第二部プルガトリオ #25

「もちろん、一番最初に思い付くのはこういう問題です。一般市民の中には、好戦的な気持ちと嫌戦的な気持ちとが、非常に微妙な比率で入り混じっていた。そのため、大規模な軍隊を派遣することが出来るほどの募兵を行えなかった。アーガミパータ紛争が始まったのは、つまりGLUOがアーガミパータに多集団籍軍を送り込んだのは、ベルヴィル記念暦九百二十一年。第二次神人間大戦が終わってからたった二十年後のことです。

「当時の人々は、休戦協定によって具体的な内容は覚えていなかったにせよ、何か大きな戦争、凄まじく悲惨な戦争、全ての物事を決めるであろう最終戦争が終わったという感覚に満たされていました。つまり、これでもう戦争は終わった、この世界には、人間の世界には、もう争いごとは起こらない。これから先は永遠に平和な時代が続くんだと考えていました。そんなところに左道曼荼羅による連続テロが起こった。

「いうまでもなく、人々は、左道曼荼羅に対して激しい怒りを抱きました。激しい憎悪を抱きました。そして、左道曼荼羅を徹底的に叩き潰すために、左道曼荼羅に対して戦争を起こすことを望みました。しかし、とはいえ……その戦争に自分達が巻き込まれることは嫌だったんです。誰か別の人々に戦って欲しい、そして、自分達は、テレビや何やらの中で左道曼荼羅が叩き潰されるところを見ているだけで済ませたい。そういう思いがあったわけです。

「しかも、それだけではありません。世界が平和になってきて……ほとんどの集団は軍隊を解体している最中だった。軍隊というものは、それを維持するのに、凄まじいコストがかかります。これから戦う相手もいないであろうというのに、そんなものを維持し続けるのは、自由民主主義的な集団においては、ほどんど不可能なことです。大衆というものは「もしも」ということを考えられませんからね。現在のコストについてはいくらでも考えることが出来ますが、軍隊を縮小させることでどれだけのリスクがあるのか、そういった未来のリスクについては、ほとんど白痴としかいいようがないほどの鈍感さを示す。

「ということで、戦争が終わった直後であったのならばまだしも、それから二十年も経ってしまった後では、もう、各集団が所持する軍隊は、いわゆる「平和仕様」の軍隊になっていたということです。まあ、ポンティフェックス・ユニットだとかエスカリアだとか、あとはワトンゴラみたいなところには、「戦時仕様」の軍隊がないわけではなかったでしょうけれどね。けれども、そういった国々は自分達の問題で手一杯だったわけですし。とにかく、世界中にその程度の軍隊しかないのならば――しかも、その上、集団の構成員が徴兵に対して抵抗感を示している中で――大規模な多集団籍軍など組織しようがなかった。これが、考えられるところの第一の理由です。

「しかしながら、こういった客観的・物理的な理由の外にも理由があった。その理由とは……えーと……主観的な理由? 政治的な理由? うーん、どちらにしても、ちょっとばかり違う気がしますね。どういえばいいのかな……ああ、そうそう! ぴったりの言葉がありましたね。つまり、今言ったような理由の外にも、もう一つ、「人道的」な理由があった。それは、アーガミパータにおいて、自由と民主とのために、そして何よりも人間としての尊厳のために戦っている、人間至上主義者への支援という理由です。

「サヴィエトに愛国に、それからエスペラント・ウニート。要するに人間至上主義諸国は、第二次神人間大戦の直後から、というか、第二次神人間大戦中から継続して、アーガミパータ内の人間至上主義勢力に対して支援を行ってきました。ということは、終戦後からの時間だけを考えたとしても、二十年もの長きにわたって支援を行い続けてきたということです。それにも拘わらず、アハム・ジャナスミは、アーガミパータに人間至上主義の福音をもたらすどころか……未だに、アーガミパータにおける弱小勢力のうちの一つでしかない。もちろん、人間至上主義諸国は、様々な援助の見返りとして大量の鉱物資源を手に入れていたわけなので、収支の全体としてみてみれば間違いなく黒字であることは確かではありますが。とはいえ、人間至上主義諸国としては、別に鉱物資源のためだけに援助を行っていたわけではない。

「鉱物資源と同じくらい、いや、それよりも重要な目的があった。それは空間戦略学上の理由です。これまで何度も何度も申し上げてきたことですし、砂流原さんは身をもってご経験なさったこと、というか、今まさにご経験なさっていることなので、またそのことについて繰り返すのは私としても大変心苦しいところなのですが……アーガミパータはマホウ界とナシマホウ界とが複雑に入り混じった場所です。そして、その二つの世界が混ざり合っているということは、その二つの世界が交差している場所だということでもある。要するに、アーガミパータは、これ以上なくマホウ界とナシマホウ界とが接近している場所だということです。

「そうであるならば、もしも、仮に、そんなことは起こらないだろうけれど、ゼティウス形而上体が、再びナシマホウ界を支配しようと企むようなことがあれば……そして、ナシマホウ界に攻め込もうとするのならば。このアーガミパータという土地は、間違いなく、その際に、ヴェッセルとしての役割を果たすであろう土地だということになる。ゼティウス形而上体がこちらの世界に対して攻撃を仕掛けてくる時に、アーガミパータは、間違いなく、その主要なルートのうちの一つとなりうる。

「となれば、アーガミパータという土地を支配する勢力が、人間至上主義系の勢力であるか、神国系の勢力であるか。これは空間戦略学的に見れば、かなり重要な違いになるということです。もしも人間至上主義系の勢力が支配しているのであれば、迫りくる敵軍に対する防波堤としての役割を果たしてくれるでしょう。一方で、もしも神国系の勢力であれば……あはは、この先は言わなくてもお分かり頂けますよね。要するに、人間至上主義諸国にとっては、アーガミパータにおいて人間至上主義勢力の支配を確立すること、この地に傀儡政権を発足させることは、自分達の安全保障のためには不可欠なことだったというわけです。

「そうであるにも拘わらず、アハム・ジャナスミは、アーガミパータ全土の統一どころか一部地域の支配さえ覚束ない。このままでは、いつまで経っても空間戦略学的脅威を取り除くことが出来ない。そんなわけで、業を煮やした人間至上主義諸国は――あはは、まさにアーガミパータにぴったりの比喩表現ですね――ちまちまと援助だけを行うのではなく、直接的な軍事支援を行うことによって、一気に決着をつけようとした。それが、アーガミパータから左道曼荼羅を排除するという名目のもとで行われた、多集団籍軍とアハム・ジャナスミとの同盟だった。

「要するにですね、砂流原さん。この紛争は、物事の最初から侵略戦争だったということですよ。もちろん、表向きにはそんなことをいうわけがありませんよ。表向きにはこのような正当化が行われていたわけです。アーガミパータという土地は、GLUO加盟国に所属するいかなる集団もその支配権を有していない土地である。そんな土地に対して、部外者である我々が大軍を送り、何かの軍事作戦を行ってしまうならば、それはある種の侵略であると受け取られても仕方がないこととなってしまうだろう。そうであるならば、我々は、元からアーガミパータ市民であったところの人々が作った組織であるアハム・ジャナスミと協力することで、侵略とは全く違う形、つまり、同胞愛に基づく協力という形で軍事作戦を行うべきである。こんな感じですかね。

「しかしながら、どんなにいい繕ったところで、その目的が人間至上主義諸国による侵略であるという事実は一つも変わりません。その証拠として、事態は次のような推移を辿りました。まずは、他集団籍軍とアハム・ジャナスミとが協力して、左道曼荼羅が拠点としていると思われていた二つの場所、つまりアビラティ諸島とスカハティ山脈とに攻撃を仕掛けました。これがかの有名な「怒りに満ちた双頭の蜂」作戦ですね。ここで終われば、まあ、まあ、GLUOが主張した通りの行動だったといってもよい内容だったわけですが……もちろん、ここで終わるわけがありません。

「当たり前のことですが、中枢組織があるわけではないテロ組織を、一回の攻撃で完全に叩き潰すことなど不可能です。拠点を攻撃された左道曼荼羅はアーガミパータの様々な場所に散っていきました。こうなってしまうと、GLUOとしてはこう宣言するしかなくなるでしょう。「我々は左道曼荼羅の二つの拠点を攻撃し、それらを壊滅させることに成功した。しかし、左道曼荼羅のテロリスト全員を捕らえることが出来たわけではなく、また、その組織を壊滅させることが出来たわけでもない。今は、その組織は、一時的に無力化されてはいるが、もしも我々がアーガミパータから撤退し、テロリストの残党を放置しておくならば、いつの日か、左道曼荼羅は復活し、また我々の世界への攻撃を再開するだろう」。

「まあ、その通りですね。間違っちゃいませんよ。ただですね、アーガミパータに残って左道曼荼羅を監視し続けるとして、それは一体いつまでそうし続ければいいんですか? いつになったら左道曼荼羅を壊滅させて多集団籍軍を撤退させられるっていうんですか? 一年? 十年? 百年? 少なくとも、現時点では、五十年は過ぎ去ってしまっているわけですが……あはは、まあ、それは置いておくとして、GLUOの宣言の続きを聞いてみましょう。続きはこんな感じです。「そうであるとするならば、我々は、未だ多集団籍軍を撤退させるわけにはいかない。アーガミパータの各地に逃走した左道曼荼羅のテロリスト達を探し出して、そういったテロリスト達が再び立ち上がることが出来ないよう、今度こそ、徹底的に排除しなければいけない」。

「そう、これなんです。これこそが、人間至上主義諸国がGLUOから引き出そうとしていたものだった。アーガミパータ全土に散った左道曼荼羅に対する撲滅宣言こそが、人間至上主義諸国がこの武力介入に期待していたものだった。人間至上主義諸国は百パーセント理解していたんですよ、この武力介入が「怒りに満ちた双頭の蜂」作戦だけで終わるはずなんてないっていうことを。その攻撃の結果として、まるで悪性の腫瘍が全身に転移するように、テロリストがアーガミパータのそこら中に散っていくことを、完全に知悉していた。そして、何よりも……そうなれば、テロとの戦いの名目で、アーガミパータの全域に対して軍事作戦を行えるということを、預言にも似た確信によって推測していた。

「砂流原さん、砂流原さん。これはね、国内にいるテロリストを攻撃するのとはわけが違うんですよ。国内にいるテロリストであれば、それは自集団の主権が及ぶ範囲で、自集団の主権を行使しているだけの話です。それはね、私有財産の侵害だとか私的領域の侵害だとか、そういうのはあるかもしれませんがね。そういったものを保証しているのが公権力である以上、大した問題になるわけがない。けれど、アーガミパータにいるテロリストをGLUO加盟諸国が攻撃するというのは。これとは、全然、違うことなんです。

「GLUO加盟集団の中の一体どの集団がアーガミパータに主権を有していますか? どの集団が主権領域を、どの集団が主権住民を、有しているっていうんですか? つまりですね、どんな言い訳をしようと、この武力介入は、主権侵害なんです。だから、本来であれば、そもそもしてはいけないことだった。それか、開始してしまったとしても、すぐに終わらせなければいけないことだった。それくらいのことはGLUO加盟集団だって……その中でも特に、人間至上主義諸国は。理解していたんです。それでもこの武力介入を始めた。どうですか? これを意図的な侵略であると呼ばないで、一体なんと呼べばいいと?

「とにもかくにもGLUOは、アーガミパータのあらゆるところに潜伏しているテロリストに対する宣戦布告を行った。砂流原さん。この宣戦布告の、本当の意味がご理解出来ますか? 砂流原さん、砂流原さん、あのですね、この宣戦布告は、実際には、テロリストに対する宣戦布告なんかじゃなかったんですよ。そうではなく、GLUOが……というか、人間至上主義諸国が、本当にしたかったのは。アーガミパータにおける、神国主義者達に対する宣戦布告だったんです。

「先ほども申し上げたように、今回のようなケースにおいてテロリストを攻撃するには、まずは、そのテロリストが潜伏している場所に対して主権を有している集団の、その属地的主権を侵害しなければいけません。そのテロリストがどこかの集団の構成員である場合は属人的主権もですね。しかしながら、そういった主権の侵害というのは、信頼し合っている集団同士であるならばともかくとして……GLUOがアーガミパータに送り込んだ多集団籍軍、もしくはその同盟相手であるところのアハム・ジャナスミといった、人間至上主義的傾向がある「人間」達と。アーガミパータにおける神国主義勢力との間、信頼関係があるどころか思想的な隔絶さえ存在しているような集団間においては、完全に、致命的なまでに、喧嘩を売る行為以外の何ものでもないわけです。

「そう、普通であれば許すはずがないんですよ。神国主義勢力が、人間至上主義的傾向がある「人間」達に対して、自国の主権の範囲内にいる何者かへの攻撃を許すなんてことは。その何者かが例えテロリストであったとしてもあり得ることではない。そうであるならば、GLUOは、当然のように、次のような結論に至らざるを得ないということになります。「我々が遂行しようとしているところのテロとの戦いは、この世界に住む人間達が社会的安寧と個人的安寧とのもとに過ごすことが出来るようにするための、自衛のための戦争である。そうであるにも拘わらず、アーガミパータにおいて、そのような自衛のための戦争に対して反旗を翻す勢力が存在している。そういった勢力は、自集団内にテロリストが潜伏している可能性があるにも拘わらず、我々にその可能性を調査させることがなく、また、そういったテロリストに対する攻撃を行うことも許さない。テロリストは我々の生命の安全を危険に晒す存在である。そんな存在を自集団内にかくまい、再び我々の世界に対して攻撃を行うまでの避難所を提供するということは、まさに我々に対する戦争行為以外の何ものでもない。そうであるならば、我々は、その戦争行為に対して反撃を行うための正当な権利がある」。

「このようにして、多集団籍軍とアハム・ジャナスミとは、神国主義勢力を侵略する正当な権利を得たわけです。GLUOの主張によれば、多集団籍軍とアハム・ジャナスミとは……あはは、これ、ちょっと長いですね。毎回毎回、わざわざこう言うのは馬鹿みたいなんで、これからは同盟軍と呼びましょうか。とにかく、GLUOの主張によれば、同盟軍は、テロリストを庇っている集団にしか攻撃を行わないということですがね。そもそも、ある集団がテロリストを庇っていないという絶対的な証明なんて、絶対的に不可能なんですよ。それは、その集団が支配している領域の全てを、一匹の兎が踊る隙間さえなく調べることが出来れば、まあまあ証明出来たといってもいいかもしれませんがね。そんなこと人間なんかに出来るはずがない。ということで、実際には、同盟軍がその集団に対して「テロリストを庇っている可能性がある」といえば、その集団が侵略を回避する手段は皆無だということです。

「さて、それでは……たった今、見てきたように。アーガミパータ紛争と呼ばれるようになるこの武力介入は、ことの最初から、人間至上主義諸国によるアーガミパータへの侵攻だったわけですが。それでは、集団によるそのような行為、権力による暴力・権力による搾取、そういったもののまさに最高の形態であるところの侵略戦争に対して、自由的で民主的で、そして、弱き者のために積極的に行動し、そうやってなされたところの自分自身の行動に対して責任を持つことを固く誓っているところの、素晴らしい市民の方々は、果たしてどのように反応したのでしょうか。

「一人一人が自分自身であるということを最も重視し、その個別性こそが「正しさ」への第一歩であると、自覚的に考える人々……そう、まさに「卓越」した方々が、どのように反応したのか。あはは、万雷の拍手ですよ。あるいは、感激の涙、賛美の絶叫、誇り高き首肯に、それから、力強く振り上げられた熱い拳。そして、自らの感動と憎悪とによって、確信とともに「正しさ」の方向を見定めた市民の皆さんは、その「正しさ」……つまり、侵略戦争から。決して逃げることなく、勇気と希望とともに、突っ込んでいったということです。

「そう、感動と憎悪と。もちろん感動と憎悪とです。彼ら/彼女らが、この世界のエターナリティに対して一人相対する時に。そのあまりの巨大さに対して立ち向かう時に、武器として使えるものが、一体、それ以外にあるでしょうか? 自分自身という存在を人間という種族から個人という主体にまで引き上げて、仮初の――そして、もちろん偽物の――イモータリティを手に入れようとする時に、一体、それ以外の何が役に立つというんですか? 私達が私達であるという幻想は、まさに感動という感覚における二重性、憎悪という感覚の二重性、私的なものでありかつ公的なものであるという奇妙な矛盾によって「橋渡される」ことによってのみ、初めて成り立つものなんです。だから、「個人」という生き物が卓越性を発揮しようとする時に、彼ら/彼女らは、感動と憎悪と以外によりどころとなるものを知らないのです。

「まずは、憎悪。全ての物語が、人間という下等な生き物が憎悪を持った時に始まったということについて、疑いを挟む余地はないでしょう。まあ、もう少し正確にいうのであれば、動物的な脊髄反射に過ぎない憎悪が、信じられないほど傲慢な詐術によって、第一義的な目的、いわゆる「愛」として偽装された時に、となるでしょうが。とにかく、そうであるのならば、今回のこの「物語」についても憎悪について話すことから始めるのがいいでしょうね。

「彼ら/彼女らはなぜ憎悪を抱くに至ったか? もちろん、それは無教徒がテロを行ったからです。無差別なテロを行い、彼ら/彼女らが愛する人々を、両親を、子供を、妻を、夫を、恋人を、友人を、殺したからです。まあ、当然の反応といっていいでしょうね。私だって、お気に入りのペンを折られれば怒るでしょうし、使い勝手のいいカメラを壊されれば腹が立つでしょう。とはいえ、それが必然であることと、それが正当性を持つかどうかということは、全く別の問題です。

「その憎悪、彼ら/彼女らの憎悪に正当性があるのか。もしも、ただただ憎悪を抱いているだけだというのならば、その怒りをもとに世界に影響を及ぼそうとしていないのならば。別に、そんなことを考える必要はありません。こっちに迷惑はかかりませんからね。好きなだけ怒り狂って下さればよろしいわけです。ただ、その憎悪を理由として、何かをしようとするのならば。もちろん、その憎悪の正当性について考えなければいけないわけです。だって、そうでしょう? 何かの行動をして、世界を変えるのであれば。もしもその憎悪が間違っているのであれば、間違った方向に世界を変えていってしまうことになるんですから。

「そうであるにも拘わらず……彼ら/彼女らが、自分達の憎悪が正当なものであるかどうかということを考えたという形跡は、一切ありません。彼ら/彼女らは、まるで、自分達の愛する人々が殺されたから。あるいは、自分達が攻撃を受け、不具の身になったから。それによって、自動的に復讐の権利が付与されたのだとでもいうかのように振る舞ったのです。あのですね、砂流原さん。勘違いして頂きたくはないのですが、私は、実際に無教徒のテロが正しかったとか、実際に彼ら/彼女らの憎悪が不当なものであったとか、そういうことをいいたいわけではないんです。無教徒の方々は……あはは、ああいう方々ですからね。恐らくは、ただただ自分達が楽しむためだけにテロを行ったんでしょう。まあ、アーガミパータにおける人間至上主義勢力の干渉と、それによる内戦の激化に対して抗議する意味で、ああいったテロが起こされた可能性もありますがね。でも、私は、そういうことを言いたいわけではないんです。

「私がいいたいのはね、砂流原さん。人間という種の関係知性が持つ「慣性」についての話なんです。憎悪は力です。その力を加えられることによって関係知性は運動を開始する。そして、その運動は、他のあらゆる運動と同じように慣性を持つんです。慣性である限り、その大きさは質量に依存する。どれだけ多くの人間が、その関係知性の運動に関わってくるか。それによって、その慣性の停止しやすさが変わってくる。

「つまり、今回のようなケース、あまりにも多くの人間があまりにも強い憎悪を抱いたようなケースにおいては、それによって引き起こされる運動は、とてつもなく巨大になってしまうということなんです。一度始まった運動は、限りなく止めることが難しくなり、結果的には非常に極端な行動へと繋がりかねない。非常に極端な暴力へと繋がりかねないんです。そうであるならば、その憎悪が実際の運動を開始させる前には、絶対に冷静でなければいけない。その憎悪がどこまで正しくてどこまで間違っているか。その憎悪を、どこまでならば世界に適用しても構わないのか。それを見定めることは、絶対に必要なんです。

「しかし、彼ら/彼女らは、それを怠った。自分達が何に怒っているのか。そして、その何かは、この世界の中でどんな位置を占めているものなのか。そういうことの全てを、まるで考えることなく、ただただ自分の感情を世界に対して適用することだけを望んだ。その結果として……アーガミパータという土地に武力介入をするということが一体どんなことなのかということさえ考えることなく、その武力介入に対して全面的な賛成をしてしまった。

「あのですね、そもそもの話としてアーガミパータは彼ら/彼女らの土地ではないんですよ? それにも拘わらずその地に軍隊を派遣することが許されると思いますか? 仮にですよ、仮にその地を支配する何者かがテロリストをかくまっていて、そのテロリストが自分達に対して攻撃を仕掛けてくる、そういう証拠があるとします。そうであるとしても自分達のものではない土地に対して攻撃を仕掛けることを正当化することなんて出来ないんですよ。なぜなら、彼ら/彼女らは、外交的な交渉によってテロリストの引き渡しを要求すべきだからです。あるいは、それが嫌だというのならば、テロリストが攻撃を仕掛けてきた時に、そのタイミングで、自国内で、対処すべきだからです。あはは、せっかく警察組織があるんですから。自分の国でテロを防げばいいだけの話なんですよ。

「まあ、テロリストが国外からミサイルを撃ち込んできた場合のような、そういった例外的なケースでどうするかという話はありますがね。そのような話はひとまず置いておくとして……とにかく、それが、普通のことなんです。例えば、一時期のエスカリアはスペキエース・テロリストの巣窟でした。だからといって、どこかの集団が、そのスペキエース・テロリストを排除するために軍隊を派遣しましたか? そんなことをした集団は一つもないでしょう。そうではなく、エスカリア政府との長い長い交渉を行って、徐々に徐々にテロリストに対する支援をやめさせた。もう一度言いますがね、それが普通のことなんです。当該集団が当該テロ組織と同一のものである、あるいはその一部であるという間違いのない証明でもあるならば別ですけれどね、そうでないのならば、何万人が殺されようと、何億人が殺されようと、どうしようもなく馬鹿なことをしていいという言い訳にはならないんです。

「そうであるにも拘わらず、彼ら/彼女らは、憎悪のせいで、冷静になることをしないせいで、そんな普通のことさえ考えに入れることをしなかった。そして、この武力介入が間違っていると考えるどころか……この武力介入を行うことこそが正義だ。自分達の憎悪を達成すること、あらゆる暴力を持って復讐を成し遂げること、それこそが正義だという叫び声とともに、アーガミパータに突っ込んでいったというわけです。

「さて、人間が物語を紡いでいく時に重要なもう一つの要素。それはもちろん感動なわけですが、その感動についても考えていきましょう。感動とは、最も強力な物語の形式であり、そうであるがゆえに、それは人間にとっての唯一の現実になりえる。これは、ぱっと聞いただけでは逆説的に聞こえるかもしれません。けれども、人間にとっての現実というものが、実際のところは「現実」などではなく、自分にとって都合のいい情報の集合体、ある意味ではオーダーメイドの仮想現実のようなものであるということを考えて頂ければ、逆説でもなんでもなく、ただ単純に事実を指摘しているに過ぎないということをご理解頂けるでしょう。

「それでは、アーガミパータへの武力介入を開始するにあたって、彼ら/彼女らが感動したものとは一体何か? いうまでもなく、それは人間至上主義という比類なき思想です。もう少し具体的にいうのであれば、「人間」と呼ばれる自分達の種族が作り上げた、自由・平等・博愛・合理、この世界の絶対的真実、普遍的な善であるところの人間至上主義という思想を、邪悪なる全体主義思想であることの間違いない神国主義が跋扈するアーガミパータで、果敢にも守り続けようとしている、アハム・ジャナスミという高潔なる闘士達に対する感動です。

「アーガミパータへの武力介入に対して反対の意見を表明した方々は、確かにいました。けれども、それは、本当に最初の一時期だけです。そして、そういった人々は、誰かに対しての復讐をするためだけに自分の領域ではない場所に行き、そして争いごとを起こすということに反対したのです。だからこそ、そういった人々でさえも……アーガミパータの状況が、次第次第に明らかになっていくにつれて。その地には、全体主義に立ち向かう自由と民主との闘士達がいるということが、分かっていくにつれて。そして、GLUOが、巧妙にも、これは復讐のための戦争であるというだけではなく、そういった闘士達に救いの手を差し伸べるための戦争、つまり、「人間」のための戦争であるということを吹聴し始めるにつれて。この武力介入が正義のための戦争であるという否定しようのない感覚を抱き始めたわけです。

「しかしですね、ここで重要な点が一つあります。アハム・ジャナスミに関して、それがどういった組織なのか、今までアーガミパータでどのようなことをしてきたのか。私達は、そういったことをほとんど知らなかったのです。それは、別に、何者かが、邪悪な権力者が、そういった事実を隠蔽していたというわけではありません。ただ単に、アハム・ジャナスミについてはなんの記録もなかった。この組織が何をしていたのかということ、それを確実に証明することが出来るものが何もなかった。そのせいで、私達は、何も知ることが出来ないというだけなのです。

「そりゃあ……まあ、そうですよね。アハム・ジャナスミは、別に、私達に対して何かの情報を提供するために内戦をしていたわけではない。そうであるならば、自分達が何をしているのか、そんなことを、例えば映像媒体だの音声媒体だのに記録している余裕なんてないわけです。アハム・ジャナスミは戦争をしているんですよ? 別にジャーナリストでもなんでもないんです。

「そんなわけで、アハム・ジャナスミについて私達に伝わってくることは、アハム・ジャナスミ自身が主張するところの物語、オナン・スーパースター・グプタがいかに英雄的に人間達を救ってきたかということやら、神国主義者の圧政に対して蜂起した人々がどのようにして残酷に虐殺されたのかということやら、あるいは、アハム・ジャナスミが結成されるにあたって五枚のチャパティがいかに感動的な役割を果たしたのかということやら、つまりそういった裏付けも何もない物語でしかなかった。

「もちろん、武力介入の前には……ある程度は、アハム・ジャナスミについての実態が調べられました。何人ものジャーナリスト、商業的なジャーナリストからフルタイム・ジャーナリストまで、様々なジャーナリスト達がアーガミパータに入って、アハム・ジャナスミが何をしているのか、映像媒体や音声媒体によって記録しました。しかし、とはいえ、そういったジャーナリスト達は、アハム・ジャナスミの保護下でジャーナリズム活動を行ったのです。それはまあ、当然といえば当然ですよね。アーガミパータは、今まで、こちら側の世界の人間がほとんど足を踏み入れてこなかった土地です。そうであるのならば、そういった世界に渡りをつけるには、自分達に友好的な何者かに手引きをして貰うしかない。そして、その何者かは、人間至上主義勢力であるところのアハム・ジャナスミしかないわけです。

「ということで、アハム・ジャナスミが主張するところの物語が、今度は映像付きで、音声付きで、こちら側に氾濫することになったわけです。その結果として、新しいことも分かってきました。例えば……アハム・ジャナスミが、ただの人間至上主義勢力ではないということ。各地に存在している様々な人々、神国主義集団に対して、あるいは他のあらゆる全体主義的な集団に対して、その残酷な支配に抵抗する人々――例えば、あはは、各地に散らばって独立不羈を掲げているダコイティとかですね――と手を結んでいるということ。偏狭なイデオロギーに囚われることなく、ただただ、自由と民主とのために戦う、素晴らしく「英雄」的な集団であるということが分かってきたわけです。

「いうまでもなく、それは嘘ではありませんでした。実際に、そういうことをしているという証拠、映像やら音声やらの証拠が、溢れんばかりに、ジャーナリスト達によって記録されてきたわけですからね。ただ、「いっていなかったこと」があるというだけです。そして、その「いっていなかったこと」について、私達が知るすべは存在しなかった。これ以上のことを知りたいのならば。もっともっと深くアーガミパータに手を突っ込まなければいけない。何かを知るのに十分なところまで、アーガミパータの奥地へと足を踏み入れなければいけない。つまり、私達は――それが武力によるものかどうかということは置いておいて――アーガミパータに介入するのかどうかということを、こういった情報だけで決定しなければいけなかった。

「そして、彼ら/彼女らは、その決定を、感動によって行った。こちら側の世界に運ばれてくる物語、その中に登場する英雄達。圧倒的に巨大な全体主義に対して抵抗する不屈のアハム・ジャナスミというイメージに対する感動によって、それを行ったわけです。彼ら/彼女らは、以下のような思考過程を辿ったのでしょう。「目の前に虐げられている人達がいる」。まあ、そうですね、それは間違いがないことです。「そして、その虐げられている人々が、終わることのない戦いを繰り返している」。はいはい、そうですね、その通りです。そこまでは、私も完全に同意します。けどね、ここから先、この後が、問題なんです。つまり、彼ら/彼女らは、こう思ったわけです……「そうであるのならば、そういった英雄達に対して手を差し伸べないことは、勇気という徳に反することだ」。

「いやいやいや、ちょっと待って下さいよ。ちょっと待って下さい。冷静に、冷静になって考えてみて下さい。彼ら/彼女らが……いや、別に私達がという表現を使ってもいいですけど、そういった「英雄達」となんの関わりがあるっていうんですか? あのですね、アハム・ジャナスミの皆さんは、私達にとって、赤の他人なんです。まあ、確かにアハム・ジャナスミの皆さんは人間至上主義者ですし、私達が所属しているところの集団も人間至上主義勢力です。ただ、それだけじゃないですか。あるいはですよ、例えば……アーガミパータという土地が、私達と全く同じ文明圏に所属していて、その土地についてのほとんどのことが分かっているというのならば、まあ、それならば、こういった考えも分からなくもないです。けれども、そういうわけでもない。

「仮にですよ、仮に、アハム・ジャナスミが残虐非道な全体主義体制、人間を奴隷としか思っていない神国主義者達によって、まるで優雅で貴族的な狩りの遊びのようにして次々に殺されているとしましょう。それが私達になんの関わりがあるっていうんですか? それは、明らかに、アハム・ジャナスミと神国主義との問題じゃないですか。対立する二つの集団の問題は、対立する二つの集団に任せればいいことでしょう?

「いや、そりゃあね、神国主義が絶対的な悪であり、アハム・ジャナスミが絶対的な善であるという、何かしらの証拠があるというのなら分かりますよ。そうであるならば、まあ、絶対的な悪ですからね。あはは、打倒してもなんの問題もないでしょう。けれども、そんな証拠は一つもないわけですし、第一、たかが人間がどうやって絶対的な悪と絶対的な善とを決定出来るっていうんですか? そうであるにも拘わらず、それが善であるのか悪であるのか、それともその中間のどこかしらに位置するのか、それさえも分からない「英雄」に対して、百パーセントの支持を表明するのだとすれば。それは勇気ではありませんよ。愚昧です。

「いやね、私だって、アハム・ジャナスミを見捨てろと言っているわけではありませんよ。まあ、アハム・ジャナスミが絶対的な善であるという可能性が、一片たりとも存在しないというわけではないですからね。あるいは、その理想のために、武力による介入を行って、罪なき人々までも殺すに足るほどの善である可能性が。だから、アハム・ジャナスミを支援したいとおっしゃるのであれば、それはそれで構わないんです。

「しかしですね、アハム・ジャナスミが支援するべき相手なのか、それとも、そんなことはないのか。それはまだ分からないことであるわけです。そうであるのならば、その確信を得るまでは動くべきではない。アーガミパータに対して、武力ではないところの介入、外交的な介入を行って、深く深くまで入り込んでいく。この時点で、きっと後戻りは出来なくなってしまうでしょうが、それも仕方がないでしょう。とにもかくにも、そうして、各集団との外交関係を確立して――神国主義の集団としっかりとした信頼関係を築くのはとてもとても難しいことでしょうが――それぞれの言い分をしっかりと聞いて。そして、それから判断する。それが筋ってもんじゃないですか?

「そうであるにも拘わらず、彼ら/彼女らは、そうしようとしなかった。そうしようとさえしなかった。なぜか? それは、まさに、今、人間が死んでいたからです。アーガミパータにおいて、神国主義、全体主義に違いのないその思想に対して、勇敢なる戦いを挑んでいる人間達が、無残に、無慈悲に、惨たらしく、殺されていたからです。はい、はい、そうです、その通りです。それは、確かに真実でした。アハム・ジャナスミは、あるいはその他の弱小集団は、巨大になった神国主義ゲリラ――それは、今の世界では、神閥と呼ばれるようになった集団のことですが――によって、攻撃を仕掛けられていました。そして、神閥の支配下に入るか、あるいは叩き潰されるか。その二択を迫られているような場合が多かった。まあ、必ずしもそういう二択ばかりではなく、第三の選択肢である共存の道を探し出そうとする人々もいないわけではなかったのですが……まあ、そうですね、少なくとも、アハム・ジャナスミはそういう選択肢は採らなかった。

「だから、アハム・ジャナスミは、殺されていた。そして、あちら側の世界からこちら側の世界に送られてくる「物語」によれば、アハム・ジャナスミは――私達の同胞であるところの人間、自由と民主との最後の灯は――今にも全滅しそうなところ、破滅の瀬戸際まで追い詰められているところだということだった。アハム・ジャナスミには時間がなかった。そう、彼ら/彼女らにはぐずぐずしている暇なんてなかったんです。ぐずぐずと外交関係を結び、ぐずぐずと信頼関係を築いて、ぐずぐずと、様々な当事者の主張を聞いている暇なんてなかった。

「第一ですよ、第一、全体主義者であるはずの何者か……いえ、もう全体主義者と言い切ってしまって構わないでしょう。少なくとも、彼ら/彼女らの視点から見れば、神国主義者というものは間違いなく全体主義者なんですから。それは確かに、休戦協定の影響で、神国主義者というものは、こちら側の世界では、トラヴィール教徒のようなもの……つまり、何かしら不可知な絶対的存在に対して信仰を捧げる宗教的な集団であると考えられてはいましたが。とはいえ、集団の全体によって承認されたところのイデオロギーを絶対視し、それに反対する個人に対して抑圧を与えるところの権力機構であるということは、間違いのないことなのです。

「そんな全体主義者であるところの何者かに、果たして聞くべき言い分があるとでもいうのでしょうか? そんなわけがありません、いわゆる神閥と呼ばれるような集団に、一片の正当性もあるわけがない。神閥は、人間の自由な行動を、人間の自由な思想を、徹底的に弾圧して。そして、人間が人間のために行おうとする全ての行動を否定する。そんな存在なのですから。

「そうであるとするならば……ここで立ち止まるということは、賢明なことであるはずがありません。それは賢明を装った臆病、本当に行動するべき時に行動することが出来ない役立たずの振る舞いに過ぎないのです。現に、人が、死んでいる。そして、彼ら/彼女らは、それを、止めることが出来る。そうであるのならば、そうしないということは、既に、罪なのです。

「と、まあ、彼ら/彼女らは、つまり、「卓越」した方々は。このようにして、アーガミパータに対する武力介入を正当化するための「物語」を作ったということなんです。あはは、まあ、なんというか……その通りとしか言いようがないですよね。その通りです、その通りです、人間が死ぬということに対して、惨たらしく殺されるということに対して、それが良くないことだと無前提に決定する立場からすれば、まあ、彼ら/彼女らの作った物語は絶対的に正しいと言わざるを得ない。

「けれども、ここで問題なのはですね、本当に、人が死ぬということがいけないことなのかということなんです。というか、こちら側の世界の住人がアーガミパータに武力介入するということと、アハム・ジャナスミが全滅するということと、どちらがより一層「正しさ」とは離れたところにある現象なのか。それを考えなければいけなかったということなんです。何度も何度も申し上げているように、アーガミパータは、こちら側の世界とは全く別の世界、全く別の価値観のもとにある世界なんです。例えばエスペラント・ウニートがポンティフェックス・ユニットに派兵するとか、あるいはエスカリアがワトンゴラに派兵するとか、そういったこととはわけが違うんですよ。もっともっと、物事を真剣に考えなければいけなかったはずなんです。けれど、それを、しなかった。

「なぜか分かりますか? それは、物語の方法ではないからです。感動を前提として、英雄達によって動かされるところの、物語の方法ではないから。物語という構造の最も重要な点はね、砂流原さん、結局のところ、理解可能性によって保障されているという点に尽きるんですよ。その世界からは完全に無駄が排除されている。言語によって解釈することの出来ない、物理的な意味でのWeirdのようなもの、人間の感情と繋がることの出来ない、快楽の面で破綻した現象は、そこには一切含まれていない。要するに、面白くないものは物語から追放されてしまうんです。

「いいですか、砂流原さん。ちょっと前に、私は、この世界が物語ではないと申し上げましたよね? それは別に、まるでなんの理由もなく、ただただ感覚的にそう言ったというわけではないんです。例えばですよ、例えば。この世界が物語だとすれば、私が、これほど長く、これほど退屈なことを喋ることが許されると思いますか? あはは、砂流原さん、砂流原さん、断言してもいいですがね、そんなことはあり得ないですよ。これが物語だとすればそんなことは絶対にあり得ない。もしもこれが物語であるならば、私は、砂流原さんに対して、二言か三言か気の利いたことを言うだけで終わっていたでしょう。たぶん、どうとでも受け取れるような、非常に印象的な警句を吐いて、それでお終い。なぜなら、私が……私が今まで話してきたようなことは、読者にとっては、拷問のようにクソ面白くもないことだからです。もちろん、私にとってはそうではありませんよ。そして、砂流原さんにとっても……あはは、違うものであると、私は信じていますけれどね。なぜなら、それは、私と砂流原さんとにとって、これは現実だからです。私と砂流原さんとにとって、この会話は、切実性を有する現実であるからです。

「これが物語というものの本質なんです。つまりね、それはあまりにも他人事なんですよ。人間という生き物は素晴らしく感動的な物語を読んだ時に必ずこう思います、「これは私自身の物語だ」。けれどもね、砂流原さん。それが、その人間、その読者の物語であったことなんて一回もなかったんです。それは、その読者の物語であったわけではない。その読者にとって「都合のいい」物語であったに過ぎない。そして、読者は、その読者にとって「都合の悪い」物語なんて、絶対に読まない。面白くないですからね。物語というものの本質的な問題はここにある。

「少しだけ言い方を変えるならば、物語を貫いているのはたった一つの原理だということです。それは単純な原理であって……とはいえ、その単純さというのは、善と悪との対立であるとか、全肯定の定理であるとか、読む側を安心させる内容とか、そういった単純さではない。もっともっと根源的な単純さです。それは、自分が絶対的に正しいと信じ切っているものの単純さ、貫徹する論理という単純さです。

「これだと……あはは、ちょっと分かりにくいかもしれませんね。えーと、なんて言えばいいのかな……それは、作者がかくあるべきだと思っている世界であるという単純さでさえないんです。なぜなら、作者は、かくあるべきだという事柄以外の事柄さえも、物語の世界に盛り込むことが出来るから。それに、第一、その物語を作ったのが一人の作者であるとも限りませんしね。何人も何人もの作者が関わっている物語であるのならば、そこにはきっと多様な価値観が含まれることでしょう。しかしながら、それでも、物語の原理は、単純なんです。それはね、砂流原さん。つまり、要するに、主人公の単純さなんです。

「この世界には、選ばれた存在があり、選ばれていない存在がある。そして、選ばれた存在が物語に記載されて、選ばれていない存在は物語に記載されない。これなんですよ。この基本的認識が、物語の原理なんです。これはですね、「選ばれたものが正しい」とか、そういうことを意味しているわけではありません。例えば、今まで選ばれていなかった存在、神々に対する人間だとか、主人に対する奴隷だとか、そういう対立の中での人間や奴隷や、そういった存在に対して「こういった弱者は、今まで選ばれてこなかった」「だから、これからは、こういった弱者にも光を当てよう」「そして、こういった弱者をも、物語に含めよう」。これもまた、単純さの露呈に過ぎないんです。なぜなら、ここには、やはり物語の原理である「選択」が働いているから。

「この視点からは、選ばれていない存在の姿は、これっぽっちも見えません。これっぽっちもです。当然ですよね、そもそも選ばれなければ物語に書かれることもないんですから。例えば、この世界が物語だったとすれば、そして、砂流原さんが選ばれた存在だとすれば……あはは、先ほども申し上げましたけど、さっきからのこの会話における私のセリフは全面的にカットされていたでしょうね。まあ、それはいいとして……それに、そうですね、私と砂流原さんとがウーパリーパタラを観光していたシーンも、ばっさりと削ぎ落されていたでしょう。別に、鉱山を見て回っているだけのシーンなんかに面白さはないですからね。

「しかしですよ、そこをカットしてしまったのならば。いわゆる神国主義の下で人々がどう生活しているのか、それが全く分からないわけです。当然ですよね、カットされたということは書かれていないわけですから。まあ、ちょっとした解説として、色々な生物がどう共存しているのか、そのことを、退屈しない範囲でまとめたりはするかもしれませんけどね。その程度で、果たして、私達は、神国主義に対して、本当の理解が出来ると思いますか? 私達のような不完全な知性しか持たない生き物が、退屈しない程度の理解、面白いと思える程度の理解で、十分だと思いますか? その程度の理解で、私達が、本当の意味で分かり合うことが出来ると?

「それにですよ、神国主義のもとで生活する人々を見て、砂流原さんがどう思ったのか。それもほとんど分からない。そういった人々を見る前にどう思っていたのか、そういった人々を見た後にどう思ったのか、それくらいは書かれるかもしれません。しかも、地の文でちょっと触れるくらいか、あるいはセリフで匂わせる程度のやり方でね。しかし、例えば、砂流原さんが、エスペラント・ウニートの労働者の生活とウーパリーパタラの労働者の生活とを比べて、一体どんなことを考えたのか。そして、砂流原さんの考えがどのように変わっていったのか――あはは、少しくらいは考えをお変えになりましたよね――そういったことは、一切分からない。これからの砂流原さんの行動は、そういった思考・そういった変化の延長線上にあるにも関わらずです。これから砂流原さんが、何かとても重大なことをしたとして。これがもしも物語であるのならば、それがなぜなのかということは、なんとなくしか分からない、あるいは、全然分からないということもあり得るんです。

「そう、物語の原理に従えば、この世界は選ばれた存在のものなんです。もちろん、その反対も正しいことです。この世界は選ばれていない存在のものではない。そして、彼ら/彼女らは――つまり「卓越」した方々は――当然のごとく、選ばれた存在なんです。そして、これが、このアーガミパータにおける全ての悲劇の根源的な原因なんです。

「「卓越」した方々は――もちろん、いわゆるエリートだけを指す言葉ではなく、全てのエリート、全ての大衆、全ての人間至上主義者を指す言葉としてこれを使っているわけですが――自分が選ばれた存在であるということを、絶対的に信じ込んでいる。いや、信じるという言葉さえも生易しいですね。彼ら/彼女らにとって、それは前提条件でしかないんです。誰も、自分の心臓が鼓動を打っていることを気にしないように。彼ら/彼女らは、自分達が選ばれた存在であるということを気にしないんです。もちろん、彼ら/彼女らのことを選んだのは、実のところ、他ならぬ彼ら/彼女ら自身でしかないわけですが、そのことは彼ら/彼女らにとっては大した問題ではない。

「そして、選ばれていない存在、つまり、彼ら/彼女らの目に入らない生物・事象に関しては、完全に無視している。そのことについて知ってはいながら考えに入れなかっただとか、都合が悪いから除外していたとか、そういったレベルではないんです。そもそも、彼ら/彼女らにとって、選ばれていない何かを物語の構造に含めるということは、原理的に間違っていることなんです。それは論理や倫理や、「正しさ」といった問題ではない。生物学的・物理学的な問題なんです。つまり、心臓の鼓動を止めれば死んでしまうのと同じこと。それと全く同じように、選ばれていない何かを物語の構造に含めてしまえば、彼ら/彼女らの物語自体が死んでしまう。だから、そんなことは出来ない。

「だから、だからこそ、彼ら/彼女らは、アーガミパータへの武力介入に全面的に賛成したわけです。自分達の物語を殺さないために。自分達の卓越性を信じ続けるために。自分が、この世界の、主人公であるために。そう、彼ら/彼女らはこの世界の主人公だったんです。いや、この世界の主人公でなければならなかった。人間の自由、人間の民主、そういった彼ら/彼女らにとっての栄光を、それを害する何者かから守護するところの、「英雄」でなければならなかった。だからこそ、彼ら/彼女らは、アハム・ジャナスミと同盟を結んで、アーガミパータに死と破滅とをもたらしに行かなければならなかった……まあ、もともとここにあった死と破滅とに比べれば、さほど大した死と破滅とってわけでもないですけどね。

「さてと。

「これで。

「なぜ、アーガミパータへの、武力介入が、始まったのか。

「そのアウトライン程度は描けたのではないかと思います。

「それでは。

「次の段階に。

「参りましょう。」

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