第一部インフェルノ #15
嵐の後は、いつも静かだ。
死と破壊との残響だけが。
亡霊のように眠っている。
#14が終わった後、大方の予想通り、デニーと真昼とが乗った送迎船はASKの領土と外側との境界を無事に通り抜けることができた。まあ、フォース・フィールドを捻じ曲げ引き裂く時に、多少揺れはしたのだけれど。そのくらいだ、ということで、ASKの領土から逃げ出すことができた送迎船は、今、荒野の上空をふわふわと漂っているということだった。ちなみにこの「ふわふわ」という語が示している通り、現在の送迎船の速度はだいぶんとスローなものになっていて、恐らく人間が全速力で走る時の速度とそれほど変わるものではない。
ラウンジの中は静かだった。真昼が呼吸している音、風と風とが掠れてるみたいな音が、規則正しく些喚ているだけで。そんなごくごく気まずい沈黙の中で、デニーは、暫くの間、魔学式を色々といじくって送迎船の被害状況を確かめていたのだけれど。ホロスクリーン(戦闘中に開いていたホロスクリーンとは違って送迎船のステータスを示した数字やグラフが並んだホロスクリーン)に映し出された情報から読み取れる限りでは、船体の大部分が壊滅的なダメージを受けていること、エネルギーがもうほとんど残っていないということ、それにミセス・フィストの少女達が最後に放った二発のガードナイト弾が着弾しており、外次元色力浸食現象が始まっているということ以外は特に心配な要素はないようだった。まあ、なるようになる時にはなるようになるし、なるようにならない時はなるようにならないということだ。そんなわけで、送迎船については、今のデニーにすべきことは何もない。
ということで、デニーがすべきことは。
別の、問題に、対処するということだ。
ここまでも何度か指摘してきたように、デニーちゃんは……賢い。とても、とても、賢い。だから、自分のような生き物とは全然違う種類の生き物であるところの真昼のような生き物について、どんなに異なった精神構造をしていたとしても、約一日一緒に過ごした今となっては何となく知ることができるようになっていた。どういう外界の影響に対して、どういう反応を示すのかということについて。さはさりながら……客観的な知識というものは、主観的な理解とは、全然違うものなのだ。
デニーは知っていた、完全に知っていた、あたかも色盲の人間が空の色は青色であると知っているかのようにして、完全に知っていたのだ。真昼が今抱いているだろう感情が悲しみという感情であろうということについて。だが、色盲の人間が青色という色を理解できないのと同じように。デニーには悲しみというものが理解できなかった。デニーは悲しんだことがなかった。怒ったこともなければ憎んだこともない。この世界に生まれてから、そういうマイナスな感情を一度も抱いたことがないのだ。デニーの見る世界はきらきらと輝いていて、そこには、いっぱいの喜びと、いっぱいの楽しみと、それにほんのちょっとのはちゃめちゃスタンピードがあるだけだった。
しかし、今。
真昼は、悲しんでいる。
そして、この状態のままでは。
間違いなく今後に支障が出る。
アーガミパータは。
落ち込んだままで。
生きていけるような。
場所では、ないのだ。
もしも、ここがアーガミパータでなければ。もしくは、アーガミパータから脱出できるということ、その時までは安全に過ごせるということ、その二つが完璧に保証されている状態であれば。デニーは真昼に対して自由に絶望させてあげていただろう。ある種の悲劇を演じることができるという意味では絶望も十分に楽しみとなりうる蓋然性があるのだし、デニーは他人の楽しみを邪魔するような野暮なやつではないのだから。
けれども、ここはアーガミパータなのであって。しかも何も保証されていない、脱出も、安全も、その鱗片さえも保障されていないのだ。真昼が今のままの状態でいれば、もしもいざということが起こった場合に一体どうなるか? ASKの領土から出た以上は、いつ、再びREV.Mの襲撃を受けるか分からない。それにASKが真昼のことを諦めていないという可能性だってある。そんな状況で、真昼のことをこのままにしておくわけにはいかない。少なくとも、真昼のことを、助けたいのであれば。
だから、デニーは。
対処しなければならないのだ。
真昼の、この悲しみに対して。
ホロスクリーンから目を離して。ちらっちらっみたいな感じで、何度か真昼に視線を向ける。真昼は……そのままの姿でいた、デニーがこの送迎船に、無理やり引っ張り込んだ時のままの姿で。全身から生きる気力みたいなものがすっかり抜けてしまったように、床の上にへたり込んで。凍えているかのようにしっかりと膝を抱え込んだ姿勢で、丸くなって、ただ座っていたということだ。うわー……ま、まひるちゃん……みたいな気持ちになったデニーであったが、そんなことをいってられる状況ではない。更に何度か、ちらっちらっと様子を窺って。それから、デニーは、果敢にも真昼の方に歩き出した。
歩き出した、といっても。
真昼は、すぐそこにいる。
五歩も歩かないうちに。
真昼の横に立っていた。
デニーは……屈みこむ。真昼は膝に顔を埋めてしまっていたので、表情を確認することはできない。けれども、これは確実なことであって、デニーちゃんはとっても賢いから分かってしまうのだが。今の真昼は間違いなくハッピーな表情をしていないだろう。だから、デニーは、ぽんっと、真昼の肩に手を置いてみる。ひどくそっとした、何かとても脆いものに、恐る恐る触れるみたいな仕草で。真昼は壊れることがなかったし、その手も振り払われることもなかった。なので、デニーは、思い切って言う。
「あの、その、えっと……」
思い切った割には、ちょっと口籠った感じだが。
そもそもデニーは、こういうことが苦手なのだ。
ほんの暫くの間。
なんと言おうか。
迷って。
遂に、こう続ける。
「真昼ちゃん……ごめんね?」
思いがけないデニーの素直さに……というのは真昼にとって思いがけないということであって、「絶対的な強者というものは常に他人に対する謝罪の言葉を躊躇うことはない、なぜなら口先だけの謝罪などでは強者の余裕は欠片も傷つくことはないからだ、むしろ必要であると思われる行為を無意味な誇りのためになすことができないということの方が弱者の証明である」ということを知っているピープルにとってはデニーのこの素直さは意外でも何でもないのではあるが。とにかく、その素直さに真昼は心を動かされたのかもしれなかった。デニーの触れていた肩が、少しだけ、ぴくっと反応を示したからだ。
「真昼ちゃんにとってはさーあ、大切だったんだよね。あの女の子。あのね、あのね、そのことは……デニーちゃんも分かってたんだよ。現地生まれの小さな女の子って、こういう場所にいる時には、何かとお役立ち!ってなることが多いもんね。売春させてもいいし、生贄にしてもいいし。先に送り込んで油断させることもできるし、相手が人間至上主義者なら盾にできるし、いざとなったら非常食にもなるし。真昼ちゃんが、大切だって思う気持ち、デニーちゃんもすっごくすっごくよく分かるの。」
何一つ分かってない。
びっくりするくらい分かってない。
マジかよってくらい分かってない。
まあ、でも、デニーちゃんは十分頑張ったよ! そうだよね、デニーちゃんにとってはそういう感じだもんね! 頑張った、頑張って分かろうとしたよデニーちゃん! 惜しい、むしろ惜しい! いや、むしろというならば……むしろ、これが正解では? 間違ってるのは真昼ちゃんだよね、デニーちゃんは間違ってない、何も間違ってないよ! そうそう、その通りだよ! デニーちゃんが間違ってるわけないよね! みたいな気持ちになるデニーの理解力ではあったが。それについて、真昼が、何か、反論するということはなかった。真昼は、真昼にしては珍しいくらい大人しく、ただ黙ってデニーの言うことを聞いているだけだった。
デニー、は。
更に続ける。
「でもね、真昼ちゃん……あのまま真昼ちゃんがね、あの子を取り戻そうとしてね、色々なことをしてもね。たぶん、無理だったと思うの。デニーちゃんは、そう思うんだよ。相手はASKで、デニーちゃんだって一つパスワードを解くのが精いっぱいだったんだもん。真昼ちゃんを閉じ込めてたやつのパスワードのことだよ。だから、もしも、あのまま、真昼ちゃんをあのままにしてたら……きっと真昼ちゃんも、ASKに捕まっちゃってたと思うよ。そうなってたら、あの女の子だけじゃなくって、真昼ちゃんも助かってなかったってことだよね。だから……だから、デニーちゃんは、真昼ちゃんのこと、無理やり引っ張ってきたの。このシャトルシップの中まで。」
そこで、一度。
言葉を止める。
真昼の背中を、何度か撫でてみる。
優しく、優しく、愛撫するように。
それから。
その手つきよりも。
もっと優しい声で。
こう続ける。
「あのね、真昼ちゃん……真昼ちゃん、きっと、分かってないんだと思うんだけど。真昼ちゃんは、すっごく大切な子なんだよ。あの女の子なら、代わりはいくらでもいるよ。そこら辺にある小さな村をちょっと襲たりすればさ、あっという間に十人くらいはげっと!できちゃうよ。もちろん、女の子以外の人達を皆殺しにしたりしなきゃいけないのは、ちょっとだけ面倒だけど。でもね、真昼ちゃん……真昼ちゃんに、代わりはいないんだよ。真昼ちゃんにできることは、真昼ちゃんにしかできないことなの。真昼ちゃんは、あの女の子より、ずっとずっと大切なの。少なくとも、デニーちゃんにとっては、とってもとっても大切なの。だから……だからね、デニーちゃんは、真昼ちゃんのこと、絶対に助けてあげる。ここから、アーガミパータから、連れ出してあげる。その代わり……デニーちゃんからの、お願いがあるの。えっとね……それは、こういうこと。もっと、自分のことを、大切にしてね。」
この言葉、もしも客観的に聞いたのならば。
これほど白々しく、これほど惨たらしく。
これほど身の毛がよだつ言葉もないだろう。
要するに、デニーにとって。役立たずな生き物にはなんの価値もないということを言っているのだ。善意や博愛、同情といった感情が、デニーの心臓の内側、そもそも存在さえしていないのだということが、このセリフからはよく分かる。それでいて、そのセリフは……まるで真昼のことを気遣い、真昼のことを元気づけてようとしているかのように聞こえる。それが、たまらなく薄気味が悪い。人間の心のことなど何一つ知らない蛆虫に、優しく優しく口づけでもされているみたいに。
仮に真昼が役立たずになってしまったら? そして、それは、十分にありうることだ。デニーにとっての真昼の価値は、ただ一点、静一郎との関係性の構築という一点において存在しているに過ぎない。その一方で静一郎は真昼のことをどう思っているのか? 静一郎が、真昼のことを、愛しているとでも? そんな、まさか。そんなことは兎が魚を愛するよりも有り得ないことであって。つまり、デニーにとっての真昼の価値は、それほどに危ういということなのだ。仮に……仮に、真昼の価値がなくなってしまったとしたら? そうなれば、デニーは、真昼のことを、いとも容易く見捨ててしまうだろう。それこそマラーのことを見捨てた時のように。なんの痛痒も感じることなく。
それゆえに。
このセリフは。
悍ましいのだ。
少なくとも。
まともな思考能力を。
持つ者に、とっては。
けれども……しかし。真昼にとってはどうだろうか? それも、現在の、この時の、真昼にとっては。デニーちゃんの鋭い洞察力にもかかわらず……実は、デニーちゃんの推測、今の真昼が抱いている感情が悲しみであるという推測は、実は完全に正しいと言い切れるものではなかった。確かに真昼は悲しんでいたのだが、それだけではなかった、それ以上に真昼の心を占めていた感情があったということだ。それは、自己嫌悪。自分が、何の役にも立たない人間であるばかりか、それ以上に有害な人間でさえあるということに対する憎しみにも似た絶望感。
真昼は、自分が、どれほど力弱い人間であるかということさえも考えることなく。ただただ自分勝手にマラーのことを救おうとした。その結果として一体何を起こしてしまっただろうか? 真昼が死にかけたということについては、まあいい。自業自得だし、そもそも真昼の命には大した意味もないのだから。しかし……結局、真昼は、マラーのことを救うことができなかった。あれだけ希望を抱かせておいて、真昼は、マラーのことを、あの場所に取り残していったのだ。マラーが見せた最後の表情をお前は見たか? お前は、あの表情を、見たのか? 真昼が自分のことを助け出してくれるのではないかという、有り得ない希望に縋って。蝋燭の灯が消える前の最後の輝きのごとく輝いたあの顔を、お前は、ちゃんと、見ることができたのか?
しかもそれだけではなかった。真昼の命、大した意味もない真昼の命を救うために、デニーが、デナム・フーツが、傷を負ったのだ。このことが真昼の精神に及ぼした影響は、ひどく深刻で、ひどく複雑なものであった。もちろんデニーが傷を負ったことそのこと自体について気に掛けたわけがない。もしも真昼には何の関係もない状況下でデニーが致命傷を負ったとしても。真昼は痛くも痒くもないだろう。むしろ、そこら辺のコンビニでヴロキーの小瓶か何かを買ってきて、ささやかではありながらもオンザロックな祝杯さえあげるだろう(真昼は未成年ではあったが結構いける口だ)。なぜなら真昼にとってのデニーはすなわち静一郎なのであって、それは真昼がもっとも憎んでいる種類の生き物であるからだ。
だが今回のデニーの負傷には真昼が関わっていた。それどころか、デニーは、真昼のことを庇って傷を負ったのだ。デナム・フーツが? 砂流原静一郎と同じ種類の生き物が? 真昼にとって、そんなことは有り得ないことだった。有り得てはいけないことだった。真昼のわがままのせいで、デニーが傷ついて。真昼のことを助けるために、デニーが傷ついて。真昼には訳が分からなかった、寒気がした、吐き気がした、全身の血管の中で血液が熱を持ち、暴れまわっているみたいだった。本来ならば――これはあくまでも真昼にとっての本来であるが――真昼が善人の側に立っていて、デニーが悪人の側に立っているはずだった。けれども今回は? 真昼は、まあ悪人というほどではないにしても、エゴイスティックであった。その行動は盲目的で自己中心的であった。その一方で、デニーの行動は、確実に善人のそれだ。慧眼的であり、自己犠牲的であり、誰かを救うために行動して、実際に誰かを救ったのだから。そして、その誰かというのは真昼であった。
軽蔑すべきデニー。
唾棄すべきデニー。
そんな憎しみの対象に。
真昼は、救われたのだ。
これで物事をまともに考えられるはずがない。
真昼の頭の中では、たった一つの言葉だけが。
ぐるぐる、ぐるぐると、回転している。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして。
真昼は……のろのろと顔を上げた。まるで地球最後の日の星々が天球へと昇っていくみたいに。それから、肩に置かれていたデニーの手、そろそろと真昼のことを撫でていた手、に、向かって。おずおずと自分の手を伸ばす。
真昼の手は、デニーの手に触れて。その手を、真昼の顔の前へと持ってくる。ちなみにデニーはされるがままだった、特に逆らう理由もないから。この手は……真昼のことを庇った手だ。真昼を打ち抜くはずだった弾丸を、受け止めた手。真昼は、剥製にされた魚みたいな目をその手に向けて。そのあとで、こう言う。
「あんた……」
「なあに、真昼ちゃん。」
「どうしたの……?」
「ほえ?」
デニーの手を見て、何だかはなはだ驚いているような真昼の口調に。デニーは怪訝そうな顔をしてそう言うと、真昼のことを豆腐かな何かだと思っていて、しかもそれは木綿ではなく絹漉なのだが、とにかくその豆腐を傷付けないようにしているみたいに、そっとしてその手を自分の方に戻した。
その手のひらにその視線を落として。
大して危機感を抱いてなさそうな声。
「ふわぁ。」
独り言。
みたいに。
こう言う。
「すーっかり忘れちゃってたよお。」
その手は先ほども書いたようにガードナイト弾が着弾した方の手であって、それゆえに手のひらの真ん中にはガードナイト弾が埋まっていたのだが。そのガードナイト弾から、周囲の組織、肉・骨・皮膚に向かって、「何か」が浸食を開始していたのだ。「何か」、何であるのか真昼には全く理解できないもの。それでも、もしも真昼に理解できる言葉で表現するとすれば……それは「色」だった。ガードナイト弾を構成している「色」と同じ、明らかにこの世界に存在するスペクトルとは異なったスペクトルを発する色。それ自体が何かの意思を有していて、その意思によって色づいているとでもいうかのような色。そんな「色」が、あでやかな疫病のようにして、デニーの肉体の上に広がっていたのだ。
その「色」は手のひらの中心から始まって、既に指先までを染め抜いていた。それだけではなく反対側では手首にまで達している。その症状は、恐らく壊死に似ていた。いや、似ていないかもしれない。とにかく、それは、奇形であった。皮膚のところどころがめくれ上がり、その内側では肉が泡立っていた。生理的な嫌悪感を感じさせる形によって、ぼこぼこと骨が突き出ていて。その骨が、ゆっくりと震えている。それでいて、そんな状態で触れていたにもかかわらず……触れられていた真昼の肩には、液状化した皮膚や腐った肉のようなものは一切付いていなかった。その代わりに何か、さらさらとした灰のようなものが付いているだけで。そして、その灰は、要するに、ガードナイトによって全てのエネルギーを吸い取られてしまったデニーの細胞の慣れの果てだった。
「忘れてたって……これ……」
「だいじょーぶだいじょーぶ、気にしないで。」
デニーの、その手に。
何が起こっているのか、全然分からないで。
明らかに心配して、恐れてさえいるような。
そんな顔をして、目を上げてきた、真昼に。
デニーは。
大したことじゃないとでもいうみたいに。
いい加減な感じで肩を竦めながら、言う。
「ただの色力浸食だから。」
それから真昼の横に屈みこんでいたその姿勢をぴょこりっとでもいうように立ち上がらせた。名状しがたい色をした奇形の手のひら、右の手のひらを、光に透かすみたいにして窓の方に向けて。目の前でひらひらとさせて、その動かした角度でも確かめるみたいに、ぼんやりと……そして明らかに、その手に関する全ての出来事が、全くの他人事であるみたいな目つきで眺めながら。デニーはそのままラウンジの奥の方へと向かう。向かう先にあるのは、つまるところ、あのバーカウンターだ。
バーテンダーのいないバーカウンター。デニーは、その前に立つと、蚊に刺されたところがちょっと気になるみたいな視線を右手の甲に落としたままで。特に感情を込めることもなく、ただぽつりと呟くみたいにして言う。
「ナースティカ・ナイフを、一本、下さいな。」
すると。
そこに。
バーカウンターの上に。
一つのナイフがあった。
昨日のデニーが真昼のために水を頼んだ時と全く同じだ。いや、デニーのテンション的にはだいぶん違っていたのだが、それ以外の現象については全く同じだったということがいいたいのだ。冷たく曖昧な、ぼうっとした青い光が、ほんの一瞬だけ光ると。その光の中から、ナイフが現れたということ。
そのナイフは真昼が知っているタイプのナイフとは少し違っているようだった。長さとしては三十ハーフディギトくらい、この点は普通の包丁とさして変わらないのだが、その薄さが異様だった。偏執的な気質がある鍛冶が作ったのかと思うほどの薄さ、紙よりも薄いんじゃないかと思うくらいの薄さだ。そんな薄さでありながらも、刃の根元のところには、非常に装飾的なノッチが刻まれていた。また、その刃は先端から三分の二当たりのところでくにゃりと曲がっていて、「く」の字みたいになっている。持ち手は大した装飾もない木造りのもので、ちょうど人間の手で持ちやすいくらいの円筒形だ。
これは先ほどデニーが言った通りのナイフ、つまりナースティカ・ナイフだ。アーガミパータで最も一般的に使用されているナイフで、伝えられているところによれば、名前の通り、無教の信者が発明したナイフなのだそうだ。最初は主に狩猟、そして儀式に使う生贄を屠るために使われており、やがては戦闘にも使われるようになった。そのため肉を削ぎ骨を刻むのに最適な形状になっているということだ。ちなみに「ナースティカ・ナイフ」という呼び方はパンピュリア共和国やエスペラント・ウニートといった国々で使われている通称であって、アーガミパータにおいてはそれぞれの言語ごとに様々な呼び方がある。
さて。
デニーは。
左手で。
そのナイフ。
持ち上げた。
それから、ちょこんと飛び乗るみたいにしてバーチェアに座ると。別に何ということもない態度で右腕をバーカウンターに置いた。肘のところから指先まで、ぴったりとくっつけるみたいにして、手の甲を上にして置いたということだ。その右手の、大体手首の辺りにナースティカ・ナイフの刃をそっと置くと。いかにも無造作に刃を下ろした。
もちろん。
いうまでもなく。
その結果として。
デニーちゃんの、可愛らしい右手は。
笑ってしまうくらいに、あっさりと。
すとんという音。
切り落とされる。
「ひっ」という音がする。真昼の息が真昼の喉に掠れた音だ。アーガミパータで約一日の間生き延びたことで、他人が死ぬことには慣れてきたようだが。「他人ではない人間」が傷付くことについては、実のところ、まだそれほど慣れてはいなかったのだ。ちなみにこの「他人ではない人間」という表現には、真昼のデニーに対するアンビバノンノな感情が表現されているのだが、それはまあおいておくとして。とにもかくにも、デニーは、自分の右手を切断したのだった。
奇妙なことに血は出なかった。少なくとも真昼が見ているところ、少し離れた距離からは血が出たことは確認できなかった。その事実が真昼に対して眩暈がするような非現実感を与える。デニーは、要するに、その切断によって、自分の肉体のうちの、あの悍ましい色の浸食によって見るも無残になってしまっている部分、それを全て切り離したということらしかった。その事実を、自分の右手首、切断面をしげしげと眺めることによって確認できたらしい。デニーは、とても満足そうに「んー、ぱーふぇくとっ!」と言いながら、左手で持っていたナイフをカウンターの上に置いた。
「色力浸食だよ、真昼ちゃん。ちゃんとした言い方だと外次元色力浸食現象だけどね。ガードナイトが、周りにあるエネルギーをぜーんぶ吸い取っちゃって、からっぽのすっからかんにしちゃう現象のこと。魔学的な力も科学的な力もかんけーないっ!て感じだから、マホウ界の物質にもナシマホウ界の物質にもダメージを与えられるの。それで、ちゅーってされちゃうと、残るのはさらさらって感じの灰だけになっちゃうってわけ。」
デニーはそんなことを言いながらふりふりと右の腕を振っていた。恐らくこれは、右の手が残っていたならば、その右手の人差し指をぴんと立てて、その人差し指を、まるで先生か誰かがするみたいにぴっぴっと振る感じの行為だったのだろうけれど。だが、現状ではデニーの右手首から先は存在しておらず、そのため、右の腕だけを棒切れを振り回すみたいに振り回す形なってしまっていて、なんとなく滑稽だった。
残った左手で、カウンターの上の右手を掴んで。デニーは、カウンターチェアから、すてんっと飛び降りていた。それから、デニーはカウンターから離れて、今度は窓の方へと向かっていた。「でも、ガードナイトが浸食現象を起こせるのは直接接触してる物体だけなの。ここでいう接触はふつーの意味の接触じゃなくて、次元間接触のことなんだけど……まあそれはいいや。とにかく、それだから、こうやって切り取っちゃえばだいじょーぶってわけ。こうすればガードナイトはデニーちゃんのことを浸食できなくなっちゃって、めでたしめでたしってこと!」。
更に続けてそんなことを喋りながら(だんだんとデニーちゃんのおしゃべりパワーも回復してきたようだ)、デニーは窓のところまで辿り着いていた。窓は、ASKのドローンによって傷付いたまま、つまりそこここに罅が入ったままの状態であったが。デニーは、自分の右腕、手首の切断面のところで、その窓の真ん中の辺りのところを、とんっと突っついた。
すると、ふおん、とでもいうように。窓に穴が開いた。デニーの触れたところを中心にして、直径三十ハーフディギトくらいの大きさの穴だ。プラスチックを燃やした時のような、それを早回しした時のような、そんな不自然な様子で開いた穴であって。そして、デニーは、その開いた穴から、左手で持っていた自分の右手をぽんっと放り投げた。
デニーの。
右手は。
くるくると。
回転しながら。
落ちていって。
「はい、おしまい!」
そう言うと、デニーはまた窓に触れた。窓に開いた穴の縁のところで、そういえば……この送迎船は、速度はそれほどではないにせよ、高度においてはそれなりのところを飛んでいるはずで。そうであるならば気圧の関係上、何らかの空気の流れがあってもおかしくないはずなのだが。なぜか、そういうことはないようだった。とにかく、デニーはまた窓に触れて、そして、窓の穴は、開いた時と同じような態度、すっと閉じたのだった。
一方で、そんなデニーの行動を見ていた真昼は。「おしまいって……」と言ったきり絶句してしまった。確かにデニーは、自分の手のひらに埋まっていたガードナイトを、ガードナイトによって浸食された部分ごと切除した。たった今デニーがした説明が正しいのなら、そしてそれは正しいのだが、この切除によってデニーの肉体が異様な変貌を遂げていくことを防げるだろう。しかし……そうだとしても。
平常通りの軽やかなステップによってデニーは真昼のところまで戻ってくる。大変ご機嫌なご様子で、どうやらガードナイトを切り離したことによってそこはかとなくすっきりした気持ちになっているらしい。そんなデニーの肉体のうちで、真昼が見ている部分は、ほとんど畏怖と呼んでもいいような感情と共に見つめているのは、無論、デニーの右手だった。正確にいえば右手があったはずの場所。
その部分は、真昼が思ったほどに、残酷というか、生々しいというか、そういう感じの切断面ではなかった。真昼が想像していたのは肉の塊だ。盛り上がった肉の塊。血液でべっとりと赤く濡れて、そこここから千切れた血管が出ろりと垂れている。ところどころ黄色く滲んでいるのは脂肪で、縮れた繊維状になっているのは筋肉で。そして、真ん中からは、硬質の、白色の、ぼこぼこと穴が開いた、骨の塊が覗いている。そんなものを真昼は想像していた。しかし、デニーのそれは。どちらかといえば……例えば、生起物でできた懐中電灯みたいだった。
あのナイフ、ナースティカ・ナイフとかいうナイフは、よほど切れ味がよかったのだろう、と真昼は思った。すっぱりと切り取られた切断面は、平らで、真っ直ぐで、盛り上がったり、血管が垂れていたり、そういった惨たらしさは一切ない。そして、その切断面は……奇妙な光によって、きらきらと光り輝いていたのだ。その光はひどく眩しくて、ひどく美しくて。それでいて、まるでこの世界の始まりの日の朝みたいに禍々しい光だった。とても強烈でありながら、真昼の目を眩ませることがない。そんな光を、真昼はどこかで見たことがあると思ったが――そして実際、今もその光を見ているのだが――それが何の光に似た光なのか真昼にはよく思い出せなかった。とにかく、まるで懐中電灯のように、そんな光を放っていて。そのせいで、その断面がどのような有様なのかということ、真昼にはよく分からなかったということだ。
ただ、そうだとしても。
断面の状態が分からなかったとしても。
切断されているということは、分かる。
「それ……」
「それ?」
辛うじて絞り出した、真昼の声。
デニーは、怪訝そうに聞き返す。
「その右手……」
「右手? ここにはないよお、さっき捨てちゃったからね!」
そう言って、デニーは。
手首の断面を見せて。
けらけらと笑った。
デニーのことを少しは理解してきたと思っていたのだが、どうやら自分のことを少しばかり過大評価していたらしい。想像していた以上に話が通じないことに、ちょっとした感動さえ覚えながら、真昼はそう思った。とはいっても感動ばっかりしてもいられない、デニーと何らかのコミュニケーションを取らなければならないのだ。何かしらを質問して、何かしらの答えを得なければならない。だから、真昼は……どうしようもない阿呆みたいな質問だと思いながらも、こう問いかける。
「何で……」
「ほえ?」
「何で、光ってるの。」
「何でって……えーっと、魔学的な力で?」
「魔学的な力?」
「そうそう、それそれ。」
「治癒学ってこと?」
「んー、そんな感じかなあ。」
何となく歯切れの悪い答え方ではあったが、一応のこと納得のできる答えだった。なるほど、そういえばデニーは魔学者だった。しかも治癒学者ということだ。ということは、こういうタイプの出来事に対処するのはお手の物というわけだ。きっと、自分の右手を切断する前に、何らかの魔法を使っておいたのだろう。だから出血もせず、痛みも感じなかったに違いない。そうでなかったら、自分の手を、あんな風に、あっさりと切断するなんて、できない、できるはずがない。真昼は、そう思ったのだ。
それでも、どうしても気になって。
真昼は、つい、問いかけてしまう。
「痛くないの。」
「ほえ? にかいめー。」
「右手……その、切ったところ。」
「んもー、真昼ちゃんってば! 普通のさぴえんすじゃないんだから、デニーちゃんには痛いなんて感覚はないよ!」
「痛くないってこと?」
「うん!」
痛くないようだ。
それはなにより。
ばーっとした笑顔を見せながら、右手(が先についていたはずの手首)をぶんぶんと振り回しているデニーのことを見ながら。真昼は……ほんの一瞬だけ、全ての出来事が馬鹿らしく思えてしまった。これは精神的な現象というよりもむしろ肉体的な現象といった方かもしれない。真昼は、感情のレベルでは、もちろん馬鹿らしいとなんて思っていない。何もかも真剣なことで。でも……ほとんど、生理的な現象として、脊髄の反応として。世界の全てから、意味が失われていくような感覚に捕らわれたということだ。それはあたかも脳の一部が切除されて、自分の見ている視界の中から、すーっと色彩が失われていくように。
自分の額、そっと押さえて。
溜め息でも、つくみたいに。
真昼は、また。
デニーに、問いかける。
「手が……」
「ほえ? さんかいめー。」
「手がないと、不便だよね。」
真昼はマジで死んでもデニーに謝りたくはなかったのだが、それでもその右手に関しては自分のせいであるという完全な自覚があったのであって、そうなると普通の人間であれば、いい換えればサテライトでもなければ、罪悪感を抱くものだ。ということでサテライトではないところの真昼は「死んでも謝りたくない」という強い思いと罪悪感との間で板挟みになっていたということである。ということで、はっきりとした謝罪の言葉ではないにせよ、自分はその右手に対しての責任を感じていますよということを表す曖昧な言葉を、真昼は吐かざるを得なかったのであって。別に右手がないと不便かどうかということを本気で聞きたかったわけではない。さはさりながら……デニーが、そういった真昼の心の機微を理解できるはずもないのであって。馬鹿正直にこう答える。
「んー、別に、そうでもないよ! デニーちゃんは賢いから、おてて、両方とも使えるしね。それに、まあ、気が向いたらまた生やしてもいいし。」
「生やす?」
「うん! え? あー、そっか。普通のさぴえんすって肉体の再生ができないんだっけ。そうだよね、デニーちゃん、いつもはリュケイオンとか通称機関とかの人としか会わないから、すっかり忘れちゃってたよ。」
そう言いながら。
デニーちゃんは。
可愛らしく。
悪戯っぽく。
ぺろっと舌を出して見せた。
真昼は、そんなデニーの仕草に……もちろん、そのことを本人は認めないであろうが。漠然とした、とりとめのない、救いのようなものを感じていた。いや、それを救いというのはあまりにも不正確であろう。どちらかといえば、それは有ると思っていた罪の欠如だ。デニーは……デニーは、まるで気にしていなかった。真昼がしたことを、真昼がしたことによって、自分の身に起こったことを。そして、それは、実際に大したことではなかったのだ。少なくともデニーにとっては。真昼のせいで失った手はいつでも生えてくる。デニーは気にしていない、全然気にしていない。その出来事は、デニーにとっては、本当に、どうでもいいことで。
無差別な無関心が救済になることもある。
今の真昼にとって、そういうことだった。
デニーは、そんな真昼に対して。残っている方の手、左手で、自分のほっぺたをつんっと突っついて、愛くるしく首を傾げて見せると。それからその手のひらはひらっと動いて、その中指によって真昼の顎をくっと持ち上げた。きゅっとした愛らしい表情のままで、真昼の顔を覗き込んで。へらっという感じ、いかにも子供っぽい顔をして笑った。「ちょーっとだけ落ち着いたみたいだね、真昼ちゃん!」と言う、もちろん細かいところは全く理解していないだろうが、だんだんと冷静になってきた真昼の精神状況を、なんとはなしに察することができたのだろう。
真昼は……そのようなデニーの行動について、自分が、思ったよりもイラっとしていないということに純粋に驚いていた。当然ながら、全くイラっとしていないというわけではない。だが、今までデニーに対して覚えてきたイラっに比べてみれば、それはまるで手のひらの上で溶けてしまう柔らかい淡雪のようなイラっであったということだ。
そんな自分の気持ちを誤魔化すみたいにして、顎に触れているデニーの手を、ぱしっと叩いて払うと。暫くの間、何も言わず、俯いたままで、黙って口を閉じていた。黙るも口を閉じるも同じ意味ではあるが、これは真昼が戸惑っていることをニュアンスとして表す重言だ。何かを言ってしまえば……それがデニーを罵倒する言葉であれば、きっと、今そんな言葉を口にすれば、嘘っぽく聞こえてしまうだろう。かといって、デニーに対して何かの感謝を意味する言葉を口にしようなんていうこと、真昼が考えるはずもない。例え三千大千時空の兎を皆殺しにしたところで、だ。三千大千時空のホビットは四大霊長戦争時に実際に(一兎を除いて)皆殺しにされてしまっているのでこの比喩表現を未だに使用することには躊躇いを覚えるのだが、まあそれはどうでもいいとして。ということで、真昼は何も喋ることができなかったのだ。
デニーも……恐らくは、漠然とではあるが、デニーちゃんも今はお口を開かない方がいいかなー?みたいなことを考えたのだろう。真昼が何も言わないうちは、何も言わないままであったが。やがて、真昼が、ふっと顔を上げた。といっても、視線を向けたのはデニーの顔ではなくデニーの左手首、その切断面であった。きらきら光る、偽物みたいな、切断面。それは、あまりにも現実感がない傷口であって……はっと気が付いた時には、真昼は、その傷口に向かって手のひらを伸ばしていた。母指球と小指球の間のくぼんだ所で、包み込むみたいにして、触れる。ぱちぱちと静電気が弾けるみたいにして、うっすらとした痛みを感じた。放たれている光が、真昼の皮膚を突き刺して、その奥にあるものをチクチクと刺しているかのような感覚。傷口は柔らかくて……そして、冷たかった。凍り付いた死体みたいな冷たさだ、デニーにぴったりの冷たさだ。それは、概して真昼が思った通りの触り心地であって。真昼は、安心して、それから手を離すことができた。
そして。
真昼は。
口を開く。
「一体、何が起こったの。」
「真昼ちゃん、あいまーい!」
「あの場所で、何が起こったの。」
真昼の、ひどく真剣な口調。
デニーは、ちょっとだけ考える素振りを見せて。
それから、噛んで含めるみたいに、話し始める。
「デニーちゃんはとーっても賢いから、最初からこうなるんじゃないかなーって思ってたんだけどね。でもでも、他に行くところも思いつかなかったし。だから、仕方なくあそこに行くことにしたの。何が起こったのかっていうとね、つまり、ASKが、真昼ちゃんのことを、捕まえちゃうぞ!って決めたっていうこと。ASKがいっちばーん欲しいって思ってるのはさーあ、情報でしょ? もちろん色々なものを売って、お金をたーっくさん稼いではいるけど、それはあくまでも情報を手に入れるための手段として稼いでいるだけで。そもそもASKは神々と同等かそれ以上のパーティクルだから、エコン族のこんすぴらしーに引っかかるはずもないもんね! と、に、か、く、ASKはASKが知らないことを、絶対に知りたいと思ってて。真昼ちゃんのことを使えば、そういうことを知ることができると思ったわけ。それで、「Mrs. Fist and her five daughters」にそのお仕事をさせることにしたの。
「真昼ちゃんは……うん、知らないみたいだね。えーっとね、「Mrs. Fist and her five daughters」っていうのは、共通語に直すと「ミセス・フィストと彼女の五人の娘」っていう意味なんだけど、真昼ちゃんも会ったあのミセス・フィストと五人の女の子のことだよ。世界各地にあるASKの支店の一つ一つに、まーったくおんなじミセス・フィストと五人の女の子が一組ずついてね。そういう支店の責任者をしてるの。んあー……デニーちゃん、さっきから「五人」とかっていう言い方してるんだけど、これはあんまり正しくないかなあ。だってー、「Mrs. Fist and her five daughters」はー、さぴえんすのみんながゆーところの生物じゃないからね。ASKが作ったハンドロイドっていうオートマタなの、だから、一個、二個、三個って数えた方がいいのかも。んー、でも、一人、二人、三人って数えるのに慣れてるから、やっぱりそういう言い方するね。それで、「Mrs. Fist and her five daughters」はASKのマネージャーとして作られたハンドロイドなんだけど、でもね、それだけじゃないの。ASKが作った兵器の中でも、すっごくすっごくつよーい兵器のうちの一種類。つまりね、その一組一組が、盤古級対神兵器っていうこと。
「真昼ちゃんも対神兵器は分かるよね? デウス・デミウルゴス種を殺せるくらいつよーい兵器。盤古級がどのくらい強いかっていうのは知ってる? そーそー、愛国が決めた等級の中で三番目に強い対神兵器っていうことだね。あーっと、もちろん普通の時はそんなにどっかーんって感じの「力」を使うわけじゃないよ。そんなことしたら、この星がぽんってなっちゃうからね。普通の時は使える「力」を限定してて、相手によってその限定を解除してるっていうこと。さっきデニーちゃんとわちゃわちゃした時にも、デニーちゃんがほら、こんな感じだから、全部全部の力は出してなかったけど。それでもやっぱり対神兵器だから、デニーちゃんとしても足止めするのが精いっぱいだったの。デニーちゃんも、やっぱりぜーんぶの力を出せるわけじゃないから。
「え? あー、あれ? HOL-100だよ。デニーちゃん用にちょーっとだけ改造したやつだけどね。鉄とかの無機金属を使うところに赤イヴェール合金を使ったりとか、バレルの内部に魔学式を書き込んだりとか、そういうところ! えーっと、もしかして真昼ちゃんって、HOL-100のこと見たことない? うーん、まあそうだよね、これってノスフェラトゥしか使わない系の拳銃だし。HOL-100っていうのはね、パンピュリア共和国の国営企業が作ってる拳銃で、そもそもセミフォルテア弾を発射するために作られたものなの。だからあんなふうな形、すっごく大きくて、すっごく硬くて、すっごく強そーな形だーってわけ。デニーちゃんもセミフォルテア弾とか、あとは詩弾とか、そういう弾丸を使うことの方が多いから。普通の拳銃よりもああいうのの方が使い勝手がいいんだよね。え? どこからってどういうこと? 拳銃をどこから出したって……あははっ、決まってるじゃーん! デニーちゃんのオルタナティブ・ファクトからだよー。
「それはまあいいとして! ASKの作戦としては、たぶんね、こんな感じだったんだと思う。とりあえず、真昼ちゃんのことを調整光子檻で捕まえておいて。それから、five daughtersの子達がデニーちゃんのことを無力化する。そうすればASKは真昼ちゃんのことを好きにできるっていうわけ。本当はさーあ、真昼ちゃんのことを短距離テレポートで別の部屋に送っちゃいたかったんだと思うんだけどねー。そうした方が、ぜーんぜんやりやすいし。でも、そうするとデニーちゃんが真昼ちゃんに、はいって渡してた「賢しら」の詩弾が、テレポートの周波数を特定しちゃうから。ASKとしてもできなかったってわけ。
「と、いうことで! そーんな感じの戦闘計画をもとにして、five daughtersの子達はがおーってしてきたんだね。んあー、そうそう、ミセス・フィストはすぐにいなくなっちゃったけど、でもあれはいつものことだよ。ミセス・フィストはASKと……今デニーちゃんが言ったASKっていうのは、会社のお名前じゃなくてCIPOのお名前だよ。それで、ミセス・フィストはASKとfive daughtersのリレー・ポイントだから。まあミセス・フィストがいなくても動かすことはできるらしいんだけど、デニーちゃん、そこら辺のことは分かんないや。とにかく! がおーってしてきたfive daughtersの子達を、デニーちゃんはえいやって迎え撃ったわけ! それから、それだけじゃなくって。ASKがそういう作戦を立ててくるだろうなっていうことは分かってたから……デニーちゃんはとーっても賢いからね! だから、あらかじめ真昼ちゃんに「賢しら」の詩弾を渡しておいたの。あれがあれば、調整光子檻を解除することができるし、真昼ちゃんが調整光子檻から逃げ出せれば、あとはシャトルシップで逃げるだけだからね!
「え? 送迎船のこと? んもー、真昼ちゃんってば! あの時一緒にいたじゃない! え? あの時だよ、あの時! シャトルシップで、壁のところから製錬所まで送ってもらった時……あー、でも真昼ちゃん……そーいえば、ずーっと寝てたもんね。えーっと、あの時にね、デニーちゃんは、シャトルシップのテーブルのところに魔学式を書いておいたの。遠隔操作ができるやつね。もちろん、ASKの子達には見らんないように、書いた後で痕跡は消しておいたけどね。で、その魔学式を使って、シャトルシップをあの会議室に突っ込ませたってわけ! ほら、もともとあのシャトルシップ自体が魔力の塊みたいなものでしょーお? だから、ぱぱーって動かすのはすーっごく簡単だったよ!」
読者の皆さんとてサテライトでもあるまいし、こんなことをいわれなくても既にお分かりのことと思われますが、念のためにご説明させて頂くと致しますと。ここでデニーが言っているのは、#9の中盤辺り、真昼が目覚める直前まで、円形テーブルに何やら書き込んでいたあのいたずら描きみたいな絵のことだ。あのいたずら描きは、あまりにも複雑で、あまりにも難解で、ぱっと見ただけでは、リュケイオンの教授レベルの知識でも持っていない限り、あれを魔学式であると理解できないほどであったのだが。どうやら、その魔学式によって、この送迎船を遠隔操作したらしいのだ。また、これはデニーのセリフに対する付け足しになってしまうのだが、その時に書かれた魔学式の一部が、この送迎船を発進させる時やドローンを迎撃した時に使った魔学式でもある。
ちなみに。
CIPOとは。
チーフ・インフォメーション。
プロセッシング・オフィサー。
の。
省略形。
です。
さて。
デニーの言葉。
その、続きだ。
「それで……んー、大体がデニーちゃんの予想通りに進んだってわけ。真昼ちゃんがあんなにあの女の子のことをあどへらんす!したのはちょーっとだけ想定外だったけどね。さぴえんすって……たまによく分かんないものに拘泥するよね。でも、まあ、最後の最後には真昼ちゃんのことを助け出せたし、めでたしめでたしってところかなっ!」
デニーはそう言い終わると。
透き通った、太陽みたいに。
にぱーっと笑ったのだった。
ただし、その直後に、ほんの一瞬だけ。その太陽に影のようなものが走った。影といっても、冷たくも重たくもない影で、どちらかといえば……冷酷な明晰さのようなものだ。ほんの僅かの、疑問というか推測というか、そんな顔をして。デニーは「でも、ほんのちょーっとおかしかったけどね」「あんなふうに……全部、全部、思った通りになるなんて」と呟いたのだった。
まあ、とはいっても、真昼はそんなデニーの呟きのこと、もう聞いてなんていなかったのだが。デニーの方を見もしないで、憂鬱の角度で俯いたまま、一言も口をきくことなくデニーの言葉を聞いていたのだけれど。そのセリフの最後のところ、具体的にいうと「真昼ちゃんがあんなにあの女の子のことを」の辺りで、その顔を、その両手のひらで、そっと覆ってしまったのだった。俯いたままで、この世界の全てのものから自分の両眼を隠しているみたいにして。真昼は、自分の手のひらで、自分の顔を包み込んで。それから、暫くの間、その姿勢のままでいた。
やがて。
そんな真昼の肩が震え始める。
最初はなんとかして押さえつけているかのように。
ほんの少し、分かるか分からないか程度の振動で。
次第に、次第に、その震えが、大きくなっていく。
そして、ようやく分かるのだ。
ただ震えているわけではなく。
それは。
無感情で。
絶望的な。
嗚咽であると。
真昼が今まで示してきた感情表現、この物語で示されてきた感情表現とは、明らかに違っていた。荒れ狂う嵐みたいな、傲慢で、愚劣な、爆発的な激情ではなく。そもそもそれは感情表現でさえなかった。本当に、単純な、生理的な現象。涙腺から涙液が分泌され、横隔膜が痙攣する。真昼は涙を流そうとは思っていなかった、真昼は声を漏らそうとは思っていなかった。それでも、それを止めることはできなかった。
真昼は恥じてさえいた。自分が泣いてしまっているということを。自分はどうしようもなく弱くどうしようもなく愚かであるだけでなく、その上、どうしようもなく惨めでさえあろうとしているのか。顔を覆っていた手、人差し指から小指までの指で、自分の額に爪を立てる。ぎりぎりと爪の先で頭蓋骨の感触を感じるくらいまで。しかし、それでも、その嗚咽は停止しなかった。まるで、まるで、その涙は、あの悪夢の中で、鉛の冠から滴り落ちてくる、あの溶けた鉛のように。
基本的に、真昼に対して、生きてればおーるぐりーんかなっ!くらいの関心しかないデニーではあったが。この嗚咽についてはさすがに気が付いたらしい。ほえっ!?みたいな顔をして、実際に「ほえっ!?」と言う。それから、いかにもわざとらしく慌てたふりをして「え? どーしたの真昼ちゃん!」と問い掛ける。だが、言うまでもなく真昼は答えることができない。答えようとする言葉は全て涙となって流れ落ちて行ってしまうからだ。この表現はちょっと恥ずかしいぐらい詩的であるが、人生とは時に詩のように美しいものだ。それはともかくとして、真昼が嗚咽している理由について明確な答えを得ることのできないデニーは。今度は、いかにも芝居じみた感じで、困惑の表情を浮かべた。
「ま、真昼ちゃーん!」
あわあわとしながら。
デニーは、とりあえず。
そんなことを言ってみる。
ところで……なかなか侮れない知性の持ち主である読者の皆さんは、デニーの態度の根本的な変化に気が付いているだろう。少し前のデニーであれば、具体的にいえば、ASKの魔の手から逃げ出す前のデニーであれば。いくら真昼が嗚咽したところで気にも留めなかったに違いない。気に留めたとして「真昼ちゃーん、あんまり泣いてると、また体のお水が足りなくなっちゃうぞ!」とかなんとか言ってけらけらと笑うくらいが沖の舞であろう。それが今では……一体、デニーの考えにどんな変化があって、こんな対応をするようになるに至ったのか? それには、あの会議室で真昼が見せた「力」。デニーの魔学式の拘束から、一時的ではありながらも逃れて。デニーの魔法円を、その一部ではあるにしても調整して見せた。あの「力」が関係しているのだ。
ただし、その「力」が具体的にはいかなるものであるのかということについては、ここで触れるのはやめておこう。奇瑞について話すためには、どう少なく見積もっても新しく一冊の本を書くくらいの紙面が必要があるし。そんなことまで説明していれば、いつまでもいつまでもこの物語は終わらないからだ。とにかく、読者の皆様には、これだけを知っておいて欲しいのだ。デニーの真昼に対する態度は、真昼が見せた「力」によって、少しばかり変わってしまったのだということを。
本人が未だその力について自覚的ではないにせよ。
デニーの与えた戒めさえも、解くことができる力。
真昼が、それほどの力を持っているのならば。
やはり、多少は方法を変えなければならない。
そんなわけで、デニーが真昼に対して多少でも同情しているとか、そういうことではないのだ。そもそもデニーが何者かに対して同情するなんていうことは、欠片とてそんな可能性は有り得ないことだ。絶対的な強者には未知の脅威など存在しえず、それゆえ外敵に対抗するために他の生命体と一つの共同体を作るという行動を生存パターンに組み込んでいないため、共感能力という能力自体を必要としていないのだから。デニーはそもそも何者かと気持ちを同じくするということができない。
それでも、デニーは。
まるで真昼に同情しているかのように。
ちょこんとその隣に体を座らせて。
そっと、その肩に右の腕を回して。
「アトゥパラヴァーイレイ。」
耳元に。
優しく。
囁く。
「アトゥパラヴァーイレイだよ、真昼ちゃん!」
うーん……なんというかやっぱり……デニーちゃんってさ、根本のところで真昼の気持ちを理解できてなくない? もう、さらっさらに理解できていないよ! まあ、真昼もちょっと面倒なところがあるから仕方がない面もなくはないのだが……それにしたって普通、このタイミングでこの言葉をかけようとします? こういう状況において最もかけてはいけない言葉がこの言葉であることは明白ではあるまいか? どんなに耳元に優しく囁いても、それじゃ慰めじゃなくて煽りになっちゃってますよ! それにさ、そもそものところ、なんで右腕の方を肩に回したの? 右の手を切って捨てたばっかりじゃん! こう、なんか、真昼の肩のところをぽんぽんってしたいのか何なのか、さっきから手首の切断面が動いてるけどさ! その先に手のひらはないですからね! ぽんぽんってできてないですから!
と、そういった事柄について、見ている聞いている方としては大変気になるところなのだが。とはいえ、当の真昼には……そんなことを気にしている余裕など、まるでないようだった。真昼は自分の意思に反して唐突に始まった嗚咽をなんとか止めようとすることに精一杯だったのだ。現時点での自分とデニーとの関係について真昼が理解しているのは二つのことだけだった。一つ目は、自分が、デニーの目の前で、感情を曝け出して噎び泣いているということ。もう一つは、自分に対して、デニーが、何かの優しい言葉を掛けているということ。
一方で、真昼は屈辱のために己の全身を焼き尽くさんばかりだった。こんな、こんな男の目の前で。静一郎の同類であるところの、この男の目の前で。自分は泣いている、涙を流している。自分の心の内側の、一番弱いところを見せてしまっている。こういうことを……してはいけない、この男に、絶対に、弱みを、見せたくない。その他方で、真昼の心の奥底には、全く別の思いもないわけではなかった。もちろん、とても硬い箱の中に閉じ込められて、冷たく冷たく凍り付かされてはいたのだが。それでも、その思いの存在を否定することはできない。その思いとは……とろとろと溶けた、生暖かい安心感だ。他人に対して自分の感情をここまであからさまに提示して見せたことは、真昼にとっては、完全に初めての体験だった。これは何かしらの、社会交渉的な、律された、作られた、感情というわけではない。何かの拍子に頭蓋骨の一番柔らかい部分に罅が入って、そこからどろどろと流れだしたとでもいうみたいな。そんな、想定外の、生のままの感情だ。そういう感情を、誰かに対してぶちまけて。そして、その誰かが、その感情の全てを受け止めてくれる――少なくとも、受け止めてくれているように見える――というのは。真昼にとって、初めて感じる、心臓を貫いてしまうような快感であったのだ。
いけない。
絶対に、駄目。
こんな。
こんな。
こんな。
まるで。
誰かに。
愛されている。
みたいな。
感覚。
だから、炎刑と凍徹、その二つの感覚のせいで。真昼は、脊髄から末梢神経にかけての全ての神経系を、全て強制的に押さえ付けて。何とか、その嗚咽を、自分の意思に反してとうとうと暴れ狂う感情の濁流を、止めなければならなかったのだ。
そして、真昼のような感情的な人間には珍しいことであるが。その試みは、何とか成功したようだ。だらだらと流れ落ちていた涙は、次第次第と収まっていって。ひきつけを起こしたかのような横隔膜の不随意収縮は、止まりこそしないものの、まあまあ弱まってきて。そういったことのおかげで、肩の震えが、気にならない程度まで静かになったということだ。
そうして。
真昼は。
しばらくは。
そのままの。
姿勢で。
いたのだが。
やがて、顔を覆っていた両手を、その顔から離して。ゆっくり、ゆっくり、何かを壊してしまうことを恐れているかのような慎重さで顔を上げた。すぐ隣で、存在しない手を肩に置いたまま、真昼のことを見ていたらしいデニーのこと。しっかりと真正面からの睨み付ける。一言一言を、はっきりと、区切るみたいにして。デニーに対して、こう告げる。
「あたしは、帰らない。」
「ま、ま、ま、真昼ちゃん?」
「あたしは、この、アーガミパータから、帰らない。」
「はわわわわ……何言ってるの、真昼ちゃん?」
明らかに、真昼の言っていることを。
何も理解できていない顔をしている。
そんなデニーに対して。
真昼は、言葉を続ける。
「あたしは、マラーを助け出すまでは、この国から出るつもりはない。あんたが何を言おうとも、あんたが何をしようとも、あたしは、絶対に、月光国に帰らない。あんたがあたしのことを連れて帰ろうとするのなら、何が何でも抵抗するし、もしもその抵抗が失敗して無理やり月光国に連れていかれたとしても、静一郎の目の前で首を掻っ切って死んでやる。」
「でも、でも、真昼ちゃんっ! そんなこと言ったって、相手はASKなんだよっ! ASKに捕まってて、しかもASKが捕まえたままでいたいって思ってる誰かを取り返そうとするなんて、できるわけないよっ! 真昼ちゃんが一人で行くなんてぜーんぜん無理だし、それにデニーちゃんだって、今のデニーちゃんはこんな感じだし……それに第一、それって、ASKがそうして欲しいなーって思ってる通りの行動だよっ! たぶんASKはあの女の子のことを殺してないと思うけど、それは真昼ちゃんがあの女の子を助けに来るんじゃないかなーって思ってるからでっ! つまり……でこいだよ、るあーだよ、でいとだよっ! あの女の子は、真昼ちゃんを罠にかけるための餌なのっ! ダメダメ、ダメー!っだよ、そんなことするなんて、絶対絶対……」
「あんたに来て欲しいなんて言ってない。あんたは好きにすればいい、あたしをここに残してくれればそれでいい。それに……あんたに言われなくても、あたしだって、あたし一人でできるなんて思ってない。あの連中から、マラーを取り戻せるなんて、思ってない。たぶん、あたし一人で行っても、殺されるか捕まるかするのが落ちだと思う。でも、あたしは……それでもいかなきゃ行けないんだよ。そうだよ、あんたの言う通り。あたしは死ぬだろう、捕まるだろう。でもそれでいいんだ。あたしは、ただ……あの子をここに置いて、自分だけ生き残るなんて、そんな、そんなクソみたいな真似は、したくないだけなんだから。」
真昼は、デニーの目を見据えたままでそう言った。それに対してデニーは「ふえぇ……真昼ちゃん、意味が分からないよお……」とかなんとか、実に全くその通りと同意したくなるようなことを、いかにも可愛らしい声で呟いていたのだけれど。すぐに……そのことに気が付いた。そのこととはつまり、真昼が、完全に、本気で、そう言っているということだ。
例え真昼が本気で言っていようとも……いや、本気で言っているならなおさらのこと。先ほど口にされた、真昼の発言が理解不能であるという趣旨のデニーのセリフは、その正当性をなお一層のこと認められるところのものであるのだが。それはそれとして、デニーは、暫くの間、真昼の視線を見返したままで、じっと何かを考えているようだったが。やがて、ひどく気が抜けたような、ふへーっという溜め息をついた。
真昼の肩に回していた腕。
すっとその肩から離して。
膝を突いていた体、ぱっと立ち上がらせる。体の後ろ側、背中というか腰の辺り、右の手首を、左の手のひらで掴んで。軽く持ち上げた右の足、その爪先を、左足の斜め左側の後ろのところで床の上にとんっと下した。軽く、左足のふくらはぎに、右足の脛を当てる感じだ。その後で、未だにへたり込んでいる姿勢の真昼に向かって。その顔を覗き込むようにして、ほんの少しだけ屈みこみながら……デニーは、すっかり諦めましたとでもいうみたいな、あっけらかんとした調子で、こう言う。
「んー、分かったよ、真昼ちゃん。」
「え?」
「あの女の子をASKから取り返せばいいんでしょー?」
「取り返せばいいって……」
「そうすれば、デニーちゃんと一緒に、帰ってくれるんだよね?」
「そりゃ……まあ。」
「じゃあ。」
フードの奥で首を傾げて。
デニーは、こう、続ける。
「デニーちゃんがなんとかしてあげるよ。」
デニーの言葉に、呆気に取られてしまい、ぽかんとした表情をしている真昼だ。その言葉は思いもよらなかった言葉であって……ここで念のために補足しておこうと思うのだが、一度書いた通り、真昼は先ほどのセリフを「本気」で言っていた。それは本当の本当に文字通りの意味での「本気」ということで、極言をすると「本気」で死にに行こうと思っていたということだ。
真昼とて馬鹿では……いや、馬鹿は馬鹿なのだが、少なくともアーガミパータで一日の間生き抜けるだけの知性は有している。何をいいたいのかといえば、ASKと戦うことを決定するに際して、デニーの助力を期待していたほどの馬鹿ではないということだ。あの会議室から脱出した時のデニーの様子は、間違いなく、一片の余裕もない生き物のそれであった。真昼から見れば……それは、捕食者から逃げ出す時の被食者の態度と何も変わるところがなかったということだ。そして、デニーは、静一郎と同じ種類の生き物であって。要するに、自分が生き延びるためなら、平気で他人のことを犠牲にする類の生き物であるということだ。
そう考えれば、よほどの白痴でもない限り自ずと理解できる。マラーを助け出すための真昼の闘争に、デニーが関わろうとするはずなどないということを。真昼はこう考えていた、デニーはきっとあたしのことをここに置き去りにしていくだろう。この男が、誰かのために、自分を投げ出そうとするはずがないのだから。デニーにとって、真昼の行動は……まるっきり、ただの無駄死に過ぎないようにしか思えないものであって。そんな行動に、関わりたいと思うはずがない。そして、あたしは、たった一人で死にに行くのだ。人間としての、最低限の尊厳を守るために。決して、決して、静一郎や、この男と、同じ生き物にならないために。
そんな風にして。
真昼は。
デニーに対する軽蔑を取り戻そうとする。
自己陶酔に満ちた計画を立てていたのだ。
しかし。
デニーの。
答えは。
全く。
別の。
答えで。
「でも……」
「んあ?」
屈みこんでいた体を起こして、真昼からすいーっと離れて。この送迎船をコントロールしている魔学式が書かれているテーブルのところに行ってしまったデニーのことを。少しばかり慌てていて、少しばかり困惑した、そんな様子で真昼は振り返った。デニーはまた魔学式をいじっている。くるくるとでたらめにしか見えない、子供が落書きをする時と変わらないとした思えないやり方。幾つかの新しいホロスクリーンが表示されていて、それらのホロスクリーンのうちの何枚かは、どうやらこの付近一帯の地図みたいだった。どうやら、デニーは……ここから先、送迎船が向かうべき進路を設定しているらしい。
「何とかするって……何とかできるの?」
「できるよお、デニーちゃんは何でもできるもーん!」
「あんた、さっき、無理だって……」
「うーん、それは、デニーちゃんと真昼ちゃんだけじゃ無理だよ。」
デニーは。
そう言いながら。
くすくすと笑う。
ひどく子供っぽくて。
ひどくご機嫌そうな。
あの、笑い声。
「でもね、デニーちゃんにはね。」
左手の人差し指。
ちゅっと唇に押し当てて。
それから、デニーは言う。
「優しい優しいお友達がいるの。」
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