第二部プルガトリオ #17

 随分と長い間、考え事をしていたようだ。これほど地下深くまで下りてきたことに、全く気が付いていなかったなんて。地上は既に、頭上数エレフキュビトの距離にまで遠のいている。真昼の全身は……なんだか、ぼんやりとしたエネルギーのようなものを感じていた。暖かいわけでもなく、冷たいわけでもない。まるで、月の光を浴びているみたいな感じ。

 つまり、このすぐ近くに赤イヴェール合金が鉱石の形で埋まっているということだ。前にもマコトが言っていたことであるが、アーガミパータにおいて採掘可能な赤イヴェール合金は、要するに出血の後のかさぶたのようなものだ。ということで、このかさぶたは、真昼などには想像も出来ないほど地下深くにある血管、赤色流動層と、何ほどかの形で接続している。そのため、そこを流れている凄まじいほどの魔学的エネルギーが、赤イヴェール合金を伝って漏出するのだ。真昼が感じたエネルギーとは、その魔学的エネルギーであった。

 そして。

 真昼の前には。

 坑道の入り口。

 開いている。

 半円形の入り口で、柔らかく描かれたアーチの上には看板が取り付けられている。いつものようにイパータ語で書かれていたが、この坑道の識別番号か何かが書かれているのだろう。当然ながら、その入り口は、岩壁をただ掘り抜いただけの洞窟というわけではない。この距離から見てみると、その洞窟のアーチ部分が補強されているということが分かった。

 見た目でいうと、この洞窟の中に何かスリムニー状の生命体がいて。その生命体が、洞窟の全ての壁を伝ってこちら側に襲い掛かってきたのだが、日のもとに出た瞬間に硬化して、そのまま死んでしまったみたいに見える。

 つまり、そのアーチはコンマギーアで補強されていたということだ。あたかも子供がべたべたと粘土をくっ付けたみたいにして、非常に乱雑な形。推測するに、コンマギーアが自然に形成されるに任せたということだろう。

 また、これについては、ちょっと驚いてしまったところの真昼ちゃんなのだが……洞窟の床は、まるで手入れされた芝生ででもあるかのように、一面に草が敷き詰められていた。青々とした草、ということはつまり緑色の草である。ここから先は坑内であって、どう考えても日の光が射すことはないというのに。どうして草などが生えているのだろうか?

 これは赤イヴェール合金の鉱山では非常に一般的に用いられているシステムであって、それゆえにレーグートも説明しなかったのだが(レーグートの行動はあらゆる精神の総体によって左右されるため、真昼一人が知らないというくらいでは説明という行為を行うことはない)。要するに、坑内通気だ。

 この緑色の草に見える物は、光合成によって二酸化炭素と酸素とを何それする植物ではなく、坑内に溜まる可能性がある有害な気体を、労働者にとって理想的な空気にまで浄化するためのものなのだ。もちろん、その際にエネルギーとして使うのは、光エネルギーではなく魔学的なエネルギーである。

 そんなわけで、この「草」は葉緑素を必要としないし、実際にその体内に葉緑素を有していない。それでも緑色にしているのは、緑色の色素を体内で生産するように、無理やり形相子変換を施したからである。先述の通り、これは坑内通気のシステムとして作られた「草」だ。赤イヴェール合金の鉱山内部は、当然ながら、赤イヴェール合金のせいで真っ赤になっている。人間にとって赤という色は負担が大きい色であるため、その赤の負担を少しでも和らげるために、本来は緑ではないものをわざわざ緑色にしているのだ。

 レーグートが。

 また口を開く。

〈さて、先ほども申し上げましたことでございますが、この鉱山は第二次神人間大戦時に開山いたしましたものでございます。その当時は、鉱山労働者には人間がおらず、専らデザート・ユニコーンがその任務に就いておりました。

〈鉱山を採掘するためには、当然ではございますが、まずはその鉱山を見つけなければいけません。というわけで、まずは鉱床の探査を行います。これは三つの段階に分かれておりまして、第一段階といたしましては、広域調査を行います。これはデザート・ユニコーンによる地上妖理探査でございます。ユニコーンという種族は、その角のおかげで、他の種族よりも遥かに魔学的エネルギーの探知に優れた種族でございますからね。次に第二段階といたしまして、そのようにして絞り込まれました場所のリリヒアント断層的調査を行います。その場所に、赤イヴェール合金が地表まで漏出するほどの巨大なリリヒアント断層があるかどうかということを調べるということでございますね。また、それと同時に、探知されました魔学的エネルギーの成分分析も行います。

〈そして、最後の第三段階。最終的な結論を出すためのフローティング調査を行います。約百ダブルキュビトごとに、デザート・ユニコーンが、地下に存在すると思われる鉱床に対して魔学的な負荷をかけます。すると、その鉱床を形成する赤イヴェール合金の一部が「蘇生」して、地上まで浮かび上がってくるのでございます。その「蘇生」した一部が浮かび上がってくる速度、また、その「蘇生」した一部の量。そういったことから、鉱床の鉱量と品位とが推測できます。それだけではなく、その「蘇生」した一部、これは岩芯と呼ばれるものでございますが、その岩芯を選鉱試験及び岩石試験にかけまして、本当に兵器転用可能な赤イヴェール合金であるのかということも併せて確認いたします。そして、そういった調査の結果、ここは有望な場所だとなりましたら、いよいよもって開発準備に取り掛かるのでございます。〉

 そこまでを話し終わると、レーグートは〈それでは、中をご案内いたします〉と言った。その言葉に合わせるみたいにして、ユニコーンが、坑内に足を踏み入れる。

 坑道といわれた時に一般的に想像するものよりも、ずっとずっと広い坑道だった。坑道というよりも、海峡のこちら岸とあちら岸とを連絡する大規模な隧道みたいだと、そう思ってしまったくらいだ。広さとしては、四車線くらいの広さ。天井もかなり高く、数ダブルキュビトはあるだろう。

 そんな坑道の天井付近、右側と左側とに明かりがついている。壁面に埋め込まれた宝石のような物が真っ白な光を放っているのだが、それは恐らく魔学的なエネルギーを光エネルギーへと変換することが出来る魔石なのだろう。大きさとしては半径四十ハーフディギトの円といった感じ。

 レーグート、が。

 話し続けている。

〈アーガミパータにおける赤イヴェール合金の鉱床は、全てリリヒアント断層型の鉱床でございます。もう既に何度か申し上げていることでございますが、リリヒアント断層によって赤色流動層から漏出した赤イヴェール合金がそのまま鉱床となったものでございますね。このタイプの鉱床には一つ困った特徴がございます。それは、鉱床がかなり地下深い部分に位置しているということでございます。

〈いや、いや、失礼いたしました。今の言い方は正確ではございませんでしたね。正確には、鉱床自体は、地上に近いところまで伸びております。ただし、このタイプの鉱床はでございますね、地上に近づいていくとともに、赤イヴェール合金の含有率が低下していくのでございます。漏出した赤イヴェール合金が、地上に近づいていくにつれてどんどんと周囲の土壌によって薄められていって。そのせいで鉱石としての質が落ちて行ってしまうのでございます。結果として、地下数エレフキュビトまで採掘しないと、使い物になる鉱石は出てこない。

〈だから、これほど地下深いところに坑道が掘られているわけでございますね。とはいえ、こういった坑内掘りが行われるようになりましたのは、実は第二次神人間大戦後のことでございます。神々と人間との戦いが終わって、切迫した赤イヴェール合金の需要がなくなって。それで、採掘の速度を緩やかなものにしても問題がなくなってからのことでございます。

〈そうなりますと、デザート・ユニコーンに代わって人間の方々が現場での肉体労働を担うようになりました。戦後間もなくの時期は、復員軍人の雇用の受け皿として。そして、現在は、国内避難民の雇用の受け皿として。それぞれ役に立っているるわけでございますね。さて、デザート・ユニコーンに比べますと、人間の方々は――気を悪くしないで下さいませ――少しばかり、こう、物質を破壊する力の面で控えめな部分がおありになる。ということで、坑内掘りという方法をとらざるを得ない。

〈一方で、デザート・ユニコーンが肉体労働を担っていた時期は、そうではございませんでした。当時の龍王領は、まさに戦乱の真っ只中に飲み込まれていた時期でございます。どれだけ大量に赤イヴェール合金を掘り出しても、まだまだ、全然足りていないような状況だったのでございます。

〈そのため、坑内掘りのような方法をとることはございませんでした。その代わりに行われていたのが、いわゆる高速再生採掘法でございます。これは、そうですね、現在ではほとんど用いられなくなってしまいました。あちら側……マホウ界の一部地域では未だに使われているところもあるようでございますが、少なくともこちら側で未だに使われているという話は、わたくしの寡聞の致すところではございますが、聞いたことがございませんね。

〈先ほども少々触れましたが、地下に埋まっている赤イヴェール合金の鉱石は、魔学的な負荷をかけることで「蘇生」させることが出来ます。そうして「蘇生」した赤イヴェール合金は……もちろん、それを「繁殖」させることは出来ません。赤イヴェール合金を「繁殖」させることが出来るのはグールだけでございますからね。ただし、その再生作用を利用することは出来る。

〈そもそものところ、地上付近の赤イヴェール合金は、無理やり、強制的に、他の物質によって希釈されたものであるわけでございますね。と、いうことは。そのようにして、あちらこちらに、土壌の全体にばらばらにされたところの赤イヴェール合金の極子同士がですね。再生作用を通じて、繋がり合い、結び付き合い、一つになろうとするわけございますね。

〈要するに、魔学的な負荷をかけられたことによって「蘇生」したところの赤イヴェール合金は。あたかも植物が光合成によって成長していくように、その負荷をエネルギー源として、自らを再生していく。この増殖の速度は、魔学的な負荷、エネルギーが大きければ大きいほど早くなる。

〈となれば、理論上は、十分に巨大な魔学的エネルギーを照射することによって、地下の赤イヴェール合金を高速で再生させることが出来るわけでございますね。そういうわけで、これによって、地表付近に存在してる微細な赤イヴェール合金も、十分に選鉱に耐えられるものとなるのでございます。これが、いわゆる高速再生採掘法の最も重要な部分でございます。

〈やり方はとても簡単でございます。一定の数のデザート・ユニコーンが集まって、一つの輪を作る。まあ、大体百ダブルキュビトくらいの大きさの輪でございますかね。そして、輪の中心に向かって角を突き出して、その角に溜まっているところの魔学的エネルギーを一気に開放するのでございます。すると、凄まじい量の魔学的エネルギーが、地下にある赤イヴェール合金に負荷を与えることになる。

〈非常に微細な破片として含まれている赤イヴェール合金が、それぞれに再生し、やがては互いに互いを飲み込み合って、そして、最終的には、地下の岩石全体が相当に含有率が高い鉱石となる。そうですね、十パーセント程度の含有率まで再生する場合もあるそうでございます。

〈そうなれば、後は簡単でございますね。既にご覧頂いております通り、この鉱山の上空には製錬所がございます。あの製錬所からは、非常に特殊な性質を持つ魔学的な力が発せられています。魔学的エネルギーを帯びた赤イヴェール合金だけを引き付ける、磁力みたいな性質を持つ力。そういうわけで、魔学的エネルギーを受けてある一定のレベルまで含有率を上げた赤イヴェール合金の鉱石は、掘り出すまでもなく、あの製錬所に向かって浮かび上がっていくというわけでございます。

〈それはそれは壮大な光景だったそうでございますよ。デザート・ユニコーンが角を向けた先の大地が、次第に次第に赤く染まっていって。そして、その赤の濃度が一定を超えた時に、突然大地に罅が入る。デザート・ユニコーンが立っているところから先、どんどんとその亀裂が深まっていき……そして、遂には、巨大な岩石の塊が大地から抉り取られる。赤い色をした巨大な岩石が、上へ、上へ、天井に浮かぶ城へと吸い込まれていく。〉

 レーグートにしては。

 随分と詩的な表現だ。

 こういった鉱山見学ツアーに参加するお偉いさんは、こんな感じのポエティックな表現を好むのだろう。それはともかくとして、真昼は、レーグートの話を聞きながらもあちらこちらへと視線を向けていた。基本的にはどこを見ても岩か草かくらいしか見るものがなかったが、けれども、時折、それとは別のものに気が付くこともある。

 例えば、この坑道の地面、よく見てみると、そこには線路が敷かれていた。右側に一本、左側に一本、随分と長い間放置されていたらしく、草に埋もれてしまっている上に、ほとんど朽ちかけているようにさえ見える。とはいえ、それでも、それが線路であるということは分かった。

 たぶん、これはトラム用の線路だろう。レーグートの話によれば、この鉱山は、第二次神人間大戦の直後から坑内掘りが始められたらしい。当然ながら、その頃には、現在使われているようなトラックなどは存在していなかっただろう。だから、鉱石の運搬に、こういったトラムが使われていたのだ。

 線路はほんの少しだけ赤みを帯びていて、どうやら赤イヴェール合金が混ぜられているらしいということが分かった。運用にあたっては、完全な人力というわけではなく、少しばかり魔学的なエネルギーの助けがあったようだ。

 それから。

 もう一つ。

 気が付いたこと。

 この坑道は。

 真っ直ぐに。

 続いて、いない。

〈皆様、大変聡明でいらっしゃるので、指摘させて頂くまでもなくお気付きのことでございましょうが。実は、この坑道は、完全に直線的に続いているというわけではございません。ところどころで右へ左へと蛇行して、あるいはそこここで上へ下へと傾斜しております。これは、鉱床に含有される赤イヴェール合金の濃度にかなりむらがあるがゆえにこうなっているのでございます。

〈デザート・ユニコーンによる探査は非常に精密であるため、最終的にはディギト単位で鉱床地図を描くことが出来ます。鉱床のどの位置が、どれほどの赤イヴェール合金を含有しているのか。それを正確に把握した上で、鉱山の開発が行われるということでございます。それゆえに、坑道の入り口から、地上にある貯鉱場兼選鉱場に通じている縦穴まで、最も大量の赤イヴェール合金を採掘出来るルートを通って坑道を通すことが出来るということになるのでございます。結果として、このように、非常に曲がりくねった坑道になるのでございます。〉

 真昼は、なるほどねーと思ったけれど。

 それほど興味があるわけではなかった。

 そもそも真昼は、別に鉱山に興味があって鉱山に来たわけではない。権力とは遠い場所にあると真昼が思っていた人々、「真実の生活」を送っていると考えていた人々の姿を見たかったからここに来たのだ。けれども、先ほどまでの思考によって、そういった人々というのは、どうやら真昼の頭の中にしか存在しない存在であるらしいということが分かりかけてきていた。となると、真昼がここに来た理由は、完全に消滅してしまったということになる。

 真昼は……急に、我に返った。一体、自分はなんのためにここにいるのだろうか? 見るべきものは何もなく、聞くべきものも何もない。それにも拘わらず、龍王の「特別なお客様」として、特別なおもてなしを受けている。レーグートが一人にユニコーンが二馬に、これだけの労力を割いて、真昼のために見学ツアーをしてくれているのだ。

 なんだか自分がすごく間抜けな人間であるように感じる。デニーも、マコトも、レーグートさえも、人間という生き物は間抜けな生き物だと口を揃えて言うが、きっと自分はその中でも特に間抜けな個体であるに違いない。わがままをいって、こんなところまで連れてきて貰って、挙句の果てに得るものは何もなかった。それどころか、失うものしかなかった。

 真昼が信じている世界の形から、どんどんと「正しさ」が失われていく。そのたびに、「正しさ」の大きさが削り取られていくたびに、真昼は、自分の世界が暗くなっていくのを感じる。自分がなんであるのか、どうやって生きていけばいいのか、そういったことが分からなくなっていくのだ。光が射す方向に向かえといっても、真昼には既に光などどこにも見えない。

 ここで見つけた。

 唯一の光は。

 真昼自身が。

 その手のひらで。

 握り潰したのだ。

 白く美しい光。

 パンダーラ。

 パンダーラ。

 パンダーラ。

 真昼は……どんなに思い出すまいとしても、どうしてもあの人のことを思い出してしまう。真昼の方を、じっと見て。その視線に、非難がましい感情も、軽蔑したような感情も、一切浮かべることなく。ただただ、優しく、優しく、真昼のことを見つめたままで、灰になって死んでいった人。真昼が出会った中で、唯一、心の底から正しかったといえる人。それなのに、真昼が、裏切って殺してしまった人。

 そして、あの人のことを思い出せば、どうしても考えてしまう。真昼は、あの時、本当に、ああすべきだったのか。「ああすべきだったのか」とは、つまり……マラーの命を救うためならなんでもしようと、そんなことを考えるべきだったのかということだ。なぜなら、真昼は、マラーの命と引き換えに、パンダーラを死に追いやったからだ。

 そんなことは考えるべきではない。絶対に考えるべきではない……けれども、それでも、考えてしまう。マラーとパンダーラと、この世界にとって本当に重要なのはどっちだったのかということを。真昼の頭蓋骨の中に一つの天秤がある。そして、片側にマラーを、片側にパンダーラを乗せる。どちらの皿が下に下がるのか、息をひそめてじっと見ている。

 マラー、マラー。マラーを殺してはいけない、マラーを守らなくてはいけない。だが、それはなぜか? それは、真昼自身が生きていく、唯一の正当性がマラーだからだ。純粋な少女であるマラーのことを、この世界の悪意から、真昼は助けた。マラーが死んでしまったら、真昼が生きていていい理由は、この世界から何一つなくなってしまうのだ。

 とはいえ、マラーは……本当に純粋な少女なのだろうか。もちろん、何も知らない少女であることは間違いないだろう。例えば真昼のように、搾取者としての思想に汚れ切った軽蔑すべき生き物ではないということには間違いない。マラーは悪に汚れてはいないのだ。ただ、とはいえ、本当に、今まで真昼が信じてきたほどに、善なる生き物なのだろうか。

 マラーが悪に汚れていないのは、ただただマラーが無力だからという理由に過ぎないのではないか? 悪ではないということと善であるということは、実は本質的に違うのだ。そのことを、真昼はこの鉱山で学んだ。

 無力であること、無知であること、それは、そのまま、権力者への従属に繋がる。しかも、強制による従属ではなく心からの従属だ。庶民として健全であること、庶民としてしたたかであること。それは、つまり、都合の悪いことは見ないという方法で自らを正当化し、日々を快楽に流されて生きていくということなのだ。庶民というものは、実は確かな実体があるものではない。それは、常に最悪へと流れていく可能性を秘めた泥土なのである。

 そして、マラーは。

 そういった庶民と。

 同じ場所に。

 立っている。

 マラーは、あの鉱山集落にいた労働者達と、心の底から笑い合うことが出来た。つまり、本来は、あの場所にいるべき人間なのだ。真昼と一緒に来るべきではなく、権力の庇護のもとにいるべき人間なのである。というか、もう少し正確にいえば、マラーは権力のもとにいる。真昼という権力のもとに。「どこに立っているのか」という問題は置いておくとして、真昼は確かに権力者であり搾取者である、なにせカリ・ユガにとっての大事な「お客様」なのだから。要するに、マラーが真昼に懐いているのは、権力に対して従順であるという庶民の性質による自然な反応なのだ。

 真昼は。

 自分の腕の中で。

 ユニコーンに揺られている。

 マラーの方に視線をおろす。

 マラーは、相変わらず。

 穢れなど知らない目で。

 坑道の、あちらこちらを。

 きらきらと見回している。

 そして、時折、真昼の方を見上げては。

 楽しそうな顔をして、笑いかけてくる。

 一方で、パンダーラは。間違いなく正しかった。絶対的に、どこまでもどこまでも正しかった。自分の持つ全て、肉体と精神と魂魄と、その全てを懸けて、何かを救おうとしていた。何かを、自分が救うことが出来る可能性があるのならば。その何かのために、全てを投げ出して力を尽くすことをすることが出来る人だった。もしも、それを正しいといわないのならば、一体何を正しいということが出来るのだろうか?

 パンダーラは、命を懸けて、権力者に、搾取者に、抵抗した。パンダーラは、現実に流されるようなことは、絶対にしなかった。ただひたすらに「正しさ」を追い求め、その絶望的な戦いの中で、無残に、無意味に、死んでいったのだ。

 パンダーラは、生きるべきだった。死ぬべきではなかった。けれども、死んでしまった。真昼の選択のせいで死んだのだ。真昼は、そう選択しなければならなかった。そして、マラーの方を選んだ。結果として、パンダーラが死んだ。真昼が今まで出会ってきた中で、最も正しかった人が死んだ。

 そして、マラーが生き残った。真昼の腕の中にいる少女。もちろん、いうまでもなく、マラーは死ぬべきではなかった。ASKに囚われたままで、助けられることなく死んでいくべきではなかった。それでも……選択をしなければいけなかった。真昼は、どちらを選んでも間違っている選択をしなければいけなかった。より正しい方を選ばなければいけなかった。頭蓋骨の中の天秤の傾き、どちらが正しいのか。真昼には、そんなことを決める権利なんてない。けれども、決めなければいけなかった。

 そして。

 今。

 真昼は。

 とうとう。

 考えてしまう。

 本当に。

 真昼の。

 選択は。

 正しかったのか。

 マラーは。

 パンダーラを犠牲にしてまで。

 助けるべき、少女だったのか。

 ぐうっと、胃袋の方から、食道に向かって、胃液が込み上げてくるのを感じた。自分が今考えたことの、あまりの汚らわしさに、嘔吐しそうになったのだ。そんなことを考えてはいけない、そんなことを考えてはいけない、絶対に、そんなことを考えてはいけない。マラー、何も知らない、いたいけな少女。生きる権利があるのだ、真昼なんかが奪ってはいけない権利が。

 考え続ければ、こういうことになるというのは分かっていた。だから考えないようにしていたのだ。でも、この坑道は。狭く暗いこの坑道は、広々とした外の空間と比べると、どうしても真昼の思考を内向きに内向きにしてしまう効果があるみたいだ。だからこそ、真昼は、なんとか気を紛らわせようとして、さっきまで、レーグートの話に、出来るだけ集中しようとしていたのだ。興味なんて欠片もないレーグートの話に。

 レーグートは……今もまだ、話し続けている。この坑道について、過去にどんな方法で採掘がなされていたのか。ユニコーンが魔力によって大々的に発破を行って。その後で、人間が、細かい部分の採掘を行ったり、あるいは鉱石を運んだりする。そんなやり方をしていたのだそうだ。

 坑道のところどころで、レーグートとユニコーンとは立ち止まったりもした。そして、そういった立ち止まったところには小さな展示施設のような物が作られていた。例えば、博物館とかによく置いてあるようなガラスケース。こんな洞窟の中に置いてあるにも拘わらずガラスには汚れ一つなく、いつ磨いているのだろうと不思議に思ってしまうが(もちろん真昼達が来る直前に磨いたのだ)、その中には色々な道具が収められていた。

 例えば、ひどく錆び付いた鏨。例えば、ひどく錆び付いた金槌。例えば、ひどく錆び付いたペンチのようなもの。このペンチのようなものは、短くなった鏨を持つ時に、これで挟んで持つことで、金槌の打撃によるダメージが手に及ぶことを防ぐためのもので、なんと月光国の赤イヴェール合金鉱山で使われていたものがアーガミパータまで伝わってきたものらしいのだが、それはそれとして、とにかくここに収められている道具は、要するにこの鉱山で昔使われていたところの採掘のための道具だということだ。

 あるいは、どのように採掘されていたのかという当時の状況が、いかにもアーガミパータらしい絵画によって、壁面全体に描かれていたりもした。それは、天井を形作るアーチまで達しそうな高さと、どこまで行っても終端に辿り着かないような長さとがある、凄まじく長奢な絵画であって。色褪せる様子が欠片もない極彩色(多分定期的に塗り直しているのだろう)によって描かれているのは、角から魔学的なエネルギーらしいものを放出して目の前の岩盤を砕いているデザート・ユニコーンや、鏨と金槌とを持ってその周りを踊っているたくさんの人々や、そして、天空の製錬場に向かって、まるで逆様の驟雨のように浮かび上がっていく美しい赤色の岩石、そういったものだった。

 それに、もちろん彫刻もあった。アーガミパータですしね、彫刻がなければ始まりませんよ。この鉱山で働いていた、伝説的なデザート・ユニコーンをかたどったという彫刻だ。例えば、第二次神人間大戦前、この鉱山から初めて赤イヴェール合金を採掘したとされる、十七匹のユニコーン達。それに、あの機械仕掛けの要塞みたいな製錬場の設計を指揮したとされる、ユニコーンの建築家。ずらっと並んだユニコーン達の像は、全て高純度の赤イヴェール合金によって作られていて。これを彫り抜いて像を作るのは、随分と難しいことであったに違いない。また……彫刻も、やはり、絵画と同じように。現実よりも芸術性を重視しているのだろうなぁと思わせる感じの、なんというか、大変スーパーリアリスティックな物であった(ユニコーンにあんなにたくさん足がある必要があるだろうか?)。

 そんな展示を、ぼんやりと見つめながら。

 頭の中に浮かんだ、とても悪い考えを。

 洗い流そうとでもしているかのように。

 レーグートの説明を。

 一言一句。

 聞き逃さずに。

 聞いている。

 とはいえ、説明自体に。

 興味があるわけではないので。

 その内容は、印象に残らない。

 ただ。

 ただ。

 頭の中を洗う。

 言葉の流れが。

 通り過ぎていく。

 そんな風にして……どれだけの時間が経っただろうか。随分と長い時間が経っていることに間違いはないのだが、なにぶん、何も考えないように何も考えないようにと意識していたせいで、その間の時間がすっぽりと抜け落ちたようだ。脳の中の、時間を意識する回路が停止していて。さらに、記憶の領域も曖昧になっていて。自分からそうしたのだが、とにもかくにも、一時間か二時間か、それくらいの時間は経ってしまったようだ。

 そして、いつの間にか。

 真昼の、目の前には。

 巨大なホール。

 広がっていた。

 巨大といっても、地下に開けた空間としては巨大だということだ。恐らくは直径にして一エレフキュビト程度。ホール……確かにホール状の形はしているが、しっかりと半円形に加工された天井なのかといえばそういうわけではない。

 どちらかといえば、岩盤の中になんらかの爆薬を埋め込んで。そして、そのまま何も考えずに吹っ飛ばしたとでもいうような形だ。剥き出しの岩は、ごつごつとした形状のままで露出していて。天井のそこここは凸凹と歪んでいる。

 その天井の中心に、一際巨大な宝石が埋め込まれている。その一つだけで、直径にして十ダブルキュビトくらいの大きさがあるだろう。ここまでの坑道で照明の役割をしていたあの宝石だ。白く、白く、輝いて、このホールの全体を、月並みな表現にはなるが、太陽みたいに照らし出している。ちなみに、念のためにいっておくが、これはアーティフィカルに作り出された魔石であるため、この程度の大きさの物は珍しい物ではない。

 その宝石によって照らし出されたホールの床の部分には……巨大な水溜まりが出来ていた。いや、水溜まりと呼ぶにはあまりにも大き過ぎる。二百ダブルキュビト程度から三百ダブルキュビト程度の直径があるのだから。それに、底もなかなか深そうである。紛い物の青空みたいにして青い色、濁っていて底が見えないので、はっきりとしたことはいえないが。少なくとも、その中で泳ぐことが出来るくらいの深さはあるだろう。

 そして、湖のところどころから、どろどろと頭蓋骨の中に溜まった悪夢のような赤色をした、岩塊がのぞいていた。まるで、湖の中に浮かんでいる孤島のような感じだ。岩塊は、その全体が赤い色をしているというよりは、その岩塊を侵食しているかのように、大部分が赤く染まっているということ。もちろん、いうまでもなく、これは赤イヴェール合金の鉱石である。

 ただ。

 そういったことは。

 このホールの。

 本質ではない。

 このホールにおいて一番重要なのは、その壁面だ。

 というか、その壁面に、取り付けられた物である。

 ホールの壁面には、四つの穴が開いている。そのうちの一つは、もちろん真昼達がここまでやってきた坑道である。それについては別に特筆することはない。注目すべきは、それ以外の三つの穴。坑道から入って真向かいの壁面に抉られた穴だ。

 それらの穴は、坑道のように横向きに掘られた穴ではなかった。上下の方向に掘られた穴だ。例えるならばエレベーターの昇降路みたいな感じ。そして、壁面の穴は、その昇降路に通じる出入口だということである。

 とはいえその穴は、真昼が知っているエレベーターと比べて、あまりにも大き過ぎる物だった。一つ一つが五十ダブルキュビトくらいの横幅があり、その横幅で、ホールの上から下までを貫くようにして開いている。

 そんな穴の中に――これをなんと表現すればいいのか――たくさんの金属製の箱が並んでいた。金属製の箱というか、ちょうどエクスカベーターのシャベル部分みたいな感じのやつだ。中に何かを乗せることが出来る、蓋のない箱。真四角の箱ではなくて、底が曲線を描いているので、その箱を傾けることによって中に入っているものを簡単に出し入れ出来る。

 その箱は、一つ一つの穴の横幅いっぱいの大きさがあって。そして、上下の方向に一列に並んでいる。いや、三つ穴があるので、正確には三列なのだが、それはまあ置いておいて。穴から見える範囲だけではなく、昇降路の続いていく限り、ずっとずっと並んでいるようだ。要するに、これは……下から上へと物体を運ぶための、リフトタイプのコンベアーだということだ。

 レーグートが。

 三つある穴の。

 真ん中を示しながら。

 また、その口を開く。

〈縦穴に到着いたしました。〉

 そう、これらの三つの穴は縦穴だったのだ。そして、このホールは鉱石の集積場だ。坑道の中、採掘した鉱石をここまで運んできて。このホールに貯めた後で、三つあるコンベアーによって地上へと運んでいくのである。

 レーグート、が。

 話し続けている。

〈と、いうわけでございまして……そのようにして削り出された鉱石は、この砕石場まで運ばれてきます。先ほども申し上げましたように、削り出されました時点では、鉱石は未だ巨大な岩塊の状態でございます。そのようなわけでして、ここに運ばれてきた岩塊が一定程度たまりましたら、デザート・ユニコーンによって一気に破砕されるわけでございます。大体……そうですね、玉葱程度の大きさになるまで砕きますでしょうか。それくらいの大きさであれば、人間にとっても運びやすいですからね。その際には、当然ながら、岩盤に対して悪影響を与えることがないように、破砕空間を結界によって包み込むことも忘れません。〉

 そう言いながら、レーグートは進んで行く。それとともに、もちろん真昼達を乗せているユニコーン達も進んでいく。先ほども書いたことだが、このホールの中心部分には、大きな地底湖が出来ている。真昼は、その湖を避けて、ホールの端のところを進んで行くのかと思ったのだが……どうやら、湖を避けようとすることなく、そのまま進もうとしているらしい。

 真昼としては、大丈夫なの?と思ってしまうところである。それなりに深そうに見えるが、それほどでもないということなのだろうか。別に自分の体が濡れることは構わないが、マラーの体が濡れるのはあまりよろしくない。どうなるのだろうと思いながら、それでも何も言わずに様子を伺っていると……とうとう、レーグートの足が、湖の上に乗せられた。

 乗せられた。

 そう。

 乗せられたのだ。

 そして。

 そのまま。

 沈むことなく。

 レーグートの足は。

 その表面を、歩く。

 それから、ユニコーンも、同じようにその足を湖に乗せる。やはり水の中に沈んでいくことなく、湖の上を歩いて行く。そうなのだ、よくよく考えれば、レーグートとユニコーンとなのである。今は、真昼が、カリ・ユガの客人だから、丁寧に接してくれているが。本来であれば、どちらの種族も、人間とは比べ物にならないほどの高等種族なのだ。有している魔力の格が違う。人間ならば、水の上を歩くなんて、よほどのことがなければ出来ないことであるが。こういった高等種族にとっては造作もないことなのである。

 さて、そんな風にして。

 水の上を、歩きながら。

 レーグートは、湖のあちらこちらを指差して、色々なことを説明してくれる。例えば〈この湖は、破砕した後の鉱石を冷却・洗浄するために、地上の湖から引いてきた物でございます。そして……これは、まだ申し上げて御座いませんでしたよね? 恐らく、この程度のことは、わたくしがご説明しなくても推測がつかれていらっしゃるでしょうが。あの湖は、カーラプーラにありますマイトリー・サラスから引いてきた物でございます。つまり、この鉱山を潤しているのも、やはり偉大なる龍にして王の中の王、慈悲深い護り手であるカリ・ユガ様の、その底知れぬほど雄大なお慈悲なのでございます〉だとか。あるいは〈湖のそこここに見えている、ああいった岩塊が、切り出してきたままの鉱石でございます。かなりの大きさがあるということがお分かりになりますでしょうね。第二次神人間大戦の直後は、まだまだ重機などというものは発明もされておりませんでした。とはいえ、軍から払い下げられた様々なマジック・アイテムがございましたので、そういった物を使って運んでいたのでございます。例えば、その笛を吹けば岩さえも踊りだすという笛などでございますね。まあ、岩を踊らせるためには強力な共同幻想を作り出さねばならず、それにはかなりの人数の人間が、一緒に踊らなければならなかったため、現在ではもう使われておりませんが……〉だとか。

 また、レーグートは、〈もしよろしければ、破砕のプロセスをご覧頂くことも出来ますが。さすがに当時と同じ規模で行うわけには参りませんが、ここに残っております岩塊を使って、小規模な再現をさせて頂くことは可能でございます〉とまで言ってきた。なるほど、真昼達をここまで乗せてきたユニコーンは、ただただ護衛・運搬だけのためにいるのではなく、そういったデモンストレーションを行うという役割も担っているらしい。

 マコトは、結構乗り気で「えー、そんなものまで見せて下さるんですか? 砂流原さん、せっかくだからやって頂きましょうよ!」とかなんとか言っていたが。真昼としては、さっきからずっと書いてきているように、そういった事柄には兎毛魚鱗ほどにも興味がない。だから、最低限失礼にならないように、「いいえ、結構です」と一言断っただけだった。

 そうして。

 歩いていくと。

 湖の対岸まで。

 辿り着く。

〈そして、そのようにして砕かれた鉱石は、ここにございます三つのコンベアーに乗せられて、この上にございます貯鉱場兼選鉱場にまで運ばれていくのでございます。〉

 これだけ短い文章であるにも拘わらず、「ございます」が三回も含まれているということに、レーグートが持つ底知れない「ございます」パワーを感じざるを得ないが。それはそれとして、レーグートは、そう言いながらコンベアーを指し示した。

 三つのコンベアーは、近くで見ると相当な迫力を感じる物だった。何せ、一つ一つのリフトが、そこそこ大きめのマンションくらいはあるのだ。今では、完全に停止してしまって、動く気配もなかったが。こんなものが動いている横で働いていた労働者達は、相当の恐怖感を感じていただろう。

 リフトは、よく見てみると、少し青みがかっていた。対世界独立性を高めるために青イヴェール合金を少しばかり混ぜているのだろう。こういったメンテナンスをしにくい場所にある施設にはよく用いられる方法である。

 ただ……それにも拘わらず、ところどころに錆が浮かび上がっていたり、あるいは大きな傷が付いていたり。それは、このコンベアーがどれだけ長い間酷使され続けてきたのかということについての明白な証明であろう。

〈これらのコンベアーは、内側に組み込まれております魔石に蓄積された魔学的エネルギーによって作動する物でございます。エネルギーが一定のレベルまで減少するたびにデザート・ユニコーンが不足した分を補充しておりましたので、人間でも、あそこにございますレバーを操作するだけで動かすことが出来たのでございます。あのレバーは非常に単純な仕掛けでございまして、こちら側に倒れている状態で停止、向こう側に倒していくとリフトが上に向かって動き出しまして、倒す角度が大きくなっていくごとに、どんどんとその速度も上がっていくのでございます。

〈使用しておりませんため、今は停止いたしておりますが……とはいえ、現在でも十分に動きます物でございます。と、いうわけでございまして、ここから貯鉱場兼選鉱場までは、あのコンベアーを使って上がっていくことにいたしましょう。〉

 途中まで、特に意識せずに聞いていた真昼であるが。最後に発せられた言葉は聞き逃せなかった。え? このコンベアーに乗っていくの? っていうか、これ、人間が乗ってもいいタイプのコンベアーなの?

 そんな真昼の心配をよそに、マコトは「へー、これに乗せて貰えるんですか? すごいすごい、なんか楽しそうですね」とかなんとか言って単純に喜んでいる。

 レーグートもユニコーンも止まる様子なく進んで行って、とうとうコンベアーのすぐ目の前に辿り着いてしまった。三つのうち、一番真ん中にあるコンベアー。

 ここまで特に触れていなかったが、コンベアーの中で、ちょうど地上の部分まで下りてきているリフトは、その箱が少しだけ傾いていた。縁をこちら側に向けて倒しているのだ。その結果として、このホールの縁の部分と、箱の縁の部分とがくっ付いている。たぶん、こうすれば、ホールから箱の中へと鉱石を移動させる時に、ただただ鉱石の山を押していけばよくなるからだろう。

 だから、そのまま歩いていけば、無理なくリフトに乗ることが出来る。真昼とマラーとが乗っているユニコーン、それにマコトが乗っているユニコーンは、リフトの中に入って行く。ユニコーンの蹄が金属を踏むと、ホールの中に響き渡るみたいにして、かん、かん、という金属音が鳴った。

 それから、本当になんとなくではあるが。真昼は、鉱石の粉の匂いのようなものも感じた。このリフトに残っていた埃のようなものが、ユニコーンの歩みによって巻き上げられたのだろうか。咳をするほどではないが、閉塞感というか、そんな雰囲気を感じさせる匂いであることは確かだ。

 いや。

 もちろん、真昼はマスクをしていたので。

 それは、明らかに気のせいだったのだが。

 とはいえ、確かに。

 真昼は、感じたのだ。

 ユニコーンはどんどんとリフトの奥へと向かっていき、ついに一番奥まで辿り着いた。ここは、このリフトが傾きを元に戻した時に、一番底の部分に近くなるところである。そして、その場所で立ち止まって、くるっと振り返った。ユニコーンたちの後ろに……レーグートはついて来ていなかった。というか、まだ、リフトにさえ乗って来ていなかった。

 リフトを降りたところ、少しだけ離れた距離にあるレバーのところにいたのだ。そのレバーは、地面から直接突き出しているみたいに見える、かなり頑丈そうな金属の棒だった。リフトと同じ青イヴェール合金を混ぜた材質で出来ていて、大体一.五ダブルキュビトくらいの長さ。人間が持って動かすのにちょうどいい長さだった。

 レーグートは。

 それを掴むと。

〈それでは、コンベアーを動かさせて頂きます。〉

 リフトの中にいる。

 真昼達に向かって。

 こう告げる。

〈多少揺れますので、しっかりとお掴まり下さいませ。〉

 それから。

 前の方に倒れていた、レバーを。

 奥に向かって半分ほど動かした。

 全部動かさなかったのは、そうしてしまうとコンベアーのスピードが最速になってしまって、乗っている人間に不快感を与えかねないと判断したからだろう。とにもかくにも、レバーを動かすとともに、このホールの周囲、岩の壁の中から、何か音がしてきた。巨大な歯車と歯車とが噛み合って、回転し始めたような音だ。よほど大きな歯車なのだろう、ほとんど地響きみたいな音で、真昼の腕の中のマラーがびっくりしてしまったくらいだった。

 しかし、その音が聞こえていた時間は長くはなかった。いや、音が止まったわけではない。その音がし始めてから暫くして、二匹のユニコーンの周りをエネルギー・フィールドが覆ったのだ。もちろんそれはユニコーン自体が発生させたエネルギー・フィールドであって、周囲の騒音や振動やをカットするという、大変都合のいい性質を持つ物だ。ちなみに、最初からエネルギー・フィールドを発生させなかったのは……たぶん、当時の騒音や振動やを実際に体験して貰うためなのだろう。

 それはともかくとして、レーグートは、レバーを倒すとすぐリフトに乗ってきた。パーソナル・トランスポンダーの足がかつんかつんと音を立てて、意外なほどの素早さで二馬のユニコーンがいるところまでやってくる。

 その間も、周囲の壁に埋め込まれているらしい歯車はがこんがこんと動き続けて。レーグートがリフトの一番奥まで辿り着いた瞬間に、とうとうコンベアーが、がくんと一度大きく揺れた。それから、それは、動き始める。

 ゆっくりとではあった。けれども、それは、途轍もなく壮大な光景であった。五十ダブルキュビト、何度もいうが、それなりの大きさがあるビルディングほどの金属の箱が。幾つも幾つも並んだままで、地上に向かって上昇していくのだ。この鉱山が産出する赤イヴェール合金が、どれほどのものかということが、容易に想像出来る光景である。

 もちろん、その箱に乗っている真昼には、その光景は見えなかったが。その代わり、巨大なホールが、次第次第に視界から消えていく光景が見えていた。横向きに倒れていた箱が、その傾きを直していって。やがては真っ直ぐな姿勢へと戻っていく。その際に、ユニコーン達は、少しずつ、自分達がいる位置を調整したので。上に乗っていた真昼達には、特に影響はなかったのだったが……やがては、その箱は、ユニコーン達が張り巡らせたエネルギー・フィールドが放つ光を除いて、岩壁と金属とによって形作られた暗黒の中に飲み込まれてしまった。

〈さて。〉

 レーグートが。

 真昼達に。

 こう言う。

〈これから十分ほどで地上に到着いたします。〉


 赤イヴェール合金は。

 金属の形をした権力、と。

 そう呼ばれることもある。

 それほどまでに重要な。

 いわば、戦略物資なのである。

 さて、それはそれとして。真昼達の乗ったコンベアーは、レーグートが言った通り、その直上にある貯鉱場兼第一採鉱場に繋がっている。そして、これもまた一度レーグートが言ったことであるが、この貯(略)場というのは、大地に開いた採鉱場の大穴、その縁に沿うようにして、幾つも幾つも建てられている建物のうちの一つである。

 ただし、縁に沿うといっても……実際のところは、縁からは少し離れたところに建っているのだが。そもそも、この貯(略)場というのは、縦穴によって地上まで吸い上げられてきた鉱石を集積するための場所なのである。そして、その縦穴というのは、大穴の内側に大量に開いている坑道、そのうちの幾つかを結び付けるようにして、それらの坑道の終着点に位置している。だから、そういった坑道の長さだけ、縁からは離れたところに作らなければいけないということなのだ。

 この貯(略)場というのは。

 長ったらしい名前からも。

 お分かり頂けると思うが。

 ちょっとした複合施設になっている。

 まず、コンベアーによって運ばれたリフトは、ヘッドフレームによって支えられた地上部分へと到達する。この部分は、見た目だけで判断すると、半分ほど地上に埋まった観覧車のようにも思える部分だ。ただし、観覧車にしては随分と大き過ぎるものだし、それに随分と縦長過ぎるが。

 そして、その観覧車の部分に到達した時に、リフトであるところの金属の箱はまたもや外側に向かって傾く。すると、その箱の中に詰め込まれていた鉱石は、エクスカベーターのシャベルが中のものを落とすようにして、がらがらと転げ落ちていく。

 その先にあるのが、これまた恐ろしいほど巨大なベルトタイプのコンベアーだ。幅は、リフトの幅よりも少し広いくらい。運んでいる際に鉱石を落とさないように、真ん中の部分が窪んだ形になっている。鉱石は、今度はこのコンベアーで運ばれる。

 コンベアーは下に向かって緩やかに傾斜しているのだが、その先にあるのがこの施設の第一段階、つまり貯鉱場である。これは六つに分かれたタンクだ。全てのタンクが構造的には全く同じ物である。コンベアーに繋がれているタンクがいっぱいになると、そのタンクは、機械仕掛けの移動設備によって、自動的に、六つある選鉱場のどれか一つへと運ばれていく。そして、その運ばれた先の選鉱場にあった、空っぽになったタンク、その中にある鉱石の選鉱が完全に終了したタンクが、今度はコンベアーに接続されて、採鉱場から上がってきた鉱石を受け入れる側に回るのだ。

 これらのタンクは非常に特殊な構造をしている。まず、タンク自体が、青イヴェール合金と結合したフォース・フィールドによって構成されている。これは外界からの影響、特に魔学的エネルギーの影響を完全にカットするための措置である。そして、タンクの中には魔学的エネルギーを測定するためのセンサーが内蔵されていて、タンク内のエネルギー濃度が一定以上に上がると警告を発するような仕組みになっている。

 また、それどころか。タンクの壁には、エネルギー濃度が上がり過ぎないようにするために、内部の魔学的エネルギーを外部へと放出する魔学的エネルギーの除去装置まで付けられている。一体、なぜここまでの安全設備が整っているのかといえば。それは、無論、赤イヴェール合金という金属が、魔学的エネルギーの影響を受けることによって、様々な効果を発揮する、大変危険性の高い金属だからである。

 ここまで何度も何度も何度も何度も書いてきているように、アーガミパータは魔学的エネルギーに溢れた土地である。そもそも、太陽から照射される神卵光子の量だけで考えても、ナシマホウ界のそれとは桁違いなのだ。そういった場所で大量の赤イヴェール合金を保存するには細心の注意を払わなければいけない。

 もちろん、赤イヴェール合金が発揮する効果は、魔学的エネルギーの量によって変わってくるのであるし、それに種類によっても変わってくる。一般的には、例えマホウ界レベルに魔学的エネルギーが充満している環境下であっても、赤イヴェール合金が自然に危険な効果を発揮することはまずはないと考えていい。

 とはいえ、大量の赤イヴェール合金を一か所にまとめて置いておく際には、いくら注意しても注意し過ぎだということはないのだ。お互いが蓄積した魔学的エネルギーが反応し合って、どんな効果を発揮するかも分からない。そういうわけで、安全性を第一に考えて、赤イヴェール合金の貯石場には、こういった特殊なタンクが使われることがほとんどなのである。

 鉱石を運搬するベルトタイプのコンベアーは、このタンクの中の、「受け入れ室」と呼ばれる部分に接続する。それは、タンクの一番上層の部分であり、実際の「貯鉱室」とは魔学的エネルギー遮断装置によって区分されている。リフトの、あるいは金属の箱の数個分の鉱石がこの「受け入れ室」に溜まると、魔学的エネルギー遮断装置が開いて、「受け入れ室」にある鉱石が「貯鉱室」へと落とされるという仕組みなのだ。

 ただし、単純なやり方で落とされるというわけではない。「受け入れ室」直下には、タンクの内部に均等に鉱石を貯蔵するための、旋回式の積付装置が付いているからだ。この装置が回転しながら鉱石を落下させることで、タンクの一部だけに鉱石が集中して貯蔵されてしまうということを防ぐのである。

 こうして、タンクの中に、鉱石が蓄積されていって。

 満杯になった段階で、第一選鉱場へと運ばれていく。

 先ほども書いたことであるが、一つの貯(略)場につき、第一選鉱場は六つ設置されている。正確にいえば、一つの選鉱場が、六つの建物に分かれているということだ。これは、一つの縦穴から送られてくる鉱石の量があまりにも多いため、一つの大規模選鉱場を作るよりも、幾つかの小規模選鉱場に分けた方が都合がいいからである。

 第一選鉱場まで運ばれたタンクは、その建物の内部へと通じるベルトタイプのコンベアーに接続される。これは、先ほど、リフトからタンクまで鉱石を運んだ物よりもかなり小さなものだ。具体的には、一つあたり、大体一ダブルキュビト程度の幅しかない。形としては、ベルトの真ん中部分が窪みになっているというところは同じであるが、その窪みもそれほど深いものではない。

 タンクの一番下の部分は、まるでケーキの上にクリームを絞り出すための絞り出し口みたいな形、下の方に向かって窄まっていく払出口が取り付けられている。とはいえ、この払出口は一つではない。合計して四つ、横に並ぶ形で取り付けられているのだ。そして、その下に、第一選鉱場へと繋がるコンベアーが接続出来るようになっているということだ。

 コンベアーは、払出口の段階では、まだ五ダブルキュビトほどの幅がある。第一選鉱場の手前で、そのコンベアーが五つに分裂してその建物の中に入ることになる段階で、一ダブルキュビト程度の幅になる。

 さて、その第一選鉱場は、まさに名前の通り第一段階の選鉱を行うための場所だ。これは人間によって行われる手選である。コンベアーの上を運ばれていく鉱石の一つ一つを、人間が目で見て確認していく。

 地下でレーグートが説明したように、坑道で掘り出された岩塊は、ホールの中で破砕され、拳程度の大きさまで小さくなる。こうすることによって、色々と扱いやすくなることは確かではあるが……ただし、一つだけ問題がある。そもそもの、砕かれる前の段階である岩塊の中に、赤イヴェール合金としての鉱物が、均等に含まれていないという問題である。

 地底湖に残っていた岩塊がそうであったように、赤イヴェール合金は、岩塊の中で斑状になって分布しているのである。だから、その岩塊を砕いただけの状態では、鉱石の中に、明らかに赤イヴェール合金が含まれていない、ただの石ころが混ざってしまうことになるのだ。それを手選によって取り除いていく。

 まずは、目で見て、明らかに赤みを帯びていない石ころを選び出す。ただし、そんな石ころであっても、もしかしたら内側に赤イヴェール合金が混ざっているかもしれない。そんなわけで、念のため、魔学的エネルギーを測定するセンサーによって、その石ころに本当に赤イヴェール合金が混ざっていないのかということを確認する。そうして、完全に、ただの石ころであると確認出来たものを、捨石として排除するのである。

 このようにして第一段階の選鉱を終えた鉱石は、ベルトタイプのコンベアーによって運ばれていき、第二段階の選鉱場、つまり浮遊選鉱場へと送られていく。第一選鉱場の一区画当たり二十本あったコンベアー。それらが、また四本にまでまとめられて、そこから更に一本にまとめられて。そして、六つの第一選鉱場、一つ当たり一本のコンベアー、つまり六本のコンベアーが浮遊選鉱場へと繋がっている。

 浮遊選鉱場というのは……第一選鉱場の建物の近くに作られた、非常に大きなプールみたいな構造物のことだ。プールといっても水を溜めるためのプールではなく鉱石を溜めるためのプールであるが。

 プールは完全な円形をしている。そして、一本当たり約二十ダブルキュビトの幅となったコンベアーは、このプールの六つの方向、プールの中に六芒星を描いた時にそれぞれの頂点となる方向から、それぞれ鉱石を流し込むようになっている。

 プールの壁は、青イヴェール合金の微細な破片を混ぜることによって対世界独立性を高めたUHIC(Ultra-High Independence Concrete)と呼ばれるコンクリートで出来ている。そして、その底には巨大なマジック・ジェネレーターが埋め込まれている。このマジック・ジェネレーターは上空の製錬場の外縁に取り付けられたマジック・ジェネレーターと対になる物だ。

 こちら側のマジック・ジェネレーターからあちら側のマジック・ジェネレーターに向かって、一種の「通路」のようにして、常に魔学的エネルギーが通じている。その魔学的エネルギーに引き上げられるようにして、鉱石は、製錬所に向かって浮かび上がっていくのだ。そして、あちら側のマジック・ジェネレーターに到達した鉱石は、そのまま製錬の過程へと入っていく。

 一方で、含有している赤イヴェール合金の量が少な過ぎる鉱石は、魔学的エネルギーに十分反応し切ることが出来ず、この「通路」によって引き上げられることがない。そのため、そのままプールの底へと溜まっていく。そして、プールが満杯に近いくらい溜まったところで、その全てを捨石として排除するのだ。ちなみに、その排除作業を行うためにはプールに入ってくる鉱石の流れを一度止めなければいけなくなるため、その貯(略)場に関係する労働者は、あるいはその貯(略)場に繋がっている鉱道の労働者は、このプールが空の状態から満杯の状態になるまで働き、そして満杯になったら休日となるといった一定の周期で働いている。

 このようにして。

 赤イヴェール合金の鉱石は。

 採掘されて。

 製錬所まで。

 運ばれるのである。

「いやー、それなりに面白かったですね。」

 腰にバスタオルを巻き付け、足にスリッパをつっかけただけ、他は完全な裸体のままでシャワールームから出てきたマコトが、例のへらへらとした笑顔を浮かべながらそう言った。この笑いは、なんというか、本当に掴みどころのない笑いであるため、その顔のままで何を言おうと、それを本気で言っているのか冗談で言っているのか、聞いている方はまるで分らない。

 さて、ところで……シャワールーム、と書いたことで分かって頂けると思うが。ここは、ラクトスヴァプーン・カーンの入り口にあるモノレール・ステーション、要塞のような建造物の中にある、あの更衣室である。

 リフトタイプのコンベアーを使い、坑道から地上へと向かって出発したあのシーンからは、随分と時間が経っていて。真昼と、マラーと、それにマコトとは、貯(略)場の見学を終えて、ここに戻ってきていたのだ。

 そう! な、な、なんと、真昼たちが貯(略)場を見学しているシーンは全面的にカットされてしまったのである! せっかく楽しみにして下さっていた読者の皆さん、色々な施設を真昼ちゃんがどんな風に見学していたのか気になって気になって仕方がない読者の皆さんには大変恐縮なのですが、見学のシーン及びその見学の時に真昼がどんなことを感じていたのかといったことを書いていては、いつまでもいつまでも話が終わらないのでありまして。それにですね、そもそもの話として、そういうシーン興味ある人います? アーガミパータの赤イヴェール合金選鉱事情に興味がある人なんて圧倒的少数派でしょ……いや、いないとはいわないですけど……世の中変わり者が多いから……と、いうことで。爪を骨に埋め歯を噛み砕く思いで、そういった部分に関しましては、完全に省略させて頂くことにいたしました。

 さて、それは。

 それと、して。

 マコトは、アーガミパータにいるとは思えない寛ぎようだった。シャワールームから出てすぐのところにあるベンチに座ると、その上に置いておいた瓶入りのヨーガスを取り上げて、のんびりとした感じでごくごくと飲み始める。そのヨーガスは、採掘場の労働者達が喉が渇いた時に自由に飲めるように設置されていた大量のヨーガスの内の一本であって、「そういえば……喉渇きませんか、砂流原さん」とかなんとか言いながら、マコトが一人に一本ずつ、勝手に取ってきたものだ。

 まあ、勝手にといっても、それを取ってくる時にはユニコーンから降りていたのだし、そして、取ってきた後には、ひらりとユニコーンに攀じ登ったので(驚くほど軽い身のこなしだった)、ユニコーンはマコトがそれを取っていったことを知っていたし。それにレーグートも、見ていた見ていなかったに関係なく知らないはずはないので、黙認されたというか、実質的に貰ってきたようなものではあったが。

 そういえば、これは大変どうでもいいことなのだが。風呂上がりの裸の姿、マコトの胸には驚くほど胸がない。「胸には胸がない」と書くとなんだか矛盾している表現になってしまうが、いわんとしていることは伝わってますよね? まるで男みたいな体だ、これはもともと胸がないというよりも、生殖器官を全て切除した時に、ついでに胸も取っ払って貰ったからである。ああいうのは動く時に邪魔なので、ないならないに越したことはない。

 ちなみに、ここでついでに触れておいたほうがいいかもしれないが、マコトの生殖器官切除についての話だ。マコトは子宮だけではなく卵巣も全摘出している。それは、生理もそうなのだが、排卵に伴う諸々の出来事が取材をするに際して非常に邪魔であったからだ。ただ、とはいえ、このようにして卵巣まで切除してしまうと別の問題が発生することは読者の皆さんもご存じであろう。そう、その通り、女性ホルモンの低下に伴う更年期障害の諸症状だ。ほてりだとか発汗だとか、それくらいならまだなんとかなるが。動悸・息切・眩暈、それに精神状態の不安定化。このような諸症状に対して、マコトはどのように対処しているのだろうか。

 実はなんの対処も行っていない。生殖器官を切除してから暫くの間はホルモン補充療法としてホルモン剤を飲んでいたが、その「暫くの間」が過ぎると、いちいちホルモン剤を飲むのが面倒になってきて飲まなくなってしまったのである。そうして、そのまま月日が流れていったということだ。どうもマコトはそのような症状が出ないタイプの女性だったようだ。あるいはホルモン剤を飲んでいた間に症状が終わってしまったのか。どちらにせよ、マコトには、もう生殖器官切除についての目に見えるデメリットはなかった。

 しかしながら、まだ、例えば骨粗鬆症だとか動脈硬化だとかのリスク増加に関しては、そういった症状が出るのには数十年かかるということで、危険性が残っていないわけではないのだが。とはいっても、マコトは、どうせ自分が長生き出来るとは思っていなかったし。実際に、今からちょうど十年後、そういった諸症状が出るような年齢になる前に焼身自殺をして死んでしまうので、そのような危険性に関してもオールグリーンと考えてしまってよろしいのでした。まあ、この話についてはそういった感じでお終いです。

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