第二部プルガトリオ #26

「「怒りに満ちた双頭の蜂」作戦の後、同盟軍は、作戦の成功を着々と積み重ねていきました。特に、中央ヴェケボサニアからのGLUOによる支援が比較的容易な北西アーガミパータにおいては、現在ではジャナ・ロカと呼ばれている場所、暫定政府の首都となるべき場所を攻略・占領するなど、非常に重要な勝利を獲得しました。しかし、そのようにして、戦況が、人間至上主義者にとって有利な方向に傾いていくにつれて……「卓越」した方々、テレビや新聞やといったメディアで、他人事としてこの紛争をご覧になっていた方々は、何かがおかしいということを感じ始めました。

「それはなぜか? 様々な理由があります。まずは……同盟軍側の行動が、思っていたよりも、遥かに好戦的であったこと。例えば、現在ではジャナ・ロカとなっている地域に攻め込んでいった時のことです。左道曼荼羅のテロリスト達は、確かに、その地域に逃げ込みました。けれども、同盟軍側の情報収集能力では――その当時はシークレット・フィッシャーズのエージェントもアーガミパータのそれほど深いところまでは潜り込めていませんでしたからね――どれほどの重要度を持つテロリストが、どれほどの人数逃げ込んだのかということまでは、掴めていませんでした。

「だから、同盟軍は、その地域を支配していた神閥に対して、支配領域の全土にわたって詳細な調査を行うことを要求しました。まあ、ここまではいいでしょう。ちょっと傲慢な部分もありますが、許されないわけではない範囲です。しかしですね、ここからが、どう考えてもおかしい内容だった。同盟軍は、その調査を、自分達に行わせろといったんです。あはは、いやー……これは……どう考えてもおかしいですよね。つまり、同盟軍は、神閥の支配領域に入り込んで、その隅々までを見て回らせろと、そう要求したということです。神閥の側に立って考えれば、そんなことを許すはずがないじゃないですか。

「そういうわけで、神閥の側は、そんな要求を受け入れるはずがなかった。当然のごとく断ったわけです。しかしながら……その神閥は、とても、とても、物分かりがいいというか、戦略学的な危険性に敏感な方々によって統治されていましてね。同盟軍の要求を、ただ単に突っぱねただけでは、非常にまずいことになる可能性があるということに気が付いていた。そのため、自分達が譲ることの出来るぎりぎりのところまでは譲歩することにしたんです。

「まず、支配領域内の全土を、自分達で検査しました。それは非常に詳細な調査であって、その結果として、領域内に潜伏していた左道曼荼羅のテロリスト達はすぐに発見されました。神閥は……神閥ですからね。無教徒に対しての共感なんてあるわけがないですし、それどころか、今までの歴史において、散々っぱら悩まされてきたくらいです。そのようなわけで、なんの躊躇いもなく、そうして発見したテロリストを同盟軍に引き渡した。そして、その上に、なんと……左道曼荼羅に対する非難声明まで出してみせたんです。左道曼荼羅は非道なテロリストの集団であり、アーガミパータに住む者の共通の敵である。だから、我々は、左道曼荼羅に対して戦いを挑む者には、決して協力を拒まない。そんな内容でね。

「これは神閥にとっては屈辱的な声明だったと思いますよ。だって、なにせ、神閥ですからね。まあ、無教徒は味方ではないと思いますけれど、それ以上に人間至上主義者は敵なんです。その敵に対して、まるで媚を売るかのように、共に戦っていこうという内容の声明を出さざるを得なかった……相手に、決して隙を見せないために。絶対に、開戦の口実を与えないように。

「しかし、残念なことに現実はそれほど甘くはなかった。というよりも……普通だったら、ここまですれば引き下がるしかないわけです。けれども同盟軍は引き下がらなかった。それほどまでに、同盟軍は、手段を選ぶことのない、厚顔無恥な方々だったというわけです。

「同盟軍は、まず、引き渡されたテロリスト達について難癖を付け始めました。曰く、この中には、一人も重要人物が含まれていない。誰も彼もが、情報機関が作成した手配者リストに載っているような人物ではなく、いてもいなくてもテロ組織になんの影響も与えないような下っ端だ。推測するに、神閥は、わざとこういった下っ端を引き渡すことによって、自分達の領域に隠れている重要人物達から目を逸らさせるつもりなのである。もしもそうではないというのならば、その証拠を見せるべきだ。同盟軍に対して、その領域を全面的に開放し、隅々まで調査を行わせるべきである。神閥は、その宣言通りに、「左道曼荼羅に対して戦いを挑む者」に対する「協力を拒」むべきではない。

「あはは、もうめちゃくちゃですよね。ここまでなりふり構わないことをされると、ちょっと清々しささえ感じますよ。これは一般常識なのでわざわざいう必要もないと思いますが、「そうであること」の証明は出来たとしても、「そうでないこと」の証明なんて出来ない。そこに何かがないことの証明なんて出来るわけがないんです。全土を、隅々まで。これは、つまり、極秘の軍事施設やら統治者達の私的な住居やら、そういった場所も全て見せろと言っているわけです。

「いうまでもなく、神閥の側は、そんなことを許可出来るわけがない。だが、けれども、しかしながら。神閥の統治者達は、大変、大変、危機に対する感覚が鋭敏だった。ここで、この要求を無下に断ったら。同盟軍は間違いなく攻め込んでくるだろう。だから、その要求を完全に断るようなことはしなかった。領域内の、見られても問題がないぎりぎりの範囲。本当に重要な場所や本当に私的な場所や、そういった場所以外に関して、神閥側のコーディネーターとの同行を条件に、開放することを承諾したんです。

「あはは、神閥の側がどれほどの危機感を抱いていたのかということがよく分かりますね。普通であれば、普通の主権集団であれば、こんなことを許すはずがありません。とはいえ……主権というものは、つまりは暴力ですからね。暴力的に劣っている集団は、暴力的に優れている集団に対して、主権を主張することなんて許されないというわけです。とにもかくにも、こうして、同盟軍は、神閥の領土の全域を視察することを許された。

「さて、ここからですよ砂流原さん。同盟軍が、ただの臆病な蛇ではなく、本当に有毒な蛇であることを証明するのは。禍々しい程に素晴らしい鋭敏さを見せつけるのは。同盟軍はね、その視察団に、ジャーナリストを同行させたんです。しかも、商業的なジャーナリストだけではなく、パートタイム・ジャーナリストもフルタイム・ジャーナリストも、自由と民主とを重んじる「反権力」のジャーナリストであれば、決して排除することなく連れて行った。まあ……全員というわけにはいきませんから、その中でも特に有名な方々に限定してはいましたがね。

「そして、テロリストが潜伏しているかどうかの調査という名目で、神閥の支配領域をくまなく取材させたんです。すると、これは当たり前のことではありますが、神閥は、自由的な方法で統治しているわけでもなければ、民主的な方法で統治しているわけでもないわけです。だって、神閥は、神国主義者なんですからね。優秀者支配制を採っているに決まっているわけです。しかも、そこは、アーガミパータです。内戦の地、その真ん真ん中で、毎日毎日が非常事態なんです。ある程度の権力集中があるのは当然なんです。しかしながら、第二次神人間大戦後、平和な世界を謳歌してきた方々にとっては……そういった「当たり前」「当然」を理解するのは、多少、難しいことであるというのは、まあ、まあ、責められるべきことではありませんよね。

「また、それだけでもない。先ほども申し上げたように、神閥の支配領域があるのはアーガミパータです。エスペラント・ウニートやパンピュリア共和国やといった平和な国々とは違って、あらゆる産業は、非常に低いレベルまでしか育っていません。それはそうですよね。だって、産業を育成している暇なんてないんですから。人を殺したり、あるいは人に殺されたりするのに忙しい。だから、こちら側の世界よりも貧困状態にあるというのは、全くもって仕方がないことなんです。

「こういうことを言うと……必ず反論する方がいらっしゃるんですけどね。その反論というのは、こんな感じです。お前はそう言うが、それならば、その同じ場所が暫定政府の支配地域となってからはどうなのか。同盟軍が神閥からあの場所を開放して以来、エスペラント・ウニートやパンピュリア共和国ほどではないが、それなりにきちんとしたインフラストラクチャーが整えられただろう。それに、まだ十分とはいえないかもしれないが、様々な産業が育ち始めてもいる。神閥の支配下にあった時とは見違えるようではないか。このことは、神閥が支配者として不適格であったことの何よりの証明だ。

「あはは、そうなんです、本気でこういうことをおっしゃる方がこの世界にはいるものなんですよ。いやはや、なんというか……同盟軍があの地域を「解放」して以来、アーガミパータ外からどれだけの資金援助が行われたと思いますか? それこそ、億どころの話ではありません。兆単位です。もちろん、ムーア換算ではなくアラン換算での話ですよ。これだけの資金援助を受けて、全く、少しも、発展しない地域があると思いますか? 支配しているのが暫定政府であろうが神閥であろうが、どんな権力主体であろうが。それだけの資金を……というか、物資を、注ぎ込まれれば、あの程度の発展はしますよ。逆に、あの程度の発展しかしていないというのが不思議なくらいです。

「まあ、後は、ここのこともありますけどね。ここは、神閥の支配地域よりも、よほど発展していますが。しかしながら、それは、まさに神々にも等しい力を持っているところの、洪龍の支配下にあるからです。人間が、無から、尽きることのない水を出現させられますか? 無理でしょう? ということで、神閥は神閥なりによくやっていたんです。

「それでもジャーナリストはそういうことを理解出来なかった。なぜか? それは、先ほども申し上げたように、この地に連れてこられたジャーナリスト達が、「反権力」のジャーナリスト達であったからです。神閥の支配制度は、もちろん、神々の時代の制度を模倣したものです。つまりは優秀者支配制度ということですが、それは、こちら側の世界のジャーナリスト達の目には、どう頑張ったとしても独裁支配、あるいは寡頭支配としか映らないものでした。そして、それは、どう好意的に解釈したとしても、権力による自由と民主との抑圧なのです。

「それに、そういったジャーナリスト達が、自分達は民族自治を尊重すると、どれだけ主張していたところで……所詮は、自由民主主義者に過ぎません。そういったジャーナリスト達が尊重出来るのは、自由民主主義という絶対正義の範囲内での民族自治に過ぎないわけです。例えば、アーガミパータに特有のカスタ。ヴァルナやジャーティやといった制度のことを、そういったジャーナリスト達は、絶対に理解出来ないわけです。あはは、まあ、私だって、こういうカスタの当事者だったら嫌な制度だなぁとは思うでしょうけどね。それはともかくとして、カスタは、人間に対する不当な弾圧以外の何ものでもないのであって、それを支配制度の中に取り込んでいる神閥のやり方は、そういったジャーナリスト達には絶対に容認出来ないものであった。

「そして、更に、更に、最も重要なことは……そういった神閥の支配地域にも、人間至上主義者がいたということです。それは、まあ、そうですよね。どんなに理想的な社会制度が整っているところでも、その社会制度に対して反旗を翻す「若者達」がいるものです。いわんや、貧困と困窮との極みにあるアーガミパータにおいてをやって話です。

「もちろん、そういった反体制派は、同盟軍が率いる視察団が視察を行っている間は、その存在を隠蔽されているはずでした。神閥も……ヴァルナやジャーティやに対する差別、あるいは優秀者支配制といった制度に関しては、あまりに当たり前のこと過ぎて、それを隠さなければいけないということに思い至らなかったようなのですがね。とはいえ、さすがに、支配地域内に人間至上主義者がいることは隠さなければいけないということくらいは理解していたようです。

「ただ、しかし、その存在は、隠蔽されていたはずなのに。視察団のうちの一人、とあるジャーナリストが、たまたま、こっそりと、視察団を離れて取材をしていた時に――あはは、ジャーナリストであれば、普通は、こっそりと視察団から離れて取材をしますよね――小さな小さな子供に出会った。その子供は、男の子だったのですが、どう見てもゴミにしか見えない、丸めた紙屑をそのジャーナリストの手に握らせると。ぱっと身を翻して、走って、それから、入り組んだ路地の奥の方に消えていってしまった。

「その紙屑を受け取ったジャーナリストは、本能的に、その紙屑が、紙屑ではなく、何か重要なものであるということを感じ取った。そして、この紙屑を持っていることを神閥側のコーディネーターに見られたら、ほぼ確実に、それは没収されてしまうということも理解した。だから、そのジャーナリストは、すぐさま、その紙屑をポケットに突っ込んで。そして、何事もなかったような顔をして視察団がいるところまで戻り、誰にも気が付かれないようにその中に紛れ込んだ。

「さて、視察が終わり、視察団がこちら側の世界に帰ってくると。そのジャーナリストは、その紙屑がなんであるのかということを、改めて確認しました。それは、やはり紙屑などではなく、実のところ、一枚の手紙でした。後になって、少なくとも第二次神人間大戦後に書かれた手紙の中では最も有名なものとなる手紙。砂流原さんもご存じでしょう。現代史の授業では必ず教わることですからね……そう、つまるところ、それこそが「アーデシュからの手紙」だったわけです。

「その全てがイパータ語で書かれていた手紙は、こちら側の世界では数少ないイパータ語学者によって解読されました。あはは、詳しい内容については、砂流原さんもご存じでしょうから、省略させて頂きますけれどね。とにかく、それは、神閥の支配地域内に住む人間至上主義者からの手紙でした。その手紙の最後に書かれていた名前からアーデシュと呼ばれることになったその何者かは――ちなみに、このアーデシュという名前はイパータ語で「メッセージ」という意味の言葉なので、恐らくは仮名でしょう――神閥の支配領域化で、住民達がどれほどひどい生活を送っているのかということを、そして、人間至上主義者達がどれほどの弾圧を受けているのかということを、切々と訴えかけていました。

「えーと、あはは……これは、「ちなみに」の話なんですけれどもね……私、アーガミパータに来る前から、この「アーデシュからの手紙」については色々と調査をしてましてね。証拠も集まってきたので、そろそろ記事にまとめようかとも思っているんですが。どうも、この感動の物語、虐げられた人間至上主義者が正義のジャーナリストに助けを求めたという筋書きには、その筋書きを書いたところの何者かがいるらしいんですよね。砂流原さんも、この話を聞いておかしいと思いませんでしたか? 神閥の支配地域では、それほどしっかりとした教育がなされているわけではなかった。ということで、その住民の中には文盲の割合の方が多かったくらいなんです。それにも拘わらず、この手紙は、しっかりとした文法で、一つも誤字なく書かれていた。

「五十年経って公開対象となった、エスペラント・ウニート政府の資料を取り寄せたり。あるいは、暫定政府の中でもそこそこ昔からいらっしゃる方々に匿名でお話を伺ったりしてみたのですが……はっきりした証拠はないんですよ? はっきりした証拠はないんですけど、どうも、この手紙というのは、同盟軍側が用意したものらしいんです。手紙を書いて、神閥の支配領域内にいる人間至上主義者に渡して、そして、タイミングを見計らって、ジャーナリストのうちの一人にそれを手渡すように、全てを御膳立てした。どうもそういうことらしい。

「なぜ私がその推測について、記事に出来ると考えるほどの確信を抱いているのかといえば。それはですね、エスペラント・ウニート政府から取り寄せた資料の中に、アハム・ジャナスミのメンバーの一人が書いたという手紙があったんですけどね。その筆跡が、どう見ても「アーデシュからの手紙」の筆跡とそっくりなんですよ。だから筆跡鑑定を依頼してみたら、見事に一致した。たぶん……アハム・ジャナスミのメンバーにも、字を書ける人間がそれほど多くなかったんでしょうね。だから、同じ人間が書いたものが記録として残ってしまったんじゃないでしょうか。もちろんそれだけではなく、先ほども申し上げたように、暫定政府の中にいる、アハム・ジャナスミ時代からの高官からの証言などもあるのですが……いや、すみません、すみません。ちょっと話が脇に逸れ過ぎましたね。本題に戻ると致しましょう。

「とにもかくにも、あらゆるメディアによって取り上げられることになったその手紙は、「反権力」のジャーナリスト達の報告、「人権派」のジャーナリスト達の報告とともに、こちら側の世界に渦巻いている砂の嵐、つまり世論と呼ばれているものを、大いに、大いに、憎悪の方向に傾けることに成功しました。神閥を支配しているところの権力者達、神国主義の支配者達は、無慈悲な独裁によって、住民達から搾取を行っている。そして、人間至上主義者達は、そんな邪悪なヴィランに対して果敢に抵抗している、孤立無援のヒーロー達なのだ。私達は、そんな状況を放っておいてはいけない。そんな間違った状況をそのままにしておいてはいけない。今すぐに、世界を正しい方向に導かなければいけない。なぜなら、私達には、それだけの「力」があるのだから。「力」には、それを行使するべき時に行使するという責任がある。私達は、その責任を果たさなければいけない。そう、その責任を果たすために、神閥の連中を、邪悪なヴィランを、二度と立ち上がれないくらいに叩き潰さないといけない。こんな風にね。

「もちろん、ジャーナリスト達の中には、そんな状況に警告を発した方々もいました。しかしながら、そういった警告は……それを発したジャーナリスト達にとっての主観の中で、警告として発されたというに過ぎない。実際は、警告どころか、感動と憎悪とで暴走する世論の戦意を高揚する役割しか果たしませんでした。それでは、それはどういう警告だったのか?

「例えば「反権力」のジャーナリストであれば、こんな感じです。確かに神閥の支配領域においては権力の絶対化が起こっている。このような独裁は何があっても取り除かれなければいけないだろう。しかしながら、それは、本当に外部から押し付けられる形で達成されるべき目標なのだろうか? もしも同盟軍が、その絶対化した権力を取り除くことによって誕生する空白に侵入しようとしているのならば。それは、新たな独裁を生み出すことにならないだろうか。私達はそういうことを真剣に考え、正しい方法によって神閥による支配を取り除かなくてはいけない云々。

「例えば「人権派」のジャーナリストであれば、こんな感じです。確かに神閥の支配領域においては人々の権利が抑圧されている。人々は権力によって搾取される無力な犠牲者である。このような状況は何があっても正されなければならないだろう。しかしながら、それは、本当に外的な力によってなされるべき矯正なのか? 幸いなことに、神閥の支配領域には、勇敢なる人間至上主義者達がいる。私達の役割は、そういった内在的に発生した権力意識を促進することによって、現地住民のエンパワーメントを促し、内側から革命を起こさせることではないだろうか云々。

「あはは、お分かりになりますか、砂流原さん? この「警告」の問題点が。この「警告」が、実際は警告でもなんでもないという理由が。それはね、これらの「警告」の中でも、神閥、イコール、ヴィランであり、私達、イコール、ヒーローという図式は、何も変わっていないということなんですよ。所詮はね、これらの「警告」の中でも、私達は神閥を打ち倒さなければいけないと主張されているんです。そうであるならば、同盟軍が直接攻め込んで、その領域から神国主義者達を追い出して、なんの問題がありますか? というか、結局のところそうしなければいけないのならば。そうすることを恐れて、結末の到来を悪戯に先延ばしにすることは、かえって臆病者の所業ではないですか? なぜって、実際に、神閥によって虐げられている人達がいるんですよ! ほら、ほら、この手紙にそう書いてある! それならば、そういった虐げられた人々を、一刻も早く助けることこそ、私達がするべきことではないですか?

「つまり、そういうことなんですよ、砂流原さん。「反権力」のジャーナリストも「人権派」のジャーナリストも、実際のところは邪悪なヴィランを血祭りにあげたくてうずうずしていたんです……あはは、まさに血祭りですよね、アーガミパータ紛争の始まりに、人間至上主義という神に対して捧げられる、生贄達の血の雨です。ただ、自分達のイデオロギーが、それを素直に表現することを許さなかった。だから、迂遠な表現をとらざるを得なかった、同盟軍の侵攻に対して、迂遠な表現で賛成の意を表明することしか出来なかった。それだけの話なんです。

「さて、このようにして物語は紡がれました。「卓越」した方々によってね。そうであるならば、その物語を実現しなくてはいけない。あらゆる物語は……あはは、あらゆる物語は死ぬために生まれてくるわけではなく、始まるために生まれてくるんですからね。そうであるならば、誰かが、その物語に書かれた出来事を、この世界で、現象として、演じなければいけないわけです。それは、もちろん、ヒーローである同盟軍とヴィランである神閥とによって演じられるべき物語です。

「同盟軍による侵攻は、始まって僅か数週間で決着がつきました。正確にいえば、「テーブルであなたの席のために戦う」作戦および「変化を求める何百万もの声の力」作戦は、ベルヴィル記念暦九百二十三年九章三十節午前九時五十五分に開始し、ベルヴィル記念暦九百二十三年十章十四節午後九時ちょうどに終了しました。こうして、神閥の指導者は、皆が皆、殺害されるか捕獲されるかして。現在ではジャナ・ロカと呼ばれている地域は、人間至上主義者のための土地として開放されたということです。

「この物語は……ハッピーエンドの物語であるはずですよね? めでたしめでたしで終わる物語のはずです。そうであるならば、なぜ、この物語が、彼ら/彼女ら……つまり、「卓越」した方々が、何かがおかしいと思う原因となったのか? なぜならば……驚くべきことに、テレビの中では、新聞の中では、味方の兵士達だけではなく、敵の兵士達も、勇敢に戦って、懸命に戦って、そして死んでいったからです。

「それは、「卓越」した方々にとって、あり得ないことでした。あってはいけないことではなく、あり得ないことだったんです。味方の兵士達が英雄的な死に方をするのは理解出来ます。なんといってもヒーローなんですからね。しかし、ヴィランが、こんな死に方をするなんて……例えば、全体主義の理想に殉じる形で、全体主義的に死んでいくのならば理解出来るでしょう。それならば、狂信者が狂信的に死んでいっただけの話ですからね。あるいは、自分自身が持つ美学にのっとって、美意識のもとに死んでいくのも理解出来ます。それはあくまでも「個人」が「個人」として死んでいくという話であって、全体主義とは別個の話ですから。しかしながら、全体主義の理想を、人間的な熱意によって信じ、そして、英雄的に命を懸けることによって死んでいく。それは、全く理解出来ることではありません。

「なぜなら、それは……「卓越」した方々がヴィランだと思っていた人々が、実はヒーローであったことを意味するからです。そして、全体主義的な価値観が、絶対的な権力による抑圧が、因習による少数者への差別が、実際は、命を懸けて守るに値する「正しさ」を、何ほどか含んでいたということを意味しているからです。そんなことあり得るはずがない、しかし、それこそが実際に起こったことだったのです。

「神閥を守るために戦ったのは、正規の兵士達――あはは、ああいう人々を正規の兵士達というのならばという話ですけどね――だけではなかった。神閥の支配地域に住んでいた人々、しかも、その中の最も貧しい人々さえも、その侵攻に対して立ち上がった。差別者であるゼニグ族も被差別者であるヨガシュ族も関係なく武器を取り、同盟軍に対して立ち向かった。そういった、神閥によって抑圧されていたはずの人々、搾取されていたはずの人々が。絶対化した権力を絶対化したままでいるための戦いに身を投じたのです。そして、まさに英雄的に死んでいった。

「さて、それでは、「卓越」した方々は、その現象をどのように受け止めたのでしょうか。そのあり得ないことを、どのようにして、自分の中で正当化したのでしょうか。いうまでもなく、最も単純な受け止め方をすることは出来ませんでした。その受け止め方とは次の二つです。まず一つ目が、神閥が行っていた全体主義的な支配は正しいものだった、あるいは、少なくとも正しい何かを含んでいたという受け止め方です。もう一つは……こちらは、より一層根源的な受け止め方ですがね。つまり、こういうことです。そもそもの話として「物語」的な方法で世界を認識すること自体が間違っていた。感動と憎悪とによって「正しさ」の判断をするということ自体が間違っていた。もっと、もっと、何か別の方法を、私達は考えなければいけないのだ……こういう受け止め方です。

「この二つ、どちらの受け止め方にせよ、そのような受け止め方をしてしまえば、「卓越」した方々は全面的な価値観の変更を迫られることになります。だからそんなことは出来なかった、砂流原さんは誰かしらに面と向かって「お前は間違っている」と言われて「はい、その通りです」と返せますか? 返せるわけないですよね。そういうことですよ。要するに、認知に起こる不協和があまりにも大き過ぎて、それによって引き起こされる不快感は人間のような脆弱な生き物には耐えられないということです。

「それでは、どのようにして受け止めたのか。次のようにして受け止めたわけです。実のところ、神閥の支配領域の住民達、正規の兵士達でもないのに武器を取った人々は、神国主義のために立ち上がったのではなかった。そうではなく、外的な影響力に対する反発、その地域に住んでいる人間ではないのにも拘わらず、勝手に正義を押し付けようとして、暴力的に侵攻してきた同盟軍に対する反発から武器を取ったのだ。

「そう、これは全体主義に対する賛同から行われたわけではない。そんなはずがない。そうではなく、これは、やはり自由と民主とに対する強い強い渇望から起こされた行為なのである。自由と民主との最も根源的な形、つまり、ある集団の構成員にとっての独立自治の話なのだ。確かに、同盟軍の持っていた価値観であるところの――それはもちろん「卓越」した方々の価値観でもあるのですが――人間至上主義は正しかった。それは誰も否定することが出来ない絶対的な真理であった。しかし、それでも無理やり押し付けられるものではいけなかった。それだけの話なのだ。

「こういう論理構成をすれば、「卓越」した方々は、自分達が傷つくことなくこの件を正当化することが出来ます。それどころか、より一層の道徳的高みに立つために、自分達ではない何者かに対してその何者かがした行為は間違っていたということさえ出来る。いうまでもなく、その何者かとは、「卓越」した方々が自分達から切り捨てたところの、同盟軍です。

「こうして、「卓越」した方々は、何かがおかしいと思うようになったということです……ただし、自分達の価値観がおかしいと思い始めたわけではなく、あくまでも同盟軍がおかしいと思い始めたというだけの話ですが。あはは、そうです、その通りです。結局のところ、「卓越」した方々が抱いた疑いとはその程度のものだったんですよ。「物語」について疑いを抱いたわけではない、それどころか、「物語」は、ヒーローとヴィランとの「物語」は、まだまだ続いていたんです。

「ただし、今度は、ヒーローであったところの同盟軍に対して、もしかしたらヴィランなのではないかという疑いがかけられ始めた。もしかして、今回の、神閥の支配領域への侵攻は、本当は、もっと、何か、別の形で行われるべきだったのではないか。神閥の支配領域で絶対的な権力の犠牲になっている人々からの理解が得られる方法。それがどういう方法なのかは分からないけれど、こんな風に、何よりも無垢で何よりも純粋な人々であるところの「アーガミパータ市民」に対して、銃口を向けなくてすむ方法……そう、とにかく、同盟軍が採用した好戦的な方法でなければなんでもいい。もっと、もっと、平和な方法があったはずだ。

「「卓越」した方々は、そのように考えたというわけです。そして、一度でも、このような疑いを抱いてしまえば。もう、同盟軍に対する信頼……いや、信頼というよりも、一体感といった方がいいですかね。自分達の価値観と同盟軍がしている行為とが、まさに一体であるという感覚。それは二度と取り戻せなくなってしまった。それどころか、同盟軍がしていることは、自分達の価値観に、つまり自由と民主と、人間至上主義の理想に反しているのではないか。同盟軍が、いわば背信行為をしているのではないか、そういう感覚が、一体的信頼性に取って代わった。

「例えば、同盟軍は、現在はジャナ・ロカと呼ばれている地域を支配していた神閥に対しては攻撃を仕掛けましたが。その一方で、このカリ・ユガ龍王領には――まあ、あくまでも当時はという話ですが――指一本さえも触れませんでした。神閥の支配領域と同じように、このカリ・ユガ龍王領にも左道曼荼羅の残党が逃げ込んでいたという情報を掴んでいたのにも拘わらずです。

「それはもちろん、カリ・ユガ龍王領の歴史を考えてみれば、それどころか、かつてここにお住まいになっていたアナンタさんの一族が、スカハティ山脈の無教徒達とどれだけ熾烈な争いを繰り広げてきたのかということを考えてみれば。カリ・ユガ龍王領に逃げ込んだ左道曼荼羅のメンバーが、決して幸福な運命を辿ることがなかっただろうなということは想像がつきます。

「とはいえ、ジャナ・ロカであったところを支配していた神閥だって、別に無教徒が大好きで大好きで仕方がないというわけではなかったわけです。それどころか、スカハティ山脈に近いところを支配領域としていた以上、度々にわたる無教徒の襲撃に悩まされていなかったわけがない。味方であるというよりはむしろ敵であったはずなんです。その証拠として、神閥は、その支配領域内に逃げ込んできた左道曼荼羅のテロリスト達を全員引き渡したわけです。それならばカリ・ユガ龍王領とほとんど変わることがないはずだ。そうであるにも関わらず、同盟軍は、神閥だけを標的とした。

「これは、もしかして、ひょっとすると……同盟軍は、弱者を狙ったのでは? まともに戦っても勝ち目がない、もしくは、勝てるとしても代償が大き過ぎることになるだろうカリ・ユガ龍王領についてはわざと狙わずに。比較的容易に倒すことが出来るはずの神閥を狙ったのではないか? そうであるとすれば、同盟軍の掲げている大義のうちの、少なくとも一つ。つまり、「左道曼荼羅のテロリストを根絶する」という大義は、実は、ただの名目に過ぎないのでは? 「卓越」した方々は、そんなことを考え始めた。

「あるいは……そうそう、ついさっき、ちょうど触れましたがね。神閥の支配領域に潜伏していたはずのテロリスト達について。神国主義者の支配者層を排除し終わった後で、ゆっくりと、じっくりと、その領域の内部を調べてはみましたが。そんなテロリストの姿なんて影も形もなかった。それどころか、残されていた神閥の内部資料を調べてみると、実に誠実に領域内の調査を行っていたということが分かってきた。

「結局のところ、神閥がテロリスト達の引き渡しを行った後で、この領域内にテロリストが一人でも残っていたのかという調査は。暫定政府が成立し、その土地がジャナ・ロカと呼ばれるようになってからも続き、全てが終わったのは二年後のことでした。そして、その最終報告書の結論を一言でまとめるとすれば……「神閥の支配領域に逃げ込んだテロリスト達は、神閥が引き渡したテロリスト達で全てだった」ということです。

「いや、まあ、ちょっと先走ってしまいましたね。当然ながら、神閥の支配領域への侵攻作戦が終わった直後にはこういった調査報告書は出ていなかったわけですが。それでも、その時には既に、「卓越」した方々は、そのようなことを、なんとなく理解していました。というか、冷静になって考えれば、そんなことは分かり切ったことだったわけです。同盟軍側の主張が間違っていたということなんて……つまり、そこには、テロリストなんて潜伏しているわけがないということなんて。

「そうであるにも拘わらず、同盟軍側は、このようにして、強引に世論を捻じ曲げようとしました。つまり、神閥がテロリストをかくまっていたのかどうかということなんて大した問題ではないのだ。それよりもずっとずっと重要なのは、同盟軍が、全体主義化した独裁政権によって抑圧され搾取されていた「人間」達を、自由と民主との名の下に開放したということだ。同盟軍が神閥を滅ぼすことがなければ、この地域の人間至上主義者達は、絶対に、神国主義の頸木から逃れることは出来なかっただろう。

「砂流原さん、砂流原さん、この主張の、最もたちが悪いところはどこだと思いますか? それはですね、この主張には、というか、この主張自体には、ただの一つも間違いが含まれていないということですよ。確かに、同盟軍は解放しました。「全体主義化した独裁政権」であるところの神閥から、自由と民主とを愛する人間至上主義者達をね。それに、同盟軍が侵攻しなければ、人間至上主義的な権力が自然発生することなどこの地域には起こりえなかった、それもまた間違いがないことです。人間至上主義がその地域に根付くためには、まずは「ホモ・サピエンスという種に所属している限りあらゆる人間は平等である」という共通の錯誤が必要ですからね。そういう種類の、事実に基づかない錯誤は――例えば第二次神人間大戦のような――何かしらの外的な影響力がなければ支持されるわけがありません。特に、アーガミパータのような、神話時代の残滓を引き摺っているような土地では。

「そして、もしも、同盟軍の価値観が正しいのならば。それはもちろん「卓越」した方々の価値観が正しいのならばという意味ですが、神閥のような邪悪な権力による苛烈な支配を受けている人々を開放するという使命は、テロリストの駆逐などという、所詮は自衛でしかない行為に比べれば、遥かに……そう、英雄的な行為であるはずです。そうだとするのであれば、確かに、テロリストがいたのかいなかったのか、そんなことはどうでもいいことでしょう。そんなことにかかずらっているようでは、自己犠牲の精神に満ち溢れたヒーローになどなれるはずがありませんからね。

「そう、何一つ間違っていないんです……ただし、その前提以外は。その主張の、内容自体は、間違っていない。しかしながら、その主張が前提としている価値観が間違っていたんです。つまり、「全体主義化した独裁政権」であるところの神閥は取り除くべきであるとする前提が。あらゆる抑圧と搾取とが、あらゆる差別が、間違っているという前提が。しかしながら、先ほども申し上げたように、「卓越」した方々はその前提を疑うことなど出来なかった。だから、なんとはなしに、全てが間違っているような気がしても……何がどのように間違っているのか、そのことを、はっきりと指摘することが出来なかったんです。

「だから、「卓越」した方々は、同盟軍の正当性を完全に無力化するような議論を行うことが出来なかった。その議論を展開している人間にしか理解出来ないような、あまりにも煩雑であまりにも抽象的な議論によって、ほんの些細な違いを偏執狂のやり方であげつらうことで、同盟軍は間違っていて自分は正しいということを主張するか。あるいは、ただただ同盟軍は間違っていると、私達はアーガミパータに住む人々に同情すると、声高にそう叫びまくることで満足するか。そのどちらかの方法でしか同盟軍を非難することが出来なかったんです。

「あはは、当然ながら、そんな非難は非難と呼ぶに値しないものですよね。だって、同盟軍の行為の、その本質的な部分・根源的な部分。それについては何一つ否定していないんですから。実質的に、この非難は、同盟軍に対する白紙委任状に等しいものです。だから、このようにして白紙委任状を渡された同盟軍は、調子に乗って好き放題することにした。つまり、何をしたのかというと……侵攻の段階から、侵略の段階に移った。攻め滅ぼした権力の後に、自分達の都合のいい権力を設置することにしたんです。

「もちろん、いうまでもなく、それこそが暫定政府だったということです。正確にいえば、この暫定政府というのも、侵攻の直後に「到来する共同体決議2001」を根拠にして設置された「復興のための人道支援機構」と、その後、アーガミパータ住民による自由的かつ民主的な選挙によって選出された「アーガミパータ国民合意政府暫定評議会」と、その二つに分かれていますが、基本的にはなんら変わるものではないので、ここでは暫定政府と一括りにまとめさせて頂きますね。とにかく、神閥を排除した後の空白地帯に、人間至上主義の政府を作り上げたということです。

「この政府を作るにあたって、同盟軍は……というよりも、人間至上主義勢力は。なりふり構わずに、あらゆることをしました。例えば、「復興のための人道支援機構」というGLUO主体の暫定政府から「アーガミパータ国民合意政府暫定評議会」というアーガミパータ市民主体の暫定政府への移行には、どうしても、民主的な自由選挙というものが必要になってきますよね。しかしながら、そういった選挙において、アーガミパータ市民が、自由的に、民主的に、神国主義体制を選んでしまう可能性もあるわけです。

「その可能性を潰すためには、なんとしても、人々の大多数が、人間至上主義を支持していなければいけない。そのような状況を作り出すために「復興のための人道支援機構」は一体何をしたか? まあ、それはそれは様々なことをしたのですがね。例えばその一例として……ゼニグ族とヨガシュ族との間に、決定的な亀裂を作り出した。つまり、神閥の支配のもとでは重要な地位にいたゼニグ族を、その地位から、文字通り、一人残らず追い払って。その後に、ヨガシュ族から選んだ人間を置いていった。

「もちろんこれはアファーマティブ・アクションの美名のもとに行われたわけですがね。実際のところは、来たるべき選挙においてヨガシュ族を人間至上主義の票田とするために行われた行為です。今まで、支配における意思決定にろくに関わってこなかった人間達が、そのプロセスの場まで、まるで奇跡のように引き上げられれば。当然ながら、その奇跡を起こした何者かに対して、選挙において票を投じるはずですからね。その一方で、元から支配者層であったところのゼニグ族は、そもそも、人間至上主義に対する明確な敵意を抱いています。何をしても人間至上主義に対して票を投ずることはしないでしょう、そうであるのならば、そういった人間達に対して奇跡を起こすのは全くの無駄な行為です。それよりは、むしろ、より一層、人間至上主義に対する敵意を募らせて。選挙さえも疑うようにさせて、そのプロセスに対して、自ら参加しないように仕向ける方が、よっぽど効果的だというわけです。

「このようにして、同盟軍は……いや、ここからは占領軍とでも呼んだ方がいいかもしれませんね。占領軍は、ゼニグ族とヨガシュ族との間、差別是正の名の下で差別的な取り扱いをすることにした。その結果として、五十年近く経つ現在においても、暫定政府の統治下ではゼニグ族が差別的な扱いを受けているわけですが。それはともかくとして、この差別的な取り扱いのおかげで、人間至上主義勢力は、選挙において、見事な勝利を収めて。人間至上主義は、名実共に、このアーガミパータの地に支配領域を獲得することが出来たというわけです。

「あはは、そうです。これでようやく人間至上主義諸国の悲願、その第一歩が踏み出されたわけですよ。アーガミパータに人間至上主義の集団を形成するということ。それによって、万が一にもゼティウス形而上体が再びこちら側の世界に攻め込んできた時のための、防波堤を用意しておくということ。その防波堤を形作る、一つ目の石が据えられたわけです。ただ、しかし、とはいっても。たった一つの石だけで防波堤の役割を果たせるわけがありません。特に、その防波堤が防ごうとしている波が……この世界を飲み込んでしまうだろうという大洪水である場合にはね。

「ということで、今後、占領軍がするべきことは。もっと大々的な「自由」の達成、もっと大々的な「民主」の達成、もっと大々的な人間達の「解放」だということです。そのためにはアハム・ジャナスミを、というか、現段階では既に暫定政府となったわけですが、その暫定政府を強化することはもちろんですが、それよりも一層重要なことは……アーガミパータ各地の、自由を愛する者達、民主を愛する者達、そういった「ヒーロー」達との連帯を深めていくということです。

「暫定政府が、いくら支配地域を手に入れて、より一層強力な軍隊を整えられるようになったとしても。アーガミパータは、それでも広大な土地です。たった一つの集団では限界がありますからね、その全てを手に入れるのは、不可能とはいわないまでも、あまりにも困難であるところの難行といわざるを得ないでしょう。無論のこと、今の重言は強調の意味で使ったわけですが……それはともかくとして、とにかく、アーガミパータ各地のゲリラ組織と手を組んだ方が、明らかに効率がいい。特に、中央ヴェケボサニアからの陸上ルートが使いにくい南アーガミパータ、その最も奥地にある……ダクシナ語圏においては。あはは、そう、ダクシナ語圏においては、現地住民の協力が不可欠です。

「残念なことに、ダクシナ語圏には、人間至上主義系のゲリラは存在しませんでした。まあ、人間至上主義もあんなところまでは浸透しなかったのでしょう。とはいえ、占領軍が手を組むべき組織は……別に人間至上主義組織でなければいけないというわけではありません。というか、極論してしまえば、神国主義でなければなんでもいいわけです。何か巨大な権力に対して、抑圧と搾取とに対して抵抗する、反骨のゲリラ組織。その抵抗の相手が人間至上主義でなければ、どんな組織でも構わない。

「幸なことに、そういう組織が一つ存在していました。まあ、その組織を「組織」と呼んでいいのかということは、ちょっと疑問の余地が残りますけれどね。その組織は、ダクシナ語圏において、「神話の時代」から反骨の組織であり続けました。どこの神国にも属することなく、どんな神々の支配も受けることなく。自分達の自由を・自分達の民主を守るために武装して、そして、あらゆる権力に対して、その抑圧と搾取とに抵抗を示してきた組織。その組織の名前は……あはは、もちろん砂流原さんもご存じですよね。アヴィアダブ・コンダ・ダコイティです。

「えーと、あのダコイティ自体は、自分達のことをどんな名前でも呼んでいなかった、あるいはどんな名前でも呼んでいたので、そう名乗っていたというわけではありませんけれどね。でも、慣例として、ダコイティのことは「その拠点とする地方の名前」プラス「ダコイティ」という名前で呼ぶということになっているので、ここでは便宜上そう呼ばせて頂きます。ガーマデーヌを中心として、ダクシナ語圏に拠点を築いていたアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティは、占領軍が手を組むにはまさにうってつけの相手でした。「卓越」した人々が自淫して喜ぶような反権力の戦士達でしたし……それに、何よりも都合がいいことに、最も抵抗しているところの相手は、なんと、無教徒だったんです。

「今ではもうなくなってしまいましたが、神話時代から第二次神人間大戦を通じて人間時代の初めまで、アーガミパータの最南端には、無教徒によって打ち立てられた……なんていえばいいのかな、神がいるわけではないので神国ではありませんし、そもそも国として存在していたわけでもありませんし……主権集団? いや、それも違いますね、主権という言葉は無教徒には似つかわしくありません。とはいえ、政治学的には主権集団となるのかな? まあ、いいか。とにかく、主権集団が存在していました。その名前はスーカラマッダヴァ、無教徒達が使う言葉で「柔らかい豚」という意味の名前です。

「この名前は明らかに侮蔑的な意味を含んでいるので、恐らくはその集団を作ったところの無教徒達に対する蔑称としてそう呼ばれ始めたのだと思いますけれどね。しかしながら、最終的にはスーカラマッダヴァ自身もスーカラマッダヴァという名称を使っていましたし、それに、なぜそう呼ばれ始めたのかという記録が一切残っていないので、詳しいことは分かりません。とにかく、スーカラマッダヴァは、アビラティ諸島の無教徒達がアーガミパータの最南端に上陸し、そしてそこに作り上げた主権集団でした。

「恐らくは、無教徒の中でも権力だの支配だのを幸福とする人々の分派だったのでしょう。あるいは、福音の伝道を幸福とする人々か、ね。とにもかくにも、スーカラマッダヴァは、アーガミパータ南部の各地、特にダクシナ語圏に、自分達の勢力を伸ばそうとして。その場所を支配領域としているあらゆる集団に対して戦争を仕掛けていました。それゆえに、ダクシナ語圏において、いわゆる傭兵的な役割を担っていたアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティにとって、いわば宿命的な敵対相手になっていたということです。

「人間至上主義勢力が注目したのはこの関係性でした。そして、この関係性を手に取って、捻じ曲げて、作り替え、対内的及び対外的な措置を講じていったわけです。まず、対外的には、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティに対して、スーカラマッダヴァの排除という目的のもとに同盟を組まないかと持ち掛けました。スーカラマッダヴァが存在し続ける限り、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティは脅威に晒され続けることになるだろう。そうであるのならば、そこからスーカラマッダヴァを排除して、別の主権集団を置けばいい。そうすれば、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティは……少なくとも、今よりは安全になるではないか。いや、いや、安心してくれ、心配しないでくれ。もしも我々が、つまり人間至上主義勢力がそこで権力を握ることになっても。「人間至上主義勢力は」、決して、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティには手を出さない。えーとですね……あはは、よく覚えておいて下さいよ、砂流原さん。この「人間至上主義勢力は」というところが、後々になって非常に重要になってくるところですからね。

「一方で、対内的には。というのはつまりこちら側の世界の世論に対してはということですが、スーカラマッダヴァのことを「無教徒」の「権力」として定義し、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティのことを「現地住民」の「反権力」として定義した。いやー、あはは、素晴らしい対比だと思いませんか? 憎むべき左道曼荼羅のテロリスト達と同じ無教徒であって、しかも、悪しき権力組織であるところのスーカラマッダヴァに。純粋無垢な現地住民であり、更に正義の闘争心に満ち溢れた反権力の組織であるところの、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティが立ち向かっている。ここでアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティに味方しないで、一体どこで誰に味方するっていうんですか?

「ということで、人間至上主義勢力は、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティとの協力関係を結んだのですが……あはは、すみません、すみません。ちょっと時間軸が前後してしまいましたね。実のところ、この協力関係が始まったのは「怒りに満ちた双頭の蜂」作戦の時からでした。ほら、この作戦はスカハティ山脈とアビラティ諸島とで同時に行われたと申し上げましたよね? そのアビラティ諸島での戦闘に、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティが協力していたということです。その当時から、つまり、占領軍が同盟軍であった時から協力関係にあった。そして、アハム・ジャナスミが暫定政府となって、その支配地域に、軍事的な基盤をしっかりと据えて。占領軍が、アーガミパータ全土への占領計画を開始してから……スーカラマッダヴァに対する侵攻が始まったというわけです。

「あはは、砂流原さんは……聞いてますか? デニーさんから、当時の話。聞いてない? あー、その様子だと、デニーさん、なんの話もしてないみたいですね。じゃあ、私もあんまりしない方がいいのかな? 余計なことを話すと、また怒られちゃいますからね。とにかく、当時のデニーさんは、今と違ってアーガミパータと「とても関係が深い」状態にありました。だから、この侵攻作戦においても、大変、大変、大きな役割を果たしたんですけど……要するに、私が言いたいのはですね……えーと、どう言えばいいのかな……この侵攻作戦で、デニーさんが、「本気を出した」ということです。たった一度だけですけどね。そして、侵攻作戦はその瞬間に終わりました。もちろん、デニーさんが立っていた側の陣営、つまり占領軍とアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティとの勝利に終わったということです。

「さて、こうしてスーカラマッダヴァという主権集団はこの世界から完全に消滅したわけですが。ここまでは大した問題ではないわけです、ただの戦争ですからね。人が人を殺したりだとか、人が人に殺されたりだとか、まあ、人でない何かも少し混ざっていたわけですけれど、そういった単純な話に過ぎません。問題なのはここからです、ここからは政治の世界の話、統治と策略との話になってきますから。

「砂流原さん、これは政治的な問題を考えるにおいて基本中の基本なんですけどね、まずは、その問題を、物質的なレベルにまで落とし込んで考えなければいけません。これがどういう意味なのかといえば、それは、つまり、政治を考える際には、空間戦略学をベースに考えていかなければいけないということです。

「さて、今回のケースを空間戦略学的に考えるとすると一体どうなるか。まずは位置的な話からしていきましょうか。スーカラマッダヴァの支配地域はアーガミパータの最南端であるダクシナ語圏にありました。まあ、ダクシナ語圏の中では最南部というわけではなく、比較的東寄りにあったわけですが……そうはいっても、こちら側の世界からアーガミパータへと入っていく際の通常ルート、スカハティ山脈の東側というルートからは、信じられないくらいかけ離れた場所に位置しているわけです。しかも、それだけではない。先ほども少し触れましたが、ダクシナ語圏は、人間至上主義が比較的浸透しているアーガミパータ北方からも離れたところにある。つまりですね、これらのことが、一体、何を意味しているのかといえば……もしも占領軍がこの地域を継続的に支配しようとした場合には莫大なコストがかかるということです。

「もちろん、第二次神人間大戦の時に敷設された例の「鉄道」はありますけれどね。でも、あれだって万能ではありません。数人のデウス・ダイモニカスが集まれば、簡単とはいわないまでも攻撃を仕掛けることは可能ですし、それに、実際に、スペキエース・テロリストによって貨物を強奪されたという事件も発生しています。あるいは、もしも、あそこまで「ルートを通す」ことが出来れば、テレポート装置によって物資の輸送も容易になるかもしれませんが……アーガミパータのあんな奥地まで「ルートを通す」なんて、人間には不可能ですよ。いや、まあ、不可能とまでは言ってしまったら言い過ぎかもしれませんけどね。確かに、やろうと思えば出来ないことはないでしょう。しかしですね、時空間歪曲を完全に計算し尽くして、万が一にも事故が起こらないように、リリヒアント断層の位置を全て把握するなんて、どれだけの年月が掛かると思いますか? つまり、実質的に不可能ということです。

「さて、位置的なことを考えるならば、スーカラマッダヴァの支配地域において占領軍による支配体制を作るというのはあまりにもコストがかかり過ぎる話だということが分かりました。それでは、もう一つの側面についてみていきましょう。それは、もちろん資源的な側面です。あはは、砂流原さん、ちゃんと覚えていらっしゃいますか? ラクトスヴァプン・カーンでレーグートが解説してくれたこと。アーガミパータが世界の他の部分からリリヒアント諸階層の方向に断絶した時に、地殻に達するほどの漏出が赤色流動層から起こったという話です。そんなわけで、アーガミパータと外の世界との境界線に沿って、赤イヴェール合金の大鉱脈が走っているわけですが……もちろん、スーカラマッダヴァの支配地域にも、その大鉱脈は走っていました。

「ということですよ、その地域は、資源採掘の観点からいうと非常に魅力的な地域だというわけです。もしも、その地域に採掘場を設置することが出来て。そして、その上で、その採掘場で採掘した物を、こちら側の世界に輸出するためのラインを設定することが出来るならば。その地域は銀の鱗を持つ魚になるわけです。いや、この場合は、赤い鱗を持つ魚といった方がいいかもしれませんけどね、あはは。

「まあ、とにかく、その地域を欲しがる主権集団は、確かに存在するということです。ただし、それは……人間の主権集団ではありません。なぜなら、人間には、不可能だからです。その地域に採掘場を設置したり、あるいは、その地域からこちら側の世界まで到達するようなラインを作ることは、不可能だからです。一方で、それは神々でもありません。確かに、神々とて赤イヴェール合金を欲しないというわけではありません。けれども、神々はマホウ界を支配する存在です。マホウ界には、他にも幾つか、赤イヴェール合金の鉱山があります。まあ、それほどたくさんあるというわけではありませんがね、それでも、わざわざアーガミパータの奥の奥、血と内臓との泥沼の奥の奥に――あはは、またこの表現を使ってしまいましたね――手を突っ込んでまで、赤イヴェール合金を手に入れる必要はないということです。それでは、一体、何者がその地域を欲しがるのか。人間以上の存在、それでいて、神々ではない何者か……あはは、言うまでもありませんね。もちろんASKです。

「よし、よし、これでこの問題の物質的な部分は考え終わりました。それでは、考えを次の段階に進めていきましょう。当事者の利害関係についてです。当事者といっても、特にその中で決定権を持っている当事者。つまり、占領軍の利害関係についてです。占領軍は、一体、なぜ、スーカラマッダヴァを滅ぼす必要があったのか? それはスーカラマッダヴァがいた場所に防波堤を作るためです。やがて来たる破滅に対する防波堤、神々の軍勢に対する防波堤。もちろん、赤イヴェール合金やその他の鉱物資源は魅力的といえば魅力的ですが、ただし、この本来の目的に比べれば、それは存在しても存在しなくても全く同じような付属物に過ぎません。

「占領軍としては、とにかく、この地域に、神々に敵対する何者か、そこまでいかなくとも、有事にこちら側の味方になってくれるであろう何者かを配置したいということです。最悪の場合、それは人間至上主義陣営でなくても構わない。いや……その何者かが、こちら側の味方になることが保証されていて……そして、人間至上主義勢力に属する何者かよりも強力な存在であるならば……むしろ、そちらの方が好都合であるという可能性さえある。

「あはは、さて、さて、そうであるならば。占領軍がASKと交渉しない理由がどこにありますか? 占領軍は、その地域に防波堤が欲しい。ASKは、その地域の資源が欲しい。利益と利益とは、欲望と欲望とは、完全に一致しています。いざという時、というのはもちろん第三次神人間大戦が起こった時ということですが、その時に、少なくとも、その地域を支配しているASKの支店だけでも、神々ではなく人間の陣営につく。それを条件として、その地域をASKに売り払わない理由が、一つでもありますか? ありませんよね。そうです、ないんです。全く。だから、占領軍は、ASKに、その地域を、売り払った。

「実際それは、取引の両当事者にとって「は」素晴らしい取引でした。占領軍にとっては、もしもマホウ界からなんらかの攻撃があった時に非常に頼りになる同盟相手を空間戦略学上最高の場所に配置することが出来た。また、それだけではありません。アーガミパータ外からだけでなく、アーガミパータ内で、様々な武器の原材料を調達することが出来るようになった。いえいえ、勘違いしないで下さいね。確かに、赤イヴェール合金は、ジャナ・ロカでも採掘できますよ。私だってそれは知っています。ただね、その量は、たかが知れてるんですよ。暫定政府が採掘出来る量なんて大したことがないんです。だって、ろくな設備がないんですから。もちろん、ヴァンス・マテリアルが暫定政府と提携して、「大規模な」採掘施設を作りました。とはいえ、その「大規模な」というのは、あくまでも人間的な文脈における「大規模な」に過ぎないんですよ。それに対して、ASKの採掘施設は、人間以上の存在にとっての「大規模な」採掘施設です。その施設は桁違いの量を安定的に供給することが出来るんです。これによって、暫定政府は……Factory for Perpetual Peace、つまり、ジャナ・ロカの工廠で、アーガミパータで戦争をするのに必要な量の兵器を作ることが出来るようになったというわけです。

「一方で、ASKにとっても。もちろん、非常に得るところが大きい取引でした。まずは、いうまでもないことですが、信じられないほど大量の資源が眠っている鉱床を手に入れました。この鉱床からとれるのはね、実のところ、赤イヴェール合金だけではないんですよ。赤色流動層からの漏出を引き起こしたリリヒアント諸階層の断絶、その原因となった魔学的な力は、そうして作られた断絶が貫通したあらゆる階層から、大量の魔学的物質を引き寄せました。ということで、アーガミパータの特定の場所では、例えば、神々の世界でしか見ることが出来ないような物質や、あるいは地獄の底にしか存在しないはずの物質まで、様々な物質を採掘出来るようになったというわけです。

「ただし……実はですね、砂流原さん。これは、ASKにとっては、あくまでも付随的なメリットに過ぎなかったんです。実は、ASKの本当の目的は、鉱床ではなかった。まあ、それもよくよく考えてみれば分かることですよね。ASKは確かに軍需企業ですが、それはASKの本質ではありません。ASKの事業目的は、兵器でもなんでもいいですが、何かを製造するということにはないんです。ASKという企業の本質は、つまり情報です。ASKが求めているのは、この世界についてのあらゆる情報であって、だから、ASKにとって本当に価値があるもの、アーガミパータにおいてASKが本当に手に入れたいと思っているものは、アーガミパータでしか手に入れることが出来ない希少な情報なんです。つまりですね、ASKが欲していたものは、スーカラマッダヴァの支配地域ではなかったんです。それは、ASKが手に入れたかったものを手に入れるための足掛かりに過ぎなかった。ASKが、本当に、欲していたもの。それは……マトリカです。

「あれ? あんまりぴんと来てないみたいですね。あはは、せっかく意味ありげな溜めを作ったのに、これじゃあ、私が全くの間抜けみたいじゃないですか! んー、バーンジャヴァ語だと分からないですかね。じゃあ、共通語で言い直しましょう。ASKが本当に欲していたものは、つまり……あはは、別にここから言い直さなくても良かったですね……スナイシャク特異点だったんです。

「ああ、これならお分かり頂けたみたいですね。ちなみに、スナイシャク特異点を表すバーンジャヴァ語であるマトリカというのは、「神々の母」という意味です。まあ、これはどうでもいいことですがね。ただ、どうですか、思い出してみて下さい。「彼女」も母と呼ばれてはいませんでしたか? この世界に存在するあらゆるものの母と。ASKが欲していたものは、スーカラマッダヴァが支配していた地域にはなかった。その隣にあったんです。それは、アヴィアダヴ・コンダのカーマデーヌだった。

「スナイシャク特異点は、別にアーガミパータにしか生息していないというわけではありませんがね。ただ、この世界にはごくごく僅かしか存在していない、非常に非常に貴重な何かであるということは確かです。そして、その存在に関する情報もほとんどない。そうであるならば、もしも、カーマデーヌを捕獲することが出来て、詳細な研究をすることが出来るのであれば。ASKは、信じられないほど希少な情報を手に入れられることになる。

「要するにですね、ASKは、アヴィアダヴ・コンダを侵略するためにスーカラマッダヴァが支配していた地域を購入したということです。そして、それは、占領軍も理解していた。百パーセント理解していた。そのことがどうして分かるのかというと、ASKと占領軍との間に結ばれた契約が、ASKと占領軍との間に結ばれたという事実からです。えーと、つまりですね、この契約には、スーカラマッダヴァとの戦闘における貢献者であるところのアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティは、一切関わっていなかった。

「いや、いや、いや……technically、なんの問題もないんです。この契約にアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティが関わっていないということは、例えばファニオンズが定める契約に関するレギュレーションとか、そういう形式的な側面からいえば、なんの問題もない。実はですね、今まで触れていませんでしたけど、スーカラマッダヴァとの戦闘が終わってから、その支配地域は、占領軍とアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティとの間で分割されていたんです。まあ、大して公平な分割とはいえませんでしたがね。アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティが要求したのが、そもそもアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティからスーカラマッダヴァが奪い取った地域だけで、それ以上は全く望まなかったから、ほとんどの地域は占領軍のものとなったんです。まあ、とはいえ分割はされていたわけで、しかもアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティは望んでいた地域を全て手に入れていたわけです。そうであるとすれば、そのようにして占領軍のものとなった地域を、占領軍がどう扱おうと、なんの問題もない。

「ただですね、道義的な――はははっ、私の口から「道義的な」という言葉が出るのもおかしな話ですが――道義的な観点からみれば、そこには問題しかなかったわけです。その契約はですね、結ばれる過程でアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティが参加していなかったというだけではなく。結ばれた契約の内容自体もアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティについて一切触れていなかった。これが何を意味するか分かりますか? 論理的に考えればですよ、ASKがカーマデーヌを狙っていることなんて寝ぼけた毛無し猿にだって分かるようなことです。そうであるならば、占領軍は、契約を結ぶ際に、ASKに対して、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティに手を出さないように要求するべきだったんです。道義的に考えてね。けれども、それをしなかった。

「なぜか? あはは、「なぜか」なんて問い掛ける必要もありませんよね。そんなことをすれば契約がご破算になってしまうからです。先ほども申し上げたように、ASKの本当の目的は、カーマデーヌだったんです。もちろん、資源だって欲しかったでしょうがね、ただ、まあ、ASKは天堂にも神獄にも支店がありますから……最悪、資源はなくても構わない。しかし、カーマデーヌはないと困る。ASKにとっては、ノーカーマデーヌ・ノーディールだったわけです。あはは、別に汎用トラヴィール語を使う必要はなかったですけどね。つまり、そういうことです。

「ここまで話せば砂流原さんもお分かりになったと思いますけれどね。この契約の本質は、主権領域の売買ではなかったんです。土地と金銭との引き換えというのは、あくまでも表面上の名目に過ぎない。この契約の本質はね、占領軍が、自由と民主との守り手であるところの人間至上主義勢力が、その絶対的な「正義」であるところの自由と民主とを、憎むべき全体主義である神国主義勢力から守るという、その「安全性」と引き換えに、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティを売ったという話なんです。

「あのですね、砂流原さん。これは勘違いして欲しくないことなんですが、私は、別に、この契約について、それが不道徳だとか信義に反しているだとか、そういうことを非難をしたいわけではないんですよ。こんなことはね、この世界のそこら中にごろごろしている話です。砂流原さんだって、一度や二度や、それくらいはあるんじゃないですか? 何かを守るために何かを犠牲にしたことくらい。よくある話なんですよ、大したことではない。自分にとって絶対に譲れない何かのために、自分にとってどうでもいい何かを犠牲にする。そんなことはいくらでもある話なんです。私が言いたいのは、ただ、それが事実だということです。人間至上主義勢力が、「正義」のために、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティをASKに売り払った。それが、事実だということです。

「そして、その契約の後に起こったことは……私が申し上げなくてもご存じですね? というか、私よりもむしろ砂流原さんの方が詳しいくらいだ! ASKは、ASKが欲していたものを、確かに手に入れた。悪い取引ではなかったということです、悪い取引ではなかった。少なくとも、取引の両当事者にとって「は」ね。」

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