第二部プルガトリオ #46

 さて、真昼は、それから……大変大変かったるそうに、デニーの膝から頭を上げた。そのまま上半身を起こして、ちょっと猫背になるみたいに体を前方に傾けた姿勢で、物憂げな感じに玉座に座る。グラスを持っていない方の手を自分の髪の毛の中突っ込んで、ぐじゃぐじゃと乱雑に搔き乱す。そして、反対の手、グラスを持っている方の手は……その手、握られているグラスを自分の顔の前に持ってきた。

 さも、たった今気が付きましたとでもいわんばかりに。自分がずっと持っていたグラスを見つめる。なんで自分はこんな物を持っているのだろう。よく理解出来ないみたいな表情をして。それから、大きく大きくその腕を振りかぶって、思いっ切りそのグラスをぶん投げた。

 グラスは、玉座の上から、まるで気の抜けた分度器みたいな角度で弧を描きながら。例の魔学式によって相当強化された投擲力の結果として、かなり遠くの方まですっ飛んでいって。そうして、丸焼きにされた動物達が乱痴気騒ぎを繰り広げているテーブルの上に落ちた。

 がしゃん。

 ぱりーん。

 そんな音がして。

 容易く割れる。

 首が、ほんの少しだけ痛い気がした。別に無理をした姿勢というわけではなかったのだけれど、それなりに負担がかかっていたのかもしれない。右の手で頭の左側を掴んで、右に向かって軽く倒す。左の手で頭の右側を掴んで、左に向かって軽く倒す。少しはましになったかもしれない。よく分からない。そうした後で、真昼は……ちらりと舞龍の方に視線を向けた。

 そういえば、これだけのことをされても。ナイフで突き刺されて、肉の塊を抉り出されても。舞龍が、それになんらかの抵抗を示すことはなかった。暴れ出すどころか、デニーが寄り掛かっていた胴体はぴくりとも動くことをしないで。

 だから、一体どうしたのだろう、と思って、その顔を見てみたのだが……それは冷静そのものといった表情をしていた。まあ、舞龍は人間とは違い、コミュニケーションという概念を有していないので。そもそも表情などないのだが。

 それでも、舞龍は欠片の痛みさえ感じていないようだった。いや、感じていないというよりも……ああ、そう、実際に感じていないのだ。真昼は、ようやく思い出したのだが、舞龍には痛みを痛みとして感覚するシステムが備わっていない。痛覚というものはあるのだが、その感覚で感じた痛みは、あくまでも外界の刺激を情報として伝えるに過ぎないのであって。人間のように生物学的な拒否反応を起こすわけではないのだ。

 そもそも人間がいうところの痛み、それを感じてそれを避けようとするというプログラムは、一種の恣意的なコミュニケーションなのである。外部の浸食を受けることで自分の精神構造を変更するということ。舞龍にとっての痛みはそういうものではない。あくまでも自分が有する目的の達成のために処理されるべき情報の一項目に過ぎないのだ。それは必然性の一つに過ぎず、いわんやそれ自体が目的であるわけがない。

 と、いうことで。舞龍は痛みを感じないのだが、そうはいっても普通の舞龍であれば、これだけのことをされれば反撃するだろう。普通の舞龍の目的とは、まさに自己保存なのであって。自己の完全性を毀損する何者かに対して、それを排除しようとするに違いないからだ。もちろん、この排除とはコミュニケーションの一形式としての排除ではなく……いや、それはそれとして、とにかく、この舞龍は普通であればデニーを攻撃していたはずなのだ。

 それをしないということは、もちろん必然性の問題だ。つまり、舞龍のあらゆる行動は、それがそうなることが必然であるからそうなるという感覚によって行われるわけなのだが。もしも、デニーが、舞龍から肉の塊を抉り出すことが必然であるならば。舞龍は、それを完全な自分の一部分として受け入れる。

 何がいいたいのかといえば。

 それは、舞龍に、とっての。

 絶対的な行動なのであって。

 そういった、絶対的な行動は。

 この領域の王であるところの。

 カリ・ユガによって定義される。

「これは。」

「んー?」

「食い物なのか?」

 真昼はそう言いながら、背凭れ・肘掛けの舞龍を、緩く伸ばした人差し指の先で指差した。そういえば、このホールに入ってきた時に、この男は「舞龍のお刺身」だとかなんだとか言っていた気がする。あの時は、一体何を言っているのかということがさっぱり分からなかったが。今になってようやく分かった、要するに、刺身は新鮮であればあるほど美味いということだ。

 これは、人間のような下等知的生命体がよく勘違いしてしまうことなのだが。生きるということは必然ではない、必然の中では生きることも死ぬこともあるのであって、その片方を必然と思うことは、やはり恣意的なコミュニケーションによるものなのだ。だから、もしも、あらゆる情報を処理した結果の帰結がそれであるならば。必然が、絶対が、それであるならば。舞龍は、あくまでも、自分の目的として、生きながらに食われるだろう。

「うん、そーだよ!」

 デニーは。

 元気よく。

 そう答えると。

 すてんっという感じで玉座から立ち上がった。まあ、その足が置かれたところは蓮の花の上だったので、どちらかといえば、ふわわっという感じで立ち上がったという方が正しいのだが。それはそれとして、ふわっふわっふわっふわっと台座を歩いていく。両腕を後ろにやって、左手で右の手首を掴んで、右の手のひらにはナースティカ・ナイフを持ったままで。玉座の上で滑らかに体を伸ばしている舞龍の、その顔の前にまでやってくる。

 舞龍は、くうっと頭を擡げた。デニーの方に向かって、とはいえ、威嚇とかそういう感じではなかった。どちらかといえば、デニーに対して……そう、首を差し出しているような感じだ。デニーは、左の手のひらで、ひとしきり舞龍の顔を撫でる。ぐりぐりと撫で回す。頭を、鼻先を、口元を、牙を。それから、手のひらを、すうっと、舞龍の顎の下に持っていくと……それとは反対の手に持っていたナースティカ・ナイフで、その頭を切り落とした。

 それは本当に一瞬の出来事だった。やけにあっさりとしていて、まるで現実に行われた「斬首」ではなく、その現象の子供っぽいパロディであるかのように。舞龍の首が、こんなに簡単に切り落とされるなんて信じられない。真昼は、アーガミパータに来てから、たくさんの人間が・たくさんの生き物が死ぬところを見てきはしたのだが。それらの死は、パンダーラの死を除いて、所詮は下等な生き物の死に過ぎなかった。

 一方で、舞龍は高等知的生命体だ。これは、例えば、目の前であっさりとノスフェラトゥが殺されるのを見るようなものである。しかも、雑種ではなく純種のノスフェラトゥが。完全ではないとはいえ、ゼティウス形而上体が、こんなに簡単に破壊されてしまうなんて……あり得ない、絶対にあり得ないことだ。

 しかし、それは。

 実際に起こったことで。

 真昼も、これまでの経験から。

 非常によく理解したことだが。

 ありえないことが起こってしまうことは。

 地獄の底では、よくあることなのである。

 そこから先を切り落とされた舞龍の首は。というか、舞龍の首はどこからが首でどこからが胴体なのかということがよく分からないのだが、とにかく、頭部を失った舞龍の頸椎は。くわあんという感じ、天を仰ぐかのようにのけぞった。その動作は、なんらかの生命が伴ったものというよりも、どうも血流の関係で行われたらしく……それとともに、頭部の切断面からは非常に激しい勢いで血液が吐き出される。

 まるで夏の水遊び、そこら中に冷たい水を撒き散らしているシャワーみたいだ。舞龍の首は、ゆらんゆらんと揺れ動きながら、その肉の内側に蓄えていたところの血を噴き出し続けて。そして、その赤く冷たい液体は、白い蓮の花の上にダニエルの雨みたいにして降り注いで――とはいえ、それは無意味な奇跡でありながらも洗礼ではないのだ――にぱーっと笑っているデニーの顔を、優しく優しく濡らしている。

 真昼の顔は、その雨によって、美しい嘘のようにして濡らされている。デニーが、こちらに向かって、その頭を差し出してくるところを見ている。「真昼ちゃん、真昼ちゃん」「なんだよ」「ほら、これ、食べてみて!」。そう言いながら、その頭を持っている方とは反対の手、ナースティカ・ナイフによって突き刺した。色彩を感じ取る、一般的な意味においての目よりも、斜め上の部分に位置しているそれを。舞龍にとっての「第三の目」と「第四の目」とであるところの、ピット器官を。

 無論、両方とも突き刺したわけではなく、右側の一つだけを突き刺したのではあったが。しかも、突き刺す前に、まずは瞼によく似た構造物をナースティカ・ナイフで切り開いて。その下にあった腐りきった血液の結晶物みたいな球体を露出させてから、それをしたのであったが。とにもかくにも、ナースティカ・ナイフの先には、その球体が……ピット器官が、あたかもbrochetteであるかのように提示されていたということだ。

「おいしーよ!」

 デニーは。

 そう言いながら。

 真昼に向かって。

 それを。

 そっと、差し出してくる。

 真昼は、そのナースティカ・ナイフを受け取る。愛らしい花束を受け取るみたいにして、右の手のひらで受け取る。それから、暫くの間……白い光・青い音の中で瞬いている夢のようにして、このようなことを考える。このナイフであれば、デニーのことを殺せるのではないか? 舞龍の首でさえ、あれほどやすやすと切断することが出来たナイフなのだ。この男の首を切って捨てることも、やはり不可能ではないのではないか?

 はは……はははっ! あたしは、なんて馬鹿なことを考えているんだろう。そんなことが出来るわけがないじゃないか。この男は、デナム・フーツだ。ある、一つの、非現実性。救われるべきではなかった者のための救世主であり、裁かれるべきではなかった者のための裁判官。一つ一つの運命を、まるで積み木のように、まるで積み木で遊ぶ子供のように重ね上げて。そして、美しい絶望という名前の構造物を作り出す……一匹の悪魔だ。

 人間に悪魔は殺せない。

 例え、この手に、持っているものが。

 愛と呼ばれる必然であったとしても。

 あたしは。

 この男を。

 絶対に殺せない。

 要するに、この男は現実の生き物ではないということ。ムンドゥス・ファブロス、アシスタント。お姫様が危険に陥った時に現れて、まるで奇跡みたいにして助け出してくれる、とてもとても子供じみた何者か。そう考えると、真昼は……奇妙な安心感とともに、デニーを見据えていた視線を逸らした。それから、それを、ナースティカ・ナイフの先に突き刺さっている物に向ける。

 そこに突き刺さっている物は、どう見ても食用に向いているようには見えないものだった。なんというか、こう、食べたら病気になってしまいそうというか。明らかに禍々しい、この世界にずるりと開かれたplagaか何かのように禍々しい。舌先に触れる前から、美味しくないだろうなという確信が湧いてくる何物かなのであって……とはいえ、デニーが、これはおいしい食べ物であると主張しているのだ。少なくとも、食べても害はないだろう。

 真昼は、えろりと舌を伸ばした。その舌で、そのピット器官に触れると。そのまま、ひょいと取り上げて口の中に含んでしまう。どうでもいいんだけどさ、真昼ちゃんって舌先がめちゃくちゃ器用じゃない? それはそれとして、口の中のそれを、真昼は、奥の歯と奥の歯とで挟んで。一気に、がりんと、噛み砕いた。

 それは思っていたよりも生物学的な感触ではなかったのかもしれない。まるで宝石のような結晶構造のような。あるいは、飴玉をがりがりと噛み潰したみたいな感じ。そう、飴というのは非常に適切な例えかもしれない。噛めば噛むほど、結晶は細かく崩れていって。そして、舌の上で溶けて味を感じるようになる。

 さして特別な味がするわけではなかった、また恐怖だ。ざらざらと、脊髄を鑢で削られているような。でろでろと、脳味噌に酸を注がれているような。それから、少しだけ、魔学的な味もする。砂糖ではないものの甘さ、有害な薬品のように甘い悪夢の甘さということだ。どちらにしても、今の真昼にとっては、さほど刺激的な味というわけでもない。

 真昼は。

 アーガミパータに辿り着いてから。

 一度も、たったの一度たりとも。

 感じなかった感覚を感じていた。

 それは。

 退屈だ。

 確かに……パンダーラと一緒に森の中を歩いていた時だとか、マコトと一緒にフライスで飛んでいた時だとか。そういった時に、真昼は退屈だと感じていたのかもしれない。けれども、それは、今の真昼が感じているところの退屈とは全く種類が違ったものだ。そういった時々においては……真昼は、精神のどこか一部分では、緊張し続けていた。それは、その時点ではやることがないという意味の手持無沙汰さのことであって、状況の全体に対する興味のなさというわけではない。真昼は、アーガミパータに辿り着いてから。常に、ずっとずっと、どこかがぴんと張り詰めているように感じていた。一瞬ごとに、何かの破滅が近付いているように感じていた。それなのに、今は……このホールの全体の雰囲気に飲み込まれてしまって、その破滅でさえも踊り出してしまった感じだ。そして、今、真昼が思っているのは、何か面白いことが起こって欲しい、何か楽しいことをしたいということだった。

 真昼は。

 いきなり。

 立ち上がる。

 ナースティカ・ナイフを右手に持ったままで、ぐーっと伸びをする。右の腕を伸ばして、その手首を左の手のひらで握って。強く強く引っ張り上げるみたいにして。体の変なところがぱきぱきと音を立てて、変なところといってもどうせ関節なのだろうが、それから、すとんと、全身の力を抜いた。

 両腕を下ろすとぐにゃぐにゃと全身を揺すった。その時に気が付いたのだが、どうも唇から血が出ているらしい。ピット器官を口にした時、拍子に切ってしまったのだろう。舌の先でぺろっと舐め取って、面白味のない血の匂い、面白味のない血の味。はーっと馬鹿馬鹿しいような溜め息をつく。

 一歩。

 一歩。

 一歩。

 一歩。

 前に進む。

 真昼は。

 やがて。

 高御座の。

 縁にまで。

 辿り着く。

「どーしたの、真昼ちゃん?」

 デニーが、不思議そうに問い掛けてきた。真昼は、蓮の花の台座の一番端のところ、ちょうど動物の丸焼き諸氏が踊ったり走ったり暴れ狂ったりしているテーブルを真っ直ぐに見下ろすことが出来る場所に立っていたのだが。首を傾けるようにして、首だけでデニーを振り返って……言う。

「今、どうしたのって聞いたのか?」

「うん、そう聞いたよ。」

「はっ!」

 鼻先で、嘲笑うようにそう言った。それから、真昼は、顔を前の方に向けて。高御座の下で繰り広げられている光景に視線を落とした。そこでは、いかにも面白そうなこと・いかにも楽しそうなことが行われていた。誰も彼もが歌っていて、誰も彼もが踊っていて。誰も彼もが幸せそうだ。festusにcarneをlevareするparitio、partio、partio。そのpartioに、真昼もなるのだとすれば。これほど愉快なことはないのではないか?

 真昼は、まるで独り言のように「お前、あたしが思っていたよりも頭が悪いんだな」と言いながら、すっと目をつむった。両方の腕を、出来損ないの殉教者みたいにして、真っ直ぐに上げて。体の横で、地上であるところの直線と全くの平行になるようにする。少しだけ上を向く、ある種の詩学、言葉が無意味になってしまった世界の詩学であるかのように。その口が開く。一つ一つの言葉、頭蓋骨の中で次第次第に溶けていってしまうような言葉によって、真昼はこう言う。

「見りゃ分かるだろ。」

 ラ。

 ラ。

 ミーンズ。

 ここに。

 私の。

 ための。

 ものが。

 ある。

「馬鹿になっちまったんだよ。」

 そして、それから、真昼は足を踏み外した。どちらかといえば、あらゆる欺瞞に晒されることのないままに身を投げ出したといった方が正しいかもしれない。どちらにせよ、真昼は、高御座の縁をふわりと蹴り飛ばすと。そのまま宙に向かって自分の体を抛ったということだ。

 高御座を形成している植物、そこへと至る階段でさえ十七ダブルキュビトほどの高さがあるのであって。更に、その上に咲き乱れている蓮の花の台座ともなれば、遥かなる高みに到達してしまっている。人間という生き物は、知的生命体の中でもかなり脆い種類の生き物だ。五階建ての建物から落下すれば、その死亡率は五十パーセント近くになるし、十階建ての建物から落下すればほぼ百パーセント死ぬ。十階建てというのは、大体三十ダブルキュビトくらいのことであるからして。つまり、真昼が飛び降りたところから飛び降りれば、まあ普通の人間であれば死ぬであろうということだ。

 とはいえ、ここまで何度も何度も何度も何度も書いてきたことであって、従って読者の皆さんもうんざりするほどよくご存じのことだろうと思われますが、ジャスト・イン・ケースに備えて今一度だけそのことについて触れておきますと、真昼ちゃんはオーディナリーなホモ・サピエンスではない。デニーの魔学式によって強化されたホモ・サピエンスなのであって、人間の肉体が能う限りのスーパーパワーを引き出されているのだ。

 なので、三十ダブルキュビト程度であれば飛び降りたところでどうということはない。まあ、どうということはないというのはいい過ぎで、それなりの痛みくらいは感じるかもしれないが。とはいえ、その痛みさえも現時点では問題にならない。なぜかというに、今の真昼は……簡単にいえばハイになっているからだ。あたかも酩酊しているかのように、ラゼノ・カクテルの影響で、痛みを感じる神経の大部分が麻痺してしまっている。

 とにもかくにも、真昼の体は、ちょっと信じられないくらいの跳躍力を見せて。遠くへ、遠くへ、遠くへ……蓮の花の台座から十数ダブルキュビトの距離を、軽々と飛び越えてしまって。それから、季節外れの色鮮やかな蝶々が、灰の中に埋められた骨の上に舞い降りるかのようにして。優美に、瀟洒に、閃燿に、そして、あくまでも親密なパロディのようにして。ディナーが置かれているテーブルの上に着地した。

 だーん。

 ばーん。

 どーん。

 どの擬音語を使ってもいいが。

 凄まじい音響と。

 凄まじい衝撃と。

 テーブルの上。

 ばら撒かれる。

 デニーが飛び降りた時よりも、その衝撃はすごいものであるように感じた。まあ、墜落時の高さを考えればそれも納得が出来る話であって。デニーは、あの高さからそのまま落っこちてきたわけではなく、途中でガジャラチャ達の長い長い鼻を経由して落っこちてきたのだ。ずがっしゃーんという感じ、レーグートの皆さんがせっかく並べ直して下さったデザートの皿が、きらきらとした宝石が詰め込まれたおもちゃ箱を引っ繰り返したみたいにして、めちゃくちゃにとっ散らかってしまう。

 ホール中に響き渡ったその音は……実のところ、これまで流れていた音楽とは異質なものであった。どこがどう異質だったのかということは、それを聞かれてもはっきりと答えられるわけではないのだが。それでも、まるで、現実ではなかったあらゆる非現実の中に一つだけ「現実」が混じってしまったような、そんな音がしたのだ。そして、そのせいで……銀の鋏で赤い糸をちょきんと切ってしまうかのようにして、あるいは録画した映像を一時停止するかのようにして。全ての饗宴が、その瞬間に、ぴたりと止まる。

 完全な静寂、絶対の沈黙。そんな中で、真昼は蹲っていた。着地した時のままの姿勢ということだ。片方の膝をついて、片方の膝を上げて。ナースティカ・ナイフを持っている方の手を、体の後ろに軽く掲げるみたいにして。それとは反対の方の手を、軽く体の前のテーブルクロスに触れさせて。そして、顔は、真下に向けられている。

 その状態から徐々に徐々に立ち上がっていく。顔を下に向けたままで、まずは膝を伸ばし始めて。両手を体の横へと動かしていく。二本の脚は真っ直ぐに揃えて、両腕は緩く伸ばした状態にして。アット・アテンションというほどでもないが、視線の先を足元に向けている以外は、大体において直立の姿勢になる。

 音楽は、静止したままで。

 舞踏は、停止したままで。

 しかし。

 真昼が。

 前を向き。

 右の眼と。

 左の眼と。

 両方の眼を。

 一つの。

 新しい。

 エチカのようにして。

 開いた、その時に。

「みゅーじっくー……」

 この空間の。

 この時間の。

 支配者が。

 楽し気に。

 叫ぶ。

「すたーとっ!」

 瞬間に、全ての饗宴が再開した。いや、再開ではない。それはまるで新しいものとしてsturtijanされたのだ。真昼の墜落、真昼の堕落。そう、それはprofanareなのだ。あらゆる人間は、その真実を絶対的に汚穢されることによって聖別されない限りは、幸福な運命に対して犠牲として供されることは出来ない。最も穢れたものこそが最も聖なるものなのであり、最も聖なるものこそが最も穢れたものなのだ。要するに……猫が、本当に鼠で遊ぶことが出来るのは。その鼠が死んでいる時だけなのである。鼠の死体を転がして遊ぶ時に、猫は、初めて鼠との関係性から解放されることが出来る。そして、もちろん、鼠もまた猫との関係性から解放されて。そして、最後の審判に臨むことが出来るようになる。

 さて、真昼は。いや、真昼ちゃんは。饗宴が始まったということに対して、どんな反応を見せたのか? もちろん、それは肯定的な反応である。なぜならこの鼠は自ら望んで殺されたのだから。それは今というこの時においては比喩的に行われた行為であるが、後々になって現実化することの典型例の一つであって。とにもかくにも、真昼は、既に、この饗宴の一部分なのだ。それどころかこの饗宴の主役なのだ。

 さあ、ミュージカル。

 主役が。

 踊らないで。

 どうすると。

 いうのか?

 真昼は、まるで……道化がおもちゃのハンマーを振り下ろすような態度で、その右足をテーブルに振り下ろした。そのせいで、足元で踏み躙られたデザートの皿が音を立てる。その音は、全くもって滑稽なじゃらーんという音を立てて。周りにいた動物の丸焼き達は、あたかもその音に驚いたかのように、ちょっと大袈裟なくらいのジェスチュアをしてみせる。

 真昼は、だらしなく伸ばされた髪を振り乱して、大きくのけぞった。そのまますっ転んだように腰を落として、その勢いもそのままに左の脚を、テーブルの上の皿、皿、皿を蹴り飛ばすみたいにして回転させる。デザートが情けなくぐしゃりと潰れて、そのまま真昼は、まるで出来損ないの着ぐるみから藻掻き出るかのごとき態度によって、体を出来る限り真っ直ぐ立たせようとする。右足でよろける、右に三回、左足でよろける、左に三回。そのたびに皿を踏み潰して……そして、真昼は、馬鹿みたいにけらけらと笑う。

 この踊りをどこかで見たことがあるか? もちろん見たことがある。誰であれ無から何かを作り出すことは出来ないのであり、それは真昼も同様なのだ。真昼は、見たことがある踊りを踊っているに過ぎない。その踊りの白痴じみたパロディを踊っているに過ぎない。真昼は、真昼は……自分がしていることを完璧に理解している。そう、馬鹿をしているのだ。

 脳髄が完全に腐り切ってしまったかのように、げらげらと大声で笑いながら。真昼は、テーブルの上を進んでいく。踊る、踊る、踊る肉体が前へ前へと進んでいく。真昼は……そういえば、ナースティカ・ナイフを持っていた。駄々をこねる子供みたいに振り回されている両手、その右手の方に。

 舞龍の鱗羽さえ切断することが出来るナイフなのだ、美味しい美味しい丸焼きを食べやすい大きさに切り分けることなんてわけのないことなのであって。周りのことなんて一切気にすることなく、そのナイフをスウィングする真昼と。そこら中でしっちゃかめちゃかにストライドしている、丸焼き達のダンス。その二つが合わさって……もちろん、丸焼き達は、もう既に死んでしまっているがために。あるいはその目的が美味しく食べて貰うことであるために、ナイフを恐れるようなことはないのだ。

 だから。

 真昼の手に握られた。

 ナースティカ・ナイフは。

 動物の丸焼き達を。

 それはもう清々しいくらい。

 次々に、切り刻んで、いく。

 真昼の乱舞に合わせてナースティカ・ナイフが辺りを薙ぎ払うごとに、そのついでにローストされた肉片が切り飛ばされる。ロースト・ビーフ、ロースト・ポーク、ロースト・チキン。香ばしい匂いを漂わせながら、それらのローステッド・ミートは、いかにもジューシーな弧を描いて……そして、真昼の口の中に納まる。そう、真昼は踊りながら食べているのだ。笑いながら切り刻み、笑いながら噛み潰す。

 そちらの熊と手を取り合ってくるりと回転した後で、左手で左手を掴んだまま、右手でそれを切り落とす。熊の手をかじりながら、魚が乗っている皿を蹴飛ばして。空中でなす術もなく藻掻いている魚を鮮やかな手つきで三枚におろす。テーブルの上で一列に並び、ぴょんぴょんと跳ね回っている蛙達。その真ん中にナースティカ・ナイフの切っ先を突き刺して。そのまま自分の口の中へと放り込む。全部、全部、真昼のために用意された物なのだ。真昼が食べないで一体どうするというのか?

 食って。

 食って。

 食って。

 食って。

 切って、刻んで、刺して。

 引き裂いて、噛み砕いて。

 あられもなく笑いさんざめいて。

 それから、まるで。

 朝が来たみたいに。

 踊る。

 いつの間にかユニコーンが駆け巡っているところまで辿り着いていた。まるで誰かの夢ように、目覚めていない誰かが見ている夢のように、同じところを何度も何度も走り続けているユニコーンの死骸。真昼は、そこに辿り着くと。あたかも、何もない空間を愛撫するみたいにして、自分の真横に向かってナースティカ・ナイフを滑らせた。

 ジョーク、ジョーク、ジョークみたいに。パーティでしか笑えない下らないジョークみたいに、ユニコーンの脚が一本切り飛ばされた。左の後脚だ。くるくると宙を舞って、それから、すぽんっと真昼の左手に収まる。足首といえばいいのかなんといえばいいのか、とにかく蹄の上のきゅっと締まった辺りがちょうど手のひらの中に収まる。

 一方のユニコーン、切り飛ばされた脚ではない大部分は。そのまま何事もなかったように駆け巡ることを続ける。そこには脚がないはずの左脚は、やすやすとホールの床を踏み締めて。夢の論理というものは現実など気にも留めずに進み続けるものなのだ。

 もちろん、今となっては真昼も夢の住人だ。いや、正確にいえば夢の賓客であって、本当に夢の夢となるのはもう少しだけ後のことであるが、それは現時点ではさほど重要ではない区別である。とにかく真昼は、ラゼノ・カクテルの影響で、現実を気にしない状態になってしまっていて。まるで知的生命体であることさえやめてしまったかのように、あまりにも剥き出しの蛮性によって、ユニコーンの左脚、その脹脛の辺りを食いちぎりながら……更に、ナースティカ・ナイフによる剣舞を続ける。

 まずは、右の後脚が切り飛ばされて。左の前脚が切り飛ばされて、右の前脚が切り飛ばされて、それから、尾が切り飛ばされて。その後で、めちゃくちゃな落書きみたいにして、胴体が切り刻まれる。引き裂かれた横腹からは、詰め込まれていた香草やら果物やらが、絢爛な内蔵のような態度によってこぼれ出してきて。そして、そのようにしてカット・アンド・ディヴァイドされた肉片を、非常にお行儀悪く……真昼は、そこら中、食い散らかす。

 正しくない、正しくないこと。これは正しくないこと。けれども、だからどうしたっていうのだろう。子供達はいつだって望んでいるのだ、何をしても怒られない世界を。どんなに悪いことをしても怒られない世界で、楽しいことをし続けることを。そして、このバンケット・ホールはまさにそのような世界なのだ。悪いことは良いことで良いことは悪いことで。幸福が善良さとは関係ないということ、幸福がそれに値しない者にしか訪れないということ、それが完全に理解されている……夢のような世界。

 つまり、それは。

 最後の。

 審判が。

 行われる。

 前日。

 今、この瞬間くらいは楽しませてくれ。あたしだって分かってるんだ、何か悪いことが起こるってことくらい。あと十分、あと十分だけ寝かせていて欲しいんだ。そうすれば、ちゃんと、目を覚まして、学校に行くから。

 真昼は、最後に、その角を切り飛ばした。赤イヴェール合金よりも魔学的硬度が高いとさえいわれるユニコーンの角は、真昼が大して力を入れなくても、まるで軽やかなそよ風みたいにして、すっと切断されて。そして、真昼は、くるりとその場でピルエットをしてから、それを右の手で掴み取る。

 ぺろぺろと、アイスクリームを舐めるみたいにして、それを舌先で舐めてみる。なんだかひどく透き通った味がする。無限に空っぽな宇宙を煮詰めて冷たい氷砂糖にしたような味。永遠の時間が舌先に触れて、舌先に触れていく先から溶けていくみたいだ。永遠と無限とが真昼の全身を蝕んでいく。

 がりんがりんと噛み砕いて。

 口の中の欠片を。

 全て、飲み干す。

 真昼は。

 その口で。

 歌う。

 歌う。

 遠い昔に。

 忘れてしまった。

 獣の歌を。

「真昼ちゃん!」

 いつの間にか、真昼は、一人ではなかった。一人で踊っていたわけではなかった。デニーと、手と手とを繋いで、またワルツを踊っていたのだ。ただし、このワルツは、先ほど踊っていたワルツとは少しだけ性質が違っていた。今度のワルツは、真昼も、絶対的なクルクルハレルッピーとともに踊っていたのだ。真昼の細胞の一つ一つが、幸福に打ち震えているかのようにして、あまりにも無意味な歌を歌っている。真昼は大声で笑っていて――子供のように笑っていて――そして、真昼の肉体とデニーの肉体とは、まるで抱き合っているかのように、二匹の獣に成り果てている。

 あれ。

 そういえば。

 手に持ってたもの。

 どうしたんだっけ。

 まあいいか。

 どうだって。

「真昼ちゃんが喜んでくれてるみたいで!」

 デニーが。

 真昼の耳元。

 嬉しそうに。

 叫ぶ。

「デニーちゃんも嬉しいよ!」

「あたしが喜んでる、だって!」

「うん!」

「ふざけんな!」

 真昼も同じように。

 耳元で、叫び返す。

「あたしは、全然、喜んでなんて、いねぇよ!」

「またまた、真昼ちゃんってば!」

 真昼とデニーと、叫び合う言葉は、だんだん、だんだん、その意味を喪失していって。特に意味もなく叫び声をあげて、お互いにじゃれあっている、動物の子供みたいに純粋なものになる。ああ……全てが祝福している。真昼のことを。人間性を喪失した真昼のことを。いうまでもなく、それは焼き尽くしの祭壇に捧げられた犠牲のための祝福に過ぎないのであるが。だが、それがどうしたというのだ? 眠っている羊にとって、現実の世界などどうでもいいことなのだ。ただ、夢が。肉片の最後の一欠片まで焼き尽くされる瞬間まで見ている夢こそが、唯一、その羊に残されているものなのだ。それは真実であるわけでもなく虚偽であるわけでもない。ただ……開かれている。ただ、真昼にとって、開かれている。そして、真昼は、いるべき場所にいる。これほど幸福なことがあるだろうか?

 だから。

 真昼は。

 本当に。

 心の底から。

 こう願う。

 あと十分、あと十分だけ。

 目覚まし時計よ。

 鳴らないでくれ。


 美しい夢。

 あたしという。

 一つの必然性よりも。

 遥かに。

 遥かに。

 美しい夢。

 真昼は、まるで、自分がまさにその場所にいるべきであるところのその場所に墜落してきたような気がした。実際には、もちろん、それは墜落という現象ではなかった。真昼は落ちてきたのではない、ただ目覚めただけだ。夢の中で目覚めただけだ。そして、自分が、あの霊廟にいるのだということを、あらゆる意味で現実ではない肉体において認識しただけだった。

 冷血のように冷たい……もちろん、生きている人間ならば嫌悪するような冷たさであろう。けれども、真昼は、それを嫌悪することはなかった。なぜなら、真昼は、祭壇の上に横たわっている死者に過ぎないからだ。使者には嫌悪感などない。ただ、これ以上傷付けられることがないという安全性と、それに自分では何もしなくていいという優しい静寂だけがある。

 冷血動物の死骸。

 青く。

 青く。

 歪んだ鱗。

 措定された状況は、いうまでもないことであるが、前回の夢の続きだ。真昼は、尽き果てたがらんどうとして横たわっている。それは空白というわけではなく、空欄というわけでもないが、ただし自分自身ではない。自分自身において自分自身が否定されるならば、それはまさにがらんどうではないか? その伽藍の中では信仰されるべき何ものも偶像ではないのだから。

 そして、真昼の身体は、自分の肺臓による呼吸さえも・自分の心臓による鼓動さえも「諦めた」ところの真昼の身体は。無数の蛆虫によって蹂躙されていた。いや、蹂躙という単語を使うのは正しくないかもしれない。なぜなら、真昼は、それを受け入れているからだ。真昼の全身を這い回る蛆虫達を、冷血動物の死骸の上で踊っている蛆虫達を。だから、正確に表現するのであれば……それは、抱擁であった。白く、白く、胎児のことを閉じ込める、磁器で出来たヒステリア。

 そう。

 ヒステリア。

 生命の欠如。

 これもまた、昨日、朝に目覚める前に見ていた夜の夢と同じように。蛆虫達が目指している場所は真昼の心臓だった。真昼の心臓に向かって、蛆虫達は、優しく、優しく、真昼の肉体を愛撫する。蛆虫達の腹が、真昼の皮膚とすれるたびに、くすくすくすくすと、まるで幼い子供が可愛らしく笑っているような音がする。今まで、誰も許してくれなかった真昼の愚かさなど、まるで気にしていないかのように、悪戯っぽく笑っているような音がする。

 それから……いつの間にか、蛆虫達の一部が、真昼の体、心臓のすぐ真上のところに辿り着いていた。真昼の心臓……けれども、はっきりといってしまえば、それは真昼の心臓ではないのだ。それは、現在において真昼の心臓ではないし、過去において真昼の心臓ではなかったし、未来において真昼の心臓ではないだろう。それは確かに真昼の心臓なのであるが、とはいえ真昼の心臓であることによって真昼の心臓であるわけではない。それは、真昼が、自分自身の意志によって、まさに何者でもない真昼自身の意志によって。永遠の生命として、永遠の信仰として、真昼の心臓であるということを受け入れたところの真昼の心臓なのだ。

 けれども、それゆえに、それは真昼の心臓ではないのだ。そんなこと当たり前のことじゃないか。真昼が信仰でありうるか? 真昼が愛でありうるか? 果たして、真昼が、この世界の美しい全てのものでありうるか? そんなことはあり得ない。真昼はたかが人間なのだ、所詮は下等知的生命体に過ぎない。人間には贖罪など不可能なのだ。人間が心臓だと思っているものは、ただの肉の塊に過ぎない。意味もなく踊り、やがては腐る、ファミリーレストランのペペロンチーノのような物に過ぎない。

 だから、だから……蛆虫達は、そこを目指しているのだ。今、冷め切って誰も食べようとしないペペロンチーノが収まっている場所。というか、自分自身によって偽装された無限の観念が収まっている場所。そこに、当然の権利として収まるために。

 そこが蛆虫達の場所なのか? そこが、本当に、蛆虫達にとっての正しい場所なのか? 実は、そんなことは関係がないのだ。そもそも、誰が正しいかどうかなんて分かる? この世界で起こっている全てのことが間違っているわけではないと分かる?

 真昼は。

 今。

 幸福だ。

 蛆虫達に愛されて。

 蛆虫達に包まれて。

 真昼は、これまでになく。

 死に絶えた気持ちでいる。

 それ以外に。

 何を望もうか?

 ああ。

 真昼はこれ以上。

 何も、望まない。

 だから。

 蛆虫は。

 真昼の。

 肉体に。

 現実ではない。

 真昼の肉体に。

 ずるりと。

 潜り込む。

 もちろん、痛みは感じなかった。それどころか夜の曲がり角を曲がり終えたたみたいに甘い気持ちだった。蛆虫が、真昼の胸を突き破って、真昼の中に入ってくる。皮膚を裂いて、肉に穴を穿って、脂肪を引きちぎり、肋骨と肋骨との間を通り、そして、とうとう真昼の心臓に到達する。

 一匹の蛆虫が、二匹の蛆虫が、三匹の蛆虫が。四匹の、五匹の、六匹の、七匹の、八匹の、九匹の。数え切れないほどの蛆虫が、真昼の心臓に群がって。そして、一斉に、真昼の心臓を食らい始めた。線維性心膜と壁側心膜とを引き裂いて、心膜液を飲み干して、心外膜を貫いて、心筋層に到達し、それを食って、食って、食って、食い荒らして。そして、その次は心内膜に取り掛かる。心臓骨格は、繊維の一本一本まで食い尽くされる。大動脈に穴が開き、大静脈に穴が開き、肺動脈に穴が開き、肺静脈に穴が開き。そこから、冷血が流れ出す。心房も、心室も、取り返しがつかないくらいにぐちゃぐちゃにされる。そういえば……蛆虫に、歯ってあったんだっけ? 真昼は、ぼんやりとそんなことを考えながら、自分の心臓が食い散らかされているのを感じている。

 そうして、そうして。真昼の心臓があった場所、もう何もない場所。もともと何もなかった場所に、次々と蛆虫達が入り込んでくる。ぽっかりと開いた穴の中に、蛆虫達が重力のようにして収まっていく。そうそう、ところで、それはいうまでもなく「昼の重力」ではない。それは「夜の重力」だ。空に向かって落ちていく悪魔のための重力。それは必然的な肯定ではない、とはいえ、もちろん必然的な否定というわけでもないが。それは、それは……しかし、それはなんなのだろうか? 真昼には、分からなかった。それがなんなのか。信仰でも愛でもないもの。けれども、幸福なもの。

 でも。

 それが何か、理解する必要があるのかな。

 だって、あたし、こんなにも幸せなのに。

 蛆虫達が、真昼の胸の空っぽの中に満たされていくのと同時に。真昼の全身を覆い尽くしていた蛆虫達が、一斉に、真昼の肉体を食らい始めた。足の皮膚を、脚の皮膚を、腰の皮膚を、腹の皮膚を、胸の皮膚を、腕の皮膚を、手の皮膚を、顔の皮膚を、食い破って。あるいは、耳の中に、鼻の中に、口の中に、眼球を食らった後で眼窩の中に。真昼の体の中に入り込んでくる。そして、真昼の骨を、真昼の肉を、真昼の血を、真昼の内臓を。既に死んでしまっていて、透明に消えていく、冷たい冷たい死骸を、食い尽くしていく。真昼の肉体であったもの……真昼が真昼の肉体だと信じていたもの……ああ、真昼の全ては……いや、真昼でなかった全ては……蛆虫で満たされていって。

 そうして。

 そうして。

 真昼は、目覚める。

 目覚める? 目覚めるってなんだっけ。夢ってなんだっけ、現実ってなんだっけ、自分ってなんだっけ、他人ってなんだっけ、世界ってなんだっけ、あたしってなんだっけ、それから、あと、デナム・フーツってなんだっけ。よく分からなかった……というか、自分の精神の機能の中から分かるという機能が失われてしまっているみたいだった。自分の中のあらゆる概念が、存在の質量と全く結びつかない。そのせいで、何もかもが呼吸をやめてしまい、ただ眠りについている夜のようだった。

 夜?

 夜?

 今は、夜なのだろうか?

 世界のどこかでだんだんと結晶が出来ていくような感覚。その水の中には、本当は、これほどたくさんの食塩が溶けるはずがなかった過飽和水溶液。そこに塩の結晶を一つだけ落とす。すると、その結晶を中心として、次第に次第に水溶液中の塩が結晶化していく。そんな理科の実験みたいにして……「夜」。真昼の言語中枢の浮ついた累積の中で、唐突に像を結んだ「夜」という観念が、存在の認識を結晶化していく。真昼の薄ぼんやりとした思考において、存在しているものが概念と結び付けられていく。

 感覚の欠如が……虚ろな空洞の虚ろさみたいにして満たされていく。あるいは、あちらこちらへと散乱していく安っぽい懐中電灯の光のように。それが自分であるということが、どうして理解出来るだろう? とはいえ、真昼は、それが自分であるということを理解し始める。自分がその内側に閉じ込められているところの自分という感覚が、まるで口うるさい母親のようにして、「目覚めろ、目覚めろ」と叫んでいるからだ。

 ああ、こんなものパンケーキだ! 真昼は思う。しかも、べとべととした粘土で作られたパンケーキ。真昼の頭蓋骨の中に入っている余計なもの。そのパンケーキのあちらこちらに血管が這い回っていて、それが、馬鹿みたいに脈打っている。どくん、どくん、どくん、どくん、本当に馬鹿みたいだ。そして、それが脈打つごとに、必要のないものをひどく押し付けられているような痛みのようなものを感じる。

 痛み、痛み。そう、痛みだ。これは痛み。それから、真昼は、自分には心臓があったということを不意に思い出す。いや、それはどちらかといえば「思い出す」という積極性よりも「思い出した方がいいということを教えられる」という消極性に近いだろう。真昼にとっては余計なお世話なのだが、とにかく、真昼は、締め付けられるような感覚を胸の内側に感じた。

 なんだかよく分からないのだが、ぐうーっとなる。そして、その「ぐうーっ」のせいで息が苦しくなる。ああ、そうそう、そういえばこれは苦しみだった。体の内側に落ちていくみたいにして、息を、吸って、吐いて、吸って、吐いて、しているのに。まるで酸素という物質の扱い方がよく分かりませんとでもいっているかのように、体がそれを解釈し切れていない。

 ずるずると引き摺るみたいにして、真昼は「自分の肉体」に寝返りをうたせた。自分の? 寝返り? 真昼は……その時点で、初めて、自分がなんであるのかということを思い出した。自分は一つの物質だ。世界とは隔絶されたところの一個の肉体なのである。そう、これは間違いのないことだ、痛みと苦しみとが肉体の現実性を証明しているではないか。

 まあ、本来であれば、事はそう簡単な話ではないのだが。例えばこの世界だって痛みや苦しみを感じることもあるだろうし、有り得ないはずの何者かが嘘をつかれて自分が現実であると錯覚することもある。痛みだの苦しみだのという曖昧な感覚は、別に、真昼が真昼であるということを約束する証明ではないのだ。とはいえ、真昼はそう思った。そして、少なくとも真昼の主観においては、それは真実であった。

 それから。

 それから。

 指先に。

 触れる。

 柔らかく、暖かい。

 肉体の感触。

 しかも、どうやら、真昼の肉体であるところの肉体ではないようだった。何か、別の、肉の塊。その肉体は、真昼はようやくのこと気が付いたのだが、真昼にしがみ付いているようだった。ひどく小さくて、ひどく力弱い、二本の腕が。真昼の腰の辺りに巻き付いているのだ。「ぎゅーっと」とまではいわなくても、「きゅーっと」という感じ、真昼のことを抱き締めていて。もしも、さっき、真昼が反対側に寝返りを打っていたら、間違いなくこの体を押し潰してしまっていただろう。

 真昼は、何が何だか分からなかった。というか、ここで、ようやく、自分は誰なんだろうということに疑問を持ち始めた。自分は誰で、ここはどこで、今はいつなのか? 先ほど思い浮かべた「夜」という単語が、また脳裏を掠める。そう、もしかしたら夜かもしれない。とはいえ、それが真実なのかどうかは分からないし、それに自分が誰なのか・ここはどこなのかという疑問に対する答えも出てこない。

 情報が少な過ぎる。

 どうも。

 記憶が。

 拡散している。

 そこら中に散らばっている記憶を。

 上手く掻き集めることが出来ない。

 あー、クソが。考えがまとまらない。自分のことも世界のことも馬鹿みたいに感じられる。とにかく、思考が、死んでいる。このような状態をなんとか打開するためには、とにもかくにも、もっともっと多くの情報が必要だ。情報とはどうやって手に入れるものか? 感覚器官によって、外部からの入力を受けることによって手に入れるものだ。もちろん、それだけで刺激が情報となるわけではなく、複雑な認識のプロセスが経過されなければいけないのだが……とにかく、なんらかの感覚がなければ何も始まらない。

 と、まあ、ここまで論理的なことを真昼が考えたというわけではないのだが。なにせ真昼ちゃんず思考いずでっどの状態なので、論理的にlonely lonelyなのだ。ほとんど、陸の上に打ち上げられた魚が水を求めて跳ね回るように、あるいは、溺れかけた人間が空気の代わりに水を呼吸してしまうように。真昼は、本能的に・脊髄的に、視覚による情報を求めて、その眼を開いた。

 初めに目に入ってきたのは、さらさらと揺れる青だった。手を伸ばしても届きそうもない距離で、といっても、少し這って行けば届くような距離で。夜の呼吸の中へと沈み込んでいくような青が揺らめいている。あれは……カーテン? そう、どうやらカーテンであるようだった。とはいえ、そのカーテンは、なんだかちょっと奇妙であるようだった。何がどう変なのかという具体的なことはいえないのだが、とにかく変なのだ。

 それから、真昼は、もう一つの何かが視界の中にあるということに気が付く。それは視界の大部分を占めているのだが、それゆえ最初は注意を引かなかったのだ。それは、まるで、視界の欠損部分であるかのように自然であって。とはいえ、確かに、なんらかの具体的な物質であるようだった。

 真昼は、それが何かを確かめるために、自分の目の前に、自分の手を持ってくる。そして、自分の視界の下半分を覆ってしまっているそれに触れる。ぞっとするほどすべらかな手触り。まるで、神経の一本一本に鑢をかけて、その全てを平面上にしてしまうみたいな、恐ろしいほどのさらさらさ。

 まるで冷たい金属の表面のようだ。それも、磨きに磨き抜かれた金属の。だが、それでいて、どこかしら指先を刺激するところがある。なんとなく、幾つも幾つもの繊維が、織り合わされているような。そう、例えば、絹のような。

 と、そこまで考えた時に、ようやく気が付いた。これは「絹のような」何かではない。まさに絹だ。絹で出来たシーツなのだ。真昼の指先は、念のために、それを弄くり回してみる。摘まんで皺を寄せてみたり、その皺を撫でて、また平らかにしてみたり。間違いない、これは絹のシーツだ。

 そして。

 真昼は。

 そのシーツの上に。

 横たわっている。

 右側を下にして横向きに寝転がっている。ということは、先ほどは右側に寝返りをうったので、それまでは仰向けで寝ていたということだ。寝ていた、そう、寝ていたのだ。真昼は、ついさっきまで眠っていた。

 ああ、少しずつではあるがなんとか状況が理解出来てきた。これは絹のシーツであり、またベッドシーツでもある。ということは、真昼はベッドの上に寝ているのだ。そう考えると、なぜ、あのカーテンについて奇妙に思ったのかも理解出来た。あれは、真昼が寝ているベッドにあまりにも近過ぎるのだ。というか、もう、ベッドの端に触れてしまっている。

 つまり、あれは窓やらなんやらにかけられているカーテンなのではなく、天蓋ベッドのカーテンだということだ。ただ……それにしては真昼が寝ている場所から随分と遠いところにあるような気がする。ここまでも何度か触れてきている通り、真昼はたくさんの男達と肌を触れ合わせてきた。いや、文字通りの意味で肌を触れ合わせてきただけというわけではなく、それはあくまでもポエティックな比喩表現であり、要するに性行為をしまくってきたということだが、とにかく、そういう場合に、もちろんラブホテルなども利用していた。ラブホテルのベッドなんて大抵はダブルベッドだが(どうせくっついてするのだからそれほどの広さは必要ない)、ごく稀に、見栄を張っているのかなんなのか、男の側が、そのラブホテルで一番高い部屋を取ってくれたりもして。キングサイズのベッドの上に横たわるという機会もないわけではなかった。

 月光国においては、キングサイズのベッドは縦の長さが百九十五ハーフディギト、横の長さが百八十ハーフディギトと決められているが。そういえば、こういうのって誰が決めてるんでしょうね。まさか国家が法律として定めてるわけもないし、月光国ベッドサイズ決めちゃうぞ協会(LBSKK)とかなんとかそういうのがあるのかな? とにかく、そのキングサイズのベッドよりも、このベッドは遥かに大きいようだった。

 今の真昼がベッドの真ん中に寝ていると仮定すると(そしてまさに今の真昼はベッドの真ん中に寝ているのだが)、恐らく、その幅は五ダブルキュビト程度になるだろう。キングサイズの二倍を軽く超えるような大きさだ。こんなベッドには、真昼でさえ寝たことがなかった。まるで、これは……畳の部屋の真ん中に寝転がっているような感覚。

 未だに真昼が真昼ではなかった頃。静一郎のことをお父さんと呼んでいて、正子のことをお母さんと呼んでいた頃。岸母邦の砂流原邸の一室、真夏の遠い遠い太陽が差し込んでいる、畳敷きの部屋の中で。ただ一人、真昼だけが横たわっている。外からは蝉の鳴き声が聞こえていて、時折涼しい風が吹き込んできて……虚ろなほどの、解放の感覚。

 とはいえ、真昼は既に真昼になってしまったのであって。

 そして、ここは新月の光のようなあの夏の一日ではない。

 そういえば、さっき、何か、引っ掛かることを考えた気がする。なんだっけ。まとまった思考の一形式というわけではなく、例えば、ただ一つの単語で……「肌」? そう、「肌」だ。

 この単語の何が引っ掛かったのだろう。何かによって阻害されているみたいな神経細胞によって、自分の肉体が感覚しているものの、一つ一つを確認していくと……すぐに気が付く。

 真昼は、今、服を着ていない。文字通りその身には一糸さえも纏っていなかった。皮膚の下にある上皮触覚性細胞は、真昼が好んで着るところの安っぽい衣類の、真昼の存在を削り取ろうとしているかのようなざらざらとした感触を微塵も伝えてくることはなく。その代わりに、冷たい氷の上を滑るようにすべらかなシルクのシーツの感触を伝えてきている。

 それから、そう、この感覚。真昼の腰を抱き締めている腕の感覚だ。これらの二本の腕は、いうまでもなく真昼自身の腕ではなかった、真昼以外の人間の腕だ。ということは、真昼は、また誰かと寝た後なのか? どこかのラブホテルで、これから寄生するはずの男との性行為を終えて。そして、まどろんで眠って、その後で目覚めたというだけのことなのか?

 いや、いや、それは違うようだ。この腕は明らかに男のものではない。男のものにしては、あまりにも細過ぎるし、あまりにも柔らか過ぎるし、あまりにも力弱過ぎる。どこにでも咲いている蒲公英のように華奢なこの腕は、成人の女性の腕であるにも小ささが過ぎているだろう。恐らくは少女の腕だ。それも、真昼よりも、ずっとずっと幼い少女の腕。月光国でいうと、幼稚園を卒業して小学校に入ったばかり、それくらいの年齢の少女の腕。

 ああ、どうも……真昼は、何かを知っているらしかった。現実が、そう叫んでいる。真昼は何かを知っている、この少女についての何かを知っている。真昼に縋りつくようにして、必死に体温をこすりつけてくる肌触り。心臓の音、とくんとくんと伝わってくる心臓の音。まるで、もともと真昼だったところの心臓が、抉り出されてしまって、真昼の外側にあるみたいな感じ。真昼は知っている、確かに知っている。この少女のことを。

 この少女は。

 真昼にとっての桎梏。

 この現実の中に釘付けにするために。

 まさに心臓に打ち込まれたところの。

 逃れることが出来ない杭。

 ああ。

 そう。

 これは。

 マラーの腕。

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