第一部インフェルノ #23

 これはどこかで一度書いた気がするのだが、一般的に、妖系五科よりも呪系五科の方が人気がない。こういうことを書くとまた「一般的に一般的にって具体的な数字も出さないで呪系五科のこと差別しないで下さい!」みたいなことをいい出す人たちもいるかもしれないが、これには具体的な数字の裏付けがある。

 例えばリュケイオンを卒業した魔学者全員に対して行われる集団情勢調査の昨年度版によると、妖系五科に悪い印象を持っている魔学者が全体の約十五パーセントであるのに対して、呪系五科に対して悪い印象を持っている魔学者は約八十九パーセントにも及ぶ。魔学者の数は厳密に調整されていて、妖系の学者数と呪系の学者数とがほぼ一対一になるようになっているということを考えれば、合計しても全体の十パーセントに満たない神学と詩学との学者数をその考えに入れたとしても、なんと呪系の魔学者のうちの八十パーセントさえもが、自分の所属する系統科目について良い印象を持っていないということになるのだ。っていうかさ……そんなこと集団情勢調査の質問項目にするなよ……また呪系差別が広がちゃうのでは……?

 まあ、それはそれとして。妖系を意味するsorcererは「運命と共に歩む人々」という意味であって、呪系を意味するconjurerは「懇願し変形させる人々」という意味である。その名前が示す通り、妖系はこの世界を規律している理を理解してそのまま利用しようとするのに対して。呪系はその理を自分の都合のいいように捻じ曲げようとする学問なのである。この定義には兎錬術や仙者術やなどを考えるにおいて若干の矛盾が出てきはするが、大まかに捉えれば正しいといえるだろう。

 と、いうことは。当然ながら妖系よりも呪系の方が魔学のもたらす効力は大きい。このことは、芋をそのまま食べるよりも蒸かしたり焼いたりして食べた方が大変おいしいということを考えれば容易に理解しやすいだろう。何をするにしても自分の都合のいいように加工した方が自分にとって都合がいいに決まっているのだ。これはトートロジーではあるが、理解している人間はなかなかいない事実のうちの一つといえる。となれば呪系の方が人気がありそうなものであるが……事実はそうなっていない。それは一体なぜなのであろうか。ちなみに今はお前が生の芋が好きだとかそういう話はしていないのでお願いだから黙っててくれ。

 それは反動の問題だ。何かを変えれば、必ず何かが変わる。これはトートロジーであるが(略)一つといえる。もちろんこれは等価交換などという馬鹿げたことをいいたいわけではない。同じ価値のものは同じ価値のものとしか交換できないというfoolな考えを抱いている人間は決して魔学者になれはしないし(そもそも価値とは何か? 世界が恣意的に決めたものに過ぎない価値とは?)、一番最初に生まれた兎魔学とされる兎錬学も、まさにこのfoolな考えをこの世から永遠に消し去るために生まれたようなものなのだから。ここでいいたいのはそういうことでなく、人間という生き物が底知れぬ間抜けであるということだ。

 魔学において非論理的な恣意は通用しない。なので、全ての変化を理解していれば、自分の望んでいる変化だけを残し、自分の望んでいない変化は打ち消すことができる。だが、人間は、そこまで頭がよくないのだ。デミウルゴスやダイモニカスなど、デウス種の生き物はそういったことを理解できる。だから(自分の持つ力の範囲内で)好き勝手に魔学的な行動を取ることができるのだが、人間はそうではないのだ。そのため、ある一つのことを変化させることによって起こる、全ての変化を把握し切れずに……思いもよらぬ反動を引き起こすことになる。世界の理を変えるのだ。無論、その反動は、忌まわしく、有り得てはいけない反動である。そして、呪系に良くない印象を持つ魔学者達は、その反動について良くない印象を持っているということなのだ。

 さて、そんな呪系の中でも特に嫌悪感を抱かれているのが死霊学である。やってることのえげつなさからいえば、歪理学の方が遥かにえげつない上にマジで意味不明でなんていうかちょっと怖いっていうか近寄りたくないっていうかそもそも学部長が何なの何なのあの人本当に人間なのっていうか、そんな感じなのだが。それでも、まああいつだっていいとこあるし、理解してあげなきゃな、みたいなイメージの接し方をされているのに対して。死霊学に関しては問答無用で嫌われている。

 この件について、死霊学者達は口を揃えて「死霊学が死体を扱うということに対する生理的な嫌悪感に過ぎない」「そんな非論理的な思考をしている人達の見識を疑わざるを得ない」みたいなことをいうのだが。どちらかといえば、死霊学そのものというよりも、死霊学者という生き物に対する嫌悪感といった方が正しいだろう。てめぇらが嫌われてんだよてめぇらが!ということだ。断言してもいいのだが、死霊学者には頭の狂ったクズしかいない。リュケイオンにおける死霊学のカリキュラムが、頭の狂ったクズしか生き残れないようにできているからだ。このことには死霊学学部長であるゾシマ・ザ・エルダーの性格が関係しているのだが、それは頭の狂ったクズという性格である。死霊学者に限っていえば、あいつにはいいとこがないし、理解してあげる必要もないのだ。

 このことは魔学という分野に多少とも首を突っ込んだことがないと分かりにくいのかもしれなのだが、敢えて例えてみるならば……ある特定の集団を、非常に抑圧的・排他的な独裁政権が支配している状況を考えて欲しい。その独裁政権が、集団内の少数弱者(異民族・異宗教・異生物)を弾圧し、集団を浄化するという名目でその少数弱者を皆殺しにしたらどうだろうか? その独裁政権に関わったことのある何者か、特に幹部の連中は、決して許されることのない烙印を押されたと考えてもいいだろう。現在進行形で死霊学者であるということはつまりそういうことなのだ(死霊学者をやめた者の取り扱いについては微妙なのでここでは触れない)。なぜなら、死霊学者という種類の生き物は、それに大変良く似たことを好んでする種族だからである。

 閑話。

 休題。

 さて、真昼は……死霊学者という生き物が、心の底から嫌いであった。ここまで何度も何度も書いてきたように真昼は魔学についての多少の知識がある。そして、その中には、「ポジェドームカの虐殺」という単語も含まれている。

 「ポジェドームカの虐殺」は歴史から消された歴史の中では比較的有名なものだし、歴史から消されてる割には魔学史の授業とかでも習うので、読者の皆さんも恐らくはご存じだろう。第二次神人間大戦中に旧シータヤルーシ(現サヴィエト・ルイドミ)で死霊学者達が引き起こした惨劇であり、ある領域に住んでいたダイモニカス及びスペキエースが、死霊学の実験材料として、なんというか面白おかしい感じで皆殺しにされてしまった。その抱腹絶倒の死に様は、あまりにも残酷(笑)であったため、成人に達しない限りは魔学者であっても「ポジェドームカの虐殺」に関する詳細な資料にはアクセスしてはいけないという決定がなされたほどであったのだが。この虐殺が行われたということが結果的に人間陣営の勝利に有利に働いたため、死霊学者達には一つの御咎めもなしで終わってしまったという、なんとも清々しい後味の事件である。

 そういうわけで、その爽やかな味を占めてしまった死霊学者達は、この事件以前は世界の陰に隠れてこそこそと行っていた実験を、戦争や反乱やが起こるたびに大々的に行うようになってしまった。エスカリア独立戦争や愛国大反革命や、それにノスフェラトゥとグールとの間で定期的に起こっていた紛争といった争いの裏には、必ず死霊学者達が跋扈していた。それに、もちろんアーガミパータは死霊学者のお気に入りの猟場の一つなのだ……と、ここまで書けば、なぜ真昼が死霊学者という存在を毛嫌いしているのかという理由を理解して頂けるだろう。要するに、真昼にとって、死霊学者であるということは、静一郎と同じ種類の生き物であるという証明になり得るということなのだ。それは、戦争という猟師の周りに群れを成して付き従っている、意地汚いハイエナのたぐいであるということ。

 他人の不幸を蜜のように絞って、それを舌の先で掬ってがつがつと舐める。そして、特に……死霊学者は、スペキエースを好んで殺す。スペキエースは特殊な力があり、実験体として非常に有用でありながら、様々な勢力によって差別されているため、大量に殺してもさほど問題にならないからだ。こういった点も、真昼にとっては怖気を振るうほどの嫌悪感を催させる理由の一つである。弱者を狙い撃ちにして自分の利益とする。それは、まさに、静一郎のやっていることと、全く同じなのであって。

 そして、今。

 目の前にいる。

 この男。

 デナム・フーツも。

 死霊学者、だった。

「あんた……」

 愕然とした表情で。

 真昼は、言葉する。

「死霊学者だったの?」

「うん、そーだよ。言わなかったっけ?」

「だって……治癒学者って……」

 デニーは。

 きょとんとした顔で。

 それに、言葉を返す。

「えー? デニーちゃんはそんなこと一言も言ってませんー。真昼ちゃんが、治癒学の力を使ってるの?みたいなこと聞いてきたから、そんな感じだよ!って答えただけですー。」

 その答えに対して真昼は、苛立たし気に「そんな……」と言いかけたのであるが。確かにデニーの言う通りであった。よく考えてみれば、デニーは、一言も、自分が治癒学者だなんて言っていない。全部、全部、真昼が勝手に勘違いしていただけだ。しかもデニーの性格から考えて真昼が勘違いするように仕向けたわけでさえないだろう。いちいち答えるのが面倒な質問を適当にあしらっていただけで。

 とはいえ、デニーがどう考えていようが。真昼にとって治癒学者と死霊学者との違いは大きいものだ。魔学の勉強をしていた時は、死霊学者とは絶対関わり合いになりたくないと常々考えていたものだし。アーガミパータに来る前の真昼であったなら、死霊学者に命を助けられるくらいなら、間違いなく死を選んでいただろう。卑劣な虐殺者に助けられた命を生きるくらいであれば死んだ方がましだからだ。

 ほとんど八つ当たりにも似た。

 やり場のない、怒り。

 ぶつけるようにして。

 デニーに、叫ぶ。

「でも、あんた、言ってくれなかったじゃない! はっきりと、死霊学者だって! だから、あたし、あんたのこと、治癒学者だって勘違いしてて……」

「そんなこと言われても、デニーちゃん困っちゃうよー。大体さーあ、治癒学も死霊学も同じようなもんじゃーん。どっちも呪系だしー、根源情報式の似たようなところいじくるしー。区別する必要ってなくないかなあ。さぴえんすって、ほんっとーにどうでもいいこと気にするよねー。真昼ちゃん、なんでそんなに怒ってるの? 治癒学者でも死霊学者でもデニーちゃんはデニーちゃんだよっ! ねっ!」

 そう言って、デニーは。

 可愛くウィンクをする。

 真昼は、ぎっと歯を食いしばって。暫くの間、荒い息を吐いていたのだけれど。その暫くの間が過ぎ去ると……ふと、自分の横にいるパンダーラの視線を感じた。いつものように、内心を全く窺わせない顔をしたままで、無感覚に、無関心に、向けられている、冷たい視線。

 その視線を感じると……真昼は、なんだか急に、全てのことが馬鹿らしくなってしまった。自分は何を細かいことを気にしているのだろう。全て、全く、デニーの言う通りではないか。つまりデニーはデニーなのだ。死霊学者であろうと治癒学者であろうとなんの違いがある? この男は、悪魔なのだ。正真正銘の悪魔、良心の欠片もないモンストロルム。アーガミパータに向けてスペキエース向けの兵器を売っているギャングじみた集団の、ナンバースリー。そして、何よりも……今まで一緒に行動してきた中で、よくよく気が付いていたはずではないか。この男は、静一郎と、同じ種類の人間なのだと。

 真昼は思い違いをしていたのだ。少し優しくされたくらいで、簡単に、デニーに、篭絡されてしまっていた。今更この男が死霊学者だと分かったくらいでこんなに取り乱すなんて。むしろ、納得すべきだったのだ、この男が治癒学者ではなく死霊学者であったことを。ぴったりではないか、この男に。虐殺者、良心欠如者、戦争のハイエナ。

 そして、真昼は。

 そんな、悪魔に、助けられてでも。

 生きるということを選択したのだ。

 あの子を。

 マラーを。

 助けるために。

「すみません。ちょっと、取り乱しちゃって。」

「謝ることはない。」

 少し冷静になった真昼は、かといってデニーに謝るというのも癪に障る話なので、とりあえず隣にいたパンダーラに対して謝ったのだが。それに対してパンダーラはそう答えた後で、独り言のようにこう付け加える。

「それで良いのだから。」

「え?」

 一瞬、パンダーラが何を言ったのか分からなかった。何を言ったのか分かった後でも、今度はなぜそんなことを言ったのかが分からなくなった。それで良い? それで良いとはどういう意味なのか。パンダーラは、真昼の怒りの感情を肯定しているということなのか? しかし、それがどういう意味の言葉なのかということを聞こうとする前に。生き返った死体、リビングデッドに囲まれているデニーが、パンダーラに対して声を掛けてしまう。

「それで、パンダーラちゃん。」

 軽く首を傾げたデニーは。

 目の前で傅いているダイモニカスを。

 まるで命のない物体でも扱うように。

 ぴんっぴんっと指の先で弾きながら。

 こう問いかける。

「こんな感じでだいじょーぶ?」

 その問い掛けに対して、煮え滾るような瞋恚の感情が、その両目(プラス第三の目)にちらと走ったのだが。その感情については一言たりとも言葉にすることなく、パンダーラはこう答える。

「……問題ない。」

「良かったー! ただ生き返らせるだけなら簡単なんだけどお、見た目をきれいきれいってするの、結構難しーんだよ。周りの土を集めたりなんだりして……本物のお肉じゃないから、見る人が見ればすぐに分かっちゃうけどね。でも、まー、さぴえんすを誤魔化すくらいならよゆーよゆーって感じだよ!」

 言われて……いや、真昼が言われたわけではないが……真昼は、ようやく気が付いた。デニーの周りにいるリビングデッド達、その数はダイモニカスが数人と人間が数十人とといったところだろうか、その全員が、どこにも不自然のない、完全な生者とまるで変るところのない、肉体をしているということに。真昼が教科書とかで見て知っている(アーガミパータに来るまで本物を見たことはなかった)リビングデッドは、これほど生きた生き物に似た姿をしていなかった。骨を露出させ、血管をぶら下げ、肉を引きずって。さっきまでお亡くなりでしたねと一瞬で理解できる姿形をしていたのだ。

 それに、よく考えてみれば。ここに埋められていた死者達が、もしもミセス・フィストが攻め込んできた時の死者達であるとするのならば。それなりに死体の腐敗が進行していてしかるべきはずだ。アーガミパータの気候条件だとか、魔学的な力の関係だとか、そういうのがあるのかもしれないが。土に埋められてそれほど長いこと経過した死体がこんな奇麗なはずはない。それこそ骨だけになっていてもおかしくないはずなのだ。

 と、真昼は考えたのだったが。その考えはほとんど正しかった。アーガミパータの諸々の条件・関係の下でも腐敗は滞りなく進むのであり、リビングデッドになる前の彼ら・彼女らの死体は、ダイモニカス達のそれを除いて完全に骨となっていた。ダイモニカス達の死体についてはちょっと色々と難しいのでここでは触れないが。それでも、ミセス・フィストとの激しい戦いのせいで完全なものとはいいがたい状態だったのは確かだ。

 しかしながら、デニーちゃんはとってもとーっても賢いので。そういうのはどうとでもできるのだ。それは、凡庸百般の死霊学者が使わない、かなり応用的な魔法であって(凡庸百般の死霊学者はリビングデッドの見た目を気にしたりしないタイプなのである)、死霊学以外の学科の方法も使っているという、信じられないくらい面倒な魔法なのだが。とにもかくにも、生前と同じ姿のまま生き返らせたという事実について、真昼はちょっとした驚きを感じたのだった。

 というか。それ以前に。これだけの人数を一度に生き返らせたのも驚きだし、ダイモニカスのような高等な生き物を生き返らせたのも驚きだ。真昼が知っている限りでは、自分の持っている魔力よりも強い魔力を持つ者を生き返らせることはできないはずだが。もしかして、この森に満ちている魔力を何らかの方法で使うことによって、そういった芸当を可能にしたのかもしれない。だとしても魔学式や魔法円やを準備することなく、あんなに短い「共通語」による呪文の詠唱だけでそれをしたということは、やはり驚きに値することではあったが。そう、デニーはホビット語さえ使わなかったのだ! 真昼は……もしかしてデニーは、何なら国内避難民キャンプに散らばっていたばらばらの死体さえ、繋ぎ合わせることで生き返らせることもできたのではないかと思ってしまったくらいだ。生き返らせてもしょせんは人間だし、パズルのピースを見つけて一つ一つ組み立てる面倒と釣り合わないので、そうしなかったというだけで。

 まあ、いくら驚いて。

 感心さえしたとはいえ。

 真昼は、そのことを。

 デニーに言うつもりは。

 さらさらなかったが。

 と、そんな風にして真昼がデニーへの複雑な気持ちをますます複雑にしている一方で。デニーは、ふわふわしながら転がっていく綿毛みたいな足取りでこちらへとやって来ていた。その後ろには跪いた姿勢から立ち上がって、黙々とデニーに隷属しているリビングデッド達が付き従っている。

 ちなみに、先ほどは触れなかったのだが、リビングデッド達の服装について。肉体とは全く正反対の状態であって、つまり全く補修・修繕がなされていなかった。戦闘によってずたずたに切り裂かれ、埋められていたために土にまみれてしまっている。これがなかったら、生きているものと死んでいるものの見分けがつかなかっただろうな、とぼんやり真昼が考えていると……その横で、デニーが、パンダーラに向かって、甘えるような上目遣いの目線をしながら、こう言う。

「じゃ、次行こっか!」

「次?」

 真昼が思わず横から口を挟んでしまった。

 そんな言葉に、デニーは。

 くすくすと、笑いながら。

 こう言う。

「えー、真昼ちゃん、これでお終いだと思ってたのお? こんなんじゃ、ぜーんぜん足りないよお? ASKの支店にあたっく!するんだから、少なくともダイモニカスが百人はいないとね! えへへ……だからね、これからね、この森にある死体、デニーちゃんがぜーんぶ生き返らせちゃうよーだ!」

 とっても楽しそうにそう言いながら。

 両腕をぱーっと広げたデニーの横で。

 パンダーラは。

 いつもと同じような、感覚の全てが凍り付いているとでもいうみたいな表情の中で。ただ唯一、その両目の奥底に、癒しがたい悲しみの色を隠しきれずに浮かべたまま。その悲しみというのは、自分が無力であるということの悲しみなのであろうが、とにかく、そこに立っていたのだった。


 ASKはコンプライアンスだのなんだのの都合上、マスター・コントラクトにおいて未成年と定めている年齢の生命体にアルコール類を出すことができないため(そういうことをするとファニオンズが監査だのなんだのまたうるさいこといってくる)、真昼に対して酒類を出すことはしなかったのだが。かといって、真昼が酒類を飲んだことがないというわけではない。

 というか、この物語の冒頭部分で少し描写したような生活をしている少女が、人生において酒を一度も口にしたことがないなんていうことが有り得るはずがないのだ。真昼は親に反抗している子供なのであって、親に反抗している子供というものは未成年飲酒をするものである。ちなみに月光国の成人年齢は二十歳であるが、いうまでもなく真昼はその年齢に達していない。

 とにかく、真昼は。

 酒を口にしたことがないわけではないのであるが。

 それでも、今口にしている、このような飲み物は。

 間違いなく、一度も、口にしたことがなかった。

 これは……一体何なのだろうか。何であるにせよ、アルコールではないということは確かだ。口にするとすぐに、あたかも世界そのものが透き通った氷になって、目の前で静かに燃えているような。どこまでも冷たく、どこまでも熱い感覚が舌の上を突き刺す。それは、神経系で感じているというよりも、魂魄そのものが感じているのではないかと思わせる、ある種の記憶といってもいいかもしれない冷度・温度であって。アルコールがもたらすどこか濁っていてどこか淀んでいる酩酊感とは全く違っている。

 真昼が手にしているのは、あのタマリンドによく似た果物をジュースにしたものだ。生命力に満ち溢れているせいで、巨大に捻じくれてしまった、聖なる気配の漂う木になっていた果物である。あの果物の外側、殻の部分を刃物で剥ぎ取ると、タマリンドよりも随分と瑞々しい、というかほとんどゼリー状の、透き通った果実が入っている。それを水と一緒に潰して、そのままコップに注いだだけ。まるで水みたいに完全に透明なのではあるが。外側の殻が、うっすらと光っていたように、このジュースも、やはり奇妙な輝きを放っている。

 真昼は知らなかったし、知らなくても特に問題もないのだが、その輝きは魔力の輝きだった。しかもセミフォルテアに非常に近しいほどのひどく純粋な魔力。この果物は、アーガミパータに住むダイモニカスが神話時代から品種改良を重ねて、アーガミパータに満ちる魔力を効率的に生物濃縮させるために作り出したものなのだ。だから、この果物から作られた飲み物を飲むということは、神力を経口摂取するということとほとんど同じことなのである。いうまでもないことであるが、神力とは生き物の生きる力そのものなのであって……そのせいで、これを飲む者は、アルコールなどとは比べ物にならないほどの高揚感を感じるのである。

 それどころか、真昼は。

 全身に素晴らしい力が漲ってくるのを感じた。

 そしてそれは、他のダコイティも同じだった。

 そう、真昼の視線の先にはたくさんのダコイティがいた。たくさんの、たくさんの、ダコイティ。あるものは料理を食べ、あるものは談笑し、あるものは踊っている。ここは、この場所は、例の集会があった広場なのであるが。その広場で座っていた人達が、今では思い思いのことをして楽しんでいるのだ。だから、集まって座っている時よりも、随分と体積が増えてしまって。広場から、もう、溢れんばかりになっている。

 太鼓を叩いている人達もいる、だが、その人達は少し特別な人達のようだった。なぜなら、あの一段高くなったところ、あの演台の上にいるからだ。演壇を包み込んでいたところのあのアウラはすっかり消え去っていたので(実は消え去っていたのではなくこの広場全体に広がっているだけなのだが、そのことについては後述する)、人間もその場所に入ることができるようになっていた。十数人の人間達が、輪になってあの石柱を取り囲んで、右回りの方向で回りながら太鼓を叩いている。その音楽が広場の全体に広がって……なんだか心臓を直接叩かれているような、そんなうきうきとした気分にさせているのだ。

 さて、今は。

 夜で、ある。

 あれから。デニーが、リビングデッドの、最初の集団を生き返らせてから。かなりの時間がたっていた、太陽はすっかり沈んでしまって、空には月が出る時間だ。空には二つの月が出ていて……それが、真昼には、なんだか新鮮だった。月光国はツクヨミの支配する神国であり、ツクヨミは月の神である。それゆえ、月光国は、ドリームランド以外でバルトケ=イセムの夜以外にもバルトケ=イセムを見ることができる唯一の場所なのだ。月光国とドリームランドと以外では、ナシマホウ界であろうがマホウ界であろうが、月はナリメシアとアノヒュプスの二つであって。従ってアーガミパータの地でも月は二つらしい。

 その二つの月が眇のように見下ろしている広場は、本当ならばもう少し暗い場所のはずだった。それはまあ、電気がない場所では月が明るく見えるとはいうし。それにアーガミパータの月はマホウ界を照らしている月なので、ナシマホウ界のほかの場所を照らしている月よりも遥かに明るいのではあるが。そうであったとしても、今の時間は夜なのであり、月だけでそんなに明るかったら夜が夜として成り立たなくなってしまうのである。しかし、それでも、この広場は真昼がいる場所からでも十分に見渡せるくらい明るい場所となっていた。

 それこそが、ついさっき後述するといったアウラの力なのである。思ってたよりも早く後述することになりましたね、まあいいや。演壇を取り囲み、その内側に入れないようにしていた防壁。魔力で固められた固体のようなそれが、そのまま気体として昇華したとでもいうように、曖昧な光としての形でこの空間に満ちているのだ。その魔力の光の中を泳ぐみたいにして、壁画として描かれていたたくさんの図柄が、飾りつけの一部であるとでもいうような顔をして揺らめいている。牛が、ダイモニカスが、人間達が踊っている空間よりも、ほんの少し高い場所で、素知らぬ素振りで踊っているのだ。初めてそれを見た時には、真昼は、なんだかへんてこりんな気持ちになったものだった。

 しかし、とはいえ。そんな光景にももうすっかり慣れてしまっていた。そういえば、そんな真昼は一体どこにいるのか? 食べたり、話したり、踊ったり、そんな祭りの行為をしているダコイティから、少し離れたところ。武器のたぐいがまとめて置いてある場所に、真昼は、たった一人で座っていた。

 武器のたぐいとはいっても、ここに置いてあるものが全部というわけではない。ここに置いてあるのは一山か二山程度の最低限の武器だけだ。つまりは、いきなりこの広場に攻め込まれた時に最低限の時間稼ぎができるだけの量の武器。ちなみに、広場にいる人間達の中には、集会の時とは違っていて、武器を持っている者達がかなりの数いた。これもやはり攻め込まれた時に咄嗟に反撃するためである。森は周囲を結界で覆われていて、しかもこの広場はそんな森の真ん中にあるため、誰にも気が付かれずにこの広場に奇襲を仕掛けるということはほとんど不可能なことではあったが。しかし、それでも、武器を手放すのは、不安なことなのだ。ASKがどれだけ恐ろしい存在であるかということをダコイティは骨に刻み込むようにして知っていたから。

 その置いてある武器の山に、寄り掛かるようにして真昼は座っていた。横のところには、黒いパイプに金属の蓋のようなものを取り付けた円筒形の物体が、かなり無造作に転がっているが。それは明らかに手投げ弾だった。ちょっと横に転がして、自分から離れた場所にどかしたいのだが、下手に触って爆発したら死んでしまうだろうし、うまくいっても片手は吹っ飛ぶだろう。だから仕方なくそこに転がったままにしている。

 そんな物騒な場所にいないでどこか別の場所に行けばいいのにと思わなくもないのだが、この広場の中で、真昼が唯一落ち着けるところは、残念ながらここだけだった。今、真昼は……先ほども書いたように、一人ぼっちでいる。デニーも、パンダーラも、ジュットゥさえおらず。それは共通語とダクシナ語との橋渡しをしてくれる者は誰もいないということであって、ダコイティの輪に入ることができなかったのだ。そのため、真昼は、この広場でダコイティが集まっていない唯一の場所、武器置き場に身を寄せるしかなかったのだ。

 デニーとパンダーラと。

 いくつかの村を巡って。

 リビングデッドの軍隊を作った。

 その後で。

 といっても、真昼がその過程に何かの手助けをしたわけではないので、真昼が軍隊を作ったというような事実はさらっさらにないのだが。それはそれとして、かなりの時間を掛けて、かなりの人数を生き返らせて、日が沈む時間となったのだが。その辺りで、そろそろ「祭り」が始まるということで、いったん作業を中断することになった。ダイモニカスだけでも五十人か六十人か、人間に至っては数百人の規模になっていたので、真昼はもう十分だろうと思っていたのだが、どうやら「祭り」が終わってから、またこの作業は続くらしかった。そのような認識はデニーもパンダーラも共通して持っているもので、二人とも、よほどASKのことを脅威と思っているようだった。

 とにかく、作業を終えて。

 この広場に、帰ってきて。

 それから、パンダーラはすぐにどこかに行ってしまった。祭りの中で何か果たすべき役割があって、そのための準備をしにいったようだ。パンダーラがダコイティのリーダー的存在であることを考えれば当然のことであろう。

 そして、その時にジュットゥも一緒に連れて行ってしまったのだ。どうやらジュットゥはパンダーラの侍女的な役割もこなしているらしく、こまごまとした雑用を片付ける必要がある時にはそばに付き従うこともあるらしい。

 と、いうことで。これでパンダーラとジュットゥがいなくなってしまったわけだが、この二人は、真昼にはデニーがいるから大丈夫だろうと思っていたのだから仕方がない。けれども、デニーは……最初は、一緒に、広場の色々なところを見て回っていた。というかデニーが真昼のことを一方的に連れ回していたといった方が正しいのだが。太鼓を叩いているところを間近まで見に行ったり、お喋りをしている人々に無理やり加わったり。あるいは真昼が飲んでいるこのジュースも、デニーと一緒に調理場のところで貰ったものだ。ちなみに調理場は真昼がいる武器置き場から少し離れたところにあって、常に何人かの人々が料理をしていて、祭りに食べ物・飲み物が途切れないようにしている。

 しかし、暫くすると……デニーは、ふいといなくなってしまったのだ。本当に、真昼が目を離した隙に、いつの間にかいなくなってしまっていた。この広場の中、どこを探してもいなかったので(黒人ばかりの中に白人が一人混ざっていればすぐに分かる)(黒人達が擦り切れた戦闘服を着ているのに対してその白人が綺麗なスーツを着ていればなおさらだ)、恐らくは森の方へ行ってしまったのだろうが。一体何をしに、しかもなぜこのタイミングで行ってしまったのか。

 最初はトイレに行ったのかと思った。いや、まあ、トイレなどという文明的な代物はこの場所にはないのだが。けれどもよく考えてみれば、デニーも、真昼に書いたのと同じような魔法式を自分に書いているのだろうし、トイレに行く必要などないはずだ。ということは……あのリビングデッドの軍隊について、何かを確認しに行ったのだろうか。

 リビングデッドの軍隊はこの広場には置いていない。ここから少し行ったところ、森の中に潜ませるようにして置いてある。あまりにも多過ぎてこの広場には入らないし……それに、これは真昼の推測なのであるが……ああいう生き返った人達を、ここにいる生きている人達に、今このタイミングで見せるのは、あまり良くないことだろうから。

 いうまでもなく、あのリビングデッド達はもともとはダコイティだったのであって。壮絶な戦いの中で死んでいった人々だ。ここにいる人々とは知り合いであり、それどころか戦友だったのだ。戦地で死に別れたはずの戦友が、あんな風にして生き返って……まるで別人のように、それどころか人ではないように……そんな姿と対面するのは、きっと、動揺してしまうようなことだろう。様々な関係性の中で、複雑に生起する感情の波。そういう波の中で溺れてしまうことは好ましいことではない、特に全ての運命を懸けた闘争の前日には。そういうわけで、これもまた真昼の推測なのであるが、あのリビングデッドの軍隊を人間達に見せるのは、明日起こるであろう最終決戦の直前、感情的に最高潮に高ぶっていて、これから生きるか死ぬかということ、殺すか殺されるかということ以外の何もかもが、あまり気にならなくなってからにするのであろう。その時になれば、そういった感情の波は、誰にとっても些細なさざ波に過ぎなくなるだろうから。

 まあ、それはともかく。

 デニーはここにいない。

 ただ、真昼は、そのことについてはまるで心配していなかった。どうせすぐに帰ってくるだろうと高を括っていたからだ。これは、真昼自身は絶対に認めないだろうことであるが、デニーのことを、ある意味で信頼していたといい換えてもいい。デニーが自分を置いていなくなるはずがない、なぜなら、デニーにとって、自分は、利用価値がある人間だからだ。それに、デニーが何者かに囚われたり、あるいは殺されたりしたということも有り得ない。相手がASKであったとしても……デニーは、デニーなのだから。

 デニーは。

 絶対に。

 自分の元へ。

 帰ってくる。

 そんなこんなのげんちんとん、真昼はデニーの心配はせず、自分の心配だけをしていればいいということであって。けれどもよく考えれば、自分についても心配することは特になく。デニーのことを待つとも待たないともなしに、ぼんやりと無為な時間を過ごして……現在の状況に至るというわけだ。

 デニーが姿を消してからもう十分くらい経っているだろうか。何もするべきことを思いつかず、目の前でゆらゆらと揺れている人々の影絵を眺めながら、例のジュースをちょっとずつ舐めていたのだけれど。気が付くといつの間にかコップが空になっていた。コップを舐めること以外することがない状態で十分も経過すれば当然といえば当然のことなのだが。とにかく、これで真昼は本当にやることがなくなってしまったということだ。

 これは少しばかり困ったことになってしまった。正確にいえば、目の前の祭りの光景を見ているという行為に関しては、まだ真昼から取り上げられていなかったのではあるが。それだけしているのもどうにも手持無沙汰で、何か気が紛れるもの、口と手とを塞いでおけるものがないというのは、どうにも、寂しいというか、気不味いというか。そこで真昼はちょっと歩いたところにある調理場まで二杯目の飲み物を取りに行くことにした。

 立ち上がって。

 歩いて、行く。

 勘違いしないで欲しいのだが、真昼は恥ずかしがり屋さんというわけではない。知らない男の家を転々と渡り歩いていたような少女が恥ずかしがり屋さんなんていう繊細な性格を持ち合わせているわけがないのである。この広場で、祭りに加わらず、傍観者に徹していたのは。真昼の、人見知りの、根本的な理由は。以前も書いたことだがコミュニケーション能力の欠如である。

 コミュニケーションそれ自体が苦手なので、しないでいいのならばしないで済ませたい。しかも、現在の状況においては、それ以前の問題として言葉が通じない。言葉が分からなければ、世間話だとか雑談だとか、そういったあれこれをするのは非常に困難なことである。つまるところ、こういう社交の場で、気軽に、気楽に、できるコミュニケーションが一つもないということだ。

 正確にいえばジュットゥのように共通語を話せるダコイティもいないわけではないのだろうが。そういう人間を探すというのはどう考えても面倒な行為であって、そんなことをしてまでコミュニケーションをしたいという切実な欲求はない。

 けれども、今となっては状況が変わった。やるべきことがある、欲しいものがある。そして、飲み物を貰うくらいならば、言葉が通じなくても、ジェスチュアくらいでなんとかなるだろう。そんな思いのもとで、真昼は調理場まで辿り着いた。

 調理場は……大分殺気立っていた。次々とダコイティ達がやって来ては、てんでんばらばらの飲食物を頼み、あるいは自分で勝手に持って行ってしまう。祭りは始まったばかりで、まだ誰もがお腹が空いていたし、まだ誰もが喉が渇いていた。

 しかし、真昼がそこに辿り着くと。空気のようなものが少しだけ変わった。皆が真昼に視線を向ける。その視線の一部は畏敬で、その視線の一部は嫌悪だ。真昼という存在が、ダコイティにとって、特別に二律背反な存在であるという事実がここからよく理解できるだろう。まず一方で、真昼は、パンダーラから頼まれてジュットゥが保護していた人間だ。それはダイモニカスの特別の寵愛を受けているという証明であって、それは畏敬に値する。他方で、真昼は、デニーに連れられてこの場所にやってきた人間だ。それはダコイティに大いなる災いをもたらしたという証明であって、それは嫌悪に値する。こういった二つの相反する感情、そのどちらかを、あるいはそのどちらもを、ダコイティの誰もが持っていたということだ。各々によってその割合は異なるとしても。

 真昼は、ダコイティがそういう感情を……というか、その二つの感情のうちの嫌悪の感情を、他ならぬ真昼に対して持つということについて、痛いほど理解できた。デニーは、真昼は、この場所にいるべき存在ではない。明らかに不似合いな異物なのだ。この人達は義賊だ。いや、実際に義賊であるかどうかは置いておいて、少なくとも真昼はそうであって欲しいと強く願っている。義賊とは、真昼にとって、静一郎のような生き物に対抗する人達のことであって。その一方で、デニーは、まさに静一郎のような生き物であって。本来であればこの二つは交わるべきではないのだ。そうであるにも拘わらず、ダコイティはデニーのことを受け入れざるを得ない状況に追い込まれてしまっている。そして、それは、完全に、真昼のせいなのだ。

 真昼が。

 マラーのことを。

 助けたいと。

 願ったから。

 真昼は……真昼は、実は、段々と、分からなくなってきてしまっていた。「正しい」ということがなんなのか、「良い」ということがなんなのか。真昼は、なすべきことだと思っていた。マラーを助けることを、助けようとすることを。なぜなら、弱く、愚かで、罪のない生き物のことを、見捨ててはいけないからだ。人間は、人間であるために、自分を犠牲にしてでも守るべき価値を見つけるべきだからだ。

 しかし、その価値を守るために自分以外の何かを犠牲にしなければならないとしたら? それは本当になすべきことなのか? ここにいる全ての人達、自分たちの正義と良識とのために戦っている人達を巻き添えにしてまで、守るべき価値とは何なのか。アーガミパータに来る前までは、真昼にとって物事は簡単だった……けれども、ここは地獄の底だ。こういう場所では、物事はそう単純にはいかない。

 真昼にとって、未だに悪は悪だった。

 この世に、間違いなく、悪は存在する。

 けれども……善は存在するのだろうか。

 というか。

 もしも。

 善が存在しないとしたら?

 真昼は、一体。

 これから、どうやって。

 生きていけばいいのか。

 お前、本当に自分のことばっか考えてるな……そんなどうでもいい抽象論をぐだぐだと考え込む前に、まずは巻き込んでしまった人達のことを考えろよ……と思わないこともないのだが。まあ、真昼がダコイティのために何かを考えたところで建設的な結論が出るとも思えないし。もう巻き込んでしまったものはどうしようもないのだから、これでいいのかもしれない。とにかく、真昼は、虚無的なほど無意味な思考を弄びながら、調理場にいたダコイティの一人に向かって声を掛けたのだった。

 こういう時って、皆さんならどう声を掛けます? 相手は共通語の通じない相手で、自分は共通語(と、厳密には月光語も少し)しか話せない場合って。真昼は、これは大変順当なやり方だと思うのだが、「すみません!」と声をかけた。ダクシナ語で「すみません」ってなんていうのかくらい教えて貰っておけば良かったとかなんとか考えつつも、他に何を言えばいいのか思いつかなかったからだ。目標については特に誰と定めずに、ここにいる誰かが振り返ってくれればいいかなくらいの感覚だったのだが。そのひどく曖昧な願いは見事に叶えられた。

 タマリンドに似た果物を木臼と木杵とで潰している人のうちの一人が振り返ったのだ。年齢のいった男性で、髪の大部分が白くなっている。その男性は、真昼のことを見ると……他のダコイティ達とは全く違う顔、畏敬でも嫌悪でもない、ああ、あんたか、みたいな表情をして、木臼の中に木杵を置いた。

 これは世界的に普遍の現象で、きっと何か不可思議な法則が働いてそうなっていることなのだと思うのだが。どんな組織であれ、それが人間が作った組織であれば、必ず「諦め切った人」というものがいる。その人はあらゆることを諦め切ってしまっている。悟っているというのとも達観しているというのとも違う。ただただ諦めているだけだ。そういう人は、何の役にも立つことはないのだが、大きな感情というものを抱くことができないため、大抵の場合は完全に無害であって。どうやら、この男性もそういう人らしかった。こういう人が組織に所属し続けているのは、何かの信念があるというよりもただ惰性でそうしているだけなので。この人もやはり、真昼に対しては、それどころかデニーに対しても、どんな感情も抱いていないらしい。なぜそれが分かるのかというと、先ほどデニーと真昼とがここに来て飲み物を貰った時に対応してくれた人も、やはりこの男性だったからだ。

 真昼は、この男性のこういう態度に、ちょっと驚いてしまったし、今でもまだ驚いているのだが。よくよく考えてみれば、ダコイティにこういう人がいるのも当然のことなのだ。こういう人は、ただただ生きることを望んでいる。平和に生きることができればそれでいいという人。それでも、今の状況下では、ダコイティに所属するしかない。それ以外には選択肢が、所属できる組織がないからだ。完全に異質な環境で生きることを強いられた人。そういう人にとっては、正義や良識などどうでもいいことで。自分のやるべきことを淡々とこなしていく以外には、生きる方法がない。それに、とにもかくにも……今の真昼にとって、こういう人の存在は、とてもありがたいことだ。例えば飲み物をもらうだとか、そういう普通のコミュニケーションをしたいと思っている時には、畏敬や嫌悪やという感情は邪魔なだけなのだから。

 ただ。

 まあ。

 言葉は通じないのだが。

 真昼は、とりあえず自分の持っていたコップを差し出してみた。それを指さし、コップの中のものを飲むジェスチュアをする。それから、コップを逆さにして、空っぽであるということを明らかにする。するとそのジェスチュアが伝わったのか、そもそもこの男に声をかける者などジュースを求める人間しかいないということなのか。すぐさま男は理解したようだった。

 無言のままコップを受け取って。果肉を潰し終わり水も混ぜ終わっている木臼の中から、そのコップに、八分目くらいまでジュースを注ぐ。ついでに触れておくと、そのコップというやつは、金属でできたかなり頑丈そうな代物なのだが、それでもぼこぼこに凹んでいた。きっと色々な戦場を乗り越えてきたコップなのだろう、ジュースを注いでいるこの男と同じように。

 戻ってくると、真昼にコップを手渡した。真昼はお礼を言おうとして、ダクシナ語では「ありがとう」をなんというのかさえ分からないということに気が付く。月光国でするようにお辞儀をしようとも思ったのだけれど、アーガミパータでお辞儀が謝礼の意味をあらわすかどうかも分からない。色々と考えた末に、これもやはりかなり無難な選択だと思うのだが、両手を合わせて一礼をすることにした。ジュットゥがパンダーラに対してしていた仕草だったからだ。コップを持ったままで両手を合わせるのはそれなりに難しいことだったけれど……ただ、その難しさに値する効果はあったようだ。その男は、真昼に対して、同じ仕草で返したからだ。

 それから、真昼に対して。

 その背後を、指し示した。

 何かを指差したらしい。何かあるのかと振り返ってみると、そこにあるのはあの演壇だった。そこにあるといっても随分と遠くの方にあったのだが、そこで、今、何かが……始まろうとしているようだ。ジュースの男は、真昼に対して、ダクシナ語で一言二言何かを言った。もちろん真昼は何と言ったのか分からなかったので、振り返って質問しようとしたのだが。男は既に行ってしまって、また木杵で木臼を搗き始めたところだった。どちらにしたところで、質問しようにもどうやって質問すればいいのかということは分からなかったが。

 とにもかくにも。

 演壇では何かが。

 始まろうとしている。

 まずは一般的な話をしておこう。祭りというものは、本来的には「安定化」のために行われる行為だ。それが何にせよ、ある種の儀式ではあるが、それ以上の側面を持つこともある。律せられた生存の形態であり、混沌を秩序へと変える一つの機関である。神々にとっての「祭事」がすなわち「政事」であったのはこのことに由来していて、政治が人間の混沌を秩序立てるのと同じように、祭祀は世界の混沌を秩序立てる。

 根底にあるのは「意識的な錯誤」だ。これは、意識していてもいけないし、意識せずにいてもいけない。この世界の全てを自分の都合のいいように意味付けることが目的であって、それを心から信じなければいけないが、それでいて飲み込まれてもいけない。要するに、誰にでも分かる言葉でいえば……何度も何度も反復することによって、一つの観念を固定化する、その過程のことだ。そして、観念は、魔力を導程する。

 こうして混沌は秩序へと変化する。しょせんは仮初であるとしても。最後の最後には混沌も秩序もなくなる、それでいて絶対的な無というわけでもない。概念と、存在と、魂魄と、その三つのものだけが生き残り……とはいっても、それはここでは関係のない話だ。要するに、ここでいいたいのは。本来的な祭りというものは、世界を飼い慣らされた方向へと変化させ、その変化を永劫の輪廻へと導く行為だということだ。

 けれども、この祭りは。

 そういう祭りではない。

 つまり、祭りの紛い事に過ぎないということだ。なぜなら、これは、人間達のために行われる祭りなのだから。デウス・ダイモニカス達、強き者達が、弱き者達のために挙行する祭り。とはいっても……それが、ある象徴的な出来事を繰り返すことによって、なんらかの混沌を一つの方向へと収束させる儀式であるということには変わりない。

 そして。

 今から行われるのは。

 その繰り返しなのだ。

 真昼は、本当になんとなく、火に吸い寄せられる虫のような気持ちで演壇へと近づいていく。この火に吸い寄せられる虫という表現は虫唾が走るほど使い古された表現なので、なるべくなら使いたくなかったのだが。この驚くほど何も考えずに行われた真昼の行動を意味するためにはこのような表現しか思いつかないほどであったということだ。「火に吸い寄せらせる虫」と「虫唾が走る」で掛かってるしね。ちょうどいい!

 下らない海老天丼は岡持ちの中に置いておくとして、他にも演壇に群がり始めたダコイティを掻き分けるみたいに真昼は進んでいく。手に持ったコップからジュースをこぼさないようにしつつも、現在の真昼にしては奇妙なほどの積極性によって……真昼は、とうとう見物の群れの最前列まで辿り着いた。

 演壇の上には、集会の時には確かになかったはずの、一つの門があった。簡単に作られた、急拵えの、木製の門。門というか、二本の木材を立てただけといった感じの代物で、しかもその木材はほとんど朽ち果てんばかりに古びている。恐らく伐採したものではなく、自然に倒れた朽ち木を利用しているのだろう。それから、その門からは一本の道が伸びている。集会の時にそこを通ってパンダーラが演壇まで進んでいった、あの道と同じものだ。何も目印のようなものはないが、その道の上には決して人間達が踏み入らないというあれ。

 その道の先には……一つの小屋が建てられている。継ぎ接ぎだらけの布を何枚も重ねたカーテン、四方向に巡らせて。その内側が見えないようにした簡易的な小屋だ。小屋というよりも青天井のテントといったほうがいいかもしれない。とにかく、その小屋あるいはテントの内側で、なされるべきことの準備がされているということらしかった。

 そして、その準備が、今まさに終わったところらしかった。なぜそれが分かるのかといえば、演壇の上で太鼓を叩いていた人々が……その太鼓のリズムを、少しばかり変えたからだ。今までのそれはちょっとしたBGMといった感じの叩き方だったが。今では、その鼓動は、次第に、次第に、高まっていっている。何かの始まりを予告している。

 いうまでもなく。

 それは。

 反復行為の。

 始まり、だ。

 この広場がこの森の心臓であるかのように打ち鳴らされる、鼓動に合わせて。ダコイティは、ほとんど自然発生的に歌を歌い始める。その歌はダクシナ語であったので、やはり真昼には分からなかったのだが。大体の内容としてはこういう感じだ。ラー、ラー、ラー、やつらは我々から奪っていく。ラー、ラー、ラー、土を、木を、空気を奪っていく。ラー、ラー、ラー、森に住む全ての命を奪っていく。ラー、ラー、ラー、それでも決して奪えないものがある。ラー、ラー、ラー、やつらは我々の誇りは奪えない。ラー、ラー、ラー、やつらは我々の愛は奪えない。ラー、ラー、ラー、奴らはパンダーラ・ゴーヴィンダを奪えない。

 鼓動は、歌声は、どんどんと大きくなっていって。とうとう制御不能としか思えないほどになる。一つの集団が全体として起こす痙攣みたいだ。このままでは一体どうなってしまうのかと、真昼が不安に思ってしまうほどの音楽は……だが、唐突に鳴り響いた別の音に遮られる。真昼の注意は周囲のダコイティに向いていたので、気が付いていなかったのだが。いつの間にやら、演壇の上、例の木造りの門の傍に、ダイモニカスが立っていて。左の木材の横に一人、右の木材の横に一人、合わせて二人、角笛を吹き鳴らしたのだ。その音は、人間如きが発生させる音など吹き飛ばしてしまって……辺りは、唐突な静寂に包まれる。

 ダイモニカスが吹いた角笛は、どうやら牛の角を彫り抜いて作られた物のようだった。ただし、その角は何かに漂白されたかのように、信じられないくらい白い色をしていて、そして、その角笛が鳴らす音も、真昼がこれまで聞いたことがないほど澄んだ音をしていた。透き通っていて、かといって高い音というわけでもなく、まるで生き物のように滑らかだった。恐らく、この角の持ち主であるところの牛、それが何者かは真昼には分からないが、その牛の鳴き声が、このような音なのだろうと思われるような音。

 しかし……今……その笛の音は、既に絶えてしまった。演壇の上は、ただただ静かであるだけで。太鼓を叩くことをやめた鼓手達は立ち止まって、それが始まることを、息を潜めて待っていて。

 そして。

 それから。

 それが。

 始まる。

 小屋を覆っていたカーテンのうち、演壇の方向が開かれて、中から何かが出てきた。白い姿をした牛、を、ひどく稚拙に模したもの。恐らく中には二人の人間、もしくはダイモニカスが入っているのだろう。それぞれが、前足及び頭部と、後ろ足及び尾部と、を担当しているのだ。薄汚れてはいるが白い布を被せて、落書きみたいな顔を書いて。紙か何かを固めて作ったらしい角と尻尾とをつけている。ちょっと変わったところがあって、角が二本ではなく四本ついていたのだが……真昼が見たところ、たぶんそれは牛だろうと、辛うじて分かる物体だった。

 その牛が、まるで踊るような足取りで道を進んでいく。ダコイティの視線がじっと注がれる中で、重々しく演壇の上に上っていくと。門を通り抜けてから、あの石柱の前でぴたりと立ち止まった。牛が石柱を見上げるポーズを取ると、再び、角笛を持つダコイティ達がそれらの角笛を吹き鳴らす。それは、あたかも、その牛が、鳴いているかのようにして。それから、もう一度、牛はステップを踏み始める。ここには聞こえていない、非常に荘厳な音楽に合わせているかのように。滑稽なほど厳粛な歩き方で、石柱の周りを、右回りの方向で歩き始めたということだ。

 一方で、小屋に視線を戻してみると。またもや小屋の中から何者かが出てきた。そして、その何者かのことを、真昼は知っていた。悔恨と、悲痛と、それに恐怖とともに、頭蓋骨の裏側に刻み込まれたその姿は……紛れもなく「ミセス・フィストと彼女の五人の娘」の姿だ。もちろん本物がこの場にいるわけがない。牛がそうであったのと同じように、それは出来損ないの模倣品であって。サーティーを付けた一人ダイモニカスが、腰に一本の棒を括り付けて、その棒に並べるみたいにして、五人の少女をひどく粗雑に模した人形を括り付けているのだ。しかも、よく見ると、そのダイモニカスは、集会ではオカティと呼ばれていた、あの花畑のようなダイモニカスであった。

 ミセス・フィストは、あるいはオカティは。牛とは全く異なるステップ、右足と左足をひどく乱れさせた騒迷な足運びで道を進んで行き、演壇の上に上がった。五人の娘を模した人形と共に門を通り抜けると、これで三度目、角笛の音がする。ただし、今度は、あたかも悲鳴のごとく、金片を切るかのように吹き鳴らされて……そして、その音を聞いたミセス・フィストは、至極満足しているかのように、身を一つ痙攣させる。

 石柱を、牛とは逆方向に回り始める。左回りに回り始めて、互いに全く違うテンポでダンスを踊っていた二つの「象徴」は、やがて……石柱から見て門がある方向とは反対側。広々と開けた空間の側で鉢合わせになる。

 ここで観客達の前に一つの恐怖が提示される。それは観客達自身が経験したところの、事実としての恐怖だ。角笛が、また歌声を歌う。今度の歌声は、間違いなく混乱した、間違いなく破滅的な、叫喚としての歌声を。

 事ここに至って、人間達はとうとう我慢できなくなってきたようだ。さきほどまでなんとか保っていた静寂をかなぐり捨てて、演壇の周囲に侍っていた鼓手達が、その手に持っていた太鼓を叩き始める。これは……この劇は、ダイモニカスが行っている儀式だ。だから人間の鼓手達は劇の内側にいるわけではない。とはいえ、太鼓の音が打ち鳴らされれば、人間達の感情も掻き鳴らされるのであって。観客達も、手を握り締め、拳を作って、その拳によって大地を打ち鳴らし始める。

 揺れる。

 揺れる。

 地の上が。

 不穏に。

 震え始める。

 その振動に合わせて二つの「象徴」は恐怖を踊る。ミセス・フィストは牛を捕えようとして、牛はミセス・フィストから逃れようとして、二つの全く同一ではない足運びが、ぐちゃぐちゃに混ざり合って。やがてそれは一つのステップになる。牛が逃げようとしても、ミセス・フィストの横に従っている五人の娘によって阻まれる。オカティのダンスは奇妙にも揺れる陽炎のようで、あるいは水面に描いた波紋を指先でなぞるように、そのダンスに合わせて人形さえも踊っているようだ。一方で、牛のダンスは、混乱を極めた足掻きだ。前足と後足とのステップさえ合っていない。前足が右に行こうとすれば後足が左に行こうとして、その体は……演壇の上を支配している恐怖によって引き裂かれてしまいそうだということ。

 ひとしきり。

 その恐ろしい攻撃の有様は。

 観客達の目の前で演じられ。

 最後には。

 その牛は。

 ミセス・フィストに。

 捕らわれてしまう。

 観客達は、ここにきてとうとう声を上げ始める。悲痛なる叫び、あるいは……切望の声を。全ての口が、示し合わせたかのように、この劇の一部であるかのように、同じ言葉を叫び始めたということだ。それは真昼も知っている言葉、真昼も知っている名前。つまりは……パンダーラ・ゴーヴィンダ。

 何度も何度も叫ぶ、パンダーラ・ゴーヴィンダ、パンダーラ・ゴーヴィンダ。その間にも舞台上のミセス・フィストは、舞台上の牛を、嫌がるその体を引き摺るみたいにして、どこかへ引っ張っていこうとしている。このままでは……このままでは、牛は、ミセスフィストに、連れて行かれてしまう。

 しかし、その前に。

 叫び声は。

 祈る声は。

 受け入れられる。

 再び小屋の中から何者かが姿を現した。いや、何者かなどと曖昧にする必要はないだろう、今、この時に、姿を現すべき存在など、たった一人しかいないのだから。もちろん、当然、いうまでもなく、それはパンダーラだった。戦闘服に身を包み、短い髪を振り乱して。まるで、一匹の、肉食の、獣のように、カーテンの中からまろび出てくる。

 そう、それは本物のパンダーラだった。パンダーラ自身がパンダーラを演じていたということだ。だが、一つだけ、真昼の知っているパンダーラとは異なっている点があった。それは……その右腕だ。断ち切られ、失われているはずのその右腕は。今では何か、粘土を固めて作ったような、粗悪な義手みたいなものが取り付けられていたのだ。

 その姿を見て。

 観客達は。

 咆哮のごとく。

 歓声を上げる。

 パンダーラのダンスは、牛のものともミセス・フィストのものとも違っていた。それは鮮烈な、一筋の刃のようなものだ。そういえば、パンダーラの右手には、そのダンスにも似た一振りの剣が握られていた。その剣は、集会の際に、ダイモニカス達が投票に用いたあの剣に似ていたのだが……ただ、今、パンダーラが持っているものは。魔力によって形作られたものではなく、ただ単純な金属製の、その模倣品に過ぎなかったのだが。

 義手を本物の腕のように動かして、その剣を、微睡から覚めた兎の瞳みたいに煌めかせながら。パンダーラは道を突っ切って、門の向こう側へと飛び込む。石柱を右から回り込んで、恐怖が演じられている空間まで辿り着くと……そのまま、ミセス・フィストに向かって、勢いよく、一太刀を浴びせる。

 ミセス・フィストは、驚くべきことに、ほんの少しだけよろめいた。そして、この場面は、誇張されているにせよ、事実を元にして作られた場面である。実際に起こったことなのだ、パンダーラは、あのミセス・フィストを相手にして。正面から飛び掛かって、確実に、ダメージを与えたということだ。

 しかし、それでも、ミセス・フィストは即座に態勢を整えた。ここで牛は場面の端へと退いていき、中央においてはパンダーラとミセス・フィストとの殺陣が演じられ始めることとなる。観客達の盛り上がりは最高潮に達していて、パンダーラを応援するやら、ミセス・フィストを罵るやら、そこら中から騒音のような声が上がり始める。けれども、演壇の上の新しい二つの「象徴」は、そんな騒音をまるで意に介していないかのように。とても、とても、正確に、精密に、踊り続ける。

 パンダーラが剣を振り翳すと、ミセス・フィストはそれを避ける。ミセス・フィストが五人の娘をパンダーラに差し向けると、パンダーラはそれを避ける。そうやって、一つの型が定められた舞踏のように、二つの身体は関係性の中の行動を一つ一つクリアしていって。それは、つまるところ既に終わってしまった過去なのだ。確定した事実、それを繰り返しているだけなのだ。だから、その結末は誰もが知っている、真昼さえもが知っている。それは、一言でいえば……パンダーラの敗北。

 舞踏は、興奮のために血流が早まるかのような態度によって、どんどんと速度を上げていって、とうとう、五人の娘によって、パンダーラの剣が弾かれる。弾かれるといってもそういう演技をしただけで、パンダーラが、剣を手放し、演壇の上に突き刺しただけなのだが。それでもパンダーラは武器を失った。ミセス・フィストがそういった隙を逃すはずはなく、そのままパンダーラの体を押し込むみたいにして、その場に倒れさせる。どうやら、それは致命的な攻撃のジェスチュアだったようだ。パンダーラは倒れこんだきり動かなくなり、観客達は口々に悲鳴を上げる。泣き始めた者さえいる、老いも若きも男も女も関係なく、そのパンダーラの姿に絶望の涙を流す。だが、ミセス・フィストはそんなものを気に掛けはしない。倒れたパンダーラに、更に近づいて行って……その右手に手を掛ける。

 腕が途切れて義手が始まるところ、そこに、無造作に手を差し込むと。本物の腕を引き千切るみたいな動作によって、一気に義手を引き剥がした。そして、倒れたきり動かないパンダーラの体をそこに放り捨てたままで、また牛の方へと向き直る。

 もう牛は抵抗するようなことはしなかった。唯々諾々とミセス・フィストに従って、引き連れられるみたいに、今度は左回りで石柱を回って。門から外に出て、演壇を降りて、そして、ミセス・フィストとともに小屋の中へと姿を消してしまった。

 太鼓の音は聞こえない。

 観客の声は聞こえない。

 静寂が広場を満たす。

 過去に一度なされた静寂を。

 ひっそりと、なぞるように。

 しかし……その静寂の中で。またもや、あの小屋から何者かが姿を現した。一人、二人、三人、四人。五人目に、六人目。六つの姿は足音一つさせず、ただ目の前を通り過ぎていく遠い影のように。道を歩いて行き、演壇に上がり、門を通り抜けた。

 ダイモニカス達だった。その中にはチェヴィ・プーダの姿も見える。どうやら今まで演壇に上がっていなかった残りの六人らしい。六人は六人とも、静かに、右回りで、石柱の傍を歩いて行って。やがてパンダーラが倒れているその空間に辿り着く。

 一人一人が極めて静かに行動し、それぞれの配置についていく。倒れているパンダーラを円形に囲い込むみたいにして、その周りに立っていったということだ。パンダーラの側ではなく、広場にいる観客達、まるで絶望のあまり溶けることのない氷の柱になってしまったとでもいうみたいに静寂を続けている観客達の側に、体の向きを向けて。

 そして。

 その中の一人。

 一番若い者。

 つまり、チェヴィが。

 唐突に、声を上げる。

 静寂を突き破るように。氷の柱を溶かすように。広場に響き渡る、朗々とした歌声。現実さえも変えることができそうな、圧倒的な言葉の奔流だ。チェヴィの声に、一人、また一人と、ダイモニカス達の声が加わっていく。また一人、また一人、また一人、また一人。そして、六人目が加わった時に……とうとう、空間に満ちていた絶対的な冷度が、熱を放ち始める。

 まず声を上げたのは子供達だ、女達もそれに続く。いつだってそうだろう? 革命は女と子供が始めるものだ。そして、最初はおずおずと、やがて大胆に、男達も続いていく。歌声が響く、いや、響くという表現は少し違うかもしれない。歌声が、砕いていく。この世界を、この現実を、そのハーモニーが砕いていく。その歌はダクシナ語であったので……しかし、真昼にも、その意味が理解できた。ダイモニカス達の放つ、凄まじい観念の力によって。大体の内容としてはこういう感じだ。ラー、ラー、ラー、やつらは我々から奪っていく。ラー、ラー、ラー、土を、木を、空気を奪っていく。ラー、ラー、ラー、森に住む全ての命を奪っていく。ラー、ラー、ラー、それでも決して奪えないものがある。ラー、ラー、ラー、やつらは我々の誇りは奪えない。ラー、ラー、ラー、やつらは我々の愛は奪えない。ラー、ラー、ラー、やつらはパンダーラ・ゴーヴィンダを奪えない。

 歌は。

 歌は、力を持ちえない。

 現実の中では。

 しかし、これは現実ではない。

 都合よく捻じ曲げられた。

 演劇という、名の、慰め。

 従って、その歌は。

 力を持ちうるのだ。

 力が満ちていく、希望という名の力が。その力はしょせん共同的な幻想に過ぎず、その共同体の外側では実際を持ち得ないのだが。それでも、この時、内側に、外側は、ないのだ。観客達は燃えがるような興奮とともに確信する。やつらは、やつらは、絶対に奪えない。我々から、パンダーラ・ゴーヴィンダを奪えない。その確信は、無数の観念は、やがて一つところに収束していく。その一つ所とはは、もちろん、演壇の上に倒れ伏した一つの体で。

 歌声が。

 最高潮に達した時。

 遂に。

 そうだ、まさに、遂に。

 パンダーラの体が動く。

 今まで身動き一つしなかったとは思えないほど力に満ちた動きだった。一つの決められた型、歌声に合わせたある種の舞台芸術であるかのように。大地を掻き、体を起こし、立ち上がり。すぐ近くに落ちていた、剣の柄を、掴む。

 役割を果たした六人のダイモニカス達は口を噤んだ。観客の歌声は、ばらばらにほどけて、空間を震えさせるほどの絶叫に紡ぎ直された。パンダーラは剣を持ち上げて……そして、その剣を、舞台の中心、あの石柱に向けて掲げる。

「同志達よ。」

 静かな声だった。

 けれども。

 観客達の絶叫よりも。

 遥かに響き渡る声で。

「同志達よ。」

 観客達は、一斉に、口を、噤んだ。

 皆がパンダーラの声を待ち受ける。

「我々は敗北した。一度、二度、三度、四度。数えきれないほど敗北を繰り返した。しかし……明日は違う。全ての悪が退けられるように。私の死が退けられたように。明日、ASKはアヴィアダヴ・コンダから退けられる。」

 泣いていた。

 全てのダコイティが、無言のまま涙を流していた。

 なぜなら、パンダーラの言葉は真実だったからだ。

 少なくとも、この場では。

「明日、我々は、勝利する。」

 観客達は、人間達は……もう、自分の感情をどう表していいのか分からないようだった。それは洪水だったのだ、全てを押し流す洪水。自分の感情でありながら、それは自分の感情ではなかった。一人一人の歓喜が他人とは区別がつかないほど混ざり合って、一つの巨大なヴォーテックスとなっていたのだ。一人の歓喜は、そのヴォーテックスの中に飲み込まれながら、それでいてそのヴォーテックスの一部だったということだ。癲癇のように体を痙攣させ、顔は興奮のあまり癩病のように膨れ上がって、そして白痴のように意味のない言葉を叫んでいた。泣いていた、とめどなく目から水を流していた。

 そう。

 そうだ。

 明日は、明日こそは。

 我々が勝利する日だ。

 そんな熱狂の中で……真昼は、たった一人、困惑していた。いや、違う、勘違いしないで欲しい。真昼はその熱狂自体に対して困惑していたわけではない。ダコイティが熱狂する理由を真昼は十分に理解していた。

 ダコイティは、今まで、何度も何度も打ちのめされてきた。強欲で理不尽なASKからいわれのない搾取を受け続けた。もう、あらゆることに限界がきているだろう、我慢に憎悪、絶望に苦痛。奪われて、奪われて、奪われて……それでも、彼ら/彼女らは立ち上がってきたのだ。

 そんな中で、パンダーラは。ダコイティのリーダーは、ASKの襲撃を生き延びた者は。決して、決して、勝利を、諦めて、いないのだ。勝利を疑わないということは、自分達の大義を、絶対的に信じているということであり、無条件に肯定しているということである。解放を、独立を、自尊を、それに何より、弱き者にも自分の生を生きる権利があるということを。それは、ともすれば敗北ゆえに自分の正しさを疑ってしまいかねない人間達にとって、どんなことよりも心強い導きの光となりうるだろう。だからこそ、ダコイティはこれほどまでに熱狂しているのだ。自分達は正しく、自分達は勝利する。それを信じさせてくれる、その言葉を、何よりも欲していたのだから。

 そして、それは……真昼も同じはずだ。正確には完全にイコールというわけではないが、真昼も、待ち望んでいたはずなのだ。正しくないことに抵抗することは、どんなに力弱い行為であろうとも、それは正しいことであると。絶対的な強者はいつか倒され、抑圧された弱き者達は解放されると。そういった、希望を、信じさせてくれる言葉。真昼はどんなにか待ち望んでいたはずなのだ。それなのに、それなのに……今、真昼は、それほどの熱狂を感じていたわけではなかった。

 それこそが。

 真昼の。

 困惑の。

 理由だった。

 一体……一体、どうしたのだろう。真昼もダコイティと一緒に歓喜したかった、興奮したかった。それなのに、自分の中の一部分、どこか奥の方が冷めてしまっていた。真昼には分かっていた、もしもアーガミパータに来る前の自分だったら、間違いなく熱狂の渦に飛び込むことができていたであろうことを。だが、今となっては……何かが、確実に、変わってしまっていた。

 変わってしまったことは知っていた。けれども、そこではないと思っていた。そこは真昼にとって絶対に変わってはいけないところだったからだ。そこに火が灯っている限り真昼は自分であることができた。でも、今、もしかしたら……その火が消えかけているのかもしれない。真昼は焦っていた。恐れていた。自分が、自分が、なくなってしまっているかもしれないことを。

 何が。

 何が。

 何が。

 自分から。

 失われたのか。

 真昼は……ほとんど暴風のような熱狂の中で。閉ざされた一艘の小舟のようにして演壇の上に目を向けた。縋るような、助けを求めるような視線。何からどうやって助けてもらいたいのか? 真昼には、それが分からなかったのだが……しかし、その時に、パンダーラが振り返った。石柱を向いていた体を、演壇の正面へと向ける。そして、ちょうど、真昼の視線とその視線とがぶつかり合うことになる。

 パンダーラは。

 すぐに、真昼に、気が付いて。

 そしてそれから、その視線は。

 まるで。

 真昼の。

 全てを。

 理解して。

 くれて。

 いるようで。

 暫くすると、パンダーラはその視線を外した。もう演壇から降りていかなければならなかったからだ。パンダーラと、それに六人のダイモニカスとは。石柱を右回りに戻って、門のところまで引き返して。それから、門の脇に侍っていた二人のダイモニカス(その一人はレンドゥだった)を引き連れて、小屋の中へと帰って行って。観客達の歓呼の声は続いている。鼓手達は狂った雷雲のように太鼓を叩き続けている。繰り返しは成し遂げられた。死んだはずの何かが蘇り、世界は再び力に満ちたものになって。

 どうやら、これで。

 この儀式、演劇は。

 終わりのようだった。

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