第二部プルガトリオ #14

 つーか真昼ちゃん内心の独白――モノローグ――長過ぎない? いや、マコトじゃないけどさ、そこまで深く考える必要ないでしょ。生きてりゃ良いことあるだろうし、死んだら全部チャラになるんだからさ。もっと気楽にいこうぜ、気楽に。親の縁で楽して生きよう! 親の金で楽して生きよう! ラブ・プラス・マネー・イコール・ハッピー、人生の秘訣はこれよ。

 んまーそれはそれといたしましてですね。鉱山集落を歩いている時に、真昼は一つ気が付いたことがあった。それはここに住んでいる人々の種類が非常に多様だということだ。ゼニグ族とヨガシュ族とという違いだけではない。どうやら――真昼はアーガミパータの言葉がよく分からないのではっきりとしたことは言えないのだが――イパータ語だけではない、様々な言語が話されているようだった。無論、イパータ語で話す人々が圧倒的に多い。それに、カタヴリル語やダクシナ語やらしき言葉は聞こえて来なかった。けれども、それでも、マコトに向かって掛けられる声には、真昼が聞いたことがないような言語の響きが混じっていた。

 ゼニグ族とヨガシュ族と、言語、黒から白までの肌の色のグラデーション。それに、服装や装飾品やといった文化的な違いまで。ここには多種多様な人々が集まっているみたいだった。確かに、そういった人々は、あまり積極的に交わることがなかった。特に、ゼニグ族とヨガシュ族とはほぼ確実に混ざり合うことがなかった。ゼニグ族は、そうするのが快感だからというよりも、ほとんど秩序維持のための義務的行為としてヨガシュ族のことを軽蔑していて。そして、ヨガシュ族はそのことを当然だと思っている節がある。先ほど見たところの、広場で遊ぶ子供達でさえ……なんとなくではあるが、分というものを弁えていた。

 これは、一体。

 どういうこと。

 なのだろうか。

 龍王領の方針は「差別すれども平等」であるはずだ。基本的には、それぞれが有する社会学的差異に基づいて、分割した統治を行う。当然ながら、将来においてそういった社会学的差異が消えて行ってしまうこともあるだろう。それは社会における多様性の観点からは残念なことであるが、そうはいっても物事は低い方に流れていくものなのだから仕方がない。そのような場合は、差異が無くなった人々を統合していく。いつの日かゼニグ族とヨガシュ族とという際さえもなくなってしまう日が来るだろうが……とはいえ、それは今ではないのだ。

 そういうわけで、この鉱山集落のように全ての人種がごちゃごちゃになっているというのは大変おかしなことである。おかしいどころか危険でさえあるだろう。際は摩擦を生み出し、摩擦は熱を生み出し、熱は全てを焼き尽くす可能性があるからだ。つまり、なんの社会科学的な分析を伴うことなく、ただただ「平等」の一単語だけを掲げて、様々な差異を無理やり一つ所に集めることほど危険なことはないということである。人間という生き物は基本的には愚かな生き物であって……ストレッサーに対して、とかく暴力的になりがちなのだから。

 人間至上主義諸国ならともかく。

 賢明な、優秀者支配制の集団が。

 なんの理由もなく。

 そんなことをするとは。

 考えられない。

 というような差別的な考えを、もちろん真昼が持ったわけではなかった。いや、深層心理においてはそういった考えを「理解」していただろうが。あくまでも、心の奥深くに隠されていた。その一方で、心の表層に浮かんできていた考えは。ある種の希望の紛い物、あるいは、自分の中で希望であると思い込もうとしたものだ。要するに……こういった、人間の根源的な生活(と真昼が思い込んでいる生活)においては。やはり、人々は、あらゆる差異を乗り越えて協力して生きていける。真昼は、そう思い込もうとしたということだ。

 欺瞞である。あらゆる意味で。まず、真昼の視点から見てさえ、ここにいる人々は差異を乗り越えて協力しているとはいいがたかった。なにせ人種ごとに分かれて、出来る限り互いのことを隔離しあっていたのだから。次に、真昼とて忘れているわけではなかった。ここにいる人々は、カリ・ユガによるポゼショナイズを受けているということを。ということは、ここにいる人々は、ここにいる人々の力だけによって差異による摩擦熱を抑えているわけではないということだ、少なくとも可能性の上では。とはいえ……欺瞞と偽善とを責めることなど誰にも出来ないのだ。愚かであることを責めることなど誰にも出来ないのと同じように。

 まあ、それはそれとして。

 そんな真昼であっても。

 この鉱山集落の状態は。

 何かおかしいな、とは。

 思ったのである。

「ここには。」

「はい?」

「色んな人がいるんですね。」

 そんなわけで、真昼が発したこの一言には、二つの意味が込められていた。まず一つ目は、純粋に、この場所がどうして人種のサラダボウルのような状況になっているのか、それを遠回しな言葉で質問したということ。もう一つが、マコトに対する、ある意味で好戦的な意味合いを込めた言葉だということである。

 かなり単純化したいい方をすれば、真昼にとってのマコトとは、つまるところ人間性の否定者である。そして、真昼には、そのことが絶対に許せない。真昼はなんとかして人間という生命体に対する希望をマコトに認めさせたいのだ。

 そのために、ここには色々な人がいて、それらの人々が共存しているという、見れば分かるような当たり前の事実を、わざわざ口にしてマコトに提示したというわけである。マコトのような世界観を持つものは、きっと、差異を持つ人間達は互いの違う部分を認め合うことが出来ず、争い合うことになるという考えを抱いているだろう。この場所は、そんな考えに対する有効な反論になりうる……と、真昼は考えたということだ。

 そんな真昼の言葉に対して。

 マコトは、いつものように。

「あー、そうですね。」

 笑いながら。

 こう答える。

「ここは、国内避難民の定住地区ですから。」

「国内避難民の?」

「ええ、そうですよ。」

 そう言いながら、マコトは。

 ちらと視線を落として。

 フィルムの残り枚数を。

 軽く確認する。

「カリ・ユガ龍王領にはアーガミパータの各地から国内避難民が集まってきますから。まあ、とはいっても……さすがに南アーガミパータから来たって人はいないと思いますけど。何せ、ここは北アーガミパータですからね。

「あーっと、もしかしてもしかすると、デニーさんに教わっていないかもしれないので、念のためにご説明しておくとですね。カリ・ユガ龍王領は、アーガミパータの北西の端っこのところにあるんです。一番端のあたり、ちょうどスカハティ山脈と隣り合う位置にあるんですね。それで、世界地図をご覧になったことがあると分かると思うんですけど……ああ、世界地図っていっても、きちんと地形が描き込まれてるやつのことですよ? それで、そういうのを見ると、大陸からアーガミパータ半島を切り離す形になっているスカハティ山脈の、その南側の部分が、ちょっとだけ途切れた感じで描かれているんですよね。

「その途切れているところを塞ぐようにして、この場所があるということなんです。その途切れている部分は、例えばゼニグ族が侵入してきたり、例えばヴェケボサンが侵入してきたり、言ってみれば中央ヴェケボサニアからアーガミパータへの入り口としての役割を果たしてきたんですけれど。現在では、その反対に、アーガミパータから中央ヴェケボサニアに脱出することが出来る数少ない出口の一つとなってる。

「そういうわけなんで、そこに向かって国内避難民が押し寄せて来ているっていうことなんですよ。第二次神人間大戦前はそんなことはなかったんですけど……まあ、あの時代の戦争は、戦争といったって神国と神国との戦いでしたからね。人間も、きちんと国民として国家に所属していましたから。けれども、第二次神人間大戦後にアーガミパータに生まれた集団、人間至上主義的な価値観に支配された集団は、エコン族の神々の復讐によって、credit……信用? 信頼? 信仰ですかね、とにかく、集団への帰属心のベースメントとなるべき感情を歪められてしまっている。そのせいで、そういった集団間で起こる戦争も、真聖さを欠いたもの、より一層人間的なものに、自然となってしまっているんですね。そしてそんな風にして帰属するべき集団を見失った「砂塵としての人間」が国内避難民になる。

「さて、カリ・ユガ龍王領としては、こういった国内避難民を領民として受け入れるメリットはないわけです。「砂塵としての人間」は、なんというか、非常に人間的な人間で。自分がただの人間ではなく何か特別な生き物であると考えていますからね。人間に出来ることなんて、たかだか世界を一つ滅ぼすとか、あるいは反対に世界を一つ救うとか、それくらいが精いっぱいだっていうのに……まあ、アルファ知性所有者の方々は別ですけどね、あの方々に不可能はないですから。とにかく、そのようにして自分というものをよく理解出来ていない人々は、集団内で自分が占めている場所に関して、得てして不満を抱きがちなものです。そして、自分が望む場所を獲得しようとして、集団内の秩序を乱してしまう。そういったことはカリ・ユガ龍王領としては決して望ましいことではない。

「それ以前の問題として、流入してくる国内避難民は、集団内部に多様性を生んでしまいますからね。人間のように「環境」に対して十分に適応し切れていない生命体にとっては、多様性も時には必要となってくるかもしれませんけれども。龍王という一種の完全適応者に支配されている龍王領では、多様性というのは、むしろ害にしかなり得ない。これは人間至上主義的な価値観を持っている方々にとっては理解しにくいことかもしれませんが……そうですね、鮫という生き物を比喩的に考えて頂くことで分かるでしょう。鮫は、他のほとんど生物とは違っていて、「神々の時代」から進化の歩みを止めてしまっています。それは、彼ら/彼女らが「環境」への完全適応者だからです。下手にそこから進化してしまうと、「環境」から外れてしまって、逆に淘汰の対象となってしまう。まあ、将来において「環境」が大々的に変更されることもあり得なくはないですがね。ただ、その前に多様性ばかりを追求することで滅びてしまっては意味がないですから。つまるところ……カリ・ユガ龍王領にとっての難民はそういう存在なんです。

「一方で、この現象を、人間至上主義諸国の視点から考えてみましょう。特に、エスペラント・ウニートなどの、移民を積極的に受け入れるという政治的スタンスを採っている国家の視点から。そういった国家にとって、アーガミパータからの国内避難民は、脅威でしかありません。それには色々な理由がありますが、最も大きな理由としては、アーガミパータからの難民は基本的には神的な価値観の持ち主であるということです。それはもちろん、人間至上主義的な価値観に染められていなくはないですよ? そうでなければそもそもアーガミパータを脱出しようと思わないはずですしね。けれども、その生活の根底を支えているのはやはり神的な価値観ということです。

「そうですね、一例をあげてみましょう。アーガミパータのある地域においては、男性と女性との役割ははっきりと区別されています。そうした方が、戦争という事業を遂行する上でより効率的ですから。子供を妊娠出来るのは女性だけですし、子供を妊娠したまま戦場に立つことも出来ない。となれば、誰かが子供を育てなければいけない以上、妊娠による戦闘不能期間がある女性に育てさせるというシステムが論理的には正しい。そんなわけで、男性は戦闘用の道具、女性は再生産用の道具として、自然と固定化していたっていうわけです。今となっては、そういった再生産は、金銭によって別の階層に押し付けられがちですが……あの時代には、代わりに妊娠させたり、代わりに育児をさせたり、便利に使える貧困層というものはいませんでしたからね。

「しかし、戦争の必要がなく、役割を押し付けることの出来る貧困層もいる人間至上主義諸国においては、差別の構造が男女間から貧富間にスライドしてしまっています。要するに、男性と女性との間では差別がなくなっている。ここで価値観の差異が生まれます。いわゆる多様性ですね、あはは。しかも、ここでより一層不味いのは、アーガミパータからの移民は、人間至上主義諸国での被差別集団である貧困層に陥りがちだということです。もちろん、その全てがそうだということはないですよ。けれども、アーガミパータからの移民は、普通はろくな教育を受けていませんから。少なくとも、その大部分は博士だの大臣だのにはなれないというわけです。結果として、サロゲートマザーだのベビーシッターだの、本来やりたくない仕事は移民達に押し付けられることになる。それだけではありません。例えば、アーガミパータにおいて差別されていたジャーティ、清掃ジャーティや奉仕ジャーティといった仕事がやるべき仕事も、やはり移民達の仕事……より正確にいえば、貧困層の仕事とされている。

「これは移民達にとっては承服しがたいことです。そもそも神国的価値観からすれば金銭なんて卑しいものですから、そんなものが社会的な地位に直接関わってくるということ自体が理解出来ないわけです。金銭トレーダーだのスポーツ選手だの、そういった人がいなくても社会は大した影響を被らないですよね? 農民だの職人だのの方が、遥かに社会の構造には重要です。それにも拘わらず、後者よりも前者の方が何千倍もの金を稼ぎ、何億倍もの尊敬を集めている。完全に理解の埒外である現象であって――更に重要なことに――自分達は、その社会構造の、上層ではなく下層に位置付けられている。

「ということで、移民達は失望を抱きます。こんなはずではなかった。人間至上主義は人間に対する自由と平等とを約束した、それなのに、自分達に与えられたものは、奴隷を隷属させるための鎖だけだ。失望は絶望となり絶望は社会に対する根源的な破壊の欲求となる。そう、人間至上主義社会の破壊です。先ほど私は言いましたよね? 移民達は、その根底では神的な価値観の持ち主だって。その根底の部分が、意識の表面に浮上してくるわけです。自分達にとって、もはや人間至上主義は、選択に値する価値観ではない。とはいえ、アーガミパータに戻ることは出来ない。では、どうすればいいのか? 人間至上主義諸国に神的な価値観を受け入れさせればいい。どんな手段を使っても。

「まあ、理解出来なくはないですよね。私だって嫌ですよ、まともな対価を支払われることなく、代理母だの便所掃除だのをやらされるのは。あはは、代理母と便所掃除を同列に語るのもどうかと思いますけどね、とはいえ、どっちをやるのも嫌です。そういった役割を押し付けられるというのは、一種の暴力であって、暴力に対して暴力によって対抗しようというのは、下等知的生命体である人間にとってはとても自然な感情です。

「ただ、ここで一つ注意しておかなければいけないのは……こういった感情は、人間至上主義諸国において人間至上主義的な価値観を有する人間にのみ特有の感情だということです。そもそも神国においては、集団と個人との間である種の暗黙の契約が働いています。個人の側は与えられた役割を果たす。一方で、集団の側は、個人がまあまあ受け入れられる範囲での役割を渡す。そして、こういった暗黙の契約のことを、私達は「宗教」と呼んでいるわけです。しかし先ほど触れた暴力的な感情は、この「宗教」が壊れたところに存在している。つまり、原理主義的信仰というものは、人間至上主義によって「宗教」が壊されて初めて可能となる信仰の一形式であるということなんです。

「さて、このようにして移民達はテロリストへと変態を果たします。とはいえ、もちろん移民達の全てがテロリズムに手を染めるわけではありませんけどね。というか、移民達の九十九パーセントは移民先の集団の価値観をごくごく自然に受け入れるでしょう。百分の一……いや、千分の一……うーん、これでもまだ過大な評価ですね、そう、一万分の一。移民たちの全体に比して、テロリストになる人間は、一万分の一もいればいい方でしょう。ただ、それでも。例え、たった一人でもドメスティック・テロリストが生まれてしまえば。その一人が一体何をすることが出来るのかというのは、きっと私の口から説明するまでもなくご理解頂けると思います。

「そういうわけで、アーガミパータ外にある人間至上主義国家にとっては、アーガミパータからの移民というのは厄介な問題となってくるんです。建前上は受け入れないわけにはいかない、何せ人間至上主義とは、全ての人間は生まれながらに自由であり生まれながらに平等であるという思想ですから。そう主張しておきながら、アーガミパータから自由と平等とへの熱い希望を抱いてやってきた「人間」達の受け入れを拒否するというのならば、それはただの偽善ということになります。まあ、私個人の意見としては、偽善もそう悪くないと思いますけれど……一方で、もしも受け入れれば。その中の何人かがテロリストとなる可能性がある。恐らくは、何万人も受け入れて、その中のたった数人だろう。けれども、その数人が誰を殺害し何を破壊するかということを考えれば、少なくとも積極的に移民を受け入れたいという気持ちにはならないってわけです。本音としては、移民を受け入れたくない。このアンビバノンノな感情をどうすればいいのか。

「ここに、カリ・ユガ龍王領と人間至上主義諸国との共犯関係が発生するということです。つまりですね、もしも、仮に、移民達がアーガミパータから脱出する前に、その凄まじい人間の洪水を押しとどめてくれる「何者か」がいれば。例えば、スカハティ山脈の南端に開いている中央ヴェケボサニアへの出入り口を、その「何者か」が塞いでくれれば。人間至上主義諸国としては、大変助かるというわけです。そもそも移民が来なければ、それを受け入れるも受け入れないもないですからね。そして、もちろん……私が今ここで言いたいのは、カリ・ユガ龍王領こそがその「何者か」だということです。

「砂流原さんは不思議に思いませんでしたか? なぜ、ゼティウス形而上体によって支配されているような集団が、アーガミパータと中央ヴェケボサニアとの境目という、大変重要な場所に存在することを許されているのかって。それは、確かに、ここはアーガミパータです。とはいえ「こちら側」の世界にあるということは間違いないですし、それ以前に、カリ・ユガ龍王領は暫定政府軍と敵対関係にある。それにも拘わらず、人間至上主義諸国は、カリ・ユガ龍王領を本気で叩き潰そうとはしていない。

「この問題に対して貿易関係を持ち出すのは間違いです。確かにカリ・ユガ龍王領と人間至上主義諸国とは、主に赤イヴェール合金の貿易によって密接な関係を築いています。でも、それがなんだっていうんです? カリ・ユガ龍王領を滅ぼしたとしても、それで鉱物資源がなくなるってわけではありませんからね。人間至上主義諸国としては、カリ・ユガ龍王領を叩き潰して、それから暫定政府かどこかに鉱物資源を掘り出させればいいというだけの話です。でも、そうしない。それはなぜか。

「もちろん第三次神人間大戦を防ぎたいという理由もないわけではないですよ。カリ・ユガ龍王領を叩き潰すということは、つまり龍王を殺すということです。そうなれば、それなりの大規模戦闘は避けられませんし、そういった大規模戦闘は得てして他の場所に飛び火しがちなものですからね。どんどんと広がった火の手が、やがてアーガミパータ全土に広がって、手に負えない大火災になるというのは、あまり想像したいたぐいの話ではありません。ただ、ある意味ではそれ以上に重要な理由があって……それこそが、難民問題におけるカリ・ユガ龍王領と人間至上主義諸国との共犯関係だということです。

「アーガミパータ各地からスカハティ山脈を越えようとしてやってきた人々を、カリ・ユガ龍王領は、無理矢理に、国内避難民として受け入れます。そして、ローガラトナを与え、領民としての生活を押し付ける。そのような人々は、先ほども言ったように、人間至上主義のシンパサイザーですからね。本来ならばアーガミパータのような場所にとどまっていたくないでしょうし、一刻も早く人間至上主義諸国に移民したいはずです。けれども、これも先ほど言ったことですが……その根底には確かに神的な価値観を有しています。だから、少なくとも戦争に巻き込まれることのない、そこそこの生活を送ることが出来る、この場所にいるうちに。次第に与えられたものに満足してくるようになって、人間至上主義諸国に移民することを諦めるようになる。

「こういった芸当は、暫定政府にはまず無理です。砂流原さんは暫定政府が運営している国内避難民キャンプに立ち寄られましたか? 立ち寄られてない? そうですか、それは何よりです。ああいった場所は、砂流原さんのような方には……多少不愉快な場所ですからね、あはは。まず、明らかに人が多過ぎる。私が見てきたところの中で最悪のものは、三千人を収容する予定で建てられたキャンプに、一万五千人の国内避難民が収容されていました。こんな状況下ではまともな衛生管理など出来るはずがなく、キャンプ中に悪臭が漂っているような状態でした。一人が病気になると、瞬く間にその病気がキャンプ全体に広がるような有様です。

「それどころか……そうそう、はははっ……ちょっと面白い話がありましてね。これはその一万五千人を収容しているキャンプとは違うところ、北西アーガミパータの乾燥している地方にあるキャンプで起こったことなんですけどね。収容者の一人があまりに悲惨な状況に絶望して焼身自殺をしたんです。これ自体は特段珍しいことではないんですが、火をつけた後にですね、その収容者が、ちょっとばかり暴れ回ったそうなんですね。そして、そのせいで、火がテントに燃え移った。過密過ぎてテントとテントとの間がほとんど空いていなかったから、その火はテントからテントへと次々に燃え移っていって、最終的にはキャンプ全体が燃え上がることになってしまったんです。キャンプにいた人々は、気が付いたら火に囲まれていたので、逃げることも出来なくて。結局のところ、収容者の九割が焼け死んだそうですよ。はははっ! 全く、暫定政府としたらいい厄介払いが出来たっていうところでしょう。

「生活に最低限必要なものも揃えられないんですよ。暫定政府は。テントはぼろぼろ、屋根には穴が開いていて、東アーガミパータや南アーガミパータやといった比較的湿度の高い地方では、そこら中に黴が生えている。飲み水がないから汚水を啜らなければいけないし、食べ物がないから土を食わなければいけない。汚水を飲めば病気になる恐れがあるし、土を食えば胃袋が破れる恐れがありますが、そんなことをいっている余裕はないんです。しかも、何かの仕事を任されることもなく、ただただ邪魔者扱いされて、生き甲斐の欠片も見いだすことなく死んだように生きていくんだけなんです。こんな場所に、国内避難民としてとどまりたいと思いますか? 私ならそうは思いませんね。

「それに第一、暫定政府は人々に対して思考ロックをかけることが出来ませんからね。それだけの技術がないというのはもちろんのこととして、例え技術があったとしても、人間至上主義者のための政府であるという建前上は、人間の「自由」を脅かすことになる思考ロックなんて使えない。となると、国内避難民に対して下手に物資を投入してしまうのは大変危険だというわけです。ここの人達を見て頂ければ分かると思うのですが、様々な地方から、様々なジャーティーの人々が、ゼニグ族とヨガシュ族とという区別さえなく、国難避難民としてやってきます。そういった人々が一か所に集められて……しかも、そういった人々は、半分は人間至上主義者で半分は神的価値観の持ち主である。

「これで混乱が起こらないわけがありませんよね? 基本的に、心の底では今までの価値観を手放していないので、その価値体系の中で自分より下だった人間に対しては自分よりも良い待遇が与えられることを許さない。しかし、人間至上主義者でもあるので、自分より上の人間から差別されることも許せない。砂流原さんは、これは大変都合がいい話だと思われるかもしれませんが、人間というものは得てしてこういうものですよ。というか、例え百パーセントの人間至上主義者であっても、その「人間」というくくりの中に自分の都合のいい「人間」以外を含めているのはごく少数です。それはともかくとして、国内避難民にとっては、自分が一番優遇されていないと気が済まない。

「それだけでなく、オールドファッションな闘争の問題もある。ゼニグ族とヨガシュ族とはもちろんのこととして、ここはアーガミパータですからね。どの地方に住んでいる民族であったとしても、多かれ少なかれ、他の地方に住んでいる民族との確執がある。隙があれば互いの民族を滅ぼそうとしていることもしばしばです。そんなわけで……少しでも元気があると、国内避難民は、暴動を起こしてしまう可能性がある。

「だから、極力元気を与えないようにする必要があるということです。暴動を起こすほど元気ではないが、国際的な人権組織から糾弾されない程度には生きている。それくらいで納めておく必要がある。そういうわけで暫定政府は国内避難民に対してあまり物資を与えることはない。それに、万が一暴動を起こしてもいいように、かなりの僻地に国内避難民キャンプを設置する。結果として、劣悪な居住環境になってしまうんですね。

「ここは……国内避難民向けの施設の中では、ほとんど最高の場所だと思いますよ。少なくとも私が見てきた中ではということですが。教会が作った国内避難民キャンプも、まあ暫定政府のそれよりはましですが、やはりそこに住む人々には、なんとはなしの無気力感と、なんとはなしの無秩序感が漂っていますからね。ここにいる人々には「宗教」がある。原理主義的な意味での宗教ではなくて、原初的な意味での宗教ですよ。ここにいる人々は絶対的な力との契約の下にある。しかもその力は、絶対的であるというだけではなく、人間至上主義ともトラヴィール教会とも違っていて、今までアーガミパータの人々が服してきたところの力……つまり、龍王という神的な力である。

「思考ロックによって、無意味な憎悪や、無意味な嫌悪や、そういったものは全て削除されている。そして、きちんとした生きがい、つまり強制労働を与えられている。これが大変重要なことだということです。例え、どんなにしっかりとした住居を与えられても。例え、生きるのに必要な全ての品物を与えられても。人間という生き物は、それだけでは足りません。全く足りないんです。人間には、秩序というものが必要なんです。もっと簡単に言えば、絶対的な権力の支配下にいるという安心感が必要なんです。そういうわけで、国内避難民をアーガミパータにとどめておくには、カリ・ユガ龍王領のような神的な権力の支配下にある集団がどうしても必要になってくるということですよ。

「と、まあこういった理由で、国内避難民の収容なんて全く望んでいないはずのカリ・ユガ龍王領に、このような定住地区があるということです。国内避難民の数は年々増加しているので、今となっては鉱山労働者のほとんどがそういう人々で賄われています。掘る場所は限られているんだから、そんなに人がいても仕方がないと思うんですけど、とはいえ人間至上主義諸国のためにも難民を流出されるわけにはいきませんでしょうしね。つまるところ、私が言いたかったのは……もしもこの領を滅ぼせば、大量の移民が流出して、人間至上主義諸国は大混乱に陥ることになる。いざという時に、そんな風に脅しをかけるためのホステージとして、ここにいる国内避難民の方々はカリ・ユガ龍王領にとって大変重要だということです。まあ、それはそれとして着きましたよ。」

 そういって。

 マコトは。

 目の前を。

 指差した。

 そこにあったのは一つの建物であった。今まで見てきたどんな建物とも違っていて、過剰とも思えるほどのアーガミパータ的な装飾美もなければ、物足りなく感じるような人間至上主義的な機能美もない。かといって、鉱山集落を形作っていた、あの生物学的な形状の、コンマギーアの建物だというわけでもない。

 それはなんというか……極めて実務的な建物であった。美しさに関する観点を一切排除して、ただひたすらに使いやすさだけを重視した、まさに労働者のために作られた建物。基本的には赤みがかかった煉瓦で出来ていて、ところどころが青イヴェール合金とフォース・フィールドとの混合物質で補強されている。

 その建物は……言葉を濁すことなくはっきりといえば、一つの「駅」であった。そう、それは「駅」だったのだ。とはいえ、一般的に駅といわれて思い付くようなディレール・タイプの電車用の駅ではなく、モノレール・タイプの電車用の駅であったが。この「駅」は、ちょうど鉱山集落が途切れる地点に作られていて、そこから先は、人の姿も見当たらない、ちょっとした土沙漠のような地帯が広がっている。そして、「駅」から続くレールは、そちらの方に向かって伸びていた。

 そのレール、たった一本のレールは、「駅」の上方部分から吐き出されている。大体五ダブルキュビトくらいの高さだ。赤イヴェール合金をベースとして作られているため、なんとはなしに凝固した血液のような色合いを持っている。これは魔力浮上式モノレールの特徴であって、どうやらリニアタイプのマジックモーターカーを利用しているらしい。レール自体は、地上と接することなく、時折支えとなる巨大な柱に支えられながら、土沙漠の向こう側に向かってどこまでもどこまでも続いている。

 このようなモノレール式にしたのは、恐らくは、わざわざ土沙漠を整地してその上にレールを敷設していくという、普通のディレール式のレールを整えるのが限りなく面倒だったからだろう。カリ・ユガ龍王領にはグリュプスのような飛行労働者がいるので、地上から離れたところにレールを敷設する作業も比較的容易に行うことが出来る。

 さて、一方で「駅」自体であるが、主に二つの部分から成り立っている。まず一つ目がレールを吐き出している部分、つまり文字通りの意味での駅舎の部分である。この部分は、未だ言及していない二つ目の部分から鳥小屋のような形で突き出していて、その外側には右側と左側とのそれぞれに屋根付きの階段が設置されている。また、駅舎の下の部分、その駅舎を宙に浮かんだ形で支えている二本の柱は、どうやらそれぞれの内側がエレベーターとなっているようだ。

 鳥小屋のようになっている本体の部分は煉瓦で作られていて、それを支える柱は青イヴェール合金をベースとした混合物質で作られている。また、煉瓦を支える補強材のようにして、金属で出来た外殻のようなものが枠組みとなっている。この金属は重く濁らせた鉛にも似た色をしていて、不思議なことに錆びたり痛んだりして品質が変化している様子がどこにも見当たらなかった。

 一方で、二つ目の個所は。曲線を描く金属骨を、まるで蜘蛛の巣か何かのように複雑に組み合わせて作り出された一種の繭とでもいうべき姿をしていた。ちなみに、そこに使われている金属も、鳥小屋の外殻を形成しているものと同じ鉛みたいな金属である。鳥小屋のような形の駅舎の方はしっかりとした直方体をしている。しかし、こちらの繭に似た建物は、どちらかというと半球形に近い姿をしている。上下に長く引き伸ばされた球を真っ二つに切って、そこに置いたとでもいう感じだ。

 飾り付けは一切されておらず、それどころか看板のようなものも見当たらないので、それがなんのための建物なのか分からなかった。鳥小屋のような建物よりも少し高く、四階建てくらいの高さがある。広さとしては……かなりの広さがあるだろう。鳥小屋のような建物が、巨木に引っ掛けられた小鳥のための巣箱のようにさえ見えるくらいだ。きっと、真昼がアーガミパータに来てから最初に見た国内避難民キャンプの、あの教会くらいの大きさがあるに違いない。一階部分に幾つか扉が付いていて、それらの扉からは、鉱山集落の住民達がたまに出たり入ったりしている。

「現場責任者の方がいるのはあそこです。」

「あの建物はなんですか。」

「ああ、コミュニティセンターですよ。」

「コミュニティセンター?」

「ええ、地域における政府の補助機関です。」

 そりゃあ……まあ、そうだろうなと真昼は思った。逆にコミュニティセンターという名前であるにも拘わらず反政府団体のアジテーション・ポイントだったらびっくりだ。ちなみ、念のため付言しておくとすれば、カリ・ユガ龍王領においてコミュニティセンターという場合には、住民へのサービス提供だの地域のインフラ開発だの、そういった細々した行政を担っている行政機関を指す場合と、その行政機関の本拠地である建物を指す場合と、その二種類がある。前者の正式名称は「コミュニティセンター運営委員会」であるが、長いので省略して呼ばれるのだ。そして、そのどちらを指す場合にせよ、こういったコミュニティセンターはカーラプーラ以外の各地域に設置されている。

 コミュニティセンターへと近付いて行くと……例の蜘蛛の巣のような金属骨の隙間、不揃いの網の目のように幾つも開いている隙間は、その全てがフォースフィールドで覆われているだけだということに気が付いた。そういった隙間は、特に物質的に埋められているというわけではない。だから、外から中の様子を見ることが出来るし、中から外の様子を見ることも出来る。隙間の一つ一つは結構な大きさなので、かなりあけっぴろげな解放感を感じさせる構造だった。

 さて、マコトを先頭にして、その後ろに手を繋いだままの真昼とマラーと。その三人でコミュニティセンターへと入っていく。扉は全体が金属で出来ているダブルドアだ。人間が押したり引いたりして開くタイプのもので、自動ドアというわけではない。そのため、マコトは、その扉を押して開くと……真昼とマラーとに向かって、ちょっと巫山戯ているような慇懃さで「さあ、どうぞお通り下さい」と言った。真昼は、なんとなく馬鹿にされているようで不愉快だったが、何も言わずに、開かれた扉からコミュニティセンターへと入った。

 それを一言で表現するとすれば。

 ショッピングモール、であった。

 もちろん真昼が知っているところのショッピングモールとは異なっていたが。いわゆるショッピングモール的な清潔さ、神経質なまでに磨き上げられた漂白の感覚はなく。どちらかといえば、この建物の外にある鉱山集落と地続きであるかのような、土俗的な感じが強い。ただ、とはいえ、ショッピングモールであるということは間違いなかった。「兎の肉と兎のダンス」、人間に短絡的な喜びを与えるためのあらゆるものが揃っている場所。しかも、それは休日のショッピングモールだ。つまり、ちょっと一回皆殺しにしてすっきりしたくなるような、蟻塚のような人出で賑わっているショッピングモール。

 鉱山集落において、家の数は結構あるにも拘わらず、それと比例するほどの人の姿を見掛けなかったのは、こういうことなのかと理解した。つまり、あそこにいたのは、「休みの日なんてどこ行っても混んでるんだから家にいるのが一番だ」人種だったのだ。そして、それ以外の人間はここにいる。

 それぞれの店と店との間には仕切りがなかった。というか、「店と店と」という区別さえないように見えた。ショッピングモール全体で一つの店舗なのだ。コミュニティセンターの一階部分と二階部分とがショッピングモールとなっていて、一階で食品を、二階でその他を売っているという区別があるのだが、それ以外の区別は一切見当たらなかった。ただただ乱雑に棚だの台だのが置かれていて、そこに雑然と商品が並べられている。

 そんな混沌とした状態を、更に混沌とさせているのが人間達だった。商品を手に取っては別の場所に置き、店員にしきりと値引きを頼み込み、そんなに大きな声で喋る必要ある?と思ってしまうような大声でぺちゃくちゃと喋っては、そんな大きな声で笑う必要ある?と思ってしまうような大声で笑う。子供達はどたばたと走り回っていて、しかも、したい時にしたいところで糞尿を撒き散らしている。

 ショッピングモールの中心には巨大な舞台のようなものがあって、そこでは何かの演劇をやっていた。ダコイティの森で見たものとよく似ているが、それよりも随分と大掛かりな仕掛けであり、また、それよりも随分と楽天的な内容だった。巨大な、四つの頭を持った竜の人形を、たくさんの店員で動かしていて。そして、その周りでは、煌びやかな衣装に身を包んだ他の店員達が、不可思議な踊りを踊っている。陽気過ぎて癇に障るほどの音楽、舞台の周りに用意された座席に座った人間達は、その音楽に合わせて、この世の終わりかと思うほど楽し気に手を叩いている。

 さて、そんなショッピングモールについて、真昼が一番驚いたことは……そこで働いている店員の全員が、レーグートだったということだ。いわゆるレジスターの係を務めているのも、めちゃくちゃにされた商品を元通りの位置に並べ直しているのも、撒き散らされた糞尿を掃除しているのも、あるいは舞台の上で踊ったり歌ったりしているのさえ、レーグートがやっていた。

 まあ……それも、よく考えたら論理的なことなのかもしれない。この凄まじいまでの混沌に一つの秩序を与えるには、レーグートレベル、高級官僚レベルの管理能力が必要とされるだろうし。それに、他の人間が鉱山で働いているにも拘わらず、その他の人間がこういったショッピングモールで働いていれば、鉱山で働いている人間からすれば差別的な扱いを受けているように思うだろう。例え、実際のところ、このショッピングモールに秩序を与えるといる仕事が、どれほど過酷であったとしても。

 そんな。

 溢れんばかりのエネルギーに。

 満ち満ちた場所に。

 足を、踏み入れて。

 気圧されて動けなくなっている真昼をよそに(ちなみにマラーは魅了されたみたいに見とれていた)(やはりアーガミパータの内側の人間とアーガミパータの外側の人間とでは価値観が異なっているのだろう)、マコトは、一番近くにいたレーグートに声を掛けた。麻で出来ているらしい大きな袋をもって、落ちているゴミを拾っているレーグートだ。

「ああ、すみません、少しよろしいですか?」

〈もちろんです、もちろんです。〉

「えーと、私はですね、デニーさんから後ろのお二方を預かっているものなんですけど。あちらの砂流原さんが、この鉱山を見学したいと言ってまして。それで、ちょっと責任者の方に許可を頂きに来たんですけど。」

〈なるほど、なるほど、かしこまりました。〉

 レーグートはそう答えると、持っていた麻袋の口のところを軽く結わえて、中のゴミがこぼれ出さないようにした。そして、〈こちらへどうぞ〉と言いながら、三人のことを導くみたいにして先に立って歩き始める。いや、正確にいえば歩いているのはレーグートではなくその下の移動用の機械の方なのだが。まあ、それはそれとして、麻袋をずるずると引き摺りながら、ショッピングモールの奥へ奥へと進んでいく。

 レーグートは、あたかも質量を持たない影が動いていくかのように、がやがやと無秩序に動き回る人々の間をすいすいと通り抜けていく。恐らくは、周囲の人間の思考を読み取り、それらの思考の内容を総合的に判断することによって、移動するのに最適なルートを計算しながら進んでいるのだろう。

 しかもそれだけではなく、その上、更に……そんなレーグートの後ろを進む三人が、遅れることなくついて来られるようなルートを選択しているらしい。なぜそう思うのかといえば、これだけの人がいるのにも拘わらず、三人は誰にもぶつかることなく、いとも容易に進んで行くことが出来たからだ。

 そんな芸当は、とてもではないが不可能なことのように思えるかもしれないが。レーグートにとっては魚のスープを作るよりも容易なことである。というか、それくらいのことが出来ないようであれば、龍やヴェケボサンやが作った「政府」において官僚の役割を果たすことなど出来るわけがないのだ。

 さて、レーグートと三人とがショッピングモールの一番奥に辿り着くと。そこにあったのはエレベーターだ。何台かあるエレベーターのうちの一つに乗る。資本主義社会においては、その社会に生きる生命体の幸福は二次的な要素に過ぎず、計量可能な価値の最大化のみを追い求める傾向にあるため、駅のホームも狭ければエレベーターの数も少ない、挙句の果てには社会的に大変価値のある書物が、金にならないというだけの理由で絶版になることさえあり得るが。いや、絶版の話はここでは関係なかったですね、とにかく、神的な集団においては決してそんなことはない。そういうわけで、レーグート及び三人が乗ったエレベーターは、あれだけの人がいたにも拘わらず、貸し切りの状態だった。

 まあ、エスカレーターとかもあるしね。とにかく、三人はエレベーターで上へ、具体的には四階へと向かう。エレベーターの中では、大変陽気な音楽が、ちょっと音大き過ぎない?くらいのテンションで鳴り響いている。きっとこれくらいの大きさにしておかないと、エレベーターに乗った人間達のお喋りに掻き消されてしまうのだろう。

 四階に、辿り着いた。

 レーグートと三人と。

 エレベーターから降りる。

 すると、その先に広がっていた光景は、まさに、まさしく……市役所だった。いや、この鉱山集落は市ではないのでここは市役所ではないのだが。それにしても市役所にしか見えない空間だったということだ。

 市役所というのは主に三つの部分に分かれているものである。一つ目が、市民のための部分、落ち着いた雰囲気の待合スペース。二つ目が、職員のための部分、事務的な雰囲気のお仕事スペース。そして、最後の部分が、その市民と職員との出会いの場所、二つの空間のインターフェースたる窓口だ。

 いや、まあ、市役所がどんな構造をしているかとかどうでもいいんだけど(急に冷静になった)、ここでいいたいのは、四階はそういった区分がなされた空間になっていたということだ。エレベーターから降りたすぐ先には、めちゃくちゃ目に優しくない感じの,原色を塗りたくったような壁画(真昼はこんな物を見ても全く落ち着かないのだが、生粋のアーガミパータっ子はこういう物を見て育っているので、慣れ親しんだ物を見ているという感覚を覚えるのだろう)がそこら中に描かれていて。そういった絵画の主なモチーフは、鉱山で働くユニコーンや人間やといった生物だった。そして、その空間には幾つかのベンチ、ひどく硬くて頑丈そうな木材で作られた背凭れ付きのベンチが並んでいて。何人かの市民が、そのベンチに座ってお喋りをしている。

 そして、その先には幾つかの窓口が並んでいて、その奥にはお仕事スペースが広がっている。ただ、このお仕事空間は……ちょっと、真昼が慣れ親しんだ市役所とは違っているものだったが。なぜならそこで働いていたのは、人間ではなくレーグートだったからだ。職員の全員が全員レーグートであったため、人間用のお仕事スペースとは異なり、デスクやチェアといったものは一切置かれていない。その代わりに、パッド式情報端末らしきものを持ったレーグートが、ちょっと不気味なくらいな正確さで縦に何列か横に何列か整列して、ただただ突っ立っているのだ。そして、そういったレーグートが、呼ばれるごとに窓口に行って、市民ならぬ鉱山労働者の申し立てに対応している。

〈こちらでお待ち下さい。〉

 ベンチの一つを指差して。

 レーグートが、こう言う。

〈ただいま、責任者を呼んで参ります。〉

「あはは、お願いします。」

 何が面白いのか、きっと何も面白くないのだろうが、へらへらと笑いながらマコトが言った。レーグートは四本の腕、二枚の手のひらと二枚の手のひらとを胸の前で丁寧に合わせると、そのままどこかへと行ってしまった。どこかも何も責任者を呼びに行ったのだろうが、後には三人だけが残されることになる。

 マコトは、さっさとベンチに座ると。ノートとペンとを取り出して、何かのメモを取り始めた。これは以前も書いたことではあるが、マコトには完全記憶能力とでも呼ぶべき記憶力がある。見たもの聞いたこと、その他の感覚で入力した事柄の全てを、感じたままの状態で記憶しておくことが出来るのだ。そのため、実をいえば、ノートにメモを取る必要はほとんどない。

 とはいえ……これも一度書いたことであるが、なんらかの精神操作系のスペキエースによって記憶を改竄される可能性がないわけではないのだ(ワトンゴラでの取材時にマコトはそういうことを経験したことがある)。そういうリスクを考えれば、メモを取っておくのは決して悪いことではない。それにメモをする過程で、自分の頭の中を多少は整理することが出来る。

 そんなわけで、今、マコトはメモを取り始めたのであるが……一方で、真昼は、そのベンチに座りたいという気持ちが全く起こらなかった。なぜというに、そのベンチはそれなりに広々としたベンチであって、具体的には五人掛けくらいの大きさであったのだが。マコトは、あろうことかその真ん真ん中に座っていたからだ。もう少し右側か左側かにずれてくれればいいものの、その位置では……マコトとかなり近い距離に座らなければいけなくなる。もちろん、間にマラーを置いて、少し離れて座ることも出来なくはないが。真昼は、マラーとマコトとを隣り合わせに座らせるのもそれはそれで嫌だったのだ。

 そんな風に、暫くの間、逡巡するみたいにして立っていたのだが。マコトに「座らないんですか?」と聞かれてしまったので、仕方なく座ることにした。ちなみにどこに座ったのかといえば、マコトが座っているベンチの前のベンチだった。まあ、確かに前のベンチに座ればマコトと隣り合う必要はなくなるが。とはいえ、ここに座るのも、なんとなく無意味な意地を張っているような気がして、嫌なことは嫌だった。

 そうして。

 責任者が。

 来るのを。

 待っている。

 普通、市役所の待合スペースといえば雑誌だの新聞だのが置いてあるものだが。ここにはそういったものは置いてなかった、国内避難民の識字率は限りなくゼロに近いので、そんなものを置いても全くの無駄だからである。その代わりに、天井のところに、大きな画面のテレビが設置してあった。

 テレビでやっている番組はイパータ語の番組であった。そのため、言っていることの大半について真昼はよく分からなかったのだが……そうはいっても、この鉱山集落に住んでいる人々の中にも、かなりの割合でイパータ語話者ではない人間が混じっているはずだ。真昼は、そういう人間は一体どうしているのだろうと思ったのだが。どうやらこの番組は、そういう言語が通じない人にとっても楽しめるように、情報伝達のかなりの部分を言語以外の方法、つまり視覚的音楽的な方法に頼っているようだ。

 月光国の番組であれば、もっとたくさんの文字情報が表示されるものだが。テレビ画面に映っているのは、色とりどりに煌びやかなパレードの映像だった。そう、それは例の凱旋パレードについての特別報道番組らしい。そして、パレードの光景に合わせて、いかにもアーガミパータらしい、今にも踊り出したくなるような、楽しくも騒々しい音楽が流れている。音楽には歌が付いていて、どうやらそれが……ニュースを伝えるためのナレーションの役割も果たしているみたいだった。

 ただ、とはいえ、真昼は凱旋パレードについての番組を見たいとは思わなかった。何せ現場で実際に見てきたので、わざわざテレビでそれを見る必要性はなかったし、それに真昼は……タンディー・チャッタンで起こったことを見てきたのだ。人が弾け飛び、猿が弾け飛び、象が弾け飛び、龍が弾け飛び。そして、その中から美しく羽化してきた虹色の蝶々が、やがては戦場の全てを覆いつくしてしまう様を。凱旋パレードに参加している着飾った人々は、あたかもその蝶々が膨れ上がり、肉を纏い、そして地上に降り立って踊り狂っているかのように見えて。真昼は、それを、見ていることが出来なかったのだ。

 そう、人間などよりも遥かに高等な生物であるところの、龍王の支配下で。人間達は、真昼が見てきたどんな死に方よりも無意味な死に方をしていった。薨々虹蜺が殺したのは、敵兵だけではなかった。味方の兵隊をも皆殺しにしたのだ。もちろん、そうしなければならなかった理由は、理性では理解出来る。だが、理性では理解出来ていても……本能の底から理解出来ているわけではないのだ。真昼は、ずっと、ずっと、納得がいっていなかった。あの兵士達は、なぜ死ななければいけなかったのか。

 しかし、真昼は、自分のことを信じることが出来なかった。自分の疑問が正しいのかということを。どうしようもない裏切り者であり、その決断のせいで、あるいはその非決断のせいで、あの薨々虹蜺が殺した人々と、同じくらいの人々を殺してしまった自分の疑問が……果たして正しいのかということを。だから、その疑問を口に出すことはなかった。それどころか、まともに考えることもしてこなかった。あたしは、愚かな生き物であって。何かに疑問を呈するだけの権利もないのだと思っていた。

 しかしながら。

 その論理は、正当性の論理だ。

 正当性というものは。

 怒りとは、全く違う。

 怒りとは、煮え滾る暴力であり。

 精巧なガラス細工にも似た正当性の論理は。

 その前では、完膚なきまでに叩き崩される。

 そして、今、真昼は……怒りを抱いている。マコトという、この最悪の生き物に対する怒りを。その怒りが果たして正しいものなのかということを問い掛けるのは、果てしなく愚かであり、信じられないほど意味のないことだ。なぜなら、怒りという感情と正しさという状態との間には、関係など欠片もないからである。たまたま間違ったものに対して怒りを抱くこともあるだろう。ただし、それは間違ったものが間違っているから怒りを抱くわけではない。ただ単純に、その間違ったものが、自分の内部にある何かしらを侵食することに対しての生理的な反応として、人間という生き物は怒りを感じるのだ。「義憤」などという言葉にはなんの意味もない、それは「多角形の信仰」や「六時十五分が凍り付いたように鳴り響く」などという言葉と同じように、なんの意味もない単語を無理やり組み合わせただけのことなのである。

 いや、そういった言葉よりも有害でさえあるだろう。「義憤」などという言葉があるために、人々は、「間違った事柄」に対して冷静に対応しなくてもいいと勘違いをする。怒りのままに、その「間違った事柄」に関わった人間を皆殺しにして。そして、「間違った事柄」事態に取り組むという、一番重要で一番困難な仕事には、決して取り組もうとしない。なぜなら、怒りと正しさが連動していると思うがゆえに、怒りが消えたから(気に食わないやつらを皆殺しにすれば大抵の場合はすっきりするものだ)正しさは達成されたのだと思い込むからである。信じられないほどの低能、恐るべき浅はかさ、救いようがない愚昧。けれども――トラジディ――人間とは、そういう生き物なのである。

 いや……そこまでいわなくても……人間だって、やれば出来るよ……頑張って……! と、まあそんなわけで、真昼はマコトに対して怒りを抱いていた。この世界の全てに対して向けられる、底知れない奈落の底を泳ぐ蒼褪めた魚のような冷笑。自らを押し潰そうとする絶対的な「力」に抗いながらも必死で生き続けようとする人々に対する、歌う兎のような眼差し。そして、何よりも……真昼のことを、騙していたことに対して。世界は美しく、信じるに足りる場所だと。そんなこと、自分では全く信じていないくせに。マコトは、真昼の頭蓋骨の裏側に、しっかりと刻み込んだのだ。それが、何よりも、真昼には許せないことで。

 だから。

 真昼は。

 まるで、言葉を滑り落とすように。

 口を開く。

「あなたは。」

「はい? 私ですか?」

「私に言いましたよね。」

「えーと、なんて申し上げましたっけ。」

「この場所は、カリ・ユガ龍王領は、人間至上主義者が作った集団よりも、ずっとずっと優れた集団だって。自由と民主とを理想にして作られた集団よりも、秩序と寛容とが支配する集団の方が、ずっとずっと優れているって。」

「私が? そんなことを? あはは、いやー、どうですかね。砂流原さんは、もしかして……少しばかり私の意図したところとは違ったご理解をなさっているのかもしれませんね。きっと、私の言葉が足りなかったせいでそうなってしまったのでしょうが。」

 今、気が付いたことなのだが。

 この場所は、随分と。

 居心地がいい場所だ。

 光度も温度もちょうどいいくらいで。最初は、そういったちょうどよさは、照明や空調やといったアーティフィカルな方法によって成り立っているのかと思っていたのだけれど。どうやら、そうではないようだ。例えば光度は、この建物の中に差し込んでくる太陽の光をフォースフィールドによって上手く散乱させることによって保たれているらしい。あるいは温度は、それよりももう少し複雑だ。まず、フォースフィールドによって外部から侵入してくる余計な温度を遮断している。その一方で、金属骨と金属骨との隙間に吹き込んでくる風に関しては、それを通している。結果的に、涼しい風だけを感じることが出来るようになっているのだ。

 そんなことを考えながら。

 真昼は、会話を、続ける。

「あの男から……デナム・フーツから聞きましたよね。タンディー・チャッタンで対神兵器が使われたって。私は、その時に、その場所に、いました。ずっとずっと見ていました。あの爆弾が、戦場の真上に運ばれて行って。そして、あの爆弾が、落下していくところを。あの爆弾が、爆発して……そして、あの戦場にいた生き物の全てが、人間も、人間でないものも、次々と……蝶々に代わっていったところを。虹色の蝶々です。ひらひらと飛ぶ蝶々です。肉体が弾け飛んで、それで、その中から蝶々が出てくるところを、私は見ていました。

「私があなたに聞きたいのは、つまりこういうことです。もしも、この場所を支配している何者かが、そんなに優秀なのだというのならば。なんでそんなことが起こってしまったんですか? なんで、味方の兵隊まで巻き添えにしなければならなくなったんですか? 敵の兵隊を、対人兵器を使って殺すのは……理解は出来ます。共感も納得も出来ませんけど、それでも理解は出来ます。けれど、味方の兵隊を、あんなふうにして殺すのは。とてもじゃないですけど、優秀な何者かがやるようなことだとは思えません。予め、そうなることを予測して、味方を撤退させておく。本当に優秀ならば、それくらいのことは出来て当然なんじゃないですか。ねえ、どうなんですか。なんで、あの人達は、あんなふうに死ななきゃいけなかったんですか。教えて下さい。」

 真昼は……最後の方は、まるで問い詰めるような口調で。上半身の全体を後ろに座っているマコトの方に向けて、ベンチの背凭れから身を乗り出して。そんな風に問い掛けた。それに対して、マコトは、まるで冗談みたいにして肩を竦めると。持っていたボールペンのノッカーの方を真昼に向けて、二度、三度、軽く振って見せながら、こう言う。

「そんなの、決まってるじゃないですか。」

「決まってる?」

「人間が死にたがってるからですよ。」

 真昼は。

 もちろん。

 言っている、意味が。

 まるで分らなかった。

「いや、それは全員が全員死にたがってるとは言いませんよ。私は絶対に死にたくありませんしね。まっぴらですよ、誰かのために自分を犠牲にするなんて。でも、ほとんどの人は死にたいって思っていますよ。えーと、正確な言い方をすると、人間は、戦場で、死にたいと思っている。

「砂流原さん、人間にはですね、多かれ少なかれ英雄願望というものがあるんです。何者かのために自分のことを犠牲にして死にたいという願望、ヒロイックな最期を迎えたいという願望。砂流原さんにもあるんじゃないですか? ほら、自分は死んでもいいけど誰々のことだけは守りたいとかいう、あの感情のことですよ。けれどもですね、そういった死に方は簡単に手に入るわけではありません。日常生活においては特にそうです、日々普通に生きているだけで、命の危険に晒されることなんてありますか? いや、まあ、国内避難民の方々とかはそういうことがあるかもしれませんがね、一定以上の福祉が整っている集団においては、そういった死に方は不可能に近い。だから、人間という生き物は戦場で死ぬことを望むんです。戦場で死ぬということは、少なくとも、自分が属する集団のために身を捧げて死ぬことが出来るということですからね。

「そして、アーガミパータにおいては、そういった傾向が特に強い。人間至上主義諸国とは価値観が全く違いますからね。アーガミパータでは、戦場に行くということは、権利とさえいえるかもしれません。戦場で戦って、英雄的に死ぬ機会を与えられるという権利。砂流原さんも、タンディー・チャッタンに行ったというのならば、ご覧になったんじゃないですか? 戦場にいる兵士達の、半数以上がゼニグ族だっていう光景を。ナーガヴィジェタ大佐みたいな特殊な例を除けば、ヨガシュ族には英雄として死んでいく機会さえ与えられないということです。

「もちろん、人間だって、痛かったり苦しかったりするのは嫌でしょう。卑しくも生命体ですからね、自己保存の本能はある。けれども、英雄願望という感情は、得てして奇怪な形に歪んだ自己愛であることが多いものです。自分は誰かのために死ぬことが出来るんだから、他人よりも一層優れた存在であるという、そういう感覚を手に入れたいんですね。

「だってそうでしょう? 真剣に考えてみて下さいよ、誰々のために死にたいという願望が、本当に、ただひたすらに、誰々のための願望だと思いますか? 砂流原さん、「誰かに愛されないのならば死んだ方がましだ」と思ったことがない人間が、この世界に、たった一人でもいると思いますか? それは、生まれたばかりの赤ん坊とかは思ったことがないかもしれませんがね、普通の人間は、そういうことを思ったことがあるものです。そして、誰々のために死ぬという行為は、誰かから愛される自分になるための、最も手っ取り早い方法です。

「だからですね、より慈悲深くより寛大な支配者というものは戦場においてより多くの人間を殺すものです。ああ、勘違いしないで下さいね、殺すのはあくまでも「人間」だけです。例えば、グリュプスなどは、そういった方向性の自己愛があまり発達していないので、戦場で死ぬことを望みません。だから、徴兵されても最前線に出されることはあまりないんです。砂流原さんが見たというそのタンディー・チャッタンの光景にも、きっと知的生命体は人間以外には含まれていなかったんじゃないですか? どうです? ね? そうでしょう? そういう部分はですね、ちゃんと考えられてるんですよ。

「本来はですね、本来はですよ、砂流原さん。あの程度のポータル・ベースならば、舞龍が一蛇いれば簡単に落とせます。たぶん一分と掛からず陥落させることが出来たでしょう。けれども、そんなことをしてしまえば、人間達から英雄的に死ぬという権利を奪ってしまうことになる。人間から「ドラマを演じる」権利を奪ってしまうことになる。それは、人間に対して不満を与えることになってしまうので、秩序に対して有害ですし、もちろん寛容であるともいえません。だから、そんな必要もないのに、わざわざ人間の兵士達に戦いを任せたんです。

「しかも……今回のケースを考えてみましょう。デニーさんと、それに砂流原さんとの話を聞いた限りでは、使われた兵器は薨々虹蜺だというじゃないですか。砂流原さんもご覧になったのなら分かったと思いますけれど、あれはかなりメルシフルな兵器です。痛みや苦しみやを与えることなく、一瞬で生命を奪い取る。しかも、これはついでのようなものですが、肉だの血だのを飛び散らせて戦場を汚すというようなこともない。クリーンな兵器でもある。もしも、死ぬのなら……砂流原さんだって、メルシフルかつクリーンに死にたいと思うでしょう? 痛みにのたうち回り苦しみに叫び声をあげながら死にたいとは思わないでしょう? だからですよ。だから、彼らは、あるいは彼女らは、そのような形で死んだんです。彼ら、あるいは彼女らが、ヒロイックな死を、それでいてメルシフルかつクリーンな死を望んでいたから。だから、望んだ通りの死を与えられたということです。

「もちろん、「死にたがってたから死んだ」という理由ではヒロイックでもなんでもありませんからね。きちんとそこら辺の理由付けはされてますよ。砂流原さんがおしゃった通り、ポータル・ベースを陥落させるためにどうしても必要な犠牲だったという建前にはしているでしょう。けれども、それは本当の理由ではありません。だって、先ほども言いましたけど、本当なら舞龍が一蛇いれば済む話なんですから。けれども。死を求める人間に対して死を与えなければいけなかった。だから、その死を与えた。つまるところ、これだけが本当の理由というわけですよ。」

 真昼は。

 反射的に。

 マコトを。

 殴りかけた。

 殴らなかったのは、真昼がマコトの前の席に座っていたからというそれだけの理由だ。少し殴りにくい位置にいたせいで、冷静になるための一瞬の時間が与えられた。もしも真横に座っていたら、そんな躊躇いの瞬間はなかったはずなので、間違いなく殴っていただろう。けれども、とにかく……殴らなかった。奥の歯を噛み締めて、拳を握り締めつつも。真昼は、マコトを殴らなかった。そして、その代わりに、宝石のように凝固した憎悪、そのもののような瞳でマコトのことを睨み付ける。いうまでもなく、その憎悪は、戦場で死んでいった人々の誇りと尊厳とを徹底的に馬鹿にするマコトのそのへらへらとした笑い方に対する憎悪だ。

 しかし。

 やがて。

 真昼の顔を、冷たい汗が伝い始める。

 呼吸が上手く出来ないように感じる。

 マコトの、今の言葉は。まるで……真昼の心臓の中を覗き込んで、そこに書いてあることをそのまま読み上げたような、そんな言葉だったからだ。真昼は、自分を犠牲にしてもマラーのことを助けたいと思っていた。仮に自分が傷付こうとも、あるいは、仮に自分が死のうとも、マラーのことだけは助けたいと思っていた。そして、その考えについて、今までずっとずっと……マラーのためにそう思っていると考えていた。

 けれども、マコトは。その考えについて、真昼の自己愛に過ぎないと言い切ったのだ。いや、正確には真昼個人のケースに触れていたわけではないのだが。一般的な話として、自己犠牲とはすなわち自己愛であると、マコトはそう言ったのだ。

 否定出来ればよかった。そんなわけないと、一言のもとに切って捨てられればよかった。けれども、真昼にはそうすることが出来なかった。折しも……マラーには、これ以上、助けなど必要ないのではないかと思い始めていたところだからだ。

 真昼が。

 マラーのことを「助け」ているのは。

 自己満足に過ぎないのではないかと。

 思い始めていたからだ。

 それでは……もしも、もしも、マコトの言うことが本当であるのならば。それは、一体どういう意味を持ってくるのだろうか。つまりそれはこういうことである。真昼が、ダコイティを裏切ったのは。真昼が、パンダーラを殺したのは。全部、全部、自分のためだったということである。自分が、ドラマの主人公になりたかったから。自分が、ヒーロー面をしたかったから。だから、真昼は、あんな悲惨な出来事を起こしたということになるのだ。

 いや、もちろん、パンダーラを殺したのは真昼ではないし、真昼が何もしなくても、いずれは、ASKによってダコイティは皆殺しにされていただろう。けれども、真昼としては。真昼自身の思いとしては。真昼は、許されないことをしたのだ。それでも、もしも、それが他人のためにしたことであったのならば。真昼は、ぎりぎりのところで、許されていたかもしれない。許されはしなくとも、その罪は、真昼の心でも、ぎりぎり支え切れるくらいの重さだっただろう。だが、今……マコトの言葉によって、真昼は気が付き始めていた。

 もしかして。

 もしかして。

 自分は。

 あんな惨劇を。

 自分のために。

 起こしたのか?

 と、まあこんな風に。薨々虹蜺で死んだ人々のことや、その人々に対するマコトのコメント、そういった全てのことに対するやり場のない怒りに関しては、ひとまず置いておいて。自分が犯してしまったかもしれない罪についての考えに囚われたようになってしまった真昼ちゃんであったのだが。ただ、その時に、その考えを破るかのようにして、マコトの声がした。

「ああ、いらっしゃいましたね。」

 それから。

 ノートとペンとをしまい。

 ベンチから、立ち上がる。

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