第一部インフェルノ #27

 製錬所を外部から眺めた光景については既に#9で簡単な概要を記してある。まあ一点を除いてはごくごく普通の製錬所という感じの光景であるし、その一点とはパイプの代わりにトランソルスが使用されているということであるため、さほど大きな違いではないということだ。要するに、全体として、それほど大きな特徴はないということ。

 しかし、それを内部から眺めると。

 全く、印象が、変わってくるのだ。

 読者の皆さんは製錬所と聞いてどのような場所を思い描くだろうか。とにかく、それは、造成物の極致であって。直線と角度、それに徹底的に不自然な形をした球体の連続。あらゆる建物が金属の枠組みに覆われて、あまりにも不格好に補強されており……そして、一番重要なことは、どこまでも人間が管理しやすいように設計されているということ。手すりだとか通路だとかいったものが至る所に張り巡らされている。それに、あちこちに、コントロールするためのパネルが取り付けられている。恐らくはそういった光景を思い描かれることだろう。

 しかしこの製錬所は。

 そんな場所ではない。

 それは一言でいえば「生態系」だった。この場所に造成物であるように思える要素は一切ない。あらゆるものが管理されておらず、放埓で、奔放で、無秩序で、野放図で。今まで真昼が見てきた、ASKの製造物の全てとは、あまりにもかけ離れた混沌であった。これは……有機物ではなく金属によって構成された一種の森林であると表現するのが最も適切であろう。

「何、あれ……」

 だから、またもや&またもや真昼がこのようなセリフ、まともに物事を考えようとしない、無知迷妄なサテライトのようなセリフを発したとしても、何らおかしなことはないのであった(サテライトは無知迷妄に決まってるから「無知迷妄なサテライト」だと重言になっちゃうかな?)。

 今。#26が終わってからもう少しで十分が経とうとしているところであるが、大方の予想の通り、製錬所はもう目の前にまで迫っていた。三千平方エレフキュビトを超える範囲に広がっている、その森林のような姿は……送迎船の中から見た時とは、全く違う印象を真昼に与えていた。

「あ、れ、は、製錬所ですっ!」

「あれが……製錬所?」

「そーだよ、真昼ちゃん! バイオミミクリータイプの製錬所! 金属とか鉱物とかの極子構造を効率的にちぇーんじっさせるには、イヴェール遺伝担体をぴこーんと埋め込んで、疑似生物化させるのが一番だからね! 指向性進化のすぴーどを極大化させることができないとダメだけど!」

「それって生物合成機関ってこと?」

「そうそう、そーいうこと!」

 真昼は無知であり迷妄でもあるが、さすがに砂流原家の人間というだけのことはあって、武器製造に関する技術については一通りか二通りくらいは知っていた。もっとも、静一郎が雇った家庭教師によって叩き込まれた内容の、わずか十分の一程度の知識しか頭の中には残っていなかったが――そんな悍ましい知識、人殺しの道具についての知識なんて、真昼はすぐに忘れてしまいたかったのだ――幸いなことにその約十分の一の中に、あの製錬所について役に立つ事柄が残っていたようだ。

 生物合成機関が一体何かということについては、この物語は物語なのであって生起学の論文ではないという理由から詳細については省かせて頂くが(興味がある方は専門書を読むかケーブルテレビの教養番組を見るかして下さい)。とにかく、それはディープネットにおいてさえまだまだ実験段階にある技術である(とされている)(実際はビューティフル計画において実用化済み)。そんな技術を、ここまで大規模に実用化しているなんて……真昼は、信じられない思いでその光景を見ている。

 真昼のいる場所。

 その空中からは。

 製錬所と荒野との境目(ほとんど曖昧といってもいいほどで具体的な入口などなかった)と、そこから少し入ったところまでしか見えなかったのだが。それだけで十分に、その空間の異常さを理解することができた。

 上空からは煙突のように見えていた細長い円筒形のものは、実際は「木」だった。正確にいえば、製錬所の敷地を覆うように林立している「木々」の中で、極端に背の高い何本かがそう見えていただけだ。「木」は、もちろん実際に植物であるというわけではなく、真鍮のような金属色をした……何かだった。背の低いものは、背の高いものと違って、そこら中に「枝」に似た器官を伸ばしている。それが高くなるにつれて、その「枝」は次第に収斂していって、極高な、一本の、円筒形となるのだ。

 「木」は、ごく近くで見ると、実はうっすらと透けていて、その内側を見ることができる。数えきれないほどの「維管束」が「幹」の全体に通っていて、どうやら「根」を張っている「大地」からどろどろに溶かされた金属や鉱石を汲み上げているみたいだ。ちなみにこの「大地」も実際の大地ではなく、ASKによって敷設されたエネルギーフィールドのようなものであって、その内部にはトランソルトによって運ばれてきた採掘物が超高温によって溶解した状態で流されているらしかった。それに、そこら中に張り巡らされたトランソルトから直接に金属・鉱物を摂取している「木」もあるようだった。

 そして、それらの「木々」の間を……「動物」が蠢いている。まるで戯画のようにして、滑稽と思えるほどの乱雑さで有機生命体を模した、金属の「動物」が。その「動物」は、採掘場で作業を行っている重機にある意味では似ていたのだが、それでも直線ではなく、機械的でもない、生物的な曲線のフォルムを描いた肉体。いや、それは決して肉でできていたわけではないのだが……もしもASKがこの世界の創造主であったら、地上はこのような生き物によって満ちていたのだろう。

 そんな動物たちが、「木々」から噴き出している気体状の何かを吸引したり。あるいはその「樹皮」から滴る「樹液」を舐めたりして、そこら中を動き回っているのだ。草食動物と肉食動物の違いのようなものもあるらしく、「動物」同士で喰らいあったりもしている。身を守るための刃や鎚を持ち、時には銃弾や光線のようなものを発するものもいる。前後もなく、左右もなく、奇妙なまでに多足で、異様なまでに単純な「動物」達。それが、完全な静寂のうちに……「生きて」いるのだ。

 他に、真昼には何なのか全く分らない構造物もある。あのタンクのような球体は実際は何なのだろうか。不愉快な、軋むような音を立てながら、ふわふわと宙に浮かんでいる。それに……製錬炉に似たものは、間違いなく金属・鉱石を溶かしているものらしいのだが、それ以上の役割も担っているらしい。ある種の「動物」であるらしく、しきりと「卵」を生み出しているのだ。その「卵」からは「幼虫」が孵化して、その「幼虫」は製錬炉とは似ても似つかぬ、羽の生えた機械だった。繭のような構造物は実際に繭らしい、とはいえ製錬炉や「幼虫」とは全く関係がないようだ。近くにあるキャビンと共生関係にあるようで、ただし、それが「生態系」にどんな影響を与えているのか見当もつかない。

 その森の、全てが。

 真昼の理解の範囲。

 超えた存在だった。

「今から……」

 ひどく不快そうな声。

 真昼はデニーに言う。

「あそこに突っ込むってわけ?」

「んーん、突っ込まないよ。」

「え?」

「あそこまで行ったら、パンダーラちゃんがデウスステップでメイン・コンプレックスまで運んでくれることになってるから。ここに来るまでデウスポートを使わなかったのはーあ。あ、く、ま、で、パンダーラちゃんがダコイティの子達に道を作ってあげるためだもん。でも、製錬所に着いたら、ダコイティの子達は幾つかのぶりげーどに分かれちゃうでしょお? ほら、たーげっとの施設ごとにってこと。だーかーらー、これ以上、パンダーラちゃんがお世話をしてあげることはできなくなるの。と、いうわけで、デウスステップで一気に飛んじゃったほうがいいってわけ! あっ、右!」

「デウスステップって……クソが!」

「真昼ちゃん、言葉遣いがよくないよっ!」

「うるせぇよ! それよりデウスステップってなに!」

「えーと、あのびゅーんってなるやつ!」

「分かんねぇよ!」

 などということを言い合いながら。

 デニーと真昼との、スティックは。

 次第に、その高度を、下げていく。

 向かっているのはパンダーラがいる方向だった。パンダーラは、とうに製錬所の入り口付近に辿り着いていて。そして、ダコイティ集団ができるだけ兵力を残したままで到達できるようにと、辺りの兵器を相手に大立ち回りを演じていた。ただ、ダコイティ集団が随分と近づいていたため、あの右手による攻撃を行うことはできなくなっていたのだが……それでも普通のダイモニカスと同じくらいの破壊力は維持していた。

 デニーと真昼とは、ダコイティ集団の先頭辺り、その上空を飛行しているので。彼ら/彼女らが製錬所に到達すると共にパンダーラと合流できるだろう。そうすれば、ちょうどいいタイミングでこの激戦地域から離れられるはずだ。残されたダコイティ集団には多少の不安が残らなくもないが、とはいえ、パンダーラ以外の長老達はブリゲードを率いるために残るのであるし、リビングデッドのダイモニカスもたくさんいる。

 ちなみにダコイティ集団の数であるが……その数は、半数以下にまで減ってしまっていた。具体的には、生者のダイモニカスは全員が生存、生者の人間は三割程度の減少、死者のダイモニカスは一割程度の減少、死者の人間は六割程度の減少といったところだ。これは、ダコイティとしてはかなりの損失であって。当然ながら、サテライトレベルの低能ではない読者の皆さんは一つの疑問を抱かれるだろう。

 というか、猿以下の知能しか持たないサテライトでさえもその疑問を持つはずだ。それは、なぜパンダーラは御神渡りによってダコイティをこの場所まで運んでこなかったのかということ。最初の御神渡りで製錬所の手前までしか運べなかったというのは理解できないことではない。あの時は、フォース・フィールドによって製錬所への侵入は阻まれていたのだから。だが、そのフォース・フィールドは打ち砕かれたのだ。まあ、正確にいえば一部が破損しただけであるが、穴が開いたことには違いがない。

 いくら御神渡りが全力疾走程度には魔力を消耗するといっても所詮はその程度だ。これほどの戦力の損失と比べればどちらがより大きな被害であるかということは明らかに明白である(強調の重言)。しかも、デニーならばともかく、パンダーラはパンダーラなのだ。自分の同志達に無為な犠牲が出ることに対してそれほど無関心でいられるはずがないのだ。ということは、必然的に、パンダーラにはその作戦を行えない事情があったのだということが回答として導かれてくる。

 その事情とは一体何なのか。それは、ASKが、フォース・フィールド内の領域に定常発信しているデウスステップ・ジャマーの影響だ。その名の通り、これは御神渡りを妨害するジャミング・ヴァイブレーションを放出するジャマーである。アーガミパータにあるASKの支社には標準的に装備されているもので、標準品というだけあってそれほど強い振動を発するわけではない。とはいえ人間や普通のダイモニカスであれば御神渡りを完全に妨害するには十分なレベルの振動だ。

 そして、パンダーラについていうとしても。やはりある程度の干渉を受けざるを得ないのである。具体的には、この領域の入り口からあの森林の入り口まで、ダコイティの全員を運ぶことなど、絶対に不可能であった。恐らくは、運べるとして自分以外に数人。しかも、その後でミセス・フィストの戦闘があると考えれば……行える御神渡りの回数は、一回が限度だろう。

 それに、この振動を透過するためには、どうしても抜け穴となる周波数帯を発見しなければならない。その抜け穴とは、ASKの兵器達が御神渡りの模倣行為を行う時に使用していると思われる周波数帯である。無論、いうまでもないことではあるが、ASKの兵器達はそういった周波数をランダムに変更しており……とはいえ、その周波数は一定の帯域に限られている。周波数のサンプルを幾つか集めればその帯域はおのずと絞られてくるのであって。後は、その帯域のうちの一定の周波数に限って、無理やりこじ開けるようにしてジャミング・ヴァイブレーションを押し退ければいい。イメージとしては、少し隙間が空いたドアに腕を突っ込んで、無理やりこじ開ける感じ。

 そういうわけで、その「サンプル」を集めるためには、どうしたって兵器の軍勢との戦闘を避けることができない。それに、デニーも言っていた通り、これほどの軍勢に突っ込んでいく同志達のことを見捨てることもできるわけがない。そんなこんなで現在のような状況に至ったというわけだ。

 さて、そんなことを。

 諄々しく、長々しく。

 説明しているうちに。

 デニーと真昼とが乗ったスティックは、パンダーラが鮮烈なる舞踏を行使するその直上にまでやってきたようだ。ナイスタイミングだね! あまり近くに寄り過ぎると、問答無用でそのダンスに巻き込まれてしまうので。少しだけ離れたところに浮かんだままで、デニーはパンダーラに声をかける。

「来たよ、パンダーラちゃん!」

「見えている!」

 二人はなぜか大声で言葉を交わしていて。デウスパシーを使えばいいのに、と真昼は思ったのだが、きっと何か事情があるのだろう。こちらを見もせずに、近くの兵器を手当たり次第に破壊していくパンダーラに、デニーは更に声をかける。

「行かないとっ」

「まだだ!」

「ほえ!?」

「まだだと言った!」

「どういうこと!?」

「全員が製錬所の敷地内に入ってからだ!」

「何言ってるのパンダーラちゃん!」

 デニーはまさにザ・驚愕といった感じでそう叫んだのだが、真昼的には、まあそうだろうな、というテンションだった。そりゃあパンダーラのことだ、最後の最後まで同志達のことを気に掛けるのは当然のことであるし、そうなれば必然的にこういう結論に至るだろう。デニーはパンダーラと長い付き合いらしいが、そんなことも理解できないのだろうか。たぶん理解できないのだろうなぁ、なんていうか、そういうやつだし。

 それはそれとして、あとどれくらいかかるのだろうか。

 ダコイティの全員が、製錬所の敷地に、入るためには。

 先ほども書いたように、デニー&真昼はダコイティ集団の先頭辺りにいた。ということで、製錬所に対するダコイティの侵入は既に始まっていたのである。まずは空中部隊であるが、これはスティックに乗ったままで次々に地上近くまで高度を下げていく。今までは、ASKの無人航空機に対処する必要上から空高くを飛んでいたが、これからは、「木々」の中に分け入っていくのだ。無人航空機の攻撃は「木々」によって遮られるだろうから、これ以上の空中戦は必要ない。ということで、地上部隊に合流していっているということだ。

 そして、その地上部隊は……まず一番重要なのは、ライターから降りなければいけないということだ。ここから先にはこんなに大きな図体をしたものが入っていく隙間などないのだから。そして、その作業にはそれなりの時間がかかってしまうということ。降りること自体は至極簡単であるが、なにぶん数が多すぎる。一度書いたように、生者のライターには十数人しか載っていないが、死者のライターには百人単位で乗っているのだ。どんなに整然とした・秩序だった降車をしても、数分はかかってしまう。生存者の数(まあ死者は死んでいるのだが)は、半分以上減ってもまだ数万人いるのであって……一気に十数枚のライターから人を降ろしたとしても、最低で十数分はかかるだろう。

「全員って……」

 デニーは。

 そう言いながら、振り返る。

 次々と押し寄せる。

 ダコイティの大群。

「ゴー・フィッシュ……」

 デニーが、本気で愕然としているので。

 真昼はなんだかおかしくなってしまう。

 ただ、おかしがってばかりいられないというのも事実だ。当然ながら押し寄せてくるのはダコイティばかりではない。素敵な素敵なおもちゃの軍勢も、やはり押し寄せてきているのだ。今までデニーは……一度書いたことではあるが、極力、この軍勢との戦闘を避けるルートを通ってきた。しかも、それだけではなく、戦闘の全てを真昼に任せていたのだ。それは全て、来たるミセス・フィストとの闘いに備えて、弾薬を温存しておくためであったのだ。だが……今となっては、そんなことをいっている暇はないようだ。

 前方は木々。

 後方は軍勢。

 もう。

 どこにも。

 逃げる場所が。

 ないのだから。

「パンダーラちゃん!」

「なんだ!」

「無理だよおっ! あんなにたーっくさん、真昼ちゃんじゃどうにもできないってえっ! 早く、早く、行こうよっ!」

「全員が製錬所に入るまで! 行かないと言ったはずだ!」

「でも……!」

「真昼に無理ならば!」

 パンダーラは、ここで、初めて。

 デニーに、さっと視線を向けて。

 それから、こう、言葉を続ける。

「お前がなんとかすればいいだろう!」

 要するに。

 今回は。

 珍しく。

 デニーが。

 謀られたと。

 いうこと。

 ほんの一瞬だけではあったが、パンダーラと視線が合ったデニーは。ぴっと立てた人差し指を上唇に当てて、小さな声で「わーお」と言う。特に怒りや憎しみなどはなく、純粋に驚いている表情だ。それから、もう一度、後方に視線を向ける。ダコイティは、可能な限りの速度でライターから降りているが、どう考えてもまだまだ時間がかかりそうだ。その一方で、ASKの軍勢は、どんどんとその数を増していって、そして、こちらに向かって押し寄せてくる。降車にはあと十数分はかかるだろう。その一方で、あと数分もしないうちに、あの軍勢は、デニーがいる場所まで、その怒涛を叩き付けるに違いない。

 ティアー・トータ。

 デニーに、は。

 選択肢はない。

「パンダーラちゃーん。」

 デニーは、軽く首を傾げて。

 それから、右の手のひらを。

 空に向かって開いて見せる。

「今回だけなんだからね?」

 くあん、という世界が歪む感じ。手のひらの上に、またあの穴が開く。オルタナティブ・ファクトとデニーが呼んでいたあの穴が。そして、その穴の中から、こちらの世界に向かって、ゆっくりと、何かが浮かび上がってくる。

 それは奇妙な形をした機械仕掛けの心臓のようなものだった。とくん、とくん、と脈打っているのだが、よく見るとその心臓自体が脈打っているというよりも、その「とくん」という鼓動ごとに、周囲の空間がほんの少し捻じ曲げられているらしかった。捻じ曲げられては通常の状態に戻り、通常の状態に戻っては捻じ曲げられるという感じ。その心臓は、どうやら……時折、壊れかけた電子機器のようにして、ばちばちと紫色の静電気のようなものを放っているところから。恐らくは、ダコイティが所有していたASKの機械の残骸を繋ぎ合わせて作られたものであると思われた。きっと、あの祭りの夜のうちにデニーがセミフォルテア弾と一緒に作っていた秘密兵器のうちの一つなのだろう。

「すいっちー……」

 そう言いながら、デニーは。

 手のひらを、自分の背後。

 軍勢がいる方に、向けて。

「おんっ!」

 ぐっと。

 勢いよく。

 突き出した。

 すると、それと共に……ぽんっと、手のひらの上からその心臓が射出された。ぴゅーっと音を立てるみたいにして、凄い勢いで飛んでいくと。やがて、軍勢が迫ってきている真上にまで到達した。それから、その場所で、何か具体的な物質に押しとどめられたとでもいうようにして、ぴたっと空中で停止すると。ぐるぐると、めちゃくちゃなスピードで回転し始めた。

 その回転によって、心臓の内部で何かが起こり始めたらしい。とくん、とくん、という鼓動が、段々と、段々と、強さを増していって……それに伴って、紫色の静電気も、その頻度とその強度とを、加速度的に強めていく。静電気はエレクトリック・ショックへと変化していって、やがて、それは、サンダーストームと呼べるほどの荒々しさにまで到達してしまって。

 そう、サンダーストームだ。紫色の静電気は、雷撃となって、周囲のあらゆる方向に次々と落雷していく。クラクーム! クラクーム! クラクーム! 音を立てて落ちていく神鳴。そして、その先にあるASKの兵器達は……まるで、立ったまま、突然死んでしまったかのようにして。次々にその機能を停止していく。特に何らかの外傷が原因であるとは思えない。神鳴が直撃しても傷一つ受けていないからだ。しかし、それでも、命を失ってしまったかのように頽れていって……要するに、その兵器は調整光子弾に近いような効果を持っているらしかった。

 調整光子弾については、これは比較的ポピュラーな兵器なので、詳細についての説明は省略するが。念のために書いておくと、調整光子檻とは名前が似ているだけであって、技術的にはほとんど関係がない。光の洪水によってマクロ的な電磁相互作用を打ち消してしまうことで電子機器や電子生命を無効化してしまう兵器だ。そして、デニーが使ったこの心臓は……何らかの魔学的な雷撃によって、周囲に存在している魔力兵器を無効化してしまう道具らしかった。つまり調整光子弾の魔力版というわけだ。

 その雷撃の範囲はかなり広範囲にわたっていて、ということで、当然ながらダコイティの集団もこのストームに巻き込まれている。ただし、こちらにはあまり被害がないようだ。先ほども書いたように、雷撃は何かしらの外傷を与えるわけではない。強力な妖波によって、兵器を駆動させている魔力を吹き飛ばしてしまうだけであって。そのため人間にはほとんどダメージがないのだ。もちろん、魔学的な存在であるダイモニカスは、こういった攻撃に対して影響を受けるのであるし、身体の器官が誤作動を起こしても不思議はないのであるが。どうやら、とっても賢いデニーちゃんは、そこら辺のこと、もーっちろんなんとかしているらしい。なんとかというのは、雷撃の強さを、細胞内の絶縁組織によって防御できるぎりぎりのレベルに抑えているということだ。

 ダコイティ側の被害は……一番大きな被害は、彼ら/彼女らの乗っているビークルが動作を停止してしまったことだろう。スティックもライターも、これらのビークルは魔力で駆動する乗り物なのであるからして、当然ながら心臓が放つサンダー・ストームの影響を受けてしまうのだ。とはいえ……ここから先は、大量の歩兵とともに、木々の中に分け入っていくのだから。ライターはもちろん使えないし、スティックはあれば便利という程度だ。それにストームの範囲外にあるビークルは何とかその影響を免れているので(デニー&真昼が乗っているスティックも範囲外にある)、全てのビークルが機能を停止しているというわけでもなかった。

 その心臓が起動して数秒後には。

 ダコイティに迫っていた軍勢は。

 ほとんどが機能を停止していた。

 いや、最初から使えよ! っていう感じだが、よくよく考えてみると、最初から使っていたらそれほど意味がなかったのかもしれない。ちょっと前にデニーが言った通り、ASKには外部と繋がるテレポート装置がある。この心臓を使って、どれほどの数の兵器を無力化しようとも、すぐさま追加の兵器が送られてくることはまず間違いがない。もちろん、それまでには少し時間はかかるであろうが……所詮は時間稼ぎに過ぎない。そして、一方のデニーは、この心臓を無限に持っているわけではない。

 というわけで、ここぞという時のためにとっておいたとしてもなんの不思議もないということだ。というか、これからメイン・コンプレックスに突撃を仕掛けるということを考えれば、むしろ当然といえる判断かもしれない。ちなみに、ここまで何度か名前が出てきているこのメイン・コンプレックスというのは、読者の皆様はたぶん推測がついていると思われますが、製錬所の中心にあるあの六角柱の建物のことである。

 数分後。

 サンダーストームが収まるころには。

 その範囲外にいた兵器達。

 パンダーラがいるところまで到達していた、兵器達も。

 パンダーラや他のダコイティによって殲滅されていて。

 ダコイティ集団に迫っていた兵器達は。

 これで、あらかた片付いたことになる。

 無論、全部の兵器を壊せたというわけではない。ここから少し遠くの方にあって、やはりサンダーストームが届かなかった兵器達は、未だにこちらに向かって驀進してきているし。追加の兵器が送られてくることも有り得るだろう。とはいえ時間稼ぎには充分であった。サンダーストームが荒れ狂っている間に、ダコイティは八割がた降車を終えていたし。残りについても壊されなかった兵器達が辿り着くまでには森林に突入できているはずだ。

 パンダーラのささやかな謀は。

 功を奏したというわけだった。

 さて、そうこうしているうちにデニー&真昼が乗ったスティックも地上まで下降していた。パンダーラのいる場所、「木々」の入口のところだ。その右側でもその左側でも、ビークルから降りたダコイティが、よく訓練された無駄一つない仕草によって、流れるように「木々」の内側へと突入していっている。

 どうやら彼ら/彼女らは旅団レベルの人数に分かれているらしい。一つの部隊が約数千人規模であって、これはデニーから話を聞いて真昼が想像した人数よりもかなり多い人数であった。ただ、そもそもの全体が数万人規模、つまり軍団・師団レベルの人数だったので、これも当然のことなのかもしれない。一個旅団ごとに長老の一人、つまり生きているダイモニカスの一人がついて、これを率いているようだ。

 そんな中で、パンダーラの立っている場所だけが、まるで奇妙な力によって二つに割れてしまった大河のように、ダコイティが避けて通る一定の空間として開いていた。その開いている空間に……デニーは、スティックを着陸させたということだ。

「あれ、なんだったの。」

「あれってー?」

「さっきの……雷、みたいなやつ。」

「あーあ、破幕雷のこと?」

「はばくらい?」

「まわりにある魔力的な装置をばばーん!ってしちゃう装置だよ。第一次神人間大戦の時によく使われてたんだけどねー、でも最近の子はあーんまり使わないみたい。ふれんどの子とえねみーの子の区別なしに、周りにあるものぜーんぶばばーん!だから。今みたいにみんなが魔学機械を使う時代だと、使いどころがない感じなんだろうね。」

「そんなもの持ってたんなら、なんで最初から使わなかったの。」

「だーかーら、今言ったでしょーお? 破幕雷は、まわりにあるものみんなみーんな無効化するの。そんなもの、初めから使ったら、ダコイティの子達の乗り物も使えなくなっちゃうでしょ? あんな遠いところからここまで歩いてくるなんて、サピエンスの足じゃ何時間もかかっちゃうじゃないですかっ! ということで、デニーちゃんは今まで使っていなかったのです。」

 真昼としてはなんとなくはぐらかされたような気持になったのだが、デニーの言っていることは筋が通っているように思われたので、それ以上何か口答えをすることはしなかった。実際のところは、「それならなぜこのタイミングになっても、パンダーラに言われるまでそれを使わなかったのか」という追加質問をすることができなくもなかったのだが……今は、そういうことでごちゃごちゃと言い合っている暇はないのだ。

「そ、れ、にー。」

 デニーと真昼とは。

 パンダーラが。

 立って、いる。

 方向へと。

 歩いていく。

「ダコイティの子達は、デニーちゃんの秘密兵器っ!を使わなくても、ちゃーんとここまで来られたじゃない。」

 くすくすと笑いながら。

 パンダーラに向かって。

 デニーが、言う。

「ね、パンダーラちゃん。」

「ああ、そうだな。」

 パンダーラとしては他に何か答えようがあるだろうか。なんにせよ、集会によって決定がなされたのだ。この男の力を借りると。それならばパンダーラはこの男の力を借りなければならず、従ってこう答えなければならなかったのだ。ここに至るまでに犠牲になった、全ての同志達の名前を、肉を裂き・血を焼き・骨を砕くようにして、心の内側に刻みながらも……パンダーラは、今、この瞬間、顔色一つ変えることがなかった。

 それが。

 責任と。

 いうもの。

 だからだ。

「それじゃーあ。」

 そんなパンダーラの気持ちを、微塵も理解できていないとしか思えない態度で。デニーは、スーツの裾を翻しながら、きゃるーんっとピルエットをして見せた。何が楽しいのか分からないが、なんとなく楽しそうに言葉を続ける。

「そろそろいこっか。全員が製錬所に入るまで見届けるーなんて、もう言わないよね? デニーちゃんの秘密兵器っ!のおかげで、ASKの子達は、ほとんど無力化できたんだし。追加の兵器が送られて来るまでには、この子達も、まーっちがいなく製錬所に突入し終わってるよ。相手がミセス・フィストなんだから、一秒一秒の大切な時間にありがとーって……」

「分かっている。」

 長ったらしいデニーの話を途中で遮ってパンダーラはそう言った。それからデニーと真昼との肩を掴む。いきなりそんなことをされた真昼は、ちょっとびっくりしてしまったが。デニーはそんな様子を見せなかった。

 御神渡りの際、相手に触れている必要はないのだが、触れていた方が魔力の消費はより少なくて済む。ということで、今回のようにジャミング・ヴァイブレーションの只中で行う場合にはこうした方がやりやすいのだ。

 パンダーラは、二つの目を閉じて。

 三つ目の目に、精神を集中させる。

 一つだけ開かれたその目は、製錬所の奥。

 最も高い、あの六角柱の建物を見ていて。

「行くぞ。」

 そして。

 三人の姿は。

 虚に消える。


 はい、というわけで到着致しました!

 ここがメイン・コンプレックスです!

 いよいよのいよ、ようやっとのことでトゥ・ストーム・ア・キャッスル・タイムというわけなので、少しでもテンションを上げていくためにエクスクラメーションマークなどというものを使ってしまったのだが。どうやら、なんとなく場違いな感じになってしまったようだ。なぜなら……この場所は、不自然なほどに、静まり返っていたからだ。

 真昼の目の前には無限に続いていくとも思われるような白い壁が立ち塞がっていた。いうまでもなく、これこそがメイン・コンプレックスであって、この白い壁は六角柱の側面のうちの一つだった。背後に少し行ったところ、というのは大体百ダブルキュビトほど行ったところに「木々」の姿が見えていて。メイン・コンプレックスの周囲は小さな空き地になっているようだ。

 ただ、ここがただの空き地かというと、それはちょっと微妙なところだった。どういうことかといえば、真昼の足元、その地面が、ぼこぼこと泡立っていたのだ。この地面は、見る限りでは固体というよりも液体、それも光り輝く液体で出来ているようだった。沸騰していて、その泡がぽくっと割れるごとにその中から小さな閃光を吐き出す。けれども、それでいて、真昼の足が踏みしめているのは、紛れもなく、確固とした固体の足場なのだ。しかも沸騰している割には熱くもなんともない。なんとも奇妙な気持ちになる光景だった。

 そして、それよりも奇妙なことは。

 この場所には。

 デニーと真昼と、パンダーラ、以外は。

 影一つとて見当たらないということだ。

「……静か過ぎない?」

「ほえ?」

「こういう場所って……普通、警備員とかがいるものじゃないの? 人間じゃなくても、さっきみたいなオートマタとか……」

 ついつい声を潜めて、囁くように話してしまう真昼。

 それに対して、軽く肩を竦めてからデニーが答える。

「まあ、さぴえんすの作った建物だとそういうのが多いよね。ぶりっくるだし、ふぃっくすどだし、ふーりっしゅだから。でも、これはASKの建物だからねー、そういうのは必要ないんだよ。普通だったらってことだけど。」

「どういうこと。」

「真昼ちゃんも、一回中に入ったから、これがどういう建物なのかっていうことはなーんとなく分かってるでしょお? この建物はね、構造が一定していないの。責任者っていうかマネージャーっていうか、よーするにミセス・フィストのことなんだけど、そのミセス・フィストが定義した通りに変化する、未定構造式非接触型情報処理建築物ってわけ。だーかーらー、ミセス・フィストが誰かを中に入れようとしない限りは入り口もできないし、入り口ができなかったら誰も入れないじゃないですかー。誰も入れないなら、わざわざ警備の子達に守ってねってお願いする必要もないってわけなのでーす!」

 なるほど、そういうことなのかと思った真昼であったが、実際に理解していたのかどうかというのは怪しいところだ。とにかくデニーのセリフを真昼が理解できた限りの内容でいい換えるとこういうことになる。

 この建物は、建物というよりもミセス・フィストの思考(オートマタに思考があればの話だが)の通りに変形するフォース・フィールドの塊であって、それ自体がcitadelであると同時にrampartでもあるのだ。そのため、もしも外敵が攻めてきた場合には、ミセス・フィストは建物の内部にある重要なセルを中央部に集中させ、その周囲を分厚いフォース・フィールドによって覆ってしまうということ。高さだけでも数エレフキュビトある、これほど巨大な建物なのだから、そのようにして作られたrampartは凄まじい物になるだろう。アヴマンダラ製錬所の全体を囲っていたあの白い壁など比べ物にならない厚さに違いない。それならば、確かに、ここに兵器を配置するよりも、その兵器をダコイティの迎撃に回した方が効率的というものだ。

 ……疑ってすみませんでした、めちゃくちゃ理解出来てましたね。デニーの適当な説明でよくもまあこれだけ察することが出来たものだ。真昼のコミュニケーション能力はこの約二日間で飛躍的に上昇しているらしい。それはともかくとして、もしもデニーが言っている通りならば、そして実際にデニーの言っている通りなのだが、一つの疑問が出てくる。

「それなら。」

「んー?」

「どうやって、ここに入るの?」

 そう、それがその疑問だ。

 それほど強力な、城壁を。

 どうやって打ち破るのか。

 あの白い壁でさえ、パンダーラと十人のダイモニカスが協力してやっと打ち破ることができたのであって。その城壁を、デニーとパンダーラと、それに微力ながら真昼との力だけで、果たして打ち破ることができるのか。

「しーんぱいしないでっ、真昼ちゃん。」

 しかし、そんな真昼の疑問。

 けらけらと、笑い飛ばして。

 デニーは、こう言う。

「パンダーラちゃんが、何とかしてくれるから。」

 さて、そのパンダーラであるが……こそこそ話し合ってる(実際にこそこそしてるのは真昼だけだったが)二人をよそに黙々と準備をしていた。肩に負っていたライフルを下ろして、バットストックに付いている固定具を左腕の一の腕に嵌める。

 そういえば……今までの、ASKの軍勢との戦闘において。パンダーラが、あのライフルを使っているシーンを、真昼は一度も見ていなかった。それはずっとずっと背負われていただけで、武器としての役割を全く果たしていなかったのである。

 それが、今、初めて、左腕に固定された。そういえばこのライフルについて、今まで一度もその形状について触れてこなかった。ライフルとしか書いてこなかったのだが、それはなぜかといえば、真昼の知識の限りでは、そのライフルがどういう種類のライフルなのか見当も付かなかったからだ。そもそもライフルかどうかさえ分からなかった。形がライフルに似ているからライフルと書いていたのだが、ライフルとはバレルにライフリングを施している銃のことをいうのであって、よくある量産品でない以上、ライフルかどうかはバレルの内側を見てみなければ分からないのだから。

 その銃身は宝石を刳り抜いて作られていた。少しだけ濁ったような、真夜中の森の色によく似ている緑色の宝石だ。そして銃床は何か骨のようなものを削って作られているようだ。この世界で最も純粋なミルクのような、真っ白な色をした硬質の素材。もしかしたら、骨ではなく、何かの動物の角なのかもしれない。直銃床タイプ、銃身と銃床とを真っ直ぐに取り付けた構造をしていて、恐らくではあるが連射式のライフルなのだろうと思われた。なぜなら、このタイプのライフルは発砲の反動を真後ろに受け流すため、銃身が安定して、一回一回の発砲ごとに銃身が跳ね上がることがないからだ。まあ、その分、反動のエネルギーは全て狙撃者に直撃することになるのだが……ちなみに、この場合の「思われた」は真昼にとって思われたということであって、真昼は女子高生ではあるが一応は武器屋の娘であるのでこういうことには少しばかり詳しいのだ。

 ただし、連射式であるならば少しおかしい点もあった。このライフルには一般的な自動小銃とは違ってマガジンが付いていないのだ。普通であれば、箱形弾倉でも筒形弾倉でも円形弾倉でもなんでもいいのだが、なんらかの弾薬供給機構がない限り、すぐに弾切れになってしまって連射をすることができない。ということは、このライフルは普通の弾薬を使用するライフルではないということだ。きっと何かの種類の魔学兵器に違いない、真昼はそう考えた。そして、その考えは、ほぼ完全に正しかった。

 これは。

 パンダーラ、の。

 アストラなのだ。

 パンダーラは、ライフルを構える。一般的なライフルの構え方とは違って、フォアエンド・バットストック・グリップの三点で構えるのではなく、左腕を真っ直ぐに差し上げて、固定具と、それにグリップの二点だけで支える構え方。それは、背筋を直線に伸ばした、冷たく感じるほどに整然とした姿勢であって……真昼は、そんなパンダーラの姿を見た瞬間に、ほとんど本能的に、この場から逃げ出したくなるような恐怖を感じた。それは、間違いなく、ダイモニカスという天敵に対する、人間の反応だ。

 そういえば、グリップと書いたのだが。そのライフルにはトリガーも付いていなかった。その代わりとして、グリップ周りは、赤イヴェール合金を彫金だか鋳造だかされたらしい、奇妙な多角形の構造物となっていた。もちろんグリップもその一部であって、その部分を全体として見ると、なんとなく魔学式の幾何学模様を三次元構造に置き換えたもののように思えてくるのであった。

 さて、パンダーラは。

 両方の目を閉じて。

 三つ目の目だけを開いた状態。

 まるで、その傷口のような眼球で。

 この六角柱の建物の、その奥の奥。

 見通しているみたいに。

 暫くの間、照準を定めていたのだが。

 やがて「それ」が見えたようだ。自分達が目指すべき方向、目的のものがある方向。銃身を、斜め下に傾けて。六角柱の地下へと向かう方に、銃口を向ける。そう、この六角柱は地上に見えている部分だけではなくその下側に向かっても伸びていたのだ。しかも、上に見えている部分よりも、ずっとずっと長く。

 パンダーラの尾が。

 冷酷を増していく。

 それは、今まで見たことのないような色で光る。

 いや、色というよりも、観念そのもののように。

 そうして、やがて、その観念に。

 共鳴しているかのように、して。

 銃身の、緑色の宝石が。

 奇妙な音を立て始める。

 鼓膜を貫いて、頭蓋骨の内側。

 聞いている者の、その思考を。

 直接に凍らせてしまうような。

 信じられない、ほどの、冷度。

 見よ、見よ、

 恐れ、跪き、そして絶望するがいい。

 これこそ我が力。

 これこそ我が業。

 白き牛飼いがもたらした破滅である。

 そして。

 それから。

 その破滅が。

 真昼の。

 すぐ。

 目の前に。

 訪れる。

 気が付いたら、真昼はデニーの腕の中にいた。デニーは、真昼のことを庇うようにして、その全身に覆い被さっているらしい。そのため、真昼の視界はほとんどがデニーの体によって隠れてしまっていたのだが、辛うじて見えた光景は、何か魔学式によって構成されたシールドのようなもので包み込まれていた。どうやら、真昼のことを庇っているデニーは、その一方で、自分のことをこのシールドで守っているらしかった。

 しかしそのシールドはたった今消えたところだった。なので、それがどのような魔学式だったのかは真昼には見えなかったのだが、まあ、それは別に構わないだろう。このシールドがどういう構造をしていたのかということは物語に直接関係しない。とにかく、「ふー、危なかったあ」とかなんとか言いながら、デニーが体を起こす。すると、真昼は、ようやく辺りの光景を見ることができるようになる。

 例えるならばアイスクリンによって刳り抜かれたホワイト・シチュー。デニーと真昼との周囲は、デニーのシールドによって守られていたところを除いて、ぐるんと大きく抉れてしまっていた。あまりの衝撃によって一種のクレーターみたいになっているらしい。そして、先ほどまで泡立っていた、その光輝く地面は……抉られた部分だけが、まるで空白にでもなってしまったかのように、その沸騰を完全に止めてしまっていた。

 もちろん、その巨大なクレーターの中心に位置していたのは、この二人ではなく……パンダーラであった。だが、そのパンダーラのことを見ていく前に、パンダーラが本当に攻撃の対象としていたものがどうなったかを見る必要があるだろう。なんにせよ、このクレーターは、パンダーラが行った攻撃の余波によるものに過ぎなかったのだから。

 それは、いうまでもなく。

 メイン・コンプレックス。

 六角柱の壁、フォース・フィールドの城壁は、体中の骨を目に見えない鑢で削っているかのような極めて不快な叫び声をあげながら、歪み、軋み、捩れていた。直径にして五ダブルキュビトくらいの、それなりの大きさの円を描いたかのようにして。その部分が、まるで空間がなんらかの異常を起こしたみたいに、一次元でも二次元でも三次元でもないとしか思えない方向に、無残にも引き裂かれていたということだ。

 いや、引き裂かれているというのとは少し違うかもしれない。意思に反して、無理やり、裂けている、という表現の方が正しいだろう。ぐにゃぐにゃと、断末魔の痙攣のように蠢いているフォース・フィールドのその部分は……自らの意思に反しながらも、自らのシステムによって、入り口を開かされていたのだ。そして、それは、パンダーラの放った「弾丸」によって、そのように「操られている」ということだった。

 これは大変複雑な魔学的現象であり、どうやって説明していいのかなかなか難しいところなのであるが、誤解を恐れずに一言でいうのならば、パンダーラは「暴力的な観念強制」という攻撃を行ったことになる。パンダーラが放ったのは、魔学式とか魔法円とかといった形に落とし込む前の観念なのだ。それは例えば純水・純鉄のような物に近い混じりけのない観念であって、ただの水と純水・ただの鉄と純鉄が全く違う物質であるように、人間が想像するところのいわゆる観念とは完全に異なった妖理的特徴を示す。その一つが「暴力的対称性変動」という一種の不定子異常である。この性質がどのようなものかということは、リュケイオンやニルグランタやといった魔大で教えられる高等妖理学の領域になってしまうので、とてもではないがこんな限られた紙幅で説明出来るものではない。とにかく一つだけ理解して欲しいのは、これは「破壊」と「強制」の現象であるということだ。

 パンダーラがさっき放った「弾丸」は、自分の観念を超高密度で固めたものだ。これは原理的にはパンデモン・スフィア(観念重力によって周囲にある全てのものを取り込んでしまう球体)によく似た生成過程の物質であるが、その及ぼす効果は反対だ。すなわちこの「弾丸」は、周囲にパンダーラの観念を巻き散らす一種の観念汚染となるのだ。そのため、魔学的なエネルギーによって作動していたこの場所の地面は、パンダーラの観念が及ぶ範囲にわたってクレーターを作り、その活動を静止したのである。また、観念を持つところの生命体である真昼は、その観念が瞬間的に極度の汚染を被ったため、気絶してしまったのだ。それから、もちろん、メイン・コンプレックスの城壁は……パンダーラの観念を無理やり押し付けられて、魔学的なレベルでの情報式の変更を強いられたということである。

 先ほどから何度か書いているように、この城壁は外部から入力される「情報」によって動作する。その情報を打ち込むことができるのは本来ならばミセス・フィストに限られているのだが、そこに、パンダーラが、自分の観念を、叩き付けたのだ。アヴマンダラ製錬所は、ASKのアーガミパータ支店であって。当たり前のことであるが対ダイモニカス対策を怠っているわけではない。相手が普通のダイモニカスであれば、間違いなく、その程度の観念、跳ね返してしまっていただろう。しかし……相手が悪かった。パンダーラ・ゴーヴィンダ。彼女はアーガミパータにいるダイモニカスの中でもかなり上位に位置するダイモニカスなのであって……何よりも、デナム・フーツとの、契約者なのだから。

 さて。

 ここまで。

 長々と。

 説明を。

 してきたが。

 言いたかったことは一つだけだ。要するに、メイン・コンプレックスの壁には深々とした穴が穿たれていたのだということ。それは、まるで、この星の底にまで繋がっていそうな穴であって。それでいて、光一つない暗黒の入り口は、その先を見通すことなど全く出来なかった。

 何はともあれ。

 攻城の、第一段階は。

 成功したということ。

「んもー、パンダーラちゃんってば!」

 真昼の体を支えていない方の手で、大して、というか全く汚れていないスーツの裾をぱんぱんと叩きながら。デニーは、可愛らしく口を尖らせてそう言った。もちろん、怒っていたりだとか、ぷんすこぴーしていたりだとか、そういう口調ではない。猫が甘噛みをするように、なんとなく甘えた言い方だ。

「ばきゅーんってする前にはちゃんと言ってよー! 真昼ちゃんがパンダーラちゃんの観念に耐えられるはずないんだし。それにー、デニーちゃん、びっくりしちゃったでしょ!」

 真昼の視線の先……パンダーラは発砲を行う前よりも、随分と離れた場所にいた。それはパンダーラが動いたというわけではなく、観念の余波によって、真昼が跳ね飛ばされたということだ。ちなみに余談になるが、跳ね飛ばされた真昼は、そのぶっ飛び放物線の途中でデニーによって助けられ、そのままシールドに覆われたのであって。もしもデニーがいなかったら、あの「木々」のところまで飛んでしまっていただろう。ふう、やれやれ! 危なかったね、真昼ちゃん!

 それはそれとして、パンダーラは、地面よりも少し浮かんだ場所に立っていた。いやまあ浮かんでいるのだから立っているわけではないのだが、そういいたくなるくらいに直立不動の姿勢を崩していなかったということだ。浮かんでいる高さからいって、あれは、もともと地面があった場所なのだろう。もともと立っていた場所に、立つべき地面がなくなっても立っているということ。ただし、デニーが話しかけたころから、少しずつ下降していって。今ではちゃんと着地していた。

 そして、パンダーラは。

 こちらの方に振り返る。

 その。

 顔は。

 半分が。

 惨たらしく

 焼け焦げていて。

 いや、顔だけではなかった。その痕跡は、あのライフルを持った腕を中心として、パンダーラの左半身全体に及んでいた。はっと掠れた音を立てて真昼は息を飲み込んでしまう。それほどまでに、パンダーラの肉体は、残酷に、ゲット・バーンドしていたからだ。いや……よく見たら、それは火傷ではなかった。しかし、それをなんと表現すればいいのか? パンダーラの肉体、その痕跡の部分だけ、まるで幽霊であるかのように、ゆらゆらとゆすらぐ、希薄な存在の影となってしまっていたのだ。

 黒い蕩揺、揺蕩う闇。左手などは完全に形を失ってしまっていて、その影の中にライフルが浮かんでいるように見える。パンダーラが、どうやってそれを持っているのか、真昼には全く分からなかった。右半身に近づくにつれて形を取り戻してきているのだが、その境目は曖昧で、見極めようとすると、どうも頭の中がぼんやりとしてくる。何がどうなっているのか分からない、一体、パンダーラに何が起こったのか?

 そんな真昼の混乱をよそに。

 パンダーラはぶーたれているデニーの方に一瞥を向けると。

 そんなデニーには何も言わずに、その視線を真昼へと移す。

「すまなかった。」

 左目は、虚ろで。

 どこを見ているか。

 真昼には分からない。

「大丈夫か。」

 その言葉が自分に向けられたものであると気が付くことさえできないくらい、パンダーラの有様にショックを受けていた真昼であったが。暫くしてようやく自分を取り戻したのか、今まで抱かれていたままであったデニーの腕の中からぱっと飛び出して。それからパンダーラに向かってこう言う。

「どうしたんですか、その……顔!」

 影のような状態になっていたのは顔だけではなかったのだが、なんと言えばいいのか分からなかったので、少し考えた末に、真昼は「その顔」という表現を使うしかなかった。それに対してパンダーラは「顔?」と怪訝そうな顔をしたのだが(パンダーラの怪訝そうな顔というのはなかなか珍しい)やがて言わんとしていることに気が付いたようで、ちらと自分の左手を見下ろしながら「ああ、これのことか」と言った。

「気にするな。」

「気にするなって……」

「じきに治る。」

 既視感というか既聞感というか、こういう状況は前にも経験したことがあるところの真昼なのであったが、デニーといいパンダーラといい自分の身体に対して少し無頓着過ぎるところがある。治ればいいという話ではなく、こんな大怪我を負ったこと自体が問題なのだ。とはいえ、現在のような戦時において、生死に関わりのない肉体の損傷について、いつまでもいつまでもぐちぐちぐちぐち言うというのもあまり関心しない話であって……それはそれとして、どうやらパンダーラの言葉の通りであるようだ。

 なんの話かというと、パンダーラの言葉の通り、虚ろな影となっていた部分が次第次第に確固とした物体へと戻り始めてきていたのだ。その過程において、なんと、身体そのものだけではなく、着ていた戦闘服さえも元通りになり始めていた。理解を超えた現象に「え? 何が……」とかなんとか言いながら、すっかり魅入られたように眺めている真昼。そんな真昼に対して、いつもの通りのミスプレイスド・カインドネスさで、デニーが口を開く。

「さっきパンダーラちゃんがばきゅーんってした観念がとーっても強かったから、ほんの一時的にパンダーラちゃんのスナイシャクが耐えられなくなっちゃって、そのせいで魔子と魔子との間で働いていた魂魄相互作用がしゅぱぱーって消えちゃってただけだよ。で、それがまた働き出して、もとどーりになったってわけ! まあ、ほんの一時的にっていっても、具体的に顕現した形状としては一時的なダメージに見えるだけで、スナイシャク自体にはかなりのダメージがあるはずだから、それがぽこぽこって蓄積されるにつれて、相互作用が消えちゃってる時間はどーんどん長くなってっちゃうと思うけどね。」

 まるで他人事みたいな。

 デニーの、そのセリフ。

 真昼は。

 振り返って。

 問い掛ける。

「それって、つまり……」

「ほえ?」

「あのライフルを使い過ぎると、危険ってこと?」

「んー、そうだね。理論上は。」

 真昼の理解力は真夏の太陽のごとく実に素晴らしいライジングを見せているようで、専門用語と曖昧なオノマトペのみで構成されたほとんど意味不明なデニーのセリフからも、これだけ正しい結論を導き出せるようになったみたいだ。

 念のため端的にまとめておくと、あのライフルには、パンダーラがもともと有している観念の力を、強めたり弱めたり・離散させたり収束させたり、その他の加工を施すことができるという特殊なアストラなのであるらしく。そのおかげで、本来パンダーラが出せるはずがないほど強力な観念を発射することができたというわけなのだが、一方では、そのせいで、それほど強力な観念にパンダーラのスナイシャクが耐えることができなかったということだ。そして、そのために受けたダメージは蓄積性のものであって、あまりそのダメージを受け過ぎると、つまり、あまり最大限に強化した観念による攻撃を行い過ぎると、パンダーラのスナイシャクは回復不可能なほどに損傷してしまうということ。

「そんな……」

 真昼はまた、パンダーラの方を向いて。

 口を開いて、一度閉じて、また開いて。

 自分でも、あまり意味があるとは思えない。

 そんな言葉を口にする。

「大丈夫、なんですか?」

「大丈夫だ。何度使えば完全に回復不可能になるのかは自分が一番よく分かっている。その回数を超えないように気を付ければいいだけの話だ。それに、これほどのダメージを受けるのは、最大限に観念を強化して放出した場合だけだ。どうしても必要という場合以外には、このアストラを使う時でも、スナイシャクにダメージが及ばないレベルの強化しか行わない。」

 完璧に論理的で。

 完璧に合理的で。

 納得がいくはずの説明だ。

 しかし、それによって本当に真昼が納得したのかというと……そういうわけではないようだ。なぜならば、言葉の上で何を言おうとも。パンダーラがどういう人間、いや、ダイモニカスなのであるのかということを考えれば、それは空しい単語の羅列のようなものに過ぎないからだ。パンダーラならば、自分が回復不可能なほどに破壊されると知っていても、易々と身を投げ出すだろう。同志のことを、救うために。

 ただ。

 だからと言ってそのことに対して。

 真昼が何かを言える立場ではない。

 それゆえに、真昼は、「分かりました……」という言葉を濁すような答え方をしただけで、その後は何かを問い詰めるようなことは出来なかったのであった。

 さて、そんなやり取りをしている間にも、パンダーラの体はすっかり元通り、具体的な物質としての姿を取り戻していて。取り戻した両方の目と、それに三つ目の目によって、デニーの方に、また視線を戻して。

「準備はいいか?」

「いつでもだいじょーぶ!」

「なら、行くぞ。」

 そして、デニーと、真昼と、パンダーラとは。

 メイン・コンプレックスの中へと入っていく。

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