからして、これくらいの傍若無人さは許されてしかるべきなのである。

 なんにせよ、骸車とは何か? 「霊道」を走る「骸車」。そして、それを作る際に中心になったのは、リュケイオンの死霊学部であるという事実。こういったことを考え合わせれば、それがどんな物であるのかということが浮かび上がってくるかもしれない。磁石を近付けた砂鉄の上に、次第に、次第に、電磁力の姿が浮かび上がってくるかのように。

 浮かび上がってきましたか?

 浮かび上がってこないです?

 でも、ご心配なく!

 だって。

 ほら。

 もう。

 すぐに。

 それの、実際の姿が。

 現れる、はずだから。

 つい今しがた、一方的に喋りまくるのを終えたデニーが。なぜ口を閉じたのかといえば、その音が聞こえてきたからだった。遠く、遠く、東の方角から何かが近付いてくる音。あたかも鉄琴か何かをリズミカルに叩いているかのように、金属の上、何かが、音を立てている。

 これは……どうも……炎と炎とに挟まれた、あの赤イヴェール合金の金属板。その上を何かが走ってくる音らしかった。走ってくる? そう、走ってくる。足を踏み鳴らして走ってくる。ただし、とはいえ、その何かの足の数は少しばかり普通とは異なっているのだろう。

 音を聞く限り、それは二本の足が鳴らしている音ではない。四本の足が鳴らしている音でも、六本でも八本でもない。数え切れないほど無数の足が、軽やかで定型的なダンスを踊ってでもいるかのように、規則的な音を立てている。

 近付いてくる、近付いてくる。最初は遠かった音が、見る見るうちに、というか聞く聞くうちに、接近してくる。その速度はあまりにも早かった、恐らくは先ほどまでデニー達が乗っていた自殺行為号(仮)よりも速いだろう。時速にすれば千エレフキュビトを超えているかもしれない、それほどの速さだ。

 そして、近付いてくるごとにそのことがなんとなく分かるようになってくるのだが。その何かは巨大だった。明らかに、あまりにも大きく・あまりにも重いものであるはずだった。なぜなら、それが鳴らす音は、やがて、デニー達が立っている大地、岩石の平面さえも震わせるアースクエイクとなったから。

 世界を揺らしながら。

 凄まじい速度で。

 こちらへと近付いてくる。

 それは。

 それは。

 anxiety。

 な。

 何か。

 デニーは、真昼から視線を外すと。とはいえ体の向きは真昼に向けたままで、視線だけを、またアーガミパータ霊道に向けた。その音が近付いてくる方向、西の方向。近付いてくる音に耳を澄ませるかのように、というか、それよりも深い感覚へと沈んでいくように。「あ、ほら! 真昼ちゃん!」「来たよ!」「時間通りだね!」。嬉しそうに口ずさみながら、にぱーっと笑う。

 確かに、それは、来た。数え切れないほどの足、足、足によって赤イヴェール合金で出来た音板を叩きながら。最初は点のような姿にしか見えなかったそれが、見る見るうちにこちらに向かって突進してくる。それは、ある意味では振り下ろされる鎚にも似ている有様だった。あるいは、もっと単純に、空間そのものを押し潰そうとしている莫大な質量。それは、それは……確かに、それは、来た。さりとて、それが来ることを誰が望むというのか?

 それは、まさにリュケイオンの死霊学部によって作られた物だった。一目見ただけで分かる。この世界において、リュケイオンの死霊学部以外に、これほど禍々しい何かを作ることなど出来るわけがないからだ。それを描写することはあまりにも不快な作業であり、それどころか、それを思い浮かべるだけで嫌悪感のあまり頭蓋骨が軋むような思いがするくらいだが……とはいえ、なんとか描写してみよう。

 端的にいえば、それは芋虫であった。ただの芋虫ではない、巨大な、巨大な、芋虫。その幅は五ダブルキュビト程度、その高さもやはり五ダブルキュビト程度。そして、その長さは、一エレフキュビトを軽く超えていて、ひょっとすると二エレフキュビトあるかもしれないというくらいだ。

 その芋虫には顔がなかった。ただ、のっぺりとした空白が、正面に、ぽっかりと開いているというだけだ。それから、その全体は大体二十ダブルキュビト程度の長さの体節に分かれている。それが幾つも幾つも繋がって、というのは、無論、直列に繋がってということだが、一匹の芋虫を形成しているというわけだ。体節の一つ一つから十六本の足が生えているのだが、それらは体の真下に生えているというよりも、斜め下の辺りから生えているといった方がいいだろう。奇妙に捻じ曲がった関節が一つ付いていて、その関節を不気味に捻じ曲げて動かすことによって、これだけの脅威的な速度を実現しているようだ。

 ただ、当然のことであるが、そういった部分は、その芋虫についての最も唾棄すべき部分・最も嫌悪感を催させる部分ではない。その芋虫について、なぜそれが反吐が出るほどの悪意を感じさせるのかといえば……その芋虫の全体が、人間の死体によって形作られていたからである。

 ゼニグ族の、ヨガシュ族の。男の、女の。子供の、青年の、中年の、老人の。あらゆる種類の人間の死体が、ぐちゃぐちゃに混ざり合い溶け合うようにして芋虫の形になっているのだ。そういった死体の腐敗の程度も様々であって、ほとんど乾き切って骨になってしまっているものもあれば、ついさっき皮膚が破れて内臓がこぼれ出したように見えるものもある。とはいえ、そのようにして使用されている死体の全てに共通している点もあって、それは一糸纏わぬ姿であるということだ。

 素裸の、腐りかけた、腐り切った人間。それを継ぎ接いで作った芋虫……いや、違う。これは芋虫ではない。確かに芋虫のようにも見えるが、実際には、これは、もっと別の物だった。つまり、これはtrainだったのだ。共通語でいうならば、列車。ただし、普通の列車は金属で出来ていて電気によって走るが、この列車は死体で出来ていて霊力によって走る。

 だから鉄道と呼ばれる代わりに霊道と呼ばれ。

 電車と呼ばれる代わりに骸車と呼ばれている。

 うーん……描写してて思ったんですけど、そこまでひどい有様ってわけでもなかったですね。ゲロ吐きそうだとか、頭痛がヘッドエイクだとか、ちょっといい過ぎだったかもしれません。エコロジーなことをしているといえばエコロジーなことをしているのだし、そういう視点から見れば、むしろサステナブルがソーシャルグッドといっても過言ではないかもしれない。そんな思いさえ感じられてきました。まあ、なんにせよ。アーガミパータでは、これよりもひどいなんて、それこそリデュース・リユース・リサイクルするほどに仰山ある。

 要するに……デニーが言っていた通り。アーガミパータで最も簡単に手に入るエネルギー源、何があっても供給が滞らないであろうエネルギー源は、死体だ。特に、アーガミパータ霊道が通っている辺り、どちらかといえばナシマホウ界に近い辺りでは、人間の死体ほど豊富な資源はないくらいである。

 だから、中央ヴェケボサニアからアハム・ジャナスミの支配地域へと続く輸送ルートを作ろうとした人間至上主義諸国は、リュケイオンの死霊学部にその仕事を依頼した。死体のことなら専門家にお任せ、というわけだ。そして、死霊学者という生き物は、以前も書いたように、一人の例外もなく頭の狂ったクズなのであって。これは大規模な実験が出来そうだぞと大喜びして二つ返事でその依頼を引き受けたのである。

 学部長であるゾシマ・ザ・エルダーが直々にアーガミパータまでやってきて、死霊学部の中でも「特に優秀な学者達」、というのは要するに「特に良心が欠如した学者達」ということであるが、そういった連中を集めて設計したのは、人間の魄を動力として動く駆動システムである。

 魄については、もう少し後、真昼がハッピーサテライトによって殺されてしまい、その後でデニーによってティックーンとして蘇らされるところで説明しようと思っているので。ここではちょっと触れるだけにとどめておくが、つまりは、いわゆる生命と呼ばれるもののうち死後も人間の肉体にとどまる部分のことである。魄は、非常に具体的・生物的な役割を担っており、その機能のうちには「他者の生命力を吸収することによって自己の生命力とする」といったような、非常に肉体と密接に関係する機能がある。そのため、物理的な形で世界に干渉可能な駆動システムを作ろうとする場合、そのエネルギー源として非常に適しているのだ。

 そして完成したのが、いわゆる「霊力機関」によって駆動する、この骸車と呼ばれるtrainだ。といっても骸車の本体は骸車ではない、骸車がそこを走るところの霊道こそがその本体である。何がいいたいのかといえば、霊道に描かれた魔学式が、周囲にある死体を集めて、組み立て、列車のような形にして。それから、それを出発地点Aから目的地点Bまで走らせるということ、全自動で行っているということだ。骸車自体には駆動システムは付いていないし、それどころか自体の形態を保持するだけの力もない。それはただの死体の塊に過ぎないのだ。

 とはいっても、そういった車両の一つ一つは内部が空洞になっていて、その中に大量の積み荷を積載することが出来るのであるし。それに、車両自体が死体を探索・把捉するような仕組みになっているのではあるが。

 えーとですね、一体どういうことなのかといえば……ああ、ちょうど今、こちらに向かってくる骸車が、その機能を目の当たりにしてくれたところだ。骸車の一部分がぐちゃりと音を立てて盛り上がって、まるで悪性の腫瘍のような形になる。それが、やがて、べちょりと弾けて、その中から触手のような物が生えてくる。それはもちろん死体で出来ていて、たくさんの肉体の断片が繋ぎ合わさった先端には、人間の上半身がくっついている。といっても、首から先は切り落とされて失われているので、実質的には二本の腕だけしかくっついていないのだが。

 そういった触手がずるりずるずるーといった調子で伸びていって、vanity fireで出来た障壁の外側に到達する。そして、そのまま、その触手は、霊道のすぐそばの大地に叩きつけられた。その勢いは、ほとんど岩石を穿つほどの勢いであって、というか実際に、その触手が叩きつけられた部分は深く深く抉り取られたくらいであった。そして、その触手は、そうやって出来たクレーターの中から……何かを掘り出した。まばたきをするほどの間に、触手の先端にあった両手が、それを掴み取って。骸車の方へと戻っていく。

 よく見ると、それは――まあよく見なくても話の流れから分かると思うけど――人間の死体だった。ほとんど朽ち果ててしまって、ところどころがムーミヤーのようになっている人間の死体。きっと岩石の中に埋まっていたせいだろう、っていうかなんで岩石の中に埋まってたの? とにかく、そんな死体を、触手の先端の両腕は抱き締めていて。そして、骸車はそれを飲み込んだ。

 と、まあこんな感じですね。何がいいたいのかといえば、霊道の左右にいくらでも落ちている死体を骸車自体が取り込んでエネルギーとしているということである。ちなみに、このアーガミパータ霊道には、その噂を聞き付けた難民達がアーガミパータから脱出したいという切実な希望を抱いてやってきて、そして、なんとか骸車に乗ろうとしてvanity fireの壁に突っ込んで。無原罪の炎に焼き尽くされて死ぬということがかなり頻繁に起こるので、その方面から考えても死体の供給に困ることはない。

 そのような。

 死体の塊が。

 こちらに向かって。

 押し潰そうとでもしているかのように。

 驀進してきているのだが。

 なんか怖いな。いや、怖いとかそういうのを通り越して生理的な嫌悪感がある。なぜというに、近付いてくるごとにそのことがはっきりとしてくるのだが、骸車は、全体的に死臭を纏っているからだ。当たり前といえば当たり前のことだが、乾燥し切ったプラーヤスキッタ高原の天候状態の中でも、そういった死臭がなんとかなるほどこの死体の塊を乾かすことは出来なかったらしい。

 というか、驚くべきことは、そのようにして死臭を撒き散らしている死体の塊の中に、実際に物資を詰め込んで運搬しているという事実だ。いや、デニー達に向かって接近しているあの骸車はアーガミパータ暫定政府の支配地域から中央ヴェケボサニアに向かって帰っていくところなので、中には何も積まれていないのだが。とはいえ、ああいうのに、食料だの水だの、そういった物まで積んで運んでいるわけである。いや、まあ、それしか飲む物がなかったらそういう水でも飲むけどさ……なんにせよ、現実の世界には時折信じられないような出来事が起こるものである。

 さて、それはそれとして。骸車は、情け容赦なく、どんどこどんどこ近付いて来ている。ここで問題になるのは、どうすればこれに乗ることが出来るかということだ。ここまでも何度か書いたことであるが、骸車が走っている霊道の横には、vanity fireによる障壁が設置されている。骸車に乗るどころか、霊道に近付いただけで焼き尽くされてしまうだろう。正確にいえば、デニーちゃんはとーっても強くて賢いので、これくらいの無原罪では焼き尽くすことなどできはしないのだが。とはいえ真昼ちゃんはどうかな?ということなのである。「どうかな?」も何も、まあ焼き尽くされて死にますよね。ということで、何か方法がなければいけない。この障壁をすり抜けるための方法が。

 それが。

 脆弱性。

 デニーは……きゅーっと目を細めて、近付いてくる骸車を見つめていたが。やがて、また、真昼の方にぱっと振り向いた。それから、なんだかよく分からない行動をとり始めた。まず、右の手と左の手と、両方の手、人差指の指先をぴんと立てて。そして、自分の顔の前に持ってきたのである。二本の指が空の方を指さしていて、それから、デニーは、リズミカルに体を動かし始めた。

 それは、まさに、あの音板のリズムと同じものだった。つまり、骸車が赤イヴェール合金の金属板を叩き蹴る音、その音のリズムと同期していたということである。まるで、鉄琴に合わせて自然と踊り出した、生まれたばかりの子猫のようにして。デニーは体を揺らし始めた。

 そっと目をつむったまま……右に左に上半身を揺らして、それに合わせて指先をぴこぴこと踊らせる。少しの間、そのようにして「たったったったー」とかなんとか言いながらリズムを取っていたのだけれど。とうとう、骸車のリズムとデニーのリズムとが完全に一致する瞬間がやってくる。

 デニーは、その瞬間に、ぱっと目を開いた。

 そして、その口が一続きの言葉を口ずさむ。

「その者の前に閉ざされた扉はない。その者は全てを表わした者であるがゆえに、その者は全てを司る者であるがゆえに、その者は全てを終わる者であるがゆえに。その者は全ての扉の鍵を持ち、その者に対して全ての門番は跪く。」

 と。

 その言葉。

 紡がれた。

 瞬間。

 何かが。

 起こる。

 大したことではない。ついさっき起こったことと同じことだ。つまり、骸車の一部分が膨れ上がって。それが破裂するようにして、触手が姿を現したのだ。一本の触手だけでなく、合計して二本の触手。そして、先ほどと同じようにして、その触手は障壁の外側へと伸びていって。

 ちょうどその時に……骸車は、デニーと真昼とが立っている場所、その真横を通りかかったところだった。何千人も、それどころか何万人もの人間の死体が一つになった、化け物のような質量の塊が。空間そのものを押しのけるようにして、凄まじい腐臭にまみれた突風を巻き起こしながら、駆け抜けていく。

 警笛が。というか、恐らくは警笛としての機能を果たすのであろうと思われる音が鳴り響く。その姿形を構成している人間の死体、その中の口がある者、まだ声帯が残っている者。それらの口が、全て開いて、一斉に叫び声を上げたのだ。がああああああああーっ!という絶叫。それが、そこら中に響き渡る。山と山とに反射して、粉々に割れたガラスの破片のように散乱する。

 そして……触手が……二本の触手が……霊道の横、大地の上にあったものを、引っ攫うかのようにして捕まえた。ただし、今度のそれは死体ではなかった。生きている二つの体、つまり、デニーの体と真昼の体とであった。

 そう、これこそが脆弱性だ。骸車は、エネルギーを補給するためにどうしても霊道の外部から死体を取り込まなければいけない。無論、そのようにして死体を取り込む際には、霊道に対して害を与えるような何かしらが混入することがないように非常に厳密な判断を行うのではあったが。その判断を一時的に混乱させることによって、自分達のことを死体として認識させたのだ。

 触手は、そのまま、二人のことを骸車にまで連れてくると。骸車の上、屋根の上に、そっと置いた。まあ、いくらそっと置いたとしても、時速千エレフキュビト近い速度で走っている物体の上なので、普通であればクソやべー風で吹っ飛ばされそうになってしまうはずなのであるが。とはいえ、そうなる前に、どうやらデニーが何かしらの対処をしたらしい。デニーと真昼とがいる空間だけ風除けの魔法か何かを使ったのだろう。未だにぽけーっとした阿呆面をして、死体の塊の上にぺたんと座り込んでいる真昼。それでも、どこかに飛ばされるようなことはなかった。

 さて、これでデニーと真昼とはアーガミパータから外の世界へと向かう……文字通り、レール・トランスポートの上に乗ったというわけだ。何かよほどのことが起こらない限りは、二人とも、安全なまま、中央ヴェケボサニアへと脱出出来るはずだ。

 ちなみに、そのよほどのことというのは、リュケイオン死霊学部(と強くて賢いデニーちゃん)の全面的な協力のもとで作られた無原罪の障壁が破られるということである。そんなことは滅多なことがない限り起こるはずがない。あり得ないことだ。

 しかしながら、真昼は知っている。頭蓋骨の裏側に刻み込まれているかのようにしてそのことを完全に理解している。この世界では、往々にして、そのようなあり得ないことが起こるということを。特にこのアーガミパータでは、あり得ないことなんて、ほとんどないということを。

 それに、そういった一般論よりも、もっともっと重要な具体的な事実がある。恐らく何かが起こるであろうという可能性に関する具体的な事実が。それは、つまり、デニーの態度についてだ。デニーは、プリアーポスという名前の何者かに向かってなんと言っていたか? アーガミパータ霊道ならば、どこからでもデニー達を見つけることが出来るし、どこからでもデニー達に襲い掛かることが出来る。そう言っていた。

 ということは、デニーは、デニー達が襲撃されることを前提としているということだ。それどころか、その話によれば。デニーはむしろ襲撃されるためにこそこの骸車に乗車したのだということらしい。

 デニーが、そのように話していたということは。要するにそれは確実に起こるということである。そこに疑問の余地は一切ない。真昼は確信をもっていうことが出来る。デニーは正しいのだと、絶対に、何があっても、デニーは間違うことがないのだと。

 そのようなわけでして、デニー達は、これから。アーガミパータ霊道というアーガミパータでも屈指の重要施設、その防衛システムさえも攻略しうるような何者かが攻撃を仕掛けてくるであろう、そんな場所に向かっているのだということだ。あっはっは、もう笑うしかないですね。ここまで危険な状況なんてそうそうあるもんじゃないだろう。

 もしも、真昼に、欠片でも思考能力が残っていたのならば。このことについて、デニーに対して問い詰めていただろう。一体あんたは何を考えているんだ、そんな危険な状況に突っ込んでいってどうにかなるとでも思っているのか。何か勝算でもあるというのか、そうだとするのならばその勝算を導き出した数式を一つ一つの項に至るまで厳密に証明せよ。云々官々、そんな感じだ。別に危険な出来事が起こるということに問題はないし、自分が死ぬことにもさして重要性はないが、デニーに対して文句が言えるのならば、いつまでもいつまでも文句を言い続けたいところの真昼ちゃんなのである。

 ただ、しかしながら……今の真昼は、考えることが出来ない、思うことさえ出来ない、そんな状態にある。なので、言いたいことを言葉にまとめることが出来なかったし、それ以前の話として言いたいことがそもそもなかった。だから、何も言わないままで、ただただそこにへたり込んでいただけだった。

 そんなわけで。

 これから何が起こるのかということ。

 それを知ってるのは。

 デニーちゃんだけだ。

 そして、そのデニーちゃんは。

「さあ、真昼ちゃん!」

 危険性の欠片も感じさせない。

 いつも通りの、可愛らしさで。

「ごー、うぇすと!」

 底抜け元気いっぱい。

 そう叫んだのだった。


 それから。

 一時間が。

 経過した。

 語るに値するようなことは、その間何も起こっていない。まあ、敢えて何かをいうとするならば、少しばかり周囲の景色が変わってきたということだろう。ヌリトヤ沙漠近くのあの枯渇した感じはだんだんと和らいできている。今見えている景色にはそれなりに緑の色彩が増えてきた。亜熱帯亜熱帯した感じの常緑樹木が、斑になった苔の塊みたいにして、丘陵のところどころを覆っていて。それどころか、ずっとずっと向こうの方に、結構大きめの湖さえ見えているくらいだ。とはいえ、霊道が走っているところは相変わらず岩肌の大地であったのだが。

 そういえば、そのような岩肌も……ちょっとばかり変化が出てきたかもしれない。なんとなく、薄茶色の砂っぽい感じが薄れてきて。灰色をした硬い岩盤が露出している感じなのだ。地質学には詳しくないのでよく分からないのだが、この辺りにはそれなりに雨も降るようであるし、それによって表面を覆っていたはずの乾いた砂の部分が洗い流されているのだろうか。

 それから、本当に時折であるが。何かの惨たらしい力によって叩き潰されたとした思えないような、荒れ果てた廃墟の真ん中を通ることもあった。何かの寺院を中心にして作られた城壁都市だった物で、それほど大きいというわけではない。せいぜいが、真昼がアーガミパータで見た最初の場所、つまりトラヴィール教会が作った国内避難民用のキャンプ、その程度の大きさしかなかった。

 塔は毀たれて、城壁は崩れ落ちて、町並みはほとんど土山と化してしまっている。ところどころでは木々が繁茂して、恐らく神々の彫像であったと思われる物が、ほとんどもとの形状を保つことさえ出来ないままで、ただただ崩壊していく都市を見下ろしている。無論、そこに住む者などいるはずもない……小型の犬の形をした影のように曖昧な何かや、あるいは金属に似た硬質の鱗を持つ蜥蜴のような生き物を除けば。

 全てが、全てが、死に絶えたような灰色に包まれていて。アーガミパータらしい色彩、もちろんこの都市がまだ都市であった頃にはそういった色彩で包み込まれていたに決まっているのだが、そういった色彩は完全に失われてしまっていた。そのことから……そういった廃墟が随分と古い時代の物であるということが分かった。第二次神人間大戦の時の物か、もしかして、それよりも過去の物かもしれない。

 そして、そのような都市を通るたびに……まるで多足類と頭足類とが混ざった生き物であるかのようにして、骸車からは、大量の触手が生えて。そういった都市のそこら中で永遠の眠りを眠っているところの、ほとんど白骨化した死体を、次から次へと貪っていくのであった。

 まあ、そんな感じだ。

 物語に関係してくるような何かしらは。

 別に、何も起こっていないということ。

 そのような状況、デニーと真昼とはどのように過ごしていたのだろうか。まず真昼であるが……書く必要あります? 外部にある世界にも変化がなく自分の内的世界においても変化しようがない人間が一体どうするかなんて、そんなことは決まっている。何もしないのだ。というわけで、真昼は、どこも見ず、何も聞かず、何も言うことなく。なーんにもしないままで、ただただ腐りかけた死体の上、腑抜けたように座り込んでいただけだった。

 一方で、デニーはといえば。これまたいかにもデニーちゃんがしそうなことをしていた。それは、何一つ反応を示すことのない真昼に向かって、あまりにもどうでもいいことを、あまりにも一方的に、喋くり倒していたということである。可愛らしい小鳥が、一体何に向かって鳴いているのかさっぱり分からないのだが、とにかくきゃいきゃいと騒ぎ立てているみたいに。死体の上にはっしと立ち上がって、座り込んでいる真昼の周りをくるくると歩き回りながら。身振り手振りを交えて。

 例えば。

 こんなこと。

 言っている。

「だーかーらー、そこまで強い障壁にはね、出来なかったっていうこと! そもそもさーあ? ほとんど腐りかけちゃってたり、それか、触ったらすぐに粉々になっちゃいそうなぼーんずだったり、そういうさぴえんすのお体を、こういう形に固定してー。それで、これくらいの速さでしゅぴぴぴーんって動かすのって、結構さ、エネルギーさ、使っちゃうんだよねー。それでそれで、さぴえんすの魄をエネルギーにするっていったって、そんなにたーっくさんってわけにはいかないじゃないですかー。せいぜいさーあ、さぴえんす一人で、これーっくらいだよ、これーっくらい! そりゃー、いくら強くて賢いデニーちゃんだって無理だよお。

「それにね、例えば洪龍だとか神々だとか、どっかーんまきしむすとろんぐ!って感じの生き物からの攻撃を、ばしーんって跳ね返せたりしちゃうほど強い障壁にする必要もないわけ。だってさ、この霊道を使って運ぼーって思ってたのって、よーするにお水とか食べる物とか、そーいう物だったわけでしょ? そりゃー、ちょっとした対神兵器だとか、ポータルベースの部品だとか、そういった物も運ぼーって思ってたけど。でもでも、本当にすっごーく重要な物は、ちゃーんとした人達がちゃーんとした方法で運ぶわけじゃないですかー。だから、この霊道で運ぶ物って、量は多くてもそれほど貴重じゃない物だけっていうわけ。

「洪龍とか神々とかそういう生き物は、そんな物、欲しくもなんともないに決まってるじゃないですか! そういう物を欲しがるのって、やっぱりそこら辺のどーでもいいさぴえんすとか、それか、せいぜいはぐれヴェケボサンくらいでしょ? えーっと、あとは死体の匂いに引き寄せられてきたノスフェラトゥとかがばばーってしてくるかもしれないけど。そんなわけで、そういう生き物からの攻撃だけぴゃーって出来ればよかったっていうわけ!

「つまりねーえ、真昼ちゃんみたいな、誰もが欲しい欲しいって思う、とーっても貴重なものを乗せるっていうことは、そーてーしてなかったっていうこと! デニーちゃんと真昼ちゃんと、そんな感じのアーガミパータ霊道に乗ってるの。しかも、なーんの結界もなーんの迷彩も使ってないから、ここだよここだよーってアーガミパータ中に聞こえるような声でわーわーしてるよーなものだよね。REV.Mからすれば、きっと、こーんなにたーげてぃんぐしやすいたーげっとはないってくらいだよ!

「REV.Mにだって、レベル7の子がいないわけじゃないしね。それに、そこまでいかなくても、レベル6くらいの子が攻撃したら、やっぱり一時的に無効化されちゃうよ。これくらいの障壁だったら、それくらいのことは出来ちゃうよ。そんなわけで! REV.Mの子達がどわーって、攻撃ーって、してくるのは、ほとんどぜーったいっていうことです! 分かった? 真昼ちゃん!

「そんなわけで、今のデニーちゃんは、攻撃されるのを待ってるところなんだけど。んあー、真昼ちゃん的には、きっと、まだかなまだかなーって感じだよね! えーっとね、デニーちゃんの予測だとねーえ……まずは、ヌリトヤ砂漠からちょーっと近過ぎるなーってところでは襲ってこられないでしょ? だって、カリ・ユガ龍王領だとかASKだとかから、デニーちゃんお助け隊がだだだーって来ちゃうかもしれないし。

「でも、そうはいっても、アーガミパータ亜大陸と中央ヴェケボサニアとの境界に、デニーちゃん達のことを、あーんまり近付け過ぎちゃっても駄目だよね。だって、そうなると今度は、コーシャーカフェからかばーりんぐ・ふぉーすが送られてくるかもーってなっちゃうから。ヌリトヤ砂漠から十分離れてて、境界線にも近過ぎないなーって場所。

「それから、そーいうところの中でも、あーんまり近くに城塞都市の廃墟がないところがいいよね。だって、ほら、そーいうとこってさ、もしかして神話時代とか伝説時代とかの防衛システムが残ってるかもしれないじゃないですかー。それをデニーちゃんが使っちゃったら、また国内避難民キャンプみたいなことになっちゃうかもしれない! やっぱり、そーいうのは、REV.Mとしてもやだやだって感じだよね。

「それに、そーゆーこと以前の話だけど、そーいう廃墟だと隠れる場所がいっぱいあるから。単純に、ラミアと魚になっちゃうのは面倒ってお話! だから、きっと、襲ってくるなら、ぱぱーんって広がってるところだよね。なるべく、どこまでもどこまでも見通せる平野部。そういうところなら、デニーちゃん達は逃げも隠れも出来ないから。

「それでー……ついさっき、トゥーシーワールだったところを通り過ぎたでしょ? ここから先は、確か、暫くいかないと城塞都市はないはずなんだよね。しかも! 中央ヴェケボサニアに近付いていくにつれて、どーんどんひらべったいところが多くなっていくから。こんな感じの平野が多くなってくの。と、ゆーことで! デニーちゃん的には、そろそろ襲撃されちゃうんじゃないかなーって思ってるんだよね。

「まー、まー、向こうの子達は、デニーちゃんとは違って見つかりたいなんて思ってないだろーし。今だ襲撃!っていうたいみんぐまでは、なんかの結界とかなんかの迷彩とかを使ってるだろうから、事前には分かりにくいと思うけど。それでも、襲撃の直前には、何かの前兆があるはずだよ。だって、襲撃しよーってなったら、どーしてもvanity fireを消さなきゃいけないもん。そのための、何かが起こると思うんだよね。

「それが起こるのはねーえ、あと……んー、一分くらいかな。デニーちゃんなら、あと五分くらい経ったところに兵隊を配置しておくと思うから。地形的に考えても距離的に考えても最高の場所だよ! とーっても広々してる平野だし、それだけじゃなくって、周囲がぜーんぶ岩壁になってて、襲撃には最適なの。で、で、そーだとするなら、それに間に合うようにvanity fireを消さなきゃいけないもんね。そんなこんなで、何かが起こるまで、あと三秒、あと二秒、あと一秒。

「んー。

「あー。

「ほら。

「雨。」

 デニーは。

 そこで。

 立ち止まった。

 手のひらを広げて、体の前に出して。

 上の方に向けて、そっと差し上げる。

 目をきゅっと細めて。

 軽く、空を見上げる。

 その空は……晴れていた。晴れ渡っていた。相変わらず、命あるもの全てを焼き尽くそうとしているような陽光。雲一つないアーガミパータの晴天だった。

 しかし、それでも。デニーの口は「雨」と言った。その口は雨が降っていると呟いた。そうであるのならば、雨が降らないわけがあるだろうか? デニーは絶対に正しい。デニーは絶対に間違わない。デニーが雨が降っていると言ったのなら、ここには雨が降っているのだ。

 ほら。

 ほら。

 よく見てみて。

 デニーが差し上げた。

 その手のひらの上に。

 まさに、たった今。

 一滴の。

 雨粒が。

 ぽつり。

 あたかも、デニーの言葉が現実に対してなんらかの強制力を持つ絶対的な命令であったかのように。この絶対的な快晴のもとに、雨が、雨が、降り始めた。ぽつり、ぽつり、ぽつり、ぽつり、ぽつり。デニーがかぶっている緑色のフードの上に、真昼のぐちゃぐちゃに乱れた髪の上に、それから、死体の上に、死体の上に、死体の上に。最初は、少しばかりおずおずと、怖気付いてでもいるかのような降り方だったのだけれど。次第に次第にその雨脚は強くなってくる。ぱつり、ぽつり。ぽつぽつぽつぽつ。ぽぽぽぽぽぽぽぽ。さーさーさーさー。ざーざーざーざー。

 雨雲一つないのにも拘わらず、青い青い空が光り輝いているにも拘わらず。その雨は、ほとんど驟雨のような有様になってしまった。それは、デニーを、真昼を、しとど濡らして……濡らして? いや、違った。デニーのフードも、真昼の髪も、どれほど雨がひどくなろうとも乾いたままで。それどころかその雨は、この世界にいくら降り注いでも、そこにある何ものをも濡らしはしなかった。

 そう、これは雨ではない。少なくとも水で出来た雨ではない。何か、もっと、別のものだった。それは、なんとなく、錆付いた金属が放つ鈍い光のような色をしていて。そして、何かの上に降り注ぐたびに、まるで光の粒が闇の中に溶け込んでいくようにして消えていく。液体ではない、かといって固体でも気体でも動体でもない。純粋なエネルギーのようなもの、あるいは、むしろ、エネルギーの不在。

 さて、骸車は。ちょうど、そんな雨の中に突っ込んでいったような形であった。ざんざん降りになっている雨が、骸車の走る速度と相まって、凄まじい横殴りになってデニー達のことを襲う。デニーは、そんな中で……けらけらと笑っていた。とんっとんっと、柔らかく腐った肉の上、爪先立ちで跳ねて。それから、骨と骨との間に弧を描くようにしてくるくると回る。この雨の中で、踊りながら、楽しげに笑っているのだ。「あはは、あはははははは!」「真昼ちゃん、真昼ちゃん!」「ほら、見て!」「デニーちゃんの防御魔法を突き破って!」「デニーちゃんのこと!」「真昼ちゃんのこと!」「邪魔しよーとしてる!」「これは!」「これは!」「きっと!」「いんぴーだんす!」。

 デニーの言葉……読者の皆さんは、どういう意味かお分かりになりましたか? っていうか、ちょっと前に書いたこと覚えてらっしゃいますかね。デニーと真昼とが骸車に密乗車した時なんですけど。その時、クソやべー風が吹いているはずなのに、デニーも真昼もぜーんぜん大丈夫って感じだった。つまり、デニーが、二人の体の周りに何かしらの防御魔法を展開していたということだ。けれども、この雨は。そんな防御魔法のことなど、まるで無視して二人に降り注いでいる。ということは、この雨のように見える何かは、デニーの防御魔法さえも無効化してしまうような何かだということなのだ。

 何も見ていない真昼の目に、降り注ぐ光が薄い線となって描き出される。一本、二本、三本、それから先はたくさん。この雨は、二人のことを濡らしたりはしなかった。それに、それ以外の何かしらの害を与えているようにも見えない。でも、それでも、恐ろしい力なのだ。確かにその防御魔法は他愛のないものだった。たかだか走行風を防ぐためのちょっとした魔法だ。それでも、あのデニーの防御魔法を突き破ることが出来る雨。一体これはなんなのか? いや、それよりももっと差し迫った疑問は……一体、この雨は、なんのために降っているのか?

 ああ、そんなことは問うまでもないことだった。当たり前のことだ。水はなんのためにあるのか? もちろん、火を消すためにある。ということで、ぼんやりと虚ろな視線で見つめる真昼の視界、そのことが起こる。

 次から次へと降り注ぐ雨粒。霊道を守っている障壁、vanity fireは、そのような雨粒によって連打されている。その様は、あたかも無限に生まれる蟻の大群に襲われているケーキみたいで……豪雨に包まれた炎。

 最初は特に何も起こっていないように見えた。それはそうだ、これはvanity fireなのだから。第二次神人間大戦以前のことを知らない人々にはいまいちぴんとこないかもしれないが、vanity fireとえいば最高レベルの防御魔法の一つなのである。もちろん、障壁を維持するための魔学的エネルギーの強弱によってその強度は変わってくるが。それでも、この魔法は……例えば、リュケイオンの学部特異点同士を結び付けている、いわゆるペリパトスと呼ばれているシフト・コリドールの防衛システムにも使用されているくらいなのだ。

 ただ、けれども、しかし……やがて、何かがおかしくなる。まず起こったことは、ほんの僅かな変化だった。つまり、その青い色をした炎がちらりと揺らめいたのだ。もちろん、それは炎によく似ている性質を持つ魔法なのだから、常にゆらゆらと揺らいではいたのだが。その時に起こった現象は何かが違っていた。まるで炎が痛みのゆえに身をよじったかのように見えたのだ。

 そういう揺らめきが、あるいはちらつきが、何度も何度も起こった。一つ一つの雨粒の激突が、炎に対して耐えがたい苦痛を与えているかのようだった。そして、苦痛への反応は……断末魔の絶叫に近付いていく。どういうことかといえば、その炎が、雨に打たれるたびにじゃらじゃらという鑢をかけられているみたいな音を立てながら。だんだんと、だんだんと、薄れ始めたということだ。

 炎は、既に暴れ狂っていた。雨粒が当たるごとに歪みひしゃげて、激痛にのたうち回っているかのようにさえ見えた。魔学的な構造そのものが削り取られるような音を立てながら、その炎は、どんどんどんどん小さくなっていって。そして、最終的には……完全に消えてしまった。

 上空から見れば、雨が降っている区間だけ、その区間だけが、まるで消しゴムでもかけたみたいにしてvanity fireが消えてしまっている。そんな風に見えただろう。デニーが、その証明に関わりさえしたvanity fireが。これほど簡単に、いとも容易く消し去られてしまった。そして、後に残されたのは、どんな障壁によっても守られていない剥き出しの線路だけだ。

 皮を剥がれた兎。

 鱗を削がれた魚。

 下拵えは。

 これで十分。

 あとは。

 煮るのか。

 焼くのか。

 それとも。

 ふと気が付くと。ここからずっとずっと先に行ったところ、骸車の進行方向。直線を描いて伸びる線路の上に、一つの影が蹲っていた。その影は、降りしきる雨の中、しかもこれだけの距離を隔てていたために、なんだかぼんやりとした輪郭でしか把握出来なかったが。なんというか、ひどく禍々しい赤色をしているということだけは分かった。

 あれは、例えば、この骸車が走っている線路と同じ色。つまりは……赤イヴェール合金? そうだ、あれは赤イヴェール合金だった。しかも、膨大な魔学的エネルギーによる負荷を受けているせいで、惨たらしく引き裂かれた傷口から滴り落ちる鮮血のような色で光る赤イヴェール合金。

 骸車が時速千エレフキュビト近い速度で走っているという事実のゆえに、その赤イヴェール合金の塊は見る見るうちに近付いてきて。そして、その形もはっきりと見分けられるようになる。それは、あたかも人間のような形をしていた。ただし、人間であるとすれば、あまりにも大き過ぎるのではないだろうか。二百ハーフディギトを軽く超える体躯。あたかも一つの軍事要塞であるかのように鍛え上げられた肉体。

 近付いてくる、近付いてくる、数学的に計測された破滅の予言のように、あまりにも冷静かつ冷酷な態度によって。そうして、その破滅の瞬間が近付いてくれば近付いてくるほどに、それの姿は……その何者かの姿は、更に明確な形状を現わしてくる。

 その何者かは、仮面をつけていた。赤イヴェール合金で出来た、真っ赤な仮面だ。ドミナス・マスカ、鼻から上の部分だけを覆うように作られたマスクで、奇妙な形をしていた。顔の左右、羽のように広げられた耳の形。顔の真ん中、曲線を描いて伸びる鼻の形。それは、要するに、象の形をしていたということだ。非常にデフォルメされた象の形。

 ただし、そういった仮面は、その何者かが有する特徴の中で、最も目立つものではない。それは、最も目立つ特徴は、その何者かの左腕だ。肘から少し先、握り締められた拳までが、巨大なガントレットによって覆われているのだ。その何者かの全身の大きさと、ほとんど同じくらい大きなガントレット。そのガントレットの全体は、もちろん赤イヴェール合金で出来ていて。そして、それは、危険なほどの魔学的エネルギーを秘めている。デニーと真昼とが乗っている、この骸車にとって危険なほどの。

 デニーは、軽やかで楽しげな子兎のステップをやめていた。崩れかけた死体の腐肉の上に足を止めて。あたかも、真昼の目の前、立ち塞がるようにして立っていた。立ち塞がる? 何に対して? もちろん、あの何者かに対して。当然ながら、デニーはあの何者かが誰であるのかということを知っていた。だから、デニーは、顔の全体を降り注ぐ光の雨で濡らしながら。それでも、にぱーっと晴れやかな笑顔で……口を開く。

「待ってたよ。」

 フードの奥。

 可愛らしく。

 小首を。

 傾げて。

「エレちゃん。」

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