第二部プルガトリオ #24

 真昼は。

 そう言うと。

 口を閉じた。

 一つだけ、言っておかなければならないことがある。それは、砂流原真昼という生き物が、この世界で生きてきた中で、生きている中で、生きていく中で。今というこの瞬間が最も光り輝いている瞬間だということだ。

 真昼は……今、この瞬間に、全てが見えていた。自分という存在の、全ての意味が。今までしてきたこと、どうして自分が砂流原という名前を背負って生まれたのか、そして、一体どういう風に生きていけばいいのか。

 自分という存在に関するあらゆる事物が一本の線となって繋がり、そして自分の進むべき道を指しているという、恐ろしいほどの多幸感。それこそが、今、真昼の体を満たしている感覚であった。そう、今の真昼は何もかも肯定することが出来た。この世界のことも、自分自身のことも。そして、砂流原という名前さえも肯定出来るような気がしていた。

 なぜなら……真昼は、砂流原真昼として生まれてきたからこそ、この場所に辿り着くことが出来たからだ。砂流原真昼として生まれてきたからこそ、真昼は、運命というものを見つけることが出来た。世界中の暴力を受けている人々、世界中の搾取されている人々、そういった人々のことを知って、そういった人々のことを、救おうと思うことが出来たのだ。

 いってしまえば、真昼は、完全だった。なぜなら、真昼は、自分だけではなく、他人をも肯定出来たからだ。今、口にした言葉の中で。真昼は……マコトさえも肯定してみせたのだ。マコトの話したこと、その中にある「正しさ」について、それを否定するのではなく、それを肯定して、そうしてその上に自分の論を組み立てることが出来た。これこそが議論のあるべき道、そうあるべき議論の方法であった。

 真昼は、今。

 完全だった。

 完全に、光の中にいた。

 それでは。

 そんな真昼の。

 正当な主張に。

 マコトは。

 どうやって。

 反論するのか?

 もちろん、当然ながら、いうまでもなく……マコトが反論などするわけがなかった。なぜなら、真昼の主張が正しいものであるということ、マコトの話した口から出まかせを踏み台にして、その上にある、より高い場所にまで辿り着いたのだということを、マコトは十分に承知していたからだ。

 確かにそれは絶対的な「正しさ」というわけではない。あらゆる「正しさ」は状況によって変化していくものであるし、それに、今の時点における「正しさ」という側面に限ったとしても、真昼の主張はあまりにも稚拙であって、未だに人生経験が少ない者に特有の未熟な部分も多かったからだ。

 弱点はある。間違ったところもある。そして、マコトほど世知に長けた人間であれば――それは賢明という意味ではなく狡猾という意味だが――それを指摘するということは、非常に容易なことだ。だが、重要なことは、そんなことではない。そういった些細な問題点は、何一つとして、本質的な弱点ではない。

 なぜなら、真昼の主張は、その大筋として「正しさ」を有していたからだ。そして、そういう「正しさ」の方向を、真昼がしっかりと見定めているからだ。これから、マコトが、どんなに反論をしようとも。真昼にとってはなんの問題にもならないだろう。真昼は、そういった反論の全てを取り入れて、より一層正しくなっていくだけだ。マコトは、そういうことを、よくよく理解していた。

 というか、本来であれば、二人はもう争う必要などないのだ。確かに、真昼は、マコトの主張の一部分を否定しはしたが……それでもそこに「正しさ」があるということを認めた。そして、その「正しさ」を自分の主張の中に組み込んだのだ。

 これによって、今なされている議論は新たな段階へと進むことが出来るようになったのである。つまり、真昼がマコトを認めたのならば、マコトも真昼のことを認める。マコトは、今度は、真昼の主張の中の間違った部分「だけ」を訂正して、それをより「正しさ」に近いものへと導いていく。

 互いが互いの「正しさ」を認め合って、協力して進んでいく。そう、この議論は既に「闘争」から「協力」へと進むべき段階へときているのだ。そうだとすれば……もしも、これからマコトが反論するならば。その全ての反論は「協力」のためのもの、真昼を導くためのものとなるに違いない。

 だからこそ……マコトが反論などするわけがなかった。これまで何度も何度も書いてきたことであるが、マコトにとって、「正しさ」なんていうものはどうでもいいことなのだ。そんなものは、所詮、不完全な生命体であるところの人間が、この世界を生きやすくするために恣意的に定めた記号の集合体に過ぎない。マコトにとって、議論というものは、「正しさ」に到達するための手段ではなかった。というか、マコトがしている議論のようなものは、そもそも議論ではないのだ。それは――これも何度も何度も書いてきていることだが――ゲームだ。相手のことをどうやって叩き潰すか。そして、そうやって相手の「正しさ」を粉々に打ち砕くことによって、どうやって自分が一時の快感を得るか。そのためだけに行われるところのゲームなのだ。ちょっとした戯れ、気の利いた暇潰し、そういったたぐいの何か。

 そう、マコトは反論しない。それでは反論せずに一体どうやって真昼に「勝利」するつもりなのか? ここでいう「勝利」とは、真昼にとっての「勝利」とは違い、まさに語の意味そのものでの「勝利」を指しているのだが。それはともかくとして、マコトはどうやって真昼の「正しさ」を失墜させ、それによって、真昼の中にあるたった一つの光を、下らない冗談のようにして握り潰してしまうつもりなのか?

 とても簡単なことだ。議論をずらせばいいのである。真昼が進み始めた「正しさ」の方向から、議論の方向自体をずらしてしまう。真昼の主張の全体的な「正しさ」を議論の俎上から取り払って、その中にある、細かい細かい間違いだけを、異様なまでに拡大して取り上げるという方法。つまり、真昼の「正しさ」に反するところの具体例、とはいえ実際のところは特殊な例でしかない具体例……あるいは、いくらでも修正することが出来る程度の具体例を挙げて、それをもってして、真昼の主張する全てが間違っていると決めつける。そういう方法だ。

 そう。

 マコトは分かっている。

 どうすれば「正しさ」を。

 価値のないものであると。

 見せかけることが出来るかを。

「なるほど、なるほど。」

 そして。

 「正しさ」に向かっていたはずの人間を。

 どうすれば転向させることが出来るのか。

 その方法を。

「砂流原さんのおっしゃりたいことは、よく分かりました。」

 だから。

 へらへらと笑いながら。

 また。

 マコトは。

 口を開く。

「あはは、えーとですね、正しいです。砂流原さん、あなたは正しい。百パーセント正しい。私はあなたのおっしゃったことの全てを肯定しますし、それが間違いなく世界のあるべき姿であるということに対して、全く反対しません。ああ! 世界がそのようにあることが出来るのならば、それはどんなにいいことでしょうか! 実際のところ、私は祈りを捧げさえするでしょう。砂流原さんのおっしゃったことが、実際にそうでありますようにと。この世界の全てのことが、砂流原さんのおっしゃった通りでありますようにと。そのように、祈りを捧げさえするでしょう。

「ただ、まあ、祈りは祈りに過ぎないんですよ。あはは、残念なことにね。世界というものはかくあるべき姿で存在しているわけではないし、それだけではなく、かくあるべき姿になることが出来るという可能性さえも有していない。つまりですね、私が何を言いたいのかといえば、そんなことは出来ないということです。世界というものは、砂流原さんの思い描いたほど、美しいものであることは出来ない。それはこの世界にはなり得ないし、この世界はそれにはなり得ないんです。

「根本的な問題点は、砂流原さんのおっしゃったような生き方を出来るほど、絶対的な強さと絶対的な賢さとを持ち合わせた、絶対的に正しい人間というものが、ほとんどいないということです。弱者の中においてごくごく稀にしかいないということはもちろんですけれど、強者の中にも少数しかいない。その結果として、そういう風に絶対的な正しさを持つ人間達は、その正しさを現実化させられないんです。なぜなら、洗脳だの強制だのという方法を使わない限り、愚かな人間は愚かなままであるし、愚かな人間は、絶対的な正しさを持つ人間にはなれないから。そして、人間の大多数が愚かであるならば、この世界に絶対的な正しさは具現化され得ない。

「そうであるならば、ね、砂流原さん。出来ないことは理想にすべきではないんですよ。なぜならば、不可能を理想にしてしまえば、その理想を中心として一つの永久機関が出来上がってしまうからです。その理想を動力源として、その理想のもとに、全ての人間を押し潰してしまうところの、巨大で、無慈悲で、破滅的で、それでいて無定形のinstitution。つまりですね、その理想は、最終的には、自分達が不完全であることの体のいい言い訳になってしまうんです。

「色々と方法はありますけれどね、例えば、世界がその理想通りにならないのは何々が存在しているせいだといって、その何々に暴力を振るうための言い訳にする。あるいは、絶対にそうなりえない理想であるにも拘わらず、理想通りにいかないのは、何々の努力が足りないからだといって、何々から搾取するための言い訳にする。砂流原さんは、おっしゃいましたね? 「感動と憎悪と」を正しく使っていくことで、間違った「感動と憎悪と」を自分の中から一つ一つ排除していくことで、本当に正しいところの「正しさ」の方向を見つけることが出来るって。「正しさ」によって弱者の幸福を否定することなく、自分勝手な暴力を、自分勝手な搾取を、この世界からなくしていくことが出来るって。

「でもね、無理なんです。というか、無理だったんです。砂流原さん、今まで、この世界に、何人の人間が生まれてきて何人の人間が死んでいったと思いますか? 今まで、この世界で、どれだけの人間が「正しさ」について考えていったと、どれだけの人間がそうして考えたところの「正しさ」を実行に移していこうとしたと思いますか? もっとはっきりと言ってしまえば、ね、砂流原さん。あなたが今おっしゃったような「正しさ」を、この世界の誰一人として考え付かず、この世界の誰一人として実行に移そうとしなかったと、そうお考えになりますか?

「結局のところ、これが結論なんですよ。結論であり結果であり証明なんです。今、砂流原さんの目の前に広がっている世界こそが、「感動と憎悪と」がどんな世界を作り出したのかという結果であり、「感動と憎悪と」によって世界がどういう方向に動いていったのかということの証明なんです。砂流原さん、あなたはおっしゃいましたよね? 私の言ったことは机上の空論に過ぎないって。その言葉は、半分だけ正しくて、半分だけ間違っている。正しい方の半分は、私がどういう世界が理想的かと言ったこと、そのことについて、そういう世界が理想的かどうかということの証明は出来ないというところです。確かにそれは不可能ですね、この世界は未だかつて私の言ったようになったことはないんですから。間違っている方の半分というのは……言わなくてもお分かりになりますね。確かに、私の理想は机上の空論です。しかし、「感動と憎悪と」が結果的に暴力を導くということ、結果的に搾取を導くということに関しては、机上の空論どころか、紛れもない事実なんです。

「とはいえ、もう少し具体的に話した方がいいでしょうね。感動と憎悪とが、どのようにしてこの世界を作り上げたのか。どのようにして、砂流原さんのおっしゃったような理想は、それとは全く別のものになってしまったのか。そうでないと、砂流原さんも納得出来ないでしょう。

「ああーっと、どのケースを例として挙げるべきでしょうかね。私が実際に関わったことがある事件だけを考えてみても、非常に示唆に富んだ悲劇的な事件が、色々とあるんですけれど……ああ、そうだそうだ! アヴィアダヴ・コンダ! 砂流原さんは、あそこで頑張っていたダコイティの方々が駆逐された時に、その現場にいらっしゃったんですよね。じゃあ、あそこの話をしていくことにしましょう。あそこの方々が、どうして悲劇的な結末を迎えなければいけなかったのか。その必然性に、どのようにして「感動と憎悪と」が関わっていたのか。砂流原さんが実際にご経験されたことに絡めてお話しした方が、きっと、より一層のこと理解しやすいでしょうからね。

「そもそも――砂流原さんのような方ならば、恐らくご存じのことと思いますが――アーガミパータという土地は、第二次神人間大戦後の人間至上主義社会、いわゆる「人間秩序」の中には含まれていない土地だったんです。なぜそういった状態になったのかといえば、それには神々の陣営と人間の陣営との間に結ばれた休戦協定と、アーガミパータという土地の特殊性が関係していました。まず、休戦協定に関していえば、その内容は、多少不正確であっても一言でまとめるとするのならば、マホウ界のもの全てを神々のものとし、ナシマホウ界のもの全てを人間のものとする。そして、互いに、相手が支配する領域に干渉はしない。そういう内容でした。まあ、もちろん、月光国だとかアフランシだとか、そういった例外を除いてってことですが。その一方で、アーガミパータは……砂流原さんは、もう重々ご承知のことと思いますけれど、マホウ界とナシマホウ界とが複雑に入り混じった土地です。そのため、この土地は、休戦協定で定義されている、神々の支配領域にも人間の支配領域にもならなかったんです。

「もちろん、これは、休戦協定の締結に関わった方々が、アーガミパータについてすっかり忘れていたからこうなったというわけではありません。それどころか、アーガミパータ――あと、まあ、水鬼角もですけれど――についてどう扱うかということが休戦協定の中に一言も触れられていないのは。意図的に、そのように合意がなされたことなんです。なぜなら、当時は、神々の陣営としても人間の陣営としても、とにかく早く休戦協定を結びたかったから。アーガミパータについてどう扱うかということを時間を掛けて話し合っている暇などなかったからです。

「砂流原さんもご存じのことと思いますが、第二次神人間大戦という戦争は、その戦争において人間側の陣営を率いていたカリスマ的指導者の一人であるところの猿寨村が暗殺された直後の一瞬に、いわば虚を突くようにして結ばれた協定です。第二次神人間大戦は、別名で百年戦争といわれているように、百年以上続いた戦争でした。まあ、大衆の側としては、次々と死んで次々と生まれてくるわけですからね。常に全ての物事が新鮮といいますか、常にやる気満々といいますか、とにかく相手を完膚なきまでに叩き潰すまでは絶対に戦争をやめないぞとでもいわんばかりのテンションでいたわけですが。ただ、その大衆を率いている指導者の側としては、もううんざりしていたわけです。指導者の側は、そうそう簡単に首がすげ変わるものではないですからね。その中には百年間ずっと指導していた方々もいたわけで、さすがに、百年間も殺したり殺されたりすることに、嫌気がさしていた。

「ただ、とはいえ、どんな集団であっても――仮に当該集団が全体主義的集団であったとしても――その集団の構成員の全体的信任がない限りは、その方向性を決定することなど出来ません。指導者達がどんなに平和を望んでいたとしても、その構成員が、更なる肉が引き裂かれることを、更なる骨が打ち砕かれることを、そして、更なる血が戦場にぶちまけられることを望む限りは、戦争をやめることなんて出来ないんです。そして、その当時、大衆は戦争を望んでいました。より具体的にいえば、大衆は、自らの所属する集団が勝利し、敵の集団が敗北するまでは、戦争の終結を許さなかったというわけです。

「このどうしようもない状況を打破したのが、例の暗殺事件だったというわけですね。この暗殺は……あはは、カズラギノヒトコトヌシさんがアンジェリカ・ベイン猊下を雇ってスペル・バレットを撃ち込ませたなんていう話もありますが、それくらい世界にとって重要な事件でした。そもそも猿寨村という方は、人間側の陣営の中でも好戦派も好戦派、神々を皆殺しにするまでは絶対に戦争をやめないという思想の持ち主でしたからね。いわば、戦争継続派の親玉みたいな方でした。そんな方が暗殺されたということで、戦争継続派の内部で一時的な混乱が起こった。その混乱した状況を狙って反戦論者の方々が大きく動いたというわけです。

「幸いなことに、大衆の方も、カリスマ的指導者が殺されたということで、これからどんなことが起こるのかという一種の恐慌状態に陥っていた。戦争に対する恐怖さえ感じ始めていた。休戦を開始するにはうってつけの状況だったというわけです。しかしながら、とはいっても……休戦に関する交渉をあまりにも長く続けていたら、状況はどう転ぶか分からない。大衆というものはとかく暴力的な解決方法を嗜好する傾向がありますからね。休戦に関する交渉が進まないのは相手のせい、つまり神々のせいだと思い込んで、神々がそんなに休戦をしたくないというのならば、いいだろう、戦争を続けようじゃないかと、そういう方向に、いつ傾いてしまってもおかしくない。

「そして、アーガミパータについての問題は……非常に、非常に、難しい問題だった。この土地は、マホウ界に属するのか、それともナシマホウ界に属するのか? あるいは、どこまでがマホウ界に属する土地であって、どこまでがナシマホウ界に属する土地であるのか? そういったことを、休戦協定に含めることが出来るようになるまでしっかりと決定することなんて、ほとんど不可能に等しいことでした。それに、第一……神々の陣営としても、人間の陣営としても、この土地にはあまり手出しをしたくなかった。あはは、ここは、なんというか、本当に、神々の時代からこんな感じだったらしいですからね。ゼニグ族とヨガシュ族との争いはもちろん、無教の問題にアイレム教の問題に、それに、ヴェケボサン関係でも一筋縄ではいきません。まあ、建前上は、ヴェケボサンはこちら側に入ってこられないことになっていますが……あはは、まあ、あくまでも建前ですからね。

「そんな厄介な土地のために、休戦協定を台無しにしてしまうわけにはいかない。そういうわけで、休戦の交渉をするにあたって、アーガミパータについてはわざと触れないことにした。結果として、出来上がった休戦協定の中にも、アーガミパータに関する規定が含まれることなく……こうして、この土地は、神々のものでもなく人間のものでもない、支配する者が誰もいない土地になったというわけです。

「そんな状況が変わるきっかけとなったのが、第二次神人間大戦の終結から十八年後、ベルヴィル記念暦でいえば九百十九年から開始された、ヴァーマーチャーラ・マンダラによる世界的な連続テロ事件ですね。それが始まったのは今から五十年以上昔のことではありますが、戦後における最も重要な事件の一つとして歴史の授業でも習うはずなので、砂流原さんもご存じでしょう。

「ヴァーマーチャーラ・マンダラ、一般的には左道曼荼羅として有名ですが、これは無教徒によって作られたテロ組織です。この組織が、世界中の様々な場所を狙って、魔力による大事件を引き起こした。例えばエスペラント・ウニートのエクセルシオールで大規模な魔力暴走を起こしたり、パンピュリア共和国のベッドストリートにブービー・アサッシンを送り込んで上流階級の人間達に対する連続殺人事件を起こしたり。あるは、月光国における神の殺害事件、愛国におけるホームグロウン・テロリスト育成事件など、ほとんど無差別に、恐怖を煽ることだけが目的としか思えないような形で、次々と事件を引き起こしていった。

「無教、ジャーンバヴァ語でいえばナースティカ。このナースティカというのは、共通語で「信じるもの」を意味する「astika」に「N」の音をつけた単語です。まあ、「Nを信じるもの」というふうに翻訳することも出来ますがね、それだと何が何だか分からないので、ごくごく普通に、この「N」を否定形として取るのがいいでしょう。つまり「何も信じないもの」、虚無論者という意味です。それゆえに、共通語においては無教と訳されているんですがね。とにかく、無教の信仰は、私達のように無教徒ではない生き物達からは、虚無への信仰として受け取られているということです。

「とはいえ、実際の話としては、私達は、無教徒がどのような信仰を持っているのかということがよく分からないのです。それは、無教徒が自分達の信仰をひた隠しにしているということを意味しているわけではありません。むしろ、彼ら/彼女らは、その信仰を声高に叫んでいる。個人個人が持つ無教徒としてのプラクシスとレクシスとを剥き出しにしている。問題なのは……それらの信仰の形が、あまりにも多様な方法で行われているということです。例えば道徳否定論であったり、例えば唯物論であったり、例えば運命決定論であったり、例えば快楽至上論であったり、例えば不可知論であったり。それどころか、絶対的不殺傷を説く者もいれば、道徳的な隣人愛を説く者さえいる。

「そもそも無教徒には根本聖典のようなものがない。全ての無教徒が術遍く服するところの、一つの信仰の体系というものが存在していないのです。それでも、敢えて無教徒の信仰を一言で表すとするのであれば……「幸せになるためにはあらゆる方法が許容される」というところでしょうか。この世界がいかにして存在し始めたか、いかにして存在しているのか、いかにして存在を終わるのか。あるいは自分自身というものが本当に存在しているのか。無限とはいかなる概念なのか、死とはいかなる概念なのか。生きるということになんの意味があるのか。そういったこと、いわゆる形而上学的な疑問には、無教徒は一切価値を置きません。まるで興味がない。そうではなく、無教徒が最も重視することとは、いかにして「幸せ」になるかということ。あるいは、自分にとって「幸せ」とは一体なんなのかということ。

「従って、無教徒は、個人個人によって、信仰の形が全く変わってくるというわけです。自分にとっての「幸せ」が何かということを見定めて、どうすればその「幸せ」に至ることが出来るのか、それを如何様にして実行するのかということによって、見た目上、どのような信仰を持っているのかということが、全く変わってきてしまうんですね。しかしながら……全ての無教徒は、「幸せ」という一点において、自分達が無教徒として同一の存在なのだという認識を持っている。

「ああ、だから……先ほど私が無教徒について申し上げたことの中には一つ誤りが含まれていましたね、無教徒であっても、形而上学的な疑問を追求する場合があります。ただ、それは、その無教徒がそのような追及それ自体を「幸せ」だと思っている場合です。つまり、形而上学的な疑問が問題なのではなく、それが導くところの「幸せ」こそが無教徒の目的だということです。

「無教がいつ始まったのかということ、無教がどこで始まったのかということは、はっきりとは分かっていません。色々な説がありましてね。例えばとある説によれば始まったのは神話時代だということです。ただし、この神話時代に始まったという説についても、どこで誰が始めたのかということについては二つの説があります。一つ目が、アビラティ諸島でアクショードゥフカという何者かが始めたという説。二つ目が、スカハティ山脈でアミターシタという何者かが始めたという説。あるいは……神話時代よりももっともっと昔、この星が生まれるよりも前に、宇宙のどこかでヴァルナメダーという何者かが始めた、なんていう突拍子もない説もあります。いや、いや、突拍子もないといえばこちらの方が面白いかな? この説によれば、遠い遠い未来において、マイトレーヤという何者かが始めたのだそうです。この無教という教えは絶対的な真実であるために、それが遥か未来において始まったものであるにも拘わらず、その福音は、時空のあらゆる地点に遍く響き渡ったのだそうです。あはは、どうも宗教というものは大袈裟で困りますね……例え、それが真実だとしても。

「とにもかくにも、そういった全部の説に共通しているのは、無教というものが「如来」なる何者かによって始められたということです。この「如来」というのは、ジャーンバヴァ語のタターガタという単語の翻訳なのですが、この単語がなんなのかということ、この単語の語源はなんなのか、どういう意味を表していたのか、そういうことは、実はよく分かっていないんですね。恐らくは「このようにしてやって来た」という意味だと思われていて、だからこそ「如来」という語に翻訳されたのですが、しかし、そうであるとすると、それは一体どこから来たものなのか。というか、それは「やって来た」のか「向かって行った」のか。タターガタという単語は、どちらの意味にも取れますからね、要するに、この単語については、何も分かっていない。

「ただ、どうも……それは「外の世界」からやって来たらしい。そして、同時に「外の世界」に向かって行ったらしい。私達がそれに支配されているところの原理、私達が住む世界がそれによって構成されているところの全ての原理を超越したところの、この世界ではない全く別の世界からやって来たらしい。そして、「かくの如く来りて」……人間に対してハッピーの福音を解き始めた。あはは、いやー、何ていいますか……「全ての原理を超越した」「外の世界」からやって来たんなら、もう少し派手なことをしてもいいんじゃないかと個人的には思いますけれどね。とはいえ、まあ、私達がそういう絶対的な何者かに対して何を望むかといえば、やっぱりハッピーでしかないでしょうから。そうであるならば、ハッピーの福音を説くということは非常に理に適ったことなのかもしれません。

「えーと、閑話休題。まあ、無教の説明についてはこれくらいにしておきましょう。とにかく、ここで重要なのは、その無教という宗教がアーガミパータで始まりアーガミパータで発展した宗教だということです。アクショードゥフカという方が無教を始めたとされるアビラティ諸島はアーガミパータの東端に実際に存在している場所ですし、アミターシタという方が無教を始めたとされるスカハティ山脈は……あれ、あれですね。あっちの方向にあるあの山脈です。あはは、今は夜だから、ちょーっと見えないかもしれませんけどね。砂流原さんも、昼間に、実際にご覧になったでしょう? とにかく、アーガミパータの西端に実際にある山脈の名前です。

「まあ、マイトレーヤさんという方が無教を始めたとされる……始めるとされるトゥシタという場所は、現時点ではどこにあるか分かってませんけどね。とにかく、それもアーガミパータにあるらしい、もしくはあるだろうらしい? っていえば良いんですかね? あはは、未来のことを表現するのは難しいですね。とにかく、そんなわけで、無教というのはアーガミパータの宗教であって……当然ながら、左道曼荼羅も、アーガミパータを拠点としているということです。

「左道曼荼羅は、アーガミパータから、人間至上主義の世界に対して、テロ行為を行い始めた。アーガミパータから人間至上主義の世界に対して続々とテロリストが送り込まれ始めた。こうなってしまいますと、人間至上主義諸国としては――まあ月光国は神国ですしパンピュリア共和国はノスフェラトゥ共和制の国ですが――アーガミパータには関わり合いになりたくないなんて暢気なことはいっていられなくなってしまった。

「幸いなことに……っていうのも変ですけどね。とにかく、左道曼荼羅の被害にあった国には月光国が含まれていた。月光国という国は、現在でもカズラギノヒトコトヌシさんがお住まいになっている国ですからね。そのカズラギノヒトコトヌシさんとしても、左道曼荼羅をこのまま放っておくわけにはいかないというお考えになったのでしょう。そんなわけで人間至上主義諸国は、月光国経由で、神々に対して、アーガミパータに介入する許可を取ることが出来た。まあ、神々の方々としても、ご自分方が知ろしめされている領域の近くになんだかよく分からないテロリストがいるというのは不気味なことでしょうからね。人間達がそういったテロリストを駆除してくれるなら駆除して貰おうじゃないかくらいの考えだったんだと思います。

「とにかく、その許可がどういうものかということは、私達のような一般市民には計り知れないところですけれども……恐らく、アーガミパータについて、人間陣営の領域とすることは許さないが、一定の介入をすることは許す、そんな感じの内容だったんじゃないですかね。そのような許可の下で、人間陣営は、アーガミパータに対して武力的な介入を行うことにした。

「いや、人間陣営といういい方はしない方がいいでしょうね。先ほども申し上げましたが、この武力介入には月光国の神々やパンピュリア共和国のノスフェラトゥも関係していたわけですから。まあ、もちろん、神々だとかノスフェラトゥだとかいう方々は人間ほど愚かではないので、実際に武力介入の「武力」の部分を担ったのは、その奴隷としての人間だったわけですがね。とにかく、ここからはGLUO加盟集団ということにしましょう。なぜなら、この武力介入は、GLUO……つまり「国家・企業及びその他の集団による緩やかな統合組織」の決定に従って行われたわけですからね。あはは、いつも思うんですけど、この正式名称、こんな長くする必要あったんですかね? 「集団間統合組織」とかでいいと思うんですけど。「緩やかな」はまだ分かるとしても、「国家・企業及びその他の」の部分、いりますかね?

「まあ、それはそれとして、GLUOの最高意思決定機関である「到来する共同体」――これもまた――「主権調整評議会」とかじゃ駄目だったんですかね――において、たった一国だけ投票を棄権したアフランシを除く全ての加盟集団の賛成のもとで、アーガミパータへの武力介入は決議されました。拒否権を行使しなかった時点でアフランシも賛成しているようなものですから、実質的に全会一致といっていいでしょうね。そして、共同保有平和維持機構であるBeezeutによって多集団籍軍が組織されて、とうとうGLUO加盟集団によるアーガミパータへの介入が始まった。

「さて、当初は、この介入はそれほど長く続くとは思われていませんでした。その証拠として、武力介入をするにあたって「到来する共同体」が出した声明文の内容から、少しばかり抜粋をしてみましょう。「今回我々が行う攻撃は、第二次神人間大戦後に人間達の手によって築かれてきた文明に対するテロリストによる危険な挑戦への、我々の回答である」「我々の攻撃は、あくまでもテロリストを粉砕し、我々の文明世界に平和を取り戻すために行われる攻撃である」「従って、アーガミパータにおける他の勢力に対しては、我々は、絶対に必要という確信がある場合を除き、一切の干渉を行うことを拒否する」「我々はアーガミパータにおける自生的な秩序を重んじ、それを最大限尊重することをここに固く誓う」。

「あはは、なんだか随分と回りくどいいい方をしてるんで、ちょっと分かりにくいかもしれませんが、簡単にいえば、こういうことです。多集団籍軍は、GLUO加盟集団に対して危険を及ぼす可能性がある無教徒のテロリストを無力化することだけを目的に派遣される。アーガミパータにおける他の紛争には、一切首を突っ込まない。要するに、この声明文から読み取れるのは、GLUOとしては、無教徒のテロリストをさっさと全滅させて、それで終わりにする。あとは、アーガミパータの面倒なあれこれに首を突っ込むことはしない。やりたいやつらに勝手にやらせておく。

「確かに、この声明文を発表した方々が考えていた通りに物事が進んでいれば、アーガミパータ紛争はここまで長く続くことはなかったでしょう。激しい戦闘は一か月か二か月か、しかも、それも、大規模な空爆作戦か何かで。戦争の後始末だって、せいぜい一年もあれば終わったんじゃないですかね。ただ、砂流原さんもご存じの通り、物事はそんな生易しくは進まなかった。結局、五十年以上経過した今も、多集団籍軍はアーガミパータから抜け出すことが出来ていない。しかも、GLUOは、無教徒のテロリストだけではなく、アーガミパータで起きるあらゆることに頭を悩ませ続けている。

「これはなぜか? うーん、難しい問題ですね。少なくとも、私ごときが答えられる問題ではないということは確かです。もしもこの問題について、私程度の知性しか持たない人間が完璧な回答を出せるのならば。アーガミパータ紛争は、とっくの昔に終わっていなければいけないか……あるいは、そもそも始まっていないはずですからね。とはいえ、まあ、まあ、たぶんこんな感じの理由が、全体の原因の中で、それなりに大きな位置を占めているんだろうなということくらいは推測することが出来ます。

「例えば、多集団籍軍が標的としていたのが、しっかりとした支配領域と中央集権的な権力機構とを持つ集団ではなく、そのどちらについても放棄したところの、一種の無定形集団であったということ。確かに、無教徒にとってのいわゆる聖地、本拠地といってもいいところはあります。先ほど申し上げたアビラティ諸島とスカハティ山脈とですね。しかし、その二つとも、左道曼荼羅にとっての支配領域というわけではありません。それらの場所にある種の拠点のようなものを置いていたことは確かですが――そして、紛争の最初期に、実際その二つの拠点は完全に破壊されたわけですが――ただし、それらの拠点を破壊されることによって、左道曼荼羅がどれほどのダメージを負ったのか? それは、ほとんど皆無といっていいんじゃないですかね。

「つまりですね、左道曼荼羅には、これこれを破壊すれば、誰々を殺害または捕獲すれば、壊滅するという、そのデストラクション・ポイントがないんですよ。具体的に、何をどうすればこのゲームをクリア出来るのかという、攻略方法が存在しない。それが何を意味するのかといえば、無教徒の中で左道曼荼羅と考え方を同じくする人間の最後の一人までを殺すか捕まえるかしない限り、この紛争は終わらないということです。そして、そんなことは、実質的に不可能なんです。

「もう一つの理由――一つ目の理由と関係していて、かつ、一つ目の理由よりもずっとずっと厄介な理由――それが、アーガミパータという場所が、そもそも、多集団籍軍が派遣されるずっとずっと前から「血と内臓との泥沼」であったからという理由です。あはは、この「血と内臓との泥沼」というのはアーガミパータを指す代名詞といってもいい言葉ですね。まあ、私も、記事を書く時には極力こういう定型句は使わないようにしていますが……それはともかくとして、私がいいたいのは、いわゆるアーガミパータ紛争が開始する前から、アーガミパータでは、幾つも幾つもの紛争が行われていたということです。

「先ほど申し上げたように、アーガミパータという土地をどのように扱うかということは休戦協定には書かれませんでした。そして、その結果として、建前上は、アーガミパータは神々の土地でも人間の土地でもなくなった。けれども……ここで大切なのは、建前というものは、いつだって、あくまでも建前に過ぎないということです。それは決して真実ではなく、真実というものは、必ず、その裏側を覗いてみない限りは見つけることが出来ない。つまり、何がいいたいのかといえば、他集団籍軍が介入を行う前から、人間至上主義勢力はアーガミパータに介入していたということです。ここでいう人間至上主義勢力というのは、先ほどの使用例とは違い、語のそのものの意味での人間至上主義勢力です。神々の支配に抗して人間の権利を確立しようとする方々ということですね。

「アーガミパータは、第二次神人間大戦が起こる遥か昔から戦場だったわけですが、もちろん第二次神人間大戦の時も戦場でした。それはつまり、ゼティウス形而上体と人間至上主義勢力との戦場という意味で戦場だったということです。そういった戦いは、本来であれば、第二次神人間大戦の終結とともに、休戦協定によって、強制的に解消されるべきものでしたが……しかし、残念なことに、アーガミパータは休戦協定の対象外だった。

「つまり、アーガミパータでは第二次神人間大戦は終わらなかったということです。これが普通の戦争、つまりとある集団ととある集団との間に行われた戦争であれば、そういうことはなかったでしょう。ただ単に、領土や物資やを巡って行われた戦争であれば、他の場所での戦闘終了とともに、アーガミパータでも戦闘が終了していたはずです。しかし、第二次神人間大戦はそういう戦争ではなかった。それは思想と思想との戦争だった。あるいは、神々という種と人間という種との戦いだった。それゆえに、その思想を信じる者がいる限り、その種に属する者がいる限り、必然的に戦闘は続かざるを得なかった。

「その戦闘こそが、砂流原さんもご存じのことと思いますが、神国主義ゲリラとアハム・ジャナスミとの戦いです。アハム・ジャナスミは――今となってはアーガミパータ暫定政府と呼んだ方がいいかもしれませんが――第二次神人間大戦中に、アーガミパータで生まれた人間至上主義者の勢力です。この言葉は、アーガミパータで人間至上主義陣営に属していた人間達の合言葉のようなもので、ジャーンバヴァ語の言葉ですが、アハムが「私」、ジャナが「人間」、アスミが「誰々は何々である」という意味を表していて、つまるところ「私は人間である」ということですね。このスローガンの下に人間至上主義者達が集まって作られた組織です。

「まあ、アーガミパータ全土の様々な場所で生まれた人間至上主義勢力がアハム・ジャナスミに事実上一本化されるまでにはだいぶん時間が掛かったわけですし、それに、現在においてさえ、アハム・ジャナスミ以外の人間至上主義勢力は存在しているわけですが……それは今回の話にはあまり関係がないので置いておきましょう。とにかく、私がいいたいのは、第二次神人間大戦が終わってからも、アーガミパータにおいては、ゼティウス形而上体の支配下にある組織と人間至上主義の支配下にある組織との間での戦闘が、なおも続けられていたということです。

「そして、どこかで独立と自尊とを勝ち取るために人間達が戦いを繰り広げている限り……愛国は、サヴィエトは、それにエスペラント・ウニートは。つまり、人間至上主義のリーダーシップをとる諸国は、救いの手を差し伸べるというわけです。もちろん、軍隊を派遣したりだとか、外交的に手を突っ込んだりだとか、そういった国家の直接的な行動をするわけではありませんよ。そんなことをすれば、休戦協定違反というわけではないにせよ、神々との関係が微妙になってしまいます。なんといっても、アーガミパータはマホウ界とも繋がっているわけですから、そんなところに対して干渉行為をするというのは、神々のデッキスペースに土足で入り込むようなものですからね……まあ、エスペラント・ウニートでは家の中まで土足で上がり込んでも問題ありませんが。あはは、あくまでも比喩表現ということで。

「とはいえ、間接的に援助する方法はいくらでもあるわけです。例えば子飼いにしている国際的なギャングを通じて武器を密輸したり、あるいはアハム・ジャナスミから自国の民間軍事企業に依頼があったという形にして軍事訓練を受けさせたり。国際的なギャングと国家との関係は誰にも立証出来ないわけですし、民間軍事企業はあくまでも民間の企業に過ぎませんからね。それに何より、このような方法を使えば、実際に戦っているのは、あくまでもアハム・ジャナスミだという言い訳が使えます。自分達はあなた達の領域を侵していない、ですから責められる謂れなど何もない、こういう風に、自分達の支援を正当化したわけです。

「さて、そのようにして、どこに住んでいても同じ人間、崇高な同胞愛からアーガミパータのアハム・ジャナスミを支援し始めた人間至上主義諸国ですが、当然ながら、その支援に対して、ちょっとした見返りを期待していなかったわけではない。それは、アーガミパータで産出される、マギメタルや魔玉やといった鉱物資源です。こういった、本来ならばマホウ界でしか採掘することの出来ない物質は、ナシマホウ界では非常な高値で取引されるため――あはは、砂流原家のご令嬢である砂流原さんにこんなことをいうのは、兎にステップを教えるみたいなことですけれど――とにかく、人間至上主義諸国は、武器や訓練やの引き換えとして、こういった資源をアハム・ジャナスミから受け取っていたというわけです。

「ところで。こういった鉱物資源は、もちろん、人間至上主義諸国だけではなく、誰もが欲しい物であるわけです。例えばASKやヴァンス・マテリアルやといった企業組織はもちろんですが、パンピュリア共和国だって、グールから得られるマギメタルや魔玉やは、ごくごく限られた種類のものだけです。そうであるならば、こういった集団も、アーガミパータの何者かに対して崇高な同胞愛を示してみせたい。そして、その同胞愛に対する当然の報酬として、そういった鉱物資源を手に入れたい。そう思うのは何もおかしいことではない。

「ただし、とはいえ、アハム・ジャナスミに対してはもう援助のしようがないわけです。穏健派人間至上主義国が右の手を、過激派人間至上主義国が左の手を、それぞれしっかりと握り締めてしまっていたわけですからね。となると、残るは神国主義ゲリラだけということになる。いやー、しかしですよ、神国主義ゲリラは、確かに援助を求めているだろうけれども――アハム・ジャナスミが強力な援助を受けているんですから、自分達もなんらかの援助を受けたいと思っても当然だというわけです――さすがに、手を差し伸べるのは難しい。だって、同胞愛を抱こうにも同胞ではないわけですからね。ナシマホウ界に残っている集団は、第二次神人間大戦で人間陣営についたからこそナシマホウ界に残ることが出来たわけで、そのほとんどの国からは、神国主義の理想は一掃されたわけですから……そう、ほとんどの国からは。

「何事にも例外があるように、この場合にも例外がある。それがポンティフェックス・ユニットだった。いやー、まあ、月光国にも神国的な価値観は残っていますけれどね。というか、そもそも神国ですよね。とはいえ、あそこは、アーガミパータで採れるくらいのマギメタルと魔玉とは自分の国でも採掘出来ますから、ちょっとここでは置いておきます。とにかく……ポンティフェックス・ユニットは、砂流原さんもご存じの通り、アーガミパータほどではないにせよ、かなり厄介な場所です。新興政権が出来ては消え消えては出来て、そして、その政権の内容としても、人間至上主義だったり神国主義だったりする。

「もともと、あそこにあった国々は、かなり強い「信仰」のもとに支配されていた神国ばかりだったので、第二次神人間大戦後の世界においても神国主義が消え残ってしまったというわけです。まあ、そうはいっても、あくまでも休戦協定の影響下にあるわけですから、一般の人々が抱いている「信仰」は、例えばトラヴィール教会における「信仰」のような形に変質しているわけですがね。ただ、政権のトップレベルの人々になれば、本来の意味での「信仰」を持つ人達も、やはり生き残っているわけです。

「人間至上主義諸国ではない集団、その中でも特に企業集団は、そこに目を付けた。つまり、そういうポンティフェックス・ユニットにおける神国主義政権を窓口として使うことにしたんです。そういった政権は、もちろん神国主義を奉じているわけですから、アーガミパータの神国主義ゲリラに同胞愛を感じてもおかしくはないわけですよね。けれども、そういった政権は、新興政権であるがゆえに、支援するための武器がない。だから、企業集団が、そういった政権に対して武器を提供して――その武器の一部は、もちろん、手数料として、ポンティフェックス・ユニットの神国主義政権が頂戴するわけですが――そして、その見返りとして、アーガミパータの神国主義ゲリラが鉱物資源を提供する。こういう形であれば、企業集団も企業イメージを保つことが出来ますし……それに何より、神国主義ゲリラの方も安心して武器を受け取ることが出来るわけです。人間至上主義的な集団だと、ゲリラの側としても、もしかして資源だけ巻き上げられて武器は手に入れられないかもしれないという不安が常に付き纏ってしまいますからね。同じ価値観を持つ同じ神国主義者であれば、そういう心配がない。こうして、みんなが得をするシステムが生まれたというわけです。

「後は、例えば、パンピュリア共和国であれば、トラヴィール教会を通じて国内避難民の支援という形で色々と手を突っ込んだりするわけですが……あはは、これについて色々と話すとまたデニーさんに怒られてしまいますからね。とにもかくにも、GLUO加盟集団が多集団籍軍を送り込んだ時点で、アーガミパータは既に様々な勢力・利権・思惑の坩堝と化していた。

「そう、アーガミパータという無秩序は、研ぎ澄まされた骨の天秤の上にあるかのように、非常に繊細で、それでいて貪欲な均衡のもとに成り立っていたというわけです。あらゆるバランスは保たれ続けなければならず、例えばある勢力が滅ぼされたとすれば、それによって発生した真空は、瞬く間に別に勢力によって贖われなければいけなくなる。もしも、この繊細な貪欲が満たされなくなり、どこかに大きなバランスの欠如が生まれてしまえば……一瞬にして、このアーガミパータという巨大な無秩序は、その欠如の中にナシマホウ界の全てを取り込みかねないことになる。つまり、また、第二次神人間大戦のようなナシマホウ界の全体を巻き込む大戦争が起きかねなくなるいうことです。GLUO加盟国が無邪気にも一つの「軍隊」を送り込んだ土地は、そういう土地だったということです。

「ただ、「軍隊」とはいっても、多集団籍軍自体はさほど巨大な軍隊というわけではありませんでしたけどね。確か「怒りに満ちた双頭の蜂」作戦に投入されたのが……全ての集団を合わせても、二十万人程度だったかな? そのくらいでしたから。しかも、この軍隊を二つに分けて、そのそれぞれを南アーガミパータと北アーガミパータとに派遣したわけで。実際、一つの戦場については十万人程度しか投入していなかったわけです。

「少しでも思考能力があるのならば、こんな人数でテロリストを掃討することなんて不可能だということくらい分かるはずです。そして、GLUOにだって、少しくらいは思考の力がある。ということは、多集団籍軍だけで掃討作戦を行うつもりなんて、最初からさらっさらになかったということです。それでは一体どうするつもりだったのか? もっと具体的に言うとすれば、一体、何者と協力して作戦を行うつもりだったのか?

「もちろん、砂流原さんはご存じですよね。それに私も知っています。アーガミパータ紛争が始まってから五十年以上経過したこの世界に住んでいる人間であれば、それは誰でも知っていることです。つまり、GLUOは、現在のアーガミパータ暫定政府リーダー、国民合意政府暫定議会議長、そして、当時、アハム・ジャナスミを率いていた「スーパースター」……オナン・グプタと手を組むつもりだった。

「そう、オナン・グプタほど「スーパースター」の称号が似合う人間もいないでしょう。元々は、戦場において一般市民を安全に輸送するためのバスを運転する、一介のバス運転手に過ぎなかった。しかし、ある日、グプタが運転するバスに、人間至上主義の側で戦っていたゲリラの指揮官がやってきた。その指揮官は、全身に傷を負っていて、しかも、神国主義の集団が放った刺客によって追われていた。

「指揮官はグプタに保護を求めた。グプタが運転するバスで、安全なところ、つまり人間至上主義者が支配する地域まで連れて行って欲しいと懇願した。普通であれば、一介のバス運転手に過ぎない人間にはそんな任務は重過ぎる。断るところだが……グプタは違った。グプタは、熱い同胞愛、人間が人間に対して抱く自然な感情に突き動かされて、迷うことなく、即座に、その指揮官の願いを聞き入れることにした。

「後ろから襲い来る神国主義の刺客。上空からは武装ヘリコプターに狙われ、地上を追ってくるのは軍用車両。対して、グプタが乗っているのは、多少は改造されて、戦場用に装甲が追加されてはいるが……所詮は民間用途を目的として作られたバスに過ぎない。状況はあまりにも不利で、生き延びることなんて絶対に不可能だと思われた。しかし、グプタは、やった。やり遂げた。

「あはは、グプタさんがどうやって四台の軍用車両を横転させて、二台の軍用車両を爆発炎上させたか。それから、どうやって、一本の煙草で武装ヘリコプターを撃墜することが出来たか。そこら辺の血が沸き立ち肉は震え始め骨さえも歌いだすような話は、ちょっとカットさせて頂きますね。長くなりますし、それに、割合に有名な話ですから砂流原さんもご存じでしょう。とにかく、グプタは、神国主義の刺客を次々と叩きのめし、そして、ほとんど半壊状態になったぼろぼろのバスで、人間至上主義者達が支配していたジャングルの中に突っ込んでいった。

「指揮官を無事に送り届けたグプタは、一躍、人間至上主義者達のヒーローとなった。そして、自分の中にある、人間至上主義への煮えたぎるような愛、強い強い義務感を感じたグプタは、バスの運転手をやめて、人間至上主義のゲリラ活動の中に飛び込んだ。それから、グプタは、みるみるうちにそのカリスマ性を発揮して、その当時はばらばらに活動していた各地の人間至上主義ゲリラを統合していって……とうとうアーガミパータの地にアハム・ジャナスミという組織を作り上げた。

「あはは、実に感動的な「物語」ですね。この「物語」はアーガミパータ紛争が始まった当初から、あらゆるメディア媒体、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、アーガミパータ関連書籍、それにアフォーゴモンのそこら中のサイトで吹聴されたものなので、砂流原さんもよくよくご存じでしょう。この「物語」、あるいは、これに類する、人間至上主義を礼賛する別の「物語」によって、ほとんどの一般市民、ほとんどの大衆は、初めてアーガミパータのことを知りました。そして、そういった方々は、歓呼の絶叫によって、多集団籍軍とアハム・ジャナスミとが同盟を結ぶことに同意したのです。

「さて、グプタさんの話はこれくらいにして……別の話をしましょう。多集団籍軍とアハム・ジャナスミとがなぜ手を結ぶことになったのかという話です。なぜ、GLUOは、これほど小規模な多集団籍軍しか送らなかったのか。そして、なぜ、アーガミパータという骨の天秤の上で、一つの集団に、一つの思想に、加担するような真似をしたのか。」

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