第二部プルガトリオ #47

 そっと、目を閉じた。それから、そっと、目を開く。まるで自分の瞼が立てる音によって怪物を起こしてしまうことを恐れているかのように。暗く広い海に住んでいる怪物を、起こしてしまうことを恐れているかのように。暫くの間、呼吸さえ止めていた。そして、真昼は……首を動かす。自分の背中の方に、真昼のことを抱き締めている少女がいるはずの方に。

 もちろん、そこにはマラーがいた。真昼の背中に恍惚と頬をくっつけたまま、すうすうと寝息を立てていた。一欠片の痛みさえも・一欠片の苦しみさえも、感じられない寝息を。平和そのものの顔だ、怪物のことなんて考えたこともないような顔だ。真昼への絶対的な信頼のうちに、マラーは、柔らかいベッドの上に横たわって、最も幸せな眠りを眠っていたのだ。

 その顔を、その眠りを、見た瞬間に。爆発のようにして記憶が炸裂した。思い出した、思い出した、思い出した。二つの全く関係ない映像が、唐突に重なり合って、それが一つの意味を表したみたいにして、全てを思い出したのだ。真昼は砂流原真昼であり、ここはエーカパーダ宮殿であり、そして、今は、真昼がアーガミパータに来てから三度目の夜だ。ああ! ああ! 何もかも何もかも思い出した! これまでの三日間で、自分が何をして来たのかということを。自分はどんな生き物であるのかということを。この夜のこの私が、眠りにつく前に、一体、何をしてしまったのかということを。どんな言葉を口にしたのか、どんな行動をとったのか、どんな思考をこの世界に刻み込んだのか。そして、その結果として……この少女に、マラーに何をしてしまったのかということを。

 調理前に惨たらしく切り刻まれる兎のような悲鳴を上げながら、真昼は、とっくの昔に壊れてしまった発条仕掛けの人形みたいにして飛び起きた。まあ、飛び起きたといっても上半身だけだったが。それから、「がああああっ!」「がああああっ!」「がああああっ!」「がああああっ!」という断続的な絶叫を上げながら、自分の髪の毛をめちゃくちゃに引っ掻き回す。

 駄目だ! 駄目だ! そんなことはしてはいけない! とはいえ、残念なことに、真昼はもうそれをしてしまった後なのだ。はっ、はっ、はっ、はっ、と荒い息をつく。コンクリートの上に叩きつけられて死にかけている金魚のように、ぱくぱくと口を動かす。唐突に、腹の辺りで感覚があった。何かが暴れ回っているような感覚だ。その感覚は胸の辺りまで来て、そして、そこで、焼灼となる。燃え盛る紅玉を飲み込んでしまったみたいに、真昼は、胸の辺りに酸性の激痛を感じる。

 それが吐き気だと気が付く前に、真昼はシーツの上を這っていた。まるで慇懃な態度で真昼のことを無視しているかのように、ひどく触り心地のいい絹のシーツの上を、這って行って。そして、それを引き裂こうとしているみたいにして、目の前にあるカーテンに手を掛ける。

 必死に吐き気を抑えながら、掴んだシーツをめちゃくちゃに引っ張る。どこからどうすれば出られるのか分からないのだ。引いて、引いて、引いて。けれども、どうにもカーテンとカーテンとの隙間を見つけることが出来ない。あたかも高級な布地の中で溺れているかのように藻掻き続けて。それから、とうとう真昼は腐りかけた肉の袋みたいにしてベッドの下に転がり落ちた。

 ずるずると床の上にまで引き摺られているカーテンの下を、あまりにも惨めなやり方で這い抜けて。ようやくのこと、真昼は、ベッドの外側に出ることが出来た。そして、その瞬間に……真昼は嘔吐した。胃の中にあった物、目覚める前のあの時間に、真昼にとって絶対に現実であってはいけないあの現実の時間に、口の中に入れた物の全て。真昼は、床の上に吐き散らした。

 洋梨が一つあって、それを食べようとして冷蔵庫から取り出す。それにナイフを入れようとして、ふと気がつく。ひどく生暖かいし、病的なほど甘い匂いがする。一部分が腐敗しているのだ。仕方なく、それをシンクまで持ってきて、蛇口をひねって水を出す。流れ出した水でそれを洗う。ざーざーと流れ出した水に、それを浸して。そして、その、腐ってしまっているところに親指を突き入れる。ぐにゃりとする嫌な感触。白く膿んだような塊が、柔らかく飛び出てくる。ずるずると音を立てて、洋梨の内側から吐き出されていく。腐った、腐った、腐りきった部分。例えば……今の真昼は、そんな感じだった。自分の内側にある、腐敗した部分。どろどろに腐っている膿のような部分。それを吐き出しているみたいな感じ。

 ただ……洋梨を洗いながら、真昼は思う。この果実は、外側から見たよりも、随分と腐りきっているみたいだ。親指で掻き出せば掻き出すほどに、奥の奥の奥、どこまでもどこまでも腐っている。吐いても、吐いても、止まらなかった。まるで、昨日食べた物だけではなく、今まで食べてきた全てを吐き出してしまいそうな気分。今まで、真昼が、食べてきた、偽善・欺瞞・偽証・欺罔。それは、既に、この果実の果肉となってしまっている。それは、つまり、真昼の理由となってしまっている。

 要するに。

 偽りと。

 欺きと。

 それが。

 今の真昼の。

 全てなのだ。

 真昼は、血と肉とを吐き出しているみたいだった。とはいえ、それは他人の血と肉とだったが。どうして自分の内側に自分自身があり得ようか? そもそも、真昼は他人の精子と他人の卵子とから生まれてきたのだ。そして、他人を食べることで、その全身を作り上げてきた。そうであるとするならば、真昼の腐敗は真昼の腐敗でさえない。内臓がぐるぐると回転する。笑いながら回転する。全てが、全てが、道化芝居のようなものだ。真昼の全身は、つまるところ、誰も面白いと思わない道化芝居のようなものである。

 と、まあ、真昼の心象風景としてはこのような感じであったが、とはいえ、現実はそれほどドラマティックなものではなかった。真昼は、ただ、床の上に蹲るみたいにして、消化器官の内側に残っていた食べ物と飲み物とを吐いているだけだ。別に内臓まで吐いているわけではないし、いわんや形而上学的な吐瀉物であるというわけでもない。ただただ、drinkをdrinkし過ぎたせいで、いわゆる二日酔いのような状態になってしまっているだけの話。どこにでもある、ありきたりな話である。

 ただし、正確な意味での二日酔いであるというわけではないが。それは、専門用語でいうところのトリナス・セパレシオネムという症状、共通語でいうところの三体再結合不全起因性現実遊離症候群である。このクソ長ったらしい名前がそのまま示している通り、ラゼノ・カクテルを飲み過ぎてしまったせいで、存在と概念と生命との分離が、人間の許容出来る範囲を超えて進んでしまって。そして、その三体を再結合しようとする際に起こる諸々の不具合のせいで、現実の世界からの状態離脱が起こってしまい、結果として様々な不快感を感じているということなのだ。

 そもそもの話として、ラゼノ・カクテルに含まれているところの多幸感を感じさせる要素はアルコールではない。いわゆる概念解体要素である。これは、存在に寄生しているところの概念という浸食を、その媒介物となっている生命を無力化することによって(これはあくまでも無力化であり破壊ではない)解体してしまうという要素であって。その結果として、それを摂取した生命体は、純粋存在に非常に近しい状態まで痴方偏移してしまうのである。簡単にいうと、この要素には抑止ラベナイトの反対の効果があるということだ。もちろん抑止ラベナイトとは全然異なった原理によってその効果が発生するのであるし、それにその効果も厳密にはちょっと異なっているのだが。とはいえ、そういった細かいことはここでは大した問題ではない。

 とにかく、ある程度の時間が経過すると、そういった概念解体要素が生命によって消費されて、再来類似現象が起こる。要するに、生命が媒介力を取り戻すことによって、存在・概念・生命の三体が再結合するのだ。しかしながら、もし、この時に、その生命体が摂取した概念解体要素が多過ぎた場合には。概念の解体があまりにも進んでしまい、存在に対して上手いこと当て嵌まらなくなってしまうことがある。もちろん、よほどの量を摂取してしまわない限りは、最終的には元通りの状態に戻ることが出来るのだが。とはいえ、それまでは、存在と概念との結合状態が、この現実とは異なった状態になってしまうことがあるのだ。そして、その異常な状態こそが三体再結合起因性現実遊離症候群だということである。

 まあ、結局のところ。

 症状としては。

 二日酔い、と。

 大体同じであるが。

 そんなこんなで、真昼ちゃんはうえうえおえおえしていたわけなのだが。長ったらしい説明をしているうちに、どうやらそのうえうえおえおえも終わったようである。床の上に向かって俯いたままで、はっ、はっ、と荒い息を吐き出しながら。口の端からつうーっと垂れ落ちる胃液を、右手の甲で拭う。最後の方は……胃液さえも吐き尽くしてしまって、げえっげえっと、胃袋を痙攣させているだけのような状態だった。

 そして、素裸で蹲る真昼の目の前に、自分が嘔吐した物が広がっている。あまりにも量が多過ぎるせいで、その一部は、真昼が左手をついているところにまで達してしまっている。真昼の左腕に巻き付いている、まるで何かの種類の疥癬のような藤の図柄。黒い色をした藤の刺青の先で、吐瀉物がひたひたと揺らいでいる。

 見下ろしている、見下ろしている、真昼は自らの吐瀉物を見下ろしている。それは、もちろん、あの饗宴で口にしたものだ。動物のための饗宴。人間としてinclusionされることなく、人間ではない何者かであるとして人間からexclusionされたferusのための饗宴。真昼のための饗宴。

 真昼は、真昼は……あの饗宴で、何をしたのか? 何をしてしまったのか? 絶対的な幸福のうちに、喜んで、喜んで、何を、させられたのか? 真昼の見ている、そのすぐ目の前で。真昼が嘔吐したところの吐瀉物が、ゆらゆらと揺れ動いていた。ここは風もない室内だというのに、なぜそれは揺れ動いているのだろうか。簡単なことだ、それは外的な力によって動いているのではなく内的な力によって動いている。要するに、吐瀉物自体が蠢いているということだ。

 真昼の肉体によって。歯によって噛み砕かれて、酸性の体液によって溶かされて。消化されかけた物質が、生きているかのように動いている。誤解のないようにいっておくが、それは間違いなく死んでいる。なんといっても、真昼の口に入る前から、調理の段階で既に死んでいたのだ。とはいえ、その肉の塊は、確かに魂を失ってはいるが、魄まで失ってしまっているというわけではない。

 何がいいたいのかといえば、それらは未だにリビングデッドの状態にあるということだ。デニーほどの強力な魔学者によって束縛された魄は、咀嚼され溶解されたくらいでは肉体を離れることはない。恐らく、デニーがそれを望まない限りは、基本子の一つ一つまで分解されたところで解放されることはないだろう。ということで、消化されかけた昨日の料理、丸焼きにされた動物達の肉体の断片のそれぞれが、リビングデッドとして動いていたということだ。

 たぶん、真昼の食べたもののほとんどがこれほどまでに中途半端にしか消化されていないのも、きっと、そういった魔法の効果なのだろう。本来であれば、真昼の体に刻まれた魔学式は、真昼が摂取した物を可及的速やかに吸収させるはずなのであって。真昼には、嘔吐出来るような物など残っていなかったはずだ。デニーが制定したところのリビングデッドの魔法が、真昼の消化作用に抵抗力を示して。そのせいで、真昼の肉体の消化吸収が妨害されていたのだろうということだ。

 真昼の目の前で――真昼が見下ろしている先で――胃液と、それにどろどろと溶けたなんだかよく分からないものの中で。ぎいぎいと、ぴくぴくと、ひらひらと、動いている。あそこで痙攣しているような脚は、たぶん蛙の脚だろう。ぐねぐねと這い回っている肉の塊は、牛の肉か羊の肉か。鳥の足指が液体の中で泳いでいて、小魚の頭部が口を開いたり閉じたりしている。亀の嘴と思しきものが、空しく何かを噛んでいる。

 ああ。

 ねえ。

 あたしは。

 一体。

 何を。

 して。

 しまった。

 の?

 いうっという呻き声を上げる。両方の口の端を引き攣らせながら、首を絞められているみたいな喉の音を鳴らす。その後で……上の歯と下の歯とを噛み合わせて、口の中の全ての歯を噛み砕こうとでもしているように、強く、強く、ぎりぎりと噛み締める。剥き出しにした歯、青ざめた唇。そこから漏れる呼吸は、掠れた絶叫のようにして荒い。

 饗宴が終わったことさえも理解していないかのように踊り続ける、昨日の残響。何よりも真昼に似ている者達、自分達が死んだということにも気が付いていない者達。真昼は、それを、睨み付ける。憎しみではない、怒りではない、どこまでも単純な獣の激情によって睨み付ける。

 ついさっき滴り落ちる胃液を拭った方の手。右の手を、拳の形に握り締める。まるで爪の先が手のひらに突き刺ささってしまいそうなほどに……違う、比喩的な表現でもなんでもなく、その爪の先はその手のひらに突き刺さっていた。あまりにも力を入れ過ぎて、怯えているかのように震えている拳からは、這い回る線虫のように血液が流れ落ちる。

 それから、真昼は……その拳を振り上げた。そして、勢いよく、目の前にある薄汚い物に叩きつける。真昼の口から吐き出されたもの、そのせいで、取り返しがつかないほどに汚れてしまったもの。楽し気に揺れ動く吐瀉物に向かって、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、拳を振り下ろす。

 真昼が殴りつけるたびに、吐瀉物は、べしゃりべしゃりと情けない音を立てて飛び散った。蛙の脚は無様にひっくり返り、牛なんだか羊なんだかよく分からない肉の塊はぐちょっと潰れて。鳥の足指は粉々になり、魚の頭部は引き裂かれ、亀の嘴は悲惨に砕ける。半分消化されたような、どろどろとした動物の肉は、そこら中に撒き散らされて……そして、真昼は、そうやって撒き散らされたものを全身に浴びる。

 端的にいえばゲロまみれになったということだ。出来るならばもう少し詩的な言葉を使いたいところだが、残念なことにゲロまみれには詩的も何もない。とにもかくにも、ゲロまみれになった真昼は……やがて、その拳を止めた。

 あたかも力尽きてしまったかのように。あるいは、あたかも、自分の心臓がとっくの昔に止まっていたことに気が付いたかのように。もちろんこの表現は、先ほどとは異なり純然たる比喩であって、真昼の心臓は止まってなどいないのだが。それでも、そのようにして、真昼は自分の嘔吐したものを殴りつけることをやめた。

 真昼は、拳を解いた。反吐の中に浸したままの右の手のひら。それから、左の手のひらも、同じように反吐の中に浸す。両方の手のひらが、小刻みに震えていた。ただ、この震え方は先ほどの震え方とは全く違ったものだった。先ほどの震えは、力の過剰によるものだ。今度の震えは、もっと病的な痙攣だ。

 真昼は、右の手を動かした。何かを探しているかのようにして、ぐちゃぐちゃに搔き乱された反吐の中、ゆっくりゆっくり指先を滑らせていく。同じようにして左手も動かす、右手と左手とを、反吐の中で泳がせる。やがて……その速度が、だんだんと早まってきた。手の動かし方も、滑らせるというよりも、まるで引っ掻くみたいになってきて。鉤爪みたいに引き攣らせた指先で、自分が嘔吐したものを掻き乱していく。

 どんどんと早くなっていく両手、それは、やがては気が狂ったような速さになっていって。だが……反吐の中には、何も見つからなかった。真昼が探そうとしていたはずのもの(けれども真昼は一体何を探そうとしていたというのか?)は、その中には何も見つからなかった。

 そんなことは最初から分かっていたことだ。それがなんであっても、探すに足るようなものが自分の反吐の中にあるはずがないなんてことは、とうに理解していたことだ。真昼の両手、反吐を引っ掻き回す速度は、今度はだんだんと遅くなっていって。ずるりずるりと、右手と左手とを、惰性で引き摺るような動かし方になる。

 それから、真昼は、そのようにして両手を動かしながら、次第に次第に傾いてきた。床の上にへたり込んだままで、上半身を、前に向かって倒していったということだ。いや、それは「倒していった」というような積極的な行動ではなかった。「倒れていった」、真昼は、まるで、一つの出来損ないの彫像が倒れていくかのようにして、前に向かって倒れ込んでいった。

 そして、その先には何がある? もちろん反吐がある。ということで、真昼の上半身は、そのまま、自分が嘔吐した物の中に倒れ込んでしまう。両肘を曲げて、指先から肘までの部分を弱々しく床の上につけて。真昼は、額を、反吐の中に突っ伏す。

 病的な痙攣が、手のひらから感染して、全身に向かって広がっていくみたいにして。真昼の全身が、ぴくり、ぴくり、ぴくり、と震え始めた。一体どうしてしまったのか? なんのことはない、しゃくりあげているのだ。マコトと一緒に乗っていたフライスの上で、一度、そうしたようにして。真昼は、涙を流すことなくしゃくりあげているだけだ。

 ずるり、ずるり。真昼の体はとうとう突っ伏している姿勢さえ保てなくなってしまったらしい。床の上についていた腕、少しずつ少しずつ滑り落ちていって。そして、圧力をかけられ過ぎたガラス細工がある特定のタイミングで一気に崩れ去るようにして、唐突に横向きに倒れ込んだ。

 体の右側、もちろん反吐の中に。なんというか、これはもう、ゲロまみれを通り越して「ゲロを纏いし乙女」という感じになってしまった。まあ、真昼は乙女というような上等な存在ではないが、少なくともゲロは纏っている。それから真昼は、ひっ、ひっ、としゃくりあげながら、ぎゅっと丸くなる。背を折り曲げて、膝を抱え込んで。あたかも胎児のように丸くなる。

 サンダルキア。

 サンダルキア。

 怪物は。

 暗く広い海の中で。

 眠っている。

 聖書に描かれていた光景が、閉ざされた瞼の裏側に投射される。まあ、真昼が横たわっているのは暗く広い海ではなくゲロなのだが、とはいえ、真昼の主観的には、真昼は怪物と呼ばれるに相応しい存在なのだ。

 あたしは何をしてしまったの?

 あたしは何をしてしまったの?

 その言葉だけが、何度も何度も頭蓋骨の中に響いている。真昼は何をしてしまったのか? 真昼はナイフを受け取った。鉄のナイフを。そして、それを自分の胸に突き刺した。動脈と静脈と、真昼が人間である証明であったものを切断して。そして、胸の中から自らの心臓を抉り出した。

 二つ目の心臓。真昼をこの世界に繋ぎ留めていたもの。マラー。私が全てと引き換えに守り通したもの。マラー。ダクシナ語で花を指す言葉。いとも容易く……真昼は、それを、自分の肉体から切り離した。そして、悪魔にそれを捧げた。一体、なんで、そんなことをしてしまったのか。

 なんで? はははっ! 決まっている、理由なんてない。そもそもそれは真昼がしたことではない。確かに、それをしたのは真昼だ。レーグートにマラーを引き渡したのは真昼だ。とはいえ、その行為の責任は真昼にはない。それをしたのは、真昼ではなく世界なのだ。世界がそれをした。真昼は、あくまでもその行為の導管でしかなかった。何もかも決まっていたことだ、真昼の肉体は役者であり、しかも機械仕掛けの役者である。

 自分が人間であるということは間違いのない現実だと思っていた。卑小で、愚劣で、俗悪で、救いようがないほど下等な人間という生き物。決して、それであるということは望ましいことではないが……とはいえ、真昼を規定する唯一の定義は人間性であると、真昼はそう考えていた。そして、それは、確かに正しい考えであったのだ。

 美しい花よ。

 美しい花よ。

 この世は生きるに足るものであると。

 真昼に教えてくれた。

 可憐で華奢な、一輪の花よ。

 人間とはいかにして成り立ちうるものであるか? 人間は、いかにして自らが人間であると主張することが許されるのか? あるいは、こういい換えてもいい。世界の果ての果てにおいてやってくるであろう永遠、あらゆるものが再びやってくる現在において。人類学機械は、自らの胸に納められたところの人類学機械は、いかにして自らを人間として承認しうるのか?

 もちろん、そんなことは決まっている。その者が人間にとっての絶望を有しているか、その者が人間にとっての希望を有しているか。その二つの兆候によって決定するのだ。そうであるのだとすれば、今度はこう問い掛けなければいけないだろう。人間にとっての絶望とは一体なんであるか。人間にとっての希望とは一体なんであるか。真昼は……真昼は、それを知っている。真昼が、自分の胸の中に、大切に、大切に、納めていた、人類学機械が。マラーが、それを教えてくれたのだ。

 マラー。

 マラー。

 教えておくれ。

 人間にとっての絶望とは何か。

 人間にとっての絶望? それは信仰だ。ただし、あくまでも人間にとっての信仰。人間が自分自身として信仰しようとするところの信仰。愚かにも、人間に信仰が可能であると考えることである。信仰とは……本来的な意味において、どこまでも無知であるということだ。その行為には何者も介在することを許されない。自分自身でさえも、その行為に介在することは許されないのだ。信仰とは、文字通りの意味で全てを投げ出すことである。信仰の対象において、自分自身を措定しようとする意志。その意志さえも介在を許されない。自分が自分自身であるという低能、自分が自分自身であろうという傲慢。そういった、いわゆる実存的欲望をも投げ出すことによって、初めて可能となるものなのである。

 それにも拘わらず……人間は、自らの実存を捨てることが出来ない。耐えられないのだ、自分自身というものが、信仰の対象と比べれば、あまりにも下等なものであるということに。とはいっても、自分が下等であるということは理解している。信仰の対象と比べれば、自分という生き物が、遥かに遥かに無意味なもの……絶対的な屑であるということを、よくよく理解している。信仰の対象は、お前のことなど必要としていない。全然、全く、必要としていない。お前一人を失ったところで、信仰の対象にとって、一体どれほどの損失であろうか? だから、人間は、人間であるために……自分で自分自身を必要とせざるを得ない。

 完全な欺瞞として、絶望している人間はきっとこう考えるだろう。信仰のために、自分が救われるために、まずは自分自身であらねばならない。信仰の対象、つまりは無限にして永遠なるものを、自分自身として信仰しなければいけない。無限にして永遠なるものとの関係性を有する者として、自分自身を定義しなければいけない。そうしなければ、どうだろう、自分自身が無限でも永遠でもなくなってしまう! 最終的には、自分という実存が虚無に帰すという結果に陥ってしまう! これは、要するに、死に至る病の典型的な症例である。絶望している人間はこう考えるのだ。

 しかし、残念なことに、それは死に至る病ではない。絶望とはあらゆる意味で死に至る病ではない。そもそも人間はいかなる「病」にもかかることはない、ただただ死んでいくのだ。いってみれば、絶望が死に至る病なのではなく、人間が死に至る病なのである。信仰とは、確かに病を治すものではあるが、それは絶望を癒すものではない。人間を癒すものだ。自分が自分自身であらねばならないという人間の欺瞞を癒すものだ。人間は、自分が永遠になろうとしてはいけない。人間は自分が無限になろうとしてはいけない。人間は、自分が救われようとしてはいけない。信仰とは、お前のようなどうでもいい生き物を何か素晴らしいものにしてくれるものではない。自分自身という実存的欲望を、その病を、無限にして永遠なる業火(まさに業火!)で焼き尽くすものなのだ。

 かくして……人間は実存的欲望ゆえに信仰する。何を? 自分を。この世界で信仰に足らない唯一のものを信仰する。そして、絶望の奈落(まさに奈落!)に落ちていくのだ。とはいえ、その墜落は、人間が人間であるということの兆候である。自分がその本質として、絶対的に無意味な下等生物であるということを認めることが出来ずに。けれども、その事実から目を逸らすことも出来ない。これこそ、その何者かが、人間という愚かな愚かな生き物であることの証明ではないか? その何者かは、いずれは絶望の中で野垂れ死ぬだろう。あまりにも人間らしい生を生き、あまりにも人間らしい死を死ぬだろう。このようにして、その何者かは、自分自身が人間であるということを知るのである。

 マラー。

 マラー。

 教えておくれ。

 人間にとっての希望とは何か?

 人間にとっての希望? それは愛だ。ただし、あくまでも自分自身に対する愛。自分自身などというこの世界に存在しないものへの愛。それが存在しないということを完全に理解していながら、ほとんど蛮勇のような低能さによって、錯乱とともに空虚を抱き締めるということ。もちろん、その錯乱とは演技に過ぎず、しかも虚しい演技に過ぎないのではあるが……ただ、とはいっても、舞台の外で演じられた全てのものは真実である。そして、そういったことについても、やはり知っている、愛する者は知っている。知っていながら、そうせざるを得ないのだ、そうしなければ、あまりにも肥大化してしまった、いや、肥大化させられてしまった自己愛を自ら慰めることが出来ないからである。そう、もちろんそれは自淫だ。とはいえ他人に見せつけるための自淫であるが。

 そもそもの話として、それは「自分の意志」なるものによって選んだ道ではない。そうすることが良いことであると、誰かに教わったからこそ、その道を選んだのだ。誰に教えられたのか? もちろん、誰でもいい、誰か褒めてくれる人である。なんらかの方法で優越感を与えてくれるという行為の全てを「褒めてくれる」と呼ぶのであれば、それは間違いなく褒めてくれる人のために選ばれた道である。愛する者は無を欲する……自分以外のあらゆるものを見くだして、それらの全てを破壊することによって、この世界を虚無として。その中で、「自分自身がこれをすることを欲している」という命令だけを大事に大事に抱えて生きている。とはいえ、その命令は誰から発せられた命令か? もちろん、自分自身ではない。誰かは知らないが、誰かしら褒めてくれる人だ。

 そもそも、愛する者は、わざわざ虚無を欲する必要などない。お前自身が虚無なのだ。あるいは、愛する者はこう言い訳をするか? 自分は虚無を欲したわけではない、そこにある虚無をありのままに直視しようと思っただけだと。それでは、お前はその試みに失敗している。なぜなら本当の虚無とはお前自身だからだ。お前が自分自身だと思っているもの、それは屑である。お前が虚無だとみなしたもの、お前が破壊したと思い込んでいる世界の破片で作られた出来損ないの玩具である。もう少し簡単にいうとすれば……馬鹿が真実に辿り着けると思うのが間違いだというのならば、人間が真実に到達出来ると考えることほどの間違いはないのではないか? 要するにそういうことだ。

 もちろん愛する者はそういうことも理解しているだろう。その結果として、どのような結論に至るのか? 人間という生き物が、もっともっと高等な生き物に至るための中間地点だと考えるのだ! これほど傲慢に満ちた・これほど欺瞞に満ちた考えが他にあるだろうか。そもそも、そんなことを考える前に一度でも鏡を見たことがあるのだろうか。この哀れな肉の塊が、この醜い肉の塊が、どうすればこの無限にして永遠なる世界と対等な立場に立てるようになると? この世界で最も高等な生き物になれると? 恐らくは、たぶんは、それなりにまともな生き物になることは出来るかもしれない。とはいえそれが限界だ。人間という生き物は、滅亡の瞬間、最後の最後まで下等な生き物として継続していくしかない。世界の片隅の薄汚れた何か、どろどろとしてぐにゃぐにゃとしている何かとして、誰にも愛されずに滅びていくしかない。

 愛する者は王国を求めた! 自分が愛する者、すなわち自分自身のための王国を。だが、それは本当の王国ではなかったし、それどころか本当の愛でさえなかった。その王国は、所詮は誰か他の者が作った王国の紛い物、子供がクレヨンで書き殴った悪戯書きに過ぎない。そして、その愛は……その愛は、ガラスで出来た心臓の、その音さえも騙すことが出来ない愛である。生きている、確かに生きている、生きていることを愛しているというのならば、ああ、なぜその心臓の音はそんなにも罅割れているのか? 分かっているのだ、愛する者は。自分が感じている喜び、歓び、悦び、慶び、その何もかもが、実は自分自身の咆哮などではなく、誰か他の者が歌っていた歌の真似事に過ぎないということを。

 愛する者は、最後の最後には……完全に錯乱してしまう。これは演技としての錯乱ではなく本当の錯乱である。愛する者は、自分が何かしらの音楽の一部であると考え始めるのだ。甘美な音楽、陶酔の音楽、そして、円環の姿をした音楽。何度も何度も飽きることなく繰り返される、全く同じリズムとメロディとハーモニーを持つ音楽。そんなことがあるはずもないのだが(「瞼を閉ざせ」「ここには何もない」)、仮に、仮にそうであるとしよう。人間という生き物が、ずっとずっと続く音楽の一部であるとしよう。だが、お前はなぜそれが「美しい」ものであると分かるのか? お前は、それを、どのような律法によって「美しい」と肯定出来たのか? もちろん、誰か他の者の律法によってだ! それは、生そのものから導き出される絶対的な摂理としての肯定ではない。それに、お前自身が「美しい」と決断したわけでもない。なぜなら、お前は人間に過ぎないからだ、誰か他の者の愛によってしか愛せない、下等生物に過ぎないからだ。

 かくして……人間は自分自身を愛する。どんな愛によって? 誰か他の者の愛によって。とはいえ、その愛さえも誰か他の者の愛であるのならば、人間が愛している自分自身とは一体何者なのであろうか。ことは、それが愛するに足るものであるのかという問題、それ以前の問題だ。それが、本当に、実存で、あるのか。それこそが問題なのである。愛する者の世界は浅く、愛する者の世界は狭い。しかもその上、それは借り物の水溜まりでしかない。きっと……愛する者は、このような指摘を受けて叫ぶだろう。「それがどうした!」「それがどうした!」、必死の金切り声で叫ぶだろう。そして、この金切り声こそが人間が人間であるということの兆候である。自分が新しい預言者であると主張しながら、それが古い預言の繰り返しに過ぎないということを指摘されると、自分の耳を塞いで何も聞こえないふりをする。なんという人間らしさであることか! その予言者は、いずれは希望を抱きかかえたまま気が狂うだろう。あまりにも人間らしい生を生き、あまりにも人間らしい死を死ぬだろう。このようにして、その予言者は、自分自身が人間であるということを知るのである。

 世界は。

 世界は絶望ではない。

 世界は希望ではない。

 それは、決して虚無ではない。

 それは、決して充実ではない。

 虚しさも嬉しさもなく。

 必然的に「生きている」。

 世界とは、人間のような下等生物が。

 肯定も否定も出来ないようなものだ。

 恣意的なダンス。

 は。

 何もかも。

 何もかも。

 人間の兆候に過ぎない。

 マラー、真昼に希望を教えてくれた少女。マラー、真昼に絶望を教えてくれた少女。真昼は、マラーに出会うまでは人間ではなかった。自分が人間であるということにも気が付いていなかったのだ。なんとなく、ぼんやりと、世界に巻き込まれて生きているだけで。でも、マラーに出会って……初めて、自分自身というものを見つけ出した。はっきりとした輪郭を持った孤独。理論においてではなく現実において、墜落と跳躍との結果として措定されている身体。それを、真昼は見つけ出すことが出来たのだ。

 実存……栄光の羊。もちろん栄光の羊は地獄の内側でしか見つけ出すことが出来ない。そして、マラーこそが真昼の地獄であった。マラーこそが、真昼の愛であり信仰であったのだ。真昼は自分自身を愛した、その力強さのゆえに。真昼は自分自身を信仰した、その罪深さのゆえに。けれども、けれども、真昼は、もう何者も愛していなかった、もう何者も信仰していなかった。愛を愛するための、信仰を信仰するための、心臓を失ってしまったからだ。冷血の中に鉄のナイフを突き刺して、その心臓を抉り出してしまったからだ。まるで、遠い国の御伽噺のように。

 どうして駄目になっちゃったのかな。

 きっと、勘違いをしてしまったからだろう。

 自分が永遠になれるって。

 自分が無限になれるって。

 勘違いをしてしまったから。

 反吐の中で藻掻きながら、真昼は嗚咽する。これまで、ずっとずっと世界に愛されていないような気がしていた。それは、真昼が悪い子だからだと思っていた。真昼が悪い子だから。真昼が悪い子だから、お父さんは人殺しになった。真昼が悪い子だから、お母さんは頭がおかしくなってしまった。真昼が悪い子だから、真昼が悪い子だから、真昼が悪い子だから。この世界に生きている、全ての生き物が不幸になってしまったのだと思っていた。ずっとずっと、そう思っていた。そして、それは……それは、本当に、本当のことだった。

 マラー、マラー、マラー、ごめん、ごめんなさい。あたし、あたし、悪い子だった。許して、マラー。どうか、どうか、あたしのことを許して。あなたが、どうして、ねえ、あたし、ねえ、本当に、そんなことをするつもりじゃなかった。あたし、あなたを捨ててしまった。あたし、あなたを渡してしまった。あたし、あなたを、あなたを捧げてしまった。なんでそんなことしてしまったんだろう、そんなことをしてはいけなかったのに。あたしの手の中に、鉄のナイフがあったんだ。もう二度と取り返せない、もう二度とあなたを助けることが出来ない。全てが、全てが、変わってしまった。なぜなら、あたしは、あなたを捧げてしまったから。何に? 何かに。なんでも良かった、あなたを捧げてしまえるなら。ごめんなさい、ごめんなさい。あたし、だから、だって、そんな、あたし、きっと、助けて欲しかった。

 誰かに、助けて、欲しかった。

 だから、あなたを助けたんだ。

 ただ、それだけの話。

 真昼は、そんな風に嗚咽しながら……けれども、自分が何をしてしまったのかということ、その本当のことは分からなかった。私は、何か、とても悪いことをしてしまった。でも、その悪いことがなんなのかということが、よく分からないのだ。

 マラーを捧げてしまった? 確かに真昼は、マラーのことをレーグートに託した。けれども、それは一時的なことだ。真昼が夕食をとっている間、部屋で眠っていて貰うために。部屋に運んで貰っただけの話だ。それの何がいけないのか?

 現に、マラーはそこにいるじゃないか。傷一つなく、そのベッドの上に寝ているじゃないか。ちゃんと生きている。痛みもなく、苦しみもなく、すやすやと、そこで眠っている。それでも、真昼は……真昼は、理解していた。何かが、何かが変わってしまったということを。何かが、どうしようもないくらいに、変わってしまったということを。

 そういえば。

 マラー、は。

 どうしたんだろう。

 ふっと、認識の断層が歪んで引き攣った。思考の焦点が、現実の世界へと戻ってくる。マラーはどうしたんだろう。あたし、あんなに大声を出してしまって。それに、振り払うみたいにしてマラーの腕から逃れてきてしまった。あんな風に乱暴なことをしてしまったら、せっかく気持ちよさそうに眠っていたマラーのことを、起こしてしまったのではないだろうか。

 反吐の中で、苦く透明な光のように目を開く。怯えながら(何に?)震える(どうして?)左の手を、弱々しく床の上につくと。そのまま、溶けかけた砂糖が詰まった袋みたいな上半身を起こす。呆然としている、とりとめもなく呼吸している。右の手のひらと左の手のひらとを床の上に置いて、崩した両足をだらしなく伸ばして。反吐溜まりの中で呼吸している。

 それから、真昼は立ち上がった。ひどく冷たく硬くなってしまったような気がする足の裏が、たぶん蛙の脚の骨を踏んだ。真昼の足元で、それは音を立てて割れる。真昼の足の裏は傷付かない、ひどく冷たく硬くなってしまったから。涙を流せるのだったら、とっくの昔に涙を流している。

 薄ぼんやりとした態度で後ろを振り返る。真昼が横たわっていたベッド、マラーが横たわっているはずのベッド、そちらの方向に振り返る。さほど離れたところにあるわけではない、せいぜい一歩か二歩かの距離。それほどまでに真昼の吐き気は差し迫ったものであったということだろう。

 一歩か二歩か、さして遠くはない。さして遠くはないのだ。真昼は、その距離を感覚している。真昼の視覚は、真昼の二つの眼球は、それを感覚している。とはいえ、真昼は永遠でも無限でもない。そうであるならば、真昼とマラーとの距離は……その距離の間にある、永遠であり無限でもある不安定さは。果たして、真昼の露呈した現実性によって弥縫されうるものであるのか?

 真昼は、足を上げる。

 真昼は、足を下ろす。

 一歩。

 二歩。

 その程度の距離。

 ベッドのすぐ横にまで辿り着くと、真昼の右手は天蓋から流れ落ちているカーテンに触れた。ついさっき、いくら探しても全然見つからないように思えたカーテンとカーテンとの境目。まあ、実際のところは二秒か三秒か乱暴にまさぐっていただけなのだけれど、とにかく、今度はすぐ見つけることが出来た。

 その境目、カーテンの縁に指先を滑らせて。そして、音を立てないように――布と布とがすれる音さえも立てないように――そっと、それを開く。寝台の上、安寧の場所、秩序の空間。その外側にいるところの真昼は、現実化した悪夢のようにして、境界線を侵害する。

 ああ。

 マラーだ。

 マラーが。

 そこに。

 いる。

 デニーの魔学式によって強化された視覚は、真夜中、ほとんど光も揺蕩っていないその空間を見渡すことが出来た。縦の長さも横の長さも五ダブルキュビト近くあるベッド。その上で……マラーは、眠っていた。

 優しく些喚く海みたいに、柔らかく柔らかく波打っているシーツ。約束された食卓に乗せられた清められた皿のように真っ白な場所で、マラーはうっとりと眠っていた。安息、まさに安息と呼ぶのに相応しいくらい密やかな寝息。その全身を一つの投棄であるかのように、真昼がいた方向・真昼がいる方向に向ける形で……つまり、右側を下に向ける形で横たわっている。

 どうやら、起きてしまったというわけではないようだ。あれほど、真昼が、獣のような声で叫んだというのに。あれほど、真昼が、暴力的に突き放したというのに。マラーはそれに気が付いてもいないようだった。そういえば、ASKのアヴマンダラ製錬所で眠っていた時も。デニーが突っ込んでくるまでは、まるで起きる気配もなかった。

 真昼にはよく分からないのだが、それでもなんとなく思ったことは……ついさっき真昼がしたこと、そういった程度のことは目覚めるほどのことでもないと、そんな風に体が覚えてしまうほどの状況で、マラーは生きてきたのではないかということだ。マラーが生きてきた土地、アーガミパータ。真昼がマラーと出会ったのは、そんなアーガミパータの中でも、難民収容施設という場所だった。内戦の極限状態。銃声・砲声・爆発音。悲鳴・罵声・断末魔。何者かが攻撃を仕掛けてきたら、どんなことをしていても、ただただ生きるために逃げ出さなければいけないという状況。マラーはそんな中で生きてきた。マラーは……まだ、子供だ。ぐっすりと眠っている時に、近くで戦闘が起こって。保護者によって抱えられて、どこかに避難しなければいけないということもあっただろう。何度も何度もあっただろう。そうして、身体は慣れてしまったのだ。絶叫によっても暴力によっても目覚めないほどに慣れてしまったのだ。

 小さい、小さい、体。まだ大人ではない真昼の、半分くらいしかない大きさの身体。その身体は……素裸のままベッドに横たわっていた真昼とは違って、一つの服装によってくるまれていた。それはよく考えれば当然のことだ。真昼は、既に、人間であるということを手放してしまっている。至福の中で、人間性という性質を、遠ざかっていく音楽のように、忘れ去ってしまっている。一方で、マラーは未だに人間だ。あたかも中絶された胎児であるかのように、あるいは、あたかも二度と目覚めることのない昏睡状態にある老人のように。もしも人間が人間であるとするのならば、誰も否定することの出来ないくらいの人間性を確定し続けている。そうであるとするのならば……人間ではないところの真昼が衣服を身に着けておらず、人間であるところのマラーが衣服を身に着けているというのは、限りなく正当なことではないだろうか? それは、一種のノスケ・テ・イプスムだ。真昼が、人間ではなく、人間の姿をした何者かでしかないということについての記述なのである。

 とはいえ、その服装には奇妙なところもないわけではなかった。その奇妙なところというのは、あくまでも真昼から見て奇妙なところということであったが。マラーの服は……少なくとも、昨日、真昼が最後に見た時までは。無縫製・無裁断・無染色、木綿の一枚布であった。ひどく粗雑な織物であり、なんとなくごわごわしていて。色も、薄い黄色に濡れているような生成色。アーガミパータでは、女性が白い布を纏うというのは一般的に未亡人であることを意味しているので、衣服には色のついた布を使うものなのだが。とはいえ、マラーが生まれ育ったような場所では、布を染めているような余裕さえなかったのだろう。それに、まあ……どうせ誰もが死んでしまうので、常に喪服を身に纏っているというくらいでちょうどよかったのだろう。

 とにかく、マラーが着ていたのは、木綿の色をした木綿であったはずだ。縫うことも裁つこともされていない一枚布であったはずだ。それなのに、今、マラーが着ているのは……真っ赤な色をしたワンピースであった。

 まるで、その胎内に何かを孕むことが出来るようになった少女が、初めて流す経血のような赤色。繁殖の力、生殖の力、氾濫し膨張するための力に満たされた赤色。そして、その赤色は、あたかも染色によって赤色であるというわけではないかのように鮮やかであった。その布を織りなしている糸、一本一本が、それ自体として赤色であるような鮮やかさ。というか、はっきりといってしまえば……まるで経血を織り成したような赤色ということだ。

 そんな布で作られたワンピース。全然アーガミパータらしくない衣服。それは、布を縫った跡も布を裁った跡も見いだせないほどに精巧な仕上がりをしていて。そして、そして……真昼は、それを、どこかで見たことがあるような気がした。もちろん、そのような記憶は完全に気のせいである。真昼は、これほどまでに赤い色をしたワンピースなど見たことがあるはずがない。ただ、それでも……真昼は、見覚えがあるような気がした。それどころか、こんなワンピースを着たことがあるような気がした。ずっとずっと昔、真昼が、まだ、幸福だったころ。真昼がまだ「砂流原真昼」ではなかった頃に、こんなワンピースを着たことがあるような気がした。

 そのような。

 服を着た。

 マラーが。

 絹のシーツの上。

 横たわっていた。

 あたかも。

 ミルク色に死に絶えた海の上。

 たった一滴だけ、落とされた。

 誰のものでもない。

 原罪のように。

 そう、マラーは誰のものでもない。誰のものになることもなかったし、誰のものにもなることがないだろう。結局のところ、それは真昼の心臓ではなかったのだ。真昼はそれを認めなければならない。それに、原罪という象徴が意味している、その本当の必然性を理解しようとしなければならない。

 マラーは……ほら、マラーは、眠っているではないか。真昼の身体からあんなに遠い場所にいるというのに。真昼によってあれほど残酷な仕打ちをされたというのに。そのことに気が付きもせずに、完全な平和の裡に眠っている。その一つの心臓は、安寧に沈み込むような鼓動を打ち続けている。

 罪は真昼のものではない。

 とはいえ。

 何か、が。

 裁かれなければいけない。

 真昼は、自分自身という観念が失われた脆く青白い空洞の中に、非常に動物的な反応として、濁り切った泥土のような洪水が流れ込んでくるのを感じた。それは、罪悪感と呼ぶには、その名において名付けられた関係性の苦痛に対する認識があまりにも欠如している。それに、これまでにも何度も何度も指摘されてきたことであるが、何一つ罪を犯していないところの真昼なのだ。それでも……真昼は、謝らなければいけないという、絶対的な措定を感じていた。誰に謝らなければいけないのか? マラーに。何を謝らなければいけないのか? あなたを、この世界が終わる時まで、ずっと、ずっと、見捨て続けてしまったということを。

 真昼は……今すぐに、マラーのことを抱き締めたいという衝動を感じた。その衝動は、ある種の絶叫のように、真昼の頭蓋骨の中で暴れ狂う生理的反応ではあったが。とはいえ、真昼の肉体は、その指先一つ動くものではなかった。なぜなら、マラーが横たわっているカーテンの内側の空間と、真昼が立っているカーテンの外側の空間との間には、あまりにも当たり前のことであるが、カーテンといいう境界線が設定されていたからだ。

 青い色をしていて……金属光沢のような、それでいてひどく透明な光を放つカーテン。真昼は、大脳皮質が切除されたような思考によって、ほとんど脊髄の反射としてそれを知っていた、そのカーテンは青イヴェール合金が織り込まれた織物であるということを。この光沢、ひどく他人事みたいな、何ものも映し出さない鏡のような、そんな光沢。「反射」による光沢というよりも、「孤独」による光沢といった方が正しいのではないかと思ってしまうような、そんな感覚。間違いない、これは青イヴェール合金だ。

 青イヴェール合金、夜の内側で、「孤独」の色をした光を放つ、絶対的な独立性の匙片。それが、真昼とマラーとを分かつ境界線となっている。つまり、真昼とマラーとは異なる生き物なのだ。理解不可能性の問題。なぜなら、真昼は動物であるが、マラーは人間であるからだ。

 した、した、した、と。右の手のひら、中指の先から、何かが滴り落ちていることに気が付いた。ふと、そちらの方に視線を向ける。それから、その視線の先のところまでその手のひらを差し上げてくる。その手のひらの真ん中、中指の付け根から五ハーフディギトくらい、手首の辺りから五ハーフディギトくらいのところ。大体、幅にして一ハーフディギト前後の長さの細長い傷が、四つほど開いている。

 いうまでもなく、これは、先ほど強く拳を握り過ぎたために出来た傷だ。四つの傷というのは、小指の爪が付けた傷・薬指の爪が付けた傷・中指の爪が付けた傷・人差指の爪が付けた傷の四つということであって。大きさも長さも角度もばらばらな、ひどく乱雑な傷が。あたかも野生の動物がつけたような野蛮な傷が。ある種の象徴であるかのように一列に並んでいる。そして、そこから血が滴っている。

 鈍く黒ずんで、薄暗く濡れた、なんらかの毒性を有した血液だ。もちろん、これは一つの比喩であって。真昼の血液には有毒な物質は含まれていないのだが、とはいえ、この血液は、まさに真昼の動物性の象徴であるように思われた。手のひらを閉じて、もう一度開いてみる。傷口から噴き出していた血液は、滲むようにして手の全体に広がる。

 ああ、まるで……笑ってしまうように陳腐な象徴ではないか? まさか、まさか、血に濡れた手のひらだなんて! それでも、それが陳腐であるがゆえに、まさに逃れられない現実であった。真昼の手のひらは血に濡れていて、そんな手で、あれほど無垢な少女のことを抱き締めるわけにはいかないのだ。

 それに、それだけではない。そもそも、マラーが浅く浅く横たわっている空間を侵犯するわけにはいかないのだ。これほど深いところ、これほど腐敗したところにいる生き物が、このベッドの上に上がってしまうわけにはいかない。

 だって、ほら、真昼、真昼、自分の体を見下ろしてごらん? 自分の体が、一体どれほどまでに汚れてしまっているかということを。全身が、その指先の一本一本まで、反吐にまみれているではないか。足の先から額の上まで、死んだ生き物を消化した、泥濘のような物質に覆われていない部分はなく。髪の毛のそこら中に、腐敗しかけた断片が絡み付いている。

 これほど醜い生き物が、この世界に、他に、いるだろうか? いや、まあ、醜いの尺度によるけれど、今の真昼より醜い生き物なんて、このアーガミパータだけで考えてみても大変どすこいどすこい(量が多いということを表す月光国特有の表現)(「お前のアイス俺のよりどすこいどすこいじゃん!」のように使用する)なのであるが。とはいえ、真昼の主観においては、今の真昼よりも醜い生き物なんて考えることも出来ないくらいだった。そして、それほどまでに醜い生き物が……マラーの幸福な眠りを侵害していいはずがないのだ。

 っていうか要するに、ゲロまみれだからシーツの上に乗るのが憚られるっていう、ただそれだけの話なんだけどね。なんかさ、真昼ちゃんさ、いっちゃ悪いけど……客観的に見ると馬鹿みたいだよ? いやさ、ゲロまみれだからシーツの上に乗れないって人生でそうそうあることじゃないよね。そもそも、なんで? なんでゲロまみれになったの? そりゃ、まあ、色々とポエティックなモノローグがあったし、何か辛いことがあって悩んでたっていうのは分かるけどね。そんな風になる、普通? もっと、こう、フラットな気持ちで生きていくっていうことは出来ないんでしょうかね。人生カジュアル・アンド・ポジティブっていうかさ。少なくとも、この世には、ゲロの上でのたうち回らなければいけないほど深刻な悩みなど存在しないのだ。

 とにかく、そんなわけで……真昼は、マラーのことを抱き締めることは出来ないのだった。ただ、その場に、人間性の空間と動物性の空間との境界に、茫然としたように立ったままでいることしか出来ないで。それから、真昼は、カーテンを閉じた。とてもゆっくりとした手つき、カーテンとカーテンとがすり合う音さえも立てないように。

 そして。

 真昼は。

 コーシャーに。

 取り残される。

 少しだけ、寒いような気がした。まあ、何も着ていなかったし、それに、皮膚に付着した反吐の水分が蒸発することで、ほんの少しずつ真昼の体温を奪っていっているのだろう。マラーではなく自分のことを抱き締めるように、両方の腕を胸の辺りにぎゅっと巻き付けて。そうして、その後で……そういえばここはどこなんだろうという、そんな疑問を抱いているということに気が付く。

 つい先ほどのポエモノ(詩的な独白の省略形)では、ここがエーカパーダ宮殿であると決めつけてしまったのだが。本当にここはエーカパーダ宮殿なのだろうか? 今の今まで、自分のこととマラーのこと(自分に関係するマラーのことなので実質的に自分のことであるが)としか考えておらず、自分が置かれた環境をほとんど意識していなかったのだが……ここに至って、ようやく周囲を見回してみることにする。

 まずは。

 目の前に、ある。

 ベッドについて。

 これに関して、目覚めてから今のこのタイミングまでの時間においても、パーツパーツについては認識していたのだが。全体像を把握していたわけではなかった。絹のシーツをかぶせられた非常に大きなベッド。それを、青イヴェール合金を織り込まれたカーテンが囲っている。それだけでは一つの全体を表現するためには局所的に過ぎる情報であるということだ。一歩、後ろに下がる。もう一歩、後ろに下がる。その足が反吐を踏み締めた、それくらいの場所から、ベッドの総合的な姿を見渡してみる。

 天蓋付きのベッドであると考えていたそれには……実際は、天蓋が付いてなかった。どういうことなのかといえば、そのベッドを囲んでいるカーテンは、何物にも支持されることなく浮かんでいたということだ。カーテンを吊るすためのブラケットも見当たらなければ、カーテン自体にフックが取り付けられているというわけでもない。ただ、柔らかく波打つような一枚の布が、波打ち際で爪先を洗うさざ波のように揺れているだけだ。

 真昼が立っているところからその空間の天井までは、大体において六ダブルキュビトの高さがあるのだが。天井の少し下の辺り、何もない空間から、当たり前のように垂れ下がっている。ベッドの全体よりも少しだけ、一回り程度は小さいと思われる、それくらいの直径の円形を描いて。カーテンは、ベッドを、飲み込もうとでもしているみたいに包み込んでいる。

 真昼は、ぼんやりと見ていただけなのだが、それでも気が付いていた。これは、ごくごく普通の現象であるように見えて……信じられないほどの「力」を意味しているということに。いや、そうではない。確かにカーテンが浮かんでいるということは、魔学的な力によってそれがなされているということを意味しているのであるし。このような形で魔学的な力を維持するということは、それなりに大変なことではあるのだが。真昼が気が付いた「力」は、そんな生易しい現象を意味しているわけではない。

 青イヴェール合金については、これまでも色々な説明を加えてきているが、要するに、それは対世界独立性が非常に高い物質だということだ。もう少し分かりやすく書くとするならば、あらゆる外界の影響を受けにくいということ。いうまでもなく、魔学的な力の影響もほとんど受けることがない。ちょっとした魔法くらいなら無効化してしまうのだ。それにも拘わらず、このカーテンは浮かんでいる、いや、浮かび続けている。静まり返った定常状態として、一定の時空間に、完全に固定されている。

 こんなことは、生半可な魔力ではなしえないことである。そして、それほどの魔力を……つまりは、室内の装飾のためだけに使っている。これがどれほど異様なことなのかということは、魔力という概念に慣れ親しんでいないと分かりにくいかもしれないのだが。例えるならば、ちょっとハンドデヴァイスを充電するためだけに重力発電所を一から建設するようなものである。普通であれば、そんなことをしている誰かのことを見たら「いやいやそこのコンビニで充電器買ってくればいいじゃん」と思うものであるが。真昼が感じた「力」というのはそういうことなのである。

 いや、ごめん、ちょっと違うかも。とにかく、とんでもない力の無駄遣いということは間違いない。それは、まるで……あのダコイティの森でデニーがしたことと同じようなことだ。たかが、ちょっと座る椅子を作り出すためだけに。十一人のダイモニカスと数万人の人間とが作り出したオレンディスムス系結界から、真聖性を無理やり引き摺り出す。そのような、非現実的なまでの無意味さによって、そのカーテンは揺らめいているのであった。

 さて。

 ところで、次は。

 この場所の全体に。

 目を移してみよう。

 それは、このようにして意識して見渡してみると……少しばかり奇妙な空間だった。どういうことかといえば、奇妙なところが一つもないのだ。ああーっと、こういう書き方をすると紛らわしいかもしれませんね。つまり、真昼の感性からして「これはないな」と思うようなセンス、ザ・アーガミパータらしさというものが決定的に欠如しているのだ。

 これまで真昼が見てきたザ・アーガミパータらしさとえば、つまりは「ちょっと落ち着いた方がいいんじゃない?」ということだ。んもー、視覚という感覚に対するある種の攻撃なのではないかと思ってしまうような色彩。暴れ狂うような原色の上に、これでもかというほど、きんきんきらきら金属の色をぶちまけたという感じ。そして、それだけではなく、その形状もめちゃくちゃだ。頭がおかしいんじゃないかと思ってしまうほど細かく刻まれたイメージが、一歩間違えればトライポフォビアを起こしかねないような集合体として提示される。あまりにも密集しているので、そこだけ重力が歪んで、別種の世界を形成しているのではないかと思ってしまうくらいだ。とにかく、度を過ぎた派手・華美・凄絶・脈動。それこそがアーガミパータの芸術的装飾だ。

 それなのに、この空間には、ほとんど装飾のようなものは見られなかった。ここにあるなんらかの物体は……その中心にあるベッドだけ。他には何もない。

 具体的に描写してみよう。安心して欲しい、それほど長くはかからないから。この部屋の全体としては、どうも正九角柱のような形をしているらしい。床面と天井とは、一辺一辺が完全に等しいと思われる九角形をしていて。その幅の一番長い部分は、よく分からないのだが、たぶん三十ダブルキュビト弱だろう。そして、その高さは……高さについては、ちょっと表現しにくい。

 どこに立つかによって高さが変わってきてしまう。どういうことなのかといえば、正九角柱の空間の真ん中が、ベッドがある地点に向かって次第次第に凹んでいっているということだ。幾つかの段になっていて、下に下に向かって降りていく形。正九角形自体の高さは五ダブルキュビト程度であるが、そこからベッドがある地点までは、さらに一ダブルキュビト程度下がっている。

 段の一つ一つの高さは、人間にとってちょうどいい程度の段だ。それが、まるで……上から見たとすれば、非常に捻じ曲がった山岳地帯を、そのまま写し取った等高線のように見えるだろう形で段差を形作っている。つまり、一段一段がぐにゃぐにゃと歪んでしまっているのだ。もちろんたった一つの底面しか有していない階段であるのだが。それは明らかに、なんらかの理性的法則に従って歪められているとは思えないほどの無秩序さであった。いい換えれば、何かしらの自然的な要素で決定されたらしい輪郭ということだ。段の数は、真昼がいるところも段に含めるとすれば九段。この空間を形成している辺の数と同じである。

 そういえば、その辺であるが。というか、九角柱の側面であるが、その一つ一つがガラスで出来ている。いや、ガラスではないかもしれない。この空間の性質、カーテンを維持している魔力のことなどを考えると、ただ単純なガラスなどを使うとは思えない、もしかしたら物質でさえないかもしれない。とにかく、それがなんであれ、完全に透明な何かで出来ている。

 どれくらい完全かといえば、もうびっくりしてしまうほど完全だ。そのびっくりしてしまうというのは、普通に見ると何もないように見えるのだが、九角形の頂点、それぞれの側面と側面とが接するところに視線を移すと、その接点だけが一本のラインのようにして浮かび上がっているのが見える。それを見て、ああ、ここには何もないわけではなく何かが窓もしくは壁として存在しているのだと気が付いてびっくりしてしまうということだ。

 と、まあ……視覚情報に関連するものについて、描写するべきことはこれくらいである。見るべきもの、他には、本当に、何もない。天井は完全な平面であり、部屋を照らすための照明機構さえ見当たらない。部屋の全体、側面を除いた部分は、一点の曇りも汚れも見当たらない黒い物質で出来ている。その黒は、艶消しの黒というか、光の全てを飲み込んでしまう黒というか。まるで宇宙空間か何かのように無限の黒であった。

 視覚。

 視覚。

 疑いもなく。

 それは重要な感覚である。

 とはいえ、真昼という動物には。

 それ以外の感覚も存在している。

 例えば。

 聴覚だ。

 始めは……世界がノイズを上げているのかと思った。ここ数日で、あまりにも異常なものになってしまった世界が。その歪曲と崩壊と墜落とに耐えることが出来ずに、ほとんど静寂にも似た音を立てて涙を流しているのかと。

 しかしながら、それは確かに水音ではあったのだが。とはいえ、「世界のノイズ」などという抽象的かつよく分からない現象ではなかった。もっと具体的で、それにありきたりな何か。つまり、それは雨が降る音であった。

 雨? 真昼は、一度、目を閉じて。そして、その音に耳を澄ませてみる。まるで眠りのような何かが、耳元で囁いているような音。それが誰なのかということは分からないのだけれど、自分が既に死んでしまった生き物であるということを受け入れて、冷たく冷たく腐敗していく何者かが、耳元で囁いているような音。間違いない、これは雨の音だ。

 さーさーと。静かに静かに。雨の音は……少しばかり、真昼の思考に混乱を引き起こした。だって、だって、ここは、真昼の推測するところによれば、たぶん、アーガミパータなのだ。アーガミパータに雨が降るなんて、真昼には信じられないことだった。

 真昼の記憶、とはいってもたかだか二日か三日かの記憶であるが、その記憶の中のアーガミパータは、燃え盛るように乾き切っていた。まあ、確かに、ダコイティの森は、それなりにまとまった植物が生育していたし、せせらぎが幾つか集まった程度の物に過ぎないとはいえ川も流れていた。それでも……そうはいっても、あれは死にゆく森であったのだ。その周囲は、明らかに滅びの鼓動に沈み込んでいくような荒野によって閉ざされていて。

 第一、真昼は、アーガミパータに来てから雨が降っているのを見たことがなかった。それどころか曇り空さえあり得ないものだった。その光景はいつだって太陽とともにあったのだ。しかも、それはただの太陽ではない。未だ生まれていないところの一柱の神の卵、絶対の虚無の内側で蠢きながら目覚めの時を待ち続ける胎児。この星を構成している全ての基本子を沸騰させてしまい、その踊り狂うかのごときエネルギーのままに飲み込もうとしているかのような力を放ち続けるところの……ヒラニヤ・アンダ。真昼にとってのアーガミパータは、常に、その熱量に包み込まれていたのだ。

 それなのに。

 この。

 冷たい。

 冷たい。

 音。

 真昼は、また、目を開いた。まるですべらかな金属の鎌のような態度で、ゆっくりと視線を上げていく。今度は、この空間の内部ではなく外部に目を向けようとしたのだ。つまり、ここに至って初めて窓の外に注意を向けたということである。

 透明な何物かさえも、その視線を遮ることのない透明さ。その外側はほぼ完全な暗黒であった。まあ、今は夜なのだから仕方のないことであるが。ただし、それは、あくまでも「ほぼ」完全であるに過ぎなかった。何がいいたいのかといえば、真昼の目、人間に能う限りに強化された目であれば、そこには、ほんの僅かに照らし出す光があったということだ。

 それがなんの光なのかということは分からないのだが、とにかく、その光のおかげで。少し目を凝らしただけで、すぐに暗黒を見通すことが出来た。そして、その窓の外には……やはり雨が降っていた。なんとなく意外に思ってしまったのだが、それは完璧に普通の雨であった。つまり、真昼が知っているところの月光国の雨と変わらない雨だったということだ。

 まあ、普通の雨じゃない雨ってどんな雨だよという話ではあるのだが。アーガミパータに降る雨が、ただただ雨であるというのは、ちょっと理屈に合わない話であるように真昼には思えたということだ。例えば血の雨だったり、それに、あるいは、涙の雨であったり。涙の雨と普通の雨とをどうやって見分けるのかという疑問は残るのだが、それはそれとして、そういった雨である方が相応しいように思えたということだ。だって、アーガミパータは、そういう場所なのだから。

 さほど強い雨ではない。

 さほど弱い雨でもない。

 呼吸のように。

 特徴のない雨。

 真昼は、それから、歩き始めた。いや、特に理由があったというわけではない。なんとはなしにだ。なんとはなしに右足を前に進めて、なんとはなしに左足を前に進める。なんとはなしにそれを繰り返す。マラーが眠っているベッド、無原罪の青によって真昼の所属している動物的環世界から隔絶させられているところのベッド。その周囲を、あたかも一つの衛星のようにして――サテライト――ここでこの言葉を使うことになるとは――愚かであることの幸福――皮肉なことだ――回転する。

 時計で表わすのならば、十六時のところから歩き始めて。十五時、十四時、十三時を通じて、十二時の辺りまで歩いてくる。恐らく、ここが、ベッドでいうところの足の部分だ。このカーテンの向こう側を覗いてみれば、マラーの足元がそこにはあるということになるのだろう。ただし、真昼の視線は、そちらの方を向いているわけではない。あくまでも窓の外を向いている。そして、窓の外は、どこから見ても同じだ。誰の血でもなく誰の涙でもないところの雨が、静かに静かに振り続けている。

 十一時、十時、九時、それから、八時。さっきまで真昼が立っていたところから、ベッドを挟んでちょうど反対側。そこまで歩いてきた時に、真昼は、不意に気が付いた。この空間には、真昼とマラーと以外の誰かもいたのだということに。

 真昼の視線の先に、その誰かは立っていた。とはいえ、真昼と同一平面上に立っているというわけではない。もっともっと上、九段ある階段の一番上に立っている。真昼がいる場所、この空間の最下層には背を向けていて。どうやら……窓の外を見ているらしい。窓のすぐそばに立っていて、窓の外の暗黒よりも、もっともっと黒い色。どろどろと、地獄の底に沈み込んでいくような色。そんな色をした、悪魔みたいな姿が立っている。

 それは、誰か。

 いうまでもなく。

 真昼は。

 その悪魔のこと。

 よく知っている。

 真昼が、その悪魔を目にして。ふと、その場に、足をとどめた時に。これはひどく馬鹿げたことであるように思われるのだが……窓の外で、凄まじい稲妻が爆発した。もちろん、その光が目を焼いた瞬間には、真昼は何が起こったのかということが分からなかった。何か、とてつもなく明るい光が弾けたということしか理解出来なかったのだ。だが、その直後に……霹靂が鳴り響いた。真昼がいる空間の全体を震わせるような霹靂。その時に、ようやく、ああ、これは雷であったのだと気が付いたのだ。

 本当に興覚めしてしまうような凡庸さだ。真昼が、悪魔を、その目にとめた時に。まるで図ったかのようにして雷が発生するなんて。とはいえ……それでも、その現象は、現在という破綻した物語においては相応しい出来事であるようにも思われた。ぴったりだ、真昼のような生き物にとっては。安っぽい芝居じみた出来事。暗黒の中で、雷が発生して、その光によって、悪魔の輪郭が、シルエットとして浮かび上がる。

 その悪魔の。

 輪郭は。

 とてもとても幼いみたいな。

 少年みたいな形をしていて。

 そして、少し、歪んでいる。

 着ているのは黒いスーツで。

 緑のフードをかぶっていて。

 もちろん、真昼は。

 その悪魔の名前を知っている。

 だから。

 だから。

 真昼は。

 淡く、淡く、開いた口。

 まるで、また、嘔吐するかのように。

 その名前を、吐き捨てる。

「デナム・フーツ。」

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