第二部プルガトリオ #9

「あー、そうそう! 砂流原さん、一つお伺いしたいんですけど。」

「……なんですか?」

「デニーさんが言ってた、例のアヴィアダヴ・コンダの件なんですけどね。砂流原さんもご覧になったんですか?」

「……それ、答える必要あります?」

「いやー、あはは。善良なる人々の知る権利のためですよ。」

「……見ました。」

「おおー、ありがとうございます。これで記事に「複数の情報筋によると」って書けますよ。」

 そんなことを話しながら、マコトと真昼とマラーとは荒野を歩いていた。#45の終わりからさほど時間は経っていない。あれからすぐにパレードの人込みを離れた三人は、マコトの先導によって、マハーヴィジャナ・マールガを遠目で見るようにして、ヤジ(略)ーダ城塞とは反対の方向に向かって歩き始めたのだ。それから五分くらい後というのが、現在の時間設定である。

 真昼としては……この女と、のんびりとカリ・ユガ龍王領を見て回るなんて、考えただけで怖気が走るような観光ツアーであったが。それでも、自分に対してポゼショナイズが行われているというのは、少しばかり愉快ではないことだった。自分の思考が侵害されている、自分だけの領域であるはずの場所、最もプライバシーが守られるべきところが侵害されている。それどこか……権力者によって、絶対的に独裁的な、抑圧を受けている。それは、真昼にとっては、理性的にというよりも生理的に嫌悪感を催させる出来事なのだ。そのため、そのポゼショナイズを解除するという提案は、真昼にとっては大変重要な申し出なのであって。断ることも出来ず、かといって明確にAKを出すこともなく、ただなんとなくついてきているだけというのが現状であった。

 一方のマコトはというと、魚の顔に唾を吐くというか、水の内臓を剣で突き刺すというか。真昼の素っ気ない態度、むしろ失礼ともいえるような、明らかに嫌悪感を剥き出しにした態度に。そよとも心を動かされる様子もなく、相変わらずのひらひらとした、掴みどころのない、いかにも人生に対して真摯に向き合っていなそうな人間の態度のままだった。恐らくこういうことには慣れているのだろう、こういうことというのは、つまり記事を見てファンになった誰かが、実際にマコトに会ってみると幻滅して、今の真昼のような態度になるということであるが……それなら、少しくらいは反省して、嘘でもいいから「反骨の記者」らしい振る舞いをすればいいのにと思わなくもない今日この頃です。

 とにかく、マコトは、そんな態度で真昼に対して話しかけながら、しきりとノートに何かのメモを取っていた。ちなみに、そのノートであるが、小さいメモ帳のようなものではなく、月光国でよく売っているいわゆる大学ノートであった。そして、筆記用具の方はというとボールペンだった。赤と黒との両方が使える二色式のものだ。こんな足場の悪いところで、よくもまあメモを取りながら歩くという芸当が出来るものだと思うが。これもやはり、取材の上で必要な技術なのだろう。

「それからですねえ、そちらにいる方、砂流原さんが手を繋いでる方は、もしかしてアヴィアダヴ・コンダの生き残りの方ですか? そうだったら、是非インタヴューさせて頂きたいところなんですけど。」

「……違います。」

「そうですか、それは残念。」

 真昼ちゃん、その三点リーダーなんとかならないの?って感じだが、この三点リーダーにありったけの嫌悪感を込めて話していた ので、今のところはそれをやめることはないだろう。ちなみに、マコトが、真昼の「……違います」に対して、粘り強い取材を重ねることなく、あっさりと引き下がったのは、別に、真昼の嫌悪感に恐れをなしたわけでもなんでもなく。マコトの特技の一つとして、相手の声音から、ある程度、本当のことを言っているのか嘘を言っているのかが分かるという能力があり、真昼がどうやら嘘をついていないらしいと思ったからだ。マコトはこういった能力を幾つか持っていて、しかもそういった能力は、例えば一度見たり聞いたりしたことはなんらかの精神操作でも受けない限り絶対に忘れないとか、例えば痛みや苦しみやを感じる感覚が一般的な人間よりもだいぶんと欠如しているとか、とかくジャーナリストとして生きるのに都合のいい能力ばかりであった。

「……あの。」

「はい? なんですか?」

「……どこに向かって歩いてるんですか。」

 歩き始めてから五分も経って、ようやく真昼はそのことを聞くつもりになったらしい。それに対してマコトは、「ああ」となんとなく気の抜けた声を発した後で、進行方向を真っ直ぐに指差してから「あっちにタクシー停めてあるんで」と答えた。

「……タクシーですか?」

「あっ、でもタクシーっていっても、月光国とかそういうところでよく見るようなタクシーじゃないですよ。ヴァクラチャンチュのタクシーです。」

 もちもちのろん、ヴァクラチャンチュという言葉が何を指すのかということを、ぜーんぜん知らないところの真昼ちゃんであったのだが。とはいえ、そのことについて更に質問を重ねるのは、なんとなく嫌だったので。まあ、もうすぐ実物を見ることになるだろうし、実物を見てもなんだか分からなかったらその時に聞けばいいだろうと思って、マコトの答えに対して何かを言うこともなく、ただ無言のままでいたのだった。

 そして。

 思ったよりも早く、三人は。

 その実物が、あるところに。

 辿り着いた。

「あれですあれです。」

「あれは……グリュプス?」

「ああ、そうですね。そうとも言います。」

 真昼達の目の前にいたのは、確かにグリュプスだった。グリュプスという生き物は、マホウ界の生き物としては比較的有名なので、読者の皆さんもご存じかもしれないが。念のため書いておくと、ライオンのような体に、鷲のような顔と翼とがついている生き物である。

 翼は二枚、足は四本で、足の先には金属で出来ているかのような鋭い鉤爪がついている。この鉤爪は、もちろん獲物を屠るのにも使うのだが、それだけではなく、グリュプスの生息地である険しい岩山においては、岩にこの爪を突き刺して、体を固定する用途にも役に立つ。そう、グリュプスの鉤爪は、岩でさえ刺し貫く硬度を有するのだ。

 また、全身は獣毛ではなく羽毛によって覆われており、この羽毛の色はグリュプスの生息地域によって変わってくる。アーガミパータのグリュプスは、胸の部分の色は赤色、首の部分の色は紺、胴体部分は白みがかかった赤で、翼の色は黒みがかかった紺である。そのため、全体的には赤と紺との二色のグラデーションであるように見える。

 目は、その眼球の中に直接炎を閉じ込めているかのように、睨み付けられれば熱量さえ感じそうなほどの赤色だ。そして、嘴は、まさに猛禽類のそれであって……獲物を引き裂くのに最適な角度でカーブするその嘴の形から、「曲線を描く嘴」という意味の「ヴァクラチャンチュ」という名前が付けられたほどだ。ちなみに、「グリュプス」というパンピュリア語での名称も「曲がったもの」を意味しているが、こちらは嘴の形状からとられたものなのか爪の形状からとられたものなのかよく分かっていない。

 さて。

 そんな。

 グリュプスが。

 真昼達の前に。

 四本の足で。

 立っていて。

「……思ったよりも、大きいんですね。」

「ああ、彼はアーガミパータのグリュプスですからね。」

 その大きさは、体長にして四ダブルキュビト程度、体高にして二ダブルキュビト程度あった。ちょっとした乗用車くらいの大きさだ。そして、グリュプスの立っている隣のところには、天蓋がついた籠のようなものが置かれている。大きさとしては、その中に三人から四人が入れる程度。籠の本体には、恐らく何かの神話の一シーンなのだろうと思われる、目が痛くなってしまいそうなほど派手でけばけばしい、原色の絵模様が描かれていて。天蓋に至っては、金箔を貼っているのかなんなのか、きんきらきんに輝いている。その天蓋の上のところには二本のロープが結び付けられていた。これもきんきらきんに金色であったのだが、とにかく頑丈そうなロープで、もしかしたら金属製のワイヤーを縒り合わせて作られたものかもしれなかった。

 グリュプスは、真昼達の姿が見える前からなんとなく苛々した感じで、荒い息を吐き出したり地面を足で蹴ったりしていたのだが。真昼達の……というよりも、マコトの姿が目に入ると、あからさまに怒りの感情を剥き出しにし始めた。具体的には、上半身を低くして、翼を軽く広げて、あらゆる動物に共通する威嚇のポーズを取り始めたということだ。

 真昼としては(え? これ大丈夫なの?)って感じだったが。マコトはそんなグリュプスの様子などまるで気にすることもなく、飄々とした態度、というかそれを通り越して腹が立つほどへらへらした態度で、グリュプスの近く、顔の横の辺りに歩いて行ってしまった(真昼はマラーの身を案じてもうちょっと離れた場所で待機していることにした)。

 そして、グリュプスは。

 そんなマコトに対して。

 獅子の声を高くしたみたいな。

 猛禽の声を低くしたみたいな。

 天の底に響き渡る。

 凄まじい咆哮を上げた。

 遠くにいたマラーでさえ、びっくりして、ちょっとした悲鳴を上げてしまったくらいだった。真昼の方は、一応はマンティコアだのノリ・メ・タンゲレだの、様々な致死性の生き物と渡り合ってきていたので、さすがにその咆哮を冷静に受け止めることが出来ていたのだが。それでも、マコトのこと、(あの人大丈夫なのかな)と思ってしまったほどだ。

 マコトは、まあ大丈夫だった。あれほどの咆哮をあれほどの至近距離で喰らっておきながら、欠片も動じることなく、へらへらとした顔を崩すことさえしないで。それどころか激怒しているグリュプスの横に立つと、非常に馴れ馴れし気な態度で、首の下、羽が赤くなっている胸の部分をぽんぽんと軽く叩いた。それからグリュプスの顔を見上げて、これは……あたかも小鳥の鳴き声みたいな声。きゅるきゅるという感じの、高くて柔らかい、媚びたような声で何かを話し始めた。

 家庭教師の人に教えられて真昼も知っていた事実なのだが(ちなみに今更ながらいっておくと、真昼がマホウ界の生物についてやけに詳しいのは、マホウ界の生物の軍事転用が比較的容易であるため、集中的に勉強させられたというのが理由である)グリュプスは、一応は知的生物に分類される。その知的レベルとしては、下等知的生命体である人間と大して変わらないくらいなので、かなり底辺に近いのであるが。それでも、固有の言語を持つ程度には発達した知性を有している。

 そして、このグリュプスが上げた咆哮、マコトが歌った鳴き声こそがグリュプスの言語なのだ。実のところ、マコトは、突然グリュプスのコミュニティに放り込まれても日常生活に困らない程度にはグリュプスの言語を理解していた。それどころかマコトは、過去から現在にかけてナシマホウ界で使用されたことがある言語のほとんどと、現在マホウ界で使われている言語の一部とを理解することが出来た。さすがにノスフェラトゥの言葉のようなテレパシーを必要とする言語は分からなかったが。

 そんなわけで、マコトは、今、グリュプスと何やら会話をしていたのだが。当然ながら、真昼(と、ついでにマラー)はグリュプスの言葉を理解することが出来なかったので、何を話しているのかはさっぱり分からなかった。マコトがひとしきり甘えたような鳴き声を出した後で、それに対して、グリュプスはいかにも不機嫌そうな唸り声で返した。ただ、とはいえ、さっきの激怒よりはなんとなく柔らかい感じの口調であったし、胸のところに置かれたマコトの手を振り払うような真似もしなかった。

 そのことに気をよくしたマコトは、畳みかけるようにして、親鳥に餌をねだっているみたいな、ききい、ききい、という声で何かをまくし立てた。グリュプスの顔は、まるで猫が威嚇するように顰められ、嘴もがあっと開いていて、露骨に不快感を表明していたのだけれども。それでも、その機嫌がみるみる直っていっていることは明白であった。どうやら危機は脱したらしい。

 ただ……その危機は、あくまでも一つ目の危機だったようだ。そこそこ機嫌が直ったらしいグリュプスは、その顔を、ごくごくニュートラルな表情に戻したのだけれど。その顔を、ぐるっと、真昼とマラーとに向けた。

 それに対してマラーは明らかにびくっとして、真昼の手を握っていた手、きゅっと力を入れて。それでも少しは度胸がついてきたのか、真昼の背中に隠れたりすることはしなかった。そんなマラーの態度に、真昼は一抹の寂しさを感じながらも、グリュプスが何か攻撃を仕掛けてきてもいいように、心の準備をした。

 しかし、グリュプスが何かをしてくることはなかった。それどころか、真昼とマラーとに用があってそちらに顔を向けたわけでもなかったらしい。顔を向けたのは、人間でいう指を差すみたいな意味の動作であったらしく。その視線はマコトに向けたままだったのだ。それから、マコトに向かって、また何かを話し始める。今度は、大型の猫科の動物が喚く時のぎゃうぎゃうという声と、鷲が鳴き声を交し合う時のききききーいという声を、二対三ほどの割合で混ぜたような。何かを交渉しているような声だった。

 それに対してマコトは、それとほとんど同じような声、つまり交渉しているような声で返す。そんな感じの鳴き声が、二度、三度、四度と繰り返されて。声の大きさが次第にエスカレートしていき、最後は、完全に、猫と猫との喧嘩、鳥と鳥との喧嘩のような感じになってしまったのだが。その応酬が、ほとんど頂点まで到達すると……唐突に、ぴたりとやんだ。

 マコトが。

 くるっと振り返って。

 真昼に対して、言う。

「いやー、お待たせしました。」

 それから、真昼とマラーとの方に向かって歩いてくると「ささ、早く乗って下さい。どうやら彼はせっかちなグリュプスみたいでしてね、また怒らせてしまうと大変ですから」とかなんとかいいながら、真昼達を促した。

 具体的にどう促したのかといえば、真昼の肩に手を置いて、グリュプスの隣に置いてあった籠の方に、ぐいっと押したということだ。真昼を押せば、真昼と手を繋いでいるマラーも自然とそちらに足が向くので、それなりに効率的なやり方といえるだろう。真昼としてはマコトに触れられたのがとてもとても不快だったのだけれど。それでも振り払うことはしないで、その代わりに、マコトに問い掛ける。

「あの。」

「はい、なんですか?」

「もしかして……あれがタクシーですか?」

「そうですそうです。」

 確かに、月光国にはないタイプのタクシーだった。というか、ナシマホウ界ではアーガミパータくらいでしか見られないだろう。タクシーは「料金を請求する」という意味のホビット語であるtaxarを語源としているため、それ自体に「車」という意味は含まれておらず、理論的にはグリュプスのタクシーも成り立ちはするが。それでも、真昼の常識からいえばタクシーといえば車だったため、少なからず驚いてしまった。

 とはいえ。

 アーガミパータ慣れしてきた真昼なので。

 そんな驚きも、すぐに、消えてしまって。

 なんでもないような口調。

 更に。

 言葉を。

 続ける。

「あのグリュプス、なんだかさっきまで怒ってたみたいですけど。」

「ああ、ちょっとね。二分か三分で戻ってくるって言ったのに、何十分も待たせちゃったんで。いや、何時間もかな? でも最後には美しい相互理解に到達しましたよ。カリ・ユガ龍王領の偉大な勝利を世界中に伝えるためにはどうしても必要な数時間だったと納得してくれたみたいです。生き物というの真摯に話し合いさえすれば分かり合えるように出来てるもんですよ、もちろん少数の例外を除いてってことですが。」

「私達の方を向いて、何か言ってたのは……」

「あはは、砂流原さんは色々なことを気にするタイプの方なんですねぇ。あれはね、ちょっと運賃について話し合ってたんですよ。運ぶ人数が一人から三人に増えるんだから、運賃も三倍にしろって言われたんで、それはちょっと高過ぎるだろって話をしてたんです。向こうの言いたいことも分かるんですけどね。人数が増えればそれだけ重くなるし。まあ、とにかく一.五倍の運賃で折り合いましたよ。」

 そんなことを話しつつ。

 三人は。

 籠のすぐそば。

 辿り、着いた。

 籠は、一つの壁の高さが、成人男性の胸の辺りに届くくらいあったのだが。マコトは、その壁の一面に近付くと、その面と他の横面とを繋いでいる角の部分に手を伸ばした。右側の角と左側の角と、両方に留め金が付いていて、それを外すと、ばたーんという優雅さの欠片もない音を立てて、前側に倒れこむみたいにして、その面が丸ごと開いてしまった。どうやらこれが籠の乗降口になっているらしい。

 そして、マコトは、真昼に対してその籠の中を指し示しながら「さ、どうぞ」と言った。どうやら、この「タクシー」に乗れということらしい。真昼としては、こういったよく分からないものにマラーを乗せることはあまり気が進まなかったのだが、こんなところでいつまでもぐずぐずしていても、既に埒は明いてしまった後なのだ。ということで、仕方なく、マラーと一緒にその籠に乗ることにした。ちなみに、そんな真昼の様子とは対照的に、マラーはむしろ楽しげな感じで、真昼の手を引っ張るみたいにしてその籠に乗り込んだくらいだった。

 二人が入ると、マコトも同じようにしてその籠の中に入って。それから、倒れていた籠の面をいかにも重そうに持ち上げた。隣り合った二つの面としっかり合わせて、もう一度、留め金を留めると。これで準備は整ったようだ。こちらの方に視線を向けるともなく向けないともなく、なんとなく羽繕いをしていたグリュプスに向かって、くーっくーっ、みたいな、何かを促すような鳴き声によって合図をする。

 すると。

 グリュプスは。

 まるで喚声みたいにして。

 獣の吠え声を上げながら。

 上半身を、掲げるように、後足で立ち上がり。

 前足で、籠の天蓋に結び付けられた紐を取り。

 それから。

 一度。

 大きく。

 羽搏く。

 その、たった一度の羽搏きで、グリュプスの体は大きく飛び上がった。グリュプスが空を飛ぶ様を見る時に、これほどの巨体、万鈞の重みをもつ肉体を、よくもまあこのような羽で支えることが出来ると思う方もいるかもしれないが。グリュプスの羽には魔力が宿っており、その羽搏きが起こす風は一種の魔風なのである。だから、こんな風にして、一度の羽搏きで一気に空に駆け上がることも出来るのだ。

 そして、もちろん、グリュプスが飛んだということは……かなり荒っぽい感じで、ぐらぐらと揺さぶられるようにして、その前足に持っていた籠も持ち上がった。こういった「めちゃくちゃ揺れる乗り物」には慣れっこになっている真昼でさえ、すってんころりんと転んだマラーの体に巻き込まれる形で倒れてしまったくらいの荒っぽさだ。そんな真昼とマラーとの姿を見ながら、「ああ、言い忘れてましたが」と言いつつ、しっかりと籠の縁に掴まっていたマコトは、くすくすと笑って。

 こう。

 言葉を。

 続ける。

「どこかに捕まってた方が良いかもしれないですよ。」


 それは。

 地獄の底で見るとは。

 思ってもいなかった。

 壮麗と、絢爛と。

 真昼は……自分が眼下に見下ろしている光景が、アーガミパータのそれであるとは信じることが出来なかった。しかもヌリトヤ沙漠という、乾いた骨のような不毛の地の、ここはその中心部分であるというのに。

 端的にいえば、都市だった。しかも、エスペラント・ウニートのエクセルシオールやパンピュリア共和国のブラッドフィールドや、そういった都市に引けを取ることがないと思ってしまいそうなほどの大都市。

「ここが……」

「カリ・ユガ龍王領の首都、カーラプーラです。」

 ヤジ(略)ーダ城塞が建てられていた荒野から、マハーヴィジャナ・マールガ沿い、籠に乗った人間にかなり気を使ったグリュプスの飛行速度で二十分もしないところに、この都市はあった。あたかも沙漠の蜃気楼がごとく、煌びやかな摩天楼が立ち並び、沸き立つような生命力で賑わう、繁栄そのもののような都市。ビルディングの一つ一つが五十階建てくらいの高さがあり、しかもそういったビルディングが何十と建てられているのだ。

 ただし、エクセルシオールやブラッドフィールドやとは少しばかり違う点もある。例えば……そういったビルとビルとの間には、小さな点のようなものが幾つも幾つも飛び交っている。それらの点は、よくよく見てみると、真昼達を運んでいるグリュプスと同じようなグリュプスであったり。あるいは、他の種類の鳥みたいな生き物の姿であったりするのだ。ナシマホウ界の都市とは違って、カーラプーラでは、このような空を飛ぶ生き物が、ごくごく普通に日常生活の一部となっているらしい。

 また、実をいえば、ビルディングについても、真昼が見たこともないような種類のビルディングだった。これはカーラプーラに特有というよりも、どちらかといえばアーガミパータの文化的特徴といった方がいいのだが……なんか、すごく、派手なのだ。普通、ビルディングと聞いて思い浮かぶのは、金属とガラスと、それにコンクリートで出来た、単純かつ実用的な「灰色の長方形」としての姿だろうが。ここのビルディングは一つ一つが芸術だった。

 その色は、決して灰一色ではない。真紅と黄金とを基調とした色合いの中に、原色の青と緑とがオアシスのように混ざる。一瞬見ただけで目が痛くなってくるし、ずっと見ていれば失明してしまいそうなほどの輝かしさだ。その形も、シンプルな長方形の物など一つもない。幾つもの箱を何かの法則に従って積み重ねたような姿や、幾つもの棒をしっかりとまとめて一つに束ねたような姿。あるいは、空に向かって真っ直ぐに伸びる、楕円形の尖塔のような姿の物もある。

 そして、それらのビルディングのほとんど全てに、恐ろしいほど細かい彫刻が、全面的に刻まれているのだ。ちょうど、ASKのアヴマンダラ製錬所、あのティンガー・ルームと呼ばれた空間で見たストゥーパのように。ただし、あちらの彫刻のモチーフはカーマデーヌとダイモニカスとの姿であったが、こちらの彫刻のモチーフは例の四本の首を持つ蛇の姿だった。その蛇と、それから、舞龍らしき生き物の姿。そして、そういった生き物を崇拝しているらしい無数の人間が主なモチーフだ。

 あるいは、これは楕円形の尖塔としての建物によく見られる形状なのだが、その尖塔の全体に、巨大な一匹の蛇が絡まっているような、全体としてそんな姿をしている彫刻さえある。これはもう真昼には理解不可能な段階の芸術性であって、実用性なんていうものを放棄しているとしか思えないビルディングであったが、まあアーガミパータはそういう場所なのだ。

 無論、そういった彫刻の合間合間には窓が開いているのだが。その窓がまた、真昼には理解出来ない代物だった。何せ、五十階以上の高さになっても、ガラスのようなものは一切嵌っておらず、開きっぱなしの穴になっているのだから。確かにここはアーガミパータであって、基本的に温度が高く、あれほどの高さであってもそれほど寒くはないのかもしれない。また、吹き込んでくるであろう風にしても、魔法でなんとか出来るのかもしれない。それにしても……あそこから落ちてしまったらどうするのだろうか。まさに人間の命の価値が低いアーガミパータならではの構造だ。

 また、窓だけではなく、ビルディングから外部に開かれた構造として、相当高い場所に止まり木のようなものが突き出ていた。それらの構造は、開いた蛇の口から出た長い舌みたいな姿をしていたり、レーグートらしき生き物が伸ばしている腕のような姿をしていたりしたのだが。要するに、飛行する生き物が到着するための場所であるようだった。

 さて。

 一体、なぜ。

 沙漠の真ん真ん中。

 このような都市が。

 存在しうるのか。

 その理由を知るには……この都市の中心部分に目を向ける必要があるだろう。都市の、というよりも、龍王領自体の真実の中心といった方が正しいかもしれない。そこにあるのは、一つの、広大な、湖だ。

 東西に引き伸ばされた少し歪んだ楕円形をしていて、湖岸線は比較的滑らかな曲線を描いている。東西の長さとしてはおよそ十エレフキュビト、南北の長さでも五エレフキュビトはあるだろう。まるで小さな海みたいに見渡す限りに広がっていて、しかも、そこからは何本も何本もの川が四方八方に向かって流れ出している。それらの川が龍王領全体に水を運び、結果として、沙漠であるはずのこの地域に繁栄をもたらしている。

 ところで、カリ・ユガ龍王領の中心であるカーラプーラの中心であるマイトリー・サラス、このマイトリー・サラスというのがこの湖の名前なのだが、とにかくそのマイトリー・サラスの、更に中心に注目してみよう。そこには、あたかも岩山か何かのような、巨大な、黒色の、岩石の塊が、水面から突き出している。大きさとしては、縦横の長さがそれぞれ二エレフキュビト程度、高さが一エレフキュビト程度といった感じだ。

 この岩山こそが、この龍王領の繁栄、そのoriginなのである。ここでいうoriginとは、まさにその言葉の意味の通りであって、この岩山から、龍王領にいきわたる全ての水が湧き出ているということだ。

 岩山の四方、東西南北の方向に、人間が作った物とは思えないほどに巨大な蛇の彫像が設置されている。恐らくはコルブラ・エラピデアのたぐいと思われる、肋骨を動かすことによって、頭部の下の部分にフードのような形を広げることが出来る種類の蛇。そういった蛇がフードを広げた姿だ。ちょうど、この岩山がそれらの蛇の巣であって、巣穴から頭をのぞかせているといった感じで作られた物で。ぐうっと鎌首を擡げた感じの頭、その先の口が、がばぁっという感じで、大きく大きく開かれている。

 そして。

 それらの口から。

 どうどうと。

 凄まじい量。

 水が流れている。

 そういったわけで、先進国の大都市に勝るとも劣らない、素晴らしい大都市が真昼の目の前に広がっていて。真昼の隣にいるマラーなどは、生まれて初めて見るのであろう、そんな大都市を、目をきらきらさせながら見詰めていたのだが。一方で、真昼としてはそのような光景を見て、なんとなく、畏敬の念と不快感とが入り混じった、ひどく複雑な気持ちになってしまった。

 ここに来る前に、タンディー・チャッタンに立ち寄っていなかったら、もう少し素直な気持ちでいられたのかもしれない。だが、この大都市とは比べ物にならないくらい見すぼらしい姿をしたあの町、叩きのめされ打ちのめされて、それでも生きていかなければならない、そんな町を見た後では。このカーラプーラという都市の壮麗さ・絢爛さは、どことない悍ましさのようなものを感じてしまったのだ。

 このカリ・ユガ龍王領という場所は……暫定政府と争い合っている。戦争状態にあるといっても過言ではない。暫定政府は、人間至上主義国イコール先進国の援助を受けて、その代理としてアーガミパータの全土に搾取の手を伸ばそうとしている。一方で、このカリ・ユガ龍王領は、その「龍王領」という名前の通り、旧神国圏の国なのであって。真昼の考えでは、先進国によって搾取される後進国であらねばならないはずだ。善良な弱者、気高い先住民。それにも拘わらず、真昼が見ている光景は、その「あらねばならないはず」に反している。タンディー・チャッタンに住む人々を犠牲にして、戦争を戦っている兵士達を犠牲にして、これほどの物質文明を築いている。

 これは。

 どういう。

 ことなのか。

 そんな気持ちを込めて。

 真昼は、ぽつりと呟く。

「まるで人間至上主義国みたいですね。」

「え? ああ、まともに見えるってことですか?」

 マコトが、ヘルメットを外して。

 髪をがりがりと掻き回しながら。

 そう答える。

「そうですね。あんまり、こう、いわゆる「アーガミパータ」っぽくは見えないかもしれませんね。でも、ここは、大抵の集団よりは豊かで文化的な場所ですから。

「砂流原さんも、かの砂流原静一郎氏の娘さんということですから、ナシマホウ界に流通しているマギメタルの大部分はアーガミパータ産だっていうことはご存じですよね? アーガミパータ全土には地下資源として大量の魔学物質が埋蔵されているんですが、その中でも、カリ・ユガ龍王領は、赤イヴェール合金の最大の産出領なんです。世界中で流通してる赤イヴェール合金の六十パーセントくらいはここで採れたものなんじゃないかな?

「ほら、他のイヴェール有機金属類と違って、赤イヴェール合金って大量複製が出来ないタイプのやつじゃないですか。まあグールは出来るらしいですけど、それは別として。だから、結構な高値で売ることが出来るんで、その輸出だけでも莫大な金額がここに流れ込んでくるってわけなんです。アーガミパータで使う兵器を作るにはどうしたって耐魔性が必要になってくるし、それに愛国もサヴィエトも相変わらずマホウ界に戦争を仕掛けてますからね。赤イヴェール合金は重要な戦略物資ってことです。」

 どうやら。

 真昼が言葉に含めたニュアンスとは。

 若干違う意味で受け取られたようだ。

 とはいえ、この場所がどうしてこんなに栄えてるかという疑問に対する答えは得られた。兵器を作るためのマテリアルを売り捌くことによって、それと引き換えに、これほどの豊かさを手に入れたということだ。この事実はこの事実で、真昼が今まで持っていた「常識」、先住民は自分達が自分達らしく生きていくことさえ出来れば他には何も望まないものだ、それゆえに資源の開発というのは、先住民の側からではなく先進諸国の押し付けによって行われる、という「常識」には反しているものだったが。それはまあ、一旦置いておくとしよう。

 それよりも。

 もっと大きな。

 問題がある。

「赤イヴェール合金を輸出してるんですか?」

「ええ、そうですよ。」

「それって……人間至上主義諸国にってことですか?」

「そりゃそうですよ、それ以外どこに輸出するんですか。」

 マコトは、何を当たり前のことをといわんばかりにそう答えると。どうやら気が済むまで頭を掻き終わったらしく、またヘルメットをかぶり直した。

 当たり前……確かに、当たり前といえば当たり前の話であって、それほど大量の赤イヴェール合金を購入出来る資金があるのは、パンピュリア共和国を除けば人間至上主義諸国くらいしかない。そして、そのパンピュリア共和国は、ノスフェラトゥとグールとの協定によって一定量の赤イヴェール合金がグールから供給されているため、わざわざ他の集団から購入する必要がない。

 しかし、そうはいっても、真昼の感覚からすると、それは大変おかしなことだった。龍王が治めている集団が、人間至上主義諸国と貿易関係を結んでいるなんて。そもそも、人間至上主義諸国は、ナシマホウ界から全てのゼティウス形而上体を追放することを全世界に対して誓っているのではなかったのか? そんな国々が、なぜ、旧神国圏から、物を買うことが出来るのだろうか。

「でも、ここは……龍王の国なんですよね。」

「国家じゃなくて領域ですけどね。」

「なんで、人間至上主義国が、そんなところから……」

「あはは、砂流原さん。今はですね、グローバルな自由貿易の時代なんですよ。そんなイデオロギーだのなんだのの時代じゃないんです。まあ、確かに、赤イヴェール合金の対価として支払われた金がこの領域の防衛費となってることは事実ですが……それと同じくらいの金額を軍事援助として暫定政府軍に支払ってますからね。結果的に、勢力はまあまあ均衡するってわけです。そうすればいつまでもいつまでも紛争が続いて関係者一同の懐にはどんどんと金が流れ込んでくる。ほら、ハッピーエンドでしょ? だからなんの問題もないんですよ。」

 いやいやいや。

 むしろ問題しかないだろ。

 と、真昼は思ったのだが。

 しかし、敢えてそのことを口に出すような真似はしなかった。それは、たぶん例の思考ロックのせいなのだろうが、誰かと争いごとを起こす可能性があることを、わざわざする気が起らなかったのだ。なんとなく温かいような穏やかな気持ちが細胞と細胞との間に染み渡っていて、それを喪失したくないという感じ。とにかく、真昼はマコトの言葉に対して何か反応を示すことはなく、その代わりに、こう言う。

「これからどこに行くんですか。」

「取り敢えず検問所に向かいます。」

「検問所? 領域の中に検問所があるんですか?」

「ええ、そうですよ。」

「なんで?」

「そりゃ、首都に入って欲しくない人を入れないためですよ。ヴァルナが下層の人だとか、不浄なジャーティの人だとか、それに受け入れている難民達に、もちろんテロリストもですね。まあ、テロリストに関しては、治安当局が管理可能な範囲内で、わざと首都に潜伏することを許してるみたいですけど。なんにせよ寛容であるというのは統治にとって重要なことですから。」

 マコトの回答は真昼にとって様々な問題点を含むものであって、その中でも特に、カーラプーラに「テロリスト」が「潜伏」しているというところは全くもって聞き逃せないところだったのだが。ただ、その点について一歩踏み込んだ質問をしようとしたところで、ちょうど、三人の乗ったタクシーが、カーラプーラに向かって下降を開始してしまった。

 このタクシーの「運転手」であるグリュプスは、一応は人間に対して気を使ってくれているということは分かるのであるが、それでも、なんというか、グリュプスであることはグリュプスであるので、空を飛ぶことの出来ない生き物の気持ちが全く分かっていないというか、はっきりいって飛び方がめちゃくちゃ荒っぽかった。そのため、その時に始まった下降の過程も、「がくっ」という感じでいきなり始まり、「ずどーんっ」という感じで瞬く間に下降する感じで、心臓が弱い人が乗っちゃいけないタイプのジェットコースターみたいな勢いだったのであって。それゆえに、口を開けば舌を噛むのは確実な状況となったこのタイミングで、真昼は口を噤むことしか出来なかったというわけだ。

 籠から放り出されないように、マラーのことをしっかりと抱き締めて。なんとかしてそこら辺に掴まっている真昼のことをよそに、タクシーは凄まじい勢いで下に向かって降りていく。マコトも、籠の中にしゃがみ込んで、籠の中の角の一つにその背中をしっかりと押し合てて、やはり放り出されないようにしている。「いやー、今日のタクシーは外れですね」などと呑気なことを言っているが、もちろん、真昼にもマラーにも、それに対して答える余裕などないのだ。

 約一エレフキュビトの高さ。

 一気に駆けくだっていって。

 それから。

 タクシーは。

 着陸の時だけは。

 ふわりと優しく。

 地上に、辿り着いた。

 さて、カーラプーラはその全体をぐるっと一周するようにして壁に囲われている。一枚一枚が高さにして十ダブルキュビト、横幅にして一ダブルキュビト、厚みにして三十ハーフフィンガーあるコンクリートのパネルを繋ぎ合わせて作られた、城砦の防壁とも思えるほどの長大な壁だ。

 ちなみに、アヴマンダラ製錬所を囲っていたフォースフィールドと違って、この壁には目に見えない部分などはなく、目に見えているコンクリートの部分だけしかないのだが。そこから上の部分に関しては、都市と外部との境を周期的に巡回しているグラディバーンが監視をしている。

 そして、そんな壁の要所要所に検問所が設けられているのだ。それは真昼の目から見ると、一つの国の中にある地方と地方との境というよりも、「国境」といった方がよさそうなほど厳重な施設であって。こちら側から向こう側に行くための道は主に四つのルートから成り立っていた。

 一つが徒歩で来た人間用。一つがマンティコアやガジャラチャやなどの陸生動物、あるいは車両用。一つがグリュプスやグラディバーンやなどの飛行動物、あるいは航空機用。最後の一つが、ナーガやユニコーンや、あるいは、領域として重要であると認められた何者かのためのもの。

 一般人用の道は、鉄柵のようなもので仕切られた、非常に長い、二列と二列との合計四列のルートから成り立っている。片側の二列が都市に入るためのルートで、もう片方が都市から出てくるためのルートだ。鉄柵の上には分厚い布がテントのようにして掛けられていて、そのルートに並んでいる人々が熱中症などにかからないように、一応は配慮されている。そして、出入りする場所自体は、壁のうちのそこだけがぽっかりと開いている部分に設置された金網のゲートで、そこここにライフルを持った兵隊達(タンディー・チャッタンでタイヤをどかしてくれたあの兵隊達とよく似ている)が立っている。

 行列は恐ろしく長く並んでいて、こういう例えをしていいのか分からないのだが、真昼が思ったことをそのまま書くとすれば、大人気のテーマパークの、何時間も待たなければ乗ることが出来ないアトラクション、そこに並んでいる行列みたいだった。人々も並ぶことに慣れているのか、各自、スマートデヴァイスをいじっていたり、顔見知りの人と話していたり、何かの果物を齧ったりして時間を潰している。そして、その一番先頭では、一人一人が、検問をしている兵隊に対して、ネックレスにしていたりブレスレットにしていたりする宝石を見せ、その宝石から何かを読み取ることによって、通行の許可を出して貰っていた。

 車両及び陸生動物用のルートも似たようなものだ。これもまた四つのルートに分かれていて、二つが進入用、二つが退出用。ただこちらは鉄柵などで仕切られてはおらず、道路がそのまま繋がっている形になっていた。行列の先頭には、月光国でいうところの高速道路の料金所みたいなものが設置してあって、その中にいる兵隊達が検問を行っている。ここで見せるものも、やはりあの宝石だ。また、それぞれのルートには何本かの脇道のようなものが用意してあって、大量の荷物を運んでいる場合には、別途そこで荷物の検査が行われることもあるらしかった。

 航空機及び飛行動物のルートであるが、これは壁の上に作られていた。壁の一部分が、ずんぐりとした塔のように突き出ていて。その上に、円盤みたいな形の、それなりに広々とした足場が作られているのだ。その足場の上に十数人の兵隊達が待機していて、それぞれが検問を行っている。ちなみに、先ほどから航空機航空機と書いているが、これはヘリコプターや飛行機やというよりも、もう少し小さい一人乗りの航空機、今まで出てきた物で例えればスティックみたいな物だったので、このような広くない足場でも十分に検問をすることが出来るようだった。

 ただし、三人が乗ったグリュプスは。

 なぜか、ここには、着陸しなかった。

 着陸したのは、先ほども書いたことであるが、地上であり……そして、四つ目のルート、つまり重要生命体用のルートのすぐそばであった。ちなみに、このルートについて書いておくと、まず誰一人として・何一匹として並んではいなかった。それもまあ当たり前といえば当たり前の話で、そもそもの話として、レーグートの大部分はカーラプーラから出ることはないし、ナーガの大部分は前線基地から帰ってくることはないのだ。ユニコーンはというと、そもそも絶対数がそれほど多くない。向こうはめちゃくちゃ混んでて、こっちはめちゃくちゃ空いてて、こういうのを見る度に、誰も通ってない間くらい一般人用としてこっちも使えばいいのにと思うのだが。まあ、向こうさんとしても、そういうわけにもいかない事情があるのだろう。

 また、一般人用のルートは、こういっちゃなんだがいかにも雑な作りであって、先ほども書いたように、屋根も(頑丈そうとはいえ)ただの布で出来ているし、検問所は金網を組み立てて作った掘立小屋みたいな感じであるが。こちらのルートには、ちょっとした観光スポットなのかな?と思ってしまいそうなくらいに立派な建物が建てられていた。

 さすがに検問所の描写でそんなに多言を弄するのもどうかと思うので、詳細については省略させて頂きますが。それは、あたかも一つの寺院のような建物であった。主に北アーガミパータで採掘される、犀角石という名前の、魔力を帯びた青灰色の石。これをスクリーン状に加工したもので作られた壁面は、そのスクリーンの一枚一枚に緻密な幾何学模様が刻まれている。ドーム状になった屋根部分からは、複雑な彫刻を施されたシカラ(屋根に設置される高い塔)が突き出ていて。建物自体の正面には、上半身を持ち上げた二匹のガジャラチャがアーチを作っている形の、やけに美しいトラナ(建物とは別個に作られた門)が付属している。

 これはなんというか、本当にマジで不必要な豪華さ・贅沢さであって、ここを通るだろうと思われている生き物、ナーガもレーグートも、あるいはカーラナンピアも。いわゆる人間的な心というものを一切持ち合わせていないタイプの生き物なので、こういった豪華な・贅沢な建物を見ても、ない心を動かせるわけがなく。金網で出来た掘立小屋的な検問所でもなんの問題もないと思うのだが……まあ、とはいえ、こういう建物を作ったのにも何かの事情があるのだろうし、あまり深く考えるのはやめておこう。

 とにかく。

 タクシーは。

 そんな検問所の。

 近くに、降りた。

 片手でマラーのことを抱き締めて、片手で籠の縁に掴まって、しっかりとしがみ付くみたいにしていた真昼は。ようやく安全な地上に降り立つことが出来たことに、ほっと一息をついたのだが。一方で、籠を下したグリュプスは、その籠のすぐ横のところに着地すると。いかにも、もう目的の場所に着いたんだからさっさと降りろみたいな感じで、くえーっと一声鳴いた。

 それに対してマコトは、ぴったりと座り込んでいた姿勢から、ぱっと立ち上がって。いかにも、はいはい分かりました、みたいな感じで、くえーっと返す。それから、ぱちん、ぱちん、と籠の留め金を外して、また籠の一部をばたーんと倒すみたいにして開くと。真昼に向かって「さあさあ着きましたよ」と言って、降りるように促したのだった。

 落下の余韻がまだ抜けないのだろう、なんとなく足元がふらついてしまっているマラー。その体が転ばないように、真昼は支えながら籠から降りた。その後に続くようにして、マコトも籠から出ると、ちゃんと籠の一部を元の位置に戻して留め金を止めた。それからグリュプスがいる方に向き直る。そんなマコトのことを待ち受けていたかのようにして、グリュプスが、ぐっと上半身を反らすと……その体に巻き付いていた蔦のようなものが、するすると、マコトに向かって伸びていった。

 そう、今まで一言も触れていなかったのだが、グリュプスの体には、真っ赤な色をした蔦のようなものが絡み付いていた。蔦というのは正確ではなく、実際のところは菌糸が編み束ねられてこのような姿になっているのであって、他の生物と共生して生きる地衣類である。これはレーグートに非常に近い生き物で、高度な把持性を有する身体器官を持たない生き物を主な宿主とする。そして、宿主となっている生き物によって行動範囲を広げる代わりに、その宿主の「手」の代わりとしての役割を果たすのだ。

 ヴェケボサン・メルフィス・ダガッゼといったイマゴ・デイ系の生き物が中心となって文明を築き始めた時に、「高度な把持性」はそのような文明にコミットメントするための必要最低限の能力になってしまった。だが、当然ながらそういった能力を持たない知的生命体もいるのであって、コクリやシャンタクや、それにもちろんグリュプスといった種族にとっては、そのような文化圏で生活するのは大変難しいことだ。ということで、そういった生き物にとって、「手」になってくれるこの赤い蔦(共通語ではアカデと呼ばれている)は大変役に立つパートナーなのである。

 それはともかくとして、マコトに対して伸ばされたアカデには、一つの宝石が把持されていた。それは、検問所を通ろうとする人々が、検問を行っている兵士に対して見せていたあの宝石と、全く同じ種類の宝石だった。そして、そうやって差し出された宝石に対して、マコトは自分の右の手首をすっと差し上げる。その手首には、ブレスレットが着けられていて……そのブレスレットにも、やはり例の宝石が嵌っていた。

 その二つの宝石が、触れそうな距離まで近付けられると。双方の宝石がぼうっと光り輝いて、それから、マコトが持っている宝石からグリュプスが持っている宝石へと、何かの「力」みたいなものが移っていくのが感じられた。すうっと、吸い取られるみたいにして移動していって……それが終わると、グリュプスとマコトとは、お互いに宝石を離した。

 その後で、グリュプスは、もう用は済んだとばかりに、けーん!と一声上げると。籠に繋がっているロープを掴んで、ばーっと一度羽搏いて。そのまま、そこまで急がなくてもいいだろうというくらいの凄まじい勢いで、一気に上空へと飛んで行ってしまった。それに対してマコトは、もう絶対に聞こえていないだろうけれど、一応、念のために、けーん!という言葉を返して。さてと、という感じで真昼の方に向き直った。

 そして。

 何か言おうと口を開いたが。

 それより先に、真昼が言う。

「それ、なんなんですか。」

「はい?」

「その宝石みたいなやつ。」

 そう言って真昼が指差したのは、もちろんマコトのブレスレットに嵌っている宝石だ。これは、先ほどから宝石と書いてはいるものの、もしも宝石だとしたら随分と変わった宝石だった。透明な夢のような、完全な真球をしている球体の中に。夜をそのまま液体にしたような、とろとろとした暗黒が閉じ込められている。そして、その暗黒が、明らかに魔学的なエネルギーによって、淡く光っているのだ。

「ああ、これですか。」

 そう言うと、マコトは軽く手を上げて。

 その宝石を、真昼の方に向けて見せる。

「ローガラトナですよ。というか砂流原さん、デニーさんからこれ貰ってないんですか? うーん、その様子だと貰ってないどころか、これについての説明も受けてないみたいですね。

「えーとですね、この宝石には、主に二つの役割があるんですけど……この中に黒い液体が見えますよね? この、どろどろしてるやつ。これがですね、カリ・ユガさんの魔力なんです。もちろん、魔力そのものというよりも、魔力を見えるように加工したものなんですけど。カリ・ユガ龍王領では、この魔力が、表券主義的な信用貨幣の役割を果たしてるっていうわけです。うーん、ただ、貨幣そのものというよりも、貨幣の言語的な側面を強調したコミュニケーション・ツールって言った方がいいかもしれませんけどね。

「人間至上主義諸国とはね、なんというか、貨幣というものが果たしている役割が根本的に違うんですよね。ほら、あちら側の世界って、こちら側の世界とは違って、経済活動の全般をエコン族の神々が統治してるじゃないですか。そのせいで、あちら側の世界では、貨幣というものが観念的環世界における非外在的支配領域の問題になってますよね。えーと、分かりやすくいうと、侵害者と罪悪感との問題、調停の問題になってるっていうことです。カリ・ユガ龍王領ではね、貨幣というものが、もっとフラットな、もっとカジュアルな、そういうものになってるんですよね。確かに、計量化することによって現実を変換してはいるんですけど。その変換が曖昧であるがゆえに、数値化が一極化していない。そのせいで、貨幣が流通そのものになってるんです。えーと、生存に直結する無意味な挨拶っていえばいいのかな、ただ、そういった直結は絶対的な権力によって隠蔽されているわけですが。とにかく、カリ・ユガ龍王領では、これを使って「財」の調整がなされているんです。これが一つ目の役割ですね。

「それから二つ目の役割はですね。どう説明すればいいのかな……この魔力っていうのが、魔力のどの部分が、どの領民に貸し出されているものなのかっていうことが、全てアーカイブに記録されてるんですよ。しかもリアルタイムで。取引があって、ある領民から別の領民に魔力の一部が移転されたとしますよね。その瞬間に、アーカイブに、その取引が記録されるんです。だから、この魔力のデータを読み出すことで、その持ち主が誰なのかっていうのが分かるんで、本人確認をすることが出来るんです。一種の身分証明書みたいな役割を果たしてるってことですね。

「要するに、財布と人間識別番号カードと、その両方を一緒にしたような物なんですよ。そんなわけでここではこれ持ってないとかなり不便なんですけど……んー……まあ、でも、砂流原さんはデニーさんの「お連れの方」ですし大丈夫なんじゃないですかね。」

 いかにも適当に、そう言うと。

 マコトは、へらへらと笑った。

 財布も人間識別番号カードも持たずに、今まで足を踏み入れたこともないような完全アウェイの場所を観光するというのは、大丈夫性の欠片もない行為ではないだろうかと、真昼はそう思ったのだが。かといって、どうすればいいのかということも思い付かないので、結局は全てをマコトに任せるしかないのだった。

 そのマコトは。

 それでは、という感じ。

 真昼に向かって、言う。

「とにかく、さっさと検問を済ませちゃいましょう。」

「あの。」

「はい? なんですか?」

「向こうの方にも検問所がありますよね。すごく人が並んでるところ。あっちに並ばなくていいんですか? それか、私達、グリュプスに乗ってきましたけど、あの上の方にある検問所に行くべきじゃなかったんですか?」

 そう言いながら真昼が指差したのは、いわなくても分かると思うが、一般人用のルートと航空機及び飛行動物用のルートとだった。ちなみに真昼達がいる場所、特別な検問所は、少し高くなっている丘のような場所の上にあるので。一般人用のルートがある平地の方を見下ろすことが出来る。鉄柵で区切られた行列が、まるで迷路みたいにしてぐねぐねと伸びている様を見ると、明らかにそちらに並ばなければいけないような気がしてくる。

 しかし。

 そんな風に気が引けてる真昼に。

 マコトは、あっさりと、答える。

「ああ、いいんですよこっちで。あっちとこっちでは検問の対象者が違うんです。あっちは普通の人達のための検問所で、こっちは重要人物のための検問所ですね。」

「重要人物?」

「ええ、そうです。」

「それは……誰がですか。」

「誰がって、砂流原さんがですよ。」

 そう言って。

 肩を竦める。

「さっきも言いましたけど、砂流原さんは……あと、それに、そっちのお嬢さんも。デニーさんの「お連れの方」でしょう? そもそもデニーさんとカリ・ユガさんとはデニーさんの言い方を借りるならば「お友達」ですからね。デニーさんがここに来れば、自動的に領賓扱いになるわけなんです。ということは、その「お連れの方」であるところのお二人も、領賓扱いとなるのは理の当然っていうわけですね。それなら検問所もこっちの検問所が使えるんじゃないかなーって思ったってわけです。いや、使えるっていう確信があるわけじゃないんですけどね、でも、たぶん大丈夫なんじゃないんですか? まあ、行くだけ行ってみて駄目だったらあっちに行けばいいんですよ。」

 そう言うとマコトは、口の右端の傷を引き攣らせるようなあの笑い方で、また笑った。うーん、デニーも適当なやつだと思ってたけど、このマコトという女も、デニーとはちょっと違った意味で、かなり適当なやつだなと思いながら。真昼は、マコトに、更にこう問い掛ける。

「仮に、あなたの言う通りにあたしとマラーとが重要人物だったとしても、あたしもマラーも、その……あなたが持ってるそれ、ローガラトナっていうの、持ってないんですけど。それだと、検問所で、自分が重要人物だっていうことを証明出来ないんじゃないんですか?」

「ああ、そういえばそうですね。どうなんでしょう。大丈夫じゃないですか? ここはそういうところ割合にしっかりとしてますから。何か別の方法で確認してくれますよ、きっと。とにかく、こんなところで突っ立って話してたって埒が明かないですからね。行ってみるだけ行ってみましょう。」

 明らかに、懸案事項は何一つ解決していないままであったが。それでも、マコトは、そんな風にして話を打ち切ると、少し先のところにある検問所に向かって、全く迷いを感じさせない足取りで、すたすたと歩き出したのだった。


 アーガミパータにおいては、「旗」と同じように「柱」もまた集団にとって大きな意味を持つ象徴として使用されている。そういった柱は、正確には「ダルマ・スタンバ」といい、柱頭の部分がその集団を表すアイコンの彫刻となっていて、胴体の部分には、その集団で最も重要な法、つまり「ダルマ」が刻まれる。そして、検問所の中心には、このカリ・ユガ龍王領にとってのダルマ・スタンバ、領柱が、堂々と建てられていた。

 見上げるほどの高さ、三ダブルキュビトくらいはあるだろう。そのうちの五十ハーフディギト程度が柱頭となっており、カリ・ユガ龍王領を表すアイコン、四方を向いてフードを広げる四つの蛇の首になっている。胴体の部分には真聖言語であるジャーンバヴァ語の文字がびっしりと大量に刻まれていて、恐らくこれがカリ・ユガ龍王領のダルマなのだろうと思われた。

 その柱によって、この検問所の全体が、なんとなく二つの空間に分かたれていて。片方が都市へと入る何者かのための空間で、もう片方が都市から出ていく何者かのための空間であるらしかった。とはいえ、この検問所にいたのは、真昼達三人を除けば、警備の兵士と検問の兵士と、それに清掃ジャーティに属しているらしい、ひどく年老いた老人だけであったのだが。

 その検問所は……いわゆる「近代的」だと真昼が思うような人間至上主義的な建物とは、外観だけではなく内装も異なっていた。一番異なっているのは、ドアのようなものがないということだ。ぽっかりとした開口部があるだけで、しかも、建物の下半分は、ほとんど壁のような物で覆われていない。ただ剥き出しに並べられた柱の上に、建物の上部構造、例の犀角石で出来た上部構造が載せられているだけ、といった感じだ。

 こういった建物は、大変北部アーガミパータらしい建物といえるだろう。めったに雨が降らないので、吹き込んでくる水滴を心配する必要がなく。その一方で、熱気が建物の内部に籠もらないように風通しを良くする。そういった目的のためにこのような建物となっているのだ。とはいえ、この建物には魔学的なサーモアジャスターが付いていたので、そういったことは気にしなくても快適な温度が保たれていたのだが。

 本当はもっと色々書くことあるし、これだけの説明じゃ建物のぼんやりとした外観さえ浮かんでこないと思うんだけど、まあまあこれは通り過ぎるだけの検問所だから、描写に関してはこのくらいにしておくね。とにかく、真昼達が入ってきたのは、そんな感じの検問所でした!

 タンディー・チャッタンと同じくこの場所も左側通行のようで、マコトが向かったのは二つに分かたれた空間のうちの左の方だった。さすがに重要人物向けのルートらしく、空港とかにある税関手続きをするところみたいに、かなりしっかりした設備が整っていた。ただし、ここはナーガも通るところだったので、カウンターのようなものはなく、検問のための装置と、それに検問をする兵士がそのまま立っているだけだったのだが。

 検問のための装置であるが、分かりやすい例でいうと、ゲートタイプの金属探知機みたいな形だった。ただ、きちんとしたゲートになっているというわけではなく、二本の柱が立っていて、その間を通るような形になっている。そして、そういった形をした「ゲート」には、何本かのケーブルによって、ちょっとしたコンピューターが接続してあって。背の高い台の上に置かれたそのコンピューターに、検問の兵士が向き合っている形だ。

 さて、その兵士であるが……まるで、この世の終わりであるかのように退屈そうな顔をしていた。人間がここまで退屈することが出来るなんて、俄かには信じがたいほどの退屈。既に絶望そのものであるといっても過言ではないような退屈だ。

 まあ、よく考えたらその退屈も当然であって、先ほども書いたように、ここを通るものなど滅多にいない。平均して十日に一人いるかいないかという感じだろう。結果として、検問の兵士の仕事はただそこに立っているだけということになる。

 無論、兵士が向き合ってる例のコンピューターには、検問に使うソフトだけではなく、カンカーギ・パライミー(アーガミパータで古代から遊ばれているボードゲームの一種)のソフトも入っていたので、それで遊ぶことで時間を潰すことも出来なくはないのだが。人生における大半の時間を、コンピューターとカンカーギ・パライミーの対戦をして過ごすというのも、なかなか辛いものがあるというのは疑いないことだ。

 マコトは、そんな退屈そうな顔をした兵士のそばに近付いて行って。イパータ語によって、これ以上ないというくらいの気さくさで話し掛けた。兵士も、退屈を紛らわすことが出来るならもはやなんでもいいという心境なのだろう、馴れ馴れしくかつ怪しい外国人であるマコトに対して、ぱっと顔を明るくして。とても嬉しそうに言葉を返した。

 この会話は……例によってイパータ語だったので、二人が何を話しているのか真昼にはさっぱりだったのだが。どうやら、世間話が、有り得ないくらい盛り上がっているらしかった。検問の兵士は、身振り手振りを交えて話しているが、そのボディランゲージから推測するに、昨日の夕食時に野菜を炒めていたら、玉ねぎの一欠片が鍋からすっ飛んで行って、近くにいた猫の頭に当たってしまい、その猫が大騒ぎしたため、壺を一つ割ってしまったという話をしているらしい。どう考えてもそんなに盛り上がる話の内容ではないのだが、その話を始めてから既に十分が経過しようとしていた。その壺の色に形に大体の大きさに、猫の種類と自分がどんなに猫好きかということ、それに近頃玉ねぎの値段が高くなってるので龍王様になんとかして欲しいという話まで、兵士は延々と話を続けていて。しかも、マコトは、まるでその話を焚き付けているように、どんどん突っ込んだところまで掘り下げていくのだ。

 そのまま世間話が続けられて、真昼的にはもういい加減にして欲しいと思い始めた頃に。ようやく会話がひと段落して、マコトがポケットから小さな紙の包みを取り出した。これはアーガミパータでは大変ポピュラーなビーディという安葉巻が入った包みだ。煙草と比べるとかなり細くて、一分ほどで吸い終わってしまう。ちなみに、マコトが吸っているビーディはアーガミパータで一番人気がある「アーディ・ブッダ」という銘柄のビーディだ。

 そのビーディを、自分の口にくわえると。ふっと気が付いたようにして、兵士にもそれを勧める。兵士ももちろん断るわけがなく、そのビーディを一本取った。マコトは、まず兵士のビーディに火をつけて、それから自分のビーディにも火をつける。マコトがビーディを吸うと……右側の、頬が裂けたところから、吸い込んだ煙が少しずつ漏れていって。なんだかそれは少し奇妙な光景であった。兵士もそれを奇妙に思ったらしく、ビーディで、そんなマコトの頬を指し示しながら何かを言って。マコトはマコトで、いつものようにへらへらと笑いながら何か言葉を返した。

 どうですか?

 マコトという人間が。

 人の懐へと入り込むのが。

 異様に上手いということ。

 ここまでの行動から。

 良くお分かりになりましたでしょう。

 それはそれとして、話が、ようやく本題に入りそうだった。ビーディを吸って落ち着き始めた兵士が、真昼とマラーとに気が付いたのだ。二人のことを指差しながら、マコトに向かって何かを問い掛ける。マコトは、ビーディを床に落として火を踏み消すと――ちなみに、こういった行動は、清掃ジャーティの人々に仕事を与える行為であるため、アーガミパータではむしろ道徳的な行動であるとされている――ああ、そういえば、といった感じで、何かを話し始めた。

 いうまでもなく、今度の話は世間話ではない。真昼とマラーとが何者であるかということを話しているのだ。二人が領賓であるということ、カーラプーラに入りたがっているということ。それを伝えてから、ちらとコンピューターに視線を向けて、また二言三言続けた。検問のソフトにも、きっと二人のデータが来ているだろうということを言ったのだ。兵士は、それを聞くと、コンピューターでデータを検索して……実際に二人のデータが入っていることを確認したようだった。

 それから、兵士は。

 例の、ポジティブな意味を、伝える。

 首を小刻みにかしげるジェスチュア。

 それをしながら。

 マコトに、何かを言って。

 そしてマコトは。

 真昼とマラーとを。

 くるっと振り返り。

 一言、こう言う。

「通っていいそうですよ。」

 ええー、そんなあっさりと!?みたいに、思わず突っ込んでしまいそうになるくらい簡単にAKが出てしまった。だって、さっきまで色々話してたけど、それ全部世間話だったよね……検問に関する話してたのって、実質十秒くらいじゃない……?と、真昼は思ったのだが。まあ、とはいえ、通っていいなら通っていいに越したことはないわけで。

 マラーの手を握ったままで、真昼は検問の装置へと向かっていく。「ああ、一応本人かどうかチェックしないといけないらしいんで、このゲートを通って下さいね」とマコトに言われたので、そのゲートを通ると。装置は、びーとかじーとか、特に反応をすることもなく、無事に通り抜けることが出来た。

 それから、マコトは、その兵士に向かって、更に何かを話し始めた。何か、いかにも調子のよさそうなことを言った後で、両手を合わせるジェスチュアとコンピューターを指差すジェスチュアを、何度も何度も繰り返しながら、懇願するような声音で、兵士に何かを言う。兵士は、最初は、うーんどうだろうなぁみたいな顔をしていたのだけれど。やがて、まあいいか、みたいな顔になると、コンピューターに向かって何かの操作をし始めた。

「どうしたんですか?」

「え? ああ、私が通っても問題ないように色々といじって貰ってるんですよ。砂流原さん達とは違って私は領賓でもなんでもないですからね。ただのジャーナリストってことで、本来なら一般人用の検問を通らなきゃいけないんです。でも、ほら、今回は砂流原さん達の随行員みたいなもんじゃないですか。だから、特別にこっちの検問で通してくれないかーって頼んでみたんです。いやー、ほんとは駄目みたいなんですけどね、今回だけ特別に通してくれるみたいですよ。良かった良かった。」

 これまた、そんな適当でいいのかよという話なのだが。こういうことは、人間至上主義国以外では結構あることだ。なんでもかんでも升目定規に法律に定めて、そこから一歩でも踏み外すことを絶対に認めないというやり方、厳格な法治主義は、人間のような不完全な生き物に特有の発想なのであって。普通の知的生命体は、「正しいこと」というのは状況状況によって変わってくるという当たり前のことを知っているため、基本的にはそこそこの徳治主義をとるものである。ということで、今回のケースでは、検問の兵士が、マコトはまあまあいいやつだと判断したために、本当は駄目なんだけど特別に通っていいよ!となったのである。

 もしもマコトがテロリストだとかなんだとかで、一般人用の検問所でも通せないような人間だったら、もちろん話は変わってくるのだが。ただのジャーナリストならば、どこの検問所を通っても結果としてカーラプーラに入ることになるのは変わりがない。だから馬鹿みたいに規則を守ってもほとんど意味がないのであって、ちょっと世間話に付き合ってくれたし、こっそり通してあげてもいいだろうというのは、大変理に適った行為だ。そんなこんなで、兵士は、自分の手元のコンピューターでマコトの検問を済ませると、一言その旨をマコトに伝えてから、さっさっと手で招くみたいにして、ゲートを通るようにジェスチュアしたのだった。

 マコトは、胸の前で両手を合わせて。

 お礼の言葉を何度も繰り返しながら。

 そのまま、ゲートを通って。

「いやいや、お待たせしました。」

 こうして、真昼と、マラーと、マコトとは。

 カーラプーラに入ることが出来たのだった。

 ちなみに、誰も興味ないだろうと思うのですが、一応書いておきますと、検問所の兵士は二十代前半の女性、いかにも軍人らしい化粧っ気のない顔は、全体的に重々しい印象を与える輪郭を描く。ほとんど黒といってもいいほどの濃褐色の肌の色と考え合わせると、どうやらヨガシュ族らしいと思われた。

 ヴァルナ制度の中でゼニグ族よりも下層に位置付けられているヨガシュ族は、国民皆兵制度のもと、徴兵されはするのだが。前線に送られるのはその中の一握りであって、大半の人間は、こうした雑用に回されてしまう。確かに、命の危険がないという意味では、雑用の方がいいという考え方もあるだろうが……とはいえ、人間至上主義の国々とは違って、命の価値がさほど重くないカリ・ユガ龍王領においては。やはり、こういった扱いを受けるのは、ある意味では屈辱的なことなのである。

 ということで。

 検問所のシーンは。

 これで終わりです。

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